表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/173

コージャイサンとイルシーの報告会。

 夜、コージャイサンは自室で紙と向き合っていた。種類ごとに分けられた紙の山は、魔道研究部に提出する資料や領地の資料、夜会の招待状であったりと様々だ。

 そこに音もなく現れた人影。イルシーだ。報告、と前口上を述べてスラスラと話し出す。

 コージャイサンは特に驚く様子もなく、視線を紙に向けたままイルシーの言葉に耳を傾けた。


 報告の内容は、数日間イルシーが護衛として見てきたイザンバの姿。この間の彼女の行動範囲は狭く、本屋か図書館かと行き先も大方決まっている。行き先が変わると言えばお茶会だが、積極性は皆無だ。

 それでも家の者との関係は良好。両親はおろか執事やメイドですら生温かい目でイザンバの様子を見ている。

 彼女は実に危険とは無縁な日々を送っていたのではないだろうか。


「——と言うわけで、イザンバ様に護衛は要らないんじゃないかと思うんだが」


「不合格だ。やり直し」


 イルシーの提案にコージャイサンは不可の判を押す。即座に返された返答に、イルシーからは不満気な声が漏れた。


「なんでだよ」


「表面だけ見てどうする。この数日、ザナがあえて外出を控えていたとは思わないのか」


「え? あんなに元気に引きこもり宣言してたのに?」


 イルシーにそう言われ、コージャイサンは手を止めて押し黙ってしまった。恐らく彼の脳内で、テンション高めのイザンバが嬉々として引きこもり宣言をしている姿が容易に想像出来てしまったのだろう。

 安心して欲しい。その想像に間違いはない。


「あ、そう言えば時々変な笑い声とか雄叫びが聞こえてたなぁ。もしかしたら怪しい宗教にハマってるのかもしれない。確か——ニーテンゴー・ジゲン、だったか?」


 部屋から漏れ聞こえる声。それを元に話しているのだろうが、イザンバのなんとも言えない残念感しか伝わらない。

 イザンバの言動に慣れていない人間にとっては『怪しい』の一言なのだろう。

 しかし、宗教とはまた異な事を言う。そうではない、とコージャイサンはフォローに回った。


「惜しいな。ザナがハマってるのは二次元だ」


「分かんねーよ。どう違うんだよ」


「厚みが違う」


「……なんだよ厚みって」


 イザンバがメイドに行った説明を壁越しに聞いていただけのイルシーには、そのような違いはよく分からない。「やっぱり変な女だ」とボソリと呟いた。

 どうやら、コージャイサンのフォローは失敗に終わったようだ。


「というか、そもそも護衛が側を離れるな。茶会の時にいないと意味がないだろうが」


「意味がないって、ただ茶ぁ飲んで喋ってるだけだろ?」


 イルシーの言葉に虚を衝かれた。暫し固まったコージャイサンだが、どうやら合点がいったようだ。


「ああ、そうか。お前は暗殺者としての常識しか入ってないんだな」


「は? なんだって?」


 しみじみとそう零したコージャイサン。対するイルシーは馬鹿にされたと思ったのだろう。声の調子に機嫌の悪さが混ざった。


「それはそれでいいんだが、他の邸での茶会は相手の懐にいるも同然だ。女同士だからと言って油断していいわけじゃない」


「どういう事だよ」


 女といえども戦う術を持つ者はいるが、蝶よ花よと育てられた貴族令嬢に何が出来ると言うのか。

 イルシーとて馬鹿ではない。

 邸に住む者、参加する者の下調べを行った際に、怪しげな人物は居なかった。だから、離れても大丈夫だと判断したのだ。


「次の茶会からは側を離れるな。そうすれば分かる。仮に安全だと判断して側を離れるとしても、いざと言う時の合図を決めてからにしろ」


「りょーかい。てかさ、コージャイサン様なら女なんて選り取り見取りだろぉ? 平均・平凡・変人のイザンバ様に拘る必要がどこにあるんだよ」


 それはイルシーの純粋な疑問。平均・平凡はよく言われるが、よもや変人まで入る日がこようとは。

 コイツ、ザナに良い印象を持っていないな、とコージャイサンはその疑問を受け止めた。


「お前は馬鹿か」


 そう言うや否やイルシーに向かって、ヒュッと万年筆が飛んできた。万年筆とは本来は字を書くものなのだが、コージャイサンにかかれば、まぁびっくり! ダーツに早変わりだ。

 投げたコージャイサンの目線? 勿論書類に向いたままだ。


 顔に向かってきた万年筆を、首を右に傾けて避けるという素晴らしい反射神経を披露したイルシー。

 投げられた万年筆は綺麗な直線を空に書き、そのまま壁に突き刺さった。「何するんだよ」とイルシーが非難を口にするより先に、視線をイルシーに向けたコージャイサンの言葉が場を支配した。


「理由は前にも言っただろ。それに、ザナはうちに関わる者の中で一番の狙い目なんだ。知識は有っても、ザナ自身に戦う力はない。お前はザナの知識を使いさらに研ぎ澄まされた剣となり、そして盾となって散って来い」


「いやいやいやいや、なんでだよ。最後のはおかしいだろ」


 ここまで言い切られるといっそ清々しい。清々しいが、黙って聞いていたイルシーもこれには素直に頷けないようだ。


「どこがおかしいんだ?」


 イルシーの反論にコージャイサンは小首を傾げた。


 コージャイサンの思考としてはこうだ。

 イルシーは暗殺者である。相手を殺す事に特化しているが、誰かを護りながら相手と対峙する事には慣れていない。

 イザンバの知識があったところで、その言葉を信じてうまく連携が取れなければ意味が無いのだ。


 一対一ならイザンバを護りながらでもイルシーが遅れを取ることはないだろう。だが、一対多数ならばその難易度はさらに上がる。

 それゆえに、手傷を負うことは間違いない。そうなればイルシーの事だ。コージャイサンの命を優先してイザンバだけはなんとしても逃すであろう。そう、例え己の命と引き換えであったとしても……。


 イルシー・カリウスと言う男がそれだけの忠誠心を自分に持っている事、コージャイサンがイルシーを信ずるに値するとその忠誠を受け入れた事、そう言った事実の上に成り立っている護衛命令なのだ。


 しかし、コージャイサンにそう言った諸々の思考を懇切丁寧に説明する気はなく、色々と端折った。

 結果、思考の結論である『盾となり散って来い』が言葉として出たのである。

 もちろんそれでイルシーに伝わるはずも無く、ツッコミを頂く事になったのだが。


「散る前提の話をするな。俺はそんなにヤワじゃねーよ」


「そうか。頑張れ」


「適当だなぁ、おい」


 少し怒りの含まれた反論をコージャイサンは淡々といなすと、また視線を書類に戻した。

 イルシーは諦めをため息として吐き出して、ふと考えた。護衛が必要ない条件。思い付いたそれに見合う提案をポロリと零してしまった。


「いっそ自分で身を守れるヤツを婚約者に据えた方がいいんじゃねーの?」


 その提案をコージャイサンは無言で万年筆を投げる事で返事をした。鋭い勢いで胸部に向かって飛んできた万年筆を今度は上体を反らす事で回避してみせたイルシー。流石である。


「あのなぁ! 俺はダーツボードじゃねぇ!」


「そうだ。ザナの護衛ついでに、他の常識も知っておけ」


「無視か⁉︎ おーい、無視か⁉︎」


 イルシーの提案も万年筆を投げた事もそれに対する抗議も、全てサラッと流してコージャイサンが命じた。イルシーが護衛を外れたがっていると言うのも分かっているが、それすらもサラサラッと流した。


「ザナは貴族の常識、庶民の常識、それぞれの場面に合わせられるからな。側について覚えろ」


「はぁ。常識に違いなんざあるのかよ」


「あるぞ。そうじゃなきゃ、聖地巡礼なぞ出来んだろう。行きたがる場所が必ずしも貴族のために整備された場所とは限らないからな」


 例えば同じ身分、貴族同士なら常識と言うのは大体同じになる。だが、自分の常識は他人の非常識と言う。貴族同士であっても他人の言動に眉を顰めるような事は間々あるのだ。

 それが貴族、騎士、商人、庶民、暗殺者、大きく見れば国や宗教など、立ち位置が違うのであればその常識に違いはあって当然と言えよう。

 ちなみにコージャイサンがそれを理解したのは、イザンバの聖地巡礼に付き合うようになってからだ。

 今ではどんな相手でも大抵の事は『常識の違い』で済ませている。


「あー。うちの里も貴族向けじゃないしなぁ。単純にイザンバ様が変なだけかと思ってたけど」


「そう言う事だ。ザナ曰く『郷に入っては郷に従え』だそうだ。自分の価値観や意思は大事だが、相手の風習や状況に合わせられる方が強みになるときもある。お前の常識を捨てろ、と言ってるんじゃない。ただ違いがある事を理解しておけ。俺の役に立ってくれるんだろう?」


「仰せのままに」


 イルシーにとってはただのお喋りの場であるお茶会が、見方を変えればどう変化するのか。

 コージャイサンは意味のない事は言わない。これで役に立てると言うならお安い御用だ、とイルシーは引き受けた。


「じゃあ、護衛しながら他の常識を学んで、信頼関係を築くように」


「なんて男だ。サラッと増やしてきやがる」


 護衛だけでもお門違いだと思うのに、まだ増えるのか。「そんなに大事かねぇ」とイルシーは呆れを滲ませる。


「なんだ。出来ないのか」


「はぁ⁉︎」


「そうだな。いくらお前が暗殺者としては優秀でも、慣れない護衛をしながらその他まで手を回す余裕はないか。悪かったな、気が付かなく——」


「出来るし! 余裕だし!」


 チョロい。里の連中が見たら目を剥いて驚く程のチョロさだ。

 それで良いのか、と思うがコージャイサン限定なので大目に見てもらおう。「よし、言質は取った」とコージャイサンが一つ頷いた。


「ザナに忠誠を誓えとは言わないが、今後の為にも多少の信頼関係は築いておけ。緊急事態の時にお互いを信用出来ず、動けないようでは元も子もない」


「信用ねぇ……この場合は俺とイザンバ様のどっちが金を積むんだ?」


「何を言ってるんだ?」


「え? 信用って言えば金だろ? 後払いより前払い。なんなら前金と後金でバッチリ保証」


 あながち間違いではない。暗殺者への依頼は金銭で成り立つ。当人の実力、依頼の難易度に見合う対価が支払われるのだ。

 だが、今回のパターンには合わないだろう。


「目に見えて分かりやすいと言う意味では間違いではないだろうな。だが、金の事は一先ず横に置いておけ」


「置いてどうするんだよ」


 イルシーに他の案はない。と言うより知らない。


「ザナは信用を金で測る女じゃない。会話だ。とにかく会話をして来い。そうすれば、ザナの事もちゃんと分かる」


「十分分かってるっての。イザンバ様は変人だ」


「お前の『分かっている』は一方的に見たザナの一面に過ぎない。逆に聞くが、ザナはお前の事をどこまで分かっている? と言うか、そもそも顔を合わせているのか?」


 その問いにイルシーは沈黙を返す他ない。何故なら顔合わせの日以降は陰ながら見ていただけで、話すどころか顔すら合わせていない。

 コージャイサンはその沈黙で答えを理解した。


「そんな事だろうと思ったよ。いいな、会話をしろ。お前だけが分かっててもしょうがないんだよ。双方が相手に信用を持つ為にはまず会話だ。話はそれからだ」


 不満。口はへの字に曲がり、如何にも不機嫌ですと言う空気がイルシーから漏れ出した。


「お前とザナ、合うと思うんだがな」


 イルシーのその様子を見てもなおコージャイサンは余裕の態度を崩さない。

 イザンバ様と俺のどこに合う要素があるんだよ、とイルシーは心底嫌そうな空気を出した。イザンバ=変な女の方程式は中々に頑固らしい。

 やれやれとコージャイサンは肩を竦め、再び書類に目を落とした。


「ああ、それから——」


 カカカッ! と軽快な音を立てて壁に突き刺さった万年筆が三本。頭、胸、腹と三点を目指して飛んで来た万年筆を、ジャンプした上で頭を支点にし前向きに回転する事で避けたイルシーだが、これには強く抗議の声を上げた。


「なぁ! 万年筆って何か知ってるか⁉︎ さっきから使い方がおかしいだろ!」


 先程からいくつも投げられている万年筆。しかしイルシーの言う通り、コージャイサンは文房具とは一体何なのか、今一度考えるべきである。万年筆は決してダーツではない。


「お前の報告は当てにならんな。どこがあと十日程だ。アイツら、暗殺者としては及第点でも、従者としては落第だ。お前、身内に甘いな」


 またもや抗議の声はサラッと流し、さらにはダメ出しをするコージャイサン。成る程、評価の基準がこの二人では違うようだ。


「……それはコージャイサン様だろ」


「何のことだ? アイツらは当分使えないから、ザナの護衛期間は無期限延期な」


「マジかよぉ」


 その一言に含まれた驚愕。落胆。それらを身のうちに潜ませて、イルシーは窓の方に歩みを進める。


「どこに行くんだ?」


「ちょーっとアイツらをシバk……久々にアイツらに稽古をつけてくる」


 コージャイサンの呼び掛けにニッと笑うイルシー。上がっている口角と漏れ出た感情は一致せず、何やら黒い仕上がりになっている。


「それはいいが、ちゃんとザナの護衛に戻れよ」


「心得ております。それでは、コージャイサン様。本日はこれにて失礼します」


 綺麗な一礼をしてイルシーは立ち去った。

 あれは八つ当たりに行ったな、と冷静に見ているがコージャイサンに止める気はないようだ。


「常識の違い、か」


 一人になった部屋でポツリと零す。

 イルシーは若き暗殺者の筆頭なだけあって、潜入や対象に近付きやすい人物に成りすます為に礼儀作法は心得ている。

 しかし、単独の短期決戦型。さっさと済ませてしまうので、誰かに合わす必要がなかった。


 今回の護衛もそうだ。陰から守る事は確かにあるが、ここまで顔すら合わせないのは護衛ではなく、ただの尾行。変態の領分だ。

 長い付き合いになる事を見越して、互いを知る良い機会にとの護衛なのだが、今のところコージャイサンの思惑は空回りしている。


「自分で動くのとは全く違うな」


 そう言うと、ため息を吐いたコージャイサン。

 人を使うのは難しい。一を聞いて十理解する者もいれば、一つ一つ説明が必要な者もいる。認識のズレにより正しく伝わらない事もある。

 今回は『護衛』と言う暗殺者には畑違いな事を頼んだことからの差異だろう。

 そして、その原因の一つとして己の言葉足らずがあると言う事は微塵も思っていない。なぜなら、それを指摘するイザンバはこの場に居ないから。


 イルシーは家族とも友人とも違う。己の背を預ける為に、大切なモノを預ける為に、腹心とも言える人物に育てる。

 それと同時に、コージャイサンもまたイルシーの忠誠心に見合う主人としての道を模索しているのだ。


 ふぅ、とまた一つ息を吐き出し、コージャイサンは引き出しから新たな紙の束を取り出した。

 以前のイルシーの報告を纏めたものだ。今回の報告と併せてもう一度見直していく。

 この報告書の中にはイルシー・カリウスと言う人物の性格が書き方として映し出されている。

 まずは自分がもう一度、とその理解を深める為に。


 夜は深く思考を誘う。

 コージャイサン、イザンバ、イルシーの三者三様。それぞれが、それぞれの為に。

 夜はその(かいな)を広げ、ことさら静かに更けていく。

ニーテンゴーは任○堂的な発音で!



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ