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夢舞台、表。
多くの人で賑わい、祝福の色に溢れる空間。
これはとある世界の一つの国、ハイエ王国。その王宮のダンスホール内の様子である。
今日は国王アンソニー・ヴォン・バイエの誕生日を祝う宴。国中の貴族が集うこの日はいつにも増して華やかさがある。
王へ目通りのために気合を入れた紳士淑女、貴族の義務だからと無理をおして登上した辺境伯、人々の注目を集める美男美女、新たな繋がりを作りたい青年、結婚相手を見つけたい少女。
それぞれの思惑は着飾った衣装の下に隠したまま、宴は始まった。
そんな中、オンヘイ公爵夫妻に続いて、コージャイサンとイザンバも揃って王の元へ挨拶に向かった。
本日の二人の装いは黒を基調としている。
イザンバは胸元に鮮やかな黄色の花が咲き、さらにスカートとの切り替えの部分から伸びた緑色の蔦の刺繍が花を囲うように施されている。上半身はボディーラインに沿ったすっきりとしたデザインだが、スカートは黒い生地の上にレースを重ねたふんわりとしたものだ。足元へ向かうほどレースの量は減り、色も淡くなっている。
鮮やかさはないが黒はイザンバを柔らかく包み込み、美しさへと昇華させた。
一方のコージャイサンだが、黒のジャケットで前身頃と袖口にはイザンバと同じく蔦の刺繍が施されている。男性向けという事でシンプルな仕上がりになっているが、その蔦の色はイザンバの瞳の色ヘーゼルブラウンに似せた赤みを帯びた黄色である。
「陛下、本日はおめでとうございます」
コージャイサンが口火を切ると同時にイザンバも静かに淑女の礼をした。
「うむ。二人ともよく来てくれた。ところで式の予定はどうなっている? 変わらないのか?」
「いきなりですね」
気安さがあるのはこの二人の関係が伯父と甥だからだ。
「残念なことにニ月前に予定されていた我が息子の結婚式は無くなってしまったからな。となれば、甥の式が楽しみになるのは仕方あるまい」
それはそうだが、息子の婚約解消という繊細かつ残念な結果を盛り込んで速攻でぶち込んでくる話題ではないだろう。隣に控えていた大臣が慌てているではないか。
さて、王族席に座している婚約解消をした王子ケヤンマヌとコージャイサンは従兄弟である。互いの立ち位置を考慮し、元より結婚式の予定はズラされて組まれていた。しかし、王子の結婚式が流れてしまったので「お前たちは早めてもいいんじゃね?」という事らしいのだ。
コージャイサンはいつも通りの涼しい顔をして答える。
「当初と変わらず、今より六月後を予定しております」
「なんだ、そうか。……だが、それはそれで楽しみだ。コージャイサン、二人の門出を彩るに相応しいものを彼女に与えてやりなさい」
「心得ております」
随分と残念そうだったが、恭しく礼をするコージャイサンに満足気に頷く王。すると、思いついたままに言葉を繰り出した。
「王家からも資金を出してやろう。派手な式にすると良いぞ」
「謹んでご辞退させていただきます」
だが、これは断られると分かって言ったのであろう。即答する甥の姿に王は快活に笑う。大臣の心臓に悪い王様ジョークだ。
王は笑いを収めるとイザンバへ視線を向けた。
「イザンバ嬢、我が妹セレスティアもそなたが真に娘となる日を楽しみにしていると聞いている。口うるさい時もあるだろうが、結婚式は女性が主役と言っても過言ではないのだ。自分の意見を遠慮なく言うように」
「お気遣い嬉しく存じます」
イザンバはただ静かに首を垂れる。王の御前ということなのか少し固い彼女の姿だが、二人の装いや互いを気遣う様子に王は安堵の笑みを浮かべた。
そんな和やかな空気に突如冷気が混ざり込んだ。
「だ・れ・が、口うるさいですって?」
「こらこら、落ち着きなさい」
王の発言に噛み付いたのは、王妹であり公爵夫人のセレスティア・オンヘイ。その迫力は凄まじく、美しく仕上げられた立ち姿の背後にメデューサの幻覚が見える程だ。
遠巻きになる人々をよそに、夫であるゴットフリートが優しく言い聞かせる。息子はノータッチの方針だ。
御前に集う怒れる美魔女、宥めるイケオジ、傍観するイケメン! オンヘイ公爵一家にかかっているキラキラエフェクトがすごい。ある意味視界の暴力だ。
しかし、彼らが目の前に居ても怯まないのが王である。
「おっと、まずいまずい。まだ居たんだったな」
お茶目に返している場合か。可哀想に、大臣が青褪めてしまっている。
眦を釣り上げたままセレスティアが物申す。
「陛下、うちの子達に妙なプレッシャーを与えないでくださいな」
「プレッシャーではない。祝福だ」
キリリ、と真面目に言い返しているが「王子を引き合いに出されてはプレッシャー以外の何者でもないのでは……」なんて誰も言えない。言えやしない。
そんな周囲を知ってか知らずか王は心底残念だと言葉を漏らす。
「はぁ、本当なら今頃は王家にも可愛い娘が嫁いできてくれている筈だったんだが……」
「あれだけ方々に迷惑をかけておいて何を仰っていますの。陛下のご子息が、馬鹿なことをしたんですから滅多な事を言うものではありませんわ」
王妹は怖いもの無しか。いやいや、王妹だからこそ言えるのだ。なにせここで王に意見できる立場の者の方が少ない。
以前巻き込まれた当人のコージャイサンは我関せずを貫き、イザンバは静かに腹に力を入れた。
「二人とも、その辺で。ここがどこかお忘れかな?」
救世主降臨! 朗らかな笑みを浮かべているゴットフリートだが、大臣が小さな悲鳴を上げるほどに圧が強い。圧政者の間違いだったか。
陛下、と力強い声がその存在を主張をする。
「祝福は有り難いのですが、時と場合は考慮されて然るべきかと」
笑顔なのだ。笑顔なのに怖いとはこれ如何に。ヒソヒソと話していた人たちですら竦み上がった。
「それに他にも関係者の方々がいらっしゃいます。ああ、あの方たちがどう思われたことでしょうか」
「ゴットフリートよ、分かっている。今のは我が迂闊であった」
真正面から受け取め己の非を認めた王は、ゴットフリートに威圧を止めるよう訴える。その言葉に口角を上げると、ゴットフリートが視線を流す。
「……あちらは少し、成長したようですね」
小声でもたらされた評価が王に届く。これで良しとなった訳ではないが、成長が見られると言うのであれば再教育の意味があったと言えよう。
「そうか」
父として、王として、これ以上の言葉は紡げない。
件の王子は母である王妃と兄である王太子に挟まれているのだから、この状態で早々に口を開けるわけもない。例え自身が繰り広げた婚約解消劇の話題を出されても、目を逸らし喚く訳にはいかないのだ。「二度目はない」その自覚を持って王子は前を向く。
王は眼前の若い二人に言葉をかけた。
「コージャイサン、イザンバ嬢。二人も気を悪くしないでくれ」
「かしこまりました」
了承を示した二人に王は安堵の笑みを浮かべた。ただ視界の端でゴットフリートが王に「とりあえず後で集合な」と言外に示している。王は憂鬱そうであるが、これは仕方がない。自らの行動を鑑みて次に生かすことが愚王とならないためには必須である。甘んじて受けよ。
「コージャイサン、ここはもう良いから下がりなさい。そろそろダンスが始まる頃合いだろう」
「はい。それでは陛下、御前失礼致します」
ゴットフリートに促されて、二人は来た時と同じように揃って礼をする。ホールへ向かおうとしたところで呼び止める声が上がった。
「イザンバ」
セレスティアだ。自らの花飾りを一つ外し、手ずからイザンバの髪へ挿しこんだ。
「これで良いわ。あなたはコージャイサンの婚約者。そして、行く行くは妻となるのです。堂々としていなさい」
「お心遣い痛み入ります」
イザンバの返事にセレスティアがギュッと眉根を寄せる。何がマズかったのだろうかと困惑するイザンバに、コージャイサンがそっと耳打ちをした。
「言い方」
その言葉に納得した。話し方が対陛下仕様のままだったのだ。イザンバはすぐさま言い直した。
「ありがとうございます、お義母様」
素直な表現に満足そうなセレスティア。今度は正解であったようだ。見守っていたゴットフリートの笑顔が温かい。
「さ、行ってらっしゃい」
まるでお墨付きだとでも言うように背中を後押しされ、二人はファーストダンスへ臨む。
フワリフワリとイザンバのスカートが揺れる。音に合わせて、互いに合わせて、次への流れを作り出す。伊達に長年婚約者をやっていない。息はピッタリである。
次曲が始まるまでの少しの間、多くの視線を集めながらもその全てを無視してコージャイサンが口を開いた。
「ザナ、どうかしたか?」
「何がですか?」
「いつもより体が固い」
一体どんな気付き方だ。イザンバの淑女の仮面に少しヒビが入ったのではないだろうか。剥がれ落ちなかったのは流石である。
「大丈夫ですよ。ただ……」
視線を下げるイザンバをコージャイサンが訝しむ。
「ただ?」
「……いいえ。少しだけ胸をお借りしても?」
そう言ってコージャイサンに擦り寄ったイザンバ。甘えるようなその仕草が彼に強烈な違和感を与える。
「ザナ?」
コージャイサンの疑問も周囲のざわめきも全てを断ち切るように一つ深い呼吸をすると、顔を上げてコージャイサンに微笑みかけた。
「ありがとうございます」
一体何を思いその行動に出たのか、それでも腹を括り彼女は戦いに赴くようだ。
「イザンバ嬢、一曲お相手願えますか?」
「喜んで」
イザンバはその誘いを受ける。それが役目だから。
「あの、コージャイサン様! どうか一曲お願い致します」
「……分かりました」
そして、こちらも。イザンバの様子が気になるが無視することは出来ない。
愛憎も陰謀も渦巻く貴族社会。例えうねりが高くなろうとも、その世界に身を置くものとして避けられぬ宿命がある。
さぁ、老いも若きもそれぞれの務めを果たそうか。
それぞれの役割。
貴方は貴方に出来ることを、無理のない範囲で。