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闇の島 5

ローレイが寝ていた部屋の隣の部屋が開く音がした。

振り向くと、肩にショールをかけたリィがいた。

まだほんのりと頬が赤いが、とても顔色が良くなっていた。

「リィ、もう大丈夫なの?」

「ええ、大丈夫よ。手厚く看病していただいたおかげでね」

リィはウィルに向かってにっこりした。

「そんなに大それたことはしてねぇよ」

アミンが笑いながら言った。

「でも、本当によかった。あんた相当やばかったからな。そこに座ってくれ。あんたにもお粥を出してあげるから」

アミンはローレイの隣の席を示した。

リィはふと真顔になった。

「私たちを助けてくれてありがとうございました。この恩は一生忘れません」

これ以上にないっていうほど丁重に、リィはアミンとピエールじいに向かってお礼を言った。ウィルは見ていて、身の引き締まる思いがした。

ピエールはやんわりと微笑んだだけだったが、アミンは少し慌てた。

「あんた、大袈裟だよ。そんなに大したことはしてねぇのに……」

「いいえ、この野族の島に死にかけの状態で乗り込んできて、このように無事でいられるのはほとんど奇跡と言っても過言ではありません」

リィは、まっすぐにアミンを見て言った。

「いえ、この島でなくても私は回復できる見込みはなかったはずです。本当にありがとうございました。言葉では言い表せないくらい感謝しています」

アミンは照れたのか目をそわそわと動かし、口ごもりながら言った。

「と…とにかくそこに座ってくれ」

リィが席につくと同時にお粥が出された。

リィはスプーンを口まで持っていき一口食べた後、溜息と同時にスプーンを皿においた。

「どうしたの?食欲がないの?」

ウィルは心配して聞いた。

「ううん、そんなんじゃなくて……」

リィはそこで少し俯いた。

「私はローレイとウォルトにもお礼を言わなきゃいけないの……」

「え?」

「あんな大事な場面で、意識を失うような状態になるなんて……。足手まといとかいう次元の問題じゃないわよね。見捨てて行かれて当然だったのに」

ウィルは客船で部屋を出た直後のことを思い出した。

オジエ夫人と話している時に、突然リィが急変した。

船酔いといっても、あんなに急に容体が悪くなるなんてことは……。

「まぁ、契約は契約だからな。お前達と俺達はあの船で取引をし、俺はその取引を守っただけのことだ」

ローレイはゆっくりと、屈託のない口調で言った。


その時ウィルは後ろから、全く意に介していない風を装ったローレイを見つめていた。

ローレイの優しさが感じられた。リィの罪悪感を和らげようとしている。

初めて客観的に見て、少しだけローレイのことが分かったような気がした。


だが。


ふとウィルは思った。

足手まといになったのが、僕かローズだったら果たして同じことを言ってくれただろうか。

答えはすぐに出なかったが、ウィルは今度ゆっくり一考する価値があると思った。


一方リィの硬い表情は変わらなかった。

「言い訳をするつもりじゃないだけど、少し話を聞いてほしいの」

そこでリィは顔を上げ、ピエールの方を見た。

「ピエールさんにもぜひ聞いてほしいんです。さっきそこの部屋で起きた時、聞こえたんです。あなたが奴隷市に駆り出される子供達を助けていると」

「わしらは声をもう少し小さくして話すべきだったようじゃのう。病人を起こさないように」

ピエールは、穏やかに笑いながら言った。

「何かこの老いぼれに話したいことがあるなら、謹んでお聞きしましょう」

リィはピエールに向かって弱々しく微笑み、話し始めた。



オーラムステラ島の南西にある平族の集落。

忘れもしない、あれは紅葉の美しい、山の月50日のこと。

リィが8歳の誕生日を迎え、あまり日がたっていない時だった。

「リィ、そろそろお使いにいってくれる?夕食の材料を買ってきてほしいんだけど」

「は〜い。そういえばお母さん、おばあちゃんに手紙を書いてたよね?私ついでに市場にいる蟻族の人に出してくるよ!」

リィはにっこりして、大好きなお母さんに向かって言った。

それはいつもと変わらない日。

母セリーヌが台所にいて、居間には3歳の妹シャゥがいる。

「リィは本当に気が利くのね。お父さんに似て頭のいい証拠ね。あなたならきっとこの先どんなことだってできるわ」

セリーヌは優しい眼差しで娘を見つめながら言った。

居間のすみに置いてある本棚には、輝くような笑顔のお父さんの写真が置いてある。

お父さんは2年前に病気で亡くなってしまった。

生計はお母さんが洋服を作って、立てられている。

決して豊かな暮らしではない。

家は狭い上に、いつ崩れてきてもおかしくないほどだったし、家がある土地の地主、レズィア男爵と言って下流貴族であったが、ここ最近借地料が値上がりしていてなかなか期限内に払えず、いつ追い出されてもいい状態だ。

それでもリィは幸せだった。

お金はなくても、大好きなお母さんと妹たちと暮らせていた。

貧しいなんて平族に生まれたからには当たり前のことで、ここ平族の集落にはリィの家族のように貧しい人々ばかりだったから、自分を惨めには思わない。

それに数日前には、立派な誕生日会をお母さんが自分のために開いてくれた。

友達もたくさん呼び、セリーヌはお金がないのにもかかわらずおいいしいケーキを作ってくれた。御馳走もすばらしかった。


8年間で一番素晴らしい誕生日会だった。


「手紙は出さなくてもいいわ。ちょっと書き忘れたことがあったから。はい、これルクよ」

セリーヌが本棚から小さな水晶を出してきた。水晶には首から掛けるための紐がついていた。

「落とさないようにね。それから、これが買い物リスト」

リィは水晶とメモを受け取った後、首をかしげた。

「この水晶、いつものと違うね」

「ええ、そうね。昨日本棚を掃除していたら、お父さんが昔使っていた水晶が出てきたのよ」

「へぇ、そうだったの」

リィは遠い日を思い出しているかのように、ぼんやりとして言った。

セリーヌはそんなリィを思慮深げに見つめる。

セリーヌの目はリィと同じ明るい茶色だ。

「それはそうと、いつもよりルク多く入ってるね」

リィは嬉しそうに言った。

「また服がいい値段で売れたの?」

セリーヌはにっこりした。

「そのとおりよ。だから今日はちょっとした御馳走を作るわ。それよりリィ、落とさないようにしっかりと首にさげなさい。そして水晶は服の中に入れるのよ。最近強盗とか多いらしいから」

リィは素直に言うとおりにした。

リィが水晶を服の中に入れるのを見届けると、セリーヌは玄関のドアを開けた。

「それではいってらっしゃい」

「いってらあっちゃあい!」

シャゥもセリーヌの後ろから、大きな声で呼びかけた。

「うん!行ってきます!」

リィは元気に返事をすると、駆け出した。


市場に向かって。

いつものように。



あの抜け道を今日も通っていこう!

リィは走りながら、考えた。

それは最近リィが見つけた抜け道だ。

抜け道といっても壊れた塀の穴をくぐり、今は空き家の庭を通るだけなのだが、普通の道を通るよりも数分早く市場に着くことができる。

リィはその抜け道を発見したことを得意に思い、何度も母セリーヌに自慢した。

セリーヌはいつも優しく微笑んで、辛抱強くリィの話を聞いてくれる。

お使いの度に通る抜け道。

後にリィは何度も抜け道を通ったことを悔やんだ。


塀をくぐった瞬間、何者かに取り押さえられた。

「おとなしくしろ」

低い男の声だった。

口を腕で強く抑えられ、苦しかった。

煙草と酒のにおいがした。

目がかすみ、意識を失う直前に頭にセリーヌと妹たちの顔が浮かんだ。

「おかあ…さ…」





「それからは悪夢を見ているみたいだったわ」

そう語ったリィの目は、どこか遠くを見ていた。

その場の者は、皆沈黙していた。

ウィルは、今リィはここにこうして安全にいると分かっていても、先を聞くのが怖かった。

リィは続ける。

「もう分かると思うけど、私はバヤン島に来るのは2度目なの。ここで奴隷市場に駆り出されたわ。市場はそれはもう恐ろしかった。自分に値段がつけられるのよ。まるで物であるかのように」

「申し訳ないのう」

ピエールが静かに言った。その目には悲痛な色が見られる。

「わしはその時あなたを助けなかった」

「いえ、とんでもありません。ピエールさんを責めるためにこの話をしたんじゃないんです。ええ、もちろん違います」

リィは両手をふりながら、慌てて言った。

「それに別の子供を助けてくれたんでしょう。それで良かったんです。私は運良く、良い伯爵家に…か…買われたのですから」

「でも、そこを脱走してきたんじゃないのか?」

ローレイが鋭い声で聞いた。

「嫌だったから抜け出して来たんだろう?」

「いえ、伯爵様にはお世話になりました。普通の召使みたいに扱ってもらって。確かに抜け出してきたことは否定しませんが、それはいろいろ別にあって……」

「いろいろ」が何なのかウィルは聞きたかったが、リィの表情を見て聞かない方が良いと判断し、別の質問をした。

「ローズとはどこで?」

「えと…同じ伯爵家に仕えていたんです」

「ということは、ローズも以前この島に来たことがあるということ?」

「それは分からないわ」

リィは少し思案するように言った。

「ローズはあまり過去を話したがらないの。どうか聞かないであげてね」

「分かった」

ウィルは頷いた。

リィとローズは傍目からは何も感じなかったが、実は話すのもつらい暗い過去があるのだろう。

それに比べると、僕は随分幸せに育ったな。

ウィルは、一人小さく苦笑した。

「つらかったろうね」

ピエールがリィに向って静かに言った。

「話してくれてありがとう」

リィは一瞬泣きそうな顔をしたが、すぐに真剣な顔つきに戻った。

「奴隷市に駆り出されたことあるからこそ、ピエールさん、あなたのお金や危険を顧みない行動が本当に嬉しいです。本当に」

「ありがとう」

ピエールは微笑んでいった。

「さあ、アミンのお粥を食べなさい。そしてもうひと眠りすれば、体調もぐっとよくなるはずだから……」

ウィルとローレイは静かにお粥を食べるリィを見守った。


実はこの時台所の4人以外にリィの話を聞いている者がいた。

その人物はドアに背中をつけて話を聞いていたが、話が終わったことが分かると、足音を忍ばせてベッドに戻った。


リィはお粥を食べ終わると、ベッドの部屋に戻った。

ベッドは2つ置いてあり、1つにはローズがすやすやと寝ていた。

この家は引き取った子供を一時的に住まわせるため、ベッドが多くある。

2階にも部屋があり、ベッドがあるとアミンが言っていた。

ここはもともと宿屋だったそうだ。


リィは静かにベッドに横になった。

天井をぼんやりと見つめていたが、ふいに目から涙がこぼれてきた。

奴隷市に駆り出された思い出が、とてつもなく恐ろしいせいではない。

値段をつけられたことに、悔しさ感じたからではない。



涙の理由は伯爵家にひきとられてから1年がたった頃、寒い風の月のことにあった。

リィは町の路地を歩いていた。

市場での買い物を言いつけられたからだ。

市場にはたくさんの人だかりができていた。

夕食の材料の買い出しのためだ。

雪が降る日だった。

白い息を吐きながら、リィは頼まれた野菜が売っている店を探していた。

買物はあの事件以来、好きではなかった。

いつも早く終わらせることだけを考えた。

皮肉なことに一度奴隷になると、身の安全は保障される。

それでも、リィは買い物が、特に一人での買い物が嫌いだった。

店から店へと目を走らせていると、ふいに一人の男と目が合った。


体が凍りついた。

あの男だった。

忘れもしない。

1年前のあの日。

人生が狂った日。

逃げたい。

だが体が動かなかった。

目が男に釘付けになる。


男はリィをじっと見た。

何かを思い出すように数秒顔をしかめていたが、合点したような顔になると、にやにやしながら、リィに近付いてきた。

「よぉ、久しぶりだな」

あの時と同じように煙草と酒の匂いがした。

全身に震えが走った。


逃げたい。

離れたい。


「お前、今は安心して町を歩けるんじゃないか?その首にあるもののせいで」

リィは何も言わず、ただ震えていた。

男は構わず話し続けた。

「俺を恨むなよ。あれは正式な取引だったんだ」

リィは言葉の意味が分からず、一度恐怖心を停止させ、男の顔をまじまじと見つめた。

「今頃、悪くない生活をおくってると思うぜ。お前についた値段の半分は送ったんだから。俺も良心的だよな」

「な…何の事を言って…」

「お前の母親のことだよ。セ…セーラ?いや、セザンヌだったかな?まぁなんでもいい。お前の母親は俺と取引したんだ」


世界が止まった。


「お前は売られたんだよ。母親にな」


今まで自分をかろうじて支えていたものが、音をたてて崩れていくのをはっきりと感じた。


「かわいそうにな」

リィの青ざめた表情を楽しむように眺めながら、男は言った。

「でも、あの女も母親らしいところはあったんじゃないか?お前が首から下げているルクは取り上げるなって、俺に頼んできたもんな」


嫌だ。聞きたくない!




あの後リィは必死に男の言ったことが嘘だと、信じるように努力しようとした。

何度も何度も嘘だと自分に言い聞かせた。

あの男はそうやって人をどん底に陥れる最低なやつだと。



だけどそう信じ込もうとすればするほど、多くの疑念が生じた。


どうして男はあの抜け道で待ち伏せしていた?

人通りがほとんど無いところで、なぜ私が来ると知っていた?

あの男はなぜ服の内の水晶のことを知っていた?

一度も見ていないのに、なぜルクを持っていたと?



どうしてあの日、お母さんは私に手紙を頼まなかったの?

私が市場に行けないことを知っていたから?

どうしてあの日、水晶にいつもより多くのルクが入っていたの?

わざわざ服の内に隠させて、もしかして餞別のつもりだったの?


ねぇ、どうして?



長い年月がたった今でも、リィの心からは血が流れていた。

長い年月がたった今でも、涙が止まらなかった。



読んでくださってありがとうございます。

お陰様でPVアクセスが10000突破しました!

こんな駄文を読んでくださって、感激です。

今後ともよろしくお願いします。

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