戦争は終結しました。繰り返します。
戦争は、終わったらしい。
そのことを、僕は、地下シェルターの中、古いラジオの放送で知った。
ラジオの元の持ち主であったおじいさんはとっくに死んでしまっていて、その体は浄化装置で分解された後、めぐりめぐって僕たちの食料の元となる合成たんぱく質になった。だから、厳密にいえば、僕の体の中にもおじいさんは生きている。ちょっとロマンチシズムを盛りすぎか。ともあれ、ラジオは僕が受け継いだ。
そのラジオから終戦の知らせを聴いた。玉音放送って奴。この21世紀にもそんなものがあるんだね。僕はびっくりした。そして、本当なのかなと思った。その頃には、もう、夜中にシェルターの天井を振動させる轟音(爆撃機がミサイルを落としていく音だ)なんて、ハデな時報の一種かくらいにしか思っていなかったから。戦争は、僕らにとって、分厚い壁一枚挟んだ向こう側のお話で、つまり、絵空事に近かったのだ。小さい頃、海の向こうの戦争をニュースで見た時と同じ。ただ、隔てるものが太平洋から地下シェルターの壁に変わっただけで、僕らは(市民は)、いつだって傍観者だった。それにもう何年も経っていたから。戦争が始まってもう何年も経過していて、シェルターの中でも何不自由なく暮らせるようになっていたから。「やりました、我々は、これでやっと地上の空気を吸えるのです。我々は自由です」なんてアナウンスの声にも、無反応だった。だって、空気ならここでも吸える。ショッピングモールだってあるし、ゲームセンターだってある。畑はないけれど、人工合成でキャベツも食べられる。遺伝子上の欠陥? 閉塞空間でのストレスが影響したとかで、出生率は著しく下がっていたけれど、それだって赤ん坊を合成すれば済む話だったのだ。本当の意味での、キャベツ畑の赤ん坊だって、作って作れないことはないのが、地下シェルターの自由さだった。そう、自由といえばこれで充分なんじゃないか? 何故今更地上に出ようなんて話題が物議を醸しているのか僕にはさっぱりわからない。
それでも、当日は緊張した。地上に出る日だ。市区町村ごとに分かれて三列に並んだ。僕の手を母さんが握った。本物の母さんじゃない。母さんはもう死んだから。今の母さんは、前の母さんの遺伝子から復元した二代目の母さん。子どもの教育上不可欠であるからという理由で、申請が通ったのだ。その母さんが手を握って囁いてくる。
「ねえ、ユウト。地上ってどんなところかしらね」
そうか。この母さんは、地上を知らないんだ。この地下シェルターで育ったから。そっくり元の母さんそのままだったけれど、それは記憶装置が一週間のスピードコースで叩きこんだ記号上の記憶でしかないんだ。僕は、口を開いた。まだまだ列が動くまで間がある。長い長い階段を上る間、母さんに地上の空の青さを伝えられると思った。
「ユウト? どうして泣いてるの」
わからない。わからないけれど。
僕の故郷。地上。見慣れた町。母さん。ラジオをくれたおじいさん。死ぬ前に最後に見せた笑み。爆撃機が来る前、その直前に、僕が最後に見た、凛とした空の青さ――。