野族襲来 1
ウィルはデッキにただ一人でいた。デッキの手すりに両腕を乗せ、どこまでも広がっている海を眺めていた。美しい景色とは言い難いが、航海を始めて初めて見る景色だった。寝た方がいいと分かってはいたが眠れなかった。理由はいくつかある。先程熟睡してしまったこと、またローズにベッドをとられたこと。(「男なら当然でしょ!」そう言って、ローズはウィルに一枚のバスタオルを渡した。)そしてもう一つ、さっきの綿密な話し合いのことを考えずにはいられないこと。
嵐が来る前だからなのか、雨は降っていないものの、波がやや荒かった。雲に覆われて、星も月も全く見えない。暗すぎて雲の形も見えない。
――あいつは、何かおかしい。もう近づくな。
ウィルが自分の小さな冒険話を語り終えた直後の、ローレイの言葉。リィもローズもローレイに同意した。ショックだった。そんなはずはない。ウィルは信じていた。
ケンがあの男達の仲間だなんて、絶対にない。ありえない。
第一僕を助けてくれたじゃないか。
――男達の手引をしていることが分かるとマズイからな。
ケンは偶然船長室にいたんだ。別にあのスキンヘッド男を手助けしていたわけではない。船長室の壁に誤って穴を開けてしまって、修理をしようとしてあの場にいたんだ
――乗客のことを第一に考えなければならない船員なのに、それを止めようとしないなんて、ましてや報告しようとしないなんておかしいじゃないか。
ケンは船長の名誉を守りたかったんだ。
――俺が怪しんでいる一番の原因は、最初あのスキンヘッド男をつけた時、俺も隣の船長室に忍び込んだんだ。もちろん誰もいなかった。俺は軽く偵察をした。海賊らは襲来後間違いなく最初に船長室に押し入ると思ったからな。そして窓に近寄った時、カーテンに一本のロープが巻きつけられているのを見つけた。一応カーテンを縛るひもでカモフラージュされていたが。ロープは窓の外に垂らされていた。何があったか分かるか?
ローレイはウィル、リィ、ローズを順に見渡して言った。
――ロープの先には、一隻の救命ボートがあったんだ。ボートはロープを切りさえすれば、すぐに水面に置けるよう設置されている。あいつは自分だけ逃げるために、ボートを隠したに違いない。船長室は絶好の隠し場所だ。あの部屋にはベッドがなかった。つまり夜、船長は別の部屋で寝るということだ。そして、明日は嵐。嵐の時に窓を開けようとするバカはいない。もっとも嵐のような一大事のときには、船長は船長室にこもっていたりしないが……。
船長専用の救命ボートかもしれないじゃないか。
ウィルは必死になって言った。
――隣に救命ボート室があるのに、どうしてわざわざ自分の部屋の隣におく必要がある?
ウィルはまだ反論しようとした。
――ねぇ、ウォルト。
リィは優しく言った。
――私にもローレイにもはっきりとは状況が分からないの。だけどいろいろ考えてみるとケンさんはちょっと怪しい、そうでしょ?ウォルト、あなた言ったわよね?スキンヘッド男はこの船の船員に手引きがいたことを示す発言をしたって。それがケンではないという証拠はどこにもないわ。
この時ばかりは、リィの言葉もウィルには刺のように感じられた。
――いずれにせよ、たった半日。その間近づかなければいいことなのよ。襲来が起こったその後は、接触している暇なんてないだろうし。ケンが手引き人かどうかはっきりとは分からないけど、用心して損することはないでしょ?あなたの気持も分かるけど……。
リィは僕の気持を分かっていない。ウィルは思った。船に飛び乗ってから、孤独感に苛まれ続けていた。それを和らげてくれたのが、他でもないケンだった。初めて言葉を交わした時のあの屈託のない笑顔を今でも鮮明に思い出せる。カミーユも僕を元気づけてくれたけど、何と言ってもまだ流暢に話すことができないくらい幼い子供だ。ケンはウィルにとって初めての友達だった。野族の襲来が避けられないというのなら、せめてケンには逃げて欲しい。ウィルはそう思っていた。それなのに……。
「大丈夫だよ。この船は嵐に負けないよ」
ウィルは突然の声にびくっとした。いつの間にか、横にドーラ船長がいた。暗くて顔がぼんやりとしか見えなかったが、雰囲気で微笑んでいるのが分かる。ケンのことでの考えに熱中しすぎて、自分に近いづいて来るのに全く気がつかなかった。
「別に嵐を恐れているわけではないんです。ただ僕は…ちょっと眠れなくて」
「ほほう!」
ドーラ船長はウィルを見下ろした。ディナーパーティでは気付かなかったが、ウィルよりもずっと背が高く、すらっとしていた。
「ディナーパーティですこし食べ過ぎたのかな?」
ウィルは心臓の鼓動が早まるのを感じながら、ドーラ船長を見上げた。この一か八かの計画は明日の朝食時にする予定だった。でも考えてみると絶好のチャンス。ローレイもきっと怒らないだろう。
「あの…ドーラ船長?」
「何かね?」
「信じてもらえないかもれませんが……明日の昼か夕方、海の野族がつまり海賊がこの船を襲う計画があるんです」
ウィルはじっとドーラ船長を見つめながら、答えを待ったがすぐには返って来なかった。最初にウィルの耳に届いたのは、答えではなく笑いだった。
「ほっほっほっ……」
暗闇の中でもドーラ船長の灰色のひげが震えているのが分かった。
「本当なんです!」
ウィル顔を真っ赤にしながら答えた。
「信じてください。船長と今日ディナーパーティで話していた大男二人が野族の一味なんです」
「知っているとも」
「え?」
ウィルは驚いて口をぽかんと開けた。
「あの二人が野族の者と知っているのじゃよ。だがな、あの二人もこの船にちゃんとお金を払って乗船している。だからわしにとっては、あの二人も客には変わりない」
「でも――」
「それにじゃ」ドーラ船長はウィルを遮って話を続けた。
「野族の計画とやらはこの世界に無数に存在している。その危機をわしは乗り越えてきた。計画の有無にかかわらずわしは、常に安全面に気を配っている。我ら船族の誇りにかけて、この青色の腕輪にかけて、わしはこの航海を必ず成功してみせる」
そこでドーラ船長は自分の左肩をポンと軽くたたいた。
「でも」
ウィルはなおも食い下がった。
「救命ボートが壊されたんですよ!もし襲われたら――」
「あー、君も見てしまったんだね。わしもディナーパーティの後、船員のケン・オハラから報告を受けたよ。全くけしからん話だ。救命ボート代を下船時にきっちり払ってもらうつもりじゃ」
「不安じゃないんですか?」
ウィルは唖然として聞いた。
ドーラ船長は相変わらず微笑んでいた。
「どうしてもわしのことが信じられないようじゃな」
「いや…そういうわけでは」
ウィルは口ごもった。
「実はもうすぐわしは船の上の生活にピリオドを打つんじゃ。だからこそ、残された短い船上生活をわしは、よりいっそう大切に思っておる。どうしても心配なら話すが……」
そこでドーラ船長は一瞬間を置いた。
「航路を少し変えた」
「え?」
ウィルは肩の力が抜けるのを感じた。
「他の乗客達には無駄な心配をさせたくないんで言ってはおらんが、少し遠回りをしておる。君も心配は無用じゃ。第一わしがこのように寝ずの番をしているのは、なぜかと思うかね?」
「ごめんなさい」
ウィルは素直に謝った。
――あの人は凄い人だ。どんな嵐の航海も成功させなさった。危険な冒険をたくさんしなさった。俺達船員のあこがれ中のあこがれだ。
頭にケンの声が反すうした。僕達は、案外この難をなんなく超えられるかもしれない。
「さてわしはコーヒーを一杯飲んで来るとしようかな」
「え?」
ウィルははっと我に返った。
「コーヒーじゃよ。君もどうかね?」
「あ…僕は結構です。コーヒーはあまり好きじゃなくて…。あ、あのありがとうございます」
「そうか」
ドーラ船長は少し残念そうに言った。
「そうじゃな。安心して、もう君も寝るが良い。あ、そうじゃ言い忘れておった」
ドーラ船長は髭を手でいじりながら言った。
「今君に話したことは、他の乗客には黙っておいてくれ。先にも言ったように、無駄な心配はかけたくないのでな」
ウィルは頷いた。
「分かりました。お約束します」
「それじゃあ、また朝食で」
ドーラ船長はそう言うと、その場を後にした。
ウィルはその後ろ姿を見つめた。ケンがドーラ船長を尊敬している理由が少し分かったような気がした。
その時ドーラ船長が行った方向とは、別の方向から人影が現れた。
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