野族襲来 3
4人は客室でその時が来るのをじっと待っていた。ウィルは自分のベッドに寝転がり、ローズとリィは反対側にあるローレイのベッドに腰かけていた。ローレイは窓に寄り、外を眺めていた。
船は既に嵐の中に飲み込まれていた。船外では風が女性の叫び声に似た音を出して吹いていた。ときどき雷鳴が鳴り響き、雨は激しく船に打ち付けていた。
計画は十分すぎるほど話し合った。
だがウィルには欠陥がありすぎるように思えた。やすやす成功するとはどうしても思えない。第一、野族が襲来するというのに、部屋にじっとしていていいのだろうか。僕達は一体何のために何を待っているのだろう。
ウィルは先程の食堂での昼食を思い出した。ドーラ船長はケンなど他の船員と食事をとっていた。一晩寝ていないせいだろうか、やや疲れているように見えた。船長から自分の目の前の野菜スープに視線を戻すとき、ウィルはケンと目が合った。ケンはウィルを見てにっこり笑った。ウィルは曖昧に笑い返すと、急いでスープを飲み始めた。色とりどりの野菜が入っていてとてもおいしそうなスープだったのに、味が全く分からなかった。船長とケンの微笑が頭を過り、胸がちくちくと痛んだ。
「もう一度言うが、忘れ物はないな」
ローレイの言葉でウィルは我に返った。こんな時に。ウィルは思った。こんな大事な時にぼぉっとするなんて。
「ないよ。ちゃんと何回も確認した」
ウィルはそう言うと、上体を起こし足元に置いてあるリュックを持ち上げた。夜、部屋に散乱していた持ち物を全て詰めておいたのだ。
ずっと冷静だったローレイもこの時ばかりは、少し神経をとがらせているようにみえた。その右手は常に腰に下げている三本の剣の柄に置かれていた。
その時は前置きもなくやってきた。
「た…大変だ!船長はどこだ?船長に早く!」
その声は、ウィル達の部屋のすぐ外で聞こえた。ウィルの心臓の心拍数が急激に増えた。
ついに……。
「どうしたんだ?」
部屋の外で別の声がした。
「顔が真っ青だぞ」
「トニー。大変…緊急事態だ!やつらだ。や…野族のやつらが前方から2隻、後方から1隻でこの船に向かってきている!」
男はかなり焦っているようだった。
トニーと呼ばれた男は、大声をあげた。
「何だと?本当か?そんな、まさか。この嵐の時に」
「そのまさかだ。とにかく、客を避難させなければ」
「分かった。乗客達は俺に任せろ。お前は船長を探せ。食堂に向かったはずだ」
「分かった」
一人の男が足早に立ち去る足音が聞こえた。
ウィルはローレイを見た。ローレイは目でまだだという合図をおくった。
「トニーどうかしたのか?」
また別の船員が来たらしい。
「野族だ。ハサミうちらしい」
「嘘だろ?」
「いや、本当だ。さあ、こうしちゃいられない。乗客達を救命ボート室に避難させなければ。アンジェロ、お前も手伝ってくれ」
「何を言っているんだ、トニー。お前知らないのか?」
「何だ?」
「救命ボートは何者かによって全部壊されちまったんだ」
「まさか。一体どうすれば?」
「この嵐だ。野族のやつらも手こずるに違いない」
「相手は3隻もあるんだ、アンジェロ。それにやつらの船は我々の船よりも格上……」
「くそ。だがとにかく皆に知らせるべきだ。仲間にも緊急集合命令を!」
「そうだな。手分けして呼びかけよう」
そう言うと、トニーとアンジェロは大声を出しながら、走りだした。
「大変だ!野族の襲来だ!」
「船員は緊急に操縦室に集まれ!緊急事態だ!」
部屋の中にいても、次第に騒ぎが大きくなっていることが分かった。船員たちの大声にまじって、女性の悲鳴や子供の泣く声が聞こえた。
ウィル達が予想したとおり、いや計画通りに混乱が始まった。
聞こえてくる声や物音からして、既に廊下が人であふれ返っているのが難なく想像できる。
「さてそろそろ出発だ」
部屋の外の騒ぎとは対照的に、ローレイの言葉はとても静かだった。ウィルは無言でリュックを背負って立ちあがり、リィとローズもそれに倣った。
そして、一行はローレイ、ウィル、ローズ、リィの順で部屋の外に出た。
――いいか、計画はあくまで計画だ。
ローレイの言葉がウィルの頭の中で反芻する。
――どんな障害物があっても、振り切って前に進むんだ。
それは目標とかそんな生ぬるいものではなく、命令だった。
――何も言われない限り、俺から離れるな。そして、離れろと言われたら、即座に離れるんだ。決して振り返るな。
廊下は既に想像通り、人であふれ返っていた。障害とまでは言えないかもしれないが、ウィル一行はまっすぐに進むのに若干苦労した。人々の叫びや悲鳴が他の全ての音を飲み込んでいた。ウィルはその混乱ぶりにややたじろいたが、ローレイのすぐ後ろにピタリと張り付いたまま進んだ。4人は黙りこくって、進むことだけに集中していた。
障害物。
ウィルは歩きながら考えた。頭に思い浮かぶのは、恐ろしい野族の姿。筋肉が盛り上がった腕の先には、大きなタガーが手に握られている。僕は上手く乗り越えることができるのだろうか。いや、僕達は皆無事に……。考え込むにつれ、ウィルには周りの喧騒が聞こえなくなっていった。恐怖心のためだろうか、自分の時間と周りの時間が食い違っている気がする。廊下がいつもより狭く思えるのは気のせいだろうか。ウィルは足元に目を落とした。足は動いている。僕の頭よりも、足はやるべきことをしっかりと認識しているらしい。だからなのだろうか、さっきから歩いているという感覚がない……。
とにかく進むことだけ考えればいいんだ。
ウィルは自分に言い聞かせた。
今は進むことに集中しなければ……。
障害物。それは僕達がその手から逃れなければならない、野族たち。
だけではなかった。
「ウ、ウォルトさん」
その声は、周りの騒ぎにもかかわらずウィルの耳にしっかりと届いた。
足もとから声のする方へと目を動かす。
ひどく怯えた顔つきをした女性。髪が少し乱れている。その女性の腕にはカミーユが抱かれている。
「オ…オジエさん」
ウィルは無意識に足を止め、その女性とカミーユを見つめた。カミーユは事態をよく理解していないらしく、「おにいちゃん」と言ってウィルににっこり笑いかけた。
後ろから着いてきたローズとリィも足を止める。
「ど…どうなっているのかしら」
オジエ夫人の声は震えていた。
「誰かが…野族…海賊がこの船を襲うなんて言っているのが聞こえたんだけど、まさかそんな……」
オジエ夫人の緑色の瞳がまっすぐにウィルに向けられる。その瞳は訴えていた。嘘だと言ってください、と。
ウィルは何を言うべきか分からず、また何かを言うべきかどうかも分からず、オジエ夫人を見つめ返した。
「何をしているのよ!ローレイの言ったことをもう忘れたの」
ローズがウィルの肩を押しながら言った。
「気持は分かるけど、進むのよ。どんな障害物があっても、進むことだけを考えるのよ」
リィもローズの背後から一歩踏み出し、ウィルに言った。
「早く前に進まなければ。取り返しのつかないことに」
「まぁ、あなた達……」
オジエ夫人は3人を交互に見て言った。
「どこかに行くんですか。この騒ぎの中、一体どこに……?」
オジエ夫人の顔に残っていたわずかな色も消えていった。カミーユは母親の様子がおかしいのを感じ取ったらしく、不安そうに母親の顔を見つめた。
「おい!」
3メートル離れたところから、ローレイの鋭い声が飛んできた。
「何をしている?!早く来るんだ!こんな時に。来るんだ。命令だぞ」
そうだ進まなければならない。
ウィルは自分に言い聞かせた。
進むんだ。
だが、足が言うことを聞かない。
「あの…」
ウィルの横から、ローズがオジエ夫人に話しかけた。
「私達は急いで行かなければならない所があるんです。だから…これで失礼させていただきます」
ローズはそう言うと、ウィルをぐいぐい前へ押し始めた。押しの力により、ウィルの足が一歩動く。ウィルはそれでもオジエ夫人をそしてカミーユを見つめていた。
「リィも手伝って!」
ローズが叫んだ。だが。
「リィ?」
ローズの声に何かを感じ、ウィルは振り向いた。
リィは泣いていた。自分の腕で自分を抱きしめるようにして立っていた。
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