間話 ~サファイの過去~ その1
霧が辺りを多い、朝の匂いと雨の匂いが森の中に充満していた。昨日の夜降っていた雨も上がり、清々しい朝がやって来た。
「キョウも、ヒガノボル……」
その《妖》は木の上に立って朝日の昇る方を向いていた。顔や手以外の全身がオレンジ色の艶やかな毛並みで覆われていて、オレンジ色で短髪の髪からピンと尖った耳が出ていた。赤く少し大きめな目、口の端からはみ出ている長いが先が丸い犬歯……可愛いオオカミ少年をイメージしてくれればわかりやすいと思う。
この地に生まれて既に十年……と言っても、自我を持ち始めた時から数えてだが……。来る日も来る日も、本能のままに弱い者を殺し自分を磨くことに人生を捧げてきた。
「キョウも、またコロスんだ……」
だんだん自分で考える事が出来るようになってきて、疑問を持つと言うことを覚えてきた。今まで、特に考えると言うことはせずに、とにかく本能の赴くままに自分より弱い《妖》を狩り、自分よりも強い《妖》からは身を隠す、そんなことを繰り返してきた。もちろん結界が張ってある人間のテリトリーには入ることは叶わないので、人間を殺したことは無い。
「……イコウ」
最近スムーズに喋ることが出来るようになってきて楽しいのか独り言が多い。
森を縫って走り出す。特に目的とかはないので、気ままな散歩のようなものだ。暫く走っていると、少し離れたところで何やらガサガサと騒がしい場所があった。出来る限り近づき、音を立てずに木の後ろに隠れて、気配を消し様子を伺う。すると、《妖》の住むこの森ではまず見かけない生物が、A級の《妖》数体と戦っていた。といっても、既に勝負は付きつつある。A級の《妖》は動いている者が後一体のみになっていた。一方、見知らぬ生物には傷一つ付いていない、それどころか息すら切らしていない。
その生物、二腕二足で自分と似ている……。黒く長い髪を持ち、首から下の肌を服と言われている物で隠していた。……“人間”と言われている生物だった。
「アレがニンゲン……」
初めて見る人間と言う生物に興味を引かれ、注意散漫になっていた。《妖》の世界は弱肉強食、油断すればそれだけ自分の身が危険になる。
人間に集中し過ぎていて、自分の後ろにいる《妖》への反応が遅れた。振り向いた時には既に遅くその《妖》は既に武器と化した右腕を自分に向けて振り上げていた……、絶対防げないタイミングである。
グサッ
覚悟していた痛みはなかった。自分の顔に生温い液体がかかっただけだった。それは自分を狩ろうとしていた《妖》の血だった。
「面白い《妖》ね。私に気を取られて気配を消すのを忘れるなんて……。この森ではそんなに人間が珍しいのかしら?」
そう言って、ニコリと笑う。無防備に立っているように見えて全く隙がない。
「オレをコロスのか?」
既に心の何処かで生きることを諦めた。目の前にいる人間は強すぎる……。その気になれば一瞬で狩られるだろう。
「そんなに怯えないでよ。何かあなたは他の《妖》とは違うみたいね。まだ子供だし、なんか優しそうな目をしてる……。良くここまで生きて来られたわね?」
目の前の人間は一向に自分を殺そうとはせずに、ニコニコと笑いながら自分に話し掛けてくる。頭も随分良くなってきたので、話は理解できる。どうやらこの人間からは自分を殺す意思は感じられない。
「ナニがモクテキだ?」
人間を観察してみる。ほっそりとした顔、優しそうなブラウンの瞳、腰辺りまで伸びるサラリとした髪……。
「あなた、私と一緒に来ない?私、この森の近くで一人暮らししてるんだけど、さすがに一人にも飽きてきたの」
自分に選択肢がないことはわかっていた。ここで断れば殺される……、頷くしか選択肢はない。実際、ここで断っても殺されはしなかったのだが、弱肉強食の世界で生きてきた《妖》に其処まで考えられなかったようだ。
「じゃあ、行こう!!」
そう言うと人間は可愛いオオカミ少年の手を退いてその場から去って行った。かなり異様な光景だった。
それから5年と半年の歳月が流れた……。
森で出会った人間は琉衣と名乗った。なんでも、森にいるA級以上の《妖》を狩って国からお金を貰って生活しているらしい。独りと自然が好きで、人間の結界の外で暮らしているらしい。しかし、やはり話し相手はほしかったようだ。
ルイの部屋には二つの宝石が飾られていた。サファイアとルビー。ルイはこの二つの宝石のうちオオカミ少年にどちらが好きかと聞いた。そして、サファイアを選んだオオカミ少年はサファイと名付けられた。ルイの性格故に単純な名前になってしまったが、サファイはこの名前を相当気に入った。もともと、A級以下の《妖》で名前を持っている者はごく少数なのだ。
ルイはサファイに人間の事を5年かけてあれこれ教えていった。当時21歳だったルイはサファイのことを弟の様に可愛がり、人間の優しさや愛情を教えた。もちろん、人間の醜いところも全て教えた。それら全てを知った上でサファイには人間を好きになってほしかった。
初めは戸惑っていたサファイも、時が流れるに連れルイに慣れ、一緒に行動するようになった。ルイが《妖》を狩りに行くのにもついて行った。それにより、サファイのレベルもかなり上がりA級の《妖》の中ではトップクラスの実力を手に入れるにいたった。もうこの森でなら、ほとんど敵はいないだろう。容姿も大分変わり、人間にかなり近くなってきた。オレンジ色の毛並みに覆われていたのが、ほとんど抜け落ち人間の肌と同じ色の肌が姿を現した。今でも昔の名残を残しているのは、髪の毛から突き出たフサフサとした耳と、尖った犬歯、鉄でも容易に切り裂ける鋭い爪ぐらいだろう。ちなみに、ちょっと微妙なセンスの、ルイが選んだ服も着ている。
そして、山はサファイがルイの元にやって来てから六度目の春を迎えた。桜が咲き誇り、山中をピンク色に染めている。ゆったりとした風が桜の花弁を運び、凄く穏やかな気持ちになれる。そんな春満開の山の片隅にある小さな小屋にも、まったりとした空気が流れていた。
「ルイ、今日の飯はなんだ?」
今日の夕飯を聞くサファイ。人語ももう完璧に操れるようになったようだ。ちなみにルイのせいで、ちょっと大雑把な感じがする話し方になってしまった。
「ん~、なにがいい?」
「じゃあ、肉」
普通に人間の食べ物も食べられるようになった。《妖》の肉や木の実や、山菜よりも、人間が食べている物の方が美味しい。
「じゃあ、野菜炒めにしよっかな~」
「はぁ?聞いたんだから肉にしろよ」
ルイが少し意地悪を言うと、しかめ面をしてそっぽを向いてしまった。それを見て面白そうに笑うと、サファイに近寄り頬をプニプニと突っついた。
「冗談よ。あなたが食べたいものなんて、聞くまでもなくわかってるしね。もう支度できてるわよ」
ニコニコ笑いながら、ルイが言う。サファイがここに来てからルイはいつもニコニコと笑っていた。どんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても、サファイの前ではいつも笑顔でいた。しかし、今日のルイは少し様子がおかしい。なんというか、かなり長い間一緒にいるサファイにしかわからない変化なのだろうが、ルイの笑顔が少しぎこちない。心なしか顔色が悪い気がする。
「お、おい、どうしたんだ?なんか具合悪そうだぜ?」
「ちょっと、熱っぽいだけよ。明日には良くなってると思うわ。それよりサファイ。明日何の日か覚えてる?」
ルイは話題を変えてきた。ルイがそう言うなら大丈夫だろうと思い深くは追求しなかった。
明日はルイの誕生日。サファイはしっかりと覚えている、忘れるはずが無い。
「さぁ?何か特別な日だったか?」
今度は、サファイが意地悪を言う。しかし、サファイはそう言ったことを言う時に、視線を外すクセがあるのでバレバレである。
「忘れたのはこの口かなぁ~?」
「いひゃい、いひゃいって。ごめん、ごめんなひゃい」
わかればよろしい、と言って手をどけてやった。
「ルイの誕生日だろ?なんかほしいもんとかあんのか?」
ズキズキと痛む頬をさすりながら、ルイに聞く。
「ん~、特にないな。サファイがこれからも一緒にいてくれるだけで十分だよ。とにかく明日は一日中家でサファイとゴロゴロしてたいな。あっ、ご飯作ってほしいかも」
「わーったよ。明日の夕飯は俺に任せときな」
「やったー。ありがとサファイ」
そう言ってまたニッコリと微笑む。サファイはこの笑顔が好きで、いつまでもルイが笑っていてくれたらいいのにと思う今日この頃……。だんだん人間に考え方が近くなってきたようだ。
その日の夜、体調が悪いルイは少し早く眠りについた。ルイが寝静まったのを見計らってサファイは家を出た。目的は食材集めと、前にルイと一緒に行った谷に咲いていた、青色の綺麗な花を取りに行くためだ。明日はルイに付き合って家でゴロゴロしていなくてはならないので、今の内に食材を集めるというわけだ。この森には《妖》以外にも動物がいる。熊や猿や牛と言ったものだ。今日狙うのは牛……。この森の中で一番美味で希少な動物だろう。その他にも、キノコや食べられそうな野草を探すことにした。
森の中は所々に桜が咲いていて、月に照らされ花びらが青っぽく輝いているように見えた。そして、風が吹くたびに花びらを巻き上げ、まるで雪が舞っているような光景が瞳に映し出される。
そんな中を、散歩感覚で気持ちよさそうに疾走するサファイ……。はっきり言って牛が見つけられる可能性はかなり低い。それは下級の《妖》にとって、牛は一番のご馳走だからだ。まず《妖》が牛を見つけたら逃がさないだろう。だが、今日は何故か必ず見つかりそうな気がしていた。
まぁ、見つからなかったら町に降りて買ってきても良いのだが、この森に生息する牛の方が普通の牛よりも数倍美味しいのだ。そんな話をルイに昔話したことがあった。ルイはまだこの森に住む牛を食べたことがなかったようで、是非食べてみたいと目を輝かせていた。
「さぁ、まずは花でも摘みに行くかな」
独り言を呟きながら気持ちよさそうに走る。目指すは森の一番奥にある谷。その谷で森が二つに分かれている。こちらの森と向こうの森では、生息する生物が異なる。まだ、向こうの森に行ったことのないサファイは、ルイから向こうの森の話を聞いたことがあった。なんでも、こちらよりも漂っている雰囲気が暗く冷たいとのこと、AA級の《妖》が多く生息していて、行ったらまず帰って来れないと言っていた。ルイにあまり谷には近づくなと言われていたが、今日は特別だ。なんせ、この森と森との狭間にしか生息してない花を摘みに行くのだから……。
谷に着くと直ぐに目的の花は見つかった、谷の半ば辺り青く綺麗な花が咲いている。自分から輝きを放つ不思議な花。見る者に安らぎを与えてくれる。
「さて、さっさと積んで帰ろう」
サファイは谷を軽々と降りて、花を一本だけ積んだ。全て積み取ってしまわないのは、サファイなりの優しさなのだろう
「やっぱ、向こうの森は気味がわりぃな」
谷を登り、反対側の森を見る。こちらの森には桜など春咲く花が所々に色を与えているのだが、向こうの森は色が無く、ただただ暗い感じがする。更には、生き物の気配が全くせずシーンと不気味に静まりかえっていた。
サファイは花を取り、直ぐその場を後にした。
今度は特に目的地もなしにブラブラと森の中を移動した。今回狙っている獲物は探して見つかるような物ではない、偶然に身を任せるしかないのだ。まだ夜明けまでかなり時間がある。
森をぶらついている時、微かな葉が揺れるような音がした。普段なら気にも止めない程の微かな音だったが、今回は少々気になって、その音のした方に注意を向けてみる。
「……ま、まじかよ」
月明かりがかなり明るかったので、特に目を細める必要はなかった。探し求めていたものが其処に存在した。普通の牛よりも2倍ぐらい大きく、強靱そうな体に、大きな鋭い角……、この森に生息する野生の牛だ。その柔らかく、旨みのある肉などで、色々な生き物から命を狙われる。その為、少々攻撃的な体に進化した牛のもう一つの進化形態。最近では、めっきり数が減って発見することはかなり難しい、幻の生き物だ。
サファイでも、この森に生息している牛を見るのは数年ぶりだった。。数年前に味わったあの味を思い出し、自然と胸が高鳴るのを感じた。そして、喜ぶルイの顔が頭に浮かんできて、自然と顔に笑みがこぼれてくる。
「よっしゃ!見つけたらこっちのもんだ」
早速、牛を仕留めに静かに近寄る。もう、数メートルの所まで来ているのだが、牛がサファイの気配に気付いている様子はない。ほのぼのと草を食べている。一瞬間を置き、一気に詰め寄り喉を一気に切り裂いた。直ぐに大量の血を流し牛は息絶えた。これで、最高のプレゼントが確保できた。そんなことを思ってサファイが油断した時、その声は聞こえた。
「まちなよ。その生き物は僕が貰おう」
「!!」
サファイの動きがピタリと止まる。動いたら殺されると、本能的に感じ取ったのだ。顔を動かさずに目を配ってみると、かなり近くで視界にギリギリ入るところに声の主はいた。それなのに声を掛けられるまで、全く気が付かなかった。




