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イザンバv sイルシー! 開幕!(血は流れません)
徹夜事件の翌日、こちらに私室前で仁王立ちをしているイザンバが居る。
彼女は昨日、徹夜した事をメイドにこってりと絞られ、適度な仮眠の後にメイドの気が済むまで肌を捏ねくり回されていた。そうしたメイドの頑張りのお陰か、お肌の調子はいい感じに仕上がっている。どうやらオンヘイ家からのご厚意に従い、惜しみなく磨いたようだ。
そんな一日を経たイザンバが「よし!」と気合を入れて、空中に向かい声を張り上げた。
「カーリウースさーん! あっそびーましょー!」
あまりの事にイルシーは反応が遅れた。貴族のお嬢様が下町の子どものような呼びかけをするなどと、誰が思うだろうか。いや、思わない。
「んー? 居ないのかしら?」
なんの反応も返ってこない事にイザンバは首を傾げる。そして、スゥーっと息を吸い込み再度挑戦の態勢に入った。
「カーリー……」
「やめろ」
イルシーはイザンバの背後に立って掌で口を塞ぎ、ドスの効いた声で凄んだ。相変わらずフードに覆われた目元は見えないが、声が分かりやすく不機嫌を伝えている。しかし、イザンバは怯える様子もなくケロリとした反応を返すだけ。
「いふぁ」
なんとも間抜けな音が響いた。口を塞がれている為、言葉は正しい形を成さぬままに放たれたのだ。ムッとしたように口を真一文字に引き結んだまま、イルシーはイザンバの口から手を離して問うた。
「何なんだよ。あんなデカい声出して」
「いやー、今日はいい天気ですよね! 洗濯物もいい感じに乾きそうですし、クッション干してもフカフカになりそうですよねー!」
「は?」
問い掛けに対して唐突に始まったお天気談義。チラリと目を向けた空は確かに青空が広がり、暖かな日差しがさしている。
「ピクニック日和って言うか、ほら、気分も開放的になっちゃったりしません?」
「はぁ」
気の抜けた返事になるのも仕方がない。イザンバは腕を広げて開放的な様を表現しているが、このお嬢様は何が言いたいんだとイルシーの中に疑念が湧く。
「そう言えば、まだカリウスさんの歓迎会してませんでしたね! 折角のお天気ですし、今からどうですか?」
「はぁ?」
何をどうしたら今から歓迎会などと言う思考になるのか。良い事思いついた! と言うようなイザンバとは対照的に、一体何を考えたいやがる、とイルシーの疑念は更に深まってしまった。
「うーん。あーもう!」
そんなイルシーが抱く疑念を感じ取ったのか、はたまた流れが悪いと判断したのか。落ち込んだ空気をぶった斬るように声を上げたイザンバは、イルシーを強く見遣るとこう言い切った。
「面倒だから白状します! コージー様がカリウスさんと信頼関係を築けと言うので、お話の場を設けたいです!」
諦めた。何とかオブラートに包み、上手く事を運びたかったイザンバだが、早々に諦めた。徹夜の成果に関しては……うむ、致し方ない。
「コージャイサン様が?」
「そうですよ。そうじゃなかったら話しかけませんし」
まるでわざわざお前の為に時間を割いていると言うようなイザンバの物言い。これにはイルシーもカチンときた。はっ、と鼻で笑うとイザンバを見下した。
「ご苦労なこって。それで? 何を話すんだぁ?」
「そうですねー。……何かあります?」
考える様子を見せながら、小首を傾げてイルシーに尋ねた。そんなイザンバに、疑問に疑問で返すんじゃねぇ、とイルシーの機嫌は下降の一途を辿る。腹が立ったイルシーは、更に疑問で返すことにした。
「あるから呼んだんじゃねーのかよ」
「まさか! ノープランです!」
おい、と思わず半目になっても許されるだろう。考えなしに人を呼び出すその神経を疑う。しかし、これ以上は付き合う必要がない、と判断したイルシーは解散を申し出た。
「じゃ、解散だなぁ。近くにはいるから、用がある時だけ呼んでくれ」
「ふーん」
「なんだよ」
なんか不満でもあんのか? と暗に言うイルシーに対して、イザンバはにっこりと、綺麗に作った笑顔を見せた後にこう言った。
「分かりました! そうしますね!」
少し訝しみながらも返事を聞き届けたイルシーは、何事もなかったかのように姿を消した。
だが、この時イルシーは気付いていなかった。これがイザンバとイルシーによる仁義なき攻防戦の幕開けになると言う事を……。
その後、イザンバはメイド達と庭でピクニックを始めた。先程イルシーを誘った時点でもう準備はしていたようだ。
「マジでやる気だったのかよ」
その呟きに含まれた驚きと呆れ。全く何考えてんだか、とイザンバ達の死角になる位置からイルシーは見守りの姿勢を取った。
穏やかな時間が続いた中、風の悪戯心が疼いたのだろうか。イザンバの帽子が攫われ、高い木の先へ。
「大変! お嬢様、一先ずはこの日傘をお持ちください! 私は誰か呼んできますので!」
「ああ、これなら大丈夫。任せて!」
まさか自分で登る気か? とメイドとイルシーの思考が揃った所で、イザンバは胸一杯に吸い込んだ空気を声とともに外に出した。
「カリウスさーん! 帽子、取ってくださーい! 風に飛ばされて木に引っかかっちゃいましたー!」
「そっちかよ!」
思わずツッコミを入れてしまったイルシーを誰が責められるだろうか。姿は見えないが、確実にこちらに向かって放たれたツッコミを聞き、イザンバはそちらの方に視線を投げる。その視線がイルシーと合う事は無かったが、不意に溢れたため息が一つ。イルシーは帽子に意識を集中させて風魔法を行使した。帽子は木の拘束から離れ、持ち主の元へ……。
「ありがとうござい……え? あれ?」
手元に落ちると見せかけて、帽子はまたフワリと空へ向かう。上へ下へ、右に左に。気まぐれに動く帽子を追いかけて、イザンバはタッと駆け出した。
「何処に行くの⁉︎ 待ってー!」
「お嬢様! 日の下を走るなら帽子を被ってください! 日焼け、ダメ、絶対!」
「その帽子が飛んで行ってるんですー!」
今日はイザンバに何度も驚かされた。これくらいの仕返しならいいだろう、と帽子は悪戯に宙を舞う。フワフワと、フワフワと。晴れ渡る空の下、メイドの苦言を背に受けながら、イザンバは帽子を追い掛ける。その指先を何度も掠め、暫し帽子は舞い続けた。
ある時、部屋から廊下に置いた台車まで、せっせと本を運んでいるイザンバの姿があった。そこへ通りがかったメイドが声を掛けた。
「あら、お嬢様。片付けですか?」
「ええ、ちょっと整理整頓をしようと思って」
台車の上にどどん、と積まれた本の数々。イザンバの部屋にも収納スペースは多いにあるのだが、増える一方の本は時折こうして移動をするのだ。
「お手伝い致しましょうか?」
「ありがとう。でも、大丈夫!」
いくら台車に積んでいるとは言え、本も量が増えれば中々の重量だ。女一人、しかもお嬢様に動かせる程の筋力があっただろうか、とメイドが案じた時。いざ、と腹に力を込めてイザンバは声を発した。
「カリウスさーん! 書庫までこの本運ぶの手伝ってくださーい! か弱い乙女にこの量は無理です!」
だよな、とまたため息を溢す。前回の事があったので、イルシーにも心の準備は出来ていたから驚きはしない。流石は若き暗殺者の筆頭、状況対応能力も高い! そんなイルシーは今回も風魔法で対応する事にした。
「ありがとうご……ポルターガイスト⁉︎」
台車はイルシーの風魔法に後押しされてガタガタと動き出す。しかし、そこは重量級と化した台車だ。余りにもゆっくりとした動きに苛立ちを覚えたイルシーは、車体自体を浮かせる事でそのスピードを上げた。
「あー! 表紙が曲がる! ページが折れる! ちょっとカリウスさーん⁉︎」
ガタガタからコロコロへ。台車の動くスピードは速くなったが、台車を持ち上げる為に渦巻く風は本を巻き込む。浮き上がる本、パラパラと捲れるページにイザンバは気が気ではない。
「ねぇってば! もっと丁寧に扱ってくださーい!」
「お嬢様ー。ちゃんと前を見ないと危ないですよー」
「動力源に言ってくださいー!」
キャンキャンと姿の見えないイルシーに対して吠えながら、本を押さえる為に台車に並走するイザンバ。今度は違う意味でイザンバを案じる事になったメイドの言葉は、果たして動力源に届いたのだろうか。「えーっと、動力源、動力源……」とキョロキョロと辺りを見渡すメイドを残して、イザンバと台車は書庫へと向かって行った。
またある時、物置で探し物をしているイザンバ。その耳にカサカサ、カサカサと何やら不吉な音が届いた。嫌な予感がしながらも、ついその音がする方を見てしまった。そう、見てしまったのだ。そして、壁に張り付くヤツの姿を認めた瞬間、イザンバはあらん限りの声で叫んだ。
「いやー! カリウスさーん! ヤツがいる! 一匹居たら三十匹いるというヤツがいる!」
はいはい、とイルシーも三度目ともなれば慣れたもの。これまた風魔法を応用した空気砲で、見事に虫を射抜いて見せた。
コージャイサンと共にあっちこっちに出かける割に虫は嫌いなのかって? ビートルや蝶の類は平気だ。なんならビートルは捕まえることもできる。
だが無限増殖をするヤツは別だ。あれを好きな人はいない。
それはさて置き、物置の様子に戻ろう。
「ありがと……って穴ー! 壁に穴が開いてるー!」
どうやらイルシーの放った空気砲は、虫のみならず壁までも貫通してしまったようだ。綺麗な覗き穴が出来ている。いくら物置でもこれはヤバい! とイザンバの背にヒヤリと汗が伝う。
「ちょ、これはまずいですって! 隠して隠して!」
とりあえずその辺に置いてある家具で隠してしまおう、とイザンバがガタゴトと家具を動かした所で背後から声が掛かった。
「お嬢様」
執事だ。ビクッと体を強張らせたイザンバであるが、何とか顔に笑みを貼り付けてぎこちなく振り返る。
「あらー。こんな所でどうしたのー?」
「いえ、偶々通りがかったのですが、お嬢様の叫び声の後に、何やら凄い勢いで私の顔の前を通過するものが有りまして。何事かと思い見にきたら、穴が開いているじゃありませんか」
何という間の悪さか。執事の視線は動かした家具の向こう側、出来立てホヤホヤの覗き穴に向けられている。あー、と明後日の方に目をやり言い訳を考えるも何も思い浮かばず。執事からの無言の圧力に耐えきれなくなったイザンバは素直に謝罪した。
「ごめんなさい」
「頑張るのはようございますが、他人に迷惑と危害を加えない様、お願い申し上げます」
「肝に銘じます!」
執事にぐっさりと釘を刺されたイザンバは、ビシッと姿勢を正す。執事はぐるりと視線を巡らせた後、フッと笑うとイザンバに一礼をして退出した。
「まだまだ青うございますね」
去り際にそんな一言を残して……。それは一体誰に向けて言った言葉か。イザンバはイザンバで「やっちまったー」と言う顔をしているし、イルシーはイルシーで「あの執事、俺に気付いたのか? んな馬鹿な」と疑心暗鬼になっている。微妙な空気が漂う中、イザンバは探し物を再開し、イルシーはこっそりと穴を修復した。
兎にも角にも、若く青い二人の攻防戦はまだまだ続く。執事に釘は刺されたが、禁止とは言われていない。イザンバの呼び出し作戦は怒涛の勢いで展開されていく。
「カリウスさーん?」
時に優しく。
「カリウスさん‼︎」
時に激しく。
「カ〜リウ〜スさーん!」
時に楽しげに。
一つ一つは大した事ではないが、繰り返される回数がイルシーの気力を削ぐ。
……舐めていた、とイルシーは後悔した。
イザンバがコージャイサンの言う通り『敢えて大人しくしていた』と言う事は事実だったのだ。それもそうだろう。ドラゴンがいる地や暗殺者の隠れ里まで行く女の行動力を舐めてはいけない。やる時はやるのだ。
ここまで付き合ったイルシーも律儀だが、そろそろ我慢も限界のようだ。
「カ・リ・ウ・ス・さーん!」
「なんなんだよ! 呼びすぎだろ!」
そう怒鳴りながら、サロンでのんびりとお茶を飲んでいたイザンバの前にやっと姿を現した。イザンバとしては一回目からこのように来てくれる事を想定していたのだが、思いの外手古摺った。あれ程までに姿を見せずに解決されるとは思ってもみなかったのだ。
紅:来て欲しいイザンバ 対 白:行きたくないイルシー
そんな半ば意地の張り合いにも似た攻防戦は、イザンバに軍配が上がる事で終幕を迎えた。
「用がある時に呼べって言ったじゃないですか」
「馬っっっ鹿じゃねーの⁉︎」
これはこれは。また随分と溜めてイザンバに言い放った。言われたイザンバはティーカップ片手に呑気なものだ。
「普通は呼ぶって言ったら緊急時だろ! それなのにアンタと来たら……」
今までの出来事を思い出しているのだろう。イルシーの顔は下を向き、その体は小刻みに震えている。そして、勢いよく頭を上げると、ビシッとイザンバに指を突きつけた。引き結ばれた口の封印を解くと、イルシーの思いの丈がぶち撒けられた。
「何雑用押し付けてんだよ! いい加減にしねーと次からは金取るからな!」
「もう、文句ばっかり言って」
そうは言うがイザンバに特に気分を害した様子もなく、さらりと受け流している。しかし次の瞬間には、このチャンスを逃してはなるものか、とキラリと目を光らせた。
「あ、カリウスさん」
「なんだよ!」
「ちょっとお茶にしません?」
「は?」
この後に及んでお茶のお誘いと来た。にっこりと笑うイザンバとはまるで正反対。イルシーの口がポカンと空く程に、その誘いは予想外であったのだろう。
そこからの執事とメイドの動きは早かった。予め打ち合わせがされていたのだろうか。ササっとイルシーが座る場を設けると、メイドはお茶を入れて静かに壁際まで下がった。これはもう座るしかない流れ。ここで退席したら顰蹙ものだ、と空気を読んだイルシーは仕方なく椅子に腰を下ろした。
「なぁ、アンタ分かってんのかぁ? 俺は日陰者なんだよ。こんなとこでお茶なんか」
「あ、このお茶請け美味しいんですよー! 最近流行りのお菓子なんですって!」
「聞けよ!」
座るには座ったが、サロンに暗殺者は不釣り合いだ。いくら今は『護衛』であっても、目の前に居るのは紛うこと無き暗殺者であると言うのに……。本人はともかく執事やメイドも危機感は無いのか。それをイザンバに伝えようとしているのに、イルシーの話などまるで聞いていない。お菓子を勧めている場合か。
「聞いてます聞いてます。でも、この家のみんなはカリウスさんの事を知ってるんだからいいじゃないですか」
「あんだけ大声で叫んでたんだから、そうだろうなぁ」
イルシーからは呆れと諦めが漏れ出した。そうでなくても、オンヘイ家からきちんと報せは届いている。姿を見る事は無くでも、その存在は家人たち全員に知られていたのだが、今言う必要はないだろう。
「それに接触しないと信頼もへったくれもありませんから」
イザンバの言い分は理解出来る。コージャイサンも『会話をしろ』と言っていたのだから。はぁ、とイルシーの口からため息が溢れる。
「アンタ貴族のお嬢様だろぉ。普通はもっと取り繕ったり上手くやったりするもんだぜぇ?」
「今更取り繕ってどうなります? と言うよりも、腹の探り合いはお茶会と夜会で十分、もうお腹いっぱいです」
そう言うとイザンバはお菓子を頬張った。イルシーはお茶会に出かける際のイザンバの様子を思い出して、妙に納得してしまう。まぁ、イザンバも散々やらかしているので、本当に取り繕うのは今更だ。
「私はコージー様みたいに戦えないし、拳で語るって言うのは無理なんですよ」
静かに、イザンバはイルシーに語りかける。その手も、足腰も、確かに戦う為に鍛えられてはいない。ドラゴンがいる地まで赴く体力や根性はあるが、それを差し引いても、イザンバはやはり戦闘向きでは無い。
「それでね、あれからも考えたんですけど、やっぱり共通の話題って言ったらこれしかないかなぁって思いまして」
あれから、と言うのはいつの事だろうか。コージャイサンから通信があった夜から? イルシーに最初の呼び出しをした時から? イザンバが何を考えているのか読めないイルシーは大人しく次に続く言葉を待つ。
「コージャイサン・オンヘイについて」
イザンバのその言葉は、真っ直ぐにイルシーに向かって放たれた。しかし、受け取る側のイルシーと言えば、口を引き結び拒絶を表している。
「コージャイサン様の事なら大体知ってる。今更アンタから教わることなんかねーんだけど」
「それは記録として、ですよね? 人の記憶に残るその時までの過程や情景、コージー少年の心情、更には少年特有の愛らしさ。記録に残されていないお話、聞きたくないですかぁ?」
イルシーの拒絶は想定内なのだろう。イルシーが優秀な事くらいイザンバとて分かっているのだ。だからこそ、イザンバは笑う。ニンマリ、と笑い誘惑をする。イルシーの沈黙を、着席を、肯定として受け取り、そのまま場の舵切りをした。
「さ、語り合いましょう?」
美味しいお茶とお菓子を添えて、場に咲かせるのは思い出の花。
二人きりのお茶会が、今、始まる——
☆round 1 カーン(ゴング音)
とか入れようかと思ったけど、めちゃくちゃ思ったんけど、無くても伝わりましたでしょうか?
平和的な仁義なき攻防戦……
いいよね、見てる分には!