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夢舞台、再び表へ。
コージャイサンは目を隠していた右手でイザンバの右手を取り、後ろから拘束するように左手を腰に回しナチトーノと引き離す。身動きの取れない不自由さにイザンバが口を尖らせた。
「何ですか、これは?」
「ザナは前科持ちだからな」
「何の⁉︎」
「俺にも新しい扉を勧めていただろう」
コージャイサンはいつぞやの話を持ち出した。まだ根に持っているのかと、イザンバが弁明を試みる。
「あー、新規開拓ってね、いつの間にかしてるもんなんですよ」
「全く、どこまで手を出せば気が済むんだか」
ナチトーノは二人のやり取りをにこやかに見ていたが、ふと横を見るとテラスの前でシュートが仁王立ちをしているではないか。
シュートの眉間の皺は深く、視線には敵意を乗せてコージャイサンを睨み付ける。あまりの迫力に他の男性たちは退いたようだ。
ちなみに、コージャイサンはその敵意を全く意に介していない。むしろイザンバが固まってしまった。
そんな様子にナチトーノはクスクスと笑うと、退場の意を伝えた。
「これ以上はお邪魔ですわね。お二人とも、宜しければ今度我が家に遊びにきてくださいね」
そう挨拶をしてナチトーノはホールへ足を向ける。和やかな笑みを浮かべている彼女に、シュートの眉間の皺が浅くなった。
二人は言葉を交わすと、そのままホールの中央へと向かっていった。
ナチトーノが去ると同時にイザンバを解放する。コージャイサンによる身体的圧力とシュートによる精神的圧力がなくなったイザンバが本音を零した。
「シュート殿下、すごい威圧感でしたね。……怖かった」
「そうか? ドラゴンに比べたら大したことないだろ」
「え? ドラゴンの方が可愛いしマシじゃありませんでした?」
「え?」
シュートを怖いと言い、ドラゴンを可愛いと言う。イザンバとの価値観の相違にコージャイサンは笑いが込み上げる。
「やっぱりザナは普通じゃないな」
「どこをどう見たって普通ですよ!」
「はいはい」
むくれるイザンバの頭をポンポンと撫でる。撫でる。何回も撫でる。
「コージー様?」
いつまでも頭上にある手に、イザンバが不思議そうに見上げた。目を合わせると、コージャイサンがゆっくりと口を開く。
「俺は魔導研究部の所属だが、有事の際には戦場に駆り出されるそうだ」
「はい、コージー様はお強いですからね」
またも突然の話題転換。けれども何か考えたのだろうと察したイザンバは静かに聞く。
「戦場に出なくても出張はあるし、忙しくなったら仕事場に泊まり込みになるから常にそばに居られない」
「そういうお仕事ですからね。仕方ないですよ」
「周りの雑音もまだまだうるさいし、その度に嫌な思いをさせるだろう。必ず幸せにする、とは言い切れない」
六月後に結婚式を控えているが雑音は未だ止まない。そのせいでイザンバが社交に出る度に神経をすり減らしている事も知っている。
それでも、とコージャイサンは真っ直ぐにイザンバを見つめる。
「一緒に居て幸せを感じてほしいと思う。面白いことも腹の立つことも、些細なことでもいい。ちゃんと共有していきたい」
彼は正反対だった来訪者のことを考えたのだろう。
道を違え、縁が切れるという事。
そのことによって失ったものがあるという事。
片方は先々進むなとその歩を咎められ、もう片方は一歩すらも中々進めずにいたという事。
その呪縛から完全に解き放たれるには、まだまだ時間が必要だという事。
学生の時よりも減った二人の時間にすれ違いは嫌でも生まれる。自分たちにも起こり得る、と危惧しているのだろう。
けれども、言われたイザンバは微笑みを返す。
「そうですね。今までと同じです。沢山お話ししましょう。色んなものを一緒に見ましょう。考えや感情をぶつけましょう」
親愛を込めて、憂いを晴らすようにするべき事は今までと変わらないと言う。
「私たちは何もかもが違います。所詮は他人ですから、違って当たり前なんです。意見が合わないこともあります。だから、これからも沢山話をしましょう」
認識の擦り合わせをして、何が良くて何がダメなのか。幸いにもお互いに絶対無理! と言う所もなく今日まで来たわけだが。
「大体、コージー様がどんな幸せを思い描いているのかは分かりませんが、私は現時点でも果報者なんですよ! だって一人では到底行くことが叶わないところにも行けています! 素敵なコスプレを見せて貰えましたし、写真も撮りました! その度に昇天しそうな心持ちなんですから!」
どうだ、とイザンバは胸を張る。
一般的な定義には当てはまらないが、清々しいまでの幸せ宣言。その晴れやかな表情に、コージャイサンも釣られて笑む。
「私に出来ることは多くありませんが精一杯務めます! 覗き魔も暴漢もどんと来い!」
「それは来ない方がいいんだが。大丈夫、一人で背負わせないから」
そう言ってコージャイサンが耳飾りに触れると、くすぐったそうにイザンバが首を竦めた。
「それでもコージー様の負担の方が大きいと思いますが……愚痴なら聞けます! 長くなりそうなら本を読みながら聞くので、どうぞボロボロ愚痴をお零しください!」
「それは聞いてないと同義だろう」
優しいのかそうでないのか。けれど、軽い会話の調子にいつも通りを感じる。鼻休めの時間としても十分経っただろう。
「さ、そろそろ戻るか」
「そうですねぇ。よし! 仮面装着!」
その誘いに同意をし、イザンバは淑女の仮面を装着する。
防音魔法を解くと途端に周囲の音が耳に届く。流れてくる曲に耳を澄ますと、コージャイサンが丁寧に申し出た。
「イザンバ・クタオ伯爵令嬢、どうかもう一曲お相手願えますか?」
手を差し出すその仕草に周りの令嬢たちから桃色の吐息が漏れた。そして、イザンバの答えはもちろん決まっている。
「はい、喜んで」
注目を集めながら二人は踊る。見ている者はリラックスした体の動き、自然に浮かぶ笑顔、特にイザンバの様子がテラスに入る前とは雲泥の差であることに気づく。
「イザンバ様の様子が随分と違いますわね」
「ふふふ、あたくし見てしまいましたの」
「まぁ、何をご覧になったの?」
「うふふふふ、実はですね……」
なんて言葉が飛び交う。
実態は鼻呼吸が快適で苦もなく踊れているという、イザンバにしてみれば極小結界サマサマだ。だが、そんな事を周りの人間が知る由もない。
真実は無音という自由さを経て、憶測と混ざり合い人々の間を駆けていく。
そんな中、忍び笑う男性がいる。ゴットフリートだ。
「上手くやったなぁ」
「あら、どうしたの?」
隣にいたセレスティアが尋ねた。ゴットフリートは笑いを収めるとその答えを示す。
「コージーだよ。防音魔法を使って何をするのかと思えば、環境を上手く利用している。これでまた羽虫が減ったんじゃないかな」
流石は防衛局長。防音魔法が使われていた事に気付いていた。使用者が息子だったので看過したのだろう。
しかしセレスティアは頬に手を当ててため息を吐く。なんとも熟成された色香が漂う姿だ。
「私のアレだけでは足りなかったかしら」
「いいや。ザナに『お義母様』と呼ばせたのは正解だよ。ティアがそう呼ぶことを許しているということは、それだけの仲だと賢い親世代なら分かるだろう」
「お馬鹿さんも居たわよ」
「そうだな」
嫁姑の関係が良好だと示したにも関わらず、自分の娘をと勧める謎の自信だ。同じ国の人間でも「話が」通じないと言うより「言葉が」通じていないのか。難儀なものである。
「開けているようで閉ざされた空間。覗き込んであんな風に見せ付けられたら、割り入るのは無理だと分かるだろう」
「我が息子ながら策士ね」
「ああ。それにイスゴ公爵令嬢も中々だ」
「王子が行ったから、だけではないの?」
「そう思うかい?」
そう言われてホールで踊る若い男女に目を遣る。テラスに入る前、ナチトーノは複数の男性に囲まれていた。それが今や遠巻きになっている。
「ああ、そういうこと。あちらも虫除けに利用したのね」
「彼女には今沢山の縁談が舞い込んでいる。その中でも権力も実力も申し分ない求婚者がいると知れたら……それだけで尻尾を巻いて逃げ出す奴もいるだろ?」
「確かに。あんなにあからさまでは余計ね」
大柄で強面な男性が囲い込むように彼女をリードしている。それでも臆する事なく笑みを交わす姿は並大抵の胆力ではない。
同じフロアで踊る息子たちに新たな繋がりも出来たのではないだろうか。
二人は肩を寄せ、その光景を見守る。セレスティアがゴットフリートにそっと耳打ちをした。
「次世代も中々頼もしいじゃない」
「そうだね」
温かい視線、芽吹く嫉妬、打ち寄せる諦念、漏れ出す野心、そして伝う噂。何もかもがこの空間に、音に溶け込んで宴は続く。
人の振り見て我が振り直せ、ですな。