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イザンバ、テンション右肩上がりの巻

 コージャイサンが退室してから暫く経った頃。のっそりと起き上がったイザンバは、自らの頭に手をやった。


「さっき頭を撫でられたら安心感がすごかった。なんだアレ、癒しの手? コージー様すごい」


 と、独り言を溢す。そしてケイトが淹れたお茶を飲み、更に気持ちを落ち着かせて一息吐いた。

 扉の方に目を遣るが、コージャイサンが戻ってくる気配はない。

 何処に何をしに行ったのか見当もつかないイザンバは、本を読み待つ事にした。先ほどとは違いテンポよく聞こえるページを捲る音に、イザンバの回復具合が(うかが)える。


 本の世界に没頭していると「コンコン」とノック音がイザンバを呼び戻す。

 今屋敷にいるのは家人とコージャイサンのみ。ちょっと待って今良い所なの、と彼女はなんら気を遣わずに視線を本に落としたまま返事をした。


「はーい」


 ガチャリ、と扉の開いたあと誰かが入ってきたが、どう言う訳か声を掛けてこない。

 不審に思い扉の方へ目を向ける。すると、そこには一人の男性が立っていた。

 高い位置で結われた赤紫の髪、切れ長の紫眼でとても整った顔立ちをしている。

 身に付けているのは黒の軍服で縁取りは金、差し色に瞳と同じ紫だ。足元は編み上げの黒ブーツ。そして、なぜか教鞭を持っている。


 イザンバは己の手元にある本の表紙に目を向けた。そこには、とある人物が描かれている。

 高い位置で結われた赤紫の髪を靡かせ、切れ長の紫眼は力強く何かを睨み付けている険しさがある。

 黒の軍服で金の縁取りと紫の差し色。編み上げの黒ブーツを着用しており、その手に握るサーベルで今にも斬りかかってきそうな男性の絵である。


 もう一度扉の前の人物を見る。やっぱり居る。そして表紙を見る。


 三度扉の方に視線を送り、ようやっと反応を示した。


「ち」


「ち?」


 何が言いたいんだ? と扉の前の人物が首を傾げる。


「忠臣の騎士シリウス様ぁぁぁぁぁぁ!」


 まさに絶叫。扉は閉められているが、イザンバの声が廊下まで漏れている事は間違いない。


「え? あ、えぇぇええぇ!?」


 そして混乱。立ち上がったかと思うと、扉の前と本を四度見、五度見で確認。くるりとケイトの方を向きその是非を問おうとしたが、こちらはイザンバの大声に驚いて固まっているではないか。


 ——なんかごめん。


 と少しだけ頭が冷えたところで、恐る恐る扉の方を向き直る。

 そして、改めてその人物と目を合わせると、慌ただしく近づいて淑女の礼(カテーシー)をした。


「あわわわ、失礼しました! よう、ようこそおいで下さいました貴方の大ファンです私イザンバ・クタオと申します!」


 言っている事がぐちゃぐちゃだ。淑女の仮面を被る間も無かったらしい。


「ザナ、落ち着け。俺が分かるか?」


 お辞儀をしたままだったイザンバの耳に馴染むこの声は……。

 がばり、とイザンバが勢い良く顔を上げても動じない人物。まじまじとその顔を注視すると、イザンバから更なる声が上がった。


「ふおぉぉぉぉ!! コージー様!! え!? え!? ナニソレどうしたんですかー!!??」


 扉の前の人物の正体はコージャイサンだった。気付いてもらえたことにホッと息をつくと、コージャイサンが事情を説明する。


「これか? 家にあったものだ」


「家にあった!? だってそれ、二百年は前の……って、ご先祖様か!」


 オンヘイ家の歴史は長い。国防に携わってきたからこそ、歴代の騎士団や魔術士団の制服があってもおかしくはないのだ。

 自分で言ってその可能性に行き着いたイザンバに、よく出来ましたとコージャイサンが頷きを返す。


「そういう事だ。ついでに、ほら。もう一人」


「ふぉうわぁぁぁ!! 騎士様が、騎士様が二人!」


 そう言ってコージャイサンが紹介したのは、ハイエ王国に多い茶髪に茶色の瞳の平凡な顔立ちの男性だ。

 だがその平凡さとは裏腹に、差し色が薄い水色の黒の軍服と編み上げの黒ブーツを違和感なく着こなしている。

 彼はあまりのイザンバの声量に顔を顰めていた。

 イザンバもわざとではなく、テンションと共に声量が跳ね上がってしまっているだけなのだ。許してやってほしい。


「ヤバい……まじでヤバい」


 イザンバの内心を次々と想いが塗り替える。「オンヘイ家は物持ちいいな」とか「二百年経っても原型留めてるものなの!?」とか「コージー様、やっぱ軍服似合うなチクショー」とか「あの教鞭、どっかで見たぞ」とか「軍服祭りヤッフー!」とか。

 その他諸々(もろもろ)を全てこの一言に込めた。


「ご先祖様、グッジョブ!」


 感涙が笑顔とサムズアップをより煌めかせた。


「これはカツラですか? お化粧……というよりもはや特殊メイク? 変わるものですねぇ。あ、瞳の色も綺麗に変わってますね!」


 イザンバはソファーに腰掛けたコージャイサンの側に寄り、無遠慮に、興味深そうに観察をする。

 髪に触れ、頬に触れ、瞳を覗き込む。実に楽しそうだ。

 その間、コージャイサンはされるがまま。パーソナルスペースの概念? そんなものは上がったテンションに蹴り飛ばされてお出掛け中だ。

 そんなイザンバにコージャイサンが呼び掛けた。


「どうだ? 少しはその表紙の絵に似ているか?」


 その言葉にイザンバは衝撃を受けた。彼はただ軍服を着ただけではなく、イザンバが好きな忠臣の騎士シリーズのシリウスに似せてきたのだと言う。

 この国にコスチューム・プレイ略してコスプレの文化はない。

 それなのに、身近な婚約者が自力で2.5次元の発想に辿り着くなんて……とその事実にイザンバはヨロヨロと跪き、両手を合わせて祈りを捧げだした。


「尊い尊い尊い尊い尊い尊い尊い尊い尊い尊い……」


「え? この人はなんで拝んでんの? 気持ち悪ぃんだけど」


 突然のイザンバの行動にコージャイサン以外の面々は驚きを禁じ得ない。ソファーの後ろに控えていた騎士なぞ思ったままを口に出している。


「よし。褒め言葉だ」


「コレ褒めてんのか!?」


「『尊い』とは『最高・素晴らしい』と言う意味だ。覚えておけ」


 コージャイサンの言葉に騎士は胡乱げな表情になる。覚える必要はなさそうなのに、この先も幾度となく聞くことになる予感はする。はぁ、と溜息を了承の意として返した。

 そんな二人を他所に、イザンバは疼く好奇心に従いコージャイサンに尋ねた。


「メイクはシャスティがしたんですか?」


「いや。頼んだら赤くなって青くなって、また赤くなって倒れたんだ」


「あー、うん。お化粧が出来ることに興奮して赤くなって、公爵子息にするって事に気付いて緊張と恐れ多さで青くなって、コージー様の美貌に当てられて赤くなって倒れた、と」


 まるでその場で見ていたかのようにイザンバがコージャイサンの足りない言葉を補う。これはコージャイサンだけでなく、シャスティの事もちゃんと分かっているからこそ。

 因みにではあるが、シャスティは既に復活して壁際で控えている。少し恥ずかしそうにしているのはご愛嬌だ。


「で、結局誰がしたんですか?」


 いくらコージャイサンでも、ここまで変装に近いメイクが出来るとは思わない。シャスティでなければ誰なのか。


 ——他に誰か居たっけ?


 とイザンバは素直に疑問を口にする。

 答えとしてコージャイサンがクイッと顎先で示したのは、ソファーの後ろで控えている騎士。


「どちら様ですか?」


「あれ? さっきイルシーって言わなかったか?」


「え?」


「え?」


 その言葉にコージャイサンとイザンバは顔を見合わせる。数拍おいて、イザンバが騎士つまりはイルシーの方を見た。


「……なんだよ」


「えー!?」


 イルシーがぶっきらぼうに返答を寄越せば、イザンバが驚愕を露わにする。さっきから叫びっぱなしだ。


「イルシーが顔出してる!」


「そっちかよ!」


 このツッコミのテンポはイルシーだ。

 イルシーと言えば、目深に被ったフードで口元だけを出していたはず。『イルシー=フードを被った怪しい人』という認識はクタオ家の中でイザンバだけではなかっただろう。むしろそれが無ければ彼だと分かるはずがない。

 コージャイサンの命令なら顔まで出すのか、とイザンバは感心した。

 そして、ソファーから見上げる形で至極当然の質問をイルシーに投げかけた。


「これ、素顔ですか?」


「ンなわけあるか。変装に決まってんだろぉ」


「へんそう」


 イルシーの答えをイザンバが繰り返す。変装。つまりは作られた顔。

 その言葉にイザンバはスススと机の上に置かれていた本を引き寄せると、イルシーに向き直った。


「ねぇ、イルシー。ちょーっとこの顔になってくれません?」


 表紙の人物を指差しながらニコーッとイザンバが笑う。イザンバが指差したのは、忠臣の騎士シリウスの隣に描かれている男性騎士のリゲルだ。


「はぁ? 何でだよ」


「だって折角シリウス様と並ぶんですよ? 美形と平凡モブもいいですけれど、やっぱり並ぶならこっちの方がいいじゃないですか」


 顔を顰めるイルシーに対してもっともらしい事を言っているが「表紙の二人が目の前に並んでいる所を見たい!」というイザンバの願望がしっかりと透けて見える。

 拒絶の意をイルシーが表そうとした瞬間。


「ああ、確かに。こっちの顔の方が今の俺と並ぶとしっくりくるな」


「でしょ!? コージー様もそう思いますよね!」


 ここでコージャイサンの援護射撃! なんということでしょう。途端にイルシーは断れなくなってしまった。

 イルシーに与えられた選択肢はただ一つ。

 コージャイサンの無言の圧力とイザンバの期待に満ちた目。二人の視線がグサグサと突き刺さる。


 ——ほんっっっとコージャイサン様はイザンバ様に甘いよな!


 喉まで出かかった悪態をイルシーは飲み込むしかなかった。


「あー、クソッ! やりゃいいんだろ! やりゃあ!」


 いや、飲み込み切れていなかったようだ。だが、コージャイサンもイザンバもこの程度なら全然気にしない。

 イルシーの了承に更に瞳を輝かせたイザンバから本をひったくり、彼は足取り荒く部屋を出て行った。

 その後ろ姿を見送り、イザンバがボソリと溢す。


「コージー様ってすごいですね」


「うん?」


 イザンバだけが頼んだのなら確実に断られていたか、依頼料を請求をされていただろうに。鶴の一声とはこの事か。

 称賛に対して緩く口角を上げてから、コージャイサンはお茶を口へと運んだ。


 驚きの声を上げ続けた喉を潤していると、数分もせずにイルシーが戻ってきた。

 無言で部屋に入ると、ズカズカとイザンバに近づき本を押し付けるようにして返す。その後、ソファーに腰掛けるコージャイサンの後ろにスッと控えた。

 さぁ、イザンバの反応は如何に!


「キ………………ターーーーーー!!!! シリウス&リゲル主従キター!!」


 これぞ狂喜乱舞。両手を上げ、喉を突き破るように出た歓喜の声は屋敷中に響き渡った。


 改めて変装をしてきたイルシーの姿は、表紙の絵を忠実に再現していた。

 水色の髪に、アイスブルーの瞳。ともすれば冷たい印象にしかならない色合いは、幼い顔立ちと分かりやすい表情で緩和されている。

 その成人男性にしては幼い顔立ちが、厳つい軍服とはアンバランスで何やら危ない香りをも醸し出すのだからたまらない。

 先程の平凡顔は取っ付きやすそうであったが、こちらはつい構いたくなるような可愛らしさがある。例え睨みを効かせていても怖くはない。むしろ和む。


 イザンバはコージャイサンの隣から立ち上がると、二人がよく見える位置まで素早く移動した。

 彼女の眼前には、ソファーで足を組みながら不敵に微笑むシリウスと、その後ろで相手に圧をかけるように険しい顔をしたリゲルがいる。


「これです! これが2.5次元ですよ! 設定だけパクって俳優の顔のままでしている三次元とは訳が違います!」


 興奮を抑え切れないイザンバが「見て!」とメイドの二人に主張する。


「わぁー。よく分からないけどお嬢様が嬉しそうなのは分かりました」


「興味なさそうですね! 素直でいいと思います!」


 イザンバの言葉を理解していないのか、ただ単に興味がないのか。ケイトの返事は実にあっさりとしたものだった。

 共感出来るかどうかは人それぞれなので、イザンバも特に気を悪くする事もなくケイトの感想を受け入れる。


「この短時間でどうやって? さっきの顔よりも目が大きいし、輪郭まで違う。これは本当にメイクなの?」


「着眼点はそこなんですね! 仕事熱心でいいと思います!」


 シャスティは服飾担当と言う職業柄かメイク術が気になるようだ。全くの別人となったイルシーを眼光鋭く観察している。

 こちらもイザンバが望むような共感は得られなかったが、シャスティの情熱は受け入れた。


「あー、イザンバさ……」


「待って! 喋らないで!」


 兎に角落ち着け、とイルシーが声を掛けたが、それをイザンバは遮った。そして、目に力を入れて真剣に語りだす。


「イルシーはリゲルがどんなキャラか知らないでしょう? いくら姿形を写していても貴方はリゲルじゃない。成り切れていないのであれば喋ってはダメです! リゲルが崩壊する!」


 崩壊とは酷い言い様だ。眉根を寄せてイルシーが反論する。


「それはコージャイサン様も一緒だろ」


「俺はザナに勧められて一通り読んだから大丈夫だ」


 なんてこった、とイルシーは天を仰ぐ。コージャイサンは既にイザンバの毒牙にかかっていたのだ。援護射撃は望めない。


「知らないなら知らないで大丈夫です! 今度全巻お貸ししますね!」


「いらねーよ!」


 爽やかなイザンバの申し出を即座に切り捨てたイルシー。そう何度もこんな格好するか、とガンを飛ばす。


「リゲルの威嚇、可愛い! 今はポージングしてくれるだけで十分です! 台詞は私が脳内で補完しますから!」


「人の話を聞け!」


 しかし、例え睨まれてもそれが好きな作品のキャラならば嬉しいだけ。二人の会話が全く噛み合わない。そんな事には頓着(とんじゃく)せずに、上がるテンションのままイザンバは高らかに言う。


「さぁ、成り切って! シリウス様は不敵に笑って! 騎士団員が魔王と恐れるように高圧的に! リゲルは不服そうな顔に……」


 皆まで言う必要はない。イルシーは最初から不服そうである。そして、それはイザンバの脳内で描いていたリゲルと一致した。


「やっだもう! イルシーってば天才ですか!? 今の表情はまさにリゲルそのもの! 流石(さすが)は変装の名人です!」


「ちょ、鼻息荒い」


 イザンバは昂るあまり、いつもは取れている距離感をすっ飛ばしてイルシーを称える。

 しかし、その近さに戸惑ったのはイルシーだ。彼は思わず後退(あとずさ)りをした。


 と、不意にイザンバの腕がグイっと後ろへと引っ張られた。流れるようにコロリと何かの上に横たわったイザンバが目にしたのは麗しい顔。


「『おい、お前が見るべき相手はこの俺だろう。余所見をするな』」


 そう言うと、コージャイサンがそれはそれは不敵な笑みを浮かべた。


「ひゃあぁぁぁ! それはシリウス様が強敵と対峙した時のセリフ! ちょ、ま、それはヤバい!」


 膝の上から転がり落ちるように退()くと、一気にコージャイサンから距離を取る。推しキャラの攻撃力は半端ない。


「きゃー! お嬢様、鼻血が!」


「大変! お嬢様じっとしててください!」


 なんと攻撃は鼻にクリティカルヒット! 鼻血に慌てたのはシャスティとケイトだ。やれ拭くものを、やれ着替えをとてんやわんやしている。

 そんな状況は見ている方が冷静になる。


「なぁ、コージャイサン様。なんでイザンバ様がいいのか、やっぱり俺には分らねーんだが」


「そうか? ザナは見てて面白いだろう?」


「いや、面白いっつーか……ヒクわ。アレ、女として色々捨てすぎじゃねぇ?」


 アレはない、とアイスブルーの瞳が訴える。紫眼は一瞬だけ視線を合わせると、前を向く事でその訴えを退(しりぞ)けた。


「……だが、どんな事でも楽しみ方を見つけた者の勝ちだぞ」


「色々捨ててる所は否定しないんだな」


 甘い割にフォローが雑だな、とイルシーは呆れ顔だ。

 それを無視して、姦しい声を聞きながらコージャイサンはコクリとお茶を飲み干した。

いつぞやにイザンバが似合うと言った軍服を着てもらいました!

イルシーはただの道連れです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「『おい、お前が見るべき相手はこの俺だろう。余所見をするな』」 毎度のことながらコージャイサンがイザンバに対して独占欲じみたものを見せるたびに「それは愛なのではーーーーーっっ!?!?…
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