『大嫌い』
『大嫌い』
私は父が嫌いだ。
いつも仕事優先で、真面目だけが取り柄の典型的な公務員。
頑固だし、自己中だし、素直じゃないし。
中学の時に母と死別してから、必要最低限の会話しかしていない。
街を一緒に買い物して歩いたことも無い。
レストランで二人で食事したことも。
馬鹿みたいに門限が厳しくて、友達付き合いに苦労した。
高校生になって彼氏ができてからは、さすがに門限が守り切れなくて、
いろんな友達の名前を出しては言い訳をした。
でも、浅はかな私の嘘は、いつも父に見抜かれた。
けどそれは、父の教えが多分に影響していたのかもしれない。
「絶対に嘘はつくな」
「人をだます位なら、だまされる人間になれ」
おかげで私は悪い男にだまされ続けてる。
門限までの短い時間で判断しなきゃならないから、いつも男選びに失敗するんだって自分に言い訳してるけど。
さっさと家を出たくても、小さなメーカーのOLの安月給ではどう頑張っても自立できないでいた。
今夜は外資系コンサルとの合コンだ。
香織の話だと、高収入のイケメン揃いらしい。いやがおうでも気合いが入る。
仕事をしっかり定時で切り上げて、メイク直しをしている時に携帯が鳴った。
孝博からだった。腐れ縁の幼なじみ。これまで何度告白されたか数え切れない。
もっとも毎回断ってきたけど。学習することを知らない馬鹿だ。
いまだにカメラマンの夢を追ってるみたいだが、どーせ実家の八百屋の跡取りになるのがオチだろう。
面食いの私の眼中には無い。
「美紗、落ち着いて聞いてくれ」
「しつこいわね。デートの誘いならお断りだから」
「違うって。美紗のお父さんが倒れた」
一瞬にして思考が停止した。
がん。無機質な蛍光灯が明るく光る、カンファレンスルームとかいう無駄に広い部屋で、医者はそう言った。
私には縁のない言葉だと思っていた。
父はそのまま入院だった。手術はしないそうだ。完治の見込みは無いし、余計に体力を奪うから。
病室のベッドに寝る父は、なんだか知らない人のような気がした。
「過労と胃潰瘍だって。お父さん無理してたんじゃない?」
「そうか。手術するのか?」
「安静にしていれば良くなるらしいよ」
私は着替えを棚に入れながら答えた。父の顔がまともに見られなかった。
「飯まだだろ?食って帰るか?」
病院を出るなり、孝博が近くのファミレスを指さして言った。
病院に駆けつけてから、入院の準備に家に帰ったりしている間、ずっと孝博が付き合ってくれた。
時計を見ると二十二時を回っている。こんな時間にやっているのは飲み屋かファミレス位しかない。
「いい。今日は帰る。ありがとう、いろいろと」
私はファミレスが嫌いだ。幸せそうな家族連れを見ると、自分が惨めになるから。
翌日見舞いに行くと、父は思ったより元気だった。
売店に二人で買い物に行った。父は無言で雑誌を数冊と缶コーヒー、そしてリンゴジュースをかごに入れた。
「覚えてるんだ、私が好きなの」
「当たり前だ」
よしよしと頭をなでられたような気がして、くすぐったかった。
病室に戻るなり、父は言った。
「先生に聞いたよ」
「何を?」
「父さん、もう長くないんだってな。お前は嘘が下手だから」
何も答えられなかった。
「美紗の花嫁姿見たかったな」
病室にいられなくなった。廊下に飛び出すと同時に涙が溢れ出してきた。
「どうした?」
孝博だった。
「ゴメン。ちょっとだけ胸貸して」
不本意だったけど、初めて孝博の存在に感謝した。
そして、あることをお願いした。
翌日も父を見舞った。似合わないスーツ姿の孝博と一緒に。
「お父さん、お話があります」
「なんだい伊藤君?改まって」
「美紗さんとの結婚を認めてください」
驚く父に、孝博は続けた。
「知っての通り、小さい頃から僕は美紗さんが大好きでした。今は愛してます。
絶対に幸せにしますから、どうかお願いします」
深々と頭を下げる孝博に、父は笑顔だった。
「こんな娘で良ければ、反対する理由は無いよ」
父の笑う顔を、久しぶりに見た。
数日後、私はレンタルしたウエディングドレスを病室に持ち込んだ。
「七五三みたいだな」
そう言って笑う父と、ツーショットの写真を撮った。カメラマンは孝博だ。
「ありがとう美紗。これでもう思い残すことは無いよ」
「やめてよせっかくドレス着てる時に」
「伊藤君、美紗の無理なお願いに付き合わせてすまなかったね。ありがとう」
「いえ」
その日以降、プリントしたウェディングドレス姿の私とのツーショット写真を、父は毎日眺めていた。
よくもまあ飽きないなと呆れるほど。
それから約1か月後、眠りについた父は、そのまま二度と目を覚まさなかった。
ほとんど苦しむことなく最後を迎えるのは珍しいと医者が言った。
苦労の多い人生だったから、神様が楽に逝かせてくれたくれたのだろう。
父が勝手気ままに生きてきたなんて思っていない。自分勝手だったのは私の方だって分かっている。
母を亡くしてから、私がいたことでどれだけ苦労をかけたか。全部分かってる。
「飯、食っていこうか?」
病院での手続きがすべて終わると、付き添ってくれていた孝博が言った。
「まったくあなたはどんな時でもお腹が空くのね」
「人生食べることが基本だ。うまいもの食ってれば、それだけで幸せな気分になれるだろ?」
「あんたの頭が幸せよ!」
孝博と病院のそばのファミレスに入った。
私は本当はファミレスが嫌いじゃない。一つ一つのテーブルに幸せがあるから。
惨めな気分になるのは本当だけど、同時に、私もいつか子どもを産んだら家族で来たいって思っている。
「一人ぼっちになっちゃったな」
「俺がいるじゃないか」
「やめてよ、こんな時に」
「別に付き合ってくれとは言ってないだろ。ただ、俺がそばにいるから。
つらい時は言ってくれよ。酒くらい付き合うよ」
ちょっとうるっときた。これは疲れているせいだ。
「相変わらずお人よしね」
「頼まれたからね、美紗のお父さんに」
そう言って孝博は白い封筒をテーブルに置いた。
「手紙?読んでいいの?」
「うん」
それは、父が孝博へ宛てた手紙だった。
「伊藤孝博様
素敵な記念写真を撮ってくれて、本当にありがとう。
君は、美紗を愛してると言ってくれた。
美紗を幸せにすると言ってくれた。
真面目な伊藤君だから、嘘じゃないって信じてるよ。
美紗はまだ若いけど、いつかきっと君の良さに気付く時が来るだろう。
嘘から出た誠って言葉もある。
わがままな娘だけど、どうかこれからも美紗のこと宜しく頼むよ」
父はすべて見透かしていたんだ。
「結婚前にウェディングドレス着ると、婚期遅れるって知ってる?
どう責任取ってくれるの?」
「ごめん・・・てかそれ俺のせいかよ!?」
「冗談よ。怒ってなんかない。ありがとね、孝博」
お父さんの馬鹿。最後に余計なことして。
病気になってとんでもない面倒かけて、こんなに悲しい思いをさせて。
何の親孝行もさせてくれずに、さっさと死んじゃって。
その上こんな冴えない男あてがって。
私は父が大嫌いだ。
そんな私の嘘、父は簡単に見破ってしまうだろうけど。
終わり