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続・残念だったな。うちの婚約者はそんなことしない。  作者: 雪椿
ソロからデュオへ、速度はAndante
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独唱

 暗い、昏い夢の中。

 イザンバはただ一人暗闇を揺蕩う。目の前に現れては消える黒い人影を見送って。

 イザンバは静かに漂う。黒い人影が一方的に投げつける嫉妬、嘲笑、憤怒など様々な言葉を聞いて。


『コージャイサン様を解放してあげてください!』


 ——別に縛ってないし。


『なんでこんな女に素敵な婚約者がいるの⁉︎』


 ——私に聞かないで。


『わたくしこそが真実の愛の相手!』


 ——私に言わないで。


『うちの娘の方が似合いだ』

『ほんと変な女』

『弁えられた方がよろしいのではなくて?』

『淑女がそのように……はしたない』

『邪魔をしてはいけませんわ』


 ——分かってるからほっといて。


 黒い人影からかわるがわる放たれる言葉はまるで鋭い棘のよう。深く、酷く、イザンバを刺し貫いていく。

 不意に閃光が走り、皮膚が焼ける匂いがした。


『今のは……』


 ——ごめんなさい。


 思うと同時にイザンバの手が(アカ)く濡れた。


『だず……だ、ずげ、で』


 ——ごめんなさい。


 すると今度は口から(アカ)が流れた。


『一体何を守ってんだよ!』


 ——ごめんなさい。


 さらに腹が(アカ)に染まった。


『……————』


 頭上からアカが降る。

 それはイザンバに纏わりつくとそのまま大きく、重くなっていく。押し潰すようにどんどんと、どんどんと。


 じわじわと体が赤に浸る。

 みるみる思考がアカに堕ちる。

 着々と心があかに蝕まれる。


「うぅ……っ!」


 耐えきれないと言うようにイザンバは飛び起きた。息は荒く、焦点も定まらない。それでも彼女は恐る恐る自分の手を見つめた。


 そこにあるのは震える白い手。イザンバは整わない呼吸のまま、冷えた手を擦り合わせた。


「大丈夫ですか?」


 突然の声にイザンバの肩が大袈裟なまでに跳ねた。

 声のした方に目を向けるとそこには黒い人影が。急激に加速した心臓を抱くように、祈るように目を凝らす。

 夢の中の黒い人影がそこにいる。


 いや、ちがう。

 それは既に見慣れた妖艶な夜の守り番だ。


「…………ヴィーシャ」


「随分と(うな)されておいででしたが」


 イザンバは早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように長く息を吐く。ゆっくり前髪をかきあげながら立てた膝に顔を埋めると案じたヴィーシャにこう答えた。


「大丈夫。夢見が悪かっただけですから」


「左様ですか」


「ジオーネは?」


「掃除に出とります」


「そう」


 そのまま落ちた沈黙。イザンバは顔を上げずにさらに問うた。


「今日はどんなのが来たんですか?」


「ネズミがご馳走を横取りしに来たみたいですわ。特に大きいネズミが麻袋を持ってたもんやから逆にみんなそこに片してやりましたわ」


「そうですか。まさに袋詰めですね」


 コロコロと笑うヴィーシャは実に愉しそうで、彼女たちにとってなんてことない相手だったことがよく分かる。

 イザンバはゆっくりと顔を窓の方へと向けた。暗闇ではその顔色は窺えない。


「コージー様は……」


 ぼんやりと細く頼りない月を眺めながらぽつりとこぼれた言葉。


「コージー様は今日どうしてたか知ってますか?」


「王命により騎士団の応援で西の方にいらっしゃいます」


 今、国の各地で防衛局による捕物が行われ、大小さまざまな事件で街中はとても騒がしい。

 コージャイサンも防衛局に所属する身。その腕前を買われて騎士団の応援として「今日はここ!」「次はあっち!」と各地に出向いているのだ。こういう時、出来る男は辛い。


「そう。今日も駆り出されちゃってるんですねー」


「ご主人様ですから」


「怪我をして……いや、それはないですね」


「それはないでしょう。ご主人様ですから」


 心配そうな顔から一転。二人は確信を持った顔でコージャイサンに怪我はないと言い切った。


 ——それでも、とイザンバは思う。

 彼はその手に、体に、赤を纏っているのだろう。さっき見た夢のように。


 コージャイサンの強さはイザンバが誰よりも知っている。

 余程なことがない限り傷を負うことも、ましてや命を落とすなんてことも無いと信じている。

 また彼は自らの意思で防衛局に身を置いている。つまり彼には命を奪う覚悟も、奪われる覚悟もあるのだと言うことも理解している。


 そんな彼に対してイザンバができること。

 それは、彼の身の安全を祈ること。

 それは、彼の帰りを待つこと。

 そして、イザンバ自身が無事でいること。


 かつてイザンバは婚約はいずれ解消されるものだと思っていた。

 彼に、公爵家に、釣り合うようにと努力した時期もあったが、どれほど努力をしても凡才の自分では鬼才の彼の足元にも及ばないと気付いた。

 だから、楽観的に自由に過ごし、その時が来たら潔く身を引くつもりでいた。それ故に嫌がらせや悪意に対しても、いや、結婚にすらどこか他人事だった。


 ——だって構わなければ傷なんてつかない。


 ところがどうだ。

 彼は自分をとても丁寧に扱い、オタクな部分も受け入れてくれた。

 それならばと、自分の識り得ることを差し出すことで報いようとした。どうせ公爵家との縁が解消されたら自分は一生独り身なのだと悟っていたし、彼なら有効活用してくれるから。


 学園に入るまで。

 学園を卒業するまで。

 社交界に慣れるまで。


 イザンバの想定する終着点を通り過ぎ、婚約はいまだに継続中。彼が認めた実力者たちに手厚く守られ、なんなら両家はおろか王家すらも祝福モードで結婚の準備が進んでいる。


 ——決めた覚悟は口先で、私が一番なんの役にも立っていない。


 現実でも夢の中でも自分の覚悟の足りなさが露呈してきた。

 気付いた事実にイザンバは心底悔やみ、そして……悩む。


 眠るのが怖い。

 ——また赤に染まるから

 人に会うのが怖い。

 ——また悪意を向けられるから

 あの人に会うのが怖い。

 ——言ってしまいそうになるから


 ヴィーシャは考え込むイザンバの様子をじっと見ていた。

 だが、どうにも行き詰まっていることを感じとり、一つ提案することにした。


「ケイトを呼んできましょか」


「ケイトを? なんで?」


 わざわざ休んでいるケイトを呼んでくるというヴィーシャの言葉にイザンバは首を傾げた。


「こう言う時はケイトの方がよろしいでしょう。体が温まって、気持ちも落ち着くようなお茶でも頼んできます」


 それはヴィーシャなりの気遣い。もちろんイザンバに分からないなんてはずもなく、彼女はクスクスと声を漏らした。


「ヴィーシャが淹れてくれないんですか?」


「うちが淹れたら夢も見んくらい深ぁ落ちますよ」


「ふふ、そうですか」


 ヴィーシャの言葉にイザンバは窓の外へと視線を向けた。更けた夜は深く濃い。


「ヴィーシャ、やっぱり貴方が淹れてください。とびきり気分が変わるようなものがいいです」


「寝やんのですか?」


「だってもう目が冴えちゃってるし。それならいっそ夜を楽しみます! レッツ夜更かし! 禁断の読書ターイム!」


 わざとらしいまでに明るい声が響く。無理をしていると分かってもヴィーシャは止めはしない。ただ、一つ忠告をした。


「お肌のゴールデンタイムやのに。またシャスティに叱られますよ」


「あー……その時はその時です! 誠心誠意謝れば許してくれるはず! たぶん! きっと! 恐らく!」


 頬を掻き悩む素振りを見せながらもイザンバは夜更かしを強行する意思を示す。

 ヴィーシャは呆れたように息を吐いた。


「左様ですか。ほな、用意します」


「お願いしますね」


 心細い時間には温かい飲み物を。

 さぁ、選んで。

 ——心弾むフレッシュな味わいか、とろりと包み込むスイートな味わいか

 さぁ、選んで。

 ——あなたの心のままに


 さぁ、飲み干して。

 ——鋭く刺さるスパイシーな味わいでも、後味の残るビターな味わいでも

 さぁ、飲み干して。

 ——選んだのだから最後の一滴まで


 頼りない月はゆっくりと呼吸して、陰りを抱えて夜明けを待った。



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