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二人の在り方
着替えを済ませ、頬の熱も冷ましてからサロンに戻ってきたイザンバは真っ先にそれに気が付いた。
「お待たせしました。あれ? 二人とも顔が元に戻ってる」
そう。コージャイサンは服装こそまだ軍服であるが、メイクを落とし艶やかな黒髪と翡翠色の瞳へ。後ろに控えるイルシーもいつもの目深に被ったフードスタイルに戻っていた。
コージャイサンが着替えるタイミングを失ったのは、イルシーと少しばかり戯れていたからだ。
「ああ、ザナも着替えに行くって言ってたしな」
「それはそうですけど……。なんか勿体ないなぁ」
しっかりと堪能していたように思えるが、まだ惜しいらしい。残念そうなイザンバにイルシーは捻くれた言葉を放つ。
「けっ。爆破魔法放っといてよく言うぜぇ」
その言葉にイザンバは不思議そうに首を傾げる。そして、平凡故の当たり前を答えとして返した。
「私、爆破魔法は使えませんよ?」
「あー、そう!」
イザンバの言葉に、イルシーは苛立ちを隠せない。そんな彼の様子を疑問に思うも、そのままやさぐれたイルシーを放置してイザンバはコージャイサンの方へと向かう。触らぬ神になんとやら、である。
コージャイサンに近づくイザンバが手に持っているのは、カジオンから受け取った大量の紙の束。ひとまず持てるだけの分だけなのだが、それらを大事そうに持ったままコージャイサンの隣に腰掛けた。
「見てください、コージー様! すごく素敵な写真が撮れましたよ!」
「こんなに撮ってたのか」
その量にコージャイサンは驚いた。連写は出来ない筈なのだが、イザンバは上手くタイミングを掴んで撮っていたのだ。結果、クタオ家の紙が尽きたのは仕方のない事だ。
「あー、これはブレてますね。失敗したー」
「ブレ?」
「写す瞬間に撮影機が動いちゃったんです。これは興奮しすぎた私のミスですね」
コージャイサンの疑問にしっかりと答えると、さっさとその写真は机の右側に置いた。
「あ! このアングルは最高! コージー様もそう思いませんか?」
「でも、なんか暗くないか?」
「光が足りないからですね。次は照明を用意しておきます!」
じっくりと眺めた後、今度は机の左側に。一枚一枚に感想を挟みながら、イザンバは写真を仕分けをしていく。
その横顔を見ながら、コージャイサンがポツリと零す。
「楽しそうだな」
「そりゃあもう! 実物を見て楽しい、写真を見て楽しい、妄想して楽しいの三拍子ですから!」
鼻息荒くイザンバは言い切った。一枚の写真を手に取ると、コージャイサンの方を向き顔の前で掲げて見せる。
「コージー様が素敵な変装をしてくれて、さらにこんな風に記録として残せる物を作ってくれたからですよ。ありがとうございます」
「俺も面白いものが作れたから楽しかったよ。まだまだ改良の余地もあるしな。ザナのお陰だ」
互いに礼を言い、ニコニコと笑い合う。だが、何かを思いついたのか、突然イザンバが立ち上がった。そして、コージャイサンに強く願い出る。
「コージー様! ちょっとそのまま動かないでください!」
小走りでコージャイサンの向かい側に行くと、イザンバは撮影機を構えた。コージャイサンはただ彼女の様子を観察する。
静かに交わる視線、ゆったりと繰り返される呼吸。そこにあるのは、先程よりも落ち着いた姿。
イザンバはシャッターを切り撮影機を下すと、満足そうに顔を綻ばせた。
「ふふ。コージー様、軍服とてもよく似合ってますよ」
柔らかく目を細めると、コージャイサンは指を組みながらイザンバに提案をする。
「ザナも撮ろうか」
「おーっと。それには及びませんぜ、旦那! 私は撮る方が好きですから」
しかし、イザンバは手の平をコージャイサンに向けながら、ドヤ顔で首を横に振った。実際のところ、撮影をしているイザンバは非常に楽しそうなので、それ自体は本当なのだろう。
だが、積み重なっていくのがコージャイサンの写真ばかりというのもどうなのか。
ふーん、とコージャイサンは相槌を打つと平坦な声でこう宣った。
「そうなのか。まぁ、もう撮ったけどな」
「え⁉︎ なんで⁉︎ だって撮影機はここに……って術式かー!」
イザンバの回答にフッと笑みを浮かべる。壁際に居るにも関わらず、しっかりと余波を受けたシャスティとケイトがまた頬を染めた。
ところが、笑顔を向けられた本人はそれどころではないようだ。
「いつ撮ったんですか⁉︎ 呪文は⁉︎ 魔法陣は⁉︎ 何もなしとか卑怯でしょう!」
「ちゃんとしたぞ。ほら、こうやって」
弁明をしながら、コージャイサンは中空に指で四角を描いてみせる。近づいて見ると、そこには透き通っているが口を尖らせているイザンバが残っているではないか。しかし、それもほんの数秒でスッと溶けるように消えていった。
「何それすごい! すごいけどズルイ!」
イザンバの口から飛び出したのは、称賛と驚愕と羨望と。その反応に気を良くすると、コージャイサンは次の動作に入った。
「ああ、これでもイケるな」
そう確認するように呟く。机越しに覗き込んだイザンバが見たものは、親指と人差し指で作られた四角の中に残る目を丸くしたイザンバの姿。
——ほんとコージー様はなんでも有りだなぁ。
感心していたイザンバだが、ハッとあることに思考が及ぶ。
「待って待って! 今のめちゃくちゃ変な顔してたんじゃないですか⁉︎」
「さぁ、どうだろうな」
意地悪く答えるコージャイサンにイザンバの顔色は蒼白へ。思いつく限りの自分の変顔が、頭の中を埋め尽くす。すぐに印刷機の横で写真の整理をしているカジオンの方へと顔を向けると、イザンバは声を上げた。
「カジオン! 今印刷機に行った私の写真は処分してー!」
「いや、俺が持って帰るからそのまま残しておけ」
割れる二人のからの指示。カジオンは一旦作業の手を止めると、静かに姿勢を正した。しかし、二人の視線はカジオンではなく互いに向かう。
「変顔の写真なんか持って帰ってどうするんですか⁉︎」
「……楽しむ?」
「どうやって⁉︎ お笑い補充用ですか⁉︎」
「疲れた時に一枚?」
「変顔で癒されるもんですか! 逆に苛立ちますよ!」
「徹夜仕事が馬鹿らしくなる」
「そう思うなら諦めて寝てください! 必要なのは睡眠!」
二人の会話のテンポが早い。いつものことだが、周りは中々口を挟めないでいる。
そんな中、咳払いをする事でカジオンは二人の意識を自分に向けさせた。
「お嬢様のお気持ちも分かりますが処分は致しません。折角の記録なのですから、旦那様たちにもお見せしなければ」
「こっちはこっちで見せる気⁉︎ いや、見せるのはいいんですけど、その場合は厳選した物だけを見せるんですよ! 変顔はダメ!」
撮った写真全てとなるとかなりの量となる。しかもそのほとんどがコージャイサンとイルシーのコスプレ写真だ。それを親に見せてどうする気だ。
コスプレと変顔の写真を取り除きつつ親に見せてもいい写真を厳選すべく、イザンバは撮影機をシャスティに手渡すとカジオンの元に向かった。
そんなイザンバを見送りながら、コージャイサンは頬杖をつく。そして、視線はイザンバに向けたまま、声量を抑えてイルシーに命じた。
「お前も媒体無し、術式だけで使えるようになれよ」
「そりゃあ、使い勝手よさそうだし覚えるけど……。なんていうか、作られたきっかけがさぁ」
利便性を考えると使うべきなのだ。だが、きっかけや工程を知っているだけに、イルシーは何やら複雑な心境のようだ。
コージャイサンは不意にイルシーに顔を向けると、不敵な笑みを浮かべる。そして、余裕たっぷりに告げた。
「励めよ、イルシー」
それは「お前なら出来るだろう」と言う信頼の投げ掛け。
それは自らをまた一つ高め、主人の役に立つきっかけ。
それは——絶対君主からの直命。
ただ一言に射抜かれた心に従い、イルシーは頭を垂れる。
「……全ては我が主の意のままに」
コージャイサンの背後にいると言う事もあり、イルシーは綺麗に上半身を倒すに留めた。これが正面ならば、しっかりと膝をついていた事であろう。
腹を括り顔を上げたイルシーは、己の視界に入り込んだモノにより清々しい気持ちから一転した。そのモノとは、目を皿のようにしたイザンバだ。
「しまった……あまりにも自然にやるから撮り損ねた。あの、ちゃんと撮るから今のやりとりもう一回!」
必死に強請るイザンバにニィッと口元を歪めるイルシー。スッと流れるように掌を前に出すと、明るい調子で了承した。
「おう、いいぜぇ。依頼料は百万ゴアにまけといてやる」
「ひゃくまん⁉︎」
あまりの額にイザンバの声がひっくり返る。おいそれと見せるものではないと言うことか。
イザンバはギシギシと錆び付いたブリキ人形のように首を動かすとカジオンに尋ねた。
「……私のお小遣い、あとどれくらい残ってますか?」
「残念ですが、百万ゴアには遠く及びません」
淡々と、カジオンは事実をイザンバに突き付けた。その事実にイザンバはショックを受ける。それはもう、ヨロヨロと座り込んでしまうほどに。
だが、諦めがつかないのだろう。ガバリ、と顔を上げると再度カジオンに問い掛ける。
「女装の言い値がダメだった⁉︎」
「いいえ、それ以前の問題です。額をお考えください」
「くぅぅぅ! 百億ゴアさえあればっ!」
イザンバは悔しさからハンカチを噛む。
そんなイザンバの様子に、このままではまたとばっちりを食う、と判断したイルシーは素早く壁際に移動をした。
それを止める事なく見届けて、コージャイサンが呆れを漏らす。
「アイツ、またすごい額を言ったな」
「ええ、本当に……」
がっくりと項垂れながらもイザンバは同意を返す。しかし、彼女とて諦めたわけではない。顔を上げ、拳を握り締めながら熱い想いを吐き出した。
「ただ一言で分かり合う主従。閉ざされた空間での秘め事。そこに他者を入れたくない気持ちも分かります! でも、次こそは必ず!」
その胸に充分な熱意を持ってイザンバは臨む。応援はしてやりたいが、それよりも先にコージャイサンにはすべき事がある。じっ、とイザンバを見つめて口を開いた。
「……言っておくが、新しい扉は開かないからな」
グッサリと、太く長い釘を刺す。その言葉に、イザンバは視線を明後日の方へ泳がせた。ちょっと苦し紛れに言った言葉を根に持たれていると分かったからだ。
「大丈夫ですよ。私そっちは嗜む程度ですから」
——そっちってなんだ。
とコージャイサンから無言の圧力がかかる。
だがイザンバは、敢えてそれに触れずに話題を変える事を試みる。
「私の推しはご存知の通りシリウス様なんです。格好良いし、強いし、頼り甲斐もあるし、格好良いし。でもリゲルも可愛げがありますし、キラリン王女もユエイウ様のご子孫なだけあって……って、あ!」
ペラペラと語ろうとした矢先、イザンバは何かを思い出した。トコトコとコージャイサンの隣に移動すると、若干前のめりで語り出す。
「ユエイウ様と言えば、お茶会でこんな事があったんですけどね。今って北側の国とは国交がないじゃないですか。それなのに……」
再び話題は転換する。コージャイサンが来た時は、思い出しただけでもゴリゴリと精神を削られるばかりだったお茶会の出来事だが、今はなんの問題も無いようだ。
テンションは高すぎず低すぎず、一定の調子で進む会話。二人の間に漂う和やかな雰囲気。
控える者は、それらを聞くともなしに己の思考の海へと入っていく。
——今日はなんだか彼女に振り回された一日だ。いや、まだ一日も経っていないのだが、内容が濃い。一体なんなんだ。
まず、彼女の普段のテンションにも付いて行けない所はあるが、今日のようにテンションが低いとどうにも調子が狂う。慣れとは実に恐ろしい。
そんな彼女を元気付ける為に、彼があんな格好をするとは……。誰が予想出来ただろうか。
だと言うのに、彼女は彼の素顔ではなく、変装に頬を染める始末。どういう事だと膝詰めで問いたい。……確かに見惚れる程、素晴らしい出来ではあったのだが。
ああ、撮影機の錬成にも驚かされた。披露された彼女の狭く深く偏った知識と、非常識とも言える二人の思考を繋ぐという光景。次々と進んでいく展開や小難しい話についていけなかった自分は決して悪くない。
冷や汗を流す場面もあったが、今この瞬間はとても穏やかだ。
難しい事も淡々とこなしてしまうコージャイサン。猫をかぶっている時は兎も角、素は元気過ぎるイザンバ。性格は正反対と言ってもいいだろう。それなのに、どうしてあの二人はこんなにも一緒に居るのが自然なのだろうか。
そう言えば……二人とも相手が望むものを、自分が持ち得るものを与える事を厭わない。全く、変な所が似ているものだ。
自分が考えても詮無い事だが、どうにも不思議な二人に溜息を漏らさずにはいられない。本当にあの二人は————
「変なカップル」
「良いカップル」
同時に吐き出されたのは真逆の言葉。
「あ?」
『変』と言ったイルシーは下に。
「は?」
『良い』と言ったシャスティは上に、その視線を向ける。
隣に立つ者が自分と真逆のことを口にした、その事実に気色ばむ。
「何? アンタ目ぇ悪すぎんじゃねーの?」
「それは貴方でしょう。そのフード姿では、碌に物も見えていないんじゃありませんか?」
蔑むように投げつけられたイルシーの言葉を、負けじと打ち返すシャスティ。
ぶつかり合うプレッシャー。カーン、と鳴り響くゴング。火花を散らす二人の第二ラウンドが始まった。
さて、仕分けられた写真から更に吟味を重ねていたカジオンは、印刷機の前に溜まる新たに加わった写真に目を向けた。広げてみれば、コージャイサンの軍服姿、イザンバの柔らかな笑みと変顔、ブレて何を写したのか分からない写真など様々だ。
その中で、特に目を引いたのは二枚の写真。
一枚はイルシーによってこっそりと撮られた写真。そこには隣同士に腰掛け、その目線を相手に向けて心底楽しそうに笑うイザンバと優しく微笑むコージャイサンがいる。
そして、もう一枚はシャスティによって撮られた写真。こちらは親に見せる為に撮ったのだろう。笑顔でピースサインをするイザンバと、間違いなくイザンバに言われたのだと分かる、同じポーズをするクールな表情のコージャイサンの姿が写っている。
「これはこれは……」
それらを見たカジオンの気持ちも浮足立つ。さぁ、今だよ! とナニかが背を押した。
「今にも爆発しそうですね」
おや、とカジオンは目を見張る。知らず知らず溢れた言葉ではあるが、彼は自分の発言に驚いた。
果たしてその呟きを誰か耳にしたのだろうか。
少なくとも、ソファーで会話の弾んでいる二人には聞こえていないだろう。
これは貴族としては突拍子もなく破天荒で、礼儀も何もなっていない休日の過ごし方。
だが、二人にとっては温かで甘やかな——そんなとある休日。
これにて二人の休日は了と相成ります。
読んでいただきありがとうございました!