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物心ついたときから、いつも一緒だった近所のフレイ。
小さい頃はいつも同世代の男の子たちにいじめられて泣いてばかりだった。
フレイには両親がいない。
噂によると、フレイの本当の両親はプルムおばさんとタイトおじさん夫婦にフレイを預けて去ってしまったそうだ。
親たちのそんな口さがない噂を聞いた子供たちが、フレイを格好のイジメのターゲットにするには十分な出来事だった。
だけど、年齢が上がっていくにつれて、みんなよりもぐんと背が高くなり、顔立ちも一部の女の子たちに騒がれるぐらいにはかっこよくなったあたりから、いじめはなくなったみたいだった。
ある時、いつも自分の後をついてきていたフレイが、初めてといっていいほどエイラを強く拒絶したことがあった。
それは去年の夏至祭りの時だった。
毎年、どちらからともなく一緒に行くのが当たり前になっていて、夜更けまでお祭りを楽しんだ帰り。
このままそれぞれお互いの家に帰ってしまうのが惜しい気分になってきて、とある大木の下で少し酔い覚ましがてらおしゃべりをしようということになった。
お祭りだからと、リンゴの炭酸酒を少し飲んだだけで足元がふわふわしていたのを覚えている。
「お酒弱いなら飲むのやめとけばよかったのに」
大木の幹に寄りかかるように座り、二人でぼんやりと近くを流れる川を見つめていた。
緩やかに流れる川に映る月明かりがキラキラと反射してとてもキレイだった。
「ちょっと疲れてたから、酔いが早く回っちゃったんだよ」
「おばさんにばれないように、酒臭いのを消してから帰らないとね」
「フレイはお酒強いね。全然酔ってないし」
「あんな果実酒、お酒のうちに入らないよ」
フレイが小さく笑う。
並んで座り、前に投げ出した時の足の長さが全然違う。
無造作に投げ出されていたフレイの左手を持ち上げ、自分の手のひらと合わせてみる。
エイラの手の平よりも第一関節分はゆうに大きいフレイのごつごつとした手に、自分の指を絡めてみたりしていた。
「エイラ。何、僕の手で遊んでるの」
「んー…。私とは違うんだなぁって」
「そりゃ男だもん。タイトおじさんの手伝いで漁にも出てるから網を引くときのマメもたくさんできる」
フレイは学校が休みの日には、タイトおじさんの仕事を手伝ったり、プルムおばさんの買い物に付き合ったりして、恩返しをしているのだと言っていた。
血のつながりのない自分をここまで大切に育ててくれた育て親に、まだ子供の自分に出来ることはこれくらいしかないって歯がゆく思っているとも。
他のクラスメイトの男子たちのなかには両親に反発したり、何かちょっと悪いことをするのがかっこいいとか勘違いしてる人たちもいる中、フレイはぶれずに素直に良い子に育っていたのは間違いなかった。
「あと1年で学校卒業だね。エイラは卒業したら街を出てくの?」
「え、何、急に」
「プルムおばさんとエイラのお母さんがこないだ話してるの聞こえたんだ。何かやりたいことあるの?」
「この街で一生を終えるのは何だか惜しいなって思ってさ。王都に行ってもうちょっと勉強しながら、将来やりたいこと探そうかなーって」
この街には高等教育以上の勉強をする場がない。
もっと専門的に勉強をするには王都へ赴かないと無理だった。
そして、この街から王都へ勉強をしに行くという生徒は年に数人しかいない。みな、この街で仕事をし、結婚をして一生を終える。
「…そっか」
心なしか、沈んだ声の返事が返ってくる。エイラは俯いているフレイの顔が良く見えなくて、少し不安になった。
「フレイは卒業したらどうするの?」
「…僕?」
「うん」
フレイなら漁師や港の仕事に就くんだろうなと思いながら何気なく聞いてみた。
「僕は…フィニースマル(海の果て)に行こうかな」
「またぁ。フレイってたまに笑えない冗談言うよね」
フィニースマルというのは大海原のどこかにあるという伝説の国の名前だった。
時々、見たこともない何十本も足のある海の生き物が浜辺に打ち上げられるが、その生き物の胃袋の中にはこの世界で流通しているはずのない貨幣や細かい細工のされた貴金属が入っていることがまれにある。
漁師たちはそれを見て、海の果てには自分たちとは違う文明があると信じられているのだ。
「冗談か…」
フレイはぽつりと独り言のように呟くと、寄りかかっていた幹から体を放し、体をエイラの方へ傾けるようにして手をエイラの左頬に添えた。
「エイラ。もし僕が…何もかも全部捨てて一緒についてきてって言ったら…どうする?」
いつもと違った雰囲気でフレイが問いかけてきた。お酒の酔いも手伝って、エイラはどぎまぎしてしまう。
「え、何? やっぱ酔ってるでしょ?」
変な雰囲気になりかけているのを、いつもの幼馴染同士の関係に戻そうとエイラは必死だった。
「酔ってないよ」
フレイは親指でエイラのくちびるをそっと撫でていく。くちびるを触られるなんてことは今までに一度もなかったから、もしかしたらフレイにキスをされるのかもしれない…と思った。
そして、告白するタイミングは今かも知れないとも。
「…学校卒業したら、冒険者にでもなるつもり?」
「質問に質問で返さないで答えてよ」
いつにも増して真剣な表情で見下ろしてくるフレイに、エイラは恥ずかしくなり、目をそらして答えた。
「…フレイとなら、いいよ」
そしてフレイのことを今、エイラがどう思っているか口にしようと顔を上げた時。
フレイの残念というか、がっかりして寂しそうな表情を目の当たりにした。
胸の奥が冷やりとした。
フレイはエイラの頬に添えていた手を外し、絡めていた手もそっと外して立ち上がった。
「そろそろ帰ろう。酔いも醒めたでしょ」
「…うん」
家の前まで送ってもらうまでの間、二人の間に会話はなかった。
エイラはどこで何を間違えたのか、さっきの会話をずっと頭の中でエンドレスで再生し続け、どこが分岐点だったのかわからずじまいだったけれど、あの時、確実に間違った答えを出してしまった自分を呪った。
それでも。
フレイは次の日からは、一見いつも通り、優しい幼馴染としてエイラに接してくれていた。
それまでと違うのは、全くエイラに触れなくなったということだけ。