ディナーパーティ 3
次の瞬間ウィルは体がぐいっと何者かに引っ張られるのを感じた。体が大きく揺れ、何者かの強い力が自分の体に加わる。それでもウィルは目をつぶったままだった。
捕まってしまった。ウィルはそう思った。口を腕でふさがれているのが、目を開けなくてもわかる。自分を押さえている者の息を、すぐ近くで感じる。息の生暖かさを、肌で感じる。
頭の中は真っ白で、ウィルは何者かになされるがままになっていた。
食堂で。
「あまりにも遅くないかしら。ウォルトとローレイ……」
ローズはまた食堂の入口を振り返りながら言った。
演奏の間もう何度も振り返っている。さっきは強気で大丈夫だろうと言ったものの、やはり時間がたつと不安になってくる。リィも同様だ。
「そうよね……。もう演奏会もあと少しで終わるというのにね。確かウィルトが出て行ったのは最初のほうよね?」
「ええ」ローズは手に持っていた、演奏会のプログラムを開きながら言った。
「確かケン達のピーフォーの演奏が終わったぐらいじゃなかったかしら……」
「ということは、最初の演奏よね」
そこでリィは少し首をかしげた。
「今はプログラム四番よ。まだ三曲しか進んでないわ」
「本当だわ!たった三曲……。もうかなりの時間がたった気がするのに……」
「私も同じ気持ちよ」リィは頷きながら言った。
「でも、もう少しこのままウォルト達を待ちましょう。今はそれが一番いいと思うわ」
「なんだ?誰もいない。逃げたか?」
ウィルは目を閉じたまま、あの男の声を聞いた。だが奇妙なことに、近くではなく少し離れたところから聞こえる。変だ。自分をすぐ後ろで押さえているはずなのに……。
どうなっているんだ?
状況を理解したい気持ちと恐怖心の間で揺れていた針が、ついに一方をさして止まる。ウィルはゆっくりと目を開けた。だが効果はなかった。目を開けても、あたりは真っ暗で目を閉じているのと変わらなかったからだ。軽く腕を動かそうとしたが、自分の背中で押さえられていて、相当力を入れないと動かせないことが分かった。
また少し離れたところから、男の独り言が聞こえてきた。
「まあいい。あの人が取引人なのだから。誰がどうわめいたって、どうにもならないさ」
男が部屋に戻る足音が聞こえた。男がますますウィルから離れたことが、足音の大きさで分かった。その数秒後、またあの「ドン!」という音が聞こえてきた。
ウィルはゆっくりと、今の状況を整理し始めた。
男は僕から少し離れているところにいる。
男は僕を見つけていない。
僕は何者かに捕まっている。
分かることはこれだけだ。
結局僕は今危険な状態にいるのだろうか。
次の「ドン!」という音が聞こえたとき、ウィルは瞬時に覚悟を決めた。
そして、3回目の「ドン!」
ウィルは自分の口を押さえている腕に、思いっきり噛みついた。
すると、ウィルの口を押さえていた腕の力がさらに強くなり、ウィルは呼吸もまともにできないほどになった。ウィルの頭で今までで一番強い危険信号が発信され、ウィルは無我夢中でもがき始めた。手と足を大きくバタつかせ、なんとか逃れようとした。目には涙が浮かんできた。
「おい、動くな。見つかるだろうが」
後ろからささやき声が聞こえ、ウィルはピタリと動きをとめた。聞き覚えがある声だ。誰?この声は誰だっけ?
「話してやるから、さわぐなよ。見つかっちまうからな」
ゆっくりと押さえていた腕が、ウィルの顔から離れる。ウィルはすぐには振り返らなかった。相手が誰なのか分かったからだ。
「ケン!」
「なんでここにいるの?」
ウィルは驚いて聞いた。自分では声をかなり落して聞いたつもりだが、つい大きい声が出てしまった。
ケンは質問には答えず人差し指を口の前で立て、静かにするよう合図した。部屋が暗くて、その表情はよく見えない。
「一体なぜここに?」
ウィルは、ボリュームをぐっと下げてまた聞いた。
「それは、後でだ」
ケンがそう囁いたのと同時に。
「ドン!」
今までのよりも一際大きな音だった。隣の部屋から聞こえる。壁が薄いのだろうか?壁を一枚はさんでいるとは思えないくらい、破壊音はよく聞こえた。
「終わった。壊し残しはないな」
スキンヘッド男の声だ。声もまた筒抜けだ。向こうの音が筒抜けということは、こちらの音も向こうに対して筒抜けということ。ウィルは息をすることにも気を配った。ケンもまるで石のように固まっていた。やがて部屋から出ていく男の足音が聞こえた。廊下の板がきしむ音も聞こえる。その足音が階段の向こうに消えるまで、ウィルとケンは身動き一つしなかった。
足音が完全に消え、静けさだけが部屋に残される。
「もう行ってしまったみたいだね」ウィルは、ほっとしながら言った。
「ああ」ケンの声にはまだ警戒心がにじみ出ていた。
「あ、さっきは助けてくれてありがとう。どうなることかと思ったよ。なんでここにいたの?」
すぐに返事は返って来なかった。ケンは部屋の入口のほうに向かい、ドアの前で停止した。
パッと部屋が明るくなる。電気をつけたらしい。
「それはこっちが聞きたい質問だな」
そう言ってこちらを向いたケンの顔には、いつものにこやかな表情はなかった。
「僕がどうしてここにいたかということ?」
「そうだ」
「え…ええと……」
ウィルは困惑して、そのまま口を閉じた。本当のことを言っても大丈夫だろうか。ウィルは、ケンの顔をまじまじと見つめながら考えた。ケンはまっすぐこちらを向いている。ウィルの頭にローレイの厳しい顔が浮かんだ。ローレイがいないから分からない。でも、ケンなら信用できる。何しろ僕を助けてくれたんだから。よし、軽くなら大丈夫だろう……。
「あいつが怪しいって、みんなで話していたんだ。だから、つけてきた。なぜ演奏会の時に食堂を出ていくのか気になったから」
「怪しい?なぜそう思ったんだ?」
「ええと…僕たちはもしかしたらあいつは野族で、この船を襲おうとしている野族の仲間じゃないかって思ったんだ。だって……」ウィルはここで一旦口を閉じた。
手紙のことは言っていいのだろうか。ローレイの顔がまたもや浮かぶ。ケンはウィルがまた続けるのを、黙ったまま待っている。これ以上ローレイを怒らせる要因を作りたくない。もう十分だ。ウィルは思った。念には念を!
「えっと、だっ…だって、み…見た目があ…怪しいから。本当にあの髪形とか怪しいよ!もっとも、髪はないけど……。でも、怪しい!とにかく怪しんだ!ケンだってそう思うでしょ?」
「怪しいかどうかはさておき、見た目で判断するのはどうかと思うがな…俺は」
ケンは探るような目つきでウィルを見た。その視線が、ウィルには痛く感じられる。何も悪いことしていないのに、こんな風に質問をうけるのは嫌だ。
「でも、今見たとおりあいつはボートを壊していたじゃないか。ケンも見たでしょ?」
「ああ、まあな。そこの壁に穴が開いているだろう?」
ケンはウィルの背後の壁を指した。ボートが置いている部屋とこちらの部屋を隔てている部屋だ。刺した先には、確かにちょうど掌くらいの大きさの四角い穴が開いている。だから音がよく聞こえたのか。ウィルは納得した。
「どうしてここに来てたの?」
「あの穴は俺が、さっき誤って開けてしまったんだ。ここは船長室だ。見れば分かるだろうが」
そこで、始めてウィルは部屋を見回した。確かに船長室だ。窓際のしゃれたランプ。金の装飾が施してあるシャンデリア。立派で大きな机。航海に関する本がたくさん並べられている本棚。誰か特別の人を招き入れた時のためだろうか。上品なソファや天板にガラスをあしらったローテーブルが置いてあった。同じ船の部屋とは思えな豪華さだったが、今は壁に穴が開いてるため、少し間抜けに見えた。
「ディナーパーティが始まる前、隣のボートの部屋で、そうじをしていたんだ。梯子を動かそうとして、横に抱えた時、ふいにバランスを崩してよろけちまって、梯子の片方の足が壁を突き抜けてしまったんだ」
そこでケンはいつものケンらしく、にかっと笑った。
「隣は船長の部屋だからな、さすがに言い出せずこっそり演奏会のときに修理をしにきたんだ。破片がこっちの船長室に飛び散ってたからそれらを拾い、そして穴をきれいに四角にしたんだ。修理しやすいように。そしたら、あいつがやってきた。もちろん止めようとも思ったが、俺も船長の部屋に潜んでいたとなるとさすがに止めづらい。俺も何をしていたんだということになるからな。だから電気を急いで消して、穴から様子を窺ってたんだ」
「壊していくのをただずっと見てたの?」ウィルは驚いて聞いた。
「ケンなら止めることができたと思うのに。船長室にいた理由なんて、後で説明すれば分かってもらえたはずだよ」
ケンは横に首を振った。
「お前さんが言うことももっともだと思う。だがドーラ船長は俺のあこがれの人だ。だから船長の名誉を少しでも汚すようなことはしたくない。あの時俺が隣の部屋に飛び込んでいってたら、きっと殴り合いになって騒動になったはずだ。ディナーパーティの人達にも聞こえるかもしれん。そんなことはできない。俺は後で他の乗客に知られないよう、また不安を与えないよう、こっそりと船長と話し合って片付けるつもりだ。だから心配するな。それと」
そこでケンは膝を床につき、呆気にとられているウィルの手をがしっと掴んだ。
「このことは、他の客にはふせておいてくれ!お願いだ。この通りだ!」
「やめてよ、ケン」ウィルは慌てて言った。
「言わない!誰にも言わない!約束するよ」
「本当か?」
「うん。もちろんだ。それにしても」
ウィルはそこで少し首をかしげた。
「ケンは本当にドーラ船長のことを尊敬してるんだね。その人の名誉のことを一番に気を配るなんて」
「もちろんだ」
ケンはゆっくりと立ち上がりながら言った。
「あの人は凄い人だ。どんな嵐の航海も成功させなさった。危険な冒険をたくさんしなさった。俺達船員のあこがれ中のあこがれだ。それに」
ここでケンは軽く溜息をついた。
「船長はあと少しで引退なさるんだ。俺達にこの前おっしゃった。海の人生をそろそろ終えようかと。だから、俺が船長と共に海に居られるのもあとわずかだ」
ケンは真剣な面持ちだった。
ウィルは何と言えばいいか分からず、黙っていた。ただケンの船長への深い思いはなんとなく理解できた。
「話を戻すぞ。先ほどお前さんが言った、あの男が野族でこの船を襲う手助けをしているという考えは確かにしっくりくるわな。そしたら、あの船を壊す理由も説明がつくし」
ウィルは黙って頷いた。
「とにかく俺が何とかする。お前さんは安心して、早く戻れ。今なら演奏会の後に出される、デザートに間に合うぞ。フルーツがたくさん乗った特大ケーキも出されるんだ」
「助かるよ、ケン」
ウィルは心をこめて言った。
「本当にありがとう。さっきも助けてくれて僕は本当に――」
「ガチャッ」
船長室のドアが突然開いた。
誰かがドアのところに立っている。
ウィルはそれを見もせずに、目を閉じた。
頭に浮かぶのは特大ケーキ。
色とりどりのフルーツと真っ白の生クリーム。
ふんわりとしたスポンジ。
多分お預けだ。
ウィルの束の間の夢はむなしくもこの瞬間に散ってしまった。
読んでくださってありがとうございました。
ドアに立っていた人物と野族の襲来。
一つの山場ですので、がんばります。