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イザンバの覚悟と新たな挑戦者
イザンバが撮影に夢中になっている中、イルシーが動いた。その目的は彼女が持つ撮影機を見せてもらう事ともう一つある。
「イザンバ様、それちょっと貸してくんねぇ?」
「どうぞどうぞ! イルシーも気になりますよね! コージー様って本当すごくないですか⁉︎ あの人一体なんなんでしょうね!」
「とんでもない才能を持った俺の主様だ」
自慢げにそう言うと、興奮さめやらぬイザンバから撮影機を受け取った。
イルシーはあらゆる角度から撮影機を観察し、イザンバを真似て実際に構えてファインダーを覗いてみる。すると、間近にいたイザンバはボヤけているではないか。眉を潜めると、今度はコージャイサンにレンズを向ける。こちらはボヤけず綺麗に見えている。
理屈を聞こうとイザンバに目を向けて後悔した。
「考察、検証をするリゲル……ああ、黙っていたら完璧なのに!」
「うるせーよ」
きらめく瞳と発言に対する苛つきは、棘を纏ったまま飛び出した。
撮影機はコージャイサンがイザンバの知識を元に作り上げたもの。それならば、詳しい説明は苛つく相手より尊敬する相手に聞こう、と思い直しイザンバに返す事にした。
そのついでに、もう一つの目的である忠告も兼ねる。
勿論この行為にはイルシーも相当の覚悟がある。叱責を受けるか、すぐさま斬られるか。そもそも自分が耐えられるかどうかも分からない。どのような形にしろただでは済まないだろうと考えている。
——コージャイサン様の為に。イザンバ様に危機感を持たせるには必要だ。
そう結論付けてイルシーは行動に出る。
撮影機をイザンバに手渡す際に思考を読み取ろうとしたその瞬間。小さく黄色に光った耳飾りとイルシーの指先を燃やす黄緑の火。どちらもすぐに消えたが、燻る熱は指先に残っている。
その火を認めたイザンバがイルシーを見据えた。
「大丈夫ですよ、イルシー」
安心させるような優しい笑みを浮かべると、自分の胸に手を添えて言ったのだ。
「私が全てを預けるのはコージー様だけですから」
真摯な目と言葉がイルシーを射抜く。
目は雄弁に語る。意志の強さと暖かさを備えて。それはイザンバが持つ覚悟。いざという時の事も含めての誓い。
火を見た驚愕と入れ替わり、怪訝そうな表情でイルシーが尋ねた。
「どう言う事だぁ?」
「あの火は《自業自得》と言うんですけど、同意なしに思考や精神に干渉してきた者に対しての防御魔法なんです。効果は悪意の程度によりますが、掌の火傷や酷くても腕一本が焼けるくらいです」
イザンバの言葉に微かに熱の残る指先が疼く。先程の火が指先に止まったのは、イルシーに悪意がなかったからだ。
「《自業自得》、ねぇ。防御って言うより報復って感じじゃねーか」
そうイルシーは言うが、過剰と言うなかれ。イザンバに対して敵意や害意、果ては殺意と言った悪意を持つ者は少なくない。
程度に差はあれど皆イザンバが平凡であるが故に彼女を見下し、心に欲を持って近づいて来る。
その中でも思考を読もうとすら連中の狙いは、イザンバを介してオンヘイ家の情報を得る又はイザンバを操りオンヘイ家を害する事。
だが、戦闘慣れしていない貴族ならば、火傷だけでも十分怯ませる事が出来る。それが小心者であれば、尚の事。この時点で手を引いてくれたら御の字だ。
イルシーの言葉にイザンバが肩を竦めながら説明を続けた。
「私だから酷くてもその程度なんですよ? 術式を作る時にコージー様に協力して貰ったんですけど、あの人の場合もっとすごいことになると思いますよ。見てないから知りませんけど」
「知らねーのかよ!」
「悪意を持ってコージー様の思考を覗けば、身を以て体験出来ますよ!」
「アンタ馬鹿か⁉︎ イザンバ様で腕が焼けるなら、コージャイサン様だったら火達磨になるっつーの!」
いい笑顔で体験を勧めるイザンバだが、コージャイサンの実力を鑑みればイルシーの予測はあながち間違っていない。しかし、当の本人がその予測を否定した。
「いや、それなら全身燃やすより頭だけ確実に消し炭にする」
「ヤダ。ナニソレ怖すぎ」
思わずイザンバは己の頭を庇った。どちらにしろ難易度は高いのだが、あまりの反撃に全員がコージャイサンに恐怖を抱いたのは仕方がない。
そんな事には構わずにコージャイサンは楽しそうに語る。
「ザナは本当に面白い事を考えるよな。『社交界に出るにあたって新しい魔法を作りたい』なんて。術式も思考の読み取り防御、悪意の選別、対象を瞬間的に捕縛、悪意に応じた攻撃の火力調整、全体の永久的持続と隠蔽、そして媒体への固定。複雑で難しいが、アレも作り甲斐のあるものだった」
「毎度毎度お世話になっております! 《自業自得》もコージー様が居るから出来た事ですよ。私一人では絶対に無理ですもん」
ビシッと敬礼をしながら、イザンバは元気よくコージャイサンに感謝を伝えた。
ところがコージャイサンは何か納得がいっていないのか、腕を組んで考え込んでいる。
「ザナが使っても、火達磨くらいにはしたかったんだがな。そうすると防御性と攻撃性の矛盾が……全体のバランスも崩れるし」
「今のままで十分ですよ! ダンスの相手がいきなり火達磨になったらトラウマどころじゃありません! ……あ、逆に引き篭もる口実になっていいのかも」
いい口実を見つけたと目を輝かせるイザンバ。笑みを交わして頷くと、コージャイサンは結論を出した。
「アレで十分だな」
「どっちですか!」
トラウマによるイザンバの引き篭もりは阻止された。しかし、イザンバも本気ではなかったのだろう。それ以上粘ることはせず、説明に戻った。
「とは言っても、私の場合《自業自得》は時間稼ぎです。そのまま私は相手の油断を誘います。コージー様が近くに居れば証拠を押さえ、後は煮るなり焼くなり好きにしたらいいんですし」
「……間に合わなかったら?」
イルシーの問いにイザンバはただ笑みを深めた。
ふと、イルシーの目線はイザンバの耳に移る。そこにはヘーゼルアンバーの三日月が一粒の翡翠を抱いている。月が女性なら、この翡翠は——。
クッと口角を上げるとイルシーが口を開く。
「ああ、そうかよ。それなら上等だぁ」
知らずに触れたイザンバの覚悟。それはコージャイサンに自分の全てを預ける事。情報を守るためとは言え、誰かを傷付ける事。そして……。どれも貴族令嬢が持つには不釣り合いな、イルシーが今まで見なかった一面だ。
未来の可能性は数え切れない。それらを全て内包してイザンバはコージャイサンの隣に立っているのだ。
「納得出来たか?」
面白そうに笑みを浮かべるコージャイサンに目を向けると、ただ静かに、イルシーは跪き頭を垂れた。
「勝手な行動を致しました。どのようなお叱りも罰も受ける所存です」
「その必要はない。ザナ、そうだろ?」
イルシーの独断の行動をコージャイサンもイザンバも咎める気はない。それはいずれ必要な事だったから。
何でもないように言った後、コージャイサンがイザンバに話を振る。だが、どういう訳か彼女は口に手を当てて絶句していた。
不審に思う面々。大体の察しは付いているコージャイサンだが、ここは彼が代表して再び声をかける。
「ザナ?」
「イルシーってばいつの間に読んだんですか⁉︎ それはリゲルがシリウス様に相談せず独断で敵陣に突っ込んだ後の台詞と行動! 立ち位置もすごく良かったですよ! バッチリです! ちょっともぉ素晴らしいー!」
「分かった。それは後でじっくりやったらいいから、取り敢えず落ち着け。今はコイツに処罰が必要かどうかなんだが?」
「はっ! ごめんなさい! つい……」
サムズアップと共に上がるイザンバのテンションとは反対に、周りの者の肩はガクリと落ちた。ワザとなのか素なのか、真面目な空気はどこに行った。
コージャイサンが冷静に軌道修正を試みると、すぐに上がったテンションは元の位置まで戻ってきた。コホン、と咳払いを一つしてイザンバは空気を改める。
——本当になんつー女だよ。
嘆息はするが跪いたまま、大人しくイルシーはイザンバの言葉を待つだけだ。
「処罰は必要ありません。イルシーが心配する事は尤もなことですから。私が何を言っても説得力がないのは私自身がよく知っています。まぁ『論より証拠』と言いますしね! これで少しでも安心してもらえるなら良かったです!」
イザンバがその旨を伝えるとコージャイサンは鷹揚に頷いた。
「……だ、そうだ」
「ありがたき幸せに存じます」
コージャイサンへ、そしてイザンバへ。丁寧に頭を下げる。
そんなイルシーに対して、イザンバは真剣な顔をして口を開いた。
「ところでイルシー。あなた、女装はイケますか?」
「アンタは俺に何をさせる気だ」
今日一番のドスを効かせた声を出しながら、イルシーが下からイザンバを睨み付ける。
どうにも真面目な空気は長続きしない。イザンバがいつもの調子で言うものだから、イルシーもつられてしまったようだ。「さっきまで殊勝に頭を下げてたのは誰だったんだ⁉︎」とその変わり身の早さにメイドたちが驚くのも無理はない。
立ち上がったイルシーにイザンバが本の裏表紙を前面に押し出して主張した。
「ほら、ここ! ここにシリウス様が仕える王女殿下がいるんですよ! ドレスなら貸しますから! 是非シリウス様と並んでください!」
そこには胸の谷間を強調する重厚な赤のドレスを身に纏い、長い金髪と碧眼で吊り目の女性が描かれている。
彼女はキラリン・ヴォン・バイエ。以前に婚約破棄騒動を起こした王子の先祖である。その表情はとても勝ち気で堂々としたものであるが、どこぞのマヌケな王子とは違い、聡明な女性であったと伝承されている。
「自分でやれよ。つか、イザンバ様のドレスとか着れねーから」
「いや、だって私がやっても顔面クオリティがね……ほら、ね?」
色んな意味で無理だ、と拒否するイルシーに表情に残念さを惜しみなく出しながらイザンバは同意を求める。
はぁ、とイルシーから吐き出された溜息。嫌がった所でコージャイサンに言われて女装をする羽目になりそうだし、何よりつい今し方無礼を働いたばかりだ。それくらいの自覚はイルシーにもある。
さて、どうしたもんかとイルシーが考えていると、先にイザンバからこんな提案をされた。
「クオリティが高ければ言い値で払いますよ!」
「ノッたー!」
即答! 冷気も溜息も憂いも『言い値』の前では無力。なんと強い切り札なのだろうか。しかし、それには当然のように待ったがかかる。
「お嬢様ー⁉︎ 言い値はダメですー!」
シャスティだ。とんでもない事を言い出すお嬢様を全力で止めに行く。
「え? なんでですか? いい仕事にはそれに見合う報酬が必要でしょう?」
「それは依頼主としてとても良い心掛けですが、そんなヤツに頼んだらぼったくられますよ! 王女様になりたいのであれば、私がお嬢様を変身させます!」
イザンバの心掛けを褒めつつも、それならば自分が! と手を挙げた。そんな挑戦者の名乗りを、イルシーは裏表紙をブラブラと見せつけながらせせら笑う。
「は? アンタが? あの平凡顔をこの美女顔まで作り上げることが出来んのか?」
これにはシャスティも苛立った。青筋を立てイルシーを睨み付けると語気を強めて言い放つ。
「私が何年お嬢様にお仕えしているとお思いで? お嬢様の魅せ方は心得ております」
「はぁ? 何言ってんだ? 綺麗にみせる化粧とバレないようにする変装はまたベツモンだぜぇ?」
イルシーが小馬鹿にしたように鼻を鳴らすが、シャスティは自信を持ってその挑発を跳ね返す。
「変装と言えども、要は婚約者様と同じように本の登場人物の姿に似せればいいのでございましょう? 私ならお嬢様の素材を活かしつつ、最高の美女に仕上げることも出来ますもの」
「根本が違うだろーが。イザンバ様の素材を活かすとかの話じゃねーし。本気で変装させるなら、土台の骨格変える勢いでいかないとなぁ」
「平凡は最高の土台ですわ。オンヘイ家のご厚意により日々磨き上げているのです。お嬢様が美女顔になるくらい造作もありません。舐めないでくださいませ!」
「言うじゃねーか。ま、お手並み拝見といこうか」
「吠え面かかせてやりますわ。お嬢様の伸び代を思い知りなさい!」
煽り煽られ、睨み合う二人の間に火花が見えるようだ。なんと言う事でしょう。イザンバの王女殿下への変身が決まってしまった。
これにはまさかの置いてけぼりをくらったイザンバからぼやきが出た。
「えー、なにこの展開。私『やる』なんて一言も言ってないのに」
「ザナ、諦めて着せ替え人形になって来い。どうも彼女は不完全燃焼らしいな」
「それってコージー様のせいですよね⁉︎ 人を気絶させる美貌ってなんなんですか! 最早凶器ですよ!」
面白そうに囃立てるコージャイサンが原因だとイザンバは強く言い切った。そして、不満を漏らす。
「私は基本的に見る専なんですけど」
「やってみたらいいじゃないか。案外ハマるかもしれないぞ」
「え? コージー様はハマりました?」
またしてくれるのか、と期待に胸を膨らませるイザンバにコージャイサンは微笑みかける。
「ザナがやるならな」
付随する条件はイザンバを真顔にするには十分だ。そんなイザンバを見兼ねてケイトが声をかけた。
「お嬢様、虚無に至るお茶でも入れましょうか?」
「……虚無ってどう言った具合に?」
「そうですねぇ。綺麗なお花畑と川が見れます!」
「アウトー! それはお茶ではなく、犯罪臭漂う怪しい薬です! ケイトも一体何を作ってるんですか⁉︎」
しかし、ケイトの気遣いは空回りした。いい笑顔でなんて危ない事を言うのか。ケイトに危険物を作成した自覚はなさそうだが、これにコージャイサンが興味を持った。
「なら俺が貰おう」
「何お馬鹿な事を言ってるんですか⁉︎ 知的好奇心だけで動かないでください!」
あっちにこっちにとツッコミが忙しい。だからイザンバは気付かなかった。背後から近づくシャスティの存在に。
「さ、お嬢様。お着替えに参りましょうか」
「え? やるなんて言ってな……」
闘志燃ゆるシャスティに、ガッチリとホールドされている。その笑顔の迫力を前に最後の抵抗も虚しく終わり、イザンバは大人しく連れ去られた。
さて、コージャイサンがお茶を飲む事にもそろそろ飽きた頃。やっと二人は戻ってきた。
イザンバは柔らかい赤のドレスを着ている。少し心許ない胸元はストールでカバー。綺麗に編み込まれた茶髪はハーフアップに、目元は吊り目風のメイクを施しているがナチュラルに見えるよう細心の注意が払われた。表情こそ笑みを保っているが、その瞳に力はない。
「へぇ。そう言う格好も似合うじゃないか」
「ありがとーございまーす」
褒めるコージャイサンにイザンバの返事はぞんざいだ。変身にどれだけの気力を持って行かれたのかは、触れないでおこう。
シャスティはイルシーを見つけると胸を張った。
「どうです? お嬢様のキラリン王女バージョンです」
「ふーん。中々の出来だが、所詮はメイド。これはイザンバ様を美女風にしただけで、この美女顔じゃない。そもそも色が合ってない」
ジロジロとイザンバを観察すると、裏表紙と見比べて冷静に判定をする。確かにいつもより目力も強く、美しい印象になっているが、絵そのままかと言われれば違う。
「いいか? 変装って言うのはな……」
バサッ! とイルシーが軍服を脱ぎ捨てた。揺れる重厚な赤に包まれた胸、靡く長く艶やかな金髪、意志の強さを宿した碧眼。現れた美女はキュッと口角を上げると、勝気な笑みを見せつけた。
「こうするんだよ!」
「きゃー! キラリン王女殿下キター! 可愛い! 素敵! 麗しいー!」
「だろう?」
「あ、喋らないでください」
「またかよ!」
両手を上げて喜んでいたイザンバだが、見た目は美女でも声はイルシーのままなので流石に違和感がすごい。すぐに真面目な顔つきで、イルシーにお喋り禁止を言い渡した。
シャスティはと言えば、見せ付けられたイルシーの完璧な変装に歯噛みしている。
「くっ、いつか目に物見せてやる!」
「シャスティ、頑張ってー!」
ケイトの声援を背に、シャスティはリベンジの炎を燃やす。今ここに、2.5次元への新たな挑戦者が誕生した。
イザンバのピアスは撮影機の前に作ったコージャイサンとの合作です。
インフェルナーレ創作小話はまた活動報告にて。
それにしてもイルシーがめっちゃ喋ったな。