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イザンバの想いの欠片と、イルシーの考察。

 テーブルに用意された二人分のお茶。まだ暖かさの残るもう一つのカップを前に、イザンバは溜め息を吐き出した。


「あーあ、逃げられちゃった」


 結局お茶も飲んでないし、と先程までイルシーが居た場所を見遣る。名残惜しさを瞬きで隠し、イザンバはカジオンの方へと視線を向けた。


「カリウスさんに十ゴアを支払うから証明書の用意、お願いしますね」


「お支払いするのですか?」


「ええ。それが依頼に対する礼儀。対価を支払うのは当然でしょう?」


 イザンバの言葉に驚きを露わにするカジオン。護衛対象からのお願いなのだから必要ない、と彼はそう考えていたのだ。


「婚約者様にお願いされては如何でしょうか? お嬢様の命を聞くように、と」


「必要ないです」


 にっこりとイザンバはその提案を一蹴した。そして、静かにその理由を述べる。


「カリウスさんが命令を聞くのはコージー様ただ一人でいいんですよ。私は依頼という形を取ります。その方が立ち位置が分かり易いでしょう?」


「かしこまりました」


 イルシーに負けない、執事の見本のような礼をしてカジオンは意に従うことを示す。イザンバはそれを満足そうに眺めてから、それにしても、と溢す。


「……蛙列伝(かえるれつでん)、まだ話していないのに」


「妙なタイトルを付けるのはおやめください」


 非常に残念そうに放たれたイザンバの一言に、カジオンが冷静に斬り返す。さっきまで真面目な話をしていたのに、途端に緩むのはどういう事か。


「ねー、蛙列伝って何?」


「さぁ」


 コソコソと顔を見合わせて首を傾げるケイトとシャスティ。この二人はイザンバが学園に上がる一年前にこの邸に来た。その時は既にコージャイサンとイザンバの婚約は成されていたので、イザンバの言う蛙列伝の事を知らないのだ。


 そんな二人にカジオンが事の次第を説明をする。


「お茶会に退屈したお嬢様がオンヘイ家の敷地内の池の(ほとり)で自然と戯れていた時に、婚約者様が現れたそうです。その時にお嬢様が持っていた花に偶々隠れていた蛙が、婚約者様目掛けてジャンプしたそうです」


「そして見事、顔面に着地!」


 テヘペロ、とそんな事を言うイザンバに、話を聞かされたメイド二人は絶句する。


 初対面、公爵家、美形子息。


 お嬢様、蛙、突撃。


 恐怖、不安、絶望。


 頭の中を駆け巡る単語。状況を想像しただけで綯交(ないま)ぜになる感情。それらに翻弄され、自分がやったわけでも今起こった事でもないのに、酷く落ち込みながらシャスティは声を絞り出す。


「……よく婚約者になれましたね」


「ねぇー。本当、そう思います」


 ケラケラと笑うイザンバに、シャスティは頭を抑え、ケイトは口に手をやり感心する。そして、思うのだ。現状は兎も角、きっかけとしては最悪の話だ。それは記録には残せないな、と。


「因みに、この話は両家の者、使用人においては一部の者しか知りませんので他言しないように」


 ナニソレ重い。クイッと眼鏡のブリッジを押し上げながら発せられたカジオンの言葉は、二人を更に追い詰めた。


「流石はお嬢様ですねー」


 と笑顔で言ったのはケイト。それは褒めているのか貶しているのか。


「くっ……知りたくなかった!」


 そして、シャスティ。グッと手を握り込み悔しそうに言うが、残念ながら手遅れだ。


 イザンバはそんな三人の様子をぼんやりと眺めている。


「だから、いつ婚約解消されてもおかしくない……そう思っていたんですけどねぇ」


 ボソリと溢したイザンバの瞳に浮かぶのは——。

 しかし、誰かが反応を返す前に、話題と共にクルリとイザンバの表情が変わった。


「まぁ、今日はもういいです。確認もできましたしね」


「確認、ですか?」


 ケイトはのんびりとした口調で聞き返しながら、イザンバのカップにお茶を淹れ直す。それを受け取りながら、イザンバから笑みが溢れる。


「そう。コージー様のお言葉の確認。ふふっ」


 コージャイサンが言っていた実力と忠誠心。

 イルシーは風魔法が得意なのか、それともまだ手は隠しているのか。帽子をあちこちに遊ばせた事といい、圧縮した空気砲といい、風を意のままに操れる程の手練れなのは確かだ。いくら魔力値が高くとも、練度が低ければ大雑把な技しか出せないものだ。


 そして、忠誠心。それだけの実力があるにも関わらず、これまでイザンバには一切傷を付けていない。護衛に不服そうではあるが、コージャイサンの命をきちんと守っているからだろう。惚れ込み具合も分かったし、そこにイザンバの心配というのは無用の長物だ。


 更に性格も少し分かった。イザンバの要請に応え続け、会話をし、ツッコミまで行う。つまりはツッコミ体質で律儀。元来の性格か、それとも演技なのか。どちらにしても面白いなぁ、とイザンバは思った。でも……。


「私、頑張った! めんどくさかったけど、ちょー頑張った! だから明日は一日部屋に引き篭もって推しに癒されまーす!」


「どうぞ、ご随意に」


 イザンバの宣言にカジオンは了承の意を返す。今日はこれにてお開き、と言う空気の中、その流れを止めに入る者が一人いた。


「お嬢様」


 シャスティだ。視線を向けるイザンバを真っ直ぐに見据えて、彼女は疑問を口にした。


「あの方は信用できるのですか?」


 おや、とイザンバは目を見張った。そんな言葉がメイドであるシャスティから出てくるのは意外であったのだ。カジオンなら、と考えるが、彼は勝手に審査してそうだから敢えて言ってこないだろう、とこちらも勝手に思考を締めくくる。

 そんな事よりシャスティだ。イザンバは彼女の問いに答えながら、小首を傾げた。


「出来ますよ。どうしてそんな事を聞くんですか?」


「やっと姿を見せたかと思えばあのような態度。無礼にも程があります。いくらオンヘイ家のご紹介とは言え、暗殺者なんて怪しすぎます」


 シャスティがそんな言葉を嫌悪感と共に吐き出した。それを聞いたイザンバはクスクスと笑う。


「そうですね。怪しい事この上ないし、私も彼自身の事をよく知りません」


 でもね、とイザンバは続ける。


「彼をそばに置くことを決めたコージー様のことはそれなりに知っているつもりです。そのコージー様が彼を信用しているんです。なら、私が彼を信ずるに足ると判断するには十分でしょう?」


 イザンバのそれは、あくまでもコージャイサンを介しての信用だ。自分の感情よりも判断よりも、直接聞いたコージャイサンの心に準ずる。


「彼自身を信じるかどうかは……まぉ追々でいいんじゃないですか? 長い付き合いになりそうですしね」


 能天気な言葉にシャスティはがっくりと肩を落とす。それでも気持ちを立て直すと同時に正した姿勢。前を見据えたその瞳には決意が滲み出ていた。私がしっかりせねば、という決意が。


 ちなみにケイトの方はと言えば「お嬢様、頑張ってー」と笑顔でエールを送っている。彼女は余り深く考えない質なのかもしれない。




 そんな会話をいつも通りの場所に戻り聞いていたイルシーは、成る程ね、と得心した。

 顔合わせ以来、自分に無関心だったイザンバの突然の行動。いくら信頼関係を築けと言われたとはいえ、得体の知れない者に対して警戒心がなさすぎる、と思っていたのだ。だが、なんて事はない。その裏に確信となるコージャイサンの存在があったからだ。


 そんな理由だけでよくここまで動けるもんだ、と半ば尊敬に近い気持ちがイルシーの中で芽を出す。


 それはコージャイサンに対する信頼の深さ——二人が八年かけて築いてきた関係性——の為せる技なのかもしれない。けれど、とイルシーは思案する。


「盲目的な信用ってのは、危うさも孕んでるもんなんだがなぁ」


 一度でも裏切られた事があれば、ここまで無条件に信じることは出来ない。コージャイサンのみならず、オンヘイ家の名を利用されたりしてこなかったのだろうか。敵対する側の思考に立てば、コージャイサンを騙すよりもイザンバを騙す方が格段に難易度は下がるはずだ。


 どんだけ能天気に守られてきたんだか、と苛立ちからフードで見えぬ眉間にシワが寄る。そして——。


「蛙列伝ってなんだよ」


 記録に残っていない話、そのあまりの内容にがっくりと項垂れた。


 イルシーは考える。イザンバは変な女だ。

 貴族のお嬢様らしからぬところが大いにあるが、時折違う一面も垣間見せる。強かに流れを作る姿だ。それでもイルシーが読み切れないのは、イザンバの無駄にある知識のせいか、行動力のせいか。振り回された感じはあるが、まだ家の中に止まっていただけマシと言うものだ。


 そう言えば、と今度は思考を別方向へと飛ばす。

 以前はコージャイサンの服だの主従だのと騒いでいた。それなのに、今回聞いた話では自分の婚約者にもかかわらず、コージャイサンに対しては関心が低いのではないかと疑念を持った。けれど、信頼だけは絶大だ。


 そこが分かんねーな、とイルシーは頭を掻く。


 危惧するとすれば、その信頼への盲目さか。鑑みれば、ドラゴンも暗殺者も危険度は高い。いくらコージャイサンが国有数の実力者でも、イザンバ自身はお荷物でしかないのだ。もう少し危機感を持て、と言いたい。


 イザンバの行動も言動も、何かが噛み合わない。その何かがイルシーには分からず、彼は不快感を覚えた。だが、考えても分からないものに囚われていてもしょうがない、と思考をあっさりと切り替える。


 とどのつまり、イルシーの考えを纏めると、イザンバは変で、突拍子もなくて、警戒心が薄く能天気な女、と言うことになる。


 さて、イルシーが切り替えた思考の先、それはやはりコージャイサンだ。


 コージャイサンと初めて対峙した時。喉を掻き切ってやろうとしたナイフは届かず、数人がかりでも抑える事すら出来ない強さに圧倒された。

 イザンバの助言を冷静に聞き、瞬時に判断出来る慧眼には恐れ入った。

 悠々と暗殺者と対峙するその胆力には、王者の風格すら感じた。


 這い蹲りながら見上げたコージャイサンの姿に思ったのだ。『この人が俺の(あるじ)だ』と……。

 技を、忠誠を、命を、この人になら捧げてもいいと、そう思いイルシーはコージャイサンを追いかけて来たのだ。成る程。拳を交えた男同士の絆というものは、ガッツ溢れる女子にも劣らないらしい。


 直接的な言葉をコージャイサンが口に出すことはないが、その態度でイルシーの実力を、存在を認めている、という事は伝わっている。


「頼んだぞ。イルシー」


 そう言われたときの高揚感を思い出し、知らずイルシーの士気が高まった。


 コージャイサンの周囲の期待に押し潰されない気力。己を突き通す信念。魔力を多様に操る柔軟性。人を惹きつけるカリスマ性。敵にも味方にも容赦はないが、それはそれでいい。そんなものは、こっちがついて行けばいいだけの話だ、と根性論を叩きつける。


 泰然とし、不敵な笑みを浮かべる絶対強者。それがイルシーにとってのコージャイサンだ。もし、これをイザンバが聞いたら……その惚れ込み具合に「貴方が乙女か!」とツッコミをしてくれるのではないだろうか。


 そんなが男も惚れ込む男、コージャイサンが何故イザンバを婚約者にと拘るのか。それもまた、イルシーには分からない。だからこそ……。


「ま、要観察だな」


 勝気にそう呟く。コージャイサンに婚約解消の意思はない。それならば、イザンバとイルシーの縁も切れることはないのだ。観察(見る)時間は十分にある、とイルシーは踏む。


 そうこうしている内に、サロンからイザンバが去るようだ。その気配を感じ取り、イルシーもまた静かに影の中にその姿を隠した。




 後日、イルシーに対してイザンバからきちんと十ゴアが支払われた事を、ここに明記しておく。


 これにより調子にのったイルシーが、事あるごとに金銭を要求するようになるまで、あと——日。

 イザンバから遠慮がなくなり『イルシー』と呼び捨てになるまで、あと——日。

 コージャイサンがやいやいと言い合う二人を見て、イザンバに本を贈るまで、あと——日。


 思惑は行き違う。然れどその目は相手を、その先を見つめている。

 青い果実は時をかけて熟成するのだ。ゆっくりと、じっくりと。

 これから積み重ねられていく時間が、彼らにどういった変化を与えるのか。少し未来(さき)を知るアナタになら、わかる事だろう。

これにて「イルシーの考察」は了と相成ります。

読んでいただきありがとうございました!

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