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なにもない世界の中で

作者: 翼 翔太

 風といっしょに赤茶けた砂がすべてをかくすようにまい上がる。ふんばりにくい足元を進むひとつの人影。目以外はフードでおおっているが、背かっこうから見て十代前半くらいだろうか。人影はうで時計を見た。針は四時を指していた。砂漠は夜になるとぐんと気温が下がるので、なんとか野宿だけはさけたかった。

 そのときまるでカーテンを開いたように、ぽつんと一軒の家が現れた。人影はその家のドアをたたいた。

「はあい」

 中から出てきたのは若い女性だった。はだは青白く、いたんだ黒く長い髪をバンダナでまとめている。

「すみません。旅の者なのですが、今日だけでいいのでとめていただけないでしょうか」

「あら、こんな砂漠の中を?どうぞどうぞ、お入りになって」

 人影は家にいれてもらい、フードをぬいだ。女性はその姿を見て「まあ」とおどろきの声を上げた。

「あなたまだ子どもじゃないっ。こんな砂漠の中、たいへんだったでしょう。すぐにからだをふくものを持ってくるわね」

 そう言って女性は奥へと消えた。人影……少年は真っ白な髪を手で整えながら、部屋を見回した。ゆかは砂漠に建っている家にも関わらず、フローリングで丸い緑色のじゅうたんは色あせている。

「はい、どうぞ」

 もどってきた女性は少年に、水の入ったおけとタオルを差し出した。少年はお礼を言ってそれらを受けとるとうでや足をふきはじめた。

「やはりどこを行っても砂漠ばかりですね。あの大災害の中、ここはよく無事でしたね」

 もう何十年も前に、ありとあらゆる災害がこの世界をおそった。どうしてそんなことが起こったのか、今でもわかっていない。人間が自然をこわしすぎたからだとか、どこかの教えの神が怒ったからなどいろんなことを言われているが、これという説は出ていない。

「え、ええ。人の数も今では三分の一ほどしか残っていないとか。……むかしはここも村だったんだけどねえ。

 ああ、そういえばあなたお名前は?」

「……シクヨイ、といいます」

 女性は「シクヨイくん」と口の中で少年の名前を転がした。

「かわった名前ね」

「ええ、よく言われます」

 女性はをシクヨイからからだをふき終わったタオルとおけを受けとる。かべにかかった時計を見た女性は「おなかすいているでしょう?ごはんのじゅんび、するわね」と言って、ふたたび奥へと消えた。もうゆうがたの五時だった

 シクヨイは服の下からペンダントをとりだす。ふだんはとうめいなそれは、よごれきった川の水の色になっていた。その意味を知っているシクヨイは表情が固くなった。


 ばんごはんはスープとパンだった。野菜やくだものが育ちにくくなったこの世界ではよくあるメニューだ。

「どうぞ」

「ありがとうございます。いただきます」

 シクヨイはスープを口にはこんだ。食事をしながら女性が尋ねた。

「それにしてもあなたみたいな子どもが、きびしい旅なんてなにかとくべつな事情でもあるの?」

「いえ……とくに目的地のない、風のむくまま気のむくままの旅でして」

「まあっ。あぶないでしょうに」

「いえいえ、もうたいぶ慣れたので」

 そんな風になんのことはない話をしながら、シクヨイはさりげなく部屋の細かいところまで見る。

 食事もそろそろ終わるころに今度はシクヨイが尋ねた。

「ここにはおひとりで住んでいるんですか?」

「ええ」

「こんなところで……不便ではありませんか?」

「そうねえ、でもどこもおなじようなものだから。それに……ここにはあの人との思い出もあるから」

 そう言って女性は背後にある写真立てを見た。そこには女性とおなじくらいの年の男性が写っていた。笑った口元からのぞく真っ白な歯、青い髪に金色のひとみ。

「恋人だったの。でも……死んでしまった」

「そうなんですか……」

 シクヨイは写真を見つめる女性の様子をじっと見た。こちらからでは表情が見えないため、女性の心の中がよくわからない。

「どんなかただったんですか?その人」

 いっぱく間が空く。そして女性はなつかしそうな眼差しで遠くをながめながら、シクヨイに恋人のことを話した。

「……とてもやさしい人だったわ。この村の出身じゃないから見た目もわたしたちとはちがったけれど、みんな彼のことがすきだった。……そう思っていたわ」

 女性の目にちりっとうらみの炎が見えたような気がした。それをかくすように女性は「食事が終わったら、部屋に案内するわね」と言った。


 シクヨイを客間に連れて行った女性は、ひとり写真の前に立っていた。今でも恋人の声が聞こえてくる。すっと耳に入ってくるやさしい声。最期の姿が写真にちらつく。

 なぐられて全身あざだらけで、きずからは真っ赤な血が流れていた。女性は彼の最期の言葉をわすれない。

『どうして、ぼくがこんな目に……』

 地震が起こったある日、彼はがれきの中から子どもを助けた。大災害がきっかけで人々の心には常に不安があった。その不安はすぐに爆発し、異国からきた彼女の恋人へむけられた。それでも彼はふたたび村の人たちとなかよくなれると信じていた。村が、村の人たちがだいすきだった。だから子どももまよわず助けた。

 しかし村人たちの反応はちがった。彼が子どもを抱えて帰ってきたのを見て、その子をおそったのだとかんちがいしたのだ。彼がどれだけ説明しようとしても村人たちは話を聞かなかった。彼にばつをあたえるように村人たちは暴力をふるった。そのせいで彼は死んでしまった。

「……あなたは正しいことをしたのに、なんでこの世を去らなくっちゃいけなかったの?ゆるせない……あいつら、ぜったいにゆるさない」

 ぐるぐるとからだの中で悪いものがうずまく。黒い力がわいてくるような気がした。そんなとき背後から声がした。

「それがここに留まっている理由ですか?」

 そこにはシクヨイが立っていた。女性を見つめる目は年に似合わないほどの落ち着きと、たくさんの悲しみがゆらめいていた。

「あなたはもう死んでいます。ゆうれいなんです。……このペンダントはゆうれいがいるとこんな色になります」

 シクヨイはペンダントをとりだして言った。女性はそれをいっしゅん見たが、すぐに興味なさそうに視線を写真にもどした。

「わかっているわ、そんなこと。だってわたし、ここで自分の手で命を絶ったんですもの。

 それにしてもびっくり。あなた、浄化僧なのね」

 人間の数が減ったいっぽうで死んだことがわからなかったり、未練があるゆうれいがふえた。そのゆうれいたちの心をいやす旅をするのが浄化僧である。シクヨイは一番年下の浄化僧だ。

「あなたの未練を教えてください」

 シクヨイは女性が口を開くのを待った。

「未練なんかより今はそれよりもっと大切なことがあるわ」

「大切なこと?」

「ええ。このうらみをあいつらに味あわせることよ。あの人が受けたいたみ、苦しみすべてを知ればいいのよ」

 ずるりと女性からうらみのオーラが出る。白目の部分はどんどん黒くなって、見た目が人からはなれていく。

「この村のやつらに、彼はころされた。見た目がわたちたちとちがうって理由だけで。あの大災害が起こる前まではいい人のふりをして、かげでは彼のことを悪く言っていた。彼が子どもを助けたときだって、ろくに話も聞かずに彼が犯人だと決めつけた!なんであんなやつらの子どもじゃなくって彼が、あんなにやさしかった彼がこの世を去らなくちゃいけなかったのよ!」

 女性はあらい呼吸を整えてぽつりと「不幸になればいいのよ」とつぶやいた。にくしみが底なしにあふれだす。

「死にたくなるくらいつらい目にあって、死んだほうがましだって思えばいいのよ。そして苦しみ抜いて絶望すればいいわ!」

 女性は村人に恋人をころされたことをうらんでいることはわかった。シクヨイはしんちょうに言葉を選ぶ。

「もうここには村人なんていません。大災害もありましたし、あなたほどの強いうらみならのろいとなって望み通り村人を苦しませたでしょう。……もうじゅうぶんでしょう」

「じゅうぶんなんかじゃない!」

 ごうっといっそう強いうらみの力が女性からわきでた。かみは逆立ちにごった目にはなにも写っていない。ふたりの問答のようなやりとりが続く。

「まだよ……彼の苦しみは、わたしの悲しみはあいつらにあたえきっていない!おなじ、いえそれ以上のいたみをあたえなければ気がすまない」

「そのいたみをあたえ終わるのはいつですか?」

「まんぞくするまでよ」

「じゃあいったいいつ満足するんですか?もうそんな相手はここにいないのに。あなたのそのおぞましい思いはどこにぶつけるんですか」

「う、うるさあい!」

 いっしゅん言葉がつまったあと、女性のさけびで家具が勝手にシクヨイにむけて飛んだ。しかしシクヨイはそれをよけなかった。ゆうれいが感情の高ぶりでものを投げることはよくある。そしてめったに当たらないことを知っているからだ。

 シクヨイは女性に続けて言った。

「ぶつける相手がいないということは、いつまで経っても満足できないということです。満足できないということは、あなたがいつまでも苦しみ続けることになります。

 ……もうあなたが苦しむ必要はないんです」

 まさかの言葉だった。女性の目が見開かれた。シクヨイの言葉はじわじわとしみこみ、女性はようやく自分の心がわかった。

「苦しかったの……。あの人を失ったことも、生まれ育ったこの村の人たちがわたしの大事な人をころしたことも、それをずっとうらんでいることが……苦しかった。でもそれ以外に方法がなかった。ずっとずっとだれかをうらんでいれば、気がすむものだと思っていた……でもちがったみたい。きっと……わたしはだれかにとめてもらいたかったのね。だれかをにくむ気持ちを」 

 女性は重いよろいがぬげたような、どこかすっきりとしたほほえみを浮かべてシクヨイを見つめた。

「ありがとう、あなたのおかげ」

「いいえ。これがぼくらの役目ですから。さあ、いってください。きっと恋人の彼も待っています」

 そう言ってシクヨイが指さした先には、いつの間にか光でできた階段が現れていた。その先には女性の恋人が泣き出しそうな笑顔を浮かべて待っている。

「あ、ああ……!」

 女性は階段をかけ上がった。ぽうっと雲がほどけるように女性が上がった段が消えていく。

 一番上に着くと女性は恋人に抱きついた。恋人も女性を抱き返したところでふたりの姿は階段とおなじようにやわらかい光となって消えた。女性はとても幸せそうな顔をしていた。


 女性が成仏した姿を確認するとシクヨイはペンダントを見た。本来のとうめいにもどっている。シクヨイは腰から子どもにしては大きいトランシーバーをとりだした。

「こちら番号四九四一。一体の霊の浄化完了」

『了解。そのまま西に進め』

 ぶつりと通信が切れた。指示はいつもそうだ。進む方角だけ言って距離は教えてくれない。ここにたどり着くのにもい週間以上かかった。

「きょりがわからないといろいろ困るんだけどなあ」

 そうつぶやたシクヨイは身支度を終えて家を出た。どうやらまだ日が昇ったばかりのようだ。朝日がまぶしい。

 シクヨイが出たとたん、家はくずれるように本来の姿である廃屋にもどった。女性がずっといたせいで当時の家のままだったようだ。

「どうか恋人と幸せな時間を」

 シクヨイはだれもいないぼろぼろな家に祈りをこめた言葉を聞いたものはいなかった。


                                     終わり

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