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クタオ親子の涙が落ち着いた頃合いを見計らったように、ヴィーシャとジオーネが入室してきた。
ヴィーシャが全員分のお茶を淹れている間、ジオーネはイザンバの元へとやってきた。
「お嬢様、擦ったら瞼が腫れます。これで冷やしてください」
「……はい」
「お二人もどうぞ」
「ありがとう」
ジオーネから受け取った冷えたタオルは熱を持った瞼に心地いい。
お茶が全員に渡ったところで、二人は壁側へと下がった。
そして、ゴットフリートがイザンバに向かって口を開く。
「これからの予定なんだがまだ全て片付いたとは言えなくてね。コージーがまた暫く留守にするが大丈夫かな?」
「はい、私は大丈夫です。ご心配を、いえ、お恥ずかしいところをお見せしてすみません」
目元からタオルを離したイザンバだが、子どものようにわんわんと泣いた後だからか、また気恥ずかしそうに眉を下げた。
「構わないよ。ザナにとってコージーが信頼に値する人間だと分かって安心したくらいだ。少し……ザナを困らせる所もあるようだが」
そう言いながらゴットフリートは途中でチラリと息子に意地悪い視線を向ける。
当の本人は素知らぬ顔をしているのだからセレスティアが頬に手を当てて呆れたように言った。
「本当、我の強さは誰に似たのかしら」
「一番我が強いのは母上ですけれどね」
親子だから言い返せるのだろうが、聞かされている伯爵夫妻の方が冷や冷やとしてしまう。
しかし、彼女は突然立ち上がって息子の言を見事にスルーである。そのままイザンバの隣に腰掛けると息子の扱い方を説き始めた。
「ザナ、なんでもはいはいと聞いて甘やかしてはダメよ。嫌な事はちゃんと嫌と言いなさい。むしろもっとわがまま言って振り回しなさい。コージーはそれくらいであなたを手放したりしないから。絶対に!」
「なんで母上が言い切るんですか」
「ゲッツが私を手放さないからよ。あなたたちよく似ているもの」
「だからそこを似ていると言われても嬉しくない」
「ふふっ……」
セレスティアの断言に対するコージャイサンの素っ気ない返事にたまらずイザンバは笑ってしまった。
けれども、二人はそんなイザンバを責める事はなく、ただ見守るような優しい眼差しを向けた。
さて、そんな中で公爵夫人の断言に目をキラキラと輝かせたのはこの人だ。
「旦那様、お聞きになりました⁉︎ 絶対ですよ絶対! それも公爵夫人であるセレスティア様のお墨付き! こんなに喜ばしいことはありませんわ!」
「分かってるけどね、フェリ……うう……娘がめちゃくちゃ愛されてて安心だけど……取られて悲しい親心って本当複雑なんだよー! ああっ、コージーも娘を持って同じ思いを味わえばいいんだー!」
喜びを面前に出すフェリシダとは対照的にオルディはまたおいおいと泣きだす始末。男親の抱える寂しさが滲むどころかすでに溢れかえっている。
「では可愛い孫娘と会うためには我々は邪魔だな。退室するから二人で励むといい」
オルディの言葉に少しだけ思案顔になったゴットフリートは徐に立ち上がってこう言った。
その発言に面々は驚いたり呆れたりとした訳だが、一番焦ったのはオルディだ。ゴットフリートの足元に滑り込み、必死に願い出る。
「閣下! どうかお待ちを! 今それをされては……私は……わだじば…………ないでじまいまずぅー!」
「伯爵、もう泣いているぞ。ほんの冗談だ。だが、その気持ちはあなたが大きな愛情を持ってザナに接してきたからだ。誇りなさい」
「閣下……!」
だばだばと涙ながらの訴えに与えられた懇切さ。オルディの瞳が喜びと期待に煌めいた。
ところがゴットフリートの表情がコロリと変わるではないか。それはそれはいい笑顔でこう言った。
「まぁ結局全部うちの息子が貰うんだがな」
「閣下ぁぁぁ……」
「ははは! いや、悪い悪い。伯爵をからかうのは面白いな」
容赦なく突きつけられた娘が嫁ぐ現実に崩れ落ちたオルディ。ゴットフリートも謝ってはいるが実に楽しげだ。はらはらとなく伯爵に手を貸して立ち上がらせると、ソファーへと誘導した。
そんな彼らのやり取りを見て、セレスティアは同情の念を禁じ得ない。
「全く……困った男。気に入った相手をすぐにああやってからかって」
「自分の夫でしょう。ちゃんと止めてください」
「あんなに楽しそうにしているのよ。止められるわけないじゃない」
「甘やかしてはダメなのでは?」
見ているだけの母にコージャイサンが苦言を呈す。それもまたセレスティアが言った言葉を同じくして返してきたのだ。
可愛げのない息子に、けれども彼女は目尻を下げた。
「あら——……手遅れよ」
セレスティアは諦めの単語を慈愛の表情で明かす。
彼女は困った人と言いながら
——そんな所すら受け容れる
——そんな所すら愛おしい
と。だから、手遅れなのだと笑う。
その深い想いを滲ませる微笑みに目を奪われたイザンバだが、ぐずぐずと泣き続ける父伯爵の音がどうにも気になり声をかけた。
「お父様、大丈夫ですか?」
「っ……ザナ゛ぁぁぁ!」
「わ、顔ヤバい」
親子だから言えてしまうのはこちらも同じ。オルディはまたショックを受けているが今の彼は流しすぎた涙と鼻水が行き場をなくし、顔面が渋滞を起こしている状態だ。
「ううっ……フェリ……」
「旦那様、どうしたらそんな残念な状態になるの? 本当に汚いわ。早く拭いてくださいな」
「ひどい! だって…………くぅぅっ!」
「もう……しょうがない人」
フェリシダはため息をつきながらも温もりのある声音を表す。
しょうがない人と言いながら
——そんな所すら厭わない
——そんな所すら可愛い
と。フェリシダはオルディの顔を丁寧に顔を拭いてやる。
溢れんばかりの真心の微笑みが美しく映える。
そんな母たちの姿にイザンバはそっと隣にある翡翠を見上げた。
——私も……。
母たちのように相手の全てを受け止めるようになるのだろうか。
ただなんとなくそう思っただけなのに、寄り添う未来を夢見た恋心に胸がキュウッと締め付けられて。じわりと迫り上がる感情がまた涙腺を刺激しそうになった時、不意に翡翠と視線が交わった。
「どうした?」
「いえっ! 何も!」
つい大きな声を上げてしまったものだから全員の視線をいただくことになり、イザンバは熱を持つ頬を見られたくなくて手のひらで隠した。
コージャイサンが再度尋ねようとしたところで響くノック音。入ってきたのはゴットフリートの副官だ。
「ご歓談中失礼します。総大将、会議の準備が整いました」
「そうか。すまないが時間切れのようだ」
今度こそ冗談ではなく立ち上がったゴットフリートは歩を進める前にオルディの方へと視線を向けた。
「八年前にも言ったが大切なご息女を頂きたいと申し出たのはこちらだ。だからこそコージーには必ず守り通せるよう力の使い方を教えてきたつもりだ。それでも守れないようなことがあれば……」
コージャイサンを親指で指し示す灰色の瞳は恐ろしい程冷淡で、そして抑揚なく言い捨てた。
「遠慮なく制裁してくれて構わない」
それは親子の情すらも感じさせない酷薄さ。
先程までの気さくさがすっかり鳴りを潜めた重すぎるほどのプレッシャーに、オルディは一つ大きく深呼吸をして自分を奮い立たせた。
「いえ、私が情けない姿をお見せしたばかりに申し訳ございません。彼が十分過ぎる程に守ってくれている事は娘を見れば分かります。ですので、そのお気持ちだけ頂戴いたします」
しかし、オルディはゴットフリートの提案を丁寧に辞した。
彼とて伯爵として、父としての矜持がある。持て余すほどの子が離れていく寂しさを、だからと言ってコージャイサンに難癖つけてぶつけるほど身勝手ではないつもりだ。
事実、彼はあらゆる手段を講じてイザンバを守ってくれているのだから。それはきっと、この先も変わらずに。
オルディの真意が伝わったのか、ゴットフリートから冷たさが抜けた。
「そうか」
穏やかで深みのある声が奏でるのは分かりにくい男親の心の内か。だが、それも瞬きの間。彼はすっかりいつもの調子でイザンバに声をかけた。
「ザナも今日はこのままご両親と共に帰りなさい。家の方がゆっくりと休めるだろう」
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
ゴットフリートの気遣いに対してイザンバは淑女の礼を。
セレスティアも夫のエスコートで退室するようだが、夫の手を取るとすぐにフェリシダに視線を向けた。
「二人とも、今度の私のお茶会に来るわよね?」
「もちろんです」
「良かったわ。ふふ、楽しみね」
それは招かれる側が言うはずでは? と首を傾げる母娘だが、問うたところで答えは貰えないという事も分かっている。
賢い判断をした母娘にセレスティアは一層笑みを深めたのだった。
そんな妻の悪戯な笑みにゴットフリートもつい目を細める。そのまま彼女の腰に手を回し、息子に告げた。
「コージー、お前も会議に来なさい」
「はい」
コージャイサンが呼ばれて、休みなく働く事にそちらの方が大丈夫なのかと心配が募り瞳が揺れる。だが、彼はイザンバの頭をポンポンと撫でた。問題ない、と言うように。
「そうだ。これ」
去り際にショルダータイプの保存用の魔導具から取り出されたカランコエの花束。
イザンバは手渡された花束を嬉しそうに腕に抱えた。
「ありがとうございます。大事にしますね。あ、クロウ様とマゼラン様はどちらにいらっしゃいますか?」
「…………なんで?」
しかし、コージャイサンが随分と冷ややかな雰囲気を纏って聞き返してくる。続けて強い覇気に当てられたオルディが顔色を悪くしているではないか。
もちろんイザンバも気付いているが何が彼の機嫌を損ねたのかは分からず、ひとまず問われた理由を答えた。
「え、危ない中お迎えに来てくださいましたし、花束を潰したくないって言ったらその魔導具を貸してくださったので改めてお礼をと思って……」
「必要ない。それも仕事のうちだ」
「でも……」
「必要ない」
「はい」
取りつく島もないとは正にこの事だ。仕事と言われればその通りだと思い直してイザンバは直接礼を言うことを諦めた。
しかし、二人のやり取りにただ一人ゴットフリートがクツクツと喉を鳴らして笑う。
灰色の瞳はイザンバにニコリと笑いかけるとあっさりとその口を割った。
「コージーはザナを危ない目に合わせた彼らに怒ってな。今吊るしてる最中だから行かなくていいよ」
「えっ! 吊るして⁉︎ どう言う事ですか⁉︎」
ゴットフリートから明かされた裏事情。イザンバはコージャイサンに問うが彼は沈黙する。どうやら答える気はないようだ。
クロウ、マゼラン、危ない目と言われてイザンバに思い当たるのは巨大なゴールデンキングビートルから解放される際の落下である。
あれには流石のイザンバも驚いたし、ヴィーシャとジオーネがいなければ大怪我をしていた事だろう。だからと言ってなぜ吊るすと言う行動になったのか。
疑問符を浮かべる彼女に対して息子に代わりゴットフリートが次々と種明かしをする。愉快だと、隠しもしないで。
「まぁ、吊るしたのは結果だ。足と腰を伸縮性のある鋼線で縛って管理棟の屋上から蹴り落としたからね。ついでに、ここに突撃して色々と聞きたそうだったファブリスも同じく吊るしている」
ちなみにだが、イザンバが落下したゴールデンキングビートルが二階建て相当ならば管理棟の屋上は五階に当たる。高さが比ではない。
そして、なぜか混ざっている魔導研究部長の名前にイザンバはさらに青褪めた。
「魔導研究部が揃ってバンジージャンプしてる……なに、どゆこと?」
「『高い所から落とされる気持ちを味わえ』だそうだよ。見ていた局員たちも落とされた本人も悲鳴を……あ、ファブリスとマゼランは笑っていたな」
「お二人ともメンタル強いですね! って衆人環視の元のジャンプだったんですか⁉︎ それを放置⁉︎」
マゼランと接した時間は短いのに、イザンバはすごく楽しそうに笑いながらジャンプする姿が容易に想像できてしまった。そして、それは現実と相違ない。
明かされる事情に処理が追いついたと思えば、またドドンと加えられる情報。イザンバの脳は驚きと混乱と疑問で処理速度が追いつかなくなってきた。
「ちゃんと腰の鋼線を引き上げて頭を上向きにしてきた」
「良かった! でもそこじゃない!」
「首席を蹴り落としたのは父だぞ」
「そこも気になってたけど違います!」
コージャイサンもしれっと情報を追加してくるのだからいけない。
少し頭が痛んだイザンバだがコージャイサンの手を握って関心を引くと真剣な眼差しで見つめた。
「いいですか、コージー様。バンジージャンプにはしっかりした命綱と本人は元より他の人に危険が及ばないかの安全性の確保、万が一命綱が切れた場合に本人を受け止める装置も必要でして」
「成る程、衝撃を吸収、緩和するものがあるなら紐なしでも……」
「ダメですよ! それはただの落下です! って言うかバンジージャンプも無理矢理はダメ! パワハラ案件! 命も尊厳も大事に!」
「分かった。じゃあ、会議に行くからザナはゆっくり休めよ」
「はい、いってらっしゃい……って待って。この状態でナチュラルに行こうとしないで。その前に御三方を下ろしてあげてください」
「えー……」
握った手を引いて止めたが、本日二度目の『えー』である。その不満気な表情が年相応で、イザンバがちょっと可愛いと思ったのは内緒だ。
「私の為に怒ってくださったのは嬉しいです。でも、どうかお願いします」
「……そんなに?」
あまりにも真剣に頼むから、そんなにあの二人に気を許したのかとコージャイサンは面白くない。
けれども、イザンバは切々と訴えた。それはもう切々と。
「だって……帰り道に管理棟の前通りますよね⁉︎ 吊るされてる所を見ちゃったら家に帰っても気になってゆっくり出来ません! もしもを考えたら申し訳なさすぎて吐いちゃう……! しかも私のせいとか罪悪感マシマシだし! 自分本位で申し訳ないけど私が原因でコージー様が悪く言われるのも嫌だから本当お願いします! やり返すくらいなら体張ってくれたヴィーシャやジオーネを褒めて褒めて褒め倒してご褒美あげてくださいー!」
気になるのも事実。罪悪感があるのも事実。しかし、何よりもコージャイサンが悪口を言われるのが嫌だと言う。
「分かった。下ろすからザナはもう気にするな」
「……本当に?」
「本当に」
「コージー様、ありがとうございます!」
その回答にパッと明るい表情でイザンバが笑う。
コージャイサンはそれを仕方ないなとでも言うように見つめた後、意思を乗せた視線だけを室外に向けた。後は彼が上手くやるだろう。
二人のやり取りを見ていた両親たちの眼差しは穏やかで。ゴットフリートがまた笑いを噛み殺すように息子に声をかけた。
「やはりザナには敵わないか。惚れた弱みだな」
「父上だけには言われたくありません」
「それもそうだな」
淡々と、どちらも否定せずに。それは揺らぎようのない想いが根幹だから。
ほっこりと話が落ち着いたところで、副官がゴットフリートにそっと伺いを立てた。
「総大将、そろそろ……」
「ああ。では、我々は先に失礼させてもらうよ」
「はい。本日はありがとうございました」
オルディが礼を述べて頭を下げると、フェリシダ、イザンバもそれに倣った。
そして顔を上げた先にある翡翠を見つめてその身を案じる。
「……無茶だけはしないでくださいね」
「ああ」
こうしてイザンバたちはオンヘイ公爵一家を見送り、医療棟を後にした。
活動報告に魔導研究部三人、従者たちの会話劇アップ予定です。




