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理想と現実の狭間にて

 カシャ、と小気味良い音で切られるシャッター。今被写体のコージャイサン扮するシリウスはソファーの後ろで立ち、イルシー扮するキラリン王女はソファーに腰かけている状態だ。


「あれ? なんで俺の(あるじ)が俺の後ろにいんの? え、おかしくね? つか、俺はなんでこんな格好をしたんだ」


 ブツブツとイルシーが疑問を口に出す。『言い値』効果が薄れてきたのか、正気に戻ってきたようだ。

 そこで、コージャイサンとイザンバの目を合わせて頷きあった。動いたのはコージャイサンだ。ソファーの背凭れに手をつき前屈みになると、イルシーの耳元で話しかける。


「『如何なさいましたか? 具合でも悪いのですか?』」


 そこからのイルシーは凄かった。目にも留まらぬ速さで窓の側まで飛び退いたのだ。彼は耳を押さえ、青ざめた顔をして叫ぶ。


「ほんっっっと、そう言うのやめてくんねーですかマジで! 無理だから! ほら、鳥肌ぁ!」


「耳が弱いのか?」


「ちげーよ! 俺、男! コージャイサン様、男! いくら今の俺が絶世の美女でも、男に耳元で喋られて喜ぶわけねーだろ! 気持ち悪いわ!」


 肌を泡立たせながらも、ビシッと自分とコージャイサンを指差しながら男である事を確認する。これは重要事項だ。自分の技術の高さは大いに誇るが、心も女に変装するとはならないらしい。


「あと揶揄(からか)うとか弄ぶとか、俺はそう言うのはヤる側だから!」


 性癖の自己申告も忘れないとは恐れ入る。全力で拒否するイルシーとは対照的に、コージャイサンは軽く肩を竦めた。


「気が合うな。俺も男にはされたくないし、ヤる側だ。だからお前がヤられろ」


「意味分かんねーよ! イザンバ様に毒されすぎだろ!」


 頭を掻き毟りながら美女(イルシー)が吠える。ここだけ見れば、見た目と声と行動がミスマッチな非常に残念な美女だ。


 そんな二人のやりとりを見て、イザンバは上体を後ろに捻りながら鼻を押さえて耐えている。イザンバとしては、また金銭で釣ろうと考えていたのだが、コージャイサンの動きに「そうきたかー」と打撃を受けた。彼は予想外にいい仕事をしてくれた。

 勿論その瞬間はしっかりと撮影済みである。


「……ああ、尊い。本当に尊い。素晴らしきかな主従萌え。昂り過ぎてまた鼻血が出そう」


 勢い良くイザンバを貫いた尊い砲弾。プルプルと震えながら捻っていた体を戻すが、感情の昂りを抑え切れないのだろう。うっとりと頬を染めながら、想いを馳せる。


 そんななんとも破茶滅茶な雰囲気の中、シャスティが意を決した。

 お嬢様、とイザンバに声を掛けると、彼女は勇気を振り絞りある事を提案した。


「折角なんですから撮ってばかりではなく、婚約者様とご一緒に撮影いたしましょう」


 ——綺麗にしたのに勿体ない。


 と言うシャスティの下心も勿論あるが、先程からイザンバが撮るばかりなのが気になっていたのだ。


「え? 私ですか? 私がシリウス様の隣で? え? 無理でしょ」


「無理じゃありませんよ。撮影なら私が致しますから、使い方を教えて頂けますか?」


 固まるイザンバの手元から撮影機を抜き取り、シャスティは教えを乞う。しかし、イザンバはブンブンと手と首を振り、その申し出を断った。


「いやいや、使い方は教えますけどね。撮影は無理です。ダメです。そんな恐れ多いこと出来るわけないじゃないですか!」


「何でですかー? さっきは普通に隣に座ってたじゃないですか」


 これにはケイトも疑問を持つ。イザンバはコージャイサンの隣に座り会話をするだけではなく、パーソナルスペースを吹っ飛ばしたボディタッチも行っていたのだ。

 あれが出来て何故撮影が出来ないのか、とシャスティとケイトは揃って首を傾げる。


「それはコージー様だから! 今、あそこで立って、ポーズをしているのはシリウス様!」


「んー? どちらにしても婚約者様ですよねー? 大丈夫、お嬢様はやれば出来る子です!」


 イザンバの言い分にケイトの答えは投げやりだ。ケイトから見ればどちらもコージャイサンであり、その見方は大体の人にとっては間違ってはいない。


「だから、違うのー! って、うひゃ!」


 伝わらないもどかしさにイザンバが地団駄を踏むが、勢い余ってガクリ、とバランスを崩してしまった。側にいたシャスティとケイトが咄嗟に手を伸ばすが間に合わず、イザンバは右側に傾いていく。


「大丈夫ですか⁉︎ お怪我はありませんか⁉︎」


「手が届かなくてすみませんー!」


 二人はすぐにイザンバに駆け寄り、怪我の有無を尋ねた。一見したところ露出している部分に傷はないが、貴族の、しかも嫁入り前の娘に何かあっては大変だと気が(はや)る。


「いやいや、私が勝手に転けただけだから大丈夫で……痛っ」


 立ち上がろうとして途端に走る痛み。転んだ拍子に右の足首を痛めたのだろう。気まずい空気を感じながらも、イザンバは痛む箇所を手で押さえてヘラリと笑う。


(くじ)いたみたいです」


 その言葉に顔面蒼白になるシャスティとケイト。カジオンはイザンバに治癒魔法をかけようと踏み出そうとしたが足を止めた。座り込んだ状態で只管(ひたすら)謝るメイド達を宥めるイザンバに、コージャイサンが近づくのを視界の端に捉えたからだ。


 コージャイサンの接近に気付いたイザンバは、またヘラリと笑う。その姿に呆きれを示すが、躊躇(ためら)うことなくイザンバを横向きに抱き上げて苦言を呈した。


「全く。何をしてる、ん……だ」


 そして、彼は目の当たりにした。

 桃色に染まる頬。見上げてくる潤んだ目。手で恥ずかし気に隠されたぷっくりとした唇。更にその下、ストールがはだけた事により露わになったもの。キラリン王女に似せる為に、いつもよりもざっくりと胸元が空いたドレスから覗く柔らかな谷間。

 腕の中から香りが、温もりが、重みが、コージャイサンを揺さぶりにかかる。


 しかし、現実とは酷なものだ。


「シリウス様のお姫様抱っこ、シリウス様のお姫様抱っこ、シリウス様のお姫様抱っこ……」


 これである。

 興奮で染まる頬。緊張で瞳孔が開き、充血する目。鼻血が出ていないか、さり気無く手で触って確認をしている。イザンバの全意識は推しによる横抱きという夢のような状態に向いていて、ストールがはだけている事には気付いてもいない。


 コージャイサンは無言でゆっくりとソファーに向かう。丁寧にイザンバを降ろすと、そのまま視線を合わせた。そして、顔の方へ手を伸ばし——————ビシィッ! といい音のデコピンをイザンバに炸裂させた。


「痛い! いきなり何ですか⁉︎」


「ザナは始末が悪い」


「転んだから⁉︎ アレは不可抗力ですよ!」


 痛む額を押さえながらの抗議は、ストールをかけ直すコージャイサンの鉄壁とも言える無表情に弾き返された。束の間の睨み合いの後、コージャイサンはイザンバの前に移動し膝をつくと、掌を差し出した。


「ほら、治してやるから足出せ」


「……おでこの痛みもお願いします」


「はいはい」


 不貞腐れながらも素直に足を出すイザンバ。ついでとばかりに、デコピンで痛む額の治療もせがんだ。

 傷も痛みも残らなそうだ、とホッと息をつく面々の中で、違う意味で息を吐いたのはイルシーだ。


「またそうやってイザンバ様を甘やかす」


 ちょっと捻ったくらいで大袈裟な、と呆れ返るその姿に、治癒魔法をかけながらコージャイサンが答えた。


「何言ってるんだ。こんなの甘やかしに入らないだろう」


「ふーん。じゃあ、どんなのが甘やかしなワケ?」


 尋ねるのはいいが、美女の顔でニヤニヤと厭らしく笑うのは如何なものか。コージャイサンは中空を見つめて暫し考えると、治療を終えたイザンバの足を下ろし、彼女にその紫眼を向けた。


「『貴女がその道を行くと言うのであれば、どれだけの茨を赤く濡らそうと、どこまでもお供いたしましょう』」


「そ、それは……キラリン王女に生涯の忠誠を捧げるシーンで言ったセリフっ!」


 感動と興奮は一直線に頂点へ。不貞腐れた顔は一転して赤く染まり、イザンバの瞳に煌きを与えた。

 コージャイサンはイルシーの方へ顔を向けると、真面目な声色で言い切った。


「これだろう」


「なんか違くね?」


 世間一般とはかけ離れた甘やかしの行動にイルシーはツッコまざるを得ない。望むモノを与えるという意味では間違ってはいないのだろうが、イルシーの感覚との相違は大きい。


「シリウス様が、跪いて、誓いを……」


 イザンバの脳内で繰り返される先ほどの映像。キラキラエフェクトも付け加え、美化されて再生されるその姿。昂りは鼻から一本の赤い道筋をもたらした。


「きゃー! また鼻血が!」


「お嬢様! ドレスが汚れないようにしっかりキャッチしててください!」


「そっちなのー⁉︎」


 女性陣の姦しい声が響く。シャスティがドレスの心配を口にするものだから、ケイトは驚きを隠せない。

 悲鳴により夢心地から連れ戻されたイザンバの反応はといえば、適度な紙や布が近くになく、アワアワと慌てるばかり。


 そんな中、素早く反応したのはコージャイサンだ。ハンカチーフを取り出してイザンバの鼻に当てる。

 数秒ほど見つめ合うように停止した後、コージャイサンがスッと顔を背けた。「マズい! 失態の連続で婚約解消の危機か⁉︎」とシャスティとケイトは大いに慌てたのだが、そんな二人が聞いたのは、イザンバの平坦な声だ。


「……コージー様、笑いすぎです」


「ふ、くくくっ。悪い悪い」


 イザンバの言葉によくよくコージャイサンを見れば、肩が小刻みに震えている。その様子に、メイドの二人はホッと胸を撫で下ろした。

 謝りながらもクツクツと笑い続けるコージャイサンに、イザンバは半目で問うた。


「何ですか? レディが鼻血出してるのがそんなに面白いんですか」


「いや、ザナはザナだなぁと思って。次から次へと、本当に……」


「馬鹿にしてます?」


「まさか。そこが面白くていいんだよ」


 にこやかに笑いながら再び治癒魔法を使うコージャイサンに対して、ムーッと膨れ顔をするイザンバ。だが、その仕草は鼻血も相まって、またコージャイサンの笑いを誘う。

 立て続けに格好悪いところを見られているので、少しばかり悔しいとイザンバは思った。そして、何かを閃いたのか口を開く。


「私もコージー様のノリがいいところ、すごくいいと思ってますよ!」


 笑顔を向けると立ち上がり一歩、二歩、三歩とコージャイサンから距離をとった。鼻血が止まっているのを確認すると、瞳を閉じて息を整える。そして、振り返りコージャイサンを見据え、ゆっくりとした瞬きと共に淑女の仮面を被る。

 さあ、役者は舞台の上へ。


「『(わたくし)に圧をかけられる者は(わたくし)だけよ。周りが何を言おうが関係ない。いつだって進むべき道は(わたくし)が決めているの。だから(わたくし)は歩み続ける。それが茨の道と言われようともね』」


 普段とは違い、勝ち気で堂々とした物言い。これはシリウスが生涯の忠誠を捧げる直前のセリフだ。

 イザンバは笑みを浮かべる。それはいつもの楽しそうな笑みでも、お茶会で見せる貼り付けた笑みでもない。自信に満ち溢れた、王女に相応しい笑みだ。


「『騎士シリウス。忠誠を捧ぐというのであれば、どれだけ道が険しくとも、視界を遮られようとも、(わたくし)の背を見失わずについて来なさい。そうすれば(わたくし)の最期の時、骨の一欠片くらいは共に持って逝ってあげましょう』」


「『身に余るお言葉、恐悦至極(きょうえつしごく)にございます』」


 コージャイサンは胸に手を当てて軽く頭を下げた。

 やはりノッてきた、と顔を見合わせてクスクスと笑い声を漏らす。


「シリウス様は勿論格好いいんですけれど、キラリン王女も本当に素敵ですよねー。賢いだけじゃない。強く、優しく、美しいなんて女性の憧れですよ!」


「色んな意味でイザンバ様とは違うよな。見ろよ、男のロマンが詰まったこの体付き。俺の変装技術、すごくね?」


 茶々を入れながら、イルシーがケラケラ笑う。イルシーを見るイザンバからは表情が抜け落ちているが、彼はそれには気付かない。

 気を取り直して、再びイザンバがキラリンに賛美を送る。


「あの方は女性の在り方に一石を投じた希望の星! 社交界を率いる事は勿論、姫騎士として自らも戦場に立ち指揮をとったとか。信条を貫いた生き方って素敵ですよねー!」


「短命だったけどなー。騎士より先に暗殺されて亡くなったんだっけ? あれ? 俺の先祖だったりして」


 それなら面白い、と嗤うイルシーの言葉にイザンバはまた真顔になる。ゆっくりと、イルシーに顔を向けると口を開いた。


「女装ツンデレ受けはお黙りくださいませ」


「意味は分かんねーけど、嫌な事を言われたのは分かったからな!」


 絵に書いたような笑顔のイザンバと対照的に、イルシーの顔は引き攣っている。イザンバの投げた変化球を、イルシーは打ち返す事が出来なかった。だが、それが自身が受け入れられない言葉だという事だけは分かったのだ。

 イルシーはともかくイザンバの心情をコージャイサンは思い見る。


「まぁ、ザナが強い女性に憧れる気持ちは分かるけどな。社交界でも戦場でも(またた)く星は確かに美しいが、俺は……」


 スッと右手を伸ばし、キョトンとするイザンバの耳飾り(ピアス)に触れた。


「この月が輝き続けているならそれでいい」


 そう言うと、コージャイサンは流れるようにイザンバの髪の一房を取り、優しく手の中に収める。イザンバと視線を絡ませると、緩く口角を上げた。

 瞬きを忘れて魅入られていたイザンバだが、ハッと思い出したかのようにコージャイサンの手から髪を奪い返した。そして、若干早口で捲し立てる。


「いーけないんだー! いけないんだー! シリウス様はそんな事しないもんねー!」


 子供染みた言い方も本から学んだのだろうか。イザンバは数歩後退りをしてから、クルリとコージャイサンに背を向けた。そのままカツカツと、やや早足で扉に向かって行く。

 その背中にコージャイサンが声を掛けた。


「どこに行くんだ?」


「着替えてくるんです! 慣れない服は落ち着きません!」


 まるで怒っているかのような語気を強めた口調で返すと、部屋から出る直前に不機嫌な表情でコージャイサンを見遣る。


「コージー様なんて女装したイルシーに押し倒されて、主従逆転と言う新しい扉を開いちゃえばいいんですよ!」


 イーッと顔で不満を表しながら、苦し紛れの悪態を吐いて去って行った。その頬に朱が注いでいた事に、後を追ったシャスティとケイトは気付いただろうか。

 それはさて置き、残されたイルシーとカジオンは密かに目配せをする。


 ——ちょ、オッサン。やらかしたのあんたンとこのお嬢様なんだから何とかして。


 ——何を言っているんですか。貴方の主人でしょう。自分で何とかしなさい。


 二人が恐る恐る伺ったコージャイサンは、薄らとした笑みを浮かべている。だが、目が一切笑っていない。

 彼らが戦々恐々と見守る中、コージャイサンが「よし」と気合を入れた。


「そういった類の扉は木っ端微塵に破壊しておくか」


 いつの間に出したのだろうか。教鞭が掌の上を軽やかに跳ねる。乾いた音と黒い笑顔がイルシーに向けられた。


「イザンバ様のバカヤロー! なんて爆破魔法放ってくれたんだよ! 俺を巻き込むんじゃねー!」


 悲しいかな、イルシーの叫びは届かない。


 ——もう少し男心が分かる本も用意するべきだったか。


 主従の攻防に遠い目をしたカジオンの心もまた、イザンバには届かない。


甘ーーーい⁉︎

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「桃色に染まる頬。(中略)柔らかな谷間。」 「腕の中から香りが、温もりが、重みが、コージャイサンを揺さぶりにかかる。」 コージャイサン、イザンバのこと、そういう目で見てる…………… ただ…
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