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ジオーネに先導され、イザンバはケイトを探した。
廊下には叫び声を聞いて出てきた使用人たちが溢れ、そこに混ざっていたヴィーシャとも合流する。
少しの焦りを孕んだイザンバがざわめきの中で見つけたケイトは庭の前の通路でへたり込んでいるではないか。
「ケイト!」
「…………お嬢様……」
「大丈夫ですか? 怪我は? どこか痛むんですか?」
イザンバはケイトの側まで駆け寄ると躊躇うことなく膝をつきその安否を探った。
パッと見た感じでは怪我はなさそうだと、ひとまず安心したが彼女はガタガタと体を震わせているではないか。思わずイザンバはケイトの手を握った。
そこへジオーネが険しい声をかける。
「さっきの叫び声はなんだ?」
「あ……あれ……」
顔面蒼白のケイトが震える指で示す先。ただでさえ月明かりもなく見えにくい夜だというのに、外にはいつの間にか霧が立ち込めている。そんな庭を、時折明滅する光源を頼りに目を凝らす。
そして、見つけた蠢く黒い人影にイザンバと護衛たちは一気に警戒心を強めた。
「シャスティ。危ないさかいケイトを下がらして」
「はい。ケイト、立てる? 手貸すよ」
「……うん。ありがとう」
シャスティの手を借りてケイトはその場から下がった。
変わってイザンバの両サイドを陣取った護衛たち。ヴィーシャが黒い人影を鋭く見据えてながら問うた。
「また呪い、それか生き霊でしょうか?」
「いえ、あれは……死霊、です」
呪いや生き霊と違い、同じ場所に留まる黒い人影。
クタオ邸の庭になぜ? と疑問を抱いた護衛たちだが、それよりも注視しているイザンバの変化が気になった。
「お嬢様?」
どうしたのか、と尋ねるジオーネに応える余裕がない。
顔色をなくし、まるで叫び出すのを堪えるように口元を手で押さえるイザンバが気付いたのは一つの事実だ。
——ある者は銃弾に倒れ
——ある者は毒に喰われ
そこに居たのは何度も死ぬ瞬間を繰り返し、叫び、喚き、嘆く。男女五人組の霊魂だったから。
イザンバは詰まる喉から気丈にも声を絞り出した。
「皆には、あなたたちが仕事を、していない場所に、避難するよう、伝えてください」
現れた死霊。護衛たちの仕事。
イザンバの言葉に二人も合点がいった。すぐに目配せをすると、ヴィーシャが動く。
ジオーネが周囲を探るように見渡すと、邸を囲う塀を飛び越えて恐怖に震える声が届くではないか。
これはクタオ邸だけに起きた異変ではないとすぐに思い至った。だが、それよりも気になるのはイザンバだ。
彼女の視線は死霊から離れない。
——きっと……彼らだけじゃない。
イザンバの夢の中で現れては消えた、あの黒い人影たちのように。
初めて手が朱く濡れた。
『今のは……』
あそこで口から緋が流れた。
『だず……だ、ずげ、で』
向こうで腹も紅に染まった。
『一体何を守ってんだよ!』
ここで頭上にアカが降った。
『……————』
目の前で繰り返されるあの一瞬。それは見捨てた覚悟を咎められているようで、罪悪感がギリギリとイザンバの心を締め上げる。
今にも泣き出しそうな彼女をジオーネはただ静かに見守った。それは戻ってきたヴィーシャも同じで、か弱い貴族令嬢に声をかけることはしない。
ただ、要因となった蠢く黒い人影に二人は厳しい視線を送る。
締め付ける苦しみにイザンバの呼吸が短く浅くなっていく。
耐えようとして固く握り込んだ右手。あまりにも力を込めすぎて爪で掌を傷付けた。痛みに目にした小さな傷の赤だった。
——これ、あの時も……。でも、あの傷はすぐに……。
流れで思い出したのは掌に触れた唇の感触。
そして、つられたように首筋と鎖骨がジワリと熱を持った。そこに残る花弁も赤。
そう、アカは罪の色だけではない。
残らなかった赤はイザンバの忍耐の証。
残った赤はコージャイサンの想いの証。
彼の側でついた赤に痛みはあれど恐怖がないことに気付いたイザンバは、その手で今は服に隠された花弁に触れた。
——私は……ダメだなぁ。
いつだって誰かに守ってもらって
いつだって誰かに支えてもらって
いつだって誰かに背を押してもらって
そうしてやっと……根強い恐怖に竦んだ足が一歩を踏み出せる。
——本当、情けない。でも……。
譲りたくない。
失いたくない。
負けたくない。
彼を想う気持ちから、そう強く願ったのは自分だ。
イザンバは花弁に触れたまま大きく深呼吸をした。そして——……。
「ジオーネ、念の為に銃に銀の弾丸を装填してください。ヴィーシャは回復薬の用意を」
震えながら耐える様子から一転、覚悟を持ったヘーゼルは凛とした貴婦人の顔で前を見据える。
指示通りに谷間から弾倉をとりだしたジオーネがその真意を求めた。
「何をなさるおつもりですか?」
「彼らを冥府へ送ります。このままここに留まれば悪霊になってしまうから。それよりも安らかに次の機会を掴んで欲しい……手を、貸してくれますか?」
イザンバの言葉に、ヴィーシャは眼差しを緩め微笑んだ。
「お嬢様の仰せのままに」
そして二人は揃って頭を下げる。乗り越えようと懸命に足掻くあなたに従うのはやぶさかではない、と。
改まったその姿を見るのはイザンバにはなんだかくすぐったくて。それでも、二人がいてくれることが心強く、自然と笑みを浮かべた。
「二人とも、ありがとうございます」
ブラウスとスカートを省き、動き慣れたコルセットにショートパンツ、レッグホルスターのみとなったジオーネ。
エプロンを外し魔力回復薬の入ったポーチと用心の武器を腰に巻いたヴィーシャ。
二人に守られながら、イザンバは黒い人影に歩み寄った。
死を繰り返す彼らはイザンバに気付かない。それを痛ましそうに見つめる彼女にヴィーシャが尋ねた。
「死霊が現れたんは反魂の術式と関係あると思いますか?」
「多分……。私もあの日記に書いてあった術式の内容しか知らないですけど、この霧もなんだか不自然ですし」
塀の外から聞こえる混乱の声が気にならないわけじゃない。それでも、イザンバは目の前のことに意識を向けた。
彼女の魔力量では一人ずつ送り出すしかできないが、気力を高め、心を込めて呪文を紡ぐ。
特に暴れもしない一人目はもしかしたら死んだ事にすら気づいていないのかもしれない。
二人目は一人目の浄化を見たからかどこか諦めたように、見切りをつけたように、静かに受け入れた。
けれども三人目。
『死にたくなかった!』
彼女は魂を震わせて叫ぶ。
『どうして私まで死ななきゃいけなかったの⁉︎ ちょっと勘違いしただけなんだからそのまま返してくれたら良かったじゃない!』
彼女に降りかかった災難は理不尽で、不条理で、決して納得できるものではないだろう。
イザンバに重くのしかかる罪悪感が弔いの手を止める。
だが、ジオーネはその紅茶色の瞳で冷ややかな視線を向けた。
「人を殺すつもりで来ておいて、自分は死にたくなかっただと? 寝言は寝て言え」
それに続いたアメジストも合理的な光を宿していて。
「あんたは他人の一等大事なもんを奪いに来たんや。それを奪えへんた時、あんたのもんが奪われんのは道理やろ」
「何かを欲するのなら、それに見合うだけの対価が必要になる」
「命の対価は命。それだけや」
クタオ邸に足を踏み入れた瞬間、彼らは自らの命を賭けた勝負の場に立った。
——その覚悟がなかったとしても
——その事実に気付いていなくても
——そこに実力差があろうとも
審判は下される。無慈悲なまでに平等に。
「なんなん、その顔。事実やろ?」
「何の覚悟も持たずに欲だけで突っ走ったお前の自業自得だ」
恨みがましい目を向けられようとも護衛たちはびくともしない。しくじれば命を落とすのは彼女たちも同じ。彼女たちもまたその命を賭けた覚悟を持っているのだから。
行き場をなくしたフィーアの悔しさは黒いモヤとなる。
『アンタたちのせいよ……』
『……ごめん』
詰め寄るフィーアに唇を噛んでいたゼクスから出た謝罪。それを聞いてさらに黒いモヤは濃くなった。
『そんな簡単に謝らないでよ! うう、なんで……なんでこんな事になったのぉ!』
『ごめん。ごめんね』
ついには泣き出した彼女をアハトも己が過失の後悔から謝罪を繰り返す。
死霊となった彼らは理性というストッパーがない分、感情が素直に出る。良い意味でも悪い意味でも。
それを見ていたヴィーシャからあからさまなため息が出た。イザンバが困ったような視線を投げるが、彼女はにっこりと微笑み。
「ああ、うっとしぃ。何でもかんでも人のせいにして」
それはそれは優雅に毒づいた。
「もうこの女はほっといてええんちゃいます? お嬢様が心を砕くだけ無駄ですわ」
「馬鹿は死んでも治らないとはこの事だな」
『なによ、その言い方!』
心底呆れたとジオーネも言うが、フィーアの噛み付くだけの言葉を二人は華麗にスルーだ。
「ジオーネ、うちらでヤッてしまお。回復薬と一緒に退魔グッズ持ってきてん」
「よし来た。あの程度ならあたしたちだけで消滅させられるしな」
消滅と聞いてイザンバは驚いた。
イザンバが呪文で彼らを冥府に送ることは所謂成仏である。
しかし、退魔グッズでは生き霊の体が欠けたようにその部分がなくなる。つまり、退魔グッズでの攻撃を大量に浴びれば魂は消滅するのだ。
「最初の呪いがきた後にあたしたちも勉強しました」
「退魔グッズ使う分にはうちらでも問題ありませんから」
もちろんコージャイサンへの報告書を作る際に必要であった事もあるが、またイザンバが呪文を唱える事を躊躇わないとも限らない。
想定出来るあらゆる状況に対処すべく彼女たちは学んだのだ。
「すごい! 二人とも熱心でえらいですね! ……じゃなくて! その手は早急というか、ちょっと待ってください。あなたも、少し心を鎮めて……」
『うるさい! 守られてるお嬢様に私の気持ちなんか分からないわよ!』
フィーアの強い言葉にイザンバは伸ばしかけた手を思わず引っ込めて胸に抱いた。その通りだ、と。そう思ったから。
それでも、黒いモヤの噴出が続けば悪霊になってしまう。
再度説得してみよう、とイザンバが顔を上げたが、それよりも早くヴィーシャが口を開いた。
「あんた……悲劇のヒロインぶりたいんやろうけど、どんだけぶったとこでブスはブスやで」
『はぁあ⁉︎ アンタたちだって性格の悪さが顔に……』
出てない!
片やメリハリのあるボディに胸やお尻が目立つ服装の美女。
片や良い香りを纏い、艶やかな視線を投げかける美女。
他人を妬む無益な時間を過ごすよりも、他人から妬まれる程に磨いてきた技と美貌による裏打ちされた自信を携えた圧倒的勝者感にフィーアがギリギリと奥歯を噛む。
『本当、綺麗ですよね』
『こうやってみるとイイ女って感じしかしないよな。本性はおっかないけど』
うっとりとヴィーシャに見惚れるアハト、しみじみと呟くゼクスにフィーアの歯軋りは一層大きくなる。
『なによ! 結局男って性格が悪くても美人が好きなのよ! ねぇ、お嬢様もそう思うでしょ⁉︎』
「え?」
急に話を振られてイザンバは面食らった。
フィーアの先程までの恨めしさはどこへやら。イザンバの側に寄り、自分の意見側に引き込もうとするのだから逞しい。
さて、どう答えようかとイザンバが考える間も無く、ゼクスがフィーアに向かって当たり前のように言い放った。
『何言ってんだよ、お前。お嬢様もイイ女じゃん』
『うん。二人とはタイプが違うだけだよね』
それに続くアハト。
だが、イザンバとしては居た堪れない。自身が平凡である自覚があるからこそ申し訳ない、とすっかり眉を下げて遠慮がちに申し出た。
「あの、そんな気を遣っていただかなくても……」
『そんなんじゃないですよ! ね、ゼクス!』
結構です、と言う前に力一杯否定された。
アハトが同意を求めるとゼクスはうん、と頷くではないか。そして、今度はイザンバに向けてその考えを説く。
『確かに目を引かれるのはそっちの二人っすけど、お嬢様は背筋がピンと伸びてて、けど仕草とか雰囲気が柔らかいから心が魅かれるって言うか』
その容姿で注意や関心といった人目を引く護衛たち。だが、イザンバに魅かれるのは別の要因だ、とゼクスは言う。
『さっきもツレを丁寧に送ってくれたっしょ? 命狙ってきた奴なんて怖いだろうし放っておいてもいいくらいなのにさ。アイツらも痛がってるとか怯えてる感じ無かったし、見てるだけで温かいって言うか、優しい光だって分かった』
声をかけて、向き合って、次を示す。
彼らの目に入った浄化の光はどこまでも温もりと思いやりのあるモノだった。
『今もオレの話、ちゃんと聞いてくれるし。そういう優しいところとか、ただ周りに守られてるだけじゃなくて自分でも全力で頑張ってるんだろうなってとこが雰囲気で出てるっていうか、一本筋が通ってる強さって言うか……。なんつーか、上手く言えないけど…… あなたは綺麗っす』
イザンバと彼らが直接関わったのはこの夜が初めてだ。
元を辿れば庶民と貴族。命を狙った側と狙われた側。そして——殺された側と殺した側。
それなのに、温かく友を送ってくれた彼女の姿に彼らは感銘を受けたのだから。
これは素直な賛辞。忖度も遠慮も死者の彼らはしないから。
語る自分に気恥ずかしくなってきたのか、まごつくゼクスの口。視線を外しポリポリと頭をかく彼とは対照的に、代弁者を讃えるアハトはニコニコとした笑顔で何度も頷いた。なんなら護衛たちも頷いている。
「……——ありがとうございます」
だからつられたようにはにかんだ顔のまま、イザンバは礼を述べる。
その表情に今は止まった心臓が高鳴ったように感じてゼクスは頬を掻いて誤魔化した。
さて、イザンバが美人サイドに行ってしまえばこちらはボッチだ。
『私だって可愛いって言われるもん!』
『いや、お前はガサツだし腹黒だし図太いし。お近づきになりたいのはこっちの三人』
『うん、そうだね。フィーアの可愛いはなんかワザとらしいし』
幼馴染みの男たちはズバズバと言い切ってしまう。
アハトなぞニコニコと毒を吐くのだから、さてはて誰かさんの影響だろうか。
生前なら庇ってくれていた彼の変化にフィーアは眦を吊り上げた。
『アハトまで! なんでそんな意地悪言うの⁉︎』
『もう死んじゃってるし、ギスギスしないように気を使わなくてもいいかなーって。実は結構面倒だったんだ』
こちらはこちらで素直さが振り切れていただけだった。その笑顔のなんと眩しい事だろう。
『っ〜〜〜もういい! お嬢様、早く冥府へ送って!』
「はい、喜んで!」
『喜ばないでよ!』
「ごめんなさい!」
味方のいない状態に耐えられなくなったのか彼女はイザンバに自ら浄化を強請った。
つい元気よく注文を受け付けたイザンバは条件反射というものである。
『フィーア、言い方!』
『クソ女がほんとすんません!』
アハトが咎めるように、ゼクスは勢いよく詫びるが、イザンバもこちらこそと頭を下げると気力を高めた。
『ふんだ! アハトが言ったんでしょ! 私だって死んでるし貴族なんか怖くないもん! 私も次は貴族に生まれ変わってみんなからチヤホヤされちゃうんだから!』
すでに転生という目標を持っているようで彼女の瞳はまだ見えぬ未来へと向けられる。なるほど、前向きでよろしい。
しかし、そんな彼女にドスっと太い釘が刺された。
「まずは性格を直せ」
端的にジオーネが。
「そのままやと生まれ変わってもブスやで。性根は面に出るさかいに」
オブラートにすら包まずにヴィーシャが。まぁ、美女二人の言葉には容赦がない。
『キィーッ! 見てなさいよー! アンタたちにもお嬢様にも負けないくらい見た目も性格も美人になってやるんだからー!』
本当に恨めしさはどこに行ったのか。言いたい事を言って、三人目もやっと冥府へと旅立った。




