新たな仲間
リースは少年を抱きかかえたまま、頭を撫ででいた。
少年は泣き疲れて寝てしまっている。
年相応の穏やかな寝顔を見て、彼女は微笑む。
そして、ウロボロスへと向き直った。
「ウロボロス、もうアスタルテも離していいわよ」
《承知した》
ウロボロスはゆっくりとアスタルテも離す。
彼女はリースのことを猜疑心で満ちた目で見ていた。
《あなたのこと、本当に信用していいのかしら》
どうやらこの悪魔は、少年のことを心配しているらしい。
それは珍しいことだ。
なにせ『悪魔』と『人間』の関係はあくまでも契約上のもの。
互いに利用しあう、という関係に近い。
だから、少なからず驚きの感情があった。
「うーん、簡単に信用はできないかもしれないけど、私は、子供は傷つけない主義よ」
それに彼女は目を細めて、考え込む。
信用に値するか、値踏みでもしているのだろう。
だが、すぐにその行為をアスタルテはやめた。
《正直、判断がつかないわね。ひとまず、その子はあなたに預ける。けど……》
アスタルテは低い声で言う。
ほとんど、脅すような声で言う、
《その子を騙すようなことをしたら、絶対に許さない。どんなことをしてでも、私はあなたを殺す》
その言葉に反応したのは、リースの横に待機していたウロボロスだった。
《おい、図に乗るなよ。我は貴様をいつでも殺せるということを、忘れていないか?》
すぐ横にいる蛇の頭を撫ででなだめる。
そうやって蛇を制しながら、言う。
「ウロボロス、ストップ。そう殺気立たないで」
《……いいのか?》
「ええ。別に、私はこの子を傷つけるつもりはないからね」
《ふむ》
ウロボロスは納得してくれたようで、頭を伏せた。
それを確認すると、アスタルテに向き直る。
「そういうことだから、帰ったら?」
《……そうしましょうか》
刹那、アスタルテの姿が消えた。
ウロボロスへと、また向き直る。
「ウロボロス」
《なんだ?》
「傷、けっこう痛いから、治して」
《やれやれ》
ウロボロスは『破壊』と『再生』を司る『神獣』だ。
この蛇は己の体を環にして、尻尾を食べ続け、それと同じ速度で再生し続けるという逸話を持つ。
そして、契約者はその『再生』の恩恵を受けることができ、ウロボロスが同伴しなければならないという条件付きで、致命傷でも死んでいなければ一瞬でその怪我を治すことができる。
「早くー」
《はぁ》
ウロボロスのため息と同時に、傷口がすべて塞がる。
傷跡も全く残っていない。
シビレダケによる痺れもなくなっている。
それを確認して、
「ありがと」
微笑みながら礼を言う。
《できるだけ、怪我はしない方がいいぞ。そろそろ代償が必要になる》
「え、もう?」
《うむ》
ウロボロスの治癒はある程度使うと、代償が伴う。
けっこうきついから、できれば払いたくない。
「わかったわ。それじゃ……」
ふと、複数の気配に気がついた。
「…………に……あれ…………や……よ……」
話し声が聞こえる。
耳を澄まして、声を拾う。
「べぇよ、やべぇよ。くっさい台詞がオンパレード」
ルークの声だ。
「いや、これはくさい台詞の宝石箱やー、だろ」
レドルノフの声も聞こえる。
「ねぇ、誰か録画とかしてないの?」
「俺が魔法でしてるよ。後で、聞かせてやろ」
シュスとミラまでいる。
戦闘や会話に夢中で気づかなかったが、どうやら彼らはあの恥ずかしい台詞を聞いていたらしい。
「あは、ははは」
少しアンリの真似をしたら、このザマだ。
リースの顔から、感情が消えた。
少年が起きても顔が見えないようにするために、顔を胸へとうずめさせる。
そのまま、顔だけウロボロスへと向き直る。
「ウロボロス」
《ん?》
「あそこにいる~、女の子以外~、全員殺せ」
さっきまでとは打って変わった、冷酷な顔。
さっきまでの仲間が何たらは、どこにいったのだろうか。
《しょ、承知》
蛇が隠れている馬鹿どもへと向かっていく。
「やべ、こっち来たぞ!」
「に、逃げろ!」
ドタバタと馬鹿どもが慌てる音が聞こえる。
だが、無駄だ。
人間が『神獣』から逃げることなどできない。
《すまんな。恨むなよ》
「ぎゃァああああああああああああああああああああ!! 足噛まれたァあああああああああああああああああああああああああああ!!」
レドルノフの叫び声が響く。
「馬鹿、マッチョ、こっちに来るな!」
ルークの叫びも響く。
もう馬鹿たちを無視して、自分の今の格好を見る。
先程の戦闘で、服はズタズタだ。
これで出歩くわけにはいかないだろう。
「あーあー、服が台無しね。これ、買い直さないと。けど、結局は服屋に行くために、表出歩かないといけないし」
その何気ない台詞を、レドルノフは聞き取った。
己の命を救う、糸口となりえる言葉を。
「俺が縫い直してやるから、この蛇どけろォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「え♪」
リースの顔が輝く。
「ウロボロス、消えなさい」
刹那、ウロボロスの姿が消えた。
「「「「助かった」」」」
安堵の息をつく四人に、リースは少年を抱きかかえながら歩み寄る。
「レドルノフ、今の言葉、本当?」
「ふ、男に二言はねぇよ」
「どうせなら、色っぽいのにして♪」
ミラがルークの袖を引っ張る。
「ねぇ、レドルノフって裁縫上手いの?」
「かなりな。前に、ペルシャ絨毯直してたのを見たことある」
それも、完璧に。
新品同然に。
「す、凄いね」
「家事をするためだけに生まれてきたといっても、過言じゃない」
「だから便利マッチョなの?」
「いいや、囮に便利だから」
「外道剣士あとで殺す」
シュスがリースへと向き直る。
少年の顔を見ながら、彼女に訊く。
「その子、どうすんだ?」
「リグレット王国に連れて帰る。その後は施設に預けるなり、里親を探すわ」
それにミラは不思議そうな顔をした。
「でもさ、不思議な国だね。人体実験被験者を他国の研究所から連れ出して、保護するなんてさ」
レドルノフが肩をすくめる。
「そういう、変わり者がトップの国なんだよ。あいつ、対岸の火事を見て憤れるような、お人好しだからな」
「け、けどよ、バレたりゃ戦争になるんじゃねぇのか?」
シュスの問いかけに、ルークは頭を振る。
「まともな判断できるなら、ウチに戦争しかけるような国はねぇよ」
「んまぁ、私が皆殺しにした、あの馬鹿貴族たちは例外だけど」
「なんで?」
「なんせ、リグレット王国はこのキナイア大陸で最強の軍事国家だからね」
シュスは手を頭の後ろに回して、訊く。
「それ、前にも聞いたけどよ、そんなに国力あるのか?」
「いんや、そっちじゃねぇな。凄いのは、兵士の強さだ」
レドルノフはあくびを噛みしめながら言った。
「たぶん、国力だけの話なら、周りの国は甘く見積もっても五倍はあるぞ」
「「小さい」」
だが逆に言えば、それだけの国力の差をひっくり返せるだけの、兵士の戦闘力が高いということだ。
リースが少年の頭を撫でながら言う。
「兵士の戦闘力の最低ラインが、他国で言う精鋭兵に値するからね。しかも、リグレット王国には『剣聖』に『紅の鋼』もいる。戦争を防ぐための抑止力としては、これで十分なのよ」
十分どころか、過剰のような気がしてならない。
「ん? でも、リースの方が、ルークやレドルノフよりも強いよね?」
「確かにそうだけど、私、あんまり名が売れてないのよ。昔は『霧の死神』なんて呼ばれてたけど、それも国内だけだったし」
シュスがルークに小声で訊く。
「なぁ、本気のリースってどんだけ強いんだ?」
「ああ、もう人間じゃないな。山姥だ」
「ああん、もう。ルーク、死にたいなら早く言いなさいよ。どうやって殺すか、考えないといけないじゃない」
「ひっ」
聞こえていたらしい。
(流石は山姥だ)
刹那、リースが足を払ってルークを倒し、腹を踏みつけた。
「誰が、山姥ですって?」
この妖怪、とうとう人の心まで読むようになった。
おお、くわばらくわばら。
リースは鳩尾、肝臓、胃、活殺点と的確に急所を踏みつけていく。
「ごふ、げふ、うげ」
踏まれているルークを、シュスは見捨てて思い出したように呟いた。
「そういや、元帥の顔見たことないな」
「元帥というと、軍のトップ?」
「うん」
シュスとミラの会話に、レドルノフが割り込む。
「お前は元帥の顔知らなくても、あいつはお前の顔知ってるぞ」
「え、なにそれ怖い」
「あいつ、幽霊元帥って呼ばれてるしね。その名の通り、幽霊みたいに消えたり、現れたりできるのよ」
リースは微笑みながら、ルークの顔を踏んでいる。
どうせ助けられないから、シュスは無視する。
助けてほしい。
いや、ホント切実に。
涙目になる。
「ん。まだ息があるわね」
踵をぐりぐりと押しつける。
すげぇ痛い。
マゾヒストの変態にとってはご褒美かもしれないが、この女、急所を的確に踏んでくるし、ルークにそんな趣味はない。
このままだと、マジで生命の危機だ。
「女神様、どうかこの敬虔な子羊をお助けください」
「ん~、どうしよっかな~」
「おい、そろそろ許してやれよ。カルシウム足りないのか?」
「それ、ほとんど迷信だからね」
レドルノフに叱られたので、とどめの一発をお見舞いして、体から足を離した。
彼女を忌々しそうに睨みつけて、柄に手をかけようとするのが、やめる。
どうせこの女には、一億回挑もうが一億の屍を築くのがオチなのだから。
「それならよ、これから全員でリグレット王国に帰ろうぜ」
それにミラが顔を輝かせた。
「おお、良いね、それ。ルークたちの故郷見てみたい」
その実、この集団にリグレット王国で生まれた人間はリースだけだったりする。
ルークとレドルノフは軍に所属しているだけ。
シュスはルークについてきてるというだけだ。
「それじゃ……」
リースの言葉は、遮られた。
「ん。んぅ」
少年が目を覚ましたことによって。
「あら、目が覚めたの」
「うん」
リースが少年をゆっくりと下ろしてやる。
少年は少しだけ眠そうにしながらも、しっかりと立つ。
「目が覚めたことだし、名前、教えてくれる?」
「うん。僕の名前はラル。ラル・ネロウリー」
リースがほかの四人へと目配せをする。
自己紹介をするように促しているのだ。
「俺はルーク・パラシア」
「レドルノフ・フレラ」
「シュス・ウィズダン」
「ミラ・ディストリアだよ」
「私は、リース・アフェイシャン」
五人の名前を、少年改め、ラルはなんとか覚えた。
これから、自分の仲間となる人間の名前を。
「よろしく」
☆
「ねぇ、いつになったら服縫い直してくれるの? こんな恰好じゃ、外出歩けないんだけど」
「ああ、今回と次回の間」
「そういうこと言うな!」
ウロボロスは色々な象徴持ちだけど、再生と破壊を選びました。