一期一会 ~赤い月の下で~ その3
自分の顔に何か生暖かい液体がかかって来た。それはむせ返るように生臭い。嗅ぎ慣れた匂いだった。
「えっ?」
恐る恐る目を開けていくと、自分の腕を掴んでいたキメラの首から上が綺麗に消えていて、血が噴き出していた。
「だ、誰!?」
セイヨが声を上げ、回りを見渡す。すると自分と同じぐらいの背丈の影が目に入った。
「あなたは」
其処に立っていたのは、先ほど、セイヨに殺されかけていたハルトだった。見ると、右腕に目に見えるほどの《気》が集中していて青白く光っている。
「はぁ、はぁ、はぁ。まだ君は死んじゃいけない」
ハルトは肩で息をしながら、セイヨを見ていった。
「あなた、そんなことが出来たの?なんで私の時それを使わなかったの?」
白衣の男は信じられない、と言うように固まって動かない。実際目の前で自分の作った最高傑作を刀も持たない十歳の男の子に軽々と殺されたのだ、無理もない。
「君は悪い人じゃないから、それにこれはとっても疲れるからね」
ハルトは相変わらず無機質な声だったが、セイヨにはその声がとても穏やかに聞こえた。
「クックック、素晴らしい!!君は、良い実験台になりそうだ」
白衣の男が、ハルトの力を見て笑い出した。
「しかし、かなり《気》を消耗しているようですね。こちらは残り3体、勝てますかな?」
白衣の男が余裕の笑みを浮かべる。まだ化け物が後3人もいるのだ。ハルトもセイヨとの戦いで《気》をかなり消耗しているようで、素手で倒すにも後一体が限界だろう。
「逃げて。あなた一人なら逃げ切れるわ」
セイヨはそう判断した。《気》が空っぽの自分より、《気》が残っているハルトの方が逃げられる確率が高い。セイヨにはハルトはまだ生きなければいけない存在のような気がした。
「嫌だ。この人達は殺さないといけない。それに、君もまだ生きなくちゃいけない」
「後三体のキメラを殺す力は残っていないでしょ!?もう刀も折れちゃったし、このまま戦い続けても勝ち目はないのよ!!」
セイヨが叫ぶが全く聞く耳を持たずといった感じで、ハルトはキメラに向かって構えを取った。
「行け!!二人を捕らえろ!!」
「逃げて!!」
止まっていたキメラ達が白衣の男の号令と、セイヨの叫びでまた一斉に動き出す。
ハルトはキメラ達が動くと同時に一番近くにいたキメラに向かっていった。
「無理よ!!!・・・・!?」
わずかに残った気を使い、目でハルトとキメラの姿を追っていたセイヨの顔は見る見る驚きの表情に変わった。
ハルトがキメラと接触する瞬間、ハルトのスピードが飛躍的に伸び、セイヨの視界から消えた。《気》が残り少ないといっても、キメラの姿を明確に追えているセイヨが追えないほどのスピードでハルトは移動したのだ。どうやらキメラもハルトの姿を見失ったようで、全てのキメラの動きが止まった。そのうち2体はハルトの様子を探そうとキョロキョロと辺りを見回したが、ハルトとすれ違った残る一体はピクリとも動かずその場に止まっている。
「何をやっている!!さっさと捕まえろ!!!」
白衣の男が叫ぶ。その直後動かなかったキメラの体が胴体から分かれ、上半身が地面にずれ落ちた。
「えっ?」
セイヨが状況を掴めず、ポツリと呟く。白衣の男も呆然と言葉を失った。
ドサッ
音がした方に目を配ると、キョロキョロと辺りを見回していたキメラのうち、セイヨの近くにいた方が頭から真二つにされて地面にくずれ落ちた。
「何故だ!!奴はもうほとんど気が残っていないはずだぞ!!何故簡単にキメラが殺せる!!」
白衣の男は自分の最高傑作が簡単に殺されているのに、混乱しているようで、誰も答えてくれない疑問を叫び続けている。
そんなことをしているうちに残りのキメラ、一体の姿が消えた。辺りを探しても死体の破片もない。完全に消失していた。
「これで後は、お前だけだ」
白衣の男の前にいつの間にか、ハルトが姿を現していた。
「ま、まて、何故、何故キメラを簡単に殺せた?」
「どうせ知っても意味無いよ。これから死ぬんだから」
ハルトはやはり無感情な声でそう言うと、白衣の男に歩み寄った。
「た、たのむ。見逃してくれ、そ、そうだ、私に雇われてくれないか?金ならいくらでも出す、頼む。殺さないでくれ」
白衣の男は土下座して命乞いをする。とても見苦しい光景である。
「もう二度と実験はしないで。それともう僕に関わらないで」
そう言うとハルトは踵を返してセイヨの方に向かった。
「なんであんな奴生かしておくの?それに、あなたはどうやってキメラを殺したの?それにあのスピードは」
セイヨがいっぺんにハルトに質問しようとするが、途中でハルトの後ろに見えた白衣の男の行動を見て、話すのを止めた。
「やっぱりあいつは殺しておくべきだったわね」
ハルトが白衣の男の方を向くと、白衣の男は何やら服の中から注射器を取りだして、自分の腕に突き刺していた。すると、白衣の男の服が盛り上がり、筋肉が服を破った。更に肌が硬質な金属のような光沢を放ち、爪や髪の毛は伸び、先ほどのキメラを彷彿とさせるような姿に変わっていった。
「くっくっくっく。ありがとう、この姿になれる時間をくれて。こいつは私がキメラの実験を通して手に入れたデータを元にして作った最高の肉体だよ。《妖》の能力を持ちながら自我を保てる、最強の生物さ!!!更にあのキメラ達とは比べ物にならないくらいの能力を持っているのだよ!!!もう捕らえるのはやめだ、殺してやる!!」
そう言って、右腕を軽く木に打ち付けた。すると木がミシミシと悲鳴を上げて折れ、地面に倒れた。
「化け物」
セイヨがポツリと呟く。相手は先ほどの“捕まえる”つもりではなく“殺す”つもりでかかってくる。今のセイヨでは一撃であの世行きだろう。更にあのキメラ達よりも段違いに強いと言う。絶望的だ。
「そんなに死にたいの?」
ハルトがポツリとこぼす。
「何言ってるの!?死にたくないのなら速く逃げなさい!!あなた一人なら逃げられるはずよ!!!」
セイヨが逃げるように言うが、ハルトには逃げる気配は全くない。
「クックック、逃がしませんよ。まず《気》が残っている、君から殺してあげます」
そう言って化け物化した男は、ハルトの方を指差した。そしてハルトの方にゆっくりと歩き出した。
「そんなに死にたいの?」
今度はしっかりとした声で言う。そしてハルトは少し化け物の方に向かって歩き、立ち止まった。後ろにいるセイヨと距離を取ったのだ
二人の動きが、ピタリと止まった。正確に言うと、化け物が動きを止めた、後一歩踏み込むとハルトの間合いに入るのだ。
「では、一瞬で殺して差し上げますよ。この体なら、丸腰のあなたのどんな攻撃も効かないでしょうしね」
化け物はハルトの間合いに入っても、大丈夫と踏んだ。ハルトは武器を持っていないし、キメラを真二つにした手刀も今の体なら受け止められる自身があったのだ。
「もうあれは使えないよ。其処までの《気》が残ってないしね」
「くっくっく。もう諦めたんですか。まぁ、あれだけの攻撃を4回も使ったのですから、もう《気》が残ってないのも当然でしょう」
「ううん、あれは一回しか使ってないよ。他のはもっと楽な方法で殺したんだ。スピードが上がったのもすべて、それに関係があるんだけど、まだ僕が扱えるものじゃないから、あんまり使いたくなかったんだけどね」
そう言ってハルトは少し口元を緩めた。
「ふん、下手な嘘を、あの手刀の攻撃以外でどうやってキメラを3体も殺したと言うんだね?丸腰の君では物理的に不可能だ」
化け物は少し後ろに下がり、そこから一気にハルトの懐に入り込む。ハルトはまだ動かない。いや、動けないのか。セイヨはハルトが化け物の右腕で貫かれるのを想像し、目をつぶった。




