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イザンバは回復薬を飲み、「よし!」と気合いを入れて四人目に視線を向けた。
すると、そんな彼女を待っていたようにゼクスが口を開く。
『あのさ、これは死んだやつの恨み言じゃなくて一人の男としてのアドバイス。外出するならあの二人のどっちかは連れ歩いた方がいいっすよ。婚約者があの二人を付けてるのってそう言う意味もあるだろうし』
だが、護衛なのだからそれは当然のことで。
「はい、もちろんどちらかに付いてきてもらってます。二人は強いし頼りになりますから」
『あ、コレ伝わってないっすね。そうじゃなくて……』
キョトンと首を傾げたイザンバにゼクスは頭をかく。そして、情けなさを晒すように静かに話し始めた。
『男はバカだから欲を刺激してくる方に目が向くんすよ。でも、恋人とか結婚相手だとか本気の女として選ぶなら優しくて癒してくれる方を……——お嬢様を選ぶ』
「あの、私そんなじゃないです。あっち行きたいこっち行きたいってコージー様を振り回してますし、癒しっていうよりも騒がしいくらい喋るし、勢い余って暴走しちゃうところをよく止めてもらうほどなんです」
『いいじゃないっすか』
そう、今は淑女の仮面を装着中。つまり何匹ものお猫様がイザンバに覆い被さっているのだ。
だから本当は違うんだと、イザンバが否定を表すように手を体の前で横に振るが彼はそれすらもいいねと言う。
だが、癒しと騒がしさは正反対である。
パチパチと瞬きをするイザンバの理解が及ぶ前に、妖艶な声が割りいった。
「あら、酷いことゆうわぁ。うちらやと本命になれへんやなんて」
ヴィーシャは至近距離からするりと頬を撫でるように。
「体だけだと思われるのは心外だ。もっと……親しくなってみるか?」
ジオーネは見せつけるように体を寄せた。
『くそっ。なんかいい匂いであの時を思い出すし、触れないのに柔らかいとか思っちまう! つか、死んでるのになんでドキドキすんだよ!』
『いいなぁ〜。オレもお姉さんたちに挟まれたい……』
目は自然と二人に引き寄せられゼクスが悔しさに唸るが、羨むアハトが若干黒いモヤを出した。
片や生者、片や死者。触れ合う事は出来ないと分かっていても、その場所が羨ましい、と。
イザンバから見た護衛たちはまるで猫が戯れるようで、本気で言ってるわけではないのだと分かる。
だから、彼女はのんびりとこう返した。
「あ、それは嗅覚が最も記憶に定着しやすいからです。幼い頃に嗅いだ花の匂いとかでその時期のことを思い出すでしょう? 嗅覚に結び付けられた記憶が強烈に、鮮明に、蘇るからなんです。ドキドキするのは視覚情報から生前の体験が想起されるからですね。ぶっちゃけると錯覚です」
『解説あざっす! でも、それよりこの二人引き離してもらえませんかね⁉︎』
そんな彼の訴えにイザンバはクスクスと笑う。だって彼らは直接触れ合っているわけではないのだから。
死霊であるゼクスなら二人の間をすり抜ける事は簡単なのに、どうやら彼はそこまで思考が回っていないようだ。
フィーアに対して歯に絹着せぬ物言いをしていたが、元々女性に対して乱暴に振る舞えるタイプではないのだろう。
生前の記憶からの錯覚で体を固まらせたままゼクスは必死に言い募る。
『なんつーかほら、アンタたちは強いしイイ女だけど、お嬢様はなんか守ってあげたくなるって言うか!』
「うちらかて好きな男の前ではか弱いとこ見せるで」
「そうだ。こんな風に……」
そう言ってヴィーシャとジオーネの表情は変化する。
強さも、自信も脱ぎ捨てた今にも泣き出してしまいそうな、けれどできるだけ涙をこらえようとするいじらしい表情。
至近距離で美女のそんな表情が直撃したのだからゼクスは溜まらない。
『————くっ、可愛い……』
『ゼクス、ズルい。オレも見たい』
『うわっ! だからってオレの顔に被せてくんな! 感覚ないけどキモいって!』
どうやらアハトの方が死霊として順応しているようだ。ゼクスの顔の横から覗くのではなく、背後からがっつりゼクスの顔を通り抜けてくるのだから。
そして彼はサービス精神を出した護衛たちにより骨抜きにされていた。満足そうなのでよし。
『はぁ……魅せ方知ってる女ってこえー』
アハトのお陰ですり抜けられることに気付いたゼクスはその位置を彼に譲った。三人から離れてイザンバの左横で座り込む姿は心なしか疲れを背負っているようだ。
それはまるで生きているようで、害意のない彼にイザンバは軽く膝を折り尋ねた。
「大丈夫ですか?」
『……うっす』
それは恐るでも蔑むでもない、生者に向けられるものと同じ気遣い。
ゼクスは視線を地面に向けると乱雑に頭をかいた。そして、切り替えるように息を吐くとイザンバに話しかける。
『今ので分かったと思うけど、自分の前でだけ弱いとことか素を見せてくれるって最高に可愛いんすよ。さっき言ってたのも、婚約者の前ではちゃんと素を出してるってことっしょ?』
——それはオタバレをしてるからです。
なんて言えるものか。イザンバは口を微笑みの形で留めて少しだけ首を傾けた。セレスティア直伝の誤魔化しの微笑みである。
『普通の男はあんなイイ女、自分の側に侍らしたいと思うもんすよ。でも、それをお嬢様の側に置いてるのはそれだけ二人の実力を信頼してるって事と……』
ここでゼクスは護衛たちの方に向けていた視線をイザンバに向けた。
『男からの注目をあの二人に集めて、お嬢様を他の男から隠しておきたいって言う割と強めの独占欲。あなたはイイ女だからそれだけ大事にされてるって事、忘れない方がいいっすよ』
そう言って彼はニカッと笑った。
イザンバとて大事に扱ってもらっている事は十分に理解している。
過去を鑑みても、コージャイサンはいつも側で守ってくれていた。ただ、防衛局に勤めてからはそれも難しくなり人を寄越してくれたのだ。
——だって、護衛って……。
そう言われたら、それは命を守るためだと思うだろう。実際に何度も命を守ってもらっている。
他の男から隠したいだなんて言われても、彼女たちがつく前はイルシーがその役目を担っていた。守銭奴でも女装をしても彼だって男だ。
けれども、それもイルシーのコージャイサンへの忠誠心が確かなものだからで。
そして、任せても大丈夫だと言う主従の絆があるからで。
イルシーに別件があるからの交代で、同性ならもっと気兼ねなく過ごせるだろう、そんな配慮だと思っていた。
イルシーと交代してからは随伴してくれている彼女たちに注目がいっていることも知っていたけれど。
まさか、と心が震える。
——そんな事はあり得ない、と。
まさか、と心が熱くなる。
——それは本当に、と。
『ザナは十分魅力的だから他の男と一緒にいる時に気を抜くなよ』
身を包む彼の香りが。
『俺以外に触れさせないで』
静かに望む耳に馴染んだ声が。
『跡を付けるのは俺だけでいい』
小さな痛みと触れた感触が。
ジワリと心の柔かい所を熱して、ヘーゼルが艶を出したように潤んだ。
これが彼の独占欲だと言うのなら……。
——どうしよう……嬉しいって、思っちゃう。
次々と胸に湧き上がる愛おしさにイザンバは溺れてしまいそうだ。
ゼクスはそんな彼女を眺めた。
——綺麗な肌と髪
——柔らかな微笑み
——お淑やかな所作
——丁寧な気配り
楚々と咲くご令嬢が頬を染め、艶の増した表情を見せる。
『あー、これは…………』
——隠したくなるな。
と婚約者の心境を慮った。
けれどもイザンバは違う意味に捉えたようでサッと顔を背けて隠してしまう。
「すみません。お見苦しいものをお見せしました」
『え、違うから! オレ……』
誤解を解こうと右手を伸ばし——唐突に響く銃声。
『うわぁあっ! 右手ー!』
「お嬢様の素晴らしさを理解したのは褒めてやろう。だが、口説こうとは片腹痛い」
『口説いたんじゃなくてオレは客観的事実を……!』
銀の弾丸でゼクスの右手を掠め取ったジオーネは先程の弱さも可愛らしさもなく、声にはドスが効いていて非常にご機嫌斜めの様子である。
ゼクスが弁明を口にすればヴィーシャがコロコロと笑った。
「ジオーネ、あかんで」
『そうっすよね!』
「そんな中途半端やのぉてちゃんと頭狙って消滅ささんと」
『あ、そっち⁉︎』
目だけが笑っていない微笑みにこちらもご機嫌斜めであると瞬時に理解した。
ゼクスの背を冷たい汗の流れる錯覚が走り焦りが生じる。これはマズい、と。
ジオーネは銃を構えたままイザンバに尋ねた。
「お嬢様、なぜ顔を赤らめていらしたんですか? この男に何か不埒な事でもされましたか?」
「いえ……その……ちょっと…………」
『そこで止めんのはナシっす! 頼むから!』
これは切実である。不埒な事なぞ何一つしていないのに容赦なくゼクスに殺気が向けられるのだから。
「……ちょっと……コージー様の事…………考えて、て……」
先程までのハキハキとした明るい様子ではなく、どんどんと尻すぼみになっていく声。そして、ついにイザンバは顔を覆い隠した。
やましい事ではないはずなのにまた頬が熱を持ってしまい、それも四人からニヤニヤと注目されて、彼女の恥ずかしさは限界値を振り切りそうだったのだ。
『うん。これは婚約者が隠したくなっちゃうね』
『だろ?』
アハトの納得の声にゼクスが答えた途端に響く銃声。しかも一発だけ。対象はゼクスである。
『なぁ! なんでオレだけ狙うんだよ!』
「お前はダメだと勘が告げてる」
『番犬の勘こえー!!』
ゼクスの発言に眼光鋭くしたジオーネとの消滅をかけた追いかけっこが急遽始まった。
殺伐とした二人とは対照的にアハトがのほほんとヴィーシャに話しかけた。
『可愛いらしい方ですね』
「当たり前やろ。お嬢様があんな可愛いらしなんのはご主人様が関わる時だけや」
ヴィーシャの柔らかい表情を見つめるアハトの表情は切なげで。けれどもヴィーシャはあえて構う事はしなかった。
その眼前をゼクスと銀の弾丸が駆け抜ける。
『このままだとあっちに消されそうだ! 急かして悪いけど浄化おなしゃっす! オレも温かくて優しい光で逝きたい!』
「はいっ、ただいま!」
『……ははっ!』
必死の形相で頼まれたのだからイザンバも勢いで受け付ける。またもや大衆居酒屋のノリで返され、ゼクスから気が抜けた。
気力を高め、心を込めて紡がれた呪文。ゼクスは温かな光に包まれて始めると、その後悔を口にした。
『あのさ……あの時は怖い思いさせてごめん』
それは本人が思うよりも弱々しい声で。パッと向けられたヘーゼルが痛々しく揺れているのを見て、強く思った。自分が最期に見たいのはこれじゃない、と。
だから、空元気も良いところの声を出す。
『婚約者とお幸せに!』
すると今度はキョトンとしたあと、その目元が和らいだ。
穏やかさと気恥ずかしさを混ぜたヘーゼルの瞳と柔らかな微笑み。ゼクスはそれを満足気に眺めて旅立つ。それはそれは爽やかな笑顔で。
どの言葉にも返事が出来なかったイザンバだが、幸せを願われた事にそっと頭を下げて見送った。
「お疲れ様です。あと一人ですね」
「そうですね」
ジオーネから受け取った回復薬を飲み干して魔力が復活したイザンバがアハトの方に視線を遣って、すぐに「あっ」と手で顔を覆った。しかし、残念な事に指の間が開いてヘーゼルの瞳が見えている。
なんだ、とつられてジオーネが視線を向けるとなんとアハトがヴィーシャに口付けていたのだ。
しかし、生者と死者なのだからそう見えているだけで実際に触れ合うことはできない。
分かりきっているからこそ残念そうに彼はこぼす。
『やっぱりキスしてるって気がしないですね』
「はぁ? 勝手にしといてなんなん?」
『オレの最期の記憶って全部お姉さんだから』
——目に映った美しい顔
——柔らかな唇の感触
——耳に届いた満足そうな声
死ぬ時、最後まで残る五感は聴覚である。だからこそ、あの声がアハトを縛る。
『でもオレはお姉さんの最初の男にも最後の男にもなれないから……ちょっとでも覚えて欲しいなーって思って』
しゅんと悲しげに下がった眉に従うようにアハトが俯いた。
言い分を聞いてヴィーシャから出たのは艶かしいため息が一つ。そして、この上なく面倒そうに口を開いた。
「流石に……死霊とキスしたんは初めてやわ」
勢いよく顔を上げたアハトが目にしたのは、面倒な調子とは反対の妖艶なアメジストが煌めく微笑み。
「しゃあないから覚えといたげる」
『……やった! それなら嬉しいや』
言葉通り笑みになったアハト。友と一緒に死地に向かった彼は誰かの記憶に残りたかった。
そして、白羽の矢が立ったのが強烈なまでの美しさで魅せたヴィーシャであった。
——その場しのぎの言葉かもしれない
——すぐに忘れ去られるかもしれない
それでも彼女が「覚えておく」と言ってくれた、ただそれだけで身も心も軽くなる。
アハトはそのままスキップしながらイザンバの元へとやってきた。
『待ってもらってすみません。……あれ?』
「お嬢様、どうされたんですか?」
ヴィーシャが声をかけてもイザンバはぼんやりとしていて返事がない。
「お嬢様? ……お嬢様!」
ジオーネに肩を揺すられ、やっとイザンバの意識が彼らに向いた。
「ごめんなさい。ちょっと……ぼーっとしてました」
「続けての浄化でお疲れなのでしょう」
『手間かけさせてすみません』
ジオーネが気遣い、アハトが謝罪してくれるが、なんて事はない。
——ごめんなさい。ガチ恋勢だ! え、幽霊との禁断の恋愛始まっちゃう⁉︎ とかテンション上がってました。すみません。本当どうしようもなくオタクですみません。
淑女の仮面の裏で興奮して脳内トリップしていただけである。
しかし、いくら内心で詫びようともそれを心配してくれた三人が知る由もないのだが。
そして、最後の一人。気力を高め、心を込めて呪文を紡ぐイザンバの様子をアハトはじっと見ていた。
霊魂なのに温かいと感じるその光は彼を友の元へと導くだろう。
ゼクスと同じように光に包まれて消える寸前、彼の口がゆっくりと動いた。
『本当に……ごめんなさい』
——あなたを狙って
——命を背負わせて
暗く沈んだ声は、調べたら簡単に見えた真実が強すぎる正義感の盲目さゆえに見えていなかった事に彼の後悔を表していて。今にも泣き出しそうな表情のアハトと視線がかち合った。
けれどもイザンバに何が言えようか。下手な慰めを言うまいと、キュッと唇を引き結んだ彼女の耳に打って変わって明るい声が届く。
『それと、ありがとうございます』
——命を認めてくれて
——次へ送ってくれて
穏やかな顔で旅立つ彼に、やっと言葉を送る。
「どうか、安らかに」
悲しみも苦しみも回復薬と一緒に飲み込んで、イザンバは護衛たちに向き直る。
「他に異変がないか確認します。思い当たる場所があれば案内してください」
「かしこまりました」
前を見据え、懸命に強くあろうとする彼女に獣たちは静かに頭を垂れた。




