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続・残念だったな。うちの婚約者はそんなことしない。  作者: 雪椿
ソロからデュオへ、速度はAndante
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重唱

 大通り、本屋の前で一台の馬車が止まった。

 ジオーネが扉を開けると先にコージャイサンが降りて中に向かって手を差し出した。

 シャスティとケイトによってお出かけ仕様になったイザンバは戸惑うことなくその手を取ると、コージャイサンにエスコートされて本屋へ入っていく。


「あ! ありましたね」


 迷うことなく店内を進み、目的のものを見つけたイザンバは嬉しそうだ。

 しかし、発売されてから日が経っているので本は棚に収まっている。彼女は手を伸ばすが、平積み本が置いてある分あともう少しが届かない。

 そんな彼女の後ろからコージャイサンが手を伸ばし、やすやすとその本を取るとイザンバへと手渡した。


「ありがとうございます」


「ん」


 イザンバは新刊に顔がほころび、コージャイサンの視線も柔らかい。

 そんな二人の様子にどこからか音無き興奮の声が上がった。

 外野はさておき、これでお買い物終了というわけではない。


「ザナ、俺は術式の本があるか見てくるがどうする?」


 どうやらコージャイサンも目的があって来ていたようだ。「一緒に行くか?」と問われイザンバは少し考えた。


「それなら私はあちらの方を見てきます」


「分かった。また後でな」


 微笑んで了承したコージャイサンだが、その笑みを消してジオーネに命じた。


「お前はザナにつけ」


「……そこまでしなくても大丈夫ですよ」


 勝手知ったる本屋だと言うのに、きっちりと護衛をつける彼にイザンバからは呆れたような声が出る。

 しかし、どう言う訳かコージャイサンはその上をいく呆れを見せるではないか。


「何言ってるんだ。久しぶりの本屋でザナの本を買う量が片手で足りるとでも言うのか?」


「はっ!」


「『今気づいた』みたいな顔するな」


 しょうがないな、とイザンバに見せる表情はとても思いやりがあるもので。

 そうだった、とコージャイサンに見せる表情はとても心を許しているもので。

 気安いテンポで交わされる言葉に、ざわめき上がる黄色い声に、誰かがギリギリと奥歯を噛む音は掻き消された。


「それじゃあ、向こうを見てきます」


 イザンバは笑顔でそう言うと、護衛兼荷物持ちのジオーネを連れて歩き出す。すれ違いざまに「いらっしゃいませ」と通路を譲った店員に礼の笑みを向けながら。

 そして、コージャイサンはその反対側へと歩を進める。二人が別行動をした途端に、遠巻きだった声が一気に近づいた。


「やーん! 欲しい本があるのに高くて届かなーい!」


 と、高いところの本を取ろうとする女性の横を通り過ぎ、


「きゃー! 滑っちゃったー!」


 平積み本にスライディングをかます女性の後ろを通り過ぎ、


「なにをお探しですか⁉︎ 私のお勧めはこの本なんですけれどいかがですか⁉︎」


 熱心な売り込みを華麗にスルー。コージャイサンに向けられていた全ての言葉は偶然にも居合わせた店員や他の客が受け取った。

 コージャイサンはずんずんと店内を進み、魔術書の棚の前で立ち止まり本の背表紙へとその視線を注ぐ。


 ただ本棚の前で立ち止まっているだけ。


 それなのに、熱視線は飛び交い、桃色の吐息がそこかしこから漏れている。


「恐れ入ります。お足元失礼いたします」


 美しく切り取られた空間に一人の男性店員が割って入った。

 くすんだ金髪に青い瞳、眼鏡をかけた線の細い好青年は、コージャイサンの圧倒的な美貌や見惚れていた女性たちからの刺すような視線に晒されたと言うのに、全く縮こまるそぶりを見せずに商品の陳列を行う。

 そんな彼にコージャイサンは尋ねた。


「ああ。きみ、古の術式の本はどこにあるだろうか?」


「それならばあちらに。ご案内いたします」


 丁寧に頭を下げると店員はコージャイサンを誘導する。店の奥、一際静かな空間へと。


「古の術式関連はこちらになります」


「少ないな」


 そうボヤくと徐に一冊の本を手に取りパラパラと捲った。さして興味がないのかはたまた既知だったのか。本を閉じるとその視線は店員へと向く。


「古代ムスクル語のものはあるだろうか?」


 コージャイサンはぐるりと本棚へと視線を巡らせると、その目的を口にする。

 古代ムスクル語、それは古の時代の言語。この本棚には翻訳された古の術式の本しかないのだ。

 しかし、問われた店員は申し訳なさそうな表情になった。


「それは……申し訳ございません。当店では取り扱いはしておりません」


「そうか。それは残念だ」


 コージャイサンはあまり残念そうに聞こえない調子でそう言う。まるで(はな)から知っていたというように。

 そして、そのまま別の話を振った。


「ところで、今日の港の釣果を知っているか?」


「はい、存じております。活きがいいものは東にいる漁師の方へ向かって船より右舷を拳で、左舷を鎖で網を引いたそうです。底まですくった結果、周辺に魚影がなくなるほどの釣果だったと聞いております。港は大忙しでしょうね」


「それは良い知らせだな。市場が活気づく」


 店員の回答にコージャイサンはニッと口の端を上げた。


「ええ。急遽決まった漁だったそうですが、船員はしっかりと仕事をしたようです。ネズミ捕りも順調とのことですので、ますます過ごしやすくなることと思われます」


()()()


「恐悦至極にございます」


 満足そうなコージャイサンの声色に店員は殊勝らしい様子でかしこまった。ところが、次の瞬間に纏う雰囲気がスッと変わった。


「つーわけで……観劇でも散策でも研究でも、どうぞごゆっくりぃ」


 突如砕けた口調と伸びる語尾。そう、彼はイルシーだ。いい仕事したぜ、と晴れやかな笑顔を見せている。

 実際に動いたのはファウストとリアンもなのだが、まるで己が一人でやり切ったような素振りにあとから猛抗議が来るのではないだろうか。


 当の本人はコージャイサンの横で膝を折ったかと思えば、平積み棚に本を陳列しながら小声で報告を続ける。


「ただコージャイサン様が鬱陶しがってた羽虫もこっちに戻ってる。あっちで全然相手にされなかった腹いせにイザンバ様に突撃する、なんてことはあるかもしんねーなぁ」


 イルシーの言葉にコージャイサンの眉間に皺が刻まれる。だが「ない」とは言い切れないのがまた辛い現実だ。


「あの羽虫さぁ、コージャイサン様たちより年上だろ? 適齢期ギリギリだからって焦りでなりふり構わずにならなきゃいいけどなぁ。どっかの誰かさんみたいにさぁ」


 イルシーのぼやきにコージャイサンは何も答えない。例えどこかの誰かが社交界から消えたとして、それは彼にとって気に留めることではないからだ。


「ま、イザンバ様もここんとこ邸から出てなかったからなぁ。茶会も断ってたし、嫌味言いたい連中がここぞと来る可能性がある。コージャイサン様と一緒の時なら大丈夫だろうけど、今別行動だからさっきジオーネにも伝えといたぜぇ」


「そうか」


 なるほど、仕事が早い。イルシーの言う『さっき』とはイザンバとすれ違った時のことだろう。

 イルシーは並べた本の上で頬杖をつくと呆れた声を出した。


「コージャイサン様とイザンバ様が出掛けるっつーから場を整えたのに、余計なものまで出しゃばってくんだもんなぁ。お貴族様って言葉の裏とか回りくどい言い回しで察するのが好きなんじゃねーの? 気利かなすぎじゃね?」


「周囲に察してもらうのを好むのであって、己に察する能力が備わってるかは別の話だ」


 イルシーはやれやれと肩をすくめた。知ってはいても特権階級の独特な考え方や常識は理解し難い。

 これ以上この話題は時間の無駄とばかりにイルシーはがらりと話題を変える。


「そういや公園の方はちょうど季節の花盛りだし散策にいいんじゃね? 屋台まで出てたし人出もそれなり。万が一、羽虫に遭遇してもあそこなら障害物も多いからうまく撒けんだろぉ」


 この男、お勧めスポットもきっちりしっかり押さえております。

 二人が心置き無く過ごすには外というのは騒がしいが、邸と違う景色はいい気分転換にもなるだろう。


「あ、連れ込み宿はやめといたほうがいいぜぇ。あの辺はノゾキが多いからなぁ……おっと!」


 言い終わるや否や飛んでくるダーツの矢。つい手元にあった分厚い辞典でそれを防いだイルシーだが、これは自分は悪くないと主張する。

 主人が護身用に上着に潜ませたダーツの矢。それが従者相手に飛び出すとは誰が思おうか。いや、この人なら飛び出すか。

 顔を引き攣らせてイルシーが忠言する。


「お客様、店内でのダーツの矢の使用はおやめください」


「ああ、すまない。つい手が滑った」


「つい、で滑るか」


 しれっと言ってのけるコージャイサンにイルシーはツッコミを飲み込みきれなかった。


 話は終わりだと言わんばかりにコージャイサンがイザンバがいる方へと足を向けたので、穴の開いた辞典を抱えてイルシーも続く。だが、目的地の方から騒がしさが伝わってくる。


 本棚の影から様子を見ると、どうやらイザンバがどこぞの令嬢に絡まれているようだ。淑女の仮面を被っているとはいえどこか固い表情にコージャイサンは覚えがあった。

 当たり前のようにイザンバの元へ一歩踏み出そうとしたところで、肩をイルシーにつかまれた。


「ちょっと待った。コージャイサン様はここに居てくれ」


 従者の静止にコージャイサンは若干苛立った。鋭くなったその視線、しかしイルシーは至極真面目に主人を諭す。


「今あそこに行っても火に油を注ぐだけだぜ。あの手の人間は誰が何を言おうが自分のいいように解釈するからなぁ」


 同じ言語を話しているのに話が通じない。そんな人間をコージャイサンが相手にする必要はない、とイルシーは言う。


「イザンバ様も躱すぐらいは出来んだろぉ。ま、あの具合ならほっときゃ自爆するだろうが……」


「どうするつもりだ?」


 コージャイサンの問いにイルシーはわざとらしく眼鏡のブリッジを押し上げるとニヤリと笑った。


「その為に俺がここにいんだろぉ。イザンバ様をこっちに誘導するから慰めてやれば?」


「なら十秒で連れてこい」


「短けーよ」


 主人の無茶振りに真顔になるイルシーの背後。変わっていく状況を見たコージャイサンが「おい」と声をかけた。


「護衛が今にも撃ちそうだ」


「アイツも気短すぎんだろうが!」


「全く、俺には手を出すなと言っておきながら」


「は⁉︎ そんなこと言ったのかよ! とにかくコージャイサン様は動くんじゃねーぞ!」


 念を押すイルシーに早く行けとばかりにコージャイサンが手を払う。

 ぞんざいな扱いに文句を飲み込み、店員は人垣を掻き分けて渦中へと飛び込んだ。


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