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砂糖、追加しました(当社比)
さて、背後が随分と物騒であったが、イザンバは思考を動かし続けた。何がジオーネにとって最適なのか、しっくりくる素材を選び、テーブルに並べていく。
材料が揃ってきた事を見て、コージャイサンも動いた。
今回は服を作ると言う事で《自業自得》や撮影機の時のような特別な付与や複雑な術式はない。
先程読んでいた本『裁縫の基礎』で知った生地の切り方や縫い方を術式に置き換えて紙に書き込んでいく。
「準備は出来たな。ザナの思考を読んで俺が錬成する。いつものヤツだ」
コージャイサンの「いつも」という言葉に、新参四人は一斉にイルシーを見る。だが、イルシーはニヤニヤとするだけで教える気はないようだ。様子を伺うように主たちの方へ視線を戻す。
注目を浴びるイザンバはと言えば、声をかけられたと言うのに対面のソファーから腰を上げようとしない。中々動かない彼女に流石のコージャイサンも訝しんだ。
「今日はどうしたんだ? いつもならホイホイ来てるだろう?」
「言い方ー! まるで私が何も考えてないアホの子みたいじゃないですか!」
そう言ってイザンバは唇を尖らせる。つまり、今日は考えているという事で……彼女が気にしている事といえば、一つだろう。
「まだ昨夜のことを気にしてるのか?」
そう聞かれ、更に唇を尖らせる。視線を誰もいない方へ向けると、もごもごと言い訳を始めた。
「いや、まぁ、ちょっとくらいは尾を引くと言いますか。私にも羞恥心というものがございましてですね」
「……あったのか」
「ありますよ!」
オタ活や性癖はオープンにしておきながら何を言うか。「そこは恥じるんだ」とイザンバの羞恥心の在り方に疑問をこぼしたのは一人や二人ではないだろう。
ふーん、と相槌を打つと、コージャイサンは右手を差し伸べた。
「ザナ、おいで」
理由を聞いたにも関わらずこの態度。これ以上ゴネても仕方がないと、イザンバが重い腰を上げた。
コージャイサンの側へ行き、その手に左手を重ねた——直後にぐいっと引かれる腕。急接近する顔。
イザンバがバランスを保つ為、咄嗟にコージャイサンの肩に自由な方の手をつくと、彼は自身の左手を彼女の腰に回し体を固定した。
そして、イザンバの首筋に顔を寄せ、大きく息を吸い込んだ。
「ああ、今日はいつもと違うな。うちに泊まったからか」
「へ?」
突然のことにイザンバの思考が追いつかない。停止する彼女の首をコージャイサンの髪が撫でる。
「ザナとうちの匂いが混ざるとこうなるんだな」
「ちょ」
イザンバがくすぐったさに首を反らせると、コージャイサンが顔を上げた。いつもは見上げる顔が自分よりも下にある。その事実にイザンバが新鮮味を感じていたが、次の言葉で思考速度がまた落ちる事になる。
「俺もザナの匂いは好ましいと思ってる」
目を合わせて堂々と言うコージャイサン。数拍してイザンバの顔に一気に熱が集まった。
赤面する彼女に、コージャイサンはまるでいたずらが成功した子どものような表情を見せると、そのままの姿勢を保ちながら軽い口調で言ってのける。
「ほら、これでおあいこだ」
「おあいこってレベルじゃない! これはダメです! 恥ずか死ぬ!」
「じゃあ、慣れないとな」
「無理です! 慣れるわけないでしょう!」
キャンキャンと、イザンバが近距離で吠えるもコージャイサンは楽しそうに躱す。
——なんだ、この光景。
突然の主の行動に、繰り広げられるやり取りに、固まり遠い目をする従者たち。
彼らに見られている事を自覚したイザンバが更に顔を赤く染めて抗議する。コージャイサンから離れようと試みるが、なんと言うことでしょうか。いくらイザンバが力を込めても、その拘束はビクともしない。
「離してください!」
「やだ?」
ここで小首を傾げてみせるコージャイサン。顔が良いと自覚のある男がなんて恐ろしいことをするのか。
「も、ッ、ッ、もぉ! なんなんですか⁉︎ 昨夜の仕返しですか⁉︎」
言葉を詰まらせながらも喚くイザンバにコージャイサンが尚も面白そうに表情を崩した。
彼女は今までなんの憚りもなく差し出された手を取っていた。
近づかれる事も、触れられる事も、思考を読まれる事も、なんの抵抗もなく無邪気に受け入れてきた。
だが、昨夜の出来事で変化が生じたのだ。
差し出される手は変わらないと言うのに、その羞恥心は何に対してだろうか。
コージャイサンはぷりぷりと怒るイザンバを解放して、着席を促す。
「さ、錬成を始めようか」
「あ〜、もう…………はい」
イザンバの頬はまだ赤い。だが、諦めたのか、腹を括ったのか。その言葉に従った。
改めて二人は手繋ぎ、指を絡める。すると、早々にコージャイサンが落ち着きのない思考を読み取った。
「ザナ、思考が散らかってるぞ」
「待って! 読むの早いです!」
プイッとそっぽを向き、その顔を手で隠す。顔を隠しても意味はないのだが。
渦巻く思考は羞恥。混乱。煩悶。焦燥。
これは落ち着くまでもう少しかかりそうだ、とコージャイサンがクツクツと笑いを零す。
「早く落ち着けよ」
そう言われ、イザンバは口ではなく繋いだ手をブンブンと振る事で返事とした。深呼吸を繰り返し、心を鎮めにかかる。
ここで少しばかりイザンバの思考を覗いてみよう。
——おーけーおーけー落ち着け私。とりあえず推しのことを考えよう。シリウス様は今日もカッコいい。いつもカッコいい。顔面SSR。イエス。リゲルとの日常パート。シリウス様の仕事は出来るけど家事は出来ないギャップ。 萌える! イエス! 敵将との一騎討ち! 信念と信念のぶつかり合いマジアツい! イエス! だが、敵将。奴も憎めない。バ可愛い。
と、なんとも忙しない。隣でコージャイサンが笑いを堪えている。
——そう言えばシリウス様と敵将の絡み本が出てるって聞いたけど、コージー様またコスしてくれないかなぁ。イルシーが敵将で、二人でくんずほぐれつな写真を……
コージャイサンの顔から笑みが消えた。繋いだ手の力をギュッと強めてイザンバを呼び戻す。
「それはしない」
「え⁉︎ ダメですか⁉︎」
「しない」
「そっかぁ」
残念がるイザンバだが、そこでふと気が付いた。ナチュラルに会話をしたが、声には出していなかった事を。
「ほんと待って! 一回読むのやめてください!」
「ザナもそう言う事考えるのはやめような」
にっこりと、有無を言わさないコージャイサンの笑みにイザンバはコクコクと頷いた。
——私は嗜む程度とは言えアレは好き嫌い分かれるもんねー。敵将がダメならイルシーにキラリン王女になってもらって主従逆転……
繋がりっぱなしの回路から再度伝わる思考。手に加わる力がもう一段階上がった事に、イザンバはハッとなった。
「ザナ?」
「はい! ごめんなさい!」
隣から増した笑顔の圧にすぐさま降参したイザンバ。だが、一連のやり取りで彼女の混乱も落ち着いた。ゆっくりと先程纏め上げた思考へと切り替えていく。
——なんなんだ、この光景。
またも遠い目になる従者一同。心なしかぐったりしている。そんな中でイルシーだけが悪寒に体を震わせた。
二人は目を合わせ、呼吸を合わせ始める。
いつもよりも時間をかけて、ようやく二人の思考と魔力はリンクする。
書かれた術式から溢れ出した光がその美しさと鮮やかさで視界を奪った。
踊るように揺れる生地、針は舞うように糸を縫い付け、生地を服として形作る。
錬成が続く中、演出照明のように幻想的に織り成される光は次第に一つに重なるように、溶けて混ざり合うように、別の色へと変わる。まるで二人の絆のように濃く、強い色は強烈なまでにその存在を示す。
それは他者が介入出来ない、二人が作り上げる世界。
収束した光の後に残された一着のメイド服。イザンバはそれらを手に取り確認すると、コージャイサンに向かって笑顔でブイサインをした。それは思っていた通りの出来だったのだろう。
すっきりとしたイザンバとは逆に、混乱に陥ったのはこの四人。
「嘘だろう……こんな作り方、有り得ない」
呆然と言葉をこぼすジオーネ。
目の前で起こった出来事は普通では考えられない。職人に謝れと言いたくなるほど、二人はあっさりと服を作り上げてしまった。
反対に、リアンからは驚きの声が飛び出す。
「えー、僕いま何を見たの? 胸焼けと胃もたれと驚きでしんどいんだけど」
「うちも。色々と処理が追いつかん。なんか頭痛いわ」
ヴィーシャ共々一連の流れに消化不良を起こしているようだ。見せ付けるようなコージャイサンの行動だけでも十分に驚いたのだが、その後はもうおかしいとしか言いようがない。
更にヴィーシャからすれば、昨夜からのイザンバの行動や変化も気になるところだ。
ファウストは一人静かにコージャイサンとの初めての出会いを思い出していた。
共に居たイザンバが彼らの戦い方を明るみに出した時、全員が本気で彼女を殺しに向かった。ところがイルシーですら、イザンバの細い首に手をかける事は叶わなかった。
その前に立ちはだかる圧倒的強者。
コージャイサンは地に伏した自分たちを歯牙にも掛けず、イザンバに寄り添っていた。
だからイザンバの事は守られているだけの、ちょっとだけ風変わりなお嬢様だと思っていた。
しかし、その認識は間違っていた。彼女は戦う術を持たないからこそ、自身の全てをコージャイサンに預けているのだ。それこそ思考の一欠片まで。
「なんという、お方たちだ」
ファウストは規格外な主に、また普通の人でも抵抗があるであろう思考を読まれると言う行為を厭わないイザンバに敬服する。だが、同時に懸念もした。
「イルシー、イザンバ様はあのように無防備で大丈夫なのか?」
ファウストが問うたそれはイルシーも以前に抱いた当然の疑問。手を繋いだ瞬間に読まれていたのであれば、貴族の付き合いでは不利なのではないか、と。
すると、イルシーはニィッと口角を釣り上げ、声高に称える。
「あちらにお座す方は我らが主様だぜ。抜かりはねぇ」
絶対の自信を添えて。その言葉だけでファウストの懸念は安心へと変わった。
「そうだな、野暮なことを聞いた。主が対策を打っていない訳がないな」
そう言うとファウストは背筋を伸ばし、力強い視線を二人へ向けた。
もしも、ここにシャスティが居たとすれば……。
「貴方がそれを言うんですか⁉︎ あの時お嬢様に突っかかった貴方が⁉︎」
と、イルシーに対して元気に喧嘩を売ってくれたであろうに、居ない事が悔やまれる。
甘さは足りましたでしょうか?