『金葉集』より小式部
早速『万葉集』以外からの出典で申し訳ございません……。
大江山
いく野の道の
遠ければ
まだふみも見ず
天橋立
『解説』
和泉式部の娘、小式部内侍が詠んだこの短歌は「古今著聞集」にも記され、知名度は他の短歌と比較すると高い。
この短歌の個人的な見所は、この歌が読まれるに至った経緯にある。このエピソードは「古今著聞集」に記されており、一部の古典の教科書にも記載されている。では、そのエピソードとこの短歌の意味を順に追って説明していこうと思う。
有名な歌人であった作者の母、和泉式部が藤原保昌の妻として丹後(現在の京都の北部)に行っていた時の事。京である歌合の詠み手として小式部内侍が選ばれたが、当時の小式部内侍は無名(歌が上手いという噂はあったが、母が代作しているのであろうと思われていた)であった。
そこで藤原定頼はからかい混じりに「丹後に使わした者は戻って来たのか?」と言い小式部内侍の部屋の前を通り過ぎようとした。すると小式部内侍が御簾から半分程身を乗り出し、直衣の袖を掴んで引き留めた。
その時定頼に言いはなったのがこの短歌である。訳としては「大江山もいく野も遠いので、使いなんて遣わしてませんし手紙だって読んでません。」 となる。
この短歌の素晴らしい所は「いく野」と「ふみも見ず」である。この二つは掛詞と言って、一つの言葉で二語を表している。「生野」という地名と「行く」という動詞。「文(手紙)も見ず」と「踏みもみず」。この二つの掛詞によって唄の厚みが増している。また、最後に「天の橋立」と締め括るのも流石と言えよう。天の橋立とは丹後を代表する名所であることから、自分は丹後に行った事はないですが、訪れることが出来るのでしたら天の橋立に行ってみたいです、といったような憧れる気持ちを感じる。この句は正に名歌と言っても過言ではない程、技巧を凝らせた完成度の高い物である。そして、この短歌を聞いてたまったもんじゃないのがちょっかいをかけた定頼の方である。一瞬の内にこんな名歌を詠まれてしまっては返歌(短歌で返答すること)することも出来ず「どういうことだ…」(これまでは代作という噂を信じていた為)と茫然自失に呟き、袖を掴んでいた手を払い、逃げ帰って行った。そしてこの話が世に知れ渡り、小式部内侍は歌人としての評判を得た。
以上がこの短歌が読まれたエピソードである。短歌と言うのはそれ単体でもとても趣深く、美しい物ではあるが、どのようにしてそれが詠まれるに至ったのか。そのエピソードを知れば、また違った美しさを見出だす事が出来るのではないだろうか。