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嵐の如く去る二人を呆然と見つめる群衆の中で、一人しゃがみ込む人物がいた。
それに気付き近づいていったのは……。
「ザナ、大丈夫か」
コージャイサンである。随分と親しげな口調で話すのは、相手が自分の婚約者、イザンバ・クタオ伯爵令嬢だからだ。“ザナ”とはイザンバの愛称だ。
イザンバはコージャイサンの問い掛けに、口元を手で押さえ弱々しく首を振った。
そんなイザンバの様子に「何処か休める場所は……」とコージャイサンはくるりと周りを見渡した。そして一軒のカフェを見つけた。渋るイザンバを立たせて、その肩を抱くようにカフェに向かって歩を進める。扉を押せばカラン、と軽やかにベルが鳴った。
「いらっしゃいませ!」
店内に足を踏み入れれば、芳醇なコーヒーの香りと元気な店員の声が通り抜けた。
「申し訳ないが連れが限界のようで少し場所を借りたいのですが、個室はありますか?」
「それは大変だ。生憎と個室はないのですが、……従業員用の休憩室でも宜しいですか?」
「構いません。落ち着き次第出ますので」
「では、どうぞこちらへ」
店内では数名の客が思い思いに過ごしていた。カウンターの奥でカップを拭いている男性が、店主なのだろうか。イザンバをチラリと見、具合が悪そうだと判断してコージャイサンの言葉に応じ場所を貸してくれた。
「感謝します」
店主の案内で奥に進むと、壁際に荷物を仕舞う棚、中央にテーブルと椅子が四脚ある部屋に辿り着いた。その内の一つの椅子にイザンバを座らせたところで、店主は水とタオルを持ってくる、と告げて部屋を出た。
フーッと深呼吸をして自身を落ち着かせようとするイザンバ。そのお陰か少し落ち着いてきたようだ。
その様子を見、コージャイサンが声をかけようとした時、部屋の扉が開いた。だが、そこに居たのは店主ではなくアンジェリーナとマイクだった。アンジェリーナの手には水とタオルが乗ったお盆がある。
「……何故あなた方が? まぁいいです。それを置いて出て行ってください」
「いえ、具合の悪い女性がいるなら同性の私が居た方がいいですよね。それにご予定があると仰ってましたし。急いでいるなら尚更です」
「必要ありません。予定は婚約者との待ち合わせでしたので」
アンジェリーナの申し出をコージャイサンは躊躇なく切り捨てた。
店内まで追いかけてくるなんて……。もうあの場でお終い、全員解散でいいではないか。
どうしてそんなに関わって来ようとするのか。もう放っておいてくれ、と言ううんざりした内心をコージャイサンは顔に出している。
「お前! アンジーが折角こう言ってくれているのにその態度はなんだ!」
「頼んでいません。それに婚約者というのも彼女なので、介抱の手伝いは必要ないです」
「婚約者だとしても! 若い男女が密室で二人きりなんて何考えているんだ!」
「あなたがナニを考えているんですか。そんな様子じゃないのは見てわかるでしょう」
顔を赤くして言うマイクにコージャイサンは淡々と返した。
一体マイクはコージャイサンをどんな男だと思っているのか。それとも自分とアンジェリーナならば、とでも考えたのだろうか。もしそうなら「ナニ考えているんだ!」はマイクの方である。
しかし、室内でもマイクの声は大きい。逡巡したコージャイサンは室内にサッと防音魔法をかけた。これは範囲内の音を外に漏らさないようにするものだ。いくらここが従業員用の休憩室だとしても、マイクの大声により店主や客に迷惑をかけてはならないとの配慮だろうか。
「だとしても放っておけません。大丈夫です。介抱には慣れていますから」
「ですから、必要ないと……」
「いえ、彼女には必要です。見てください。とても震えて辛そうです」
頑として譲らないアンジェリーナにコージャイサンはため息をついた。
そして、ちらりと横目で見た婚約者は机に突っ伏してプルプルと震えている。限界が近いのだろう。
仕方がない、と諦めコージャイサンはある術式を展開しながら二人に向かって言った。
「そこまで言うのならば仕方がありません。ただし、これから起こる事は他言無用です。彼女の矜持に関わります。いいですね」
「分かっています」
例えどんな惨事になろうともこの部屋で起きた事は吹聴しない。その誓いを術式を使って決して破れない確かなものにする。
真剣な表情で頷いたのを合図にコージャイサンは宣誓の術式をマイクとアンジェリーナに施した。その術式の紋様が体に吸い込まれたところで、アンジェリーナはハッとした。
「あ! 気分が悪いなら桶か何かもいりますよね! 私借りてきます!」
許可が下りたことが嬉しいのかそう言って部屋を出ようとした時、アンジェリーナは背中越しにコージャイサンの優しげな声を聞いた。
「ザナ、もう大丈夫だ。よく頑張ったな」
そして、コージャイサンは労わるように、導くように続けて声を掛けた。
「もう我慢しなくていいぞ」
「………うふっ。ふふふ。ふふふふふ! あははははははははははは! もう、なんなんですか! ぷは、はははははははは! かい、会話が! ふふふ、皆様の会話がムフッ、ふふふふふあーっはははははははははは!」
そうして解き放たれた笑い声。笑う、笑う、どこまでも。
軽快に響き渡る笑い声にマイクとアンジェリーナが呆気に取られる中、コージャイサンは慣れたもので水を邪魔にならない位置に置いている。
「それにあの人! 何なんですかあの人⁉︎ むっちゃおもしろい! ふっははははははははははははは! 颯爽と登場しておいて退場が、ぷくくくくっ! 間抜けすぎる! あははははははははははははは! はーっ。はーっ。はーっ。それに、あんなに話を聞かなかった人達がビルダ様には圧倒されているなんて、クスクスクスクス。ああ、もう、ビルダ様つおい……色々つおい。ふふふふふふっ。あーっはははははははははは!」
息切れを起こしても尚笑い続ける。よほどツボにハマったのだろう。クスクスと笑ったかと思えば、思いっきり吹き出したりと変化を繰り返す。
そんなイザンバを見たマイクとアンジェリーナの顔には「これが貴族のお嬢様?」と書いてある。はい、そうです。紛うことなく貴族のお嬢様です。
「あの人はビルダ嬢に任せておけば安心だろう。なんと言ってもビルダ嬢だしな」
「ぶふっははは! 本当にそうですね! ビルダ様の安心感半端ない! それに比べてあんなに話を聞かない人たちも珍しいですけど! ふふっふふふ! あんなに一方通行な会話あります⁉︎ 常に誰かから誰かへの一方的な自己主張! あははははははははは! あれ? 会話ってなんでしたっけ? あっはははは!」
コージャイサンの言葉に同意を示すも、イザンバはクスクスと笑い続ける。実に楽しそうに笑う彼女にコージャイサンはそうだな、と頷きを返した。
「それとナルシスト様、じゃなかったオリヴァー様! 今まであんなに格好良く決めていたのに最後のあのお姿! ぷっはははははははっ! 笑ってはいけないと耐えるの必死だったんですよー! あーっはははははははははっお、おなか、いたいっ。くくくくくくくくっ」
そう言うと、腹部を抑え机に額を付けて笑っている。どうやらイザンバは脳内で先ほどの様子をループ再生しているようだ。
笑われている内容に自分が入っている事に気付いていないのだろう。マイクは「え? これ本当に貴族のお嬢様?」と疑念さえ湧いている顔だ。はい、そうです。正真正銘のお嬢様、イザンバ・クタオ伯爵令嬢です。
「ところで、ザナ。一体いつから見ていたんだ?」
笑いが少し治ったイザンバにコージャイサンは疑問を投げつけた。イザンバの話を聞く限りつい先程、と言うわけではないだろう。
「えーっと。そちらの男性が女性の事を朗々と語り出した辺りでしょうか。うっふふふふふふ!」
「ほぼ最初からじゃないか。見ていたなら助けろ」
ごもっともだ。楽しそうに思い出し笑いをするイザンバの脳内は一体どうなっているのか。路上が舞台と化しスポットライトや楽曲が鳴り響く中、着飾ったマイクの熱い語りが再生されているのだろうか。
コージャイサンは話の通じない相手に難儀していたのだ。そこは是非とも助け舟を出して欲しかった。
「いやいや、無理です! こんな面白い事は見ているに限ります!」
しかし、イザンバは婚約者の救助要請をあっさりと断った。少し険しい表情になったコージャイサンにイザンバは立ち上がり主張する。
「それに私が入ったところで力不足感満載じゃないですか! 見てください、このザ・平凡! 凡庸! 没個性! オリヴァー様やビルダ様のような方だからこそ……ぷっくくくくくくっ!」
「ザナが没個性な訳ないだろう。安心しろ。十分濃い」
「そんな馬鹿な!」
コージャイサンに自分の没個性を否定されて驚愕の表情を浮かべるイザンバ。
確かに貴族の集まりの中でなら没個性だろう。だがしかし、コージャイサンはそんなイザンバが貴族令嬢の仮面を外した時の様子を知っている。没個性? とんでもない。イザンバも大概濃い。
「ん? じゃあ、ビルダ嬢に知らせたのは誰だ?」
てっきりイザンバが知らせたのかと思っていた、とコージャイサンは言う。その言葉にイザンバは笑顔で返した。
「私かと言われれば私ですね。でも、こんなおもしr……心配な展開、見逃す訳にはいかないじゃないですか! だから、ビルダ様に知らせて欲しいとお使いを頼みました!」
「誰に?」
今また面白いと言ったか? 完全に群衆に溶け込み観客と化していたであろうイザンバに呆れつつコージャイサンが問うが、イザンバはニコニコと笑顔を崩さない。
「あー、成る程」
何やら察した様子のコージャイサン。どうやら二人には分かるナニかがあるようだ。
そんな二人の会話を聞くとも無しに聞いていたマイクとアンジェリーナだが、遂にマイクが声を上げた。
「おい、具合が悪いんじゃなかったのか?」
その声に二人はマイクの方へと視線を向けた。そこには憮然とした表情のマイクと、困惑した表情のアンジェリーナが居た。
「そんな事は一言も言ってません。『限界が近い』と言っただけです」
「そんな言い方! 具合が悪いんだと思うだろう!」
確かに捉えようによってはそうだろう。しゃがみこむ様子から眩暈が酷いのか、吐き気があるのか。震える様子から寒気がするのか、と気になったようだ。
「アンジーの気遣いを無駄にしやがって!」
そう、アンジェリーナが。マイクはただの付き添いだ。しかし、そんなマイクに対してコージャイサンは非常に冷ややかだ。
「だから、不要だと言ったでしょう。聞かなかったのはあなた方です。仮にもし具合が悪かったとしても、あなたはここにいるべきではありませんね。煩すぎます」
「本当に大きな声ですね。距離のせいか部屋にいるせいか、外で聞いていた時よりも耳にきます」
アンジェリーナはよくこんな大声を真横で聞いていられるなぁ、とイザンバは感心した。そして、二人に対してにっこりと笑顔を作り淑女の礼をとった。
「初めまして。イザンバ・クタオです。この度はご心配をお掛けしたようで申し訳ありません。あなたの心遣いに感謝します」
突然の挨拶に驚くマイクとアンジェリーナ。イザンバは先程の大笑いと違い、しっかりと貴族のお嬢様らしい立ち振る舞いだ。
「いえ、大丈夫そうで良かったです。私はアンジェリ……」
「全くだ! 人騒がせにも程がある!」
だからどうして被せてくるのか。割り込んだマイクが踏ん反り返りながら言った後、イザンバはこう告げた。
「はい、アウトー!」
さぁ、何がアウトか。言われた方は理解しているのだろうか。
やっとイザンバを出せた!
おかしいな、コージャイサンとペアの筈なのに‥。
ここからはガンガン喋ってもらいます!