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夢舞台、舞台袖

 王子の背中を見送り、また二人の空間に戻った。先程までのやり取りを思い返してイザンバが話を振る。


「これからは頻繁に手紙が来るんじゃないですか?」


「返事はアイツに代筆させるか」


「そこはちゃんと自分でしましょうよ。特攻されちゃいますよ?」


 その様子を想像しただけでコージャイサンはウンザリした。ふと、視線を上げると一人の女性がテラスの入り口に立っているではないか。今度はにこやかに微笑む彼女を招き入れた。


「コージャイサン様、イザンバ様、ご機嫌よう」


 絹糸のような豊かなシルバーブロンドの髪にガーネットを嵌め込んだような瞳。鮮やかな赤のドレスを着こなす姿はその美貌と相まって正しく大輪の花のようだ。とても綺麗な淑女の礼をした彼女はナチトーノ・イスゴ公爵令嬢だ。


「ナチトーノ嬢、お久しぶりです」


「お久しぶりでございます。もしかして、殿下に御用がお有りでしたか?」


 続けての来訪にイザンバがその可能性を投げかける。すると、ナチトーノは微笑みながら口を開いた。


「いいえ。今更あの方に用なんてありません」


「ええ⁉︎ ちょ⁉︎」


 あまりの潔さにイザンバが慌ててしまった。当の本人はさっぱりとした様子で防音魔法を指し示す。


「あら、ここでは淑女の仮面は不要でしょう? イザンバ様も以前のように楽になさっているご様子ですし」


 そう言ってナチトーノが悪戯っぽく笑う。どうやら自身も淑女の仮面を外しているようだ。外したところでイザンバほど大きく変わるわけでは無いのだが。

 呆気にとられてしまったイザンバの代わりにコージャイサンが問うた。


「それで、どうしてこちらに?」


 その問いにナチトーノは扇で口元を隠す。そして、そのまま理由を述べた。


「だってズルいじゃないですか。わたくしもお二人とお話ししたいですもの」


「あらやだ可愛い」


 拗ねたような言い方にイザンバの頬が緩む。綺麗と言われる事が多いナチトーノは、イザンバの言葉に目をパチクリとさせると今度は恥じらうように笑んだ。


 もちろん話したいのは嘘ではない。だが、パワーバランスというものがある。先にも言った通り、前回中立だったオンヘイ公爵令息が王子と話していたということは瞬く間に広がるだろう。直接的な物言いは避けたが、中立でいてもらう為にそのバランスを保ちに来たのだ。


「お二人はこちらで何を?」


 これは至極当然の疑問である。ダンスで疲れたからといって防音魔法まで展開しているのだから、何かあったのでは無いかと逡巡する。


「ザナの鼻休憩です」


「待って、もうちょっと言い方ってものがあるんじゃないですか⁉︎」


「ん? それ以外に言い方があるのか?」


 間髪入れずに答えるコージャイサンにイザンバが物申す。しかし、逆に聞き返されて考え込んでしまった。そんなイザンバを放置して一人首を傾げるナチトーノに明確な答えを示した。


「皆さんの香水がいつもよりキツイそうです」


「ああ、それでなんですね。イザンバ様はあまり夜会に出られていないから慣れていらっしゃらないのね」


 合点がいってクスクスと笑う。慣れるものなのか、とため息を吐きながらイザンバが零した。


「お茶会ではそんなことなかったんですけどね」


「俺がいるから大丈夫だろ?」


「…………そうですね」


 そう言うコージャイサンを見るイザンバはジト目だ。何故なら彼女はその言葉を正確に受け取ったから。正しくは『俺が極小結界を張るから大丈夫だろ?』である。しかし、聞く人によって受け取り方が変わってくるのが言葉というもの。


「ふふ、本当に仲睦まじいですね。お二人を見ていると安心できます」


 ナチトーノは微笑ましそうに見ているが、省略された言葉が重要だったりするのだが……。まぁ、いい。

 二人の様子にナチトーノが近況を漏らす。


「実はわたくしに縁談が来ているのです」


「もしかして、ずっと鋭い目付きでこちらを見ているあの方ですか?」


 イザンバが示す先、飛び抜けて身長の高い男性が一人。その肉体は大剣を振るうために鍛えられた為にガッチリとしており、居るだけで威圧感がある。刈り上げた短い濃茶の髪に、泣く子が更に大泣きするであろう眼光鋭い強面だ。彼の名はシュート・ポー・ジャイナズ、隣国のジャイナズ帝国の皇子である。

 彼は離れた来賓席から睨み付けるようにテラスの方を見ている。


「はい。見た目は威圧的ですが穏やかで優しい方なんですよ」


「成る程、強面溺愛系ですね。……滾るわぁ」


 ナチトーノのフォローに一人納得して脳内トリップを始めたイザンバ。ニヤニヤとしだす彼女にナチトーノは困惑した。


「あの、イザンバ様?」


「暫くしたら戻ってくるので放っておいて大丈夫ですよ。縁談、気が進まないのですか?」


 手慣れたように放置してコージャイサンが話を進めた。イザンバのことを気にしつつも、話を振られたのでナチトーノが答える。


「いいえ。どこかの単純な方と違ってこちらの話を聞いてくださいますし、またご自身のこともよく話してくださいます」


「そうですか」


「最初は少し怖いと思いました。でも交流を経て、こちらを思いやって真っ直ぐに言葉を伝えてくださる素敵な方だと分かりました」


「それは良かったですね」


 その柔らかい笑みと前向きに進もうとしている姿にコージャイサンもホッと息をつき笑みを返す。

 いつの間に妄想の世界から戻ったのか、イザンバも嬉しそうに聞いていた。だが、不意にナチトーノの笑顔が曇った。


「ただ、わたくしは一度婚約を解消した身です。国益になるご縁ですから、引き摺らずに切り替えていくべきだと分かっているのですが……わたくしが至らなかったからこうなってしまったのではないか、また繰り返してしまわないかとつい考えてしまいます」


 俯くナチトーノに二人は顔を見合わせると、イザンバが努めて穏やかな声音で尋ねた。


「それはシュート殿下にはお伝えしたのですか?」


「いいえ、シュート殿下は関係ありませんもの。これは先の出来事に対して怒りを収めきれない、彼女たちを赦すことが出来ないわたくしの問題です」


 それはなんと切ない線引きだろうか。首を横に振りながら答えるナチトーノにイザンバの眉が下がった。


「言ってみたらどうですか?」


 と、コージャイサンが提案する。尚も拒否するナチトーノに彼は自分の感じたことを伝えた。


「シュート殿下なら大丈夫だと思いますよ。立派な体躯に比例して懐も深いんじゃないでしょうか……嫉妬心は別として」


 そう言ってコージャイサンはイザンバへ目配せをした。それに気づき、イザンバが言葉を引き継ぐ。


「自分がどうしたいのか、相手をどうしたいのか、誰とどうなりたいのか。理路整然としている必要はありません。内側に留めず、外に出してください」


 ナチトーノが顔を上げると、慈しむような、労るようなそんな二人の姿が目に入る。


「恋愛感情の有無に関わらず、裏切り行為は心を傷つけるものです。そして、傷を負うことに回数や期間は関係ありません。傷付いて湧き上がるのは涙ばかりではないでしょう。怒りもまた正しく心の傷の反応ではないでしょうか」


『また繰り返さないか』『怒りが収まらない』ということは、ナチトーノの心に確かに傷が存在する証明ではないか。


「傷の程度も癒えるまでの時間も人それぞれです。泣き暮らすことも、怒りに暴れることも、すぐに見切りをつけれることもあるでしょう。でも国の為に、他人の為に、赦す理由を探さないでください」


 ——自分を責めなくていい。

 ——相手を赦さなくていい。


「隣国の王族でも先の出来事をご存知のはず。それでもあなたを望まれているのです。今は意図的にその話題を避けられているのかもしれません。向き合っていくつもりがあるのなら、少し零してみてもいいんじゃないでしょうか?」


 あの時、ナチトーノはとても毅然とした態度で居た。しかし、後になってじわじわと心を蝕むものがあったのだろう。

 嘲笑も憤りも憐憫も、全て受け止めてきた彼女の矜持は本人にも見えないところで涙を流していたのかもしれない。


 傷を曝け出すことは勇気がいることだ。無理をする必要はないが、誰かがその傷ごと包み込んでくれるのなら……こんなに心強いことはないだろう。


「そうですね。正式なお返事の前に、少し話してみます」


「是非、にぃぃぃい⁉︎」


 ナチトーノに笑顔を返そうとしたイザンバが奇声を上げると、思わずコージャイサンの影に隠れた。

 なぜなら、シュートが来賓席を離れて先程よりも近づいているのだ。その目力の強いこと。コージャイサンを睨み付けているのだが、周りの男性はその余波を受けているようで顔色が悪い。

 その様子にナチトーノは苦笑をし、コージャイサンは肩を竦めた。


「いつの間に……」


「徐々に寄ってきていたぞ」


「何それ、どこのホラーですか?」


「求婚中で周りを牽制してるんだろう。俺に向けるのはお門違いだけどな」


 成る程「嫉妬心は別として」というのはこのことのようだ。

 コージャイサンの言葉にイザンバは視線を流す。改めて周りを見るとこちらに注目している男性が多いことに気が付いた。皆、ナチトーノを見ている。

 イザンバは顎先を指でトントンとしながら思案する。そして、おもむろに動き出した。


「ちょっと失礼しますね」


 そう言ってナチトーノと手のひらを合わせるとギュッと握り、もう片方の手で抱き寄せて体を密着させる。そのままコツン、と額を合わせた。

 すぐ目の前には突然のことに赤面する麗しい顔、布越しに伝わる温もりと女性特有の柔らかさ。香りについては極小結界によって分からないが、きっと鼻に優しい良い香りなのだろうとイザンバは推察する。


 そんなあまりにも近い女性二人の姿に男性たちが目を剥いた。そして、隣国の皇子もまた大きく一歩近付いている。

 イザンバはそれらを横目に捉えた後、真っ直ぐにガーネットの瞳を見つめながら言葉を紡ぐ。


「もし無体を働かれそうになったら、一旦体の力を抜いて諦めたのだと相手が油断したところで思いっきり金蹴りです。容赦なく蹴り上げてください」


 脈絡もなく飛び出した暴論。ナチトーノは目を瞬かせ、コージャイサンはガクリと膝が折れた。


「ザナ、待て。それも本に書いてあったのか? それとも……」


 その問いに答えるために額を放しコージャイサンと目を合わせるとニコーっと笑った。それだけで通じるものがあったのだろう。彼が深いため息をついた。


「目潰しじゃダメかしら?」


「良いと思います! それでしたら、指を開いた状態で掌を突き出すといいそうですよ。あと、膝は全方位からの攻撃に弱いので、怯んでいるところを思いっきりヒールで踏みつけるのもいいと暗……えーっと、講師が申しておりました! 無体を働いた相手が悪いんですから情けなど無用です!」


 おっと、ナチトーノの口からも中々容赦ない手法が飛び出した。更に講師からの助言を加えるイザンバにコージャイサンはより遠くを見る。


「今回の縁談が政治的なものにしろ恋愛的なものにしろ、シュート殿下がこの国で睨みを効かし続けることは難しいでしょう。護身の心得はお有りでしょうが、どうか気を付けてください」


 彼女が一人でいることで起こるかもしれない惨事。ナチトーノは心配されている内容を察すると、努めて明るく言った。


「大丈夫ですよ。わたくし、こう見えても結構強いんです。ご存知でしょう?」


「そうでしたね! グループ課題の時も活躍されていましたし、確か爆破魔法もお使いになられるんでしたっけ? 容赦なくぶち込んじゃってください!」


 そう言うイザンバに目を見張る。爆破魔法を使えば、襲った方にとってしっぺ返しどころではない大惨事だ。淑女の鑑たれと育ってきた女性に対してなんとも荒々しいことを進めるのか。

 だが、今のナチトーノにはなぜだか心地良く響く。


「ありがとう、イザンバ様。本当に」


 潤んだ瞳に、紅潮した頬で綻ぶ華の(かんばせ)。麗しく咲いた笑顔がイザンバに直撃した。


「あ……新しい扉、開いちゃいそう」


「開くな」


 表情を緩ませ、頬を押さえるイザンバの視界を掌で遮って新境地の開放を阻止する。油断ならないな、とコージャイサンがため息をついた。

 そんな二人を大輪の華は優しく見守った。

誰の為の、最初の一歩。

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