初めての客 2
「待って、トム」
ウィルはバっと椅子から立ち上がった。
「まだ聞きたいことがたくさん――」
トムが両手を上げて、それを遮る。
「ウィル、気持ちは分かるが今日は大急ぎで客を迎える準備をしなければならない。数日前からしておけばよかったんだろうが、この通りどうも俺は体調が優れなくてね。気があまり進まなかったんだ」
トムはそう言うと、さっさと外に出て行ってしまった。
ウィルはそのまましばらく立ち尽くし、やがて後片付けを始めた。
午後四時半。
ウィルはぐったりとしてベッドに横になっていた。
まだ客は来ない。
トムは客のためのご馳走を、キッチンで作っている。
ウィルは、昼食の後、めいいっぱい働いた。
物置のベッドは思ったよりもはるかにほこりまみれで、雑巾で拭くのにかなりの時間がかかった。
のびきっていても、ウィルの胸は高鳴っていた。
きっともうすぐだ。
もうすぐ客が来る。
ウィルはだんだんと、落ち着きをなくしていった。
じっとしていることに耐えられず、ベッドから起き上がった時だ。
「ドン、ドン」
戸を激しくたたく音がした。
ウィルは自分の部屋のドアをバンと乱暴に開け、びっくりしているトムの前を通りすぎ、戸の前でピタっと静止した。
そこで大きく深呼吸。
ドアノブをにぎりしめ、ゆっくりとその手をひねる。
続いてウィルがしたことは、ぽかんと口を開けることだった。
予想外の客だった。
てっきりウィルは客はトムのような中年、またはそれ以上に年のをとった人だろうと勝手に決め付けていたからだ。
固定観念とは恐ろしいものである。
客はそういう人だとしてウィル信じて疑わなかった。
ウィルには仕方が無いことかもしれない。なぜなら、ウィルには自分と同世代の人たちに知人は全くいなかったし、そのような人たちとの接点もさらさらなかったからだ。
そういうわけで、ウィルは戸の前に立っている人物が自分と同じくらい若い少年だったのですっかり驚いた。
その少年は全体的に痩せ型で背はウィルより十センチほど高かったが、がっしりとしていてたくましく、優雅な髪の毛はウィルの真っ黒な髪とは違って鮮やかな赤茶色。
服は深緑色の革の服を着ていて腰には剣が携えられていた。誰が見ても勇ましい士族だと分かるような格好だ。
ウィルはしばらくたっても少年と向かい合ったままつったていた。
間抜けにもその間口は開きっぱなし。
その少年も、そしてトムも何も言わずに固まっていた。
遠くで小鳥がさえずっている。
やがて、その少年が口を開いた。にやりとした表情で。
「そんなに口を開けていたらハエが入るぜ」
ウィルはそこでやっと我に返った。
「ウィル、お客さんに失礼じゃないか。早く中に入れてあげないさい」
トムが後ろから笑いながら言った。
ウィルは恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら、道を開ける。
少年はにやにやしながら、家に入ってきた。
「お邪魔します」
近寄ってきたに気付くと、手をトムのほうに差し出した。
「はじめまして、トム・ソルンおじさん。ローレイ・ジャティスです。お会いできて本当に光栄です。」
とても丁寧な口調だった。
心の底から「光栄です」と思ってる感じだ。
トムはにっこり笑って、差し出された手をぎゅっと握った。
「こちらこそ。急に無理なことをいって本当にすまなかった。ナニーは元気かい?」
「もちろん。うるさすぎるくらいですよ。トムおじさんのことをよく心配していましたよ。全然顔を見せないから何かあったんじゃないのかとか、生活がとても不便なんじゃないかとか。手紙でも何度か遊びに来るようにお誘いしたのにやっぱり来られなかったし……」
トムは困ったような顔をした。
「そのことについては十二分に説明したはずだが……」
ローレイは笑いながら軽く手を振った。
「はい、もちろんしっかりと書かれてありましたよ。でも、母はご存知だと思いますが、極度の心配性なんです。ありえないことまで勝手に妄想して心配してるんですから」
「ここに向けて出発する時だって、涙涙で……」
トムは大声をたてて笑いながら、ローレイに小さな台所のまえにあるテーブルの椅子座るように促した。
「すっかり忘れていたがナニーは小さい頃からそうだったんだ。母親に似てね」
ローレイの言うとおり、トムの妹はどうやら極度の心配性らしい。
ウィルはトムの背後でぼんやりと考えた。
ただここに数日間訪問するだけなのに泣くなんておかしい。
トムは居間兼台所のテーブルの椅子に座りながら、ウィルにも自分の隣に座るよう合図した。
ローレイは背筋をピンとしてトムの向かい側の椅子に座った。
自分の部屋に避難したいと思っていたウィルだったが、仕方なくトムの隣のイスに座る。
トムはウィルの肩に手をぽんと置いた。
「ローレイ、こちらはウィルだ。ウィル・カシュー。確か君は十六歳だったね。ウィル
君より一つ年下で十五歳だよ。ウィル、こちらはローレイ・ジャティス君。私の妹の息子、つまり私の甥にあたる。ほら、ウィル挨拶しなさい」
「よ…よろしく」
ウィルは消え入るような声で言い、うつむいた。耳がとても熱かった。
「こちらこそ、ウィル」
ローレイはにやりとしながら言った。
ウィルを馬鹿にしているのがはっきりと分かる。
ウィルはすっかり自信を失った。
こんな経験は初めてだ。
一歳しかウィルとは違わないのに、ローレイの体格はウィルとかなり違っている。
ローレイのがっしりした体つきと比べると、ウィルは痩せていてあまりにも貧弱だった。
そのことが、ウィルに大きなショックを与える。
自分の体型は普通ではないのだろうか?
ウィルはローレイをちらりちらりと盗み見ながら、考えた。
夕食時。
ウィルはずっと沈黙を守っている。
トムとローレイは初対面のはずなのに従来の友人のように会話がとてもはずんでいた。
ローレイの住んでいる島には士族の村があり、トムもそこの村の出身らしい。
その士族の村の話やローレイの家族の話で盛り上がっている。
今日はいつもに比べるとかなりのご馳走だった。
いつものウィルだったらすぐに平らげてしまいそうなステーキだった。
食後。ウィルは、一人することがなく、ぼんやりと薬学のノートを取り出し、眺めていた。
「ウィル、ひまなようだね。お風呂に入ってきたらどうだい?」
場を離れる口実ができたことを喜びながら、ウィルはその場をそそくさと逃げ出した。
しかし、後になって、それは後悔に変わる。
お風呂から上がり居間に入った時、トムとローレイは声を顰め、二人とも深刻な顔で何やら話し合っていた。
二人ともテーブルに広げてある一枚の紙を見ながら身をかがめて話している。
ウィルの好奇心が、ポツポツと咲き始めた。
そっとトムの背後に近づく。
「それでここにエレ――」
トムが何か言うのをさえぎって、ローレイがウィルに言った。
「何か御用ですか、坊や?」
顔にはあのにやりとした表情が浮かんでいる。
ウィルはびっくとして、顔をしかめた。心の中で悪態をつく。
トムが驚いて、顔を上げた。
「びっくりするじゃないか。もうあがったのかい?」
「え……あ、うん」
赤くなりながらウィルは答えた。
ウィルはローレイを睨んだ。
坊やなんて、人を馬鹿にするにも程がある!
「今日は疲れたんじゃないか?たくさん働いたし。もう寝たらどうだい?」
「え、でもまだ八時だし――」
「寝たほうがいいぜ。さっきだって、ぼぉっとしてたじゃないか。疲れてるんだろう?」
ローレイが口を挟んだ。
そこで、即座にウィルは回れ右して自分の部屋に向かった。
一刻も早くコイツから離れたい。
それがさしあたってのウィルの、一番の願いだった。
「こんなはずじゃなかったんだ」
ベッドの上に仰向けに倒れたウィルはつぶやいた。
初めての客の訪問はウィルがドアを開けた瞬間から、めちゃくちゃになってしまった。
ローレイが来てたった四時間たったが、ウィルは人生で最悪の四時間だと思った。
フランクじいの馬鹿げた授業よりも百倍悪い。
ウィルは、今日になって初めて自信を失くすという経験をした。
自分がどんなに世間知らずなのか、また他の少年たちからしてどんなに変わっているかを知らない。
いつもと調子がくるっていたウィルだったが、先程のローレイとトムの会話はまだ気になっていた。
「エレ……いったい何を言おうとしたんだろう?くそっ、あいつが口を挟まなければ聞けたのに」
自分の村のことをにこやかにトムに話すローレイの顔が頭の中に浮かんできた。
トムがあんなに楽しそうな顔をするのは久しぶりだ。
ここのところずっと体調をくずしていて、そのためか若干元気がなかった。
よくフランクじいの所へ行って診てもらい、薬もよくウィルがあずかって届けていたが一向に治らなかったのだ。
そのためフランクじいは何種類もの薬を調合してトムの病気と奮闘していたが、今のところ効果はあまり出ていない。
トムは私ももう若くはないからねと言い、フランクじいはタチの悪い風邪だと言った。
だが、ウィルにとってはただの風邪とは到底思えなかった。
なにせ、フランクじいの薬が全然効かないのだから。
ウィルはトムの体調不良はこの山に長年こもってるせいだと勝手に予想している。
外に出て新鮮な空気を吸ったほうが絶対に体にいいはずだ、と。
だがウィルは知らなかった。
自分とウィルがこもっているこの山こそ世界に誇れる新鮮な空気を持っている場所の一つだということを。
「はぁっ」
ウィルはため息をついた。
トムの体調はともかく、この山から外の世界に出たい。
今の生活はウィルにとっては毎日がとても窮屈だった。
そうだ!
ウィルはふと考えた。
この機会にトムに士族の村に移り住むことを勧めてみようか?
そして、僕も士族の村に住み、一人前の剣士になる猛特訓をするんだ!
あのムカツクやつがその村に住んでいるのは気に食わないけど、きっと僕と同じくらいの年代の友達がたくさん作れるはずだ。
みんながみんなアイツみたいに意地が悪いはずがない。
それからしばらく、ウィルは自分が士族の村に行って楽しい毎日を送る想像をして心を躍らせながら、眠りについた。
それから一週間何事もなく毎日が過ぎていった。
ただウィルにとってやっかいな者が一人一緒に暮らすようになっただけだ。
ただそれだけで、つまらない日常は何も変わらない。
ウィルはローレイとあまり話さなかったし、また話したくもなかった。
それに同じ部屋で寝起きを一緒にしているといっても、ローレイが眠りに着くのはウィルより晩かったし、朝ウィルが目覚めたときはいつも隣のベッドはすでに空なのである。
ムカツクことが無かったと言えばそれは強がりになるが―何か接する機会がある度にローレイは、ウィルをまるで親指をしゃぶっている子供のように扱った―ウィルの士族の村に住むという希望がウィルの心を守った。
ある時、ウィルは思い切ってトムに士族の村に行くことを催促した。
「そうだな……。まぁ、それを考えてないわけでもないんだ。久しぶりに故郷に帰りたい気もするし……」
ウィルは息を呑んだ。あれだけ期待していたにもかかわらず、こんな前向きな返答が来るとは思わなかった。
ウィルの心は躍った。
この山から外に出れるという長年の夢が、今叶おうとしているのかもしれない。
読んでくださってありがとうございます。