3★
※注意※
これより先はコージャイサンの部下である暗殺者の彼らがお仕事をする場面でございます。
暴力が振るわれ、血が出ます。人が死にます。
そのような『残酷な描写』を過分に含んでおりますので、苦手な方はご注意ください。
また読まれた方におかれましては自己責任の範疇ですので、読後の「気分を害した」「こんな展開は望んでない」などのクレームは受け付けません。
あらかじめご了承ください。
ただし「よくがんばりましたー!」などの感想は大歓迎です。
繰り返します。
この先は暴力、流血、殺人など『残酷な描写』を含んでおります。
「この落差がいいんだよ……」という精神的猛者の方のみお進みください。
注意は読みましたか?
大丈夫な方のみお進みください。
月が一層細くなった夜。『ストーキン伯爵邸の掃討』という主命を全うすべく離れた高台から二体の影が件の邸を覗き見る。
「あっちを見ても雑魚。こっちを見ても雑魚。あはっ、楽しくなりそう」
目をキラキラと輝かせたリアンから発せられたのは明らかに場違いで、そしてなんとも無邪気な言葉だ。
「ファウストは手を出さないでね! 全部僕が狩るんだから!」
「承知した。が……いいか、ならず者とは総じて下品だと言うことを忘れるな。可愛いと……」
言われるくらい聞き流せ、とはまたもや言えなかった。
苛立ちを露わに向かってきた鋼線をファウストは真正面から鷲掴む。
「分かってるし! て言うか、それもう聞きたくないんだけど!」
なにしろイザンバに散々言われたのだから。
しかしリアンも主の婚約者に牙を剥くことも出来ず、イルシーのからかいから溜まったフラストレーションは出口を求めて暴発寸前だ。
準備体操として膝の屈伸を始めた彼にファウストが最後の確認を行う。
「私兵については殲滅で構わない」
「うん!」
対するリアンの返事は短い。伸脚でアキレス腱からお尻までの脚裏側の筋肉を伸ばしながらも彼の爛々と光る薄緑色の瞳は獲物を見据えているのだから、関心がどちらを向いているかなんて言わなくても分かる。
「伯爵と執事、使用人数名は捕縛だからな」
「うん」
内外旋で肩甲骨も意識して腕を回した後。
「本邸の地下にいるメイドは保護対象だぞ」
「うん」
体側をグッと伸ばし。
「ああ、そうだ。別邸に捕えられている長男も保護対象だ」
「うん」
手首、足首をよく動かしほぐす。準備はバッチリだ。
「使用人の方はうっかり殺してもまだお許しが出るだろうが、伯爵と執事はダメだからな」
「……うん」
「半殺しはいいが勢い余って殺すんじゃないぞ。分かったな?」
「分かってるってば!」
度重なる確認に「しつこい」と放たれた鋼線が脅すようにキュッとファウストの首を絞める。
しかし、絞められた当の本人は咳払いを一つするだけだ。鋼線に殺意がなかったこともそうだが、ファウストの怪力を生み出す肉体の強靭さゆえに。
「そうか。では……——狩りの時間だ」
「やった! 行ってきまーす!」
ファウストが静かに告げた開戦の音頭に、リアンは意気揚々と飛び出した。
無鉄砲な背中にファウストは小さく息を吐いてしまう。
「さて……自分は裏に回るか」
その姿は呟く声と共に闇色に吸い込まれた。
ふわり、と小さな影が降り立った庭先。その気配に殺気だった私兵たちだが、姿を確認した途端に気を緩めた。
「ああ? ンだ、このガキ……新入か?」
「ヒュー! 可愛い顔してんじゃねーか!」
「こいつぁ上玉だ。お兄さんがイイコト教えてやるからこっち来いよ」
けれども卑陋な冗談に返されたのは不機嫌さを隠しもしない声で。
「……——は?」
無造作に、虚空に線が引かれれる。その柔靱な線の先で赤い飛沫が夜の庭先に染み込んだ。
——腕が
——脚が
——首が
壊れたおもちゃのように宙を舞う。
「どいつもこいつも人の顔を見て…………あー、イライラする!」
感情に呼応するように少し太めの鋼線が踊る。
振り回される剣を躱し、飛び出す魔法を防ぐ様はまるで意思のある生き物のようだ。
「確かに提案に乗ったのは僕だけど……だからってあんな……っ!」
ギリリ、と噛み締められた歯と同じだけリアンの指先に力が籠る。
ところが驚き殺気立つ私兵をよそに吐き出されたのはごく個人的な恨み言。
「僕が嫌いな言葉だって分かってて連発して! しかもいくら…………してたって、抱きつくとかほんっっっとやめてほしい! 主の殺気とか浴びたくないんだけど⁉︎」
一部口籠ったのはご愛嬌。まさかあんな姿になろうとは彼自身もクタオ邸を訪れるまで思ってもみなかったのだから。
「知るか! 文句はてめぇの主とやらに言いやがれ!」
「うるさいよ」
腕を一閃すれば無情にも鋼線がその首をぐるりと捕える。
口汚く罵り出した私兵達に向かってリアンがにこーっと浮かべた笑みは可愛いとしか言いようがない。しかし……。
「おじさんたちは黙って僕に八つ当たりされて——死ね」
吐き出された言葉は実に可愛くない。
リアンが鋼線を握る手にグッと力を込めて左右に広げれば、また一つ、人の頭部がボールのように天に向かって飛んだ。
八つ当たりを繰り返す事で浮き彫りになる彼の幼さ。軽やかに鋼線を振るリアンの姿はあどけない子どもそのものだ。
けれども行く先を阻む者が多いほど鼻歌を歌いそうなほどの喜びの雰囲気と理不尽で躊躇ない殺戮に、一層の不気味さを感じて相対した者は体を震わせた。
そうして恐怖は伝播する。
それは庭に留まらず屋敷の中へと駆けて、麻薬に浸り切った思考を揺さぶった。
リアンが立ち入った本邸。廊下を照らすランプの灯がキラリと一線に反射した。
それは獲物を絡みとるような蜘蛛の糸。
張られた糸は先々で獲物を捕える。金目の物を持ち出そうとした捕縛対象の使用人だったり、酒類貯蔵室で肥やした私腹を鞄に詰めていた執事だったり。
柔靱な鋼線が巻きつき、締め上げ、もがく獲物を吊るしていく。
迷いなく廊下を進む彼はとうとう目的の人物の私室に辿り着いた。けれどもそこには傷だらけの数人のメイドが横たわるだけで伯爵の姿はない。
「あれ……いない。じゃあ、あっちかな?」
キョトンとしたリアンだが、すぐに閃いたと口角を上げる。そして、鬼ごっこを愉しむ軽い足取りで踵を返した。
行き着いた先は伯爵の書斎から隠し階段を通った先の地下室。その部屋の奥、壁際にずらりと積まれた木箱がある。
ストーキン伯爵は麻薬混ざりのタバコが入った複数の木箱をガタイのいい男に運ばせようとしているところだ。
「伯爵、見ーっけ」
突如響いたご機嫌な声にストーキン伯爵は大きく肩を揺らした。強張った体ごと振り向くと、声の主は少年であるから力が抜けた。その衣服が鮮血に濡れているのは……地下室が暗くて見えていない。
「っ——なんだ、お前は!」
「んー……さぁ、何だろうね」
小首を傾げながら言った言葉はイルシーのからかう調子を真似ていて。リアンはにっこりと笑う。
「さっきから外が騒がしいのはお前のせいか! さては、幹部である私に成り代わろうとした誰かの差金だな!」
怒鳴る的外れな伯爵の見解。
——それはなんと滑稽で
——それはなんと不相応で
漂う小物臭にリアンはさらに愉しげに嗤う。
「私兵どもはお前のような小僧に負けたのか⁉︎ 情けない連中め! だが、コイツは一味違うぞ! おい、あのガキに仕置きだ! それをぶつけろ!」
伯爵の命令に担いでいた木箱を男が大きく振りかぶった。
緩慢な動きにリアンは怪しんだが、次の瞬間——木箱が壁にぶつかる破壊音で耳が痛む。
投げるまでのモーションは遅かったが、男が腕を振りきった途端に木箱は弾丸となったからだ。
咄嗟に身を屈めたリアンだが、反応が間に合わなければ危なかった。
「はははっ! どうだ! お前、改心するなら命は助けてやる。そうだな……中々可愛い顔をしているじゃないか。私の愛玩具としてそばに置い……は?」
シュッ、と鋭い風切音がしたかと思えば伯爵の髪がハラハラと落ちる。それは無音の警告。頬からも血が出ているが、伯爵がそちらに手を伸ばす様子はない。
「……ああ、うざい。無能は喚いてばっかりで……ほんと、うざい!」
にわかに殺気立ったリアンに伯爵は一歩後ずさった。子どもと侮ったが故にその豹変に怯んだのだ。
「おじさん、僕が来たんだからもう終わりだよ。半殺しはいいらしいから、ちゃんと僕の八つ当たり、受け止めてね」
そんな理不尽なおねだりを人が容易く聞けるわけもなく。
麻薬に侵されより短気になったストーキン伯爵はまたすぐに憤怒に顔を染めた。
「殺せ! 命令だ、このガキを殺せ!」
命令を受けた男がゆっくりとリアンに向き直る。その目は虚で自己を示さない。
——不気味なやつ……。
突進してくるわけでも剣を構えるわけでもなく、ただ突っ立ているだけの男にリアンはすぐさまその首を狙い鋼線を放った。
ところが男は避けるどころか何の抵抗もしない。
リアンが不審に思っていると男の手が鋼線を掴んだ。そのまま力任せてグイッと振り回すではないか。
そんな事をされれば鋼線で繋がっている小柄な彼の体は宙を舞う。勢いを殺せぬまま、リアンは壁際に積まれた木箱に叩きつけられた。
「——かはっ!」
崩れ落ちた木箱の上でゴホゴホとリアンは咳き込んだ。男の接近を感知したが、叩きつけられた衝撃が体から抜け切らない。
回避が間に合わず小柄な体は軽々と蹴り上げられ、頭を掴まれ、投げられて。
「ぐッ……ゴホゴホッ」
迫り上がった胃液と木箱の欠片で切った額から流れる血が煩わしい。
唯一ありがたいのは男の動きが緩慢な事。距離を取れた隙に硬度のある鋼線を取り出すと、次に降ってきた男の拳を防いだ。
さて、リアンが男に叩きのめされているその隙にまんまと地下から逃げ仰せた伯爵は、書斎の扉前で一人の大男と出会した。
男の顔に見覚えはないが着ているものは使用人が着るものだ。
「地下室にいるガキを殺せ! いいな!」
その命令に膝をついた彼に気をよくして隣を通り抜ける瞬間、何かを砕くような音の後にかくりと伯爵の膝から力が抜けた。
不思議に思い足を見れば伯爵の右膝がぐしゃぐしゃに潰れている。
「……なんだ?」
「成る程。痛みを感じていないとは……すっかり中毒者だな」
呆然とする伯爵を大男——ファウストはゆっくりと立ち上がり見下ろした。
「貴様、頭が高い! 私は伯爵だぞ! 姫に忠誠を捧げた幹部だぞ!」
「だからなんだ? お前には捕縛命令が出ている。大人しくしていることだな。でなければ……」
覗き込んできた黒曜石の瞳は光の通らない深淵のよう。すっかり顔色をなくしたストーキン伯爵とは反対にファウストは愉しげに嗤う。
「関節が次々と潰れていくぞ」
そう言って耳に届いたのは湿り気のない軽い音。左膝はいとも容易く右と同じ運命を辿った。
両膝が潰れてしまえば伯爵は逃げるどころか立ち上がることすら出来ない。
「……あ?」
彼にも潰れた膝は見えている。だがそれでも、伯爵自身に痛みはない。
ファウストを見て、膝を見て、またファウストを見て。
——濃く呼び込むような奈落の瞳に
——歪な三日月の口元に
——易々と骨を砕いた怪力に
麻痺した脳は迫り上がる恐怖に負けた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁああ! 化け物ぉぉぉ!! 誰っ、誰かー!」
「そう怯えてくれるな。悲しくなる」
ストーキン伯爵の喉から出た絶叫にファウストは悲しげに瞳を揺らす。
ずり這いで逃げようとする彼にまるで赤子をあやすように差し出された手。引き攣った声を断続的に出し、不気味さに震えるばかりの伯爵の手を掬われ——あっさりと、骨が乾いた音を立てた。
ところ戻って、耳を劈く汚い悲鳴は地下にも届いた。しかし、男は拳を振るうことをやめない。
攻撃を防ぎながら、リアンはその様子に眉を顰めた。
——コイツ……聞こえてない……?
ならば、とリアンは痛む体を無視して四方八方に太さも硬さも様々な鋼線を巡らせた。その隙間を縫い、階段を背に男と向き合う。
細い糸が纏わりつく不快感も感じないのか、それとも命令の遂行だけが頭に残っているのか。行く手を阻む太い鋼線に引っかかる様はまるで糸の切れた操り人形のよう。
リアンはそんな男に無邪気で無慈悲な声をかける。
「ねぇ、脳みそイッてんでしょ? もっとイイ刺激——与えてあげるよ」
体内に侵入した極めて細く、そして電気伝導率が高い銀の鋼線。いくら外側が強靭でも穴は存在する。耳から、鼻から、口から、鋭く尖った線の先を脳に突き立てた。
その線を伝うようにリアンは雷撃を喰らわせる。
バチリッ、と瞬いた閃光。
——最初の電撃はショックを。
ジューッ、と肉を焼く熱。
——次に電熱が体の内側を。
呻き声一つ上げずに、男は崩れ落ちた。流れる電流にいまだ体を小刻みに震わせながら。
男の痙攣が完全に停止するとリアンも腰を下ろした。そこへ降りてくる靴音が地下室に木霊する。音の主が姿を見せた瞬間、彼は不満を口にした。
「……ムカつく! 全部僕が狩るって言ったのに!」
「自分は伯爵の逃亡を防いだだけだ。獲物を狩ったのはリアンに相違ない」
「ファウストが手を出したのがムカつくの!」
「そう駄々を捏ねるな。仕方ないだろう。麻薬でタガが外れた馬鹿力を瞬時に押し切るにはリアンはまだ…………」
弱い、と言えば拗ねるだろう。
小さい、と言えば怒るだろう。
「若いからな」
「あー、うざい! ——っ」
どうやらファウストの精一杯のオブラートもお気に召さなかったようだ。鋼線が飛んでこないのは話すだけでも体が痛むからだろう。
小さく息を詰めたリアンにヴィーシャ特製の痛み止めを渡すと無言で飲み干した。
「歩けるか? それとも自分が運ぶか?」
「……ちょっと疲れたから運んで」
痛い、と言わないのはリアンの暗殺者としての矜持。
そんな彼をファウストは背中とひざ裏に腕を回して掬い上げた。つまり、俗に言うお姫様抱っこだ。
「何で⁉︎ もっと普通にしてよ!」
「全く……我が儘だな」
「違う! 真っ当な要望だよ!」
ああ言えばこう言う。思春期の扱いは難しい、とファウストは小さくため息を吐いた。
そして、子どもを抱き上げるように片手で担ぎ直す。まだ痛み止めが効かずに体は痛むだろうがバランスは自分で取るだろう、とそこは彼に任せて。
「このままメイドと長男も回収する。それでいいな?」
「分かった。そう言えば……次男はどうするの?」
今思い出したと言うようなリアンの質問だが、今回次男が対象に含まれなかったのはコージャイサンが行ったあの浄化のためだ。
「主の仰る通りすでに狂っていたんだが……リアン、あとで捕縛してくれないか?」
「いいけど、ファウストがしてこなかったの?」
先程伯爵に対してそうしたようにファウストがすでに押さえていると思ったリアンは拍子抜けした。
「む、奴は何というか……ちょっと特殊でな。自分には加減が難しかった」
「ふーん、分かった」
「それが済んだら別邸の処理も頼んだぞ」
「任せて! 痛み止め効いたらすぐ殺る!」
軽い口調のやり取りが地下室を後にする。
赤く濡れた足跡の数だけ増えた物言わぬ肉塊。ストーキン伯爵邸の掃討は予定通り行われた。