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「なんだお前は!」
「僕かい? 僕はオリヴァー・シスト。美しき貴公子。社交界を彩る次期伯爵となる男さ」
マイクの問い掛けに答えた新たな乱入者、オリヴァー・シスト。名乗るのはいいが、いちいち仕草が芝居かかっている。
オリヴァーは鼻筋は綺麗に通っており唇や輪郭のバランスも良く、目は二重で少し垂れ目だが紫水晶を思わせる瞳が強く印象に残る。
切れ長の目で涼やかな印象を持たせるコージャイサンとは、またタイプの違う美形だ。
そして、「美しい」ではなく「次期伯爵」と言う言葉に反応したマイクは、オリヴァーを指差して言った。
「お前か! アンジーに言い寄っている貴族と言うのは!」
「そんな大声を出さないでくれよ、野蛮だな。それに言い寄っているだなんて心外だよ。僕はね、彼女は僕の側にいるのが正しい在り方だと言っているだけさ」
それはどう言う事だろうか。注目と言うスポットライトを浴びて、オリヴァーは恍惚とした表情を浮かべた。
「どうだい? 野蛮な君から見ても僕は美しいだろ。だが残念ながら、普通の女性ではいくら着飾ってもただの引き立て役になってしまう。常に僕と見比べられては女性も楽しくないし、折角の衣装も宝石も台無しになってしまう。そうだろう?」
その問いに誰かが答える間もなく、滑らかにオリヴァーの言葉は続く。
「その点、彼女は合格だ。アンジーはこんな質素な服でもその美しさが損なわれないんだ。なら、綺麗に着飾ったアンジーは僕の隣に居ても見劣りしない。つまり美しい僕に最も相応しい女性という事さ。それにほら、僕の美しいシルバーブロンドと彼女のプラチナピンクが並ぶと、まるで宝石が並んだようで更に華やかだろう? 美しいものは美しいものと共に在るべきだ。雑貨屋なんかで埋もれさせてしまうのはもったいない。だから、早く辞めて伯爵家に嫁いでおいでと言っているんだよ。ね、アンジー」
オリヴァーは語る。右に左に、身振り手振りも付け加え、まるで「今ここは僕の美しさを伝える舞台!」とでも言うように語る。
最後にはアンジェリーナの手を取り、笑顔で同意を求めているが……。
聞いていた者は皆唖然としている。アンジェリーナは曖昧な笑みを浮かべながら答えた。
「シスト伯爵様、私は……」
「そんな他人行儀な呼び方しないで。いつもみたいに呼んでよ。君は特別に呼んでもいいって教えてあげたでしょう?」
シスト伯爵、と呼ばれたのが不満だったのだろう。オリヴァーは笑顔ではあるが、有無を言わさない様子でアンジェリーナに訂正を促した。
「……ナル様、私はしがない雑貨屋の店員です。それにナル様には婚約者がいらっしゃるのでしょう? そのような決まった方がいる方、ましてや伯爵家に嫁ぐだなんてそんな事出来ません。お願いだから、からかうのはもうやめてください」
「からかってなどいないさ。大丈夫、何も心配することはない。僕はアレを婚約者と認めていないし、アレなんかより君の方が相応しい。君は笑って僕の隣に居てくれたらいいんだ」
どうやらオリヴァーの愛称“ ナル” と呼ぶのを許す程に、アンジェリーナを気に入っているようだ。
呼び方を訂正されご満悦ではあるが、なんだろう。優しく寄り添っているように見えるのに何かが違う。
それでは、まるで……。
「お前! それはアンジーを見た目だけで選んでいるという事だぞ! と言うか、婚約者がいる身で何を考えているんだ!」
オリヴァーの言葉に突っ掛かったマイク。まさしくそれだ。
貴族で顔立ちも良く婚約者がいる男が、堂々と嫁に来いと言っているのだ。それではアンジェリーナにからかっていると思われるのも当然だろう。だが、オリヴァーは気にせず「君がいい」と口説いている。
カルチャーショックとでも言うのか、オリヴァーの自信満々の発言に固まっていた者たちも「なんだ? 今度はこの三人で修羅場か?」とまた面白がり始め、囃し立てる。
「え? いけないかい? ずっと一緒にいるなら醜いより綺麗な方が良いじゃないか」
「は? お前の婚約者は醜いのか? いやいや、違うそっちじゃない! アンジーの気持ちはどうした! そこに愛は無いのか⁉︎」
「なんだ、そんなもの。美しい僕に必要とされているんだよ? アンジーが僕を愛するのは必然さ。ね、アンジー」
「『ね?』じゃねぇよ! 何言ってるんだお前は! 人の話を聞いているのか⁉︎」
何やらマイクがまともな事を言っている。「おお!」と驚く群衆の反応は当然だ。先程までコージャイサンの話をことごとくスルーしていた人物の発言とは思えない。
「煩いなぁ。ところで君は誰だい? 見たところ庶民のようだけど」
「庶民だからどうした! お前のような着飾ることしか頭にない貴族なんかにアンジーは渡さん!」
まるで騎士か恋人のように、マイクはアンジェリーナを守る為にオリヴァーに立ち向かう。
名前? 当然名乗っていない。安心・安定のマイクをお届けだ。
「ふぅ。君みたいな野蛮な庶民がアンジーに何が出来るっていうのさ。ああ、なんなら僕の婚約者をあげるよ。野蛮人同士お似合いだ」
「何がお似合いだ! お前の婚約者などいらん! お前が大事にしろ! 俺は誰よりもアンジーを愛している! アンジーの為なら何だってするし、幸せに出来る!」
「はっ。そんなものが何になるっていうんだい? 愛だけで誰しもが幸せになれると? 馬鹿らしい」
「なんだとー⁉︎」
ヒートアップしていく双方に、周りは「どっちがいい? あたしはマイクかな」「あら、私はナル様でも大丈夫よ」「えー、私は……」などと好き勝手言っている。
白:財はないが愛はあるマイク 対 紅:財はあるが自分大好きなオリヴァー。
さぁ、女性としてはどちらがいいのか⁉︎ などと外野が盛り上がり賭けを始める傍らで、中心の舞台も動き続ける。
「二人ともやめて! お願い! これ以上私のせいで争わないで!」
「アンジー!」
今度こそ殴り合いが始まるのか、と言う時にアンジェリーナが止めに入ったのだ。その行動に、思わずオリヴァーとマイクの声が揃う。
そんな中で「そ、その台詞は⁉︎」と興奮したのは誰だろうか。
アンジェリーナは先ずはオリヴァーに向かい言葉を紡ぐ。
「ナル様。私雑貨屋の仕事が好きなんです。可愛くて見ているだけでも楽しい雑貨も、誰かの為だったり自分の為だったり、そうやって開ける時を楽しみに買っていった人たちが笑顔で帰って行く所を見るのも。だから今は辞めるつもりはありませんし、ナル様に嫁ぐつもりもありません。婚約者の方とお幸せになってください」
次いでマイクの方に向き直り告げる。
「マイク。私の事を想ってくれてありがとう。それに、いつも励ましてくれてとても心強いわ。でも、争い事をする人は……。さっきも勘違いで違う人を巻き込んだでしょう? 争い事は心を疲れさせるわ。私は穏やかな人と日々を過ごしたいの。だから……ね?」
丁寧に、しかもこんなに大勢の人前で言われてはこれ以上強く出られない。不服そうな男二人だが、今は言葉を飲み込んだ。
「あの、さっきは……ってあれ?」
そして、アンジェリーナはコージャイサンの方を向き声を掛けようとして、彼が自分の後ろに居ない事に気付いた。
さっきまで居たはずなのに、と周囲を見渡すとコージャイサンはすでに少し離れた場所を歩いている。
「あ、待って! ねぇ! 待ってください!」
声を上げて呼び掛けるも止まって貰えず、仕方なくアンジェリーナは人垣を抜け、走って目的の人物に近付いていく。
「待って! あの、さっきは巻き込んでしまってすみませんでした」
ぎゅっと手を掴み呼び止め、そのまま謝罪の言葉を口にした。コージャイサンを見上げるアンジェリーナの瞳は潤んでおり、走ったせいか少し頬も赤い。
「ああ、それならもう結構ですよ。あとはあなたがたでどうぞ。では、用があるのでここで」
「いえ、あの、あちらは終わりましたので。その、本当にすみませんでした。お詫びにお茶でもいかがですか?」
「お断りします」
即答! 巷で人気の女性からのお誘いをにべもなくお断りである。
先程はオリヴァーの登場により注目の的が変わった。
名前だとか人違いの詫びだとかはもういい、何よりもコイツら面倒くさい、とその隙を見てコージャイサンは騒ぎの中からさっさと抜け出したのだ。
それなのに、どうしてわざわざ追いかけて来るのか。
「え⁉︎ あの、えっとお詫びをしたいのですが」
「ですからお断りします。予定がありますので」
お断り二段切り! 取りつく島もないとはこの事か。
そう、コージャイサンには予定がある。だからこそ、街中を歩いていたのだ。
それなのに訳の分からない勘違い男に絡まれた。もし巻き込まれた詫びを要求するのなら、その場に留まっている。必要ないから歩を進めていたのだ。
それなのに、わざわざ追いかけてきて言うのがお詫びの茶。
そんなもの予定を後回しにしてまで付き合う必要があるだろうか。いや『ない』とコージャイサンは判断した。
人違いだというのに話を聞かない男も、手を握って話す女も、自分に酔うナルシストも、囃し立てる群衆も。
もうお腹いっぱいおかわり不要、関わるのも御免である。舞台の結末? 全く興味はない。
と、いう訳で。
「では、失れ……」
「おい! アンジーが誘ってくれているのに断るとはどう言う事だ!」
「……本当になんなんですかあなたは。人違いも分かったのだからもういいでしょう」
「そんなもの決まっている! アンジーが悲しまない事が最重要だ!」
「はぁ、そうですか」
ブレない男、マイク・アンダーソン。一にアンジー、二にアンジー、三四がなくて、五にアンジー、である。
面倒くさい、と溜め息を吐きコージャイサンはアンジェリーナに向き直り声を掛けた。
「それで、あなたはどちら様ですか」
こちらもブレない男、コージャイサン・オンヘイ。話の流れとして誰が誰だか把握はしているが、ここまで来たのならいっそ拘りたい。
人としての礼儀。お詫びよりも先に挨拶から始めましょう。さぁ、どうぞ!
「え⁉︎ えっと、私はアン……」
「アンジー。あまりしつこくしちゃダメだよ」
「ナル様」
アンジェリーナが名乗ろうとした所で、オリヴァーが割って入った。「わざとか? わざとなのか?」と騒つく周りを尻目に、オリヴァーは流れるようにアンジェリーナの手を取り言葉を続ける。
「ほら、お茶なら僕が付き合うからそんな奴はほっといて……げっ。コージャイサン・オンヘイ」
「……あなたは?」
げっ、となんとも失礼な言い草だ。さらっとアンジェリーナを連れ出すつもりが、オリヴァーにとっては思わぬ人物が居たことに驚いたのだろう。
さすがのコージャイサンも怪訝な表情をして乱入者に尋ねた。
「失礼しました。僕はオリヴァー・シストと申します。どうぞお見知り置きを。貴卿のお噂は予々」
なんとも自然に挨拶をした!
年はオリヴァーの方が上だが、爵位はコージャイサンの方が上。更には初対面なのでここは丁寧にいこう。
失言も失態も丸っと飲み込み、マイクよりもアンジェリーナよりも先に乱入者・オリヴァーが名乗った。「こいつ、やりおる」と呟いたのは誰か。
「ああ、あなたがシスト伯爵の。こちらの事はご存知のようですが、初めまして。コージャイサン・オンヘイです。先程は随分と盛り上がっていましたね。ですが、余り外で騒ぎを起こすのもどうかと」
自分も巻き込まれていたのに、随分と他人事である。しかし、こんな騒ぎは他人事がいいのだ。コージャイサンも出来るなら通行人Aとして立ち去りたい。今更無理だろうが。
「進言痛み入ります。彼女に求婚をしているのですが、どうも照れているのか中々いい返事が貰えず」
オリヴァーの発言に周囲は驚いた。「うわ、無かった事にする気だ」と誰かが零した。
そう、なかった事にした。
何せオリヴァーはアンジェリーナに『応』と答えてはいない。都合が悪い発言は無視である。
それと同時にコージャイサンに牽制をかけたのだ。アンジェリーナに目をつけたのは自分が先である、と。
「そうですか。……求婚、ね。婚約者の方はよろしいので?」
「っ——。あー、それはですね、今ちょっとあちらも忙しいと言うか」
「ああ、お相手は確か……」
コージャイサンはオリヴァーの婚約者を思い浮かべた。と、そこに女性の声が斬り込んできた。
「まぁ、オリヴァー様! こんな所で何をしておいでなのですか?」
「ひっ! なんでここに……」
まるでドラゴンにでもあったかの様に慄くオリヴァー。そこには声の主であるオリヴァーの婚約者が立っていた。
うふふ。
遊び心を捨てきれなかった結果の新キャラ、オリヴァー・シストです。
次は婚約者様の登場です。