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結婚式 当日!
爽やかな風が吹き抜ける晴れ空の下、古い歴史のある街並みがいつもよりも華やかに、そして楽しそうな人々の声を引き立てる舞台となっている。
今日はこの国の若き英雄と名高いオンヘイ公爵令息と火の天使と呼ばれ敬愛を集めているクタオ伯爵令嬢の結婚式だ。
祝いの席に参加できない平民たちからの祝福の気持ちが色とりどりの花や紫、銀、翠、ヘーゼルブラウンの飾り布となって街頭や軒先を彩り、それならばと貴族も乗り出したため特に教会からオンヘイ公爵邸へ続く道は一際明るい雰囲気へと変わっている。
結婚式が近づくにつれて貴族たちからは続々と公爵邸に祝いの品が贈られてくる中、商人や平民たちからも贈り物をしたいとの話が上がっている事をゴットフリートが耳にした。
貴族だけでも数があるのにそれが王都中からとなれば、とてもではないが準備と並行して捌く事は難しい。
そんなお祝いムードを鑑みてゴットフリートはこう考えた。
それなら祝いたい民のために受付所を作ればいいじゃないか、と。
そして、当日。火の天使が現れた広場に設けられたオンヘイ公爵家とクタオ伯爵家へのお祝いメッセージの受付所。そこには自然と人が集まり、商売の気配に露店が増え、パフォーマーが集まってと、まるでお祭り状態となっている。
それだけ二人の結婚式が注目されているという事だろうが、集まっているのはどうやら平民がほとんどのようだ。
防衛局の騎士や魔術師たちが警備に立ち。
薬品を仕込まれたり、異常がある贈り物には防衛局の食堂と同じ術式が反応するようにし。
禁術・呪物に対してはゴットフリート謹製の結界が弾く。
どれも念の為の準備だが、今のところ目立ったトラブルはない。
誰も彼もが笑顔で行き交う中、彼らにお祝い返しを配る両家の使用人たちは大忙しだ。
「えいゆうのきしさま、ひのてんしさま、けっこんおめでとうございます!」
「ありがとうございます。こちら、お二人からのお気持ちです。はい、どうぞ」
「わぁー! かわいい! どうぶつのクッキーだ! ありがとう!」
幼女から差し出された絵を受け取って、お菓子やジュースが詰め込まれたバスケットを微笑みながら手渡した。
さて、王都の喧騒から切り離されたような教会内。
こちらは新婦控室。
ケイトが淹れたお茶をのんびりとフェリシダと共に飲むイザンバ。
シャスティはメイク道具を並べて。
ヴィーシャとジオーネも準備に動くが、二人はコージャイサンの従者として最後方に控える為、メイド服ではなく正装だ。上着は男性陣と同じだが、下は裾にスリットの入ったロングタイトスカートだ。
「さぁ、お嬢様。まずはメイクから始めましょう! 王都で一番、いえ、歴代で一番美しい花嫁にしますよ!」
シャスティが大いに張り切っているが、イザンバはそれに呆れたように返した。
「歴代は無理でしょ。だって現代でもお義母様も王妃様もナチトーノ様もいらっしゃるのに」
「気持ちの問題です! っていうか今日の主役の花嫁様なんですから絶対一番なんです!」
イザンバの可憐さを引き立たせるメイクはピンクをキーカラーに施す。
みずみずしい艶のある肌に濃淡をつけたピンクのアイシャドウ、コーラルピンクを頬と唇にのせる。
髪型はベールにも合う編み込みで作るシニヨン。順調に進んでいたがお団子の形を整えて最後のピンをさす時、シャスティの手が止まった。
「シャスティ……」
気遣わしげなケイトの声に顔を上げれば鏡越しにイザンバと目が合った。せっかく綺麗にメイクをしたのに眉が下がっている。
——花嫁様がそんな顔しちゃダメですよ!
そう言いたいのに目元が熱くなり、喉が震えるばかりで言葉が出ない。
鏡に映った自分の泣き顔を見て、このせいかと気付いた。シャスティは素早く涙を拭い、イザンバに見えるようにニッコリと笑顔を作った。
そして、丁寧な手つきで止められる最後のピン。
「さぁ、これで……ヘアメイクは完成です! お嬢様、どうですか?」
「とっても素敵……私じゃないみたい……。シャスティ、花丸パーフェクトですよ!」
「ありがとうございます!」
軽快なやり取りの後、イザンバは二人に目を向けた。
「シャスティ、ケイト。今日までありがとう」
だが、改めて言われてグッと胸が詰まった。切なさが弾けた瞬間、耐えようとしても涙は簡単に膨れ上がり二人の頬を濡らす。
笑顔で送り出して欲しいという彼女の願いを叶えたいのに、どうしたって今はそれが難しい。
俯いてしまった二人の耳に届く三人分の鼻をすする音。
「お嬢様まで泣かないでください! メイクが落ちます! ああ、もう……直さなきゃ……!」
「とか言いながらお仕事増えてシャスティ嬉しそうー」
「違うから! そういうケイトも大泣きじゃない! ほら、早く止めて!」
「だってこれは感動の涙だもーん。胸いっぱいだから無理ー。でも、お嬢様には笑って欲しいですー。はい、ニコー!」
「ふふ、はい!」
これでいい。お嬢様とメイドでありながら気安く、心地よい時間を過ごしてきた三人。この姦しさこそ彼女たちの在り方だ。
いよいよウエディングドレスを着ようかという時、あろう事かイザンバはこんな事を言った。
「ねぇ、これ違いますよ」
「何言ってるの、そんなわけないじゃない」
ここに来て何を言うんだ、とフェリシダは呆れた。
「えー。でも絶対違う」
「違いませんて。なんでそないな事言うんですか?」
「こちらがご主人様がお嬢様の為に用意したモノで間違いありません」
ヴィーシャも違わないと言い、ジオーネが断言した。
それでも渋っていればシャスティにグイグイと押されてドレスに近づいた。ところがイザンバはまたもや首を傾げる。
「あれ? え、待って、ねぇこれって……」
「さぁ、着替えますよ!」
「お嬢様ー、ワンピース脱ぎますよー。はい、ボタン外しましたー」
「え。ねぇ待ってー!」
そんな待ったなど誰も聞かない。手際よく着付けられて行くドレス。しかし、それとは反対にイザンバの表情はどんどんと硬くなっていく。
最後、フェリシダがベールを下ろせば、部屋中に感嘆の吐息が漏れた。魅入られる女性陣の中、ケイトが連写する音だけが響く。
「本当に……素敵よ、ザナ。……ってあら? ザナ? ザナー?」
だがしかし、母の声が遠い。
そして、こちらは新郎控室。
コージャイサンが身に纏うは白いタキシードだ。ロングジャケットタイプでベストを着ている為か前ボタンは留めずに着流すようにしている。スマートな彼らしい着こなしだ。
艶やかな黒髪をサイドに分け目をつけたアップバンク、眉が見えているせいかいつもより爽やかさがあるのに、しなやかな毛流れと生来の美貌で大人の余裕と色気を醸し出す。
最後の仕上げに、キュッと白い手袋を嵌めた。
「流石は主! すごく似合ってます!」
「王族よりも王族らしい風格ですな」
正装したリアンとファウスト。
「ハハッ! こりゃ当代一の色男っぷりだなぁ。あのイザンバ様でも惚れ直すんじゃね?」
そしてイルシーの賛辞を鏡越しに一瞥した翡翠はいつも通り淡々としていて。
「お前も変装しておけよ」
「へいへい。心配しなくてもすぐ出来っし」
一陣の風の後、フードスタイルから一変。茶髪で細身のどこにでもいるような男性の姿で正装したイルシーがニヤリと笑う。
ところが、後は挙式を待つのみとなった控え室の扉がノックされた。
「ご主人様、少しよろしいでしょうか?」
訪れたのはヴィーシャだ。
「どうした?」
「お嬢様のご様子が随分と硬くなっておいでですのでお式の前にほぐしてくださればと。それとジンシード子爵家についてご報告を」
「分かった」
手短に報告を聞いた彼が目指すは花嫁の控室。目的地の扉前にはすでにフェリシダ、シャスティ、ケイト、そしてジオーネが居た。
「お待ちしておりました。ご準備、整っております」
「ごめんなさいね。ドレスが違うって言い出してからすっかり固まっちゃって。お式まで時間もないしお願いできるかしら?」
「分かりました」
「私は先に礼拝堂に行っているわね。ふふ、あと少しだけ我慢してね」
意味深な笑みを浮かべながらフェリシダが去っていった。
コージャイサンが入室すると、彼の視線は自然と柔らかな日差しが差し込む窓辺に立つイザンバに引き寄せられた。
彼から見えるのは後ろ姿だ。アップスタイルで露わになったうなじ。滑らかな肩甲骨や素肌をベールが覆い隠す。
その背筋が凛と伸びた美しい後ろ姿に、コージャイサンは早くもうっとりとした眼差しを向ける。
「ザナ」
甘やかな呼び声に、けれども彼の花嫁は微かに首を動かすのみ。
——早く見たい
——早く伝えたい
そんな想いを焦らされているようだ。ベールの向こうで唇がゆっくりと動いた。
「コージー様」
「ん?」
イザンバの声が震えている。視線は未だ交わらず、固い動きに緊張感を察したコージャイサンは優しい声音で聞き返した。
「う」
「う?」
「…………うごけない……」
「……は?」
ところが、花嫁から漏れるのはなんと情けない声だろうか。
ちょっと何言ってるかわからない。そんな彼の声音に窓ガラス越しに視線を合わせたイザンバは直立不動のまま必死に訴えた。
「だって、このドレス……前にお義母様に呼ばれて試着した時と絶対違いますよね⁉︎ これどう見たって極上繊維の薄布! ミレニアたんの衣装よりもたっぷり使われてるなんて! 無理無理無理無理! 動けない!」
「おっと、そっちだったか」
コージャイサンが想定した緊張感はこれから始まる結婚式へのものだったが、どうやら彼女が抱いているものは全く別。要するにドレスが高級すぎて身動きが取れないらしい。
さて、それでは彼女の疑問に答えるとしよう。
「前の試着はダミーだから違って当然だな」
「ダミー⁉︎ 何のために⁉︎」
「初めてこの布を見た時から、ウエディングドレスはこれで作ろうって決めてた。でも、ザナは見てるだけでいいって言ってたし」
「今も見てるだけで十分なんですが⁉︎」
「そうか。まぁもう着てるんだから諦めろ。俺からのサプライズだ」
ニッコリとそれはそれはいい笑顔で言い切った。
あれは学園入学前に行った視察を装った聖地巡礼での事。
展示された衣装に目をキラキラと輝かせていたイザンバを見て、コージャイサンは即決していた。だってウエディングドレスを着たイザンバが自分の隣にいる事を当たり前に想像出来てしまったのだから。
三年半もあればウエディングドレスに必要な極上繊維の良質な薄布を確保する事も、デザインを吟味しドレスを作る事も可能だ。
デザインに関してはセレスティアが乗り気であったため、コージャイサンも口出しをしつつ進めた。
知らぬはこだわりが無いからと流れに身を任せていたイザンバのみである。
「サプライズの規模がおかしいくないですか! しかもちゃんとピッタリでびっくりする!」
「ザナが少し痩せた時は焦ったが……うちにはほら、便利なやつがいるだろ?」
その人物には覚えがある。なんならついこの間イザンバも頼んだ。その完成度を知るからこそ悔しさが込み上げる。
「心配しなくてもアイツが着たのはもう一つの試作品だ」
「いえ、そこじゃなくて。別にイルシーが試着してても気にしないのに……」
「他のやつが着たものを着させるわけないだろう。それは正真正銘ザナだけのドレスだ」
「え、待って。つまりはこれが二着分? ゴア金貨何枚溶けたの? 公爵家こわい」
ちなみにだが、イルシーがサイズ調整のために試着した方は、火の天使のウエディングドレスと同モデルとしてエルザの店に展示される事になっている。
「俺にとってそれだけの価値がある。だからこっち向いて。ちゃんと見たい」
コージャイサンの言葉にまだ動くのは怖いらしいイザンバは小さく首を傾げた。
「もう一つ試作品があるならドレスは見てるんですよね?」
「ウエディングドレスはザナが着て初めて完成——だろ?」
楽しげな声が。
「ザナ」
希う声が。
「俺の花嫁。どうかその姿を見る栄誉を俺に授けて」
ただ一人を望む。
そんな風に乞われては敵わない。
ゆっくりと振り返るイザンバに合わせて揺れるグリーンの葉を混ぜた白のバラのキャスケードブーケの品のある香りがいい演出となった。
上半身はシースルーレースの透け感で華奢な印象だが、贅沢にあしらった銀糸の刺繍が華やかさと優美さを足している。
腰がより細く見えるハイウエストで切り替え、程良く綺麗に広がるフレアシルエットが美しいスカートにも身頃同様に贅沢な刺繍があしらわれている。
花嫁をさらに輝かせるネックレスとピアスは最高級品のダイヤモンド。センターにボリュームを持たせたデザインのため、デコルテまわりを華奢にみせる。
下ろされたベールの向こうでチークだけではない緊張と高揚が彩る頬に、いつもよりもはっきりと色がついた唇は少しだけ力がこもっていて。
そして、伏せられていたヘーゼルがゆっくりと彼に向けられた。
「ああ——……綺麗だ。想像よりもずっと」
感極まったように喜びを露わにする彼にイザンバの顔が熱くなる。心音も跳ねるように落ち着きをなくし、刻むリズムが痛いほどだ。
「あう、あの、その………… コージー様、も……あ、待って。なんか鼻血出そう」
「今はマズい」
純白のウエディングドレスに鼻血がついては一大事だ。まだ動きが固いイザンバよりも早くコージャイサンが動いた。
素早くティッシュを掴みベールの下からイザンバの鼻に当てる。幸いにも鼻血は出ていなかったが。
「ぷっ……あはははははは!」
顔を見合わせた二人は声を揃えて笑った。
「ごめんなさい。なんか……あはははははは! 緊張感が振り切れて、おかしくなってきた! あははははははは!」
「ふ、くくくっ。全く……こんな時でもザナはザナだな」
「馬鹿にしてます?」
「まさか。可愛いって褒めてるんだよ」
にこやかに言う彼の声音に茶化すような気配はなく、イザンバは少し視線を彷徨わせた後、真っ直ぐに彼を見つめた。
「コージー様も、すごく……すごく素敵です。似合いすぎっていうくらい、カッコいいから……ドキドキしすぎて……ちょっと、困っちゃう」
ベールがあって良かった、と心底思ったイザンバだが、そのはにかむ姿にコージャイサンは息を呑んだ。
——俺の花嫁だと見せびらかしたい。
——誰にも見せず己だけで堪能したい。
そんな相反する思いを抱きながら、何よりも優しく腕の中にイザンバを囲い込んだ。
「俺も。このまま、ここに隠しておきたいくらいだ」
間近に迫るとろりと甘さの滴る瞳に釣られるように、愛おしいと明確に想いを溢れさせたヘーゼルが色を変える。それを見るのがベール越しであることが口惜しい。
コージャイサンは湧き上がった口付けたい衝動をなんとかいなし、体を離し一歩下がるともう一度その姿に熱い視線を送った。
「やっぱり、この布を選んで正解だったな」
「そう、ですか? ドレスに着させられている感があったりとか……」
「ザナの為に作ったドレスだ。よく似合ってる。だから胸を張れ」
「……——はい」
他の誰でもない、コージャイサンが似合うと言ってくれるのなら————イザンバは素直にその言葉を信じようと思う。
見つめ合い、甘い雰囲気が漂っていたが、時間だとノック音が告げる。
「行こうか」
差し出された手に。
「はい!」
迷う事なく手を重ねて。
廊下に出ると従者とメイドたちが横一列で待ち構えていた。真っ白な対となる二人の視線を受けてイルシーが口を開く。
「コージャイサン様。イザンバ様。今日という日を迎えられた事、我ら一同心よりお慶び申し上げます」
イルシーに続き、全員が綺麗に揃った心のこもった一礼を贈る。彼らもこの日を待ち望んでいたのだ。
「ああ、ありがとう」
「ありがとうございます」
メイド二人に見送られ、前後を従者たちに守られながら向かう先は礼拝堂。誓いの時まであと——分。