私を殺した冷酷な暗殺者、何度も時間を巻き戻して彼を地獄から救い出したら、世界の何よりも重く執着されました
「すまない……すまない、お嬢さん……っ」
胸を貫く痛みの向こう側で、場違いなほどに子供じみた、痛切な泣き声が聞こえた。
私の名前はエラ。
伯爵家の籍にありながら、義母や姉たちから「呪われた無能」と忌み嫌われ、窓もない暗い物置小屋に幽閉されている、名ばかりの令嬢だ。
そんな私を殺しにやってきたのは、漆黒の夜に紛れて実家を襲撃してきた、冷酷無比な若き暗殺者
――レナードだった。
彼は私の胸に深く短剣を突き刺した。
それなのに、冷徹な殺人鬼であるはずの彼の瞳からは、大粒の涙がボロボロと溢れ、私の服を濡らしていた。
その手は、まるで壊れ物を壊してしまった子供のようにガタガタと激しく震えている。
(なぜ……殺す側のあなたが、そんなに泣いているの……?)
問いかける声は血に消えた。
視界が急速に暗転し、私の意識は途絶えた。
――チクタク、と頭の中で、不吉な時計の針が巻き戻る音がする。
「っ……はぁ!」
跳ね起きると、そこはいつもの冷たい物置小屋のベッドの上だった。
かきむしるように胸のドレスを引っ剥がす。傷はない。血も流れていない。
「また、巻き戻った……」
私には秘密がある。
前世の記憶があること。
そして、自分が『死亡』すると、強制的に時間が【3日前】に巻き戻るという、最悪で最高な固有能力『死帰』を持っていることだ。
これで4回目だ。
最初の3回、私はどうにかしてこの実家から逃げ出そうとした。けれど、どう動いても襲撃の夜にレナードに先回りされ、その度に彼は泣きながら、だけど確実に私の命を奪った。
4周目にして、私はようやく冷静になった。
前世の、困難な状況ほど頭を冷やせという教訓が、私の視界をクリアにする。
(彼は、私を殺したくて殺しているんじゃない。あの涙は本物だ。……理由を突き止めなきゃ、この絶望のループは終わらない)
私は物置小屋の隙間から、実家の人間たちの動向を観察し、数少ない情報を現代的なプロファイリングの知識で繋ぎ合わせた。
そして、襲撃当日の昼、ついに実家のクズ共が交わしている恐ろしい会話を盗み聞きすることに成功した。
「あの暗殺人形の妹は、予定通り地下牢に拘束してあるわね?」
「ええ。エラを殺させたら、すぐに妹ごとあの男を始末して、全てを賊のせいにしましょう」
――脳裏のパズルが、カチリと音を立てて嵌まった。
私のクズな義母たちは、レナードのたった一人の肉親である幼い妹を人質に取り、彼を「逆らえない暗殺人形」として都合よく利用していたのだ。
用が済めば、彼も妹も、この家ごと灰にするつもりで。
彼は、妹の命を守るために、心を殺して私を刺していたのだ。
「なるほどね。……だったら、話は簡単だわ」
私は冷たく微笑んだ。
私はこの家の、ただ怯えて死を待つだけのシンデレラじゃない。
自分の運命は、自分の手でねじ伏せる。
◇◇◇
4度目の、襲撃の夜。
月明かりすら届かない物置小屋の扉が、音もなく開いた。
現れたのは、あの漆黒の外套を纏ったレナードだ。
彼の持つ短剣が、冷たくギラリと光る。
その瞳はすでに、絶望で凍りついていた。
「お嬢さん、恨んでくれ。俺は、お前を――」
「レナード。無駄なことはやめなさい」
ベッドの上で、私は足を組み、クールに彼を見下ろした。
怯える素振りすら見せない私に、レナードの動きがピタリと止まる。
「なぜ……俺の名前を……?」
「あなたがこの実家の命令で私を殺しに来ること。そして、あなたの可愛い妹さんが、この本邸の東の地下牢に捕らえられていること。全部知っているわ」
レナードの息が止まった。その綺麗な、だけど狂気に染まりかけた瞳が、激しく見開かれる。
「なぜ、それを……! 貴様、実家の奴らの差し金か!? 妹に何を――」
「落ち着きなさい、興奮すると冷静な判断ができなくなるわよ。」
私はベッドから降り、一歩、彼に近づいた。
「妹さんなら、さっき私が裏口から逃がしたわ。前世の……いえ、私の特別な知恵で作った、即効性の睡眠薬を警備の男たちのスープに混ぜて寝かせたわ。今頃、彼女は私が手配した安全な街の教会に保護されている。実家の人間は、間もなく現れる本物の憲兵隊に、人身売買と暗殺教唆の罪で全員連行される手はずよ」
レナードは、言葉を失ったようにガタガタと震え出した。短剣を持つ手が、力なく下がる。
「そんな、わけが、ない……。そんな、奇跡みたいなこと……」
「奇跡じゃないわ。私が、あなたを救うために組み立てた完璧なロジックよ。……レナード、あなたはもう、誰の命令も聞かなくていい。誰を殺す必要もない。――あなたは、自由よ」
私が彼の頬にそっと手を触れた、その瞬間だった。
レナードの身体から、すとん、と全ての力が抜けた。
ボロボロと、あの1周目と同じ涙が彼の目から溢れ出す。けれど、今度の涙は絶望の涙じゃない。
張り詰めていた心の糸が完全に切れ、救われた男の、慟哭の涙だった。
彼はその場に崩れ落ち、私の膝に縋り付くようにして激しく泣いた。
私はその黒髪を、優しく、何度も撫でてあげた。
息を呑むほどの美貌を持つその男の瞳の奥で、その時、決定的に何かが「変質」したことに、当時の私はまだ気づいていなかった。
◇◇◇
それから数週間が経った。
計画通り、クズな実家は自滅して取り潰され、私は晴れて自由の身となった。
実家の財産を少しだけふんだくり、王都の片隅に小さな一軒家を借りて、念願の「誰にも邪魔されないスローライフ」を始めたのだ。
「あー、快適。仕事もないし、怒鳴る義母もいない。やっぱり自由って最高ね」
ハーブティーを飲みながら、私はのんびりと読書を楽しんでいた。
救い出したレナードと妹のことは、少しだけ気にかかっていたけれど、彼は裏社会でも一目置かれる超一流の男だ。
妹を連れて、どこかで上手くやっているだろうと思っていた。
その平穏は、突然の地響きによって破られる。
「な、何事……!?」
窓から外を覗いた私は、思わずカップを落としそうになった。
私の小さな平屋の周りを、息を呑むほど豪華な漆黒の馬車と、国最高峰の精鋭騎士団が隙間なく包囲していたのだ。近所の人々が、何事かと怯えて遠巻きに見ている。
バァン! と乱暴にドアが開いた。
中央から現れたのは、見違えるほど上質な、金刺繍の施された漆黒の礼装に身を包んだ男。
……レナードだった。
「エラ。やっと見つけた」
彼の背後には、彼を「主」と仰ぐ、この国の裏社会を統べる大組織の幹部たちが跪いている。
どうやら彼はこの数週間で、裏組織を力で支配し、王国の闇の王に君臨したらしい。
「レ、レナード? 一体何の真似よ、この大軍は……」
私が一歩下がると、彼は音もなく距離を詰め、私の細い腰をガシリと両腕で抱きすくめた。
骨が軋むほどの、強烈な力。
見上げる彼の瞳には――光が、一切なかった。
底なしの、暗く、ドロドロとした、狂気的なまでの「執着」の炎だけが、ギラギラと揺らめいている。
「俺の、女神様。なぜあの日、俺の全てを知っていたのか、なぜ命を賭けて俺たちを救えたのか……いくら調べても、答えが出なかった。」
レナードの冷たい唇が、私の耳元に寄せられる。吐息が熱い。
「答えは一つしかない。君は、最初から俺の全てを支配するために現れた、俺だけの運命の人だ。」
「待ちなさい、それは深刻な認知の歪みよ。
私はただ――」
「もう、どこにも行かせない。君がいない世界は、寒くて、暗くて、狂いそうだ。君を誰の目にも触れない、世界で一番安全で豪華な城(檻)に閉じ込める。生涯、俺の腕の中から逃げられると思わないでくれ」
彼の腕が、さらにギチギチと強まる。
その顔は、極上の恍惚に濡れていた。
(……おかしいわね。私は不器用な彼を『人道的に救った』はずなのに、どうしてこんな『重すぎる狂信者』が出来上がっちゃったのかしら)
前世の知識でも、この男のメンヘラを治療する方法だけは、どこを探しても見つからなかった。
「……私のスローライフ計画を返しなさいよ!!」
私の小さいため息は、闇の王となった彼の、深く、激しい口づけによって、完全に塞がれてしまうのだった。
(おわり)




