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砂糖の量、増えました。(当社比)
舞踏会の翌日、陽がすっかりと登った頃。晴れ渡る空模様とは逆に頭を抱えベッドの上で丸まっている女性が一人。イザンバだ。
「あぁぁぁぁぁあ、あたま、いたい……」
こっぽりと布団を被り、ガンガンと痛む頭を押さえている。
「え? なに? なにが起こったの? いやいや、分かってるよ。お酒飲んだからだよね」
頭が痛むのは二日酔いだからだ。ブツブツと独り言を溢しながら現状と記憶を整理していく。
「なんか、コージー様にウザ絡みをしたような気がする」
そう、それは昨夜の記憶。
体は疲れているのに中々寝付けないイザンバ。その原因は分かっている。《自業自得》の発動の瞬間を思い出すから。
掌を焼く熱、感触、音、そして焼かれた人の表情。
今日の出会いも、いつもの妄想も、コージャイサンとの会話も、その憂いを晴らすには至らない。
そこでコージャイサンは少し酒を交えることにした。安易ではあるがアルコールによって眠りに引き込まれれば、と考えたのだ。
イザンバには甘くて口当たりの良い果実酒を、自分用には蒸留酒を用意した。
くだらない話をしながら二人は杯を交わす。飲みやすい果実酒にイザンバの杯は進むが、元々弱い質なのだろう。すぐに酔いが回ってしまった。
「コージー様はお酒にも強いですね〜出来る男は肝臓も強い! すごいわ〜ほんとすごい〜!」
「ザナはあまり強くないんだな」
「そんなことないですよ〜!」
イザンバは一人ケラケラと笑う。その様子にホッと息をつくと、コージャイサンは止めもせずマイペースに飲むことにした。
彼も自宅ということでジャケットを脱ぎ、シャツのボタンも二つ外して楽にしている。グラスを傾ける姿のなんと様になることか。
それを見ていたイザンバの鼻腔を果実の甘い香りがくすぐった。連動するように蘇る混ざり合った香水の香り。嫌な記憶に眉を顰めると、グラスはイザンバの手からテーブルへ。そして、コージャイサンに擦り寄り、クンクン、スンスンと鼻を鳴らしたのだ。
「何してるんだ?」
「コージー様の匂いがします」
「そうか? 動きが犬みたいになってるぞ」
揶揄うように言われても楽しそうに笑う。
ふと、彼女の目に入ったのはグラスを持つ骨張った手。視線を動かすと布越しに頼りになる腕がある。そこからチラリと覗く鎖骨、自分にはない喉仏、そして見慣れた顔へ。
「なんだ?」
「コージー様だぁ」
首を傾げるコージャイサンにふにゃりと顔を緩ませると、首筋に顔を近づけた。更に強くなった香りを肺一杯に送り込むように空気を吸う。
「あー、この匂い、すきだなー」
首に腕を回してギュッと抱きつくと、自分の中に入ってくる香りをじっくりと堪能した。
「は?」
「いい匂い。あったかい。おちつくー」
好みの香りと適度な温もりにイザンバはご満悦だ。だが、腕を首に回しているのが疲れるのだろう。もぞもぞと動き、より居心地のいい場所を求めて腕を首から腰の方へと回す。そして、胸に頭を預けた。
「ザナ」
「んー? なんですかー?」
「……離れてくれないか」
「えー、やだー」
ぐりぐりと額を擦り付けて拒否するイザンバにコージャイサンが天を仰ぐ。そのまま、引き剥がそうとはしないコージャイサンの胸元に耳をつけた。
「あ、しんぞう、うごいてる」
「当たり前だろう。……もういいか?」
「んー、もうちょっと。もうちょっとだけ……」
鼻腔を満たす香り、包み込む温もり、耳から届く一定の鼓動。自分のものとは違うリズムに集中するように瞳を閉じた。
「ザナ?」
耳に馴染む自分を呼ぶ落ち着いた声。イザンバは返事をしたつもりだが、それは音になっていない。ただただ、内側から満たされるその心地良さに身を委ねた。
つまり、寝落ち。
目が覚めた時にはベッドの上だった。
「ぬぁぁぁぁぁぁ! 誰か私を埋めてぇぇぇ!」
己の醜態に仰け反って頭を抱えるが、途端にガン! と頭を殴り付けるような痛み襲われ、フラフラと布団の中に舞い戻った。
「うぅ、これが二日酔い……ツラい、頭痛が痛い」
「まぁ、それはいけませんね。さ、こちらをお飲みになってください」
「ありがとうございます」
イザンバは言われるがままにグラスを受け取ると、起き上がってゴクリと飲む。そこで、はたと気付いた。
「……どちら様ですか?」
綺麗に結われた紫の髪、垂れ目のアメジストと泣きぼくろの融合が艶かしい。首から下に肌色はなく、手袋で指先まで隠されている。
隙なく着こなされたメイド服の美女がにっこりと微笑んだ。
「ヴィーシャと申します。ご主人様の命により本日よりお嬢様付きのメイドとなりました。どうぞよしなに」
「はぁ、はい。え?」
丁寧だが独特のイントネーションで話すヴィーシャ。頭が回っていないのかイザンバからは間の抜けた声が漏れる。
「あの、いつからいたんですか?」
「お嬢様がお目覚めになる前から」
「……という事は、私の独り言も?」
もしや、との問いに返ってきたのは肯定の微笑み。反対にイザンバの顔は熱くなる。
「あぁぁぁぁ! 待って! 恥ずかしい!」
そして、そのまま布団に沈んでいく。羞恥と自分の大声に再びガン! と二日酔いのダメージを負ったのだ。
「あうぁぁぁ」
「あら、まぁ。さぁ、もう少し飲んでください」
「……全然気付かなかった」
ヴィーシャに促されるまま、ぼやきながらもイザンバはまた一口含んだ。
「それは仕方ありません。気配を消すのは暗殺者としての基本、至極当然ですので」
「ゴホッ!」
『暗殺者』と聞い思わずむせてしまった。ヴィーシャとグラスを見比べる顔色の悪さは果たして二日酔いのせいだけだろうか。イザンバが恐る恐る問うた。
「これ、飲んで大丈夫なヤツですか?」
「ご安心ください。二日酔いに効く薬湯でございます」
その言葉に安堵の息を漏らすと、今度はゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。
「ん? 薬湯? 治癒魔法じゃなくて?」
「お酒も毒も同じです。慣らさなければいつまでも弱いままですよ」
「ふーん。暗殺者ってことはイルシーと同郷ですか?」
「左様でございます」
ヴィーシャの肯定にイザンバは記憶の糸を辿る。
コージャイサンと共に暗殺者の里へ赴き、何故か戦闘になった。
相手は五人。驚異的な怪力の者、そつなく毒を扱う者、弾幕を張る者、動きを封じようとする者、中々姿を捉えさせない者。
目の前の人物と一致するのは誰だ、とイザンバは更に記憶の糸を引っ張る。
——紫の髪、アメジストの瞳、泣きぼくろ。
——全身を覆う布
——癖のある話し方
——そして、毒。
食べ物に、飲み物に、空気中に、潜ませた毒でジワジワと追い詰めるかと思えば、即効性の毒を生成し直接攻撃したりもする。更には、吐息に毒を絡めてゼロ距離で対象を堕としにかかる。そんな蠱惑的な美女がヴィーシャである。
「あの時のお姉さん!」
思い出した! と声を出すイザンバに二日酔いは容赦ない。三度襲いくる痛みに頭を抱えた。
「ぁぁぁぁぁ」
「詳しい事はご主人様から説明がございます。まずはお召し替えを。その間に薬湯も効いてまいります」
ヴィーシャは誰よりも毒の扱いに長けている。毒と薬は紙一重だ。転じて彼女が作った薬もよく効くのである。
イザンバは促されるままにドレッサーの前へ移動した。ヴィーシャがクローゼットから数着のワンピースを取り出しイザンバに判断をあおぐ。
「お嬢様、お召し物はどちらになさいますか?」
左から薄いオレンジ、ピンク、ベージュ、ミントグリーン、アクアブルー、ライトパープル、ライトグレー、オフホワイトと、淡い色のワンピースが並んでいる。
「じゃあ、ミントグリーンで」
「かしこまりました」
さぁ、おめかしをしよう。
選ばれたワンピースの裾が軽やかに揺れる。ミントグリーンの爽やかな色合いに袖を通し、二日酔いの気持ちを上げて行く。
「メイクやヘアセットはどうなさいますか?」
「お任せで!」
「かしこまりました。二日酔いの顔色の悪さはピンクカラーでカバーしましょう。髪は……甘めにしましょか」
「その辺はよく分からないから、好きにしちゃってください」
目を閉じて、イザンバは無防備にその身を預ける。
ヴィーシャは流れる髪をふんわりと編み込んで、ワンピースとは反対の甘さを出した。ただし、お飾りは控えめに。
ピンクカラーで顔色を柔らかく、目元は彩度のあるピンクベージュで彩りを。仕上げのリップは透け感のある赤で全体の印象を引き締める。
準備は整った。待ち人の元へ、いざ、参らん!
お酒入るとアレだよね。
次の日大変だよね。