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夢舞台、表。

 クルクル、くるくる、クルクルと。たおやかな調べに乗って男女が入れ替わり立ち替わりホールを彩る。

 新たに始まった曲も中盤に差し掛かった頃、ホールで踊る一組の重なり合う掌に一瞬だけ黄緑色の火が灯った。

 しかし、それに何人が気づけたのだろうか。なぜなら、あちらこちらで貴婦人たちが身に付けている宝石が光の反射による煌めきを発しているから。刹那の火はその光に紛れたのだ。


 当人である男女は互いを見つめた。しかし、その表情も心情も対照的である。男性はただ呆然と呟いた。


「今のは……」


 対して女性は笑みを崩さない。そのまま次のステップを踏み出すと、男性に踊り続けるように促した。


 その笑みは何を表すのか。


 反射的に離れようとする男性の右手に、黒いレースの手袋をした女性の左手が追い縋った。男性に笑みを向けて女性——イザンバはこう言った。


「どうかなさいましたか?」


 重なる掌も向き合う体も揺れるレースも、イザンバは先程までとなんら変わらない。一瞬の灯火さえも見ていない、と何事もなかったかのように踊り続けるその姿が空恐ろしい。


「……いいえ、何も。何もありませんよ」


 なんとか声を絞り出した男性は無理矢理笑顔を形作ることで精一杯だ。

 本当なら今すぐにでも重なる手を弾いて逃げ出したいだろう。痛む掌に声を上げたいだろう。

 しかし、今それをしては悪目立ちする。ダンスの途中でパートナーを放り出すなどマナー違反もいいところだ。


 彼はイザンバの腰に己の左手を当て、曲に合わせてひたすらに足を運ぶ。この主導権(リード)を渡さないように。


 それでも、彼の焦りが早鐘となる。曲の終わりを望むあまり、ダンスからは前半までの優雅さがなくなった。

 その変化は、共に踊るイザンバに直に伝わるものだ。


「もう切り上げますか?」


 心配気なイザンバの声に男性の体が跳ねた。


「必要ありませんよ」


「ですが……」


 言葉を濁し、チラリと重なる手に視線を遣るイザンバ。見なかったフリをした先程とは違う。明確に原因を知っているその仕草に揺さぶられる。


 ジクジクと熱と痛みに苛まれる右の掌、滲む汗、渦巻く猜疑心、引き攣る表情筋。

 たった一回。

 たった一瞬。

 それだけで、彼は自らの予想に反した現状に追いやられたのだ。


 視線も言葉も交わさずに、ただ調べに乗る。彼にとって長く苦痛の時間であったが、ゆっくりと静かに伸びる音が終わりを告げた。あちらこちらで一歩距離を取り礼をする男女と同様に、彼はイザンバから手を離した。

 すると、待っていたかのように彼女に声がかかる。


「ザナ」


 コージャイサンだ。イザンバの隣に立つと、その腰を抱いた。これ以上のダンスの誘いはお断り、と言う意思表示だ。


「すみませんが、今日はこれで」


 コージャイサンの言葉に順番待ちをしていた男性は静かに頷き去って行った。ファーストダンスから数えて五曲。引きこもっていたいイザンバにしてはよく頑張った。


「イザンバ様、お相手いただきありがとうございました。それでは、失礼します」


 二人に対して礼をすると、右手を隠し足早にイザンバから離れていく。振り返ることすらしなかった彼は気付かなかった。己の背を刺す翡翠色の視線に。

 隣で様子を窺っていたイザンバがコージャイサンに声をかけた。


「コージー様」


「ん?」


 コージャイサンは視線をイザンバへと移すと、ダンスの疲労だけではない身体と表情の強張りを感じ取った。元よりダンスが始まる前から様子はおかしかったのだが……。

 しかし、コージャイサンは今この場に相応しい言葉だけを声として送り出す。


「ずっと踊っていて疲れただろう。少しテラスで休もう」


「……はい、ありがとうございます」


 二人は人波を縫うようにテラスへと歩を進めた。だが、そう簡単に辿り着けないのが舞踏会というもの。

 さぁ、障害物レースの始まりだ。


「魔導研究部の開発会議で却下された私の案について貴殿から研究部長と防衛局長に取り次いでいただきたいのです! 私には却下された理由が分かりません! どうか今一度チャンスを!」


「若輩者である私ではお力にはならないでしょう。開発品の再提出については研究部相談窓口へお越しください」


「いえ、今日はお二人ともいらっしゃいますし今すぐにでも……! きみ、席を外してくれないか」


 衆人環視の中で自分の要望を押し付ける紳士が行く手を阻む。更にはイザンバに向かって席を外せと言う。自分の発案に絶対の自信を持っているから言えるのだろう。

 しかし、その発言を聞いたコージャイサンはグッとイザンバを抱き寄せた。いきなりのことでバランスを崩したイザンバは当然コージャイサンに寄りかかる形となる。


「ああ、婚約者の体調が優れないようです。先程も申しましたが、再提出につきましては窓口を通してください。却下された理由でしたら回答書に書いてありますので、もう一度読み直すことをお勧めします。それでは失礼」


 しれっと紳士的対応で交わすコージャイサン。イザンバが半目でコージャイサンを見上げているが気づかないふりをした。

 すると、今度は親子連れが道を塞ぐ。


「やぁやぁオンヘイ公爵令息、先程どうも。うちの娘と貴殿とのダンスは素晴らしかった! 自慢の娘でありますが、貴殿と並んでも何ら遜色はありませんでしたな! いやはや、実に二人は似合いに見えましたぞ」


 父親は娘の素晴らしさを語ると、チラリとイザンバに下品な笑みを向ける。対するイザンバは淑女の仮面を装備中。顔色すら変わらないイザンバに舌を打ち、父親は再度コージャイサンに話しかけた。


「娘も貴殿とのダンスが一番良かったようです。文武に優れるだけでなく女性のリードも上手いとは。こちらも安心して娘を任せられるというものです。ぜひもう一曲どうですかな?」


「すみませんが、一夜に複数回踊る相手は婚約者であるイザンバだけと決めておりますので遠慮します」


 間髪入れずにお断り! 悩むそぶりさえないコージャイサンに父親の顔が引き攣る。

 同じ相手と何度も踊ることは二人の親密度を表す。それを婚約者の目の前で再度誘うとは、中々に強者(おバカさん)である。「舞踏会の暗黙の了解を分かっててやってるのよね」なんてヒソヒソ話が聞こえてきた。


「成る程、噂通り義理堅い方のようですな。ですが、その婚約者殿はお疲れのようだ。この様子では貴殿の相手も無理でしょう。その間、うちの娘がお相手致しますぞ」


「結構です。疲れたイザンバを放り出すほど薄情になったつもりはありませんので」


 再度の誘いにもはっきりと、きっぱりとコージャイサンがその意思を口にした。

 明確な拒絶に父親は言葉を詰まらせた。そんな父にあまりしつこくするのは悪手だと娘は父の上着を引っ張り退く意を伝える。だが、それでも滲み出た悔しさが口をついた。


「イザンバ様ったらそのように男性にしなだれて……。コージャイサン様、お優しいのは分かりますがイザンバ様に弁えるよう言われた方がいいと思いますわ」


 あなた様が不憫でならない、と令嬢は首を振る。しかし、ここでコージャイサンは表情を和らげた。


「そうですね。やはり連続して踊り続けるのは負担が大きいようです。社交を頑張ってくれているのは分かるので、無理をしないよう言い聞かせておきます」


 ——違う、そうじゃない。

 そんな令嬢の真意を分かっていてコージャイサンはいいように解釈をして打ち返す。

 イザンバに心を向けている、そう分かる態度に令嬢は苦虫を噛み潰したような顔になった。

 また槍玉に上げられたイザンバの内心も忙しない。「今負担をかけているのはこの手! 面倒ごとを避けるにはこの手を離しましょう! そうしましょう!」と荒ぶる内心を抑え込んだ淑女の仮面はとてもいい仕事をした。えらい。


 親子の横を通り過ぎると、四色のカラフルな壁が立ちはだかる。一人が一歩前に出てコージャイサンに声をかけた。


「コージャイサン様、ご機嫌よう。あちらでご歓談中ではありませんでしたか?」


「ええ。話の区切りもつきましたし、テラスへ行こうかと。疲れているイザンバを放ってはおけませんから」


「本当にお優しいのですね。でも、まだ話をしたそうな方がいらっしゃいますわ。イザンバ様、紳士の交流を邪魔するものではありませんわ」


 さりげなくイザンバを悪者にする。そんな令嬢にイザンバはただただ笑みを返すに留めた。常ならば自分で躱すこともしているのだが、どうにも今は振るわない。

 イザンバの反応の薄さに令嬢はまるで良いことを思いついた、とでも言うようにコージャイサンに進言する。


「そうですわ! 一人が不安なら彼女達が付き添ってくれますわ! それならコージャイサン様も安心でしょう?」


 どこに安心要素があるのか。後ろで「え? 私たち?」とザワついているあたり、令嬢たちも一枚岩ではないのだろう。

 それでもコージャイサンは変わらず否を提示する。


「いえ、結構です。皆さんの時間を使っていただくわけにはいきません。お気持ちだけで十分です」


「遠慮なさらないで。彼女たちが面倒を見てくれますわ! イザンバ様も子どもではありませんから、婚約者の付き添いがなくてもお待ちになれますわよね? ね、イザンバ様?」


 令嬢の狙いはとても分かりやすい。ぐいぐい来る彼女にイザンバはより体を強張らせ、そっと目を逸らした。

 一向に頷かないイザンバに令嬢が念を押そうとしたその時。


「子どもじゃないから放っておけないんです。お気遣いをありがとうございます。それでは失礼」


 コージャイサンが笑顔を添えて言葉を投げつける。障害物のオンパレードを抜け、そのままイザンバを連れて足早にテラスへと向かっていった。断じて繰り返されるこの状況が面倒になったわけではない。断じて。


 置き去りにされた紳士は奥歯を噛み、令嬢たちは炸裂したキラキラエフェクトスマイルに撃沈し、イザンバは促されるままにテラスへとついて行った。


誰だって調子が悪い時はあるよね。

無理は禁物ですぞ!

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