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イザンバ、頑張るの巻。

 和らいだ暑さに小鳥が(さえず)り、花を愛でるのに心地良い新涼の季節。

 ここはハイエ王国のとある貴族の邸宅。立派なお屋敷を背景に、季節の花が咲き誇る様は大変美しいものである。

 さて、なにも囀るのは小鳥ばかりではない。心地良い季節は人を呼び寄せる。今こちらの邸でも季節に合った軽やかな色合いのドレスで着飾った令嬢たちが集い、庭に更なる彩りを与えているのだ。


 そんな咲き誇る花の中の一輪、淡いグリーンを基調としたドレスのイザンバ・クタオ伯爵令嬢がいる。

 胸元や袖、裾には白いレースを。そして、肩からウエストに向かう濃緑がふんわりとした印象を引き締める。

 彼女は淑女の仮面を被り「うふふ、おほほ」と集う花たちと笑い合っている。


 しかしその実、イザンバはとてもうんざりしていた。


 ——あー、帰りたい。ナニコレ私いる意味ある? 碌な話題もないなら呼ばないでよ。帰って本読みたい今すぐ帰りたいホント帰りたい。


 愚痴っぽい内心なのだが、勿論それを顔に出すべきではないと言う事は重々承知している。

 だからこそ、分厚い装甲の下でひっそりと息を漏らす事で切り替えを試みた。


 と言うのも、学園を卒業した彼女はあらゆる貴族からお茶会に招待されているからだ。

 だが、そこはイザンバだ。吟味に吟味を重ね、最低限の出席で抑えている。

 それでも、引き籠もっていたいイザンバからしたら多いのだろう。オンヘイ公爵子息の婚約者と言う立場では、ままならないのがもどかしい。


 例えば、ある伯爵家でのお茶会では……


「今日のドレスは今注目されているデザイナー、ロナコ・ウィルソンのものです。まだ抱えているお針子も少ないようで本人も中々忙しいみたいですわ。急がせたので少々お値段が張りましたけれど、素敵に仕上がっていると思いませんか?」


 愛らしい伯爵令嬢は、それは嬉しそうにドレスの事を話しながら裾を揺らして見せる。

 すると、途端に令嬢に向けられる羨望の眼差し。ゲストの令嬢たちはドレスを見る目に嫉妬を隠しながら、その仕上がりに称賛の声を上げた。

 そんな中、ゲストの反応に満足気に頷いていた主催者の伯爵夫人は、徐にイザンバに目を向けると上から下へ、細部までじっくりと観察をした後に口を開いた。


「イザンバ様の今日のドレスは、何というか……懐かしい感じですわね。まるで私の娘時代を思い出しますわ」


 どこか侮蔑を含んだ笑みでドレスの感想を述べたのだ。要約すると「古臭いドレスね」である。


「ありがとうございます。これはオンヘイ公爵夫人と共にデザインを考え、エルザ・インフンが作ってくれたものですの。……そう言えば、伯爵夫人はオンヘイ公爵夫人と同時期に学園にいらしたとか。良き娘時代のお話、是非お聞かせください」


 対するイザンバは、すぐさま公爵夫人の名を借りて反撃した。

 すると、ゲストの令嬢たちはファッションリーダーでもある公爵夫人、毎年必ず流行作を出すデザイナーの名に敏感に反応し、そのまま話題が流れていくではないか。

 なにもイザンバは普段からこんな物言いをしているわけではない。これは「マウントを取ろうとする奴は権力に弱いから、使えるものは使いなさい」と言うオンヘイ家のご好意だ。


 王妹であり、社交界を牽引する一人であり、ゴットフリート・オンヘイ公爵閣下とはおしどり夫婦で知られているセレスティア・オンヘイ公爵夫人。

 豊かで艶やかな金髪と強い意志の宿る碧眼。子持ちとは思えぬスタイルはゴットフリートの為に彼女自身が努力した賜物だ。

 教養もあり、元より王族として堂々とした立ち振る舞いをしていたが、愛し愛された年月を過ごした事で若い頃よりも一層の余裕と色香を醸し出している。

 懐に入れたものに対してはとことん可愛がる質で、それを抜きにしてもセレスティアとイザンバの仲は良好だ。嫁姑の確執は今のところ産まれそうにない。


 そんなセレスティアと同年代の女性ならば、まず彼女には敵うまい。現に伯爵夫人の顔は引き攣っている。

 虎の威を借る狐、大いに結構。


「イザンバ様は周りに恵まれておりますわね」


 笑顔でそう言ったのは主催者側の伯爵令嬢だ。場の空気を持って行かれた事、しかもイザンバ自身ではなく「オンヘイ公爵家と人気デザイナーの力を利用した」と暗に非難している。

 それを読み取ったイザンバは、にっこりとした笑みを返すだけ。「どちらにも正規のルートできちんと了承も得ていますが?」と、こちらも言外(げんがい)に意味を含めている。

 淑女の仮面はどこでもフル稼働だ。


 別の日に開かれた子爵家でのお茶会では……


「いいですか? 『若さ』と言うモノは今だけなのです。適齢期を過ぎてしまえば、大してアピールポイントのない令嬢は年嵩の貴族男性の後妻か妾か、はたまた庶民に落ちぶれるかとなってしまうのです」


 無口な子爵令嬢に代わり、グイグイと場を仕切る子爵夫人。適齢期を迎えている令嬢たちに対して何とも失礼な物言いだ。

 そして、神妙な顔付きでイザンバに向かってこう言ったのだ。


「万が一、万が一ですわよ? オンヘイ家から婚約を解消されたとなれば、中々次の相手は見つからないでしょう。ですから、イザンバ様。まだ若い今のうちに……ねぇ?」


「そこが貴族女性の大変なところでございますね。ああ、子爵夫人もお嬢様の事に大層気を揉まれている事でしょう」


 若さは今だけ! 乗り換えるなら今でしょ! なセールストークをストレートに打ち返した。いやいや、私よりご自分の娘様に気をお配りくださいませ、と。

 このままでは話題に困ると考えたイザンバが、件の令嬢に水を向けてみた。


「例えばですが、どのような男性とご一緒になりたいのですか?」


「……私はとくには。両親に任せておけば安心なので」


 しかし、肝心の子爵令嬢の答えはこの始末。


「そうですか。それなら安心ですね」


 そんな子爵令嬢にイザンバはにっこりと相槌を打つに留めた。


 ——安心、じゃないでしょう! 貴女のお母様めっちゃくちゃコージー様を狙っていますけど!? せめて自分の好みくらい主張したら如何でございましょうかー!


 と言う言葉は決して口に出さないように奥の奥へと飲み込んだ。


 可憐で儚げな、まるで妖精のような子爵令嬢は両親から大切にされてきた。しかし余りにも大切にしすぎて、適齢期を五年ほど過ぎてしまったのだ。

 焦りから斜めに突き進む子爵夫妻、何も考えていない子爵令嬢に、良いご縁が結ばれるようお祈り申し上げよう。


 また別の伯爵家でのお茶会では……


「先日とても珍しい茶葉が手に入りましたの。皆さま、何処の茶葉かお分かりになりましたかしら?」


 そう主催者の伯爵令嬢は集まったゲストに自慢気に問いかける。

 誰も分からないだろうと高を括っているのだろうが、これに食い付いた猛者がいたのだ。


「まあ! これはかの英雄ユエイウ・ヴォン・バイエの最愛の妻、レイジア・シサヨの出身国のお茶ですわね! 産地は標高の高い場所で、昼夜の温度差が大きい上に、ハイエ王国とはだいぶ距離がありますよね。これは珍しいですわ」


 イザンバだ。カップを手に取り香りを楽しみ、スッと一口飲み干すとこう言ったのだ。

 そして、まるで過去の光景を思い返すように遠くを見つめて話し出す。


「この独特の渋みと高貴な香り。それに反して喉越しはとても爽やかで、瑞々しい英気があります。レイジア様は婚姻後も目覚め一杯として愛用され続けていたとか。ですが、今は北側との国交も途絶え、このお茶はハイエ王国では滅多にお目に掛かれなくなりました——残念ですわ」


 心底残念そうに言うが、滅多に手に入らないお茶の事に何故そんなに詳しいのか。これも狭く深く偏った知識からである。


「それに、淹れ方にもとても気を使う一品です。蒸らす時間やお湯の温度を間違えれば途端に香りが飛び、渋みは強い苦味に変わってしまいます。この繊細なお茶をここまで美味しく仕上げるなんて……。淹れた方はとてもお茶の事にお詳しいのでしょうね。素晴らしいですわ!」


 レッツ教養チャレンジ! ここぞとばかりに喋る、喋る、喋る。

 話題を振った令嬢がご自慢の一品の蘊蓄(うんちく)を傾ける前に、それ以上の知識を以って喋り尽くす。

 これは令嬢が振る話題を、いや、相手を間違えたようだ。イザンバの圧勝である。


 更にお茶会に関係なく現れるのが……


「私はコージャイサン様の真実の愛の相手! それなのに、貴女がいるせいで私たちは一緒になれないの。こんな酷いことがあるかしら……。愛し合う二人の邪魔をしないで! 今すぐコージャイサン様との婚約を解消してください!」


「あらあらまぁまぁ。そう言った事はご本人様及び公爵家に仰ってください。はい、お帰りは彼方ですよー」


 自称真実の愛の相手。果たして彼女で何人目だろうか。

 しかし、イザンバが相手の言動に動じた様子はない。それどころか実に手際よくオンヘイ家へ行けと流れを作り追い返した。

 こういう手合は相手にするだけ無駄だと、コージャイサンと婚約して一番に学んだのだ。


 にこやかに、華やかに、時に熱烈に。

 女の見栄と意地を隠した綺麗なお茶会にイザンバは参加し続けた。嫌味を右から左へ聞き流し、時にさらりと刺し返す事も忘れない。


 親しい友人とのお茶会ならば、重い溜息も嫌味もないだろう。

 しかし、お茶会とは社交。イザンバを蹴落としコージャイサンの婚約者に収まりたい令嬢や、コージャイサンの弱味を少しでも握りたい令息の母親や姉妹、オンヘイ公爵閣下に取次を願いたい紳士の妻などなど。


 お茶会とは女の、女による、女の為の戦場であり、そこにこっそりと男の欲が紛れている。そんな場所なのだ。


 同年代ばかりの学園とは違い、お茶会や夜会は年齢の幅も広い。装甲は分厚いくらいが丁度いい。

 それでも、連続でのお茶会への出席(てきちしゅつじん)は気力・体力を共に削ぐ。それはもう推しの癒しも間に合わないほどに、ゴリッゴリと削いでいく。


 そんなイザンバにとって過酷で忙しい日々の合間に、コージャイサンの休日を共に過ごす日がやってきた。

 今回はコージャイサンがクタオ邸を訪れるようで、イザンバはサロンのソファーに腰掛け、本を読みながら婚約者の訪れを待っている……と見せかけてただボンヤリとしている。

 いつものように文字を追い、推しの活躍に心躍り「テンション上がるぅぅぅ」とならない程疲れているらしい。うむ、重症のようだ。


「お嬢様、婚約者様がお見えになりました」


「いらっしゃいませ、コージー様。お元気そうで安心しました」


 カジオンの声にハッとなったイザンバが扉の方へ目を向けると、既にコージャイサンが部屋の中に案内されていた。

 緩やかに立ち上がり淑女の礼(カテーシー)を。

 コージャイサンは返すようにクッと口角を上げると、イザンバに近づいていく。


「暫く間が空いて悪かったな。ザナは変わりないか?」


「私は大丈夫ですよ。コージー様がモテるのは今に始まった事じゃありませんからね。ええ、大丈夫ですとも」


 コージャイサンが問うたのは体調についてだったのだが、イザンバの回答はどこかズレている。

 コージャイサンはさり気無くイザンバをソファーに座らせると、跪く形で目線を合わせて続きに耳を傾けた。


「美形三次元様め。本当におモテになりますね。少しくらい誰かに分けてもいいくらいモテますよね。いや、分けても減らないモテっぷりですよね。ここまで来ると腹が立つよりも回り回って感服致します。よっ! 当代一のモテ紳士!」


 イザンバも無理矢理テンションを上げて言っているのだろう。

 聞き届けたコージャイサンは一つ頷くと躊躇(ちゅうちょ)なく切り込んだ。


「本音は?」


 コージャイサンのその言葉にイザンバの動きが止まった。貼り付けた笑みは見る見るうちに剥がれ落ち、後に残ったのは落ち込んだ表情。

 そして、そのまま重力に従いボスリ、とソファーに倒れ込み、クッションに顔を埋めながら呟いた。


「……熟女様もお花畑様も面倒くさい」


「そうだな。アイツらの相手は面倒くさいよな。ザナ、よく頑張ったな」


 そう言いながらコージャイサンは頭を軽くポンポンとするが、イザンバに起き上がる気配はない。そのまま頭を撫で、流れる髪を指先で遊ばせた後、イザンバに声を掛けた。


「ザナ、少し席を外すがいいか?」


「どうぞー」


 くぐもった返事を聞くと、コージャイサンは視線を天井付近に投げた。それに応えるように現れたのはイルシーだ。


「コージャイサン様、どうした?」


「ついて来い」


「え? 俺何かした?」


 戸惑うイルシーを連れてそのまま退室。そして、廊下に控えていたカジオンに声を掛けた。


「例のものはどこにある?」


「はい、こちらにご用意しております」


 カジオンは恭しく頭を下げると、コージャイサンを別室へと案内をしていく。

 さてはて、コージャイサンは何をするつもりなのか。一つ確かな事は、カジオンは知っていて、イルシーは知らないという何ともあべこべな状況だけである。


頑張る子にはご褒美を!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 良い物です [一言] >今注目されているデザイナー、ロナコ・ウィルソン いやあ、確かに注目されてますね 公共施設だと、どこ言ってもアルコール消毒。
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