赤き炎 ~信念の色~ その1
和也は水奈に重傷を負わせたパルという《妖》を追い、森を疾走していた。絶対逃がさない、俺が必ず殺す。前を行くパルを追うカズヤの鋭い目がそう語っていた。
それにしても、パルは何処へ行くつもりなのだろうか?このままではカズヤから逃げられないことは承知しているはずだ。大切な者を傷つけたパルを、カズヤが逃がすはずがない。
カズヤの意識の八割方はパルに向けられている。なので、いっそうのことカズヤを撒くことは不可能だ。
そう、カズヤの意識は八割方パルに向けられていた、周囲への注意は少々散漫になっている。
ゾクリ
「!?」
木に足を着き、次の木に飛び移ろうとした瞬間、嫌な感じが体に走り、本能的に足を止めその木に止まった。
次の瞬間、飛び移ろうとしていた木が木っ端みじんに砕け散ってしまった。一瞬の事だったが、パルを見失うには十分な時間だった。
「お前の相手は俺だ」
声は右前方から聞こえてきた。いくらパルに意識を集中していたからと言っても、カズヤが気配に全く気付かなかった。
「さっきのガキは何処へ行った?教えればお前は殺さずにおいてやるぜ?」
カズヤは苛立つ心を抑え、声の主へと問いかける。
「さぁな。特にお互いの行動を把握しているわけじゃねぇんでな」
森の中から音もなくカズヤの前に姿を現す。オレンジ色の髪の毛と瞳が月の光に反射して輝いていた。AA級の《妖》サファイである。
「ちっ、AA級の《妖》かよ。お前の相手をしている暇はない、どけ!!」
サファイを睨み付ける。サファイを見てカズヤが初めに持った感想は、“強い”だった。はっきり言って片手間で相手をして勝てる相手じゃない。今までかなりの数の《妖》と戦ってきたカズヤだからこそわかる事だった。
「俺も出来ればお前と戦いたくねぇんだが。まぁ、ここでお前を逃がしてルビィと鉢合わせされても困るからな。ルビィが帰ってくるまで足止めさせて貰う」
そう言って、サファイは木から地面に飛び降りて構えを取った。左腕はボクシングの構えの状態で、左腕は中段で敵の方に拳を向ける状態で置かれていた。素手で戦う時のスタンダードな構えと少々異なり、独特なものだった。
「結局、お前を倒さなくちゃ前には進めないって事か」
カズヤもそう言うと地面に降り、構えを取ってサファイと対峙した。
「サファイ。俺の名だ。お前の名は?」
サファイは自分の名を名乗ると、カズヤに名を尋ねた。
「羽馬和也だ」
カズヤは少々戸惑ってしまった。自分の名を名乗る《妖》は結構いる。AA級の《妖》になるとプライドの高い連中が多く、戦う前に名乗る者が多い。しかし、こちらの名を聞いてきた《妖》は初めてだった。
「ふっ、今変だと思ったろ?確かに人間に名を聞く《妖》なんてそうそういねぇもんな」
「まぁ、《妖》は全部変わり者だからな、別に人間に名前を聞く奴がいてもおかしくねぇさ。ところで、お前らをまとめている奴はなんて言う奴だ?どうせ黒幕かなんかがいるんだろ?」
目の前のサファイと名乗った《妖》がリーダーだとは考えにくい。こいつは《妖》をまとめるには向かない性格だ。なんせ、戦いを避けようとしている。そんな奴に人間ならまだしも、《妖》は絶対に付いてこない。こいつらのリーダーはきっと、もっと戦いを好む奴だ。
「黒幕?ああ、俺をこの戦いに誘った奴か?なんでも、昔自分に傷を付けた奴に仕返しをするんだとよ。そんなことで、俺等を使わないでほしいぜ。別に隠す事じゃねぇよな。俺はあいつのこと反吐が出るほど嫌いだし。人間をまるでゴミのように扱い、自分と同類の《妖》を物同然に考えている。使えなければ殺し、使える者だったら自分に反感を持っている者でも道具として利用する。そして、使えなくなったら殺す」
サファイは薄く笑った。
「じゃあ、何故……」
「何故誘いに乗ってここにいるのか、か?俺の大切な者を失わない為だよ。その為にはあいつの誘いに乗る
のが一番手っ取り早かった。どうせ自分の意思じゃあ……」
人間は殺せないからな。
きっと、サファイはそう言いたかったのだろう。
「……」
サファイの考え方は自分たち人間よりだった。大切な者がいて、それを失わない為にあらゆる手段を尽くす。カズヤもミズナの命の為だったら、自分の命を掛けるだろう。現に、ミズナに怪我を負わせた《妖》を追い、何も策を練らずに敵が潜む森に入ってきた。
「……ラウェル。それが黒幕の名前だよ」
カズヤの時が凍り付いた。今サファイが上げた名前を頭でもう反復してみる。
「……ラウェル、だと?」
ラウェル。忘れようが無い名前。あの日、星夜が死んだ日、ハルトがずっと呟いていた名前、ハルトが決して忘れないように心に刻んだ名前。それがラウェル。
「わりぃな。お前のことそんなに嫌いじゃねぇが……。てめぇら全員死ぬぜ。『漆黒の天使』の再降臨だ」
カズヤがもの凄く嬉しそうに笑った。そして、体中から炎に具現化した《心気》が放出され、辺りを《気》の火の海に変えた。向かい合うサファイは周りが急に炎に包まれた事に対し、少し眉を動かしただけで、余り動じてはいないようだった。
カズヤの頭からはすでにパルのことなど無くなっている。どうやったって『漆黒の天使』からは逃げられないのだから……。きっと、ラウェルに味方した者全てを殺すだろう。
カズヤ自身も久々にあの化け物に会える事に体が喜びで打ち震えていた。リングの外れた通常状態のハルトなら特に何とも思わないのだが、今回はきっとキレた状態のハルトと会えるだろう。
「けっ!!そんなことどうでもいい。さっさと始めようぜ!!!」
サファイが動く。人間は殺せないと言っても、強い奴と戦うことには楽しさは感じている。
「そうだな!こっちはこっちで楽しもうぜ!!『漆黒の天使』復活の前祝いだ」
二人は拳を握り互いに向かって駆けた。サファイもカズヤと同じ拳で殴り合うインファイターだ。
互いに牽制の一撃を相手に繰り出す。互いに様子見をしている。拳を武器にして戦う奴でも、様々なスタイルの奴がいる。一発に全てを掛けるタイプや、乱打を主にして戦う奴、蹴りの得意な奴、人間では《気》を利用して直接内蔵にダメージを与える奴もいる。
二人の格闘スタイルは似ていた、複数のフェイントを入れながら、隙を見て強烈な一撃をくわえる。例えば、カズヤの場合、手に超高温の《気》の炎を纏わせる『炎憑掌』。
戦い初めて直ぐに速さの差が現れた。カズヤの動きの方がだいぶサファイを上回っている。更に、周りにはカズヤの放出した《気》の炎があり、身動きが制限されている。
サファイはカズヤの乱打を受けきれず数発もろに食らっている。暫くそんな状態が続いたが、殴っても殴ってもビクともしないサファイを警戒して、一旦カズヤが距離を置いた。結構な数の打撃を与えたつもりなのだが、当たったのは全てフェイクの打撃で、本命のものは一撃も当たっていない。
「やっぱり、かなり頑丈だな」
カズヤが、舌打ちをする。フェイクと言っても相当な威力は込めているつもりだった。B級の《妖》なら、一発でも体が吹き飛ぶ程度の力は入れていたはずだ。戦いから暫く離れていて、鈍ったか?サファイとか言う《妖》が想像以上に強いのか?
「ちっ!!この状態じゃ、ついて行けねぇか。人間相手にすまねぇが琉衣、少し力を貸してくれ。俺はあいつを守らなくちゃいけねぇんだ」
サファイは握り拳を作り、全身に力を入れた。するとサファイの全身がうっすらと白い光に包まれる。
暫くすると、白い光は体の中に吸い込まれる様に消え、サファイの白い肌が褐色に変化した。オレンジ色の髪の色は少し薄くなったようにみえる。その代わりに、目の色がオレンジ色から赤に変化した。
「なっ!?」
変化が終えると同時に、サファイの姿がぶれた。しっかりと目で追えているが、先ほどよりも相当速い。カズヤの目前に迫ったサファイの打撃を《気》を総動員してガッチリと固めた腕で受け止めてみる。避けられないものではなかったが、どの程度の威力なのか知っておく必要があった。まぁ、下手をするとそれが命取りになる事もあるが、カズヤは防ぎきる自信があった。
「くっ!?」
想像以上だった。威力は当初のおよそ3倍。スピードはおよそ1.5倍。まだカズヤの方が幾分か上だが、相当実力の差が縮まった。
「くっくっくっ、おもしれぇじゃねぇか。久々だぜ、こんなにワクワクするのは」
カズヤは攻撃の手を休めずに、サファイに語りかけた。
「くっ!!第2段階でも、まだお前の方が上かよ。どんな育ち方たしたんだよ」
サファイは笑う。カズヤとは気が合うのを感じていた。相手に敬意を持って戦えるのは久々だった。
やはり、スピードが上がったと言っても、カズヤの攻撃に追いつくことが出来ない。フェイントを喰らう回数は激減したが、まだまだ攻撃を喰らってしまう。
「くっ!!」
サファイがカズヤの攻撃で、バランスを崩してしまった。このまま回避行動に入ったとしても、コンマ何秒かで間に合わない。きっと、この気を逃す事はせずに本命を打ってくるだろう。
どうにか腕に神経を集中させれば、少々ダメージを負ったとしても、腕を失うことはないだろう。腕を失ったら、回復に最低でも5分は掛かってしまう。カズヤの前で腕を5分使えない。それはすなわち死を意味する。しっかりガードさえすれば三十秒位で回復する位の浅い傷で済むだろう。
「おらぁっ!!」
カズヤは気合いと共に、バランスを崩したサファイに拳を出した。両腕で防御していることなんぞお構いなしだ。
サファイはその攻撃に違和感を感じた。幾分か拳のスピードが遅く感じられたのだ、これならギリギリでかわせる。
どうにかバランスを崩しながらもカズヤの一撃をかわすことが出来た。すると、カズヤの拳は標的を無くし、後ろの木とぶつかった。木は直ぐにミシミシという音を立てて折れていった。木の折れ目を見ると、直径30㎝ほどの穴がぽっかりと空いて、表面が黒く焦げている。そして、地面に倒れた瞬間に紅蓮の炎に包まれる。
「ちっ!!なんつう技だよ」
あんなのを喰らっていたら、今頃火達磨だ。たとえ防御しようとも黒こげになっていただろう。
「やっぱり、多少スピードが落ちちまうか。俺もまだまだだな」
そうは言うものの、昔に比べると相当レベルアップしている。まず、拳が炎を纏うまでの時間がかなり短縮された、次に攻撃の一瞬だけ炎を、目に見えないくらいの薄い密度で拳に纏うことが出来るようになった。しかも、密度は薄くなったが、纏っている《気》の量は昔とほとんど変わりがない。そしてなにより、『炎憑掌』を使った時の体のスピードがほとんど落ちなくなった。
サファイはカズヤの攻撃に目を丸くしながらも、素早く体勢を立て直す。久々に死というものを身近に感じ、背筋に嫌な汗が浮かんだ。




