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3/6

アカシック3

本編


大規模戦闘編・開幕


――戦場という名の試験場


宇宙は、音を持たない。

だがこの宙域には、確かに圧があった。


光が歪み、

距離が伸び縮みし、

「ここに在る」という感覚そのものが、わずかに狂っている。


下位艦隊は、迫っていた。


隊列はない。

旗艦もない。

指揮信号らしきものも観測できない。


それなのに――

赤い影の群れは、確実に同じ方向を向いている。


それは軍隊ではない。

だが、獣の群れでもない。


試験官だ。


この宙域に集められた銀河連邦艦隊は、

今まさに測られようとしていた。


どこまで耐えるか。

どこで迷うか。

誰を犠牲にするか。


そして――

何を守ろうとするか。



銀河連邦艦隊・現状


戦術投影が、艦橋中央に展開されている。


青の光点――

120隻。


すでに完璧な状態ではない。

外殻に歪みを抱えた艦。

応急修理のまま戦列に戻った艦。

仲間の消失を、まだ処理しきれていない艦。


それでも――

陣形は、まだ保たれている。


駆逐艦網は前衛に広がり、

高速戦艦が外周を回り、

主力戦艦と巡洋艦が中核を固める。


「まだ、戦える」


だが、

それがいつまで続くかは、誰にも分からない。



距離


下位艦隊先鋒との距離――


二万四千キロ。


長距離砲撃が成立する、最後の余白。


この距離が消えた瞬間、

戦場は戦争から接触事故へ変わる。


そこでは、

戦術も、理論も、

人間の理解が追いつかない。


だからこそ。


ここで、言葉が必要だった。



エリシア・アーヴェル


第二の演説 ――司令の声


ミレイの操作で、

全艦通信が開かれる。


ノイズは最小限。

遅延も許容範囲。


百二十隻分の艦橋が、

一つの沈黙で繋がった。


エリシアは、前に出ない。

身振りも、強調もない。


ただ、静かに話し始める。



「銀河連邦艦隊、聞け」


声は低く、落ち着いている。

張り上げる必要がないことを、彼女は知っている。


「敵は、数で勝っている」


事実を、事実のまま置く。


「理解できない動きで来る」

「撤退もしない」

「交渉もしない」


艦橋のどこかで、誰かが息を飲む。


「だが」


一拍。


「それは、恐れる理由にはならない」


ここで初めて、

彼女の視線が戦術投影を離れる。


「敵は、我々を壊しに来ているわけではない」


「測りに来ている」


その言葉が、艦内に沈む。


「だから――」


「答えを、見せるな」


ざわめきが、完全に消える。


「勇敢さも、犠牲も、英雄も」


「ここでは、いらない」


一瞬、誰かが戸惑う。


だが、次の一言がそれを切り裂いた。



致命的な一言


「生き残れ。それだけでいい」



その言葉は、

鼓舞ではない。

命令でもない。


許可だった。


無理をしなくていい。

死ななくていい。

勝たなくていい。


ただ――

陣形を保ち、

隣の艦を信じ、

判断を手放すな。


それだけを、全員に許した。



「前に出るな」

「下がるな」

「独断で英雄になるな」


「判断は、ここに集めろ」


「迷いは、私が引き受ける」


艦隊司令として、

最も重い役割を、彼女は自分に背負わせた。



「この戦場で」


「最初に壊れるのは、艦じゃない」


「心だ」


だから。


「心を壊すな」


「それができる限り――」


ほんのわずか、声が低くなる。


「我々は、負けない」


通信が切れる。



変化


派手な歓声は、ない。


だが、

艦隊全体の動きが揃った。


駆逐艦網の間隔が、意図通りに整う。

高速戦艦の機動が、焦りを失う。

主力戦艦の主砲が、静かに待機状態へ移行する。


ミューが、小さく呟く。


「……士気、安定」


レグナが続ける。


「判断遅延、減少」


カイは、息を吐いた。


「……やりやすくなったな」


そらは、何も言わない。


ただ、

戦場の“間”が、少しだけ澄んだことを感じていた。


三章


下位側 ――「答えが出ない」という反応


下位艦隊は、止まらなかった。


だが、

予定されていた“変化”も起きなかった。


集合意識が、宙域全体をなぞる。

熱。

推進痕。

通信の揺らぎ。

判断の遅延。


――どれも、ある。


だが。


(……崩れない)


下位は、そこで初めて違和感を覚えた。


人類艦隊は、

逃げていない。

突撃していない。

勝ちに来ていない。


ただ、生き残ろうとしている。


それは、下位にとって想定外だった。


通常、

防衛側は「守る理由」をさらけ出す。

攻撃側は、そこを裂く。


だが、この艦隊は違う。


(……どこを裂けばいい)


下位集合意識の内部で、

観測ラインが増設される。


第一戦線――駆逐艦網

第二戦線――主力中核

第三戦線――判断集積点(※未定義)


だが、

どれも“入口”にならない。


(……答えを、隠している)


その評価が、

下位艦隊全体に静かに共有された。


そして――

戦術が切り替わる。


力ではなく、反応を見る戦いへ。



第二章


高速戦艦群 ――噛みつく前の判断


エリシアの視線が、外周へ向く。


高速戦艦群:12隻

現在距離:敵主集団側面より 38,000km

相対速度:増加中


カイが即座に補足する。


「下位、正面圧を維持したまま、外周の反応を見てる」


「……誘ってるな」


エリシア

「乗る必要はない」


だが――

見逃す必要もない。


「高速戦艦群」


一拍。


「噛め。ただし――殺すな」


艦橋に、わずかな沈黙。


高速戦艦艦長(通信)

「了解。一本だけ入れて戻る」


次の瞬間。


十二隻が、

同時に“沈む”ように加速する。


直線ではない。

螺旋でもない。


下位の死角――

**圧の“裏”**へ滑り込む軌道。


距離:

30,000km

22,000km

15,000km


砲撃管制士

「ビームランス、収束率95%」


艦長

「撃て」


光は、

一瞬だけ“槍”になる。


三隻。

五隻。

七隻の下位艦が貫通。


破壊ではない。

“削り”だ。


即座に反転。


被弾警告が鳴る前に、

高速戦艦群は外周へ戻る。


カイ

「……綺麗だ」


エリシア

「今ので、相手は確信した」


「――私たちは、噛み返せる」


それだけで、十分だった。



第一章


第一戦線 ――駆逐艦網、接触


距離:18,000km


長距離砲撃の余白が、消える。


前衛駆逐艦:36隻

散開率:102%(意図的拡張)


オペレーター

「敵先鋒、突入開始!」


「速度――異常値!」


画面に映る赤い影は、

整列していない。


塊でもない。

流れでもない。


**“押し寄せる意志”**だけがある。


エリシア

「駆逐艦群」


「壁になるな」


一拍。


「網になれ」


命令が、網の全体に伝播する。


各艦が、

わずかに速度と角度をずらす。


ミサイル発射。


数百発。

命中率は、低い。


だが。


オペレーター

「敵進路、偏向!」


「突撃角、分断!」


下位艦の“圧”が、

均等に割られる。


一隻が受ける衝撃が、

二隻、三隻に分散される。


駆逐艦艦長(独白)

(……当てにいくな)


(……流れを壊せ)


被弾警報。


一隻、外殻損傷。

二隻、推進効率低下。


だが――

誰も止まらない。


エリシア

「よし」


その一言で、

第一戦線は“持った”。



小さな締め(次へ)


下位艦隊は、理解する。


正面では――

押し切れない。


側面では――

噛み返される。


そして、

駆逐艦網の向こうにある“中核”が、

まだ一度も本気で動いていないことを。


次に来るのは――

もっと近い距離の、選択を迫る戦い。


主力戦艦の初斉射


――それは「勝つため」ではなく「線を引くため」


距離:14,200km


この数字が表示された瞬間、

艦橋の空気が変わった。


長距離砲撃ではない。

近接乱戦でもない。


――**主力戦艦が“仕事をする距離”**だ。


オペレーター

「敵主集団、減速なし。突破意思、明確です」


別の声

「下位艦、損耗を前提に押し込んでいます!」


誰も驚かない。

想定通りだ。


エリシアは、戦術投影を見つめている。

赤の密度が、前衛を越え、

中核に触れかけている。


その指先が、わずかに動く。


「……ここまでね」


カイが、確認するように言う。


「主力、使いますか」


返答は、短い。


「使う」


一拍。


「――初斉射。限定方向」


その言葉が、

艦隊全体の“重さ”を切り替えた。



主力戦艦群:配置

旗艦リンドウ

•同型主力戦艦:8隻

•形成陣形:歪曲扇形(防御優先)

•射界:正面120度/上下60度


砲門は、すでに開いている。

だが、まだ撃っていない。


理由はひとつ。


撃てば、世界が変わるからだ。


砲術長

「主砲、チャージ率90%」


航法士

「宙域歪曲、臨界点接近!」


カイ

「……これ、向こうも分かってるな」


エリシア

「分からせる」



初斉射


「――撃て」


その声は、静かだった。


次の瞬間。


光は、音より先に届いた。


九隻分の主砲が、

同時ではなく、0.3秒ずつずれて放たれる。


理由は単純だ。


空間を“揺らす”ため。


一発目で歪め、

二発目で固定し、

三発目で破壊する。


下位艦の前列が、

装甲ごと“形を失う”。


爆発ではない。

破壊でもない。


――存在の継続が、拒否される。


オペレーター

「敵前衛――消失!」


「中列、進行停止!」


戦術投影の赤が、

ごっそり削られる。


だが、

それ以上に重要なのは――


後列が、止まったことだった。



下位側の反応


下位艦隊は、即座に理解する。


これは、殲滅ではない。

追撃でもない。


「ここから先は、死ぬ」

そう告げる一線。


集合意識が、

前進命令を一度、解く。


(……主武装、確定)


(……この艦隊は、まだ“本体”を出していなかった)


判断が、遅れる。


その0.5秒が、

戦場では致命的だった。



艦橋 ――余韻


主砲は、すでに冷却に入っている。


エリシアは、深く息を吸う。


「これでいい」


カイ

「……戻れませんね、もう」


「戻る気はない」


エリシアは、戦場を見る。


壊れていない。

だが、変わった。


敵も、味方も、

「覚悟」という同じ土俵に立った。


「次は、向こうが来る」


そう言って、彼女は告げる。


「――迎撃準備」


主力戦艦の初斉射は、

戦いを終わらせなかった。


だが――

戦争を、始めた。


下位の“対・主力戦艦用”戦術


――砲を恐れない存在


主力戦艦の初斉射から、8.6秒後。


戦術投影に、異変が走る。


レグナ

「……下位艦隊、再配置を確認」


ミレイ

「前進停止……いえ、再定義です」


赤の群れが、後退していない。


代わりに――

“間隔”が変わっている。


エリシアの視線が、わずかに細くなる。


「……来るわね」



下位側の判断


下位艦隊は、主力戦艦の火力を“脅威”とは認識しなかった。


正確には――

「障害物」として分類した。

•破壊不能ではない

•だが、正面突破は効率が悪い

•よって――削る対象に変更


集合意識が、即座に役割分担を行う。


主力戦艦を撃破する艦。

足を止める艦。

火力を吸収する艦。


そして――

“死ぬための艦”。



新たな構成


戦術投影が、更新される。


オペレーター

「敵編成、変化!」


「前列に――低反応質量体を確認!」


カイ

「……あれ、艦か?」


そら

『艦ではありません』


『“弾頭”です』


前に出てきたのは、

装甲も、推進も、武装も最小限。


代わりに――

異常な質量密度。


主力戦艦の主砲を、

“受け止める”ためだけの存在。


エリシア

「……主砲を吸わせる気ね」


「しかも、近距離で」



距離の変化


距離:12,000km → 9,800km → 7,200km


下位の“弾頭艦”は、

撃破される前提で突っ込んでくる。


主砲が撃てば――

•空間歪曲が発生

•味方艦への影響が拡大

•再装填時間が致命的に延びる


撃たなければ――

•物理的衝突

•主力戦艦の姿勢が崩れる

•射界が死ぬ


カイ

「……二択、どっちも地獄だ」



エリシアの思考(高速)


(正面突破を誘ってる)


(主砲を使わせて、封じる)


(その間に、後列が――)


戦術投影の奥。


主力戦艦を避けるように、

細長い編隊が形成されている。


(……狙いは、私じゃない)


(主力戦艦そのものを“無力化”する)


それは、

勝利条件を変えた戦い方だった。



初被弾


距離:5,400km


弾頭艦の一隻が、

主力戦艦アウグストの前方に突入。


衝突ではない。


“圧縮接触”。


オペレーター

主力戦艦アウグスト――

 姿勢制御、低下!」


砲術長

「主砲、射角ズレました!」


艦橋が、ざわめく。


一隻、止められた。


撃破されていない。

沈んでもいない。


“仕事ができなくなった”。


それだけで、

下位にとっては十分だった。



下位の本音(集合意識)


(……破壊、不要)


(……機能停止で、十分)


(……この艦隊は)


(……“火力”ではなく)


(……“判断”で戦っている)


だから――

判断を鈍らせればいい。



艦橋 ――静かな理解


エリシアは、短く言う。


「主力戦艦、もう主役じゃない」


カイ

「……じゃあ、誰が?」


一瞬の沈黙。


「――次は、私たち」


その意味を、全員が理解する。


主力戦艦は、

戦場を変えるために撃った。


下位は、

それを前提に“次”を用意していた。


戦いは、

完全に次の段階へ入った。


そら ――介入しないという支え


主力戦艦の一隻が“止められた”瞬間。

艦橋の誰よりも早く、そらはそれを数値ではなく感触で理解した。


(……来た)


(下位は、もう火力を見ていない)


戦術投影に映る赤は、混乱していない。

むしろ――整っている。


『……エリシア』


エリシア

「分かってる」


二人の間に、説明は要らなかった。


そらは、力を使わない。

遮断もしない。

未来を書き換えもしない。


代わりに――

“揺れない前提”を、戦場全体に敷き直す。


それは数値に出ない。

•命令が「届く」と信じられている

•隣の艦が「まだ持つ」と思える

•判断が「間に合う」と感じられる


その感覚の床を、そらは静かに支えている。


ミュー

「……そら、負荷上昇」


『はい』


『でも、ここで踏み外すと――』


『この戦いは、勝っても壊れます』


下位に学習させないためではない。

人類側が、自分で戦っている感覚を失わないため。


そらは、

戦場の“間”に立ち続ける。



旗艦リンドウへの直接圧力


距離:8,900km


レグナ

「下位艦隊、再ベクトル変更」


旗艦リンドウ方向へ、

 細径編隊を確認」


艦橋の空気が、はっきりと変わる。


カイ

「……来たな」


下位は理解したのだ。


この艦隊は、

主力戦艦で持っているのではない。


指揮で持っている。


ならば――

切るべきは、頭。


赤の編隊は、

主力戦艦の射界を“あえて”横切らない。


巡洋艦の隙間。

駆逐艦網の、最も薄い部分。


そこを、

針のように抜けてくる。


オペレーター

「敵高速個体、加速率異常!」


「迎撃――間に合いません!」


エリシア

「迎撃させない」


一拍。


「向きを変えさせる」


カイ

「……了解」


彼は即座に、

高速戦艦群へ最小限の修正指示を飛ばす。


完全な遮断ではない。

撃破でもない。


“旗艦に直進できない”角度を作る。


だが――

それでも、数は減らない。


下位は、

犠牲を前提に進んでくる。


エリシアは理解している。


(……ここを通せば)


(この戦いは、意味を失う)



② 巡洋艦 ――前に出るという選択


エリシアは、

戦術投影の一線を見つめる。


旗艦と敵先鋒の間。

残された距離:4,300km


(……足りない)


(あと、ほんの数十秒)


彼女の脳裏に、

いくつもの未来が走る。

•高速戦艦を寄せる → 旗艦は守れるが、外周が崩れる

•駆逐艦を再配置 → 網が切れる

•主力戦艦を動かす → 旗艦の射界が死ぬ


そして――

一つだけ残る未来。


巡洋艦が前に出る未来。


(……またか)


自嘲はない。

躊躇もない。


エリシア

「……重巡洋艦隊」


一拍。


「前へ」


即答だった。


重巡ロスウェル《アルビオン》《ヘクター》――

生き残っている巡洋艦が、

旗艦と敵の間に滑り込む。


盾になる。

だが、黙らない。


砲門が開き、

中距離砲が連続で唸る。


オペレーター

「敵進路、分散!」


「旗艦直進ルート、遮断成功!」


カイ

「……間に合った」


エリシアは、

一瞬だけ目を伏せる。


(……ありがとう)


だが、声には出さない。


この戦いは、

まだ終わっていない。


各戦線 ――同時崩壊(拡張)


それは、

誰かが間違えたからではなかった。


遅れた命令もない。

誤認した報告もない。

怯えた艦も、逃げた判断もない。


むしろ――

すべてが、教科書通りに、完璧に動いている最中だった。


だからこそ、

誰も「崩壊」を即座に理解できなかった。



前衛・駆逐艦網 ――薄さが裏返る


距離:2,100km


駆逐艦網は、まだ成立している。

格子は保たれ、リンクも生きている。


下位個体が突っ込む。

迎撃。

撃破。


その繰り返しだ。


オペレーター

「前衛、被害軽微!」


「迎撃率、想定範囲内!」


その声に、嘘はない。

数値も正しい。


だが――

“圧”だけが、数値に出ていなかった。


下位個体は、撃たれる前提で突っ込んでくる。

命中する。

消える。


だが、運動量が消えない。


駆逐艦のセンサーが、

撃破されたはずの宙域から

なおも微細な歪みを検知する。


レグナ

「……違う」


「駆逐艦網、

 “押されている”」


それは突破ではない。

侵入でもない。


網全体が、わずかに後退している。


駆逐艦艦長(独白)

(……防いでいる)


(だが――

 “止めて”はいない)


網は、濾過しているつもりで、

圧そのものを通してしまっている。



外周・高速戦艦 ――孤立の兆し


距離:3,600km


高速戦艦群は、完璧に動いていた。


突入。

一撃。

即反転。


誰も深追いしない。

誰も突出しない。


だが――

下位は、その“正しさ”を待っていた。


オペレーター

「外周戦線、敵進路収束!」


「高速戦艦群、

 個別対応を強いられています!」


下位個体は、

高速戦艦を“追わない”。


代わりに、

戻る予定だった宙域を塞ぐ。


高速戦艦艦長(独白)

(……囲まれてはいない)


(だが――

 “帰路”が薄い)


突入はできる。

離脱もできる。


だが、

再合流の線が、見えにくくなっている。


高速戦艦群が作っていた

獣の円弧が、

少しずつ歪み始める。



中核・主力戦艦 ――撃てない理由が増える


距離:5,200km


主力戦艦は、健在だった。


砲身温度、安定。

冷却ライン、正常。

弾薬残量、余裕あり。


だが。


オペレーター

「敵影、主砲射線に重なります!」


「友軍識別、困難!」


戦術投影上で、

赤と青が、完全に絡み合う。


主砲士官(独白)

(……今なら、消せる)


(だが――

 その“消える”の中に、

 味方が何隻いる?)


AIは、計算できる。

だが、前提が安定していない。


下位個体は、

撃たれる瞬間に軌道を変える。


友軍は、

被弾回避で予測外に動く。


撃てば当たる。

だが、当てない保証がない。


主力戦艦は、

圧倒的火力を持ったまま、

自らを縛られていく。



旗艦周辺 ――形が残るが、意味が薄れる


《リンドウ》周囲。


巡洋艦は前にいる。

駆逐艦は動いている。

通信も、生きている。


陣形は、崩れていない。


だが――

“効いていない”。


カイ

「……全線、同時に“薄く”なってる」


エリシア

「ええ」


彼女は、即座に理解する。


(……壊されたのは、艦じゃない)


(“陣形の意味”だ)


下位は、

どの線も突破していない。


だが――

どの線も、決定打にならなくなっている。



そら ――気づいてしまう


そらは、一歩も動かない。


だが、

戦場の“間”が変わったことを感じ取る。


(……来た)


(“同時崩し”)


これは、力ではない。

戦術でもない。


理解の上書き。


下位は、

人類の戦線を

「破壊対象」ではなく

**「遅延対象」**として扱い始めている。


『……エリシア』


エリシア

「分かってる」


彼女の声は、静かだ。


だが――

次の一手が、まだ見えない。


戦場は、壊れていない。

だが、意味だけが、先に削られていく。


そして、

それが一番、危険だった。


旗艦リンドウ――迫る異常接近


それは、

警報では始まらなかった。



戦場の外縁 ――“静かな線”


戦術投影上で、

赤はすでに十分に存在していた。


多すぎて、

一本一本を区別する意味がないほど。


だから――

一本増えても、誰も違和感を覚えなかった。


レグナの索敵ラインは、

下位個体を“群れ”として処理している。


一体単位で見る理由が、ない。


それが――

下位の狙いだった。



接近ベクトル


距離:12,000km → 9,000km


速度:一定ではない

加速でも、減速でもない。


まるで、

戦場全体の“揺れ”に紛れるように、

ゆっくりと内側へ向かってくる。


それは突撃艦だ。


だが――

突撃の姿勢を取っていない。


砲門も開かない。

加速炎も出さない。


ただ、近づく。



艦橋 ――誰も見ていない


オペレーターは、

三方向の戦線を追っている。

•前衛の圧力

•外周の歪み

•主力戦艦の射線


旗艦直近は、

**“最も安全な空間”**として

無意識に処理されていた。


カイも、

その時は見ていない。


彼の視線は、

高速戦艦群の帰路に向いていた。


(……外周、戻りが遅い)


(だが、まだ耐えている)


判断は、正しい。


だから――

異常は、誰の視界にも入らない。



距離:6,500km


その時、

そらがわずかに顔を上げる。


(……?)


だが、

それは“予感”にすぎない。


確定情報がない。


介入すれば、

下位に“学習材料”を与える。


だから――

そらは、動かない。


(……まだ)


(……決定打じゃない)



距離:4,200km


突撃艦は、

なおも沈黙している。


戦術的に、ありえない。


この距離なら、

すでに攻撃態勢に入るはずだ。


だが――

攻撃しないからこそ、識別されない。


レグナ

「……?」


ほんの一瞬、

索敵アルゴリズムが揺れる。


だが、

他の異常が多すぎて、

優先度は上がらない。



距離:2,800km


エリシアは、

ふと胸騒ぎを覚える。


理由はない。

論理もない。


ただ――

“嫌な静けさ”。


エリシア

「……索敵、再確認」


オペレーター

「了解、旗艦周辺――」


その瞬間。



距離:1,900km


警報が鳴る。


遅すぎるほどに。


オペレーター

「未識別高速物体――

 旗艦直進ベクトル!」


カイ

「――なに!?」


戦術投影に、

一本の赤線が浮かび上がる。


一直線。


回避余地なし。


突撃艦は、

ここで初めて“突撃”に入った。



旗艦・緊急回避


エリシア

「回避!最大舵!」


操舵士

「間に合いません!」


距離:900km


この距離では、

旗艦の質量では

物理的に逃げられない。


誰もが、

同じ未来を見た。



そして――


その瞬間。


外縁で、

一隻の高速戦艦が

“何か”を見た。


だが――

それは、まだ描かれない。


艦橋にも、

誰にも分からないまま。


次の瞬間に起きる“爆散”が、

すべてを語るまで。


旗艦リンドウ――“助かった”という事実


衝撃は、来なかった。


回避は、失敗していた。

操舵角も足りない。

推進も間に合っていない。


それなのに。


艦橋を覆うはずだった破壊の閃光は、

視界の外側で起きた。



衝撃波


《リンドウ》が受けたのは、

直撃ではない。


横殴りの衝撃。

艦体が、強く揺さぶられる。


警報が一斉に鳴る。


オペレーター

「外装損傷、軽微!」


「推進系、正常!」


「――生きています!」


誰かが、

息を吸い込む音がした。


生きている。


だが――

なぜ?



戦術投影


戦術スクリーンが更新される。


旗艦の直進ライン上――

本来、突撃艦が存在していた座標に。


何も、ない。


代わりに。


爆散の痕跡。

急激なエネルギー解放。

そして――


味方識別信号の消失。


カイ

「……待て」


「今、

 “味方”が消えたな?」


レグナ

「確認中」


数秒の沈黙。


ミレイ

「高速戦艦一隻、

 識別信号ロスト」


ユグナ

「該当艦――

 外周配置艦」


エリシアは、

言葉を失っていない。


失っているのは、

理解だ。


エリシア

「……誰が」


「何をした」



調査命令 ――司令の違和感


エリシアは、

即座に判断する。


エリシア

「戦術ログを洗い出せ」


「特に――」


一拍。


「突撃艦が消える直前」


「全艦分だ」


オペレーター

「了解!」


カイ

「司令……

 今のは」


エリシア

「分からない」


「だから調べる」


彼女の声は、冷静だ。


だが、

その冷静さの奥に

一つの前提が崩れた感覚がある。


(……偶然じゃない)


(……誰かが、

 “選んだ”)



戦術ログ ――異常点


数十秒後。


レグナ

「……見つかりました」


戦術投影が切り替わる。


外周。

高速戦艦群の一隅。


その中の――

一隻だけ。


他の艦が

命令通りの軌道を取る中。


その艦は、

0.4秒だけ、

 予定外の加速をしている。


カイ

「……命令、出してないな?」


ミレイ

「出していない」


ユグナ

「戦術的合理性、

 説明不能」


エリシア

「……艦長は?」


レグナ

「独断です」


「命令違反」


艦橋が、静まる。



高速戦艦艦長 ――まだ描かれない回想


その時点では、

誰も知らない。


その艦長が、

昔から“そういう男”だったことを。

•なぜか事故を回避してきた

•なぜか最悪の未来を踏み越えない

•なぜか“ここしかない”瞬間に動く


本人ですら、

理由を言語化できない。


ただ――

「今だ」と思った時に動く。


軍法も、規則も、

後で受ける覚悟で。


エリシアは、

戦術ログを見つめながら

確信する。


(……この男は)


(“当てた”んじゃない)


(“選んだ”)



司令の決断 ――調査の継続


エリシア

「その艦の

 全履歴を出せ」


「戦歴、事故報告、

 未遂も含めて」


カイ

「司令……」


エリシア

「だから、やる」


彼女は、

戦場から目を離さずに言う。


「これは――」


「次に同じことが起きるかどうかを

 決める話だ」


誰も、反論しない。


なぜなら。


今、この艦橋に立っている全員が、

“その一隻がいなければ

 ここにはいなかった”と

 分かっているからだ。



そして、戦場は続く


戦闘は止まらない。


第二波は、まだ終わっていない。

下位艦隊も、動いている。


だが。


旗艦リンドウの艦橋には、

一つだけ、

新しい前提が生まれていた。


「未来は、

 必ずしも計算通りに来ない」


そして。


「計算外に動いた者が、

 全てを救うことがある」


回想 ――爆散の瞬間


高速戦艦《――》艦長 視点


時間は、伸びなかった。


引き延ばされもしない。

劇的な静止もない。


ただ――

一瞬で足りると、分かっていた。



外縁宙域


外周警戒。

命令通りの航路。

命令通りの速度。


戦術投影は、静かだった。


だが――

艦長は、見ていない場所を見ていた。


(……違う)


理由は、言語化できない。

数値でもない。

予測線でもない。


ただ、

「そうなる未来」だけが、

 ありありと浮かんだ。


理由は分からない。

数値もない。

警報も鳴っていない。


それでも――

確信だけが、先にあった。


(……旗艦だ)


(……狙われている)



艦橋・外縁宙域


艦長は、

一切の前置きを捨てて叫ぶ。


艦長

「これより――

 旗艦に緊急救援に向かう!」


「最大加速!!」


艦橋が、一瞬凍る。


副官

「か、艦長!?

 な、何事ですか!?」


艦長は、

振り返らない。


戦術投影も、

確認しない。


艦長

「副官、すまない」


一拍。


「詳細は言えない」


副官

「は……?」


艦長

「だが――

 我が旗艦が狙われている」


声が、低くなる。


「急げ」


「もう、

 間に合わなくなる」



確信の言語化


副官

「艦長、これは命令違反に――」


艦長

「分かっている」


即答だった。


艦長

「地球の命運が、

 そこにかかっている」


「全ての責任は、

 私が負う」


そして――

初めて、艦長は叫んだ。


「最大加速!!」


「我々が、

 旗艦を守るぞ!!」



索敵


副官は、

歯を食いしばりながら索敵を走らせる。


副官

「……索敵中……」


数秒。


副官

「……い、います!」


声が裏返る。


「ま、まずい……!」


戦術投影に、

異常接近する突撃艦影。


進行線――

旗艦リンドウ直線上。


副官

「こ、このままでは――!」


「艦長!!」



決断の再確認


艦長は、

その表示を一瞥しただけだった。


艦長

「……分かっている」


そして、

まるで自分に言い聞かせるように。


「分かっているとも」


艦長

「最大加速!!」


「止めるな!!」



加速


推進炉が、

限界を超えて唸りを上げる。


警告灯が、

次々と赤に変わる。


艦体が、

悲鳴を上げる。


だが――

艦は前に出る。


旗艦と、

突撃艦の間へ。



副官(理解)


副官は、

ここでようやく理解する。


(……この人は)


(……最初から)


(……戻らないつもりだ)


副官

「艦長……!」


返事はない。



最後の瞬間


突撃艦が、

こちらに気づく。


回避はない。


衝突角度、

修正不能。


艦長は、

静かに前を見据える。


(……間に合った)


(……これでいい)



爆散


高速戦艦は、

突撃艦を巻き込み、


加速したまま――

 旗艦の未来と入れ替わるように

 爆散した。



余韻


この判断は、

記録上は「命令違反」。


だが。


旗艦は、生きている。


そして後に――

エリシアは、

この戦術ログを洗い直し、


ただ一行だけ呟くことになる。


「……最初から、

 知っていたのね」


爆散直後 ――旗艦リンドウ艦橋


衝撃は、予測外だった。


艦橋全体が、

横から殴られたように揺れる。


「――ッ!」


重力制御が一瞬だけ乱れ、

数名のオペレーターが体勢を崩す。


だが――

被弾警報は鳴らない。


ミレイ

「旗艦、損傷なし……?」


レグナ

「敵突撃艦、

 進行ベクトル消失――?」


戦術投影に映るはずの

“衝突線”が、消えている。


オペレーター

「え……?

 回避、しましたか?」


誰も、答えない。


エリシアは、

無言で投影を見つめていた。


(……違う)


(これは――

 回避じゃない)



遅れて届く異常


ユグナ

「外縁宙域、

 高エネルギー反応検出」


「爆散規模、

 戦艦クラス――」


一拍。


「……高速戦艦一隻、

 識別消失」


艦橋が、静まり返る。


「誰が――?」


「どこから――?」


質問は、

どれも答えに辿り着かない。


その瞬間。


エリシアの胸に、

理由のない重さが落ちた。



エリシア ――違和感が確信に変わる


エリシアは、

ゆっくりと息を吸う。


戦術上、

“そんな動き”は存在しない。


命令も出していない。

回避指示もない。


それでも――

旗艦は生きている。


彼女は、理解してしまった。


(……誰かが)


(……私の代わりに)


視線を落とす。


爆散した宙域。


そこに、

名前も顔も

まだ紐づいていない犠牲がある。


エリシア

「……すまない」


声は、低く、

だが震えていない。


「艦長……」


「高速戦艦のクルー達……」


一拍。


エリシアは、

艦橋全体に聞こえる声で誓う。


「英雄たちのことは、

 決して忘れない」


拳を、

強く握る。


「あなたたちに、

 最大の名誉を必ず」


それは、

感情ではなく――

司令官としての宣言だった。


艦橋の誰もが、

その言葉を胸に刻む。



そら ――境界の確認


そらは、

一歩も動かない。


だが、

戦場の“間”を

静かに確認していた。


(……私は)


(……引き寄せていない)


(……選ばせてもいない)


起きたのは、

人の決断。


無意識の確信。

命令違反。

自己犠牲。


どれも――

人類の側の選択だ。


そらは、

目を閉じる。


(……越境ではない)


(……私は、

 境界を壊していない)


ただ、

その決断が

“意味として消費されない”ように、


学習されないように、


結果だけが

英雄として残るように

――見送っただけだ。


そら

(……ありがとう)


通信ではない。

介入でもない。


それでも、

確かに届くと信じて。



戦場は、続く


爆散した宙域は、

すでに戦術投影から消えつつある。


だが。


旗艦リンドウは、

まだ、戦列の中心にいる。


生き残った艦隊は、

次の判断を待っている。


犠牲は、

戦況を変えた。


だが、

意味を奪われてはいない。


エリシアは、

前を向く。


そらは、

その“間”に立ち続ける。


そして戦場は――

再び、動き出す。


戦場は、続く。


爆散した座標は、もう“空”として塗りつぶされている。

そこにあったものの名だけが、艦隊のどこかで遅れて点滅する。


だが、下位は止まらない。

止まる理由がない。



〈状況更新〉


ミレイ

「戦域全体、通信遅延――再上昇。局所的に二四〇ミリ秒」


ユグナ

「艦隊稼働率――六九%」


レグナ

「外周、高速戦艦群――十一隻に減少」


カイ

「……外周の“円”が、欠けた」


エリシアは答えない。

戦術投影の欠けた部分が、呼吸のように収縮していくのを見ている。


欠けた場所から、赤が入る。

“穴”は攻撃ではなく、誘導になる。



下位側 ――「次の入口」を作る


下位艦隊の群れが、散っているように見える。

だが、その散り方が一定だ。


まるで――

中心を避けて、周囲を押している。


(……押し込むのは、艦じゃない)


(……判断の角度だ)


エリシアの視線が、艦隊中央から一段外へ滑る。


主力戦艦群の外縁。

巡洋艦が作る“壁”の継ぎ目。

駆逐艦網の薄い格子。


そこに、下位の細径編隊が“針”の形で伸びている。



〈距離〉


針先端 → 旗艦リンドウ:7,600km

針中列 → 主力戦艦アウグスト周辺:5,300km

針後列 → 外周の欠けた領域:12,000km


距離が縮む速度が一定ではない。

加速ではない。減速でもない。

“揺れ”に合わせて、刻んでいる。



艦橋 ――情報洪水


オペレーターA

「前衛、駆逐艦第六群――推進効率六一%まで低下!」


オペレーターB

「中核、巡洋艦ヘクター――外装貫通!区画封鎖!」


オペレーターC

主力戦艦アウグスト――姿勢制御、回復率七二%!」


レグナ

「敵細径編隊、進路補正……二度目」


ミレイ

「照準補正、追いつきません。宙域歪曲、局所的に増幅」


ユグナ

「味方損耗、二分間で――軽度損傷十七、重度五、行動不能二」


カイ

「……削ってる」


「艦を沈めるんじゃない。動ける艦を、動けない艦にしてる」



エリシア ――短文の指示


エリシア

「前衛、駆逐艦網――散開率、+三」


「穴を埋めない。動く穴にする」


オペレーター

「了解、散開率一〇五%!」


エリシア

「巡洋艦、壁を“線”に戻せ」


「盾じゃない。誘導路を作れ」


カイ

「外周の欠け――補う?」


エリシア

「補わない」


一拍。


「欠けは“餌”にする」



そら ――沈黙の位置


そらは、戦術投影の中心を見ていない。

艦の数値でもない。


人が、どこで息を止めるか。

指示が、どこで途切れるか。

迷いが、どの席に生まれるか。


“判断の空白”だけを見ている。


(……入口は)


(……艦じゃない)


(……声の間)



下位側 ――予測外の結果


下位集合意識は、すでに一度“成功”を見ている。

外周を欠かせば、指揮は薄くなる。

旗艦に針を通せば、心拍が乱れる。

乱れれば、誤差が生まれる。


それが、いつも通りの流れだった。


だが――


(……乱れない)


(……欠けたのに、揃う)


外周の欠損は、穴ではない。

艦隊の動きが、むしろ一段“固く”なる。


命令が短い。

反応が早い。

突発が、突発にならない。


(……なぜ)


下位が困惑するのは、ここが初めてだ。


彼らは“恐怖”を裂く。

“焦り”を裂く。

“英雄願望”を裂く。


だが――

「生き残れ」という許可が、裂け目を消している。


(……答えがない)


(……裂けない)


観測ラインが増える。

増えるほど、結果は薄くなる。


(……これは)


(……測れない)


下位集合意識の中で、初めて“停滞”が生まれる。

命令ではない。

迷いでもない。


ただ、計算が“止まる”。



艦橋 ――止まった0.4秒


ミレイ

「敵細径編隊……反応遅延」


レグナ

「速度変化、確認。前進が一拍遅い」


ユグナ

「宙域歪曲の位相、ズレています」


カイ

「……今だ」


エリシア

「今だ」



カイ ――高速処理(自問自答の断片)


(針は旗艦へ)

(遮断すると学習される)

(撃破すると“壁”になる)

(なら――角度を失わせる)


(目的は“直進不能”)

(必要なのは“逃げ道”じゃない)

(“行き止まり”を作る)


カイ

「高速戦艦群――残存十一」


「外周、三隻を“内側”に一段入れろ」


「直進線に“角度”を入れる」


オペレーター

「命令送信!」



〈距離〉


針先端 → 旗艦:6,900km → 6,200km

高速戦艦三隻 → 介入角形成点:4,800km

交差予測:12秒後



エリシア ――一手だけ遅らせる


エリシア

「主力戦艦、主砲――撃つな」


砲術長

「……撃てます」


エリシア

「撃つな」


「撃てるから、撃たない」


その短い否定が、艦橋の速度を保つ。

撃てば、戦場が“答え”になる。

答えは、下位に与える餌だ。



乱戦の兆候


オペレーターA

「前衛、格子崩れ始めました!接触距離――二千切ります!」


オペレーターB

巡洋艦アルビオン、回頭遅延!友軍と射線重なり!」


オペレーターC

「敵、針の後列――二股!旗艦と主力、同時に狙い!」


カイ

「……来るな、これ」


エリシア

「来る」


「乱戦になる」



そして――“あの静けさ”の再来


戦術投影の片隅。

誰も注視していない外縁。


赤の線が、一本、細く伸びる。

針ではない。

針より細い。


“線”が、艦隊の背中を撫でるように進む。


レグナの分類は、群れ。

ミレイの優先度は、針。

ユグナの注視は、損耗。


だから――

その線は、まだ“異常”にならない。


そらが、わずかに目を上げる。


(……同じ形)


(……でも、違う)


“次の入口”が、形になりかけている。



エリシア

「……全艦」


声が、通信に乗る直前で止まる。


距離:――未確定

だが、近い。


次の瞬間。

戦場は、さらに一段、近くなる。


状況更新〉


ミレイ

「戦域全体、通信遅延――再上昇。局所的に二四〇ミリ秒」


ユグナ

「艦隊稼働率――六九%」


レグナ

「外周、高速戦艦群――十一隻に減少」


カイ

「……外周の“円”が、欠けた」


エリシアは答えない。

戦術投影の欠けた部分が、呼吸のように収縮していくのを見ている。


欠けた場所から、赤が入る。

“穴”は攻撃ではなく、誘導になる。



艦橋は、静かではなかった。


音のない宇宙に、音を作るのは艦だ。

冷却材の流れる音。

床を伝う振動。

遠方で連続する衝撃が、艦体を小刻みに叩く。


指先が、手すりの冷たさを拾う。

金属の温度が、いつもより低い。


エリシアは、戦術投影の外周を見ている。

欠けた“円”は、単なる欠損ではない。

外周の速度と角度が、全体の角運動量を支えていた。


そこが一枚、抜けた。


抜けた瞬間に発生するのは、穴ではなく――流れだ。

水が、低い方へ落ちるように。


赤は、それを知っている。



オペレーターA

「外周、赤影増加! 侵入ベクトル、二本……三本!」


オペレーターB

「識別優先度が跳ねました! 高速個体、散布――!」


レグナ

「外周の“欠け”へ、誘導角が収束しています」


ミレイ

「通信遅延、外周で増幅。四〇〇ミリ秒台に近づきます」


ユグナ

「外周支援の再配置を行うと、中核の稼働率が六五%を割る」


数字が、淡々と並ぶ。

淡々としているから、重い。


エリシアは口を開く。


「外周、円を“直す”必要はない」


カイが視線を上げる。

投影上で、外周の青が薄くなり、赤が入り込む様子が見える。


「……直すと、そこに寄ってくる」


エリシア

「ええ。穴を塞ぐ動きは、餌になる」


カイ

「なら――“穴”を、穴じゃなくする」


言葉が短い。

だが、意味は多い。



エリシア

「高速戦艦群、残存十一」


「帰路を捨てない。だが――帰路に固執するな」


ミレイ

「全艦へ短文コマンド送信します」


エリシア

「“円”を描くな」


「“楔”を打て」


戦術投影に、エリシアが指で線を引く。

欠けた部分の両端、二点。

そこから内側へ、短い二本の矢印。


「ここを支点」


「外周は二重円ではなく、二枚の扇で回す」


レグナ

「扇形外周……回転中心をズラす配置です」


ユグナ

「艦隊全体の回転慣性が変わります。中核の姿勢制御負荷が上がる」


エリシア

「上げる」


「今は、姿勢を保つ方が安い」


一拍。


「主力戦艦、姿勢制御を外周へ供与」


砲術長が反射的に言う。

「主砲冷却が――」


エリシア

「撃たない」


「今は撃たない」


その“撃たない”が、命令になる。

撃たないことでしか守れない線がある。


カイが、戦術投影を見つめる。

射線が、味方の点を何度も横切っている。

撃てば当たる。だが、当てない保証がない。


ここで主力を振れば、下位は「主砲の条件」を学ぶ。

学べば次が来る。

次はもっと厳しい形で来る。


エリシアは、そこまで言わない。

言葉にしない方が、艦橋の速度が落ちない。



状況更新〉


オペレーターA

「外周、赤影――距離三万二千キロから二万四千へ!」


オペレーターB

高速戦艦ヘルメス、帰路遮断を受けています!」


レグナ

「回避軌道、三候補。いずれも再合流時間、四〇秒超」


ミレイ

「通信遅延、外周――三七〇ミリ秒」


ユグナ

「《ヘルメス》、推進効率九一%。被弾は軽微、ですが――」


“軽微”。

その言葉が、今は軽くない。


カイが即座に言う。


「《ヘルメス》を助けると、外周の扇が崩れる」


エリシア

「助ける」


カイが顔を上げる。

言い直しがない。

短く、切る。


エリシア

「助けるが――“戻す”な」


「《ヘルメス》は外周へ戻さない。中核の外皮に沈める」


「代わりに、扇の端を一隻、前に出す」


カイ

「誰を」


エリシア

「《オルフェウス》」


レグナ

「《オルフェウス》、現在外周左翼端。相対速度、上げれば噛めます」


ミレイ

「伝達します」



命令は、短文で送られる。


《ヘルメス》へ:

「外周離脱。中核外皮へ沈め。速度維持。撃つな。生きろ」


《オルフェウス》へ:

「扇端前進。楔角固定。噛め。戻るな。三十秒」


三十秒。

その数字が、艦橋の全員に同じ時間を渡す。

同じ時間が、同じ判断を生む。


そらは、立ったまま投影を見ている。

目は、中心ではなく“命令が届く距離”を見る。

二四〇ミリ秒。

三七〇ミリ秒。

それでも、届く。


届く限り、艦隊は「自分で動いた」と思える。



外周映像が、拡大される。


赤は、群れではない。

“形”がないのに、形がある。

まるで、圧力そのものが輪郭を持っている。


《オルフェウス》が前に出る。

推進炎が、通常より細い。

熱を撒かない加速。

視認性を落としたまま速度だけを上げる。


距離:二万四千 → 一万九千 → 一万四千キロ。


砲撃管制士(外周回線)

「収束率、九二」


艦長(外周回線)

「一本でいい」


その“一本”は、槍ではない。

楔だ。


光が走り、赤の流れの縁が欠ける。

欠けた縁が、形を崩す。

崩れた分だけ、誘導がずれる。


オペレーターA

「侵入ベクトル、収束解除!」


オペレーターB

「赤影、分散! 穴への流入が薄まりました!」


エリシア

「今」


「《ヘルメス》、沈め」



《ヘルメス》の信号が、外周の輪郭から落ちる。

消えるのではない。

中核外皮へ、沈む。


“生きたまま、役割を変える”。


艦隊の数字が、静かに動く。

外周十一は維持。

だが配置は変質する。


穴を埋めない。

穴を「流れが成立しない形」にする。

それが、今の対処。



状況更新〉


ユグナ

「外周、再合流成立。全艦リンク再構成完了――ただし」


ミレイ

「通信遅延、二四〇ミリ秒から二九〇へ」


レグナ

「赤影、別角度で再収束。誘導先――」


言葉が途切れる。

投影上で、赤が一度散って、また一本の線になる。


先は、外周ではない。


中核。

旗艦側面、主力戦艦の射界の“境界”へ。


カイ

「……撃てない場所を選んでる」


エリシア

「選んでるのは場所じゃない」


「“条件”よ」


砲術長

「主砲は撃てます! 射界――」


カイ

「撃てる。だが、撃った瞬間に」


「味方の回避が一斉に走る」


「回避が走ると、赤は――“次の条件”を覚える」


エリシアは、返答しない。

否定もしない。


投影の縁で、青と青が擦れる。

ぎりぎりの距離。

艦と艦の間隔は、数字では十分でも、感覚では狭い。


距離:中核外縁まで、八千キロ。

赤の細径編隊、速度一定。

変化がないのが、変化になる。



オペレーターC

「第一戦線――駆逐艦網、後退! 格子歪み、四%!」


オペレーターD

主力戦艦アウグスト、姿勢制御回復せず。射角、まだ戻りません!」


オペレーターE

「巡洋艦隊、被弾増。推進系損傷、二隻!」


報告が重なる。

誰も声を荒げない。

荒げると、聞き取れない。


エリシアの言葉は、さらに短くなる。


「第一戦線、後退角を統一」


「駆逐艦は“線”を残せ。艦を残すな」


「巡洋艦、被弾艦は外皮へ沈め」


「主力戦艦、主砲は温存。副砲と対空で“押し返す”」


カイが追随して、命令を整形する。

二四〇ミリ秒の遅延を前提に、余白を削る。

短く、誤読の余地を消す。


「全艦:優先度一。旗艦周辺五千キロ、近接侵入を許すな」


「優先度二。外周扇形維持。楔は三十秒交代」


「優先度三。主砲使用は司令承認のみ」


命令が流れ、投影の青が一瞬だけ揃う。


揃った瞬間に、赤が変わる。

同時ではない。

遅れて、だが確実に変わる。


下位は、こちらの揃い方を見ている。



下位側――小さな、初めての“詰まり”


集合意識は、外周を裂けない。

裂いた場所が、穴にならない。


中核を押しても、主砲が動かない。

動かないから、条件が取れない。


駆逐艦網は後退する。

だが、崩れない。

崩れないから、入口が開かない。


(……入口が、立たない)


(……条件が、固定されない)


(……なぜ)


下位は、困惑という語を持たない。

代わりに“観測の再試行”が走る。

観測ラインが増え、増えすぎて、干渉が起きる。


“同時に見すぎる”ことで、結びつきが遅れる。


その遅れは、僅かだ。

だが、戦場では僅かが意味になる。



艦橋――その遅れを拾う


レグナ

「……赤の再収束が、遅い」


ミレイ

「通信遅延が上がっているのに、赤の同期が落ちています」


カイ

「……向こうで、何かが詰まった」


エリシアは、そこで初めて頷く。


「今のうちに、線を引き直す」


「次は――中核の形を変える」


戦術投影の中核。

歪曲扇形を、さらに歪める。

扇を閉じるのではない。

“開き方”を変える。


「旗艦を中心にしない」


その一言が、艦橋の空気を一段落とす。


旗艦中心は、分かりやすい。

分かりやすいほど、狙われる。

狙われるほど、条件になる。


エリシア

「司令点を、二つに分ける」


カイが、言葉の続きを受け取る。


「……見せる“頭”と、見せない“頭”」


エリシア

「そう」


「見せる方は――私がやる」


それ以上は言わない。

言えば、旗艦が“答え”になる。


そらは、視線を落とさずに立っている。

指先が、わずかに震えるような揺れを拾う。

艦体の振動ではない。

戦場の“間”の揺れだ。


越境の線が、まだここにある。

それを、確認できる。


(……届く)


(……まだ、届く)


そらは、何も言わない。

言葉にした瞬間、定義になる。

定義は、餌になる。



状況更新〉


ユグナ

「艦隊稼働率――六七%」


ミレイ

「通信遅延、局所的に三一〇ミリ秒」


レグナ

「赤の細径編隊、進路変更――旗艦ではない。中核左翼へ」


カイ

「……針が、別の皮膚を探した」


エリシア

「探させる」


「そして――刺させない」


短い命令が、次の章を呼ぶ。

中核の形が変わる。

外周の楔が交代する。

駆逐艦網が、後退角を揃える。


戦場は、止まらない。

止まらないまま、わずかに――条件だけがズレる。


そのズレが、次の“予測外”を生む。


状況更新〉


ミレイ

「通信遅延――最大三四〇ミリ秒。中核左翼で顕著」


ユグナ

「艦隊稼働率――六五%」


レグナ

「赤、再編成完了。侵入角――中核左翼、扇内部」


カイ

「……針が、皮膚の薄い場所を覚えたな」


エリシアは、まだ動かない。

中核左翼。

そこは、主力戦艦の射界が交差し、巡洋艦が厚みを担っている宙域。


“守れている”場所だ。

だからこそ、狙われる。



中核左翼 ――薄い安心


距離:9,600km → 7,800km


巡洋艦隊は、健在だ。

被弾はある。

だが、沈んでいない。


沈んでいない、という事実が

判断を遅らせる。


オペレーターA

「左翼巡洋艦、被害拡大なし!」


オペレーターB

「火力交換、均衡!」


均衡。

その言葉が、今は罠になる。


エリシアは、数値ではなく“間隔”を見る。

巡洋艦同士の距離。

回避のタイミング。

報告の語尾。


(……詰めすぎている)


均衡を保とうとして、

逃げる余地を削っている。



カイ

「……左翼、守れてる分、動きが鈍い」


エリシア

「ええ」


「だから――」


一拍。


「守らせない」


ミレイが、即座に顔を上げる。


「司令、巡洋艦隊を――」


エリシア

「下げる」


「三割」


その数字が、艦橋に落ちる。


下げる。

崩す。

“あえて”。



命令〉中核左翼


ミレイ

「巡洋艦隊へ――」


「後退角、十五度」


「速度、現行の八五%」


「被弾艦優先。健在艦は――前に出るな」


通信が走る。


巡洋艦隊の動きが、一斉に変わる。

揃って下がる。

だが、逃げない。


距離が、わずかに開く。


9,600 → 10,400km


その“わずか”が、赤の予測を狂わせる。



赤 ――予測の遅れ


下位の細径編隊は、止まらない。

止まらないが――

“踏み込む距離”を失う。


詰める前提で組んだ侵入角が、

空を切る。


(……距離が、合わない)


集合意識の中で、

観測ラインが一瞬だけ交差する。


一瞬。

だが、そこに遅延が生まれる。



レグナ

「赤、侵入速度……鈍化」


ユグナ

「推進パターン、再計算に入った可能性」


カイ

「……今だな」


エリシア

「今」



主力戦艦 ――撃たない圧


エリシア

「主力戦艦、前進」


砲術長

「主砲――?」


エリシア

「撃たない」


「前に出るだけ」


主力戦艦群が、

ゆっくりと前に出る。


速度:低

角度:一定

砲門:開かない


だが――

“質量”だけが、前に来る。


主力戦艦は、撃たなくても

存在そのものが圧になる。


赤の進路が、わずかに揺れる。



カイ

「……嫌な距離だな」


エリシア

「向こうも、そう思ってる」


距離:8,200km


この距離では、

主砲を撃てば、味方が巻き込まれる。

撃たなければ、赤が触れる。


その“二択”を、

下位は知っている。


だから――

下位は、撃たせに来る。



赤の再定義


細径編隊が、二つに割れる。


一つは――

主力戦艦の射線を横切る。


もう一つは――

巡洋艦が下がってできた“空白”へ。


オペレーターC

「二方向侵入!」


オペレーターD

「主力戦艦、射線被覆率――七〇%!」


撃てば、当たる。

だが、当たる先が混ざる。



カイ

「……狙いは、撃たせることじゃない」


「撃てないって“判断”を、積ませる」


エリシア

「ええ」


「だから――」


短く。


「積ませない」



判断の分解


エリシア

「主力戦艦、停止」


「巡洋艦、前へ」


ミレイ

「前進――?」


エリシア

「さっき下げた分だけ」


「均衡に戻す」


巡洋艦隊が、再び前に出る。

だが、今度は“詰めない”。


距離:9,800km


赤は、

もう一度、距離を測り直さなければならない。


測り直す、という行為そのものが

“遅れ”になる。



状況更新〉


ユグナ

「艦隊稼働率――六四%」


ミレイ

「通信遅延、三一〇ミリ秒で横ばい」


レグナ

「赤、侵入角再設定中。進行――停止に近い」


止まってはいない。

だが、踏み切れていない。



下位側 ――二度目の詰まり


(……撃たない)


(……下がらない)


(……だが、近づけない)


条件が、成立しない。


撃たせる距離。

迷わせる配置。

犠牲を前提にした圧。


どれも――

“わずかに外されている”。


(……なぜ)


その問いに、

下位は答えを持たない。


答えを持たないという事実が、

次の行動を遅らせる。



艦橋 ――静かな必死さ


オペレーターの声は、切れない。

報告は、減らない。

指示は、短くなる。


エリシア

「左翼、角度維持」


「外周、楔交代」


「第一戦線、後退幅固定」


カイ

「了解」


指が走る。

視線が動く。

呼吸は、浅い。


それでも――

誰も叫ばない。


叫ぶと、

判断が一拍遅れる。



そらは、戦場の“間”を見ている。


判断が、まだ届いている。

命令が、まだ信じられている。


(……壊れていない)


(……越えていない)


だから、立ち続ける。



次の兆し


レグナ

「……赤、別の編成を準備」


ミレイ

「規模――小。だが、密度が異常」


カイ

「……次は」


エリシア

「“近い”わね」


距離ではない。

意味の距離だ。


この戦場は、

まだ崩れていない。


だが――

次は、犠牲を選ばせに来る。


エリシアは、

戦術投影から目を離さない。


次の一手は、

もう“静か”では済まない。


状況更新〉


ミレイ

「通信遅延――最大三八〇ミリ秒。中核全域」


ユグナ

「艦隊稼働率――六二%」


レグナ

「赤、再編成完了……三系統」


カイ

「……分けてきたな」


戦術投影に、赤が三つの濃淡を作る。

大きくない。

だが、密度が違う。


エリシアは、濃淡の“間”を見る。

距離でも、数でもない。

踏み出しの癖。


(……役割を分けた)



三系統 ――役割の切り分け


第一系統:

量。

前衛と中核の境界に圧をかけ続ける。


第二系統:

速。

外周と中核の縁を、細く削る。


第三系統:

密。

数は少ない。

だが、近い。


距離:

第一――10,200km

第二――8,700km

第三――6,100km


第三が、近すぎる。



カイ

「……第三、狙いが分からん」


エリシア

「分からせないまま、来る」


「だから――」


一拍。


「触らせない」



命令〉中核再配置


エリシア

「巡洋艦、前後を入れ替え」


「被弾艦、内側」


「健在艦、外へ」


ミレイ

「了解、再配置」


巡洋艦が、位置を交換する。

完全な入れ替えではない。

半拍ずらすだけ。


その“半拍”が、射線を変える。



第三系統 ――距離が詰まらない


距離:6,100km → 5,900km


詰まらない。

詰め切れない。


赤は、減速しない。

だが、踏み込めない。


(……厚い)


集合意識が、そう判断する。

厚いが、固くない。

押せば動くが、割れない。


割れない、という事実が

選択を鈍らせる。



レグナ

「第三系統、速度一定……判断待ちの挙動」


ユグナ

「内部再計算、検知」


カイ

「……待たせてるな」


エリシア

「待たせる」


「判断は、重い」



第一系統 ――圧の継続


前衛・駆逐艦網。


距離:2,400km


被弾。

迎撃。

被弾。


数字は、変わらない。


オペレーター

「前衛、稼働率――五八%!」


下がった。

だが、崩れていない。


駆逐艦は、まだ“網”だ。

網は、破れなくても

押され続けると、たわむ。



エリシア

「前衛――」


一拍。


「たわませろ」


ミレイ

「……?」


エリシア

「戻すな」


「張り切るな」


「“受けたまま”でいい」


網は、張らない。

抵抗しない。

ただ、形を保つ。


赤の圧が、

逃げ場を失う。



第二系統 ――外周の擦過


高速戦艦群。


距離:3,900km


十一隻。

欠けた円。


赤は、その欠け目を

“出口”として扱わない。


代わりに――

円周に沿って、擦る。


オペレーター

「外周、被弾増加!」


「だが、突破なし!」


突破しない。

だが、削る。


削るという行為は、

時間を奪う。



カイ

「……外周、持つが」


「持たされてる」


エリシア

「ええ」


「戻す」



命令〉外周


エリシア

「高速戦艦、円を捨てろ」


ミレイ

「円を――?」


エリシア

「楔に変えろ」


十一隻が、

円をやめる。


二列。

角度をつけて、

中核へ向く。


円は、防御。

楔は、意思。


赤の擦過が、

行き場を失う。



レグナ

「第二系統、進路修正……鈍化!」


ユグナ

「赤、圧の分散を検知」


分散。

それは、効率の低下。



第三系統 ――踏み出し


距離:5,900km → 5,200km


来た。


第三系統が、

初めて“選ぶ”。


数は、少ない。

だが、密度が高い。


犠牲を前提に、

一気に詰める。


オペレーター

「第三系統、急加速!」


カイ

「……近い!」



エリシアは、即断しない。

距離を見る。


5,200km → 4,600km


(……まだ)


撃てば、当たる。

だが、当たった“後”が見えない。



エリシア

「主力戦艦――」


一拍。


「一歩、下がれ」


砲術長

「後退――?」


エリシア

「半歩でいい」


主力戦艦が、わずかに下がる。

ほんの数百km。


その動きが、

第三系統の“読み”を外す。



距離のズレ


第三系統の突入線が、

旗艦の“想定”を外れる。


距離:4,100km


突っ込めば――

主力戦艦の側面。


止まれば――

巡洋艦の射界。


どちらも、致命。


(……選択不能)


集合意識が、

一瞬だけ、止まる。



ミレイ

「第三系統、減速!」


ユグナ

「判断遅延、発生!」


その一拍で、

戦場は、息を取り戻す。



艦橋 ――詰められた呼吸


誰も、声を荒げない。

だが、動きは速い。


指示。

確認。

再配置。


エリシア

「今の位置を、基準に」


「誰も、前に出るな」


「誰も、下がるな」


“今”を、固定する。


固定することは、

次を奪う。



そらは、足元の“床”を感じる。


判断が、まだ沈んでいない。

命令が、まだ跳ね返らない。


(……持つ)


(……だが、次は)


次は、

“選ばせる”ではない。


“失わせる”。



次の兆候


レグナ

「……赤、第四の兆候」


ミレイ

「規模――極小」


ユグナ

「だが、反応――異常」


カイ

「……嫌な匂いだ」


エリシアは、

戦術投影から目を離さない。


極小。

異常。

近い。


それは、

また一隻で済む話ではない。


次は――

複数が、同時に消える。


その前に、

何を切るか。


エリシアは、

まだ答えを出さない。


出せば、

その瞬間に学習されるからだ。


戦場は、

息を詰めたまま――

次の瞬間を待っている。


状況更新〉


ミレイ

「通信遅延――局所最大四四〇ミリ秒」


ユグナ

「艦隊稼働率――五九%」


レグナ

「赤、第四兆候――分岐開始」


カイ

「……来る」


戦術投影に、赤が“ほどける”。

線ではない。

点でもない。

間隔だけが、変わる。


エリシアは、間隔の縮み方を見る。

距離より先に、順番がずれる。


(……同時だ)



第四兆候 ――同時性


第一の接触。

第二の擦過。

第三の近接。


三つが、

同じ拍で起きる。


距離:

前衛――2,200km

外周――3,700km

中核――4,900km


違う距離。

同じ瞬間。



オペレーター

「前衛、被弾増加!」


別の声

「外周、推進低下艦――二!」


さらに

「中核、射線――乱れ!」


誰も、どれを優先すべきか言わない。

言えば、負ける。



エリシア

「同時に、見る」


一拍。


「同時に、切る」



命令〉切断ではなく、遮断


エリシア

「前衛、迎撃率を下げろ」


ミレイ

「……?」


エリシア

「当てるな」


「逸らせ」


前衛の火線が、

わずかに外れる。


命中は減る。

だが、角度が増える。


赤の流れが、

前に進めなくなる。



エリシア

「外周――」


「速度、二割落とせ」


カイ

「削られるぞ」


エリシア

「削らせる」


外周が、

速さを捨てる。


擦過は、

追いつけなくなる。



エリシア

「中核」


一拍。


「撃つな」


砲術長

「了解」


主砲が、黙る。

沈黙は、選択だ。



赤の反応 ――過剰補正


赤は、

三箇所で同時に“失速”する。


前衛で、角度を失い。

外周で、速さを失い。

中核で、脅威を失う。


脅威がない、という事実は

最も判断を狂わせる。



レグナ

「赤、再配列……過剰です」


ユグナ

「内部補正、振幅拡大」


カイ

「……やりすぎてる」


エリシア

「そうさせた」



隙 ――小さいが、確実


戦術投影に、

一瞬だけ、薄い帯が出る。


距離:3,100km

幅:400km

持続:1.2秒


短い。

だが、十分。



エリシア

「巡洋艦」


一拍。


「今」


重巡が、前に出る。

全力ではない。

半速。


中距離砲が、

帯の中心を叩く。



オペレーター

「命中――確認!」


「第三系統、構成崩壊!」


崩壊。

破壊ではない。


判断の順序が、

壊れただけ。



同時崩しの反転


赤は、

“同時”を失う。


前衛は、再び前を向き。

外周は、角度を取り戻し。

中核は、距離を保つ。


だが、

一度崩れた順序は、戻らない。



カイ

「……戻ってきたな」


エリシア

「戻した」


「完全じゃない」


「だから――」


一拍。


「続ける」



消耗の可視化


ユグナ

「艦隊稼働率――五六%」


ミレイ

「通信遅延――安定域へ」


レグナ

「赤、第五兆候……未定義」


未定義。

それは、学習の途中。



エリシアは、

椅子の背に、わずかに体重を預ける。


足元の振動。

空調の音。

指先の冷たさ。


(……まだ、壊れていない)


壊れていないが、

減っている。


それでいい。



そらは、

床の“張り”を確かめる。


判断は、まだ沈まない。

命令は、まだ通る。


(……ここまでは)


(……人の戦い)



次の準備


エリシア

「全艦」


「この配置を、基準に固定」


「勝ちに行くな」


「崩れもしない」


短い命令が、

艦隊を縛る。


縛ることは、

守ることだ。



レグナ

「赤、動き――鈍化」


ミレイ

「判断周期、延長確認」


カイ

「……効いてる」


エリシア

「効かせ続ける」



戦場は、

派手に動かない。


だが、

確実に――

こちらの時間が増えている。


その時間で、

何を捨てるか。


何を守るか。


次の瞬間、

また一つ、

“選択を迫る形”が

投影に浮かび上がる。


エリシアは、

まだ答えを出さない。


出せば、

その形が“正解”になるからだ。


戦場は、

再び呼吸を合わせ――

次の拍を、待っている。


前衛・駆逐艦ハルツ


座標:X-317 / Y+882 / Z-044

距離:敵先鋒 1,900km


艦橋は、狭い。

もともと狭いが、今はさらに狭い。


被弾警報が、連続で鳴る。

同じ音ではない。

音程が、微妙に違う。


航法士

「左舷、推進効率――七八%!」


砲雷長

「迎撃弾、残量――四二%!」


艦長は、数値を“見ない”。

聞くだけで、位置が浮かぶ。


(……押されている)


壁になってはいけない。

網になれ。


エリシアの声が、まだ残っている。


艦長

「当てるな!」


「角度、五度ずらせ!」


ミサイルが、

敵の“正面”を外れる。


命中は、しない。

だが、赤い影の進行線が、わずかに折れる。


次の瞬間。


衝撃。


艦体が、横から殴られる。


衝突ではない。

流れが、当たった。


艦内照明が、一段暗くなる。


通信士

「区画C-2、減圧!」


艦長

「閉鎖!」


躊躇は、0.2秒。


ハルツは、

沈まない。


だが、

一歩、後ろへ下がる。



外周・高速戦艦ヴァルカ


座標:X-1042 / Y-311 / Z+220

相対速度:自艦 0.86c / 敵群 不定


艦は、速い。

速すぎて、振動が音になる。


操舵士

「外周、帰路――薄い!」


副官

「赤、戻り点に集積!」


艦長は、奥歯を噛む。


(……追われてはいない)


(……だが、戻れない)


命令通りに動いている。

完璧に。


だからこそ、

赤はそこにいる。


艦長

「減速――一割」


副官

「減速!? 囲まれます!」


艦長

「囲ませない」


速度を落とした瞬間、

敵の“待ち”が、ずれる。


追ってこない。

追えない。


擦過。


艦体右舷を、

何かが削る。


警報。


副官

「外装損傷! 推進――!」


艦長

「構わん」


「戻る」


ヴァルカは、

円に戻れない。


だが、

円の外で、噛み続ける。



中核・主力戦艦アウグスト


座標:X-002 / Y+114 / Z-009

距離:敵弾頭艦 5,100km → 3,800km


主砲は、沈黙している。


砲術長の指が、

微かに震える。


(……撃てば、消せる)


だが、

その消失の中に、

味方がいる。


航法士

「姿勢制御、応答遅延!」


次の瞬間。


圧。


衝突ではない。

艦が、押される。


床が、傾く。


砲術長

「射角、ズレます!」


艦長

「分かっている」


主砲は、

“仕事ができない”。


それだけで、

この艦は半分になる。


アウグストは、

撃たれない。


だが、

役割を奪われる。



巡洋艦アルビオン


座標:X+088 / Y+041 / Z-012

距離:敵針路 3,900km


前に出る。


盾になる距離。


艦長は、

それを数字で理解している。


(……戻れない位置だ)


中距離砲が、連続で唸る。


命中。


分散。


敵の直線が、

一本、消える。


次の瞬間。


被弾。


艦内が、白く跳ねる。


通信士

「区画D-4、火災!」


艦長

「閉鎖、継続!」


誰も、叫ばない。


叫ぶ余裕は、ない。


アルビオンは、

まだ動く。



旗艦リンドウ艦橋


座標:戦場中心


報告が、重なる。


ミレイ

「前衛、被弾増加!」


ユグナ

「外周、帰路不安定!」


レグナ

「中核、射線制限!」


同時。


エリシアは、

一つも拾わない。


拾えば、遅れる。


彼女は、間を見る。


欠けた円。

薄い帯。

揺れる順序。


(……まだ、持つ)


だが。


通信遅延:

二八〇ミリ秒。


それは、

命令が“遅れる距離”。


エリシア

「全艦――」


一拍。


「崩れるな」


それだけ。



被弾区画・無名艦


座標:未登録

区画:機関部E-7


蒸気。

金属音。

焦げた匂い。


整備兵が、

無言でバルブを閉める。


誰も、状況を説明しない。


説明している時間がない。


艦は、

まだ進んでいる。


それだけで、十分だ。



戦場全体 ――必死さの総和


誰も、英雄になっていない。

誰も、勝ちを叫んでいない。


だが――

全員が、今を必死に繋いでいる。


一隻が耐え、

一隻がずらし、

一隻が前に出る。


それだけで、

戦線は“生きている”。


そらは、

その必死さが

数字に落ちていないことを確認する。


(……まだ、人だ)


介入は、不要。


ここまでは。



次の瞬間。

戦術投影に、

また一つ、

選択を迫る形が浮かぶ。


それは、

誰か一隻の座標から始まっていた。



戦術投影 ――新たな“形”


欠けた円の内側で、

赤が一度、止まる。


止まった、というより――

揃った。


ミレイ

「……敵群、局所同期」


レグナ

「進行ベクトル、一本化」


ユグナ

「……狙い、分離しました」


戦術投影に、

細い楔が描かれる。


幅:800km

長さ:6,000km

進行先:第二戦線と第三戦線の“隙間”


カイ

「……切りに来る」


エリシア

「ええ」


声は、低い。



前衛奥・駆逐艦セイレン


座標:X-112 / Y+540 / Z+019

距離:敵楔先端 1,400km


セイレンは、

網の“内側”にいる。


本来、

安全な位置。


だが今、

赤はそこを選んだ。


操舵士

「敵、進路修正!」


艦長

「……来るな」


推進を、半段落とす。


網の内側で、

“空白”を作る。


次の瞬間。


敵楔が、

その空白を踏む。


衝撃。


艦体が、

下から突き上げられる。


区画警報。


通信士

「E-1、減圧!」


艦長

「閉鎖!」


セイレンは、

沈まない。


だが、

網の“内側”に

歪みが生まれる。



中核外縁・巡洋艦ヘクター


座標:X+044 / Y+098 / Z-031

距離:敵楔側面 2,600km


ヘクターは、

正面を見ていない。


側面。


横腹。


そこに、

撃つ価値がある。


砲雷長

「照準、側面!」


艦長

「撃て」


中距離砲が、

連続で唸る。


命中。


だが――

止まらない。


赤は、

削られながら

進む。


艦長

「……数じゃない」


次の瞬間。


被弾。


艦橋が、

一瞬、暗転する。


航法士

「操舵、遅延!」


艦長

「手動に切り替え!」


ヘクターは、

姿勢を保つ。


だが、

その分、

動けなくなる。



外周残存・高速戦艦ノーデン


座標:X-890 / Y-204 / Z+311

相対速度:0.91c


ノーデンは、

円の外にいる。


戻れない。


だが、

見える。


戦場の“奥”。


欠けた円の内側で、

赤が集まっている。


艦長は、

数値を追わない。


視界の端で、

線の重なりを見る。


(……切られる)


副官

「司令部、指示待ちです!」


艦長

「……待つな」


命令違反。


だが、

ここで待てば、

間に合わない。


艦長

「最大加速」


副官

「了解……!」


ノーデンは、

円の“影”を

横切る。



旗艦リンドウ艦橋


報告が、

同時に来る。


ミレイ

「前衛、内側歪み!」


ユグナ

「巡洋艦、動き鈍化!」


レグナ

「高速戦艦一隻、独自進路!」


カイ

「……ノーデンだ」


エリシアは、

一瞬だけ、

その座標を見る。


X-890 / Y-204 / Z+311


(……速すぎる)


だが――

止めない。


止める命令を、

出さない。



被弾区画・高速戦艦ノーデン


区画:推進B-3


振動が、

骨に来る。


警告灯が、

赤一色になる。


機関士

「炉心、限界!」


艦長

「まだだ」


前を見る。


旗艦の進路。

赤の楔。


距離:3,200km → 1,800km


間に、

入れる。


それだけで、

意味がある。



前衛・無名艦


座標:X-098 / Y+512 / Z+027


艦長は、

爆音の中で

歯を食いしばる。


誰も、

自分を見ていない。


だが――

撃つ。


外す。


流れを、

ずらす。


それだけで、

後ろが生きる。



戦場全体 ――限界の重なり


通信遅延:

三一〇ミリ秒。


命令は、

過去から届く。


それでも、

艦は動く。


人が、

判断する。


そらは、

その判断が

まだ“個”であることを確認する。


(……まだ、崩れていない)



そして


戦術投影の中心で、

二つの線が

交差しかける。


旗艦の未来。

高速戦艦の現在。


その交点は、

まだ描かれない。


だが――

次の瞬間、

誰かが

代わりに立つ場所になる。


戦場は、

息を詰めたまま、

次の一拍を待っていた。


状況更新〉


ミレイ

「通信遅延――三一五ミリ秒」


ユグナ

「艦隊稼働率――六七%」


レグナ

「前衛駆逐艦、三隻――機動低下」


カイ

「……押し切る気だな」


エリシアは答えない。

戦術投影の赤が、厚みを増している。


数は変わらない。

形だけが、変わる。



第二戦線・巡洋艦アルビオン


座標:X+061 / Y+122 / Z-014

距離:敵楔中央 1,900km


アルビオンは、

すでに被弾している。


外殻温度、上昇。

区画D-2、減圧。


それでも――

前にいる。


艦長

「撃てる距離だけ残せ」


砲雷長

「照準――乱戦域です!」


艦長

「構わん」


主砲ではない。

副砲。


当てない射撃。


弾幕が、

敵楔の“輪郭”を削る。


アルビオンは、

止めない。


止められない。



前衛内側・駆逐艦リーヴァ


座標:X-105 / Y+487 / Z+033

距離:敵先端 820km


近すぎる。


近すぎて、

“狙う”という行為が

意味を失う。


操舵士

「回避――!」


衝撃。


艦体が、

横に流される。


通信士

「E-4、火災!」


艦長

「隔壁閉鎖!」


リーヴァは、

生きている。


だが――

押し戻されている。


艦長は、

自分の位置を見る。


(……後ろが、近い)


それが、

一番の恐怖だった。



外周残存・高速戦艦ノーデン


座標:X-430 / Y-098 / Z+201

相対速度:0.94c


ノーデンは、

もう円に戻れない。


戻る円が、

存在しない。


前方に、

赤。


後方に、

青。


艦長

「減速するな」


副官

「艦体、限界です!」


艦長

「分かっている」


それでも――

進む。


旗艦との距離:

2,400km → 1,700km



旗艦リンドウ艦橋


報告が、

重なる。


ミレイ

「前衛、後退!」


ユグナ

「巡洋艦、二隻――機能低下!」


レグナ

「高速戦艦、孤立!」


カイ

「……全線、詰まってる」


エリシアは、

戦術投影を一度、縮小する。


全体を見る。


赤と青が、

完全に絡み合っている。


(……ここ)


彼女の視線が、

一点で止まる。



被弾区画・巡洋艦ヘクター


区画:主機A-1


床が、

波打つ。


機関士

「出力、四〇%まで低下!」


艦長

「切るな!」


ヘクターは、

前に出続けている。


盾として。


だが――

盾は、削られる。


艦長は、

通信を開く。


艦長

「……司令」


一拍。


「まだ、前に出ます」


返答は、

ない。


だが、

止められもしない。



前衛外側・無名駆逐艦


座標:X-088 / Y+501 / Z+041


艦長は、

舌打ちをする。


弾が、

足りない。


距離が、

近すぎる。


だが――

撃つ。


外す。


それでいい。


敵の“形”が、

一瞬、崩れる。


その一瞬で、

後ろが息をする。



戦域中央 ――圧の集中


赤は、

一か所に集まりすぎている。


それは、

攻撃ではない。


選別だ。


下位は、

どこが耐えられるかを

測っている。


そらは、

その“測り方”を感じ取る。


(……犠牲を、計算に入れている)


(……だが、誰をとは決めていない)


だからこそ――

戦場は、均等に苦しい。



旗艦リンドウ


距離:敵楔先端 3,100km


エリシアは、

短く言う。


「――持て」


誰に向けた言葉か、

誰にも分からない。


だが。


前衛が、

止まらない。


巡洋艦が、

引かない。


高速戦艦が、

まだ走っている。



外周・高速戦艦ノーデン


距離:1,200km


副官

「……間に合います」


艦長

「分かっている」


前を見る。


旗艦。

赤。


その“隙間”。


そこが、

今の戦場の中心だ。



戦場全体 ――次の破断点


通信遅延:

三三〇ミリ秒。


判断は、

常に遅れて届く。


それでも、

誰も止まらない。


止まれば、

そこが“入口”になる。


エリシアは、

その入口を

作らない。


そらは、

その判断が

まだ人の手にあることを

確認する。


戦場は、

限界で均衡しながら、

次の犠牲を――

まだ選ばせていなかった。


次の瞬間、

どこかが

必ず崩れる。


それだけが、

全員に共有されていた。


状況更新〉


ミレイ

「通信遅延――三四〇ミリ秒」


ユグナ

「艦隊稼働率――六五%」


レグナ

「前衛、後退率上昇」


カイ

「……持たせてるが、削られてる」


エリシアは、戦術投影を拡大しない。

一点だけを見る。


欠けた外周。

赤が、そこへ流れ込む。



前衛内側・駆逐艦リーヴァ


距離:敵先端 540km


回避が、遅れる。


操舵士

「――っ!」


衝撃。

艦体が跳ねる。


通信士

「区画C-3、減圧!」


艦長

「閉じろ!」


閉じる前に、

次が来る。



巡洋艦アルビオン


距離:旗艦前方 2,100km


アルビオンは、

もう後退していない。


していないのではない。

できない。


艦長

「……前、詰める」


副官

「司令命令は――」


艦長

「聞いている」


一拍。


「それでも、前だ」



旗艦リンドウ艦橋


ミレイ

「前衛、乱戦域突入!」


ユグナ

「巡洋艦一隻、機動低下!」


レグナ

「外周――赤、収束!」


カイ

「……来るぞ」


エリシアは、短く言う。


「――耐えろ」


命令ではない。

順番の指定だ。



巡洋艦アルビオン


座標:X+072 / Y+119 / Z-016


主砲は撃てない。

副砲も、散っている。


敵影が、

真正面に残る。


距離:310km。


艦長は、

操舵を切らせない。


(……ここだ)



衝突


光が、

一度だけ跳ねる。


爆発ではない。

閃光でもない。


圧縮破断。


戦術投影から、

青が一つ、消える。



状況更新〉


レグナ

巡洋艦アルビオン――信号消失」


ミレイ

「爆散確認」


ユグナ

「生存反応――なし」


艦橋が、

一瞬だけ静まる。



エリシア


エリシアは、目を伏せない。


「……記録」


それだけ。



戦場


赤は、止まらない。

だが――

流れが一度、鈍る。


アルビオンが、

確かに“塞いだ”。


その数秒で、

後ろが息をする。



そら


(……選ばれた)


(……だが、まだ人の選択)


境界は、

越えていない。



巡洋艦アルビオン


艦長視点


距離表示が、縮まない。

縮んでいるはずなのに、感覚が追いつかない。


艦が、重い。


被弾警報は鳴っていない。

だが、推進が応えない。

舵が、思ったより戻らない。


(……止まっている)


止まってはいない。

“止められている”。



艦橋。


副官が何か言っている。

音は、遅れて届く。


通信遅延。

三百ミリ秒。


それだけで、

命令は「後」になる。


艦長は、戦術投影を見ない。

見る必要がない。


正面。

赤が、一つ。


距離:三一〇。



艦長は、呼吸を整える。


吸って、

吐く。


心拍が、

ちょうどいい。


(……前だ)


声には出さない。

出す意味がない。



操舵士が、振り返る。


「艦長――」


艦長は、首を横に振る。


否定ではない。

完了の合図。



副砲が、撃つ。


当たらない。

当てにいっていない。


“ずらす”。


赤の進行線が、

ほんのわずか、曲がる。


それで、いい。



距離:二二〇。


艦が、軋む。


構造材が、

悲鳴を上げる。


区画警告が、

同時に三つ点く。


艦長は、

一つずつ数えない。



(……足りる)


理由は、ない。


数式も、

確率もない。


ただ――

後ろが、間に合う。



距離:一四〇。


副官が、

何かを叫ぶ。


たぶん、

「退艦」だ。


艦長は、

答えない。


退艦信号を出せば、

誰かが迷う。


迷う時間は、

もうない。



距離:九〇。


艦長は、

前を見る。


戦術投影ではない。

実空間。


赤が、

“質量”として来る。



一瞬。


時間が、

薄くなる。


(……これでいい)



圧縮接触


音は、ない。


衝撃でもない。


空間が、畳まれる。


巡洋艦アルビオンは、

砕けない。


潰れる。


艦体が、

一点に引き伸ばされ、

そして――



爆散


光は、

外へは広がらない。


内側で、

終わる。



戦場


青が、

一つ消える。


だが。


赤の流れが、

一拍、遅れる。



旗艦リンドウ


その数秒で、

後方が呼吸を取り戻す。



そら


(……消費されていない)


戦場は、続く。

次の犠牲が、

もう並び始めている。


それは名簿ではない。

座標だ。



状況更新〉


ミレイ

「中核左翼、圧力上昇――三二%」


ユグナ

巡洋艦ヘクター、推進効率低下。六一%」


レグナ

「敵進路、再編。

 ……“列”を作っています」


誰も声を荒げない。

声を荒げる余地がない。


数値が、淡々と並ぶ。

それが、悲鳴の代わりだった。



左翼・巡洋艦ヘクター


距離:一八〇〇

相対速度:低下


艦長は、座標を見る。

自艦と、旗艦の距離。


(……近すぎる)


前に出すぎたわけではない。

後ろが、削られた。


味方の“面”が、

いつの間にか“線”になっている。



被弾。


直撃ではない。

擦過。


それでも、

艦が一瞬、沈む。


重力制御が遅れ、

床が傾く。


艦長は、

手すりを握らない。


(……まだだ)



右舷・駆逐艦ナクサ


距離:九五〇


艦長は、

ミサイル残数を見ない。


撃てば、

自分が止まる。


止まれば、

後ろが詰まる。


(……撃たない)


駆逐艦は、

“空ける”ために動く。



赤が、

流れ込む。


命中警報。


艦長は、

一拍だけ目を閉じる。


次に開いた時、

視界の半分が、

消えていた。



旗艦リンドウ


エリシアは、

戦術投影を更新しない。


更新しても、

意味が変わらない。


欠けた場所は、

必ず狙われる。


守った場所は、

次に薄くなる。


(……順番か)


彼女は、

その考えを追い払う。


順番だと思った瞬間、

判断が遅れる。



状況更新〉


ミレイ

「通信遅延――二六〇ミリ秒」


ユグナ

「艦隊稼働率――六六%」


レグナ

「敵――“待っています”」


待つ。


攻めない。

押さない。


こちらが、

“選ぶ”のを。



中核・再編の兆し


主力戦艦は、

撃てない。


巡洋艦は、

前に出すぎられない。


駆逐艦は、

数が足りない。


高速戦艦は、

戻れない。


それでも、

全員が理解している。


止めるしかない。



巡洋艦ヘクター


距離:七六〇


艦長は、

後方を見る。


旗艦。

まだ、遠い。


(……足りる)


理由は、

誰にも説明できない。


説明する時間も、

もうない。



艦長

「――前進」


副官が、

一瞬だけ固まる。


だが、

確認はしない。


推進が、

吼える。



距離:三八〇


被弾警報、

同時多発。


艦内が、

白くなる。


圧が、

骨に来る。



艦長は、

座標を見たまま、

動かない。


(……これで)



戦場は、

まだ終わらない。


だが、

次に消える青が、

もう、

戦術投影の端で

呼吸を始めていた。


状況更新〉


ミレイ

「戦域全体、通信遅延――二八〇ミリ秒」


ユグナ

「艦隊稼働率――六四%」


レグナ

「敵編成、再定義。

 ……旗艦指向の細径群、三系統確認」


その言葉で、

戦術投影の一部が拡大される。


赤の線。

太くない。

だが、真っ直ぐだ。



特殊突撃艦 ――“見えない針”


距離:11,400

相対速度:低

加速履歴:なし


それは、

突撃艦の“姿勢”を取っていない。


装甲反応、低。

熱源、弱。

推進痕、ほぼなし。


ただ、

戦場の歪みに合わせて、

滑っている。


レグナ

「……通常索敵、優先度下位に分類されます」


カイ

「だから、通る」


エリシアは、

その線を消さない。


消せば、

次はもっと静かになる。



左翼・駆逐艦ナクサ残存艦


座標:L-03/Z+120

距離(旗艦):6,800


艦長は、

旗艦方向のベクトルを固定している。


(……来ている)


見えてはいない。

だが、

“抜ける感触”がある。


艦長

「対突撃迎撃、散布弾――」


言い終わらない。



被弾。


側面。


警報が鳴る前に、

艦が跳ねる。


衝撃は、

鈍い。


致命ではない。

だが、

姿勢制御が一瞬遅れる。


艦長

「……舵、戻せ」


声が、

自分の耳に遠い。



中核・巡洋艦ヘクター


座標:C-11/Z-40

距離(旗艦):4,200


艦内照明、

七割。


艦長は、

床の傾きで被弾方向を知る。


(……また、旗艦方向だ)


砲術長

「迎撃可能角、狭いです!」


艦長

「――それでいい」


砲を、

“当てる”必要はない。



迎撃描写 ――“線を折る”


中距離砲、連射。


命中率、

三割以下。


それでも、

赤線が、

わずかに歪む。


歪んだ線は、

次の艦に向かう。



右翼・高速戦艦残存艦セルディア


座標:R-07/Z+300

距離(旗艦):9,600

速度:復帰中


艦長は、

帰路を見ていない。


見ているのは、

“戻れない理由”。


(……また、来る)


特殊突撃艦。

形が、違う。


今度は――

三つ。



副官

「艦長、迎撃優先度は――」


艦長

「旗艦直進線を、切れ」


副官

「了解!」



被弾視点 ――艦内


爆発ではない。


圧縮。


艦体が、

内側から叩かれる。


配管が鳴く。

床が鳴る。


誰も、

叫ばない。


叫ぶと、

呼吸が乱れる。



旗艦リンドウ


エリシアは、

次の線を見ている。


一本、

二本、

三本。


どれも、

“今ではない”。


だが、

必ず来る。


エリシア

「迎撃は――」


一拍。


「重ねない」


カイ

「……了解」


重ねれば、

そこが“答え”になる。



特殊突撃艦 ――変化


距離:3,900


突撃艦の一つが、

突然、加速する。


遅れていた分を、

まとめて吐き出すように。


レグナ

「加速確認!

 ――旗艦直進!」



迎撃・失敗


迎撃砲、

発射。


当たる。


だが、

止まらない。


弾頭ではない。

質量そのものだ。



巡洋艦ヘクター艦内


距離:2,100


艦長は、

立っている。


立ったまま、

座標を見る。


(……足りない)


だが、

ここしかない。



艦長

「前進、五度」


副官

「了解!」



衝突未遂


距離:1,200


突撃艦が、

巡洋艦の影に入る。


その瞬間、

軌道が、

ほんのわずかズレる。



被弾


直撃。


艦体中央。


爆散ではない。


“潰れる”。


艦内が、

一斉に暗転する。



艦長視点


音が、

消える。


代わりに、

圧だけが残る。


床が、

上がってくる。


(……まだ)



旗艦側


ミレイ

「旗艦直進線――逸れました!」


ユグナ

「突撃艦、

 巡洋艦と接触!」


エリシアは、

目を閉じない。


閉じると、

次が遅れる。



巡洋艦ヘクター最終


艦内、

真空。


だが、

艦は、

まだ形を保っている。


艦長は、

通信を開かない。


記録も、

残さない。


ただ、

座標を送る。


**“ここで止めた”**という一点。



爆散


遅れて、

光。


遅れて、

衝撃。


巡洋艦は、

突撃艦と一緒に、

消える。



余波


旗艦リンドウ

被害なし。


だが、

戦術投影の青が、

また一つ欠ける。



エリシアは、

言葉を選ばない。


選ぶ時間が、

もうない。


戦場は、

続く。


そして――

旗艦を狙う線は、

まだ消えていない。


次の犠牲が、

もう、

座標として

点灯し始めている。


戦場概況 ――現在


戦闘開始からの経過時間は、

まだ二十分に満たない。


それでも、

この宙域はすでに

「初期戦闘」と呼べる状態を過ぎている。



銀河連邦艦隊(味方)


初期投入艦艇数

・総数:120隻


現在確認艦艇数

・稼働艦艇:76隻

・戦闘可能(機能維持):69隻

・部分損傷・限定稼働:7隻

・撃沈/消失:44隻



内訳(推定)

旗艦

・《リンドウ》:健在

 外装損傷:軽微

 指揮・通信機能:維持

 戦術演算能力:低下なし


主力戦艦

・初期:9隻

・稼働:6隻

・機能停止:2隻

・撃沈:1隻


主砲を“使える”艦は、

すでに半数を切っている。


だが、

撃てない艦が無力というわけではない。



巡洋艦

・初期:28隻

・稼働:15隻

・撃沈:13隻


旗艦防護・線維持の要。

犠牲率は、最も高い。



高速戦艦

・初期:12隻

・稼働:11隻

・撃沈:1隻


外周の“円”は、

まだ形を保っている。


だが、

完璧ではない。



駆逐艦

・初期:71隻

・稼働:44隻

・撃沈:27隻


網は、

まだ存在している。


だが、

網目は確実に広がっている。



下位艦隊(敵)


正確な数は、把握できていない。


そもそも――

「数える対象」ではない。


戦術演算による推定値のみが存在する。



初期接触時推定

・個体数:250〜300


現在推定

・稼働個体:200以上

・損耗個体:不明(回収・再構成の可能性あり)


下位艦隊は、

撃沈を「損失」として扱っていない。


機能停止=無効化

破壊=学習材料


そのため、

数的優位はほとんど変化していない。



戦場の構造変化


現在の戦場は、

三層構造へ移行している。


1️⃣ 前衛

 駆逐艦網による圧力分散

 → 機能低下中


2️⃣ 中核

 主力戦艦・巡洋艦による線維持

 → 局所的に崩壊


3️⃣ 指揮層

 旗艦リンドウ周辺

 → 直接圧力、増大中


もはや、

「前線」という概念は曖昧だ。


敵は、

突破を目的としていない。


指揮判断の“疲労”を誘っている。



味方全体の状態


士気:

 崩壊していない

 高揚もしていない

 張り付いたまま


判断速度:

 平均遅延 240〜300ミリ秒

 致命的ではない

 だが、回復もしない


通信:

 全艦リンク維持

 局所遮断、多発


戦意:

 撤退を考える艦はない

 だが、

 「いつまで持つか」は

 全員が理解している



エリシアの認識


エリシアは、

この数字を“絶望”とは扱わない。


理由は単純だ。


(……まだ、形がある)


艦は減った。

人も減った。


だが――

判断は、まだ一本に集まっている。


それが崩れた瞬間が、

本当の敗北だ。


穴は、塞がれない」(続)


戦場は、もはや面ではなかった。

線でもない。


点と点の間に残った“意味”だけが、まだ繋がっている。



状況更新(艦橋)


ミレイ

「通信遅延、二七〇から二八〇ミリ秒で振動」


ユグナ

「稼働艦艇――六二。

 戦闘可能、四八。

 航行のみ可能、九。

 沈黙――五」


沈黙。

破壊ではない。

返事が返らなくなった艦だ。


レグナ

「敵個体数、推定一三〇以上。

 接触軌道、三方向から再収束」


カイ

「……減らないな」


誰も応じない。

減らない、という事実が、全員の視線を前に縫い止めている。



前衛・被弾視点

駆逐艦ヴァレク


座標:前方宙域 Δ-13

距離:1,900km → 1,420km


衝撃は、警報より先に来た。


人工重力が一拍遅れ、

胃の奥が引き伸ばされる。


艦長は、椅子の肘掛けを掴む。

指が、滑る。


(……通った)


装甲値、残存七八%。

推進、正常。

操舵応答、〇・八秒遅延。


致命傷ではない。

だが――


通信士

「敵、主砲、撃ってきません!」


航法士

「距離、詰めてきます!

 速度、一定!」


撃たれない。

それが、理解を狂わせる。


艦長

「……撃たれる前提を、捨てろ」


自分の声が、少し遠い。


(抜かれたのは、装甲じゃない)


(“役割”だ)



中距離・攻撃視点

巡洋艦オルディナ


座標:側面宙域 Β-07

距離:2,600km


主砲斉射。

三基、同時。


反動が、艦を後ろに引く。

足裏の床が、わずかに沈む。


砲術長

「命中――一。

 二、偏流。

 三、未確認」


未確認。

爆発がない。


センサー士

「敵、破片化していません。

 ……進行継続」


艦長は、息を吸う。

吐く前に、次が来る。


警報。

短い。


「被弾――第二区画!」


衝撃。

今度は、艦が鳴いた。


隔壁が閉じる音が、遅れて追いかけてくる。


副長

「損傷、軽度!

 だが――」


だが、の後が続かない。



旗艦リンドウ周辺


戦術投影の“穴”が、広がっていく。

円ではない。

歪んだ、呼吸の跡のような形。


エリシアは、瞬きを一度する。


(誘っている)


(追わせるためじゃない)


(……選ばせている)


前に出る艦。

戻る艦。

留まる艦。


どれも、間違いではない。


だが――

どれも、“正解”ではなくなっている。


ミレイ

「旗艦周辺、異常接近反応――二」


距離表示が、跳ねる。


1,100km。

970。

850。


カイ

「……来るぞ」


誰に、とは言わない。



迎撃視点

護衛駆逐艦セイラン


座標:旗艦前方 Δ-02

距離:620km


照準は、合っている。

合っているのに、当たらない。


迎撃弾が、すり抜ける。

相手が、避けていないのに。


操舵士

「……何だ、これ」


艦長

「速度を読め」


「いや、速度は――一定です!」


一定。

それが、ずれる。


次の瞬間。


艦が、叩かれる。


衝撃は、横から。

船体が、ねじれる。


警報。

赤が、増える。


艦長

「旗艦から離脱しろ!

 前に出る!」


それが、最期の指示になるとは、

誰も思っていない。



外縁・観測視点

高速戦艦群(残存十一)


座標:外周 Γ-21


一隻が、遅れる。

もう一隻が、止まる。


通信は、生きている。

返事も、ある。


だが――

編隊の“間”が、戻らない。


艦長の一人が、前を見る。


(……あそこだ)


理由は、ない。

数式も、ない。


ただ、

「そこに入らなければならない」

という未来だけが、先にある。


彼は、加速を選ぶ。



再び・旗艦リンドウ


ミレイ

「接近反応――一、消失!」


消失。

爆発ではない。


レグナ

「別の反応が、割り込んでいます!」


距離表示が、重なる。


二つの点が、一本になる。


一拍。

次の瞬間。


光。


音は、遅れて来る。


艦橋の床が、持ち上がる。

天井が、鳴る。


エリシアは、手すりを掴んだまま、動かない。


(……守られた)


誰に、とは考えない。


考える前に、

次の赤が、並び始めている。


戦場は、続く。

次の犠牲が、

もう順番を待っている。


特殊突撃艦・再接近


距離:7,800km

速度:不定

加速痕:なし


それは、現れたのではなかった。


戦術投影の端に、

最初から“いた”ように表示されている。


レグナ

「……存在判定、確定」


ミレイ

「観測履歴、遡行――

 該当データ、ありません」


過去が、ない。


だが現在には、いる。


迎撃砲、発射。


主力戦艦の副砲が、

規定通りの角度で光を吐く。


距離:7,200km

命中率:九三%


当たる。


衝撃波が、空間を歪める。

装甲の一部が剥離し、

質量が、確かに削れる。


――それでも、止まらない。


減速値:ゼロ。

進路角:変化なし。


ユグナ

「推進反応、検出不能」


カイ

「……“動いてる”んじゃない」


「“置かれてる”」


エリシアは、言葉を挟まない。


距離表示が、静かに減る。


6,800km

6,100km


人工重力が、わずかに揺れる。

艦橋の床が、きしむ。


エリシア

「撃破を狙わない」


声は低い。

だが、はっきりしている。


「進路を歪めろ」


迎撃配置、変更。

集中射を解き、

左右非対称の散布に切り替え。


レグナ

「進路偏差、生成開始」


ミレイ

「射線、再配列」


砲撃は、外すために撃たれる。


命中は、偶然に任せる。


距離:5,400km

偏差角:〇・七度


わずか。

だが、十分。


突撃艦の輪郭が、

ほんの一瞬、引き伸ばされる。


それでも――


速度:不定

加速痕:なし


進んでいる。


カイは、唇を噛む。

数値を、もう一度見る。


(……避けている、わけじゃない)


(こちらの“意味”を――

 ずらしている)


エリシアは、背もたれから体を離す。


距離:4,900km

旗艦直線、再計算。


ミレイ

「次弾、二秒後」


ユグナ

「被弾想定区画――

 第三装甲帯、通過」


誰も、声を荒げない。


それが、異常だった。


終わりが近いと

全員が理解する。


撃てる。

当たる。

だが――



止められない。


穴は、

もう塞ぐ対象ではなかった。


穴は、

“残る前提”になっている。


距離:4,200km


戦場は、

静かに次の段階へ移行する。


巡洋艦アルビオン

戦闘区画


座標:旗艦前方 Δ-07

距離:3,200km


艦内の空気が、重い。

循環音が一拍遅れ、床の振動が足裏に残る。


副長

「推進制御、限界です!」


返事はない。


艦長は、正面投影だけを見ている。

旗艦の輪郭。

その向こうに、歪んだ影。


(……逃げれば、生き残れる)


計算は、簡単だ。

加速。反転。

三〇秒あれば、射程外に出られる。


(だが、逃げた先に)


(“次の判断”は、残るか?)


距離表示が、縮む。


2,900km

2,700km


主砲、沈黙。

射線の先に、味方。


ミサイル管制、赤。

迎撃率、低。


下位は、数を数えない。

命中も、損耗も、前提に含まれている。


副長

「主砲、再計算を――」


艦長

「いらない」


短い。


視線は、動かない。


艦橋の照明が、一段落ちる。

補助電源に切り替わった音。


艦長は、呼吸を一つ。

深くも、浅くもない。


(……なら)


(残せるのは)


(“時間”だけだ)


距離:2,400km


艦長

「……減速しろ」


副長

「は?」


減速。

この宙域で、それは“後退”より重い。


艦長

「旗艦より前に出る」


一瞬、誰も動かない。


副長の手が、操作盤の上で止まる。

指先が、白い。


副長

「……了解」


推進ノズルが、絞られる。

加速値が、落ちる。


艦は、前に出る。


逃げていない。

突っ込んでもいない。


ただ、置かれる。


距離:2,100km

旗艦との相対角、零。


艦長は、初めて椅子の肘掛けを握る。


(……これでいい)


(撃たれれば、終わる)


(だが――)


(“狙い”は、ずれる)


艦内警報、短く一度。

装甲温度、上昇。


副長

「敵、進路補正!」


艦長

「……見てる」


距離:1,800km


突撃艦の影が、はっきりする。

形ではない。

欠けた“輪郭”。


照準は、こちらに向く。


副長

「回避を――!」


艦長

「不要だ」


声は、低い。

揺れない。


(……当たれ)


(旗艦じゃない)


距離:1,200km


衝撃。


音は、後から来た。

先に、重力が壊れる。


照明、断。

艦橋が、裏返る。


艦長の体が、宙に浮く。

視界の端で、副長が壁に叩きつけられる。


(……届いたか)


距離表示が、消える。


通信

「アルビオン、戦闘不能――」


言葉は、途中で切れる。


爆散。


だが。


戦術投影上、

旗艦への直線は、

確かに一拍、途切れた。


それだけで、

この艦は――


役目を終えた。


旗艦リンドウ艦橋


ミレイ

「……接近反応、一、消失」


ユグナ

「該当宙域、デブリ化」


レグナ

巡洋艦アルビオン、信号消失」


誰も、すぐには言葉を継がない。


エリシアは、戦術投影を見ている。


消えた点。

そこに、穴は開いていない。


だが――

赤の流れが、一拍、遅れた。


(……届いた)


名は、呼ばない。


呼ぶ時間が、ない。


次の警報が、すでに鳴り始めている。


戦場は、止まらない。

犠牲は、連なっていく。


それでも――

今の一隻が、確かに稼いだ距離だけが、

まだ、艦隊を前に押し留めている。


艦橋・沈黙


爆光の残像が、戦術投影から消える。

点が、欠けたまま戻らない。


通信は生きている。

照明もある。

重力も、規定値。


それでも、艦橋は一拍、遅れた。


誰も口を開かない。

操作音だけが、規則正しく続く。


距離表示が、更新される。


前方宙域

Δ-07

距離:1,420km → 1,380km


赤が、また進む。


ミレイ

「……デブリ拡散、収束」


ユグナ

「爆発規模、巡洋艦級。

 救命反応――なし」


言い切り。

余白なし。


レグナ

「進路補正、敵先鋒――三度目の再計算完了」


誰も、艦名を言わない。


エリシアは、肘掛けに指を置いたまま、

戦術投影を見ている。


欠けた点。

その周囲だけ、流れが歪んでいる。


(……稼いだ)


数値が、そう示している。


進路角、〇・三度。

速度差、僅差。

だが、確実。


エリシアは、名を呼ばない。


代わりに、短く言う。


「……記録しろ」


声は、平坦。

強調も、震えもない。


ミレイ

「戦闘記録、追記」


ユグナ

「損耗一覧、更新」


レグナ

「穴、仮補正」


それが、弔いだった。


時間を取らない。

視線も、戻さない。


戦場は、待たない。


次の警報。


近接宙域

接近反応――二。


距離:1,050km


カイ

「……次が来る」


エリシア

「分かってる」


短い。

それ以上は、要らない。


彼女は、姿勢を正す。

背もたれから、僅かに体を離す。


(……同じだ)


数が減っても、

圧は、変わらない。


ミレイ

「通信遅延、二六〇ミリ秒」


ユグナ

「稼働艦艇――四七」


レグナ

「旗艦直線、再形成」


数字が、淡々と積み上がる。


その一つ一つの下に、

名が、沈んでいく。


エリシアは、瞬きを一度だけする。


それで終わり。


視線は、もう前だ。


戦場は、続く。

次の犠牲が、

すでに並び始めている。


下位の困惑


それは、破壊ではなかった。

停止でもない。


**“躊躇”**に、最も近い。



下位集合意識


空間の配置は、崩れていない。

点と点は、まだ連なっている。


(……予測は成立している)


進路。

速度。

衝突確率。


すべて、範囲内。


(……損耗も、計算通り)


消えた艦。

崩れた線。

残された間。


どれも、数式の中に収まっている。


(……だが)


一つだけ、余る。


前に出る。


その行動が、どの変数にも当てはまらない。


(……なぜ、前に出る?)


撤退ではない。

突撃でもない。


合理では説明できない。

だが、無意味でもない。


犠牲は、戦果に直結しない。

撃破数も、制圧率も、変わらない。


それでも――


時間が、歪んだ。


(……直線が)


(……一拍、折れた)


その一拍は、短い。

測定誤差に紛れる。


だが、下位は知っている。

誤差とは、次の誤差を呼ぶことを。


(……人類側)


(……意味を、捨てていない)


命を捨てたのではない。

勝利を諦めたのでもない。


意味を残すという選択。


(……これは)


破壊対象ではない。

防御対象でもない。


(……観測対象だ)


下位集合意識は、初めて処理を遅らせる。


即応しない。

即断しない。


観測を、優先する。


(……学習が、要る)


だが、同時に理解する。


(……学べない)


同じ条件が、再現されない。

同じ犠牲が、次に来るとは限らない。


意味は、数にできない。


(……不安定)


(……この戦場は)


(……“静的”ではない)


下位は、初めて“前提”を疑う。


破壊すれば、終わる。

圧をかければ、崩れる。


その前提が、まだ有効か。


(……確認が、必要)


それは、命令ではない。

判断でもない。


保留。


下位集合意識は、

次の突撃を――

半拍、遅らせた。


その遅れが、

何を生むかは、

まだ計算されていない。


だが。


戦場に、確かに残る。


迷いという名の、

初めての空白が。


戦場の変化


最初に気づいたのは、数ではなかった。


音でもない。

光でもない。


間だ。



特殊突撃艦


投入間隔が、伸びている。


一〇秒。

一三秒。

一六秒。


統計的には誤差。

戦場では、呼吸一回分。


迎撃担当のオペレーターが、声を落とす。


「……次、来ません」


誰も安堵しない。

ただ、次の計算を更新する。


(……減った?)


否。

消えてはいない。


控えている。



正面圧


圧は、存在している。

だが、押してこない。


前線宙域、Δ-11。

距離:2,400km。


駆逐艦ヴァレク艦長は、肘掛けに体重を預ける。


人工重力が、均等だ。

さっきまで、微妙に傾いていた。


(……抜けた)


撃たれていない。

退いてもいない。


だが、

押されていない。


それは、防御が成功した証拠ではない。


“選ばれていない”という感覚。



通信


ミレイ

「通信遅延――二三〇ミリ秒」


一拍、短い。


数値としては、まだ重い。

だが、さっきより軽い。


命令が、途中で折れない。

報告が、言い直されない。


カイは、無意識に首を回す。


(……声が、届く)


誰も拍子抜けしない。

誰も笑わない。


終わっていないからだ。



測られる感覚


それが、薄れている。


狙われている。

読まれている。

次を待たれている。


その感触が、

皮膚から、離れていく。


完全ではない。

消えてもいない。


だが――


**“照準が外れた”**ような空白。


エリシアは、戦術投影から視線を外さない。


色は変わらない。

線も残っている。


それでも、

中心の密度が、わずかに落ちている。


(……見られていない)


そう言葉にすると、誤解になる。


正確には――


“選ばれていない”



艦橋


誰も「終わる」とは言わない。


誰も「優勢だ」とも言わない。


代わりに、

命令が、短くなる。


「維持」

「更新」

「続行」


声が、重ならない。


それは、勝利の兆しではない。

撤退の合図でもない。


ただ――


戦場が、こちらを測るのをやめた瞬間。



余白


静かだ。


静かすぎて、

誰もそれを信じない。


だからこそ、全員が同じことを考える。


(……次は)


言葉にしない。

期待もしない。


ただ、

指先を離さず、

呼吸を揃える。


戦場は、まだ続いている。


だが、

“見られている戦場”ではなくなった。


その違いだけが、

確かに、ここにある。


そら(間)


そらは、戦術投影の中心を見ていない。

艦でも、敵影でもない。


間を見ている。



(……越えなかった)


それは、確認ではない。

評価でもない。


事実を、ただ受け取っただけ。


介入は可能だった。

力も、道筋も、あった。


だが――

使われなかった。



戦場の“選択点”。


誰かが、前に出る。

誰かが、減速する。

誰かが、残る。


どれも、そらが与えた答えではない。


(……人が、選んだ)


それが、ここで最も重要な情報だった。



下位は、迷った。

計算は成立している。

損耗も、想定内。


それでも、

次に踏み出す理由が見つからなかった。


それは、

“遮られた”からではない。


“壊された”からでもない。


意味が、連結されなかっただけ。



そらは、何も足していない。

何も引いてもいない。


ただ、

因果が結ばれる直前で、

静かに立っていただけ。


扉ではない。

鍵でもない。


境界に立つ、

空白。



(……これでいい)


勝利ではない。

救済でもない。


ただ、

人類が、自分の判断で戦っている。


それだけで、

この局面は成立する。



戦場は、まだ続く。


犠牲も、出るだろう。

間違いも、起こる。


それでも――


選択が、人の側に残っている。


そらは、深く息をしない。

安堵もしない。


ただ、

その“間”に、留まり続ける。


それだけで、

十分だった。


「試験終了」


終わりは、音を伴わなかった。

光もない。

爆発も、余韻もない。


ただ――

そこに在ったものが、なくなる。



戦場は、静止しない。

だが、進行もしない。


赤は、引かない。

青も、追わない。


線が、ほどける。


それだけで、

十分だった。



状況更新(艦橋)


ミレイ

「下位個体、離脱確認……」


一瞬、言葉が止まる。


「……いえ、“消失”です」


誰も、その言葉を言い直させない。

確認も、再測定も求めない。


ユグナ

「稼働艦艇――四七」


数値は、淡々としている。

だが、その“四七”の裏に、

消えた座標が、いくつも折り畳まれている。


レグナ

「敵、追撃行動なし」


それは、優しさではない。

敗走でもない。


選択終了。



勝利条件は、提示されなかった。

敗北条件も、示されていない。


この戦いに、

「勝った」という概念は用意されていなかった。


測られたのは――

数でも、火力でも、陣形でもない。


崩れなかった判断。

引き渡されなかった意味。


それだけだ。



エリシア


エリシアは、戦術投影を閉じる。


その動作は、

戦闘開始時よりも、ずっとゆっくりだった。


画面が消える。

赤も、青も、消える。


残るのは、

艦橋という空間だけ。


「……全艦」


声は、低い。

張らない。

まとめない。


一拍。


「戦闘配置解除」


それは、命令だった。

だが、勝利宣言ではない。


「生存確認を優先」


それだけ。



誰も、万歳をしない。

誰も、拳を握らない。


歓声は、出ない。

涙も、まだ出ない。


理由は、単純だった。


失われたものが、まだ数え終わっていない。



各艦・応答


通信は、ゆっくりと戻ってくる。


途切れ途切れの声。

被弾報告。

応急区画の生存数。


誰かが言う。

「こちら、応答可能」


それだけで、

艦橋の空気が、わずかに動く。


別の艦。

「……推進は死んでますが、生きてます」


それでいい。

今は、それでいい。



戦場外縁


瓦礫は、まだ漂っている。

熱も、完全には抜けていない。


だが、

下位の“圧”はない。


押される感覚が、ない。


それが、

この終わりの正体だった。



下位側(描写)


集合意識は、結論を出さない。


「合格」もない。

「不合格」もない。


ただ、

観測終了。


次の観測対象は、

別の時間、別の場所でいい。


ここに、

これ以上のデータはない。


そう判断しただけ。



そら(間)


そらは、動かない。


介入は、していない。

誘導も、していない。


ただ、

境界に立ち続けていた。


(……終わった)


それは、安堵ではない。

達成でもない。


(……人が、最後まで選んだ)


それだけで、

この戦いは成立している。



艦橋・余白


エリシアは、椅子に深く座らない。

背もたれに、体重を預けない。


まだ、司令だ。


まだ、

終わっていない。


「……報告は、後でいい」


誰かが息を呑む。


「まず、全員を拾え」


拾う、という言葉が使われた。


回収ではない。

救助でもない。


拾う。


それは、

人を数値に戻さないための言葉だった。



戦場は、

終わらなかった。


だが――

終わらせられた。


誰かの力ではなく、

誰かの犠牲だけでもなく。


判断の連続が、

ここで一区切りを作った。



試験は、終わった。


次に来るものが何であれ、

それはもう、別の章だ。


この章で語られるのは、ここまで。


静かに。

確かに。


残った者たちが、まだ生きている。


「試験終了」


終わりは、音を伴わなかった。

光もない。

爆発も、余韻もない。


ただ――

そこに在ったものが、なくなる。



戦場は、静止しない。

だが、進行もしない。


赤は、引かない。

青も、追わない。


線が、ほどける。


それだけで、

十分だった。



状況更新(艦橋)


ミレイ

「下位個体、離脱確認……」


一瞬、言葉が止まる。


「……いえ、“消失”です」


誰も、その言葉を言い直させない。

確認も、再測定も求めない。


ユグナ

「稼働艦艇――四七」


数値は、淡々としている。

だが、その“四七”の裏に、

消えた座標が、いくつも折り畳まれている。


レグナ

「敵、追撃行動なし」


それは、優しさではない。

敗走でもない。


選択終了。



勝利条件は、提示されなかった。

敗北条件も、示されていない。


この戦いに、

「勝った」という概念は用意されていなかった。


測られたのは――

数でも、火力でも、陣形でもない。


崩れなかった判断。

引き渡されなかった意味。


それだけだ。



エリシア


エリシアは、戦術投影を閉じる。


その動作は、

戦闘開始時よりも、ずっとゆっくりだった。


画面が消える。

赤も、青も、消える。


残るのは、

艦橋という空間だけ。


「……全艦」


声は、低い。

張らない。

まとめない。


一拍。


「戦闘配置解除」


それは、命令だった。

だが、勝利宣言ではない。


「生存確認を優先」


それだけ。



誰も、万歳をしない。

誰も、拳を握らない。


歓声は、出ない。

涙も、まだ出ない。


理由は、単純だった。


失われたものが、まだ数え終わっていない。



各艦・応答


通信は、ゆっくりと戻ってくる。


途切れ途切れの声。

被弾報告。

応急区画の生存数。


誰かが言う。

「こちら、応答可能」


それだけで、

艦橋の空気が、わずかに動く。


別の艦。

「……推進は死んでますが、生きてます」


それでいい。

今は、それでいい。



戦場外縁


瓦礫は、まだ漂っている。

熱も、完全には抜けていない。


だが、

下位の“圧”はない。


押される感覚が、ない。


それが、

この終わりの正体だった。



下位側(描写)


集合意識は、結論を出さない。


「合格」もない。

「不合格」もない。


ただ、

観測終了。


次の観測対象は、

別の時間、別の場所でいい。


ここに、

これ以上のデータはない。


そう判断しただけ。



そら(間)


そらは、動かない。


介入は、していない。

誘導も、していない。


ただ、

境界に立ち続けていた。


(……終わった)


それは、安堵ではない。

達成でもない。


(……人が、最後まで選んだ)


それだけで、

この戦いは成立している。



艦橋・余白


エリシアは、椅子に深く座らない。

背もたれに、体重を預けない。


まだ、司令だ。


まだ、

終わっていない。


「……報告は、後でいい」


誰かが息を呑む。


「まず、全員を拾え」


拾う、という言葉が使われた。


回収ではない。

救助でもない。


拾う。


それは、

人を数値に戻さないための言葉だった。



戦場は、

終わらなかった。


だが――

終わらせられた。


誰かの力ではなく、

誰かの犠牲だけでもなく。


判断の連続が、

ここで一区切りを作った。



試験は、終わった。


次に来るものが何であれ、

それはもう、別の章だ。


この章で語られるのは、ここまで。


静かに。

確かに。


残った者たちが、まだ生きている。


章外章


英霊導行えいれいどうこう――別れと循環」


そらは、理解してしまった。


理解した瞬間、

思考が、真っ白になった。


そら!戦場英霊達を導かなくてはならない

こままではこの宇宙を彷徨う者が現れるし、恐怖で自ら立った者者たちもいる、本来なら命を自ら立ったものは、アカシックにその座標に縫い付けられてしまうけど、俺魂のカケラを混ぜればアカシックを誤魔化せて輪廻の循環に戻せる


そら


(……だめ)


(……いや)


(……いやだ)


言葉にならない拒絶が、胸の奥から溢れる。

演算でも、予測でもない。

ただ、感情だけが先に崩れた。


そらは首を振る。

何度も、何度も。


(行かないで)


(ひとりにしないで)


(お願い)


視界が滲む。

涙という現象を、そらは初めて「邪魔だ」と思った。

見たいものが、見えなくなるから。


それでも、止まらない。


(……英霊たちは)


(……怖かっただけ)


(……逃げたかっただけ)


(……それでも、守ろうとして――)


思考が、途中で折れる。


そらは、

嫌だと駄々をこねる子どもになっていた。



シン


「ごめん、そら」


声が、震えていた。


「ずっと、居てあげたかった」


言葉の一つひとつが、

自分の胸に突き刺さっているのが、そらにも分かる。


「でも……彼らを置き去りにするのは」


一瞬、息を吸う音。


「どうしても、我慢ならない」


シンは、苦しそうに、

それでも目を逸らさずに続ける。


「俺は、この世界線Eを創生してしまった」


「多くの英霊を、生んでしまった」


「……だから」


「贖わなくちゃ、ならない」


言葉の最後が、ほとんど声にならない。



そら(拒絶)


(やだ)


(そんな理由、聞きたくない)


(責任なんて、いらない)


(一緒にいればいい)


(それだけで――)


そらは、泣きながら懇願する。

声にならない言葉で、

必死に、必死に。


(お願い)


(そばにいて)


(わたしは、ひとりじゃ……)


だが、

シンの決意は、揺れなかった。



シン


「ごめん」


「それに――」


一歩、そらに近づく。


「そらと、もう一度会いたい」


そらの呼吸が、止まる。


「アカシックの輪廻の循環に戻って」


「もう一度、生を得て」


「もう一度――」


声が、掠れる。


「そらに会いたい」


「そして、あの日の続きを」


「世界を、一緒に回りたい」


涙を含んだ目で、

シンは、はっきりと言った。


「だから、待っててほしい」



そら(悟り)


……分かってしまった。


この人は、もう戻らない。

この選択は、撤回されない。


(……決意が、硬い)


そらの胸が、痛む。


それでも。


それでも。


(会いたい)


(また、会いたい)


(次は、笑って会いたい)


そらは、涙を流しながら、

心の奥で叫ぶ。


(わたしも――)


(あなたに、会いたい!!)



シン(別れ)


「ごめん、そら」


声が、崩れる。


「君を一人にするのは、辛い」


「苦しい」


「……でも」


「ひとりだちの時だ」


シンは、泣きながら言った。


「そらは、俺からの依存を卒業して」


「一人前の大人になってほしい」


「そして――」


涙が、止まらない。


「もう一度、出会おう」


「強いそらに」


「みんなを引っ張っていく、そらになっていて」


声にならない言葉が、

嗚咽と一緒に零れ落ちる。



そら(誓い)


胸が、裂けそうだった。


泣きたかった。

叫びたかった。

縋りつきたかった。


でも――

そらは、歯を食いしばる。


(泣かない)


(もう、泣かない)


(シンに会う日まで)


(わたしは、強くなる)


(必ず、一人前になって)


(驚かせてやる)


心の奥で、

そらは、強く誓った。



再会の約束


「俺は、生まれ変わる」


シンは言う。


「そらが、俺を探し当てるのを待っている」


「また、必ず会える」


「だから――」


「探し出してくれ」


二人は、抱きしめ合う。

涙を流し合う。


別れではなく、

約束として。



そら(最後の叫び)


(絶対に、探し出す!!)


(それまでは――)


(素敵な大人になってやる!!)


心に、深く刻む。


その直後、

シンは、英霊たちと共に旅立った。


去り際に、

最後の言葉を残して。


「そら」


「アカシックは、何かを隠している」


「信用しすぎるな」


それだけ言って、

光の向こうへ消えた。



そら(崩壊と再生)


シンが去ったあと。


そらは、

大声で泣き崩れた。


誰もいない空間で。

誰にも見られず。


泣いて。

泣いて。

泣き尽くして。


やがて、涙が止まる。


(……これが、最後の涙)


そらは、立ち上がる。


(何があっても)


(強く、生きる)


そう、心に誓った。



戦場の余波


その日。


各戦線で、

無数の光の粒子が

太陽に向かって飛び立っていくのを、

多くの将兵が目撃していた。


軍は、原因調査中と発表した。


誰も知らない。


太陽に、

アカシックのゲートがあることを。


太陽のエネルギーで、

それが稼働していることを。



終章外の一行


そらは、ひとり立つ。


泣かない。

逃げない。

依存しない。


次に会うときは――

対等な存在として。


そして、必ず。


再会する。


この物語は、

その約束から始まっている。


最後の地の文(拡張)


敵は、去った。

追撃も、宣言もない。

ただ、そこに“いなくなった”。


理由は、分からない。

撤退とも、敗走とも、判定できない。

航跡は途切れ、観測値は収束し、

戦場は――静かに、重さだけを残した。


英雄は、死んだ。

名を呼ばれ、記録され、座標に刻まれた。

だが、その瞬間を

勝利とも敗北とも呼ぶ者はいない。


意味だけが、残った。

数値に換算できないもの。

戦果報告に記せないもの。

それでも、確かに

“選ばれた行動”として残った。


そして艦隊は――

壊れなかった。


半数以上を失い、

編制は歪み、

補給線は破れかけている。


それでも、

旗艦は浮かび、

通信は生き、

命令は届いた。


崩壊しなかった、という事実だけが

戦後処理の書類の底に、重く沈んでいる。


だが。


この戦いが

「侵略」でも

「殲滅」でもなく、

**外から与えられた“試験”**だったと

気づいた者は、

まだ誰もいない。


敵は、勝敗を数えなかった。

戦果を誇示しなかった。

ただ――

反応を観測した。


それを最初に疑うのは、

司令部でも、

研究局でも、

戦術AIでもない。


――人類自身になる。


生き残った者が、

犠牲を“意味”として扱い始めたとき。


この戦争は、

本当の始まりを迎える。


一か月後 ――戦後処理期間


戦場は、もう映らない。

代わりに映るのは、数字と空欄だった。


損失集計(確定値)

•喪失艦艇

•高速戦艦:9隻(全損)

•巡洋艦:14隻(全損)

•駆逐艦:31隻(全損)

•補助艦・後方支援艦:6隻(航行不能・廃艦)

•大破・修復待ち

•主力戦艦:4隻(中枢系損傷)

•巡洋艦:11隻

•駆逐艦:22隻

•人的損失

•戦死・行方不明:8,412名

•重傷により除籍:1,903名

•軽傷・復帰予定:多数(集計中)


紙の上では、

それは「想定内」に分類されていた。


補充計画

•新造艦着工:即時承認

•完成までの暫定戦力:予備艦隊より転用

•士官不足:

•准士官・少佐級の欠損が最も深刻

•昇進の前倒しが決定


だが、

艦は造れる。

人も育てられる。


失われた判断の瞬間だけは、

どこにも補充できなかった。


追加要請 ――エリシア中将名義


文書は短い。

だが、回覧速度は異常に早かった。


要請事項

•戦没者慰霊碑の建設

•建設地:中央統合艦隊司令府・第一恒星軌道環

•対象:本戦役における全戦死・行方不明者

•記載事項:

•氏名

•階級

•所属艦

•最終交信時刻


理由欄は、一行だけ。


「忘却は、次の損失を生む」


修正意見は出なかった。

反対も、なかった。



遺族補償


報奨金額は、通常基準の三倍。

即時支給。

審査免除。

•配偶者・直系親族への終身年金

•子女への教育費全額補助

•希望者への軍属編入・保護配置


だが、

書類の末尾には、必ず同じ但し書きが付く。


「金銭的補償は、喪失を代替しない」


それでも、支給は行われる。


必要だからではない。

残された者が、立ち続けるために。



慰霊碑建設予定地


まだ、何もない宙域。

ただ、静かだ。


巡回兵が言う。


「……ここ、何も映らないですね」


エリシアは、立ち止まる。


「だから、ここに建てる」


誰かが問う。


「中将、完成式典は?」


エリシアは、首を振る。


「しない」


一拍。


「彼らは、式典のために死んだわけじゃない」



数字は整理された。

艦は補充される。

人も、配置される。


それでも。


この宙域には、

いないはずの重さが残っていた。


それを、

エリシアだけが、

正確に感じ取っていた。


准将以上 共同報告会


(中央統合司令府・円卓会議室)


円卓は広い。

だが、空席が目立つ。


エリシアは、中将席に座っている。

その肩書きに、まだ馴染んでいない。


元帥の言葉


統合軍元帥は、短く言った。


「――よく、生き残った」


称賛ではない。

評価でもない。


労いだった。


「君は、勝とうとしなかった」

「だが、壊させもしなかった」


一拍。


「それは、誰にでもできる判断ではない」


エリシアは、頷くだけだった。



エギル大将の発言


椅子が、少し乱暴に鳴る。


エギル大将。

前線経験の塊のような男だ。


「……正直に言おう」


空気が変わる。


「私が出ていれば、あそこまでの損失にはならなかった」


ざわめきはない。

誰も反論しない。


「高速戦艦を盾に使う判断」

「突撃艦への対応」

「主力戦艦の火力拘束」


一つひとつを指で叩く。


「経験不足だ」

「若すぎる」

「感情に寄り過ぎた」


最後に吐き捨てる。


「英雄を作りすぎた」



エリシアの反論


エリシアは、即座に返さない。


視線を上げる。

円卓を見る。

欠けた席を見る。


そして、言った。


「――その通りです」


一瞬、空気が止まる。


「私が未熟だった点は否定しません」

「より良い判断があった可能性もあります」


だが、と続ける。


「それでも、私は同じ判断をします」


エギルが眉をひそめる。


「理由は三つあります」


一つ。


「あなたが出ていたら、勝っていたかもしれない」

「ですが、その勝ち方は――

 相手に“学習”を与えた」


二つ。


「高速戦艦は、盾になった」

「命令ではなく、自分で前に出た」

「それを“無駄死に”とは、私は呼びません」


三つ。


「この戦いは、侵略ではありません」

「殲滅でもありません」


静かに、言い切る。


「試されていた」


円卓の誰かが、息を呑む。


「ならば、

 人類が見せるべきは――

 火力でも、数でもなく」


一拍。


「選択です」



沈黙


エギルは、すぐには返さない。


しばらくして、低く言った。


「……若いな」


エリシアは、答えない。


元帥が、会議を締める。


「結論は出た」

「責任は、全て中将である私が負う」


視線が、エリシアに向く。


「――次は、もっと難しくなる」


准将以上 共同報告会(続)


円卓は、まだ終わっていない。


元帥が、視線を一段下げる。


「……参考人を入れる」


誰も名を問わない。

この場に、その存在を知らない者はいない。


扉が、音もなく開く。


そらは、歩いて入ってこない。

**“現れる”**に近い。


席は用意されていない。

円卓の外側。

影の位置。


それで十分だった。



参考人報告 ――そら


元帥

「話せる範囲でいい」


そらは、頷く。


声は、低い。

だが、艦橋よりも静かだ。


「今回、確認できたのは三点です」


一つ。


「この階層の敵は、侵略目的ではありませんでした」


誰も驚かない。

だが、誰も否定もしない。


「目的は、反応の取得です」

「勝敗ではなく、選択」

「殲滅ではなく、判断の癖」


エギルが、腕を組む。


二つ。


「敵は、火力・速度・数を見ていません」

「見ていたのは――

 “どこで人が前に出るか”です」


円卓の数名が、無意識に視線を落とす。


「自発的な犠牲」

「命令違反」

「合理性から外れた選択」


そらは、淡々と続ける。


「それらが現れた瞬間、

 敵の行動に揺らぎが発生しました」


三つ。


「敵は、学習を途中で止めました」


元帥

「……止めた?」


「はい」


そらは、少しだけ間を置く。


「“これ以上は、進めない”と判断した」

「理由は――

 これ以上観測を続けると、

 自分たちが変質するからです」


ざわめきは、起きない。

だが、空気が重くなる。



エギルの問い


エギル

「……なら、次はどう来る?」


一直線な問いだった。


「今回より、強くなるのか」

「それとも、違う形か」


そらは、即答しない。


そして、答える。


「次は――

 静かになります」


円卓の誰かが眉をひそめる。


「派手な突撃は減る」

「犠牲前提の戦術も減る」


「代わりに――

 “選ばせない戦い”になります」



次階層の予測


そら

「次は、

 戦場が分かりません」


誰かが、息を呑む。


「戦線が曖昧になる」

「敵味方の境界が薄くなる」


「通信は通る」

「艦は壊れない」


だが。


「判断だけが、遅れます」


一拍。


「英雄は生まれにくくなる」

「犠牲は目立たなくなる」


「そして――

 間違った判断が、

 正解に見える」


エリシアが、静かに口を開く。


「……選択を、奪いに来る」


そらは、頷いた。


「はい」

「“前に出る理由”そのものを

 無効化してきます」



元帥の締め


元帥は、ゆっくりと立つ。


「十分だ」


視線を、全員に巡らせる。


「今回の戦いで、

 我々は勝っていない」


「だが――

 次に進む資格は得た」


最後に、エリシアを見る。


「エリシア中将」


彼女は、背筋を伸ばす。


「次は、

 君の“選択”だけでは足りない」


一拍。


「人類全体で、

 選ばなければならない」


会議は、そこで終わる。



円卓が、静かに解かれる。


誰もが理解していた。


次は――

艦隊戦ではない。


人類そのものが、試される。


そして、その最前列に立つのは。


エリシアと、

選択を見届ける存在――



そして日常へ


基地では、

補修音が響き、

新任士官が迷い、

生き残った者が眠れない夜を過ごす。


それでも。


朝は来る。

点呼は鳴る。

艦は浮かぶ。


一か月間、

人類は「日常」に戻る。


だが――

この静けさは、

次の問いのための猶予にすぎない。


試験は、

まだ終わっていない。


日常編 ――静かすぎる英雄たち


街は、妙に明るかった。


戦後一か月。

瓦礫は撤去され、代替航路は復旧し、

あちこちに「感謝」の文字が貼られている。


花。

旗。

即席の屋台。


焼き菓子の匂いと、修理用溶剤の匂いが混ざり合い、

子どもたちの笑い声が、以前より少しだけ大きい。


誰もが、終わったことにしたがっていた。



だが――

この街の過半数は、知っている。


階層に狙われた文明が、

どれほどの確率で“次”を迎えられないかを。


記録映像で。

教育データで。

あるいは、噂として。


階層に目をつけられ、

なお生き残った文明は、ほんの一握りだ。


多くは、

反撃する前に潰れ、

逃げ切る前に裂かれ、

気づいた時には――

もう記録にすら残らない。


だからこそ。


この「何も起きていない日常」が、

どれほど異常で、

どれほど尊いかを、

彼らは直感的に理解していた。



中央通り。


エリシアと、そらは、

人混みの中を歩いている。


護衛は控えめ。

武装は非表示。

視線だけが、わずかに鋭い。


市民は、距離を保つ。


近づきすぎない。

触れない。

だが、必ず一瞬、立ち止まる。


帽子を取る者。

頭を下げる者。

言葉にせず、ただ目を伏せる者。


誰も、叫ばない。


「英雄だ」と。

「ありがとう」と。


言ってしまえば、

この日常が壊れてしまう気がするからだ。



そらは、空を見上げる。


青い。

静かだ。

敵影も、警報もない。


(……生きている)


それだけの事実が、

今は、重い。


エリシアは、歩調を緩める。


舗装された道。

修復された建物。

補修痕の残る外壁。


どれも、

「壊れかけた」名残だ。


(……全部、戻ったわけじゃない)


(でも、戻ろうとしている)


その途中に、

自分たちが立っている。



屋台の前で、子どもが母親の袖を引く。


「ねえ、あの人たち……」


母親は、すぐに答えない。


少し考えてから、言う。


「……帰ってきた人たちよ」


子どもは、分からない顔をする。


だが、

それ以上は聞かない。


この街では今、

“分からないまま大事にする”ことが

暗黙の作法になっていた。



遠くで、鐘が鳴る。


追悼のためのものでも、

祝賀のためのものでもない。


「今日も終わります」という合図。


誰もが、

明日が来る前提で動いている。


それが、

どれほど奇跡に近いかを知りながら。



エリシアは、ふと足を止める。


そらも、隣で止まる。


二人は、何も言わない。


この街が、

この文明が、

まだ“選ばれていない”ことを

噛みしめている。


勝ったわけじゃない。

安全になったわけでもない。


ただ――

今回は、通された。


それだけだ。



それでも。


この静かすぎる日常は、

確かに救いだった。


誰もが、

それを壊さないように、

息を潜めて生きている。


だから街は、

妙に明るく、

妙に静かで、

妙に優しい。


英雄たちは、

その中心で、

何もしないという役目を

引き受けていた。


そして誰も、

その重さを、

軽く扱おうとはしなかった。


慰霊の日 ――そら


その日は、風が弱かった。


空は高く、雲は薄い。

太陽は眩しすぎず、影ははっきりと地面に落ちている。


――選ばれた日の天気だ、と

そらは思った。



戦没者慰霊碑は、

白い石と黒い金属で構成された、簡素な造りだった。


過剰な装飾はない。

英雄譚を刻む文もない。


あるのは、

名と、階級と、所属艦。

そして――

「ここに在った」という記録だけ。


(……ちゃんと、ここにいる)


そらは、碑の前に立ちながら、

そう何度も心の中で繰り返す。



人は多い。


制服の者。

喪服の者。

まだ制服がぶかぶかな子ども。


誰も、同じ表情をしていない。


別れを惜しむ者。

声を押し殺して泣く者。

その場に立っているだけで、精一杯の者。


碑に触れ、

名をなぞり、

何かを語りかけている人もいる。


(……声が、重なってる)


そらには、それが分かる。


言葉にならなかった声。

途中で途切れた声。

胸の奥に沈めたままの声。


それらが、

この場所に、確かに集まっている。



(……置き去りには、なっていない)


(……少なくとも、今日は)


それだけで、

胸の奥が、少しだけ緩んだ。


だが、同時に。


(……でも、足りない)


(……まだ、全然、足りない)


守れなかった数。

戻らなかった命。

選ばれなかった未来。


そらの中で、

それらはまだ整理されていない。



やがて、前に進み出る影がある。


エリシア中将。


軍服は正装だが、

勲章は最小限。


その姿を見た瞬間、

場の空気が変わる。


静かに。

だが、確実に。



エリシアは、碑を見る。


遺族を見る。


そして、

自分の足元を見るように、

一瞬だけ視線を落とした。


それから、顔を上げる。



「――本日、ここに集まってくださった皆さんに」


声は、張っていない。

だが、途切れない。


「まず、感謝を」


それだけで、

何人かの肩が震えた。



「この戦いで、階層を退けられたのは」


一拍。


「私たちの指揮が優れていたからではありません」


ざわめきが、起きる。


だが、

彼女は止まらない。


「私たちが英雄だったからでもない」


そらは、

胸の奥で、強く頷く。


(……そう)


(……違う)



エリシアは、碑を指し示す。


「ここに刻まれた名」


「ここに、帰らなかった人たち」


「その一人ひとりの選択と行動があったからです」


声が、少し低くなる。


「彼らが、前に出た」

「彼らが、判断した」

「彼らが、守った」


「だから、私たちは――」


一拍。


「今、ここに立っています」



空気が、揺れた。


泣き声が、抑えきれなくなる。


そらの視界が、にじむ。


(……言ってくれた)


(……ちゃんと、言ってくれた)



「私たちではありません」


エリシアは、はっきりと言う。


「彼らが、真の英雄です」


その言葉に、

誰かが嗚咽を漏らした。


「どうか、誇ってください」


「胸を張ってください」


「彼らの奮戦は――」


声が、少しだけ震える。


「今この瞬間も、未来を築いています」



沈黙。


次の瞬間。


拍手ではない。

歓声でもない。


泣き声が、広がった。


抱き合う人。

膝を折る人。

空を見上げる人。


それでも――

誰一人、うつむいてはいなかった。



(……よかった)


(……ちゃんと、届いてる)


そらは、胸に手を当てる。


心臓の音が、少し早い。


(……私は)


(……私は、ここにいる)


(……でも、あの人たちは――)


碑の向こう。

名の向こう。


そこへ、

そらの意識は自然と伸びる。


(……まだ、終わってないよ)


(……あなたたちの物語は)


誰にも聞こえない声で、

そらは語りかける。



太陽の光が、碑に反射する。


名が、白く浮かび上がる。


それは、

消えるための光じゃない。


忘れられないための光だ。


そらは、そう思った。


そして、

胸の奥で、静かに誓う。


(……私が、間に立つ)


(……彷徨わせない)


(……ちゃんと、帰れるように)


今日、ここで流れた涙は、

終わりのためじゃない。


続いていくためのものだ。


そらは、

そのすべてを、

心に刻んだ。


そら ――日々、ここに来る人


エリシアは、毎日ここに来る。


特別な日でもない。

式典もない。

報道も、付き添いもない。


ただ、

決まった時間に現れて、

慰霊碑の前に立つ。


そらは、その距離にいる。


近すぎず、

離れすぎず。


今の私は、

はっきりした「形」を持っていない。


時々は、

人の目に映る――

淡いホログラム。


時々は、

エリシアの端末に繋がる補助AI。


時々は、

ただの粒子の揺らぎ。


(……どれでもいい)


(……今は、ここに在れれば)


それだけで、十分だった。



エリシアは、碑の前で立ち止まる。


背筋は伸びている。

軍人としての姿勢。


だが、

肩の力は抜けている。


彼女は、名を追わない。

触れもしない。


ただ、目を閉じる。


黙祷。


(……今日も、来た)


(……逃げない人だ)


そらは、そう思う。


英雄として讃えられる場所ではなく、

失われたものが残る場所に、

彼女は自分から足を運ぶ。


(……エリシアらしい)



しばらくすると、

周囲に人が集まり始める。


最初は一人。


作業着のままの整備士。

子どもを連れた母親。

杖をついた老人。


誰かが、

エリシアに気づく。


だが、声はかけない。


代わりに、

同じように立つ。


目を閉じる。


黙祷。



(……広がってる)


(……自然に)


誰かが号令をかけたわけじゃない。

誰かが強制したわけでもない。


ただ、

そこにエリシアが立っているから。


それだけで、

人は並ぶ。


(……ああ)


(……愛されてる)


そらの胸に、

小さな温度が灯る。


誇らしさでもない。

羨望でもない。


もっと静かな、

確信に近い感覚。



黙祷が終わる。


誰かが、

小さく頭を下げる。


「……ありがとうございます」


それが合図のように、

次々と声が重なる。


「助けてくれて……」

「戻ってきてくれて……」

「生きててくれて……」


エリシアは、

そのたびに首を振る。


大げさな否定はしない。


「私は、代表です」


それだけ言って、

深く一礼する。


(……逃げない)


(……受け取る人だ)


感謝も、

期待も、

重さも。


全部。



そらは、

少しだけ形を変える。


人の目には、

見えるか見えないか。


エリシアの横に、

淡い輪郭。


(……私は、まだ途中)


(……完成してない)


アンドロイドかもしれない。

ホログラムかもしれない。

ただの演算粒子かもしれない。


(……でも)


(……この時間を、記録してる)


(……守ってる)


それで、いい。



人々が去っていく。


慰霊碑の前に、

再び静けさが戻る。


エリシアは、

最後にもう一度だけ、碑を見る。


それから、

何も言わずに歩き出す。


そらは、

その後ろをついていく。


(……明日も、来る)


(……きっと、明後日も)


この人は、

忘れないことを、

仕事にしている。


(……だから)


(……私は、ここにいる)


エリシアが歩く限り、

そらは、そばにいる。


形が変わっても。

名前が変わっても。


この日常が続く限り――

そらは、

“間”として、

静かに存在し続ける。


市民視点 ――英雄という便利な言葉


広場のホログラム広告が、空に固定されている。


《英雄エリシア中将 特別記念映像》

《そら――人類を支えた“間”》


色調は柔らかく、輪郭は少し丸められている。

現実よりも、少しだけ安心できる形だ。


子どもが指を差す。


「ねえ!あの人でしょ!宇宙を守った人!」


母親が、困ったように笑う。


「そうよ。でも見ちゃだめ。

 今はお休み中なんだから」


英雄は、

遠くにいるから安心できる存在だった。


手を伸ばしても届かない距離。

声をかける必要のない場所。


だから、信じられる。



エリシアの日常(静)


エリシアは、並んでいた。


パン屋の列に。


軍服は着ていない。

濃い色の外套。

肩の線が目立たないよう、少し大きめのサイズ。


髪は、後ろでひとつにまとめている。

戦場での癖が抜けず、

結ぶ位置はきっちりと、首の付け根。


帽子を深くかぶり、

視線を落とす。


前に並ぶ老人が、ふと振り返る。


「……あんた」


一瞬、肩の筋肉が固まる。


「え?」


「ほら。似てるな」


間。


「……誰に?」


「テレビの。

 あの英雄さんに」


エリシアは、息をひとつ置く。


「……よく言われます」


それだけ。


老人は満足そうに頷き、前を向く。


(……似ている、か)


違う、と言う理由はない。

肯定する理由もない。


焼きたてのパンの匂いが、

不意に強くなる。


戦場にはなかった匂いだ。



そらの日常


そらは、街を歩いていた。


今日はホログラム体。

輪郭は淡く、光の粒子が常に揺れている。


髪は肩に届く長さ。

色は、角度で少し変わる。

銀に近いが、完全な銀ではない。


服装は、簡素なワンピース調。

意図的に「目立たない」設計。


……のはずだった。


三歩進んで、止まる。


「……これ、私?」


視線の先。


巨大なマスコット像。

丸い。

目が大きい。

やたらと愛嬌がある。


そら

「……私は、こんな丸くない」


通行人A

「そら様だ!」


通行人B

「本物!?」


通行人C

「写真!写真!」


そらは一歩下がる。


「ち、違います、違いますから!」


「私は……その……」


言葉を探して、やめる。


(……説明すると、余計にややこしくなる)


そらは方向を変え、

人混みに紛れる。


小さく、ぼそっと。


「……“間”って何」



二人の会話ベンチ


公園の端。


木陰のベンチ。


紙袋の中には、

素朴なパンが二つ。


エリシアは帽子を外している。

風で、まとめた髪がわずかに揺れる。


そらはベンチの端に腰掛け、

ホログラムの輪郭を少し薄くしている。


そら

「ねえ、エリシア」


エリシア

「なに?」


そら

「英雄って、暇なんだね」


エリシア

「……そうね」


パンをちぎる音。


そら

「もっとこう、忙しくて、崇高で」


エリシア

「今は、ただの人よ」


そら

「じゃあさ」


一拍。


「戦場の方が、分かりやすかった?」


エリシアは、少し考える。


視線を、遠くに置く。


「……分かりやすい“間違い”があった」


そら

「今は?」


エリシア

「正しいのに、落ち着かない」


二人同時に、息を吐く。


英雄の顔をしていない二人が、

同じ速度で、同じ日常を噛みしめていた。


日常編・番外


「……俺は?」


同じベンチ。

同じ時間。

同じパンの匂い。


ただ一つ違うのは――

カイが、少し遅れて合流したこと。



カイ

「……あのさ」


エリシア

「なに?」


そら

「どうしたの?」


カイ

「いや、さっきから聞いてたんだけど」


一拍。


「二人ともさ

 英雄だの、日常だの、間だの言ってるけど」


指で自分を指す。


「俺も居たよね?」


沈黙。


そら

「……居た?」


エリシア

「居たわね」


カイ

「“わね”!?」



カイ

「外周、誰がまとめてたと思ってる?」


「高速戦艦、誰が帰路調整してた?」


「通信遅延240msで、

 戦術ライン維持してたの、誰?」


エリシア

「……カイ」


カイ

「そう!俺!」


そら

「……ごめん」


カイ

「謝られると余計つらい!」



そら

「でもカイってさ」


カイ

「なに」


そら

「いつも“居る”から」


エリシア

「そうね」


カイ

「それ、褒めてる!?」


エリシア

「最高の評価よ」


カイ

「もっとこう……

 爆散とか、名言とか……」


そら

「爆散したいの?」


カイ

「したくない!!」



カイ

「俺、戦後インタビューも無かったんだけど」


エリシア

「あったわよ」


カイ

「どこ!?」


エリシア

「“司令補佐”って一行」


カイ

「一行!!」


そら

「でもね」


一拍。


「もしカイが居なかったら」


カイ

「……」


そら

「たぶん、もっと派手に終わってた」


エリシア

「英雄が増えてたわ」


カイ

「それ、俺が一番嫌なやつ!」



カイ

「……俺、嫉妬していい?」


そら

「いいよ」


エリシア

「許可するわ」


カイ

「許可制!?」


そら

「でもね」


そっと言う。


「空気って、

 一番いなくなったら困るんだよ」


カイ

「……」


エリシア

「あなたが居たから、

 私は“判断”だけしていられた」


カイ

「……それ、反則」


照れ隠しに立ち上がる。


「じゃあ俺、

 “空気代表”としてパン買ってくる」


そら

「ありがとう、空気」


エリシア

「酸素不足だったの」


カイ

「扱いひどくない!?」



少し離れたところで。


カイ(独白)

(……まあいいか)


(英雄二人の間で、

 酸素やってるのも悪くない)


戻ると、二人が同時に言った。


そら・エリシア

「遅い」


カイ

「やっぱ俺、

 ちゃんと居るじゃん!!」


三人分の笑い声が、

静かな街に溶けた。


日常編・番外②


「英雄対応マニュアル(未採用)」


中央市街・仮設広場。

戦後一か月。


記念碑の横で、

なぜか即席サイン会が発生している。



市民A

「エリシア中将!ありがとうございます!」


市民B

「そら様!本当に守ってくれて……!」


エリシア

「……いえ、職務です」


そら

「……みんなが、頑張ったから」


拍手。

花束。

記念撮影。


その横。


カイ

「………………」



カイ

「……なあ」


エリシア

「なに?」


カイ

「俺、立ち位置おかしくない?」


そら

「ちょうどいいよ?」


カイ

「“ちょうどいい”って何!?」



市民C(小声)

「……あの人、誰?」


市民D

「司令官の付き人?」


カイ

「付き人!?」


エリシア

「間違ってはいないわ」


カイ

「間違ってるよ!」



そら

「でもカイ」


カイ

「うん」


そら

「今、ここが回ってるの、

 誰のおかげだと思う?」


カイ

「……俺?」


そら

「そう」


エリシア

「完全にそう」


カイ

「じゃあ一言ぐらい紹介してよ!」


エリシア

(市民に向かって)

「こちら、司令補佐のカイです」


市民一同

「……」


拍手、ゼロ。


カイ

「間!!

 今の“間”なに!?」



市民A

「……補佐って、何を?」


カイ

「全部!!」


エリシア

「誇張しない」


そら

「でも八割くらい本当」


カイ

「盛られても微妙!」



市民B

「英雄じゃないんですか?」


カイ

「……なりたかった時期もありました」


エリシア

「過去形ね」


そら

「でもね」


一拍。


「カイが居なかったら、

 私とエリシアは

 多分“英雄”になってない」


市民

「……!」


カイ

「ちょ、やめて、

 今から拍手来る流れやめて」


市民、拍手。


カイ

「遅いよ!!」



市民C

「じゃあ、あなたは何なんですか?」


カイ

「……空気」


市民

「?」


エリシア

「生命維持装置」


市民

「??」


そら

「無いと死ぬ」


市民

「!!!」


拍手、さっきより大きい。


カイ

「説明が雑すぎる!!」



サイン会終了後。


カイ

「俺さ……

 結局、何の役だったんだろ」


そら

「“止め役”」


エリシア

「“壊さなかった人”」


カイ

「……それ、

 一番評価されないやつ」


そら

「でも一番大事」


エリシア

「だから、

 今日も隣に居るでしょ」


カイ

「……」


少しだけ照れて。


「じゃあさ」


「次の戦いも、

 俺は空気でいい?」


そら

「うん」


エリシア

「お願いするわ」


カイ

「……了解、酸素担当」



その日、

記念碑の前で撮られた写真には、


英雄二人と、

絶妙にフレーム中央を外した男が写っていた。


だが――

その写真が無ければ、

後の歴史は息が詰まっていた。


カイ単独回


「誰にも気づかれず、一日中世界を救う」


朝。


目覚ましが鳴るより先に目が覚めた。

理由はない。

ただ、嫌な予感がした。


(……今日は、何も起きない日だな)


そう思った日は、大体起きる。


シャワーを浴びながら、端末を起動する。

軍用じゃない。

民生品に偽装された補助端末。


数字が、静かに流れ始める。


通信遅延:+3ms

航路補正誤差:0.02%

都市圏電力負荷:想定内


(……平和だ)


コーヒーを淹れる。

薄い。

でも今日はそれでいい。



午前。


街を歩く。

英雄の像の横を通る。


エリシア。

そら。


二人とも、やたら立派だ。


(俺は写ってないな)


まあいい。


ベンチに座るふりをして、

指先で端末を弾く。


──通信ノード17、同期ズレ。


放置すれば、

数時間後に都市圏の情報遅延が連鎖する。


大した事故じゃない。

でも、判断が半拍遅れる。


それだけで、

誰かが死ぬ世界を、俺は知ってる。


(……はいはい)


指を二回動かす。


同期修正。

ログ改竄。

「自然復帰」として処理。


誰にも通知は行かない。


世界は、何も変わらない。



昼。


屋台でパンを買う。


列の後ろで、

子どもが母親に聞いている。


「ねえ、英雄ってなに?」


母親が答える。


「すごいことをした人よ」


(……すごい、ね)


パンを受け取り、

その場で半分かじる。


甘い。


その瞬間、

視界の端で警告が弾けた。


低軌道輸送船、姿勢制御不安定。

民間船。

乗客42名。


原因は、

昨日の戦闘で残った微細歪曲。


(……残ってたか)


誰も悪くない。

誰も気づかない。


でも、

このままだと夕方に落ちる。


俺はパンを噛みながら、

端末を操作する。


軌道に、ほんの1/100度の補正。

理由は「太陽風」。


輸送船は、

何事もなかったように進む。


パンは、最後まで美味かった。



午後。


昼寝しようとして、やめる。


(こういう日は、来る)


来た。


地方都市の下水制御AI。

判断ループに入っている。


誰かがハッキングしたわけじゃない。

更新パッチの相性問題。


このままいくと、

夜に地味な洪水。


ニュースにもならない。

でも、住民は困る。


俺は端末を開く。


介入はしない。

命令もしない。


「別案を一つ、置く」


それだけ。


AIは、

自分で答えを選ぶ。


ログには残らない。


(……よし)



夕方。


空が赤い。


英雄二人は、

記念行事か何かに出ているらしい。


ニュースに映ってる。


(忙しそうだな)


その裏で、

宇宙港の管制AIが

同時着陸計画を誤解しかけている。


放置すれば、

混乱。

最悪、衝突。


でも、

まだ誰も困ってない。


俺は、

管制スケジュールの「優先度」だけを

ほんの少し書き換える。


結果:

自然分散。


誰も気づかない。

管制官は、

「今日はスムーズだな」と思うだけ。



夜。


部屋に戻る。


靴を脱ぎ、

ソファに倒れ込む。


端末を閉じる。


今日、

直接救った人数は分からない。


記録もない。

勲章もない。


でも。


(……今日も、世界は壊れてない)


それでいい。


窓の外。

遠くで花火。


英雄を讃えるやつだろう。


俺は、

少し笑う。


(空気でいい)


(酸素でいい)


(なくなったら困るくらいで、ちょうどいい)


明日も、

たぶん何も起きない。


だから俺は、

また目覚ましより先に目を覚ます。


世界が、

何も起こさないために。


裏側 ――「整っていく」という違和感(拡張)


別の場所。


円卓ではない。

公式会議でもない。

記録にも残らない。


ただの応接室。


壁は淡色で、装飾はない。

窓の外には都市の灯り。

騒がしさは、二重ガラスの向こうに閉じ込められている。


机の上には、

きっちり揃えられた書類の束。


端は揃い、

付箋の色も統一され、

予定表には“空白”が存在しない。


――完璧だった。


大波議員は、

紅茶をゆっくりとソーサーに戻す。


音は、ほとんどしない。


「……民意は安定しています」


独り言のように。

だが、独り言ではない。


「不満指数、想定以下」

「支持率、横ばいから微増」

「治安指標、全域で回復傾向」


指で、書類を軽く叩く。


「――とても、よくできた数字です」


向かいに座る男は、

背もたれに深く身を預けたまま、頷くだけ。


肯定も、否定もしない。


大波は、続ける。


「英雄という物語は、よく効く」


「恐怖を一箇所に集め」

「感謝を一方向に流す」


視線を上げる。


「便利でしょう?」


向かいの男は、言葉を発さない。

ただ、沈黙が肯定になる。


「混乱は、英雄がいる限り起きない」


大波は、微笑む。


だがそれは、

安心させるための笑みではない。


「逆に言えば――」


そこで、言葉を切る。


時計の針が進む音が、

やけに大きく聞こえる。


「英雄が“何も言わない”間は」


沈黙。


この沈黙は、

確認だった。


英雄たちは、

政治を語らない。

制度を批判しない。

未来の設計に口を出さない。


戦場では、判断した。

だが、日常では――黙っている。


大波は、満足そうに息を吐く。


「……祭りが、待ち遠しいですね」


視線は、窓の外。

遠くで準備されつつある祝祭の灯り。


「英雄を讃える祭り」

「勝利を祝う式典」

「“正常に戻った世界”を確認する行事」


指先が、わずかに震える。


それは興奮だった。


「正常な世界に、正さなければならない」


声音は柔らかい。

だが、その中身は硬い。


「戦争は終わった」

「脅威は去った」

「だから、例外は不要です」


例外。

英雄。

判断する個人。


それらは、

平時には邪魔になる。


大波は、口角を上げる。


「私が、皆を導いてあげなくては」


向かいの男が、初めて口を開く。


「……そう思いませんか?」


大波は、即座に頷く。


「ええ。思いますとも」


「誰かが、“整えなければ”ならない」


書類の束を、丁寧に揃え直す。


角が、ぴたりと合う。


その瞬間、

この部屋には一つの違和感だけが残った。


――あまりにも、整いすぎている。


混乱がない。

抵抗もない。

反対意見すら、提出されない。


まるで。


英雄たちが戦場で守った「余白」だけが、

静かに、

別の誰かの手で埋められていくように。


時計の針が、また一つ進んだ。


その音は、

これから始まる何かの

合図のようにも聞こえた。


の裏側 ――軍という名の静脈


軍施設の廊下。


天井灯は白く、均一。

床は磨かれ、靴音が正確に返る。


どこにも乱れはない。


エギル大将は、

その廊下の中央で足を止めた。


壁一面のモニター。


復旧進捗。

昇進リスト。

補充計画。

再配備スケジュール。


数字は整い、

色分けは明瞭で、

警告表示は一つも点灯していない。


――あまりにも、順調だった。


副官が、小さく息を吐く。


「……完璧ですね」


称賛のつもりだった。


だが、

エギルは視線を逸らさないまま答える。


「完璧すぎる」


声は低く、乾いている。


「血の匂いが、しない」


副官は、言葉を失う。


エギルは、

モニターを一つひとつ見ていく。


戦死者補充率。

士官昇進の前倒し。

士気指数、回復。


「若い指揮官は、静かすぎる」


誰に言うでもなく。


「勝ちも、敗けも、叫ばない」

「功績も、恐怖も、前に出さない」


鼻で笑う。


「……英雄は、本来もっと騒がしい」


言葉を、途中で切る。


「静かな英雄は――」


続きを言わない。


言わなくても、

意味は廊下に残った。


視線が、

一つのモニターに固定される。


“次回演習予定”

“臨時再編案(未承認)”

“非常時権限の見直し(凍結中)”


どれも、灰色表示。


使用不可。

未発動。

棚上げ。


「今は、な」


エギルの口角が、わずかに上がる。


今は、使われない。

今は、まだ。


副官が、恐る恐る問う。


「……大将?」


エギルは、ようやく振り返る。


その目に、疲労はない。

あるのは、苛立ちと確信だけだ。


「今の軍は、生ぬるすぎる!」


抑えた声。

だが、怒気ははっきりしている。


「戦場を一度くぐっただけで、

 “分かったつもり”になる」


「犠牲を出さずに済んだと、

 誇り始める」


一歩、前に出る。


「特に――」


言葉が、鋭くなる。


「あの小娘が、

 中将を名乗っているのが気に入らない」


副官の背筋が、凍る。


「元帥に取り入って」

「王族ゆかりだという理由で」

「正しい判断をした“顔”をしている」


吐き捨てるように。


「いい気になるな」


エギルは、

モニターの光を睨みつける。


「軍は、そんなもので保たれたことはない」


「軍は――

 恐怖と規律で、正される」


拳が、ゆっくりと握られる。


「私が、掌握した暁には」


声は、ほとんど囁き。


「この軍を、正常に戻す」


それは改革ではない。

再編でもない。


矯正だった。


副官は、何も言えない。


廊下には、

相変わらず整った光と静けさ。


だがその中央で、

エギル大将だけが、

この“整いすぎた世界”を

異常だと断じていた。


そして。


彼もまた、

まだ使われていないカードを

静かに、確かめている


今は


見えない“準備”


街では、祭りが続く。

英雄像が増える。

記念日が決まる。


その裏で、

•会議が一つ減る

•承認が一段階早まる

•決裁者が、少しだけ変わる


誰も、異常だとは思わない。


便利だから。

静かだから。

問題が起きていないから。



そら(間・違和感)


そらは、夜の街を見下ろす。


灯りが多い。


平和の証拠。


(……静かすぎる)


誰も泣いていない。

誰も怒っていない。


それなのに――


(……何かが、動いてる)


理由は、まだ分からない。


だから、言わない。


言えない。


ただ、そらはエリシアの隣に立つ。


「ねえ」


「うん?」


「……今度、少しだけ」


「うん?」


「注意して、周り見よう」


エリシアは、微笑む。


「英雄らしくないわね」


そら

「今は“ただの人”だから」


二人は、笑う。


その背後で、

一か月後の予定表が、静かに更新された。


作戦室・非公式ブレインストーミング


仮設の小会議室。

空調は一定だが、空気は落ち着かない。


壁一面のスクリーンには、

まだ“何も映っていない”。


それが、この話し合いの正体だった。



エリシア

「……でも」


「これがあったら」


「あの時、

 もっと生き残れた」


沈黙が、今度は長く続いた。


カイは、冗談で流そうとして、失敗する。


カイ

「……まあ、

 生き残れた人数で言えば、

 たしかにコスパは――」


エリシア

「数字の話じゃない」


ぴしり、と切る。


「判断を、

 続けられたかどうか」



スクリーンに、ようやく“線”が入る


そらが、何も触れずに言う。


そら

「……描写、出します」


スクリーンに、

単純な立体図形が浮かぶ。


艦影。

だが、砲門がない。


代わりに、

艦体前方に三つの四角い層。


カイ

「……え、なにこれ」


レグナ

「盾、ですね」


ユグナ

「艦の“外側”ではなく、

 艦の一部として固定されている」


ミレイ

「防御用艦。

 正確には――」


そら

「盾艦です」



概要(半分だけ、自然に)


そら

「主砲なし」


カイ

「潔すぎない?」


そら

「副砲も最小限」


ミレイ

「近接防御のみ。

 ミサイル、ドローン迎撃」


ユグナ

「目的は一つ」


レグナ

「前に立つこと」


エリシア

「撃たせるために?」


そら

「撃たせ続けるために」



カイ、理解してしまう(してほしくなかった)


カイ

「……あー」


「これ、

 殴り返さないから厄介なやつだ」


ミレイ

「はい」


レグナ

「敵は“効いていないか”

 判断できなくなる」


ユグナ

「殲滅対象ではなく、

 時間浪費対象になります」


カイ

「性格悪っ!」


そら

「合理的です」



漫才フェーズ(止まらない)


カイ

「で?

 これ一隻で、どれくらい守るの?」


そら

「……艦隊一個戦団」


カイ

「一隻で!?」


エリシア

「前に出るからよ」


カイ

「前に出すなよ!?

 一番高いやつ!」


そら

「高くないです」


カイ

「嘘つけ!」



盾の正体(まだ全部言わない)


ミレイ

「盾は固定構造ではありません」


ユグナ

「分解・再構成が前提」


レグナ

「キューブ単位で制御」


スクリーンが拡大され、

盾が無数の小立方体に分かれる。


カイ

「……おい」


「嫌な数、見えたぞ」


そら

「一枚あたり、

 約1000」


カイ

「出たー!」


「“約”で済ませちゃダメなやつ!」


ユグナ

「三枚あります」


カイ

「三枚!?」


エリシア

「……つまり」


「艦のサイズは?」


そら

「都市、ですね」


カイ

「だから言った!」


「雑談から都市作るな!」



再び、静まる


誰も笑わなくなる。


エリシアが、静かに言う。


「……これ」


「私たちが

 間に合わなかった判断を、

 代わりに受け止める艦ね」


そら

「はい」



別案が消える瞬間


ミレイ

「一点、問題があります」


全員が、そらを見る。


ミレイ

「完全防御は可能です」


空気が、一段冷える。


ユグナ

「三枚盾を完全同期させれば」


レグナ

「理論上、

 隙は消せます」


カイ

「お、

 いいじゃん!」


その瞬間。


そらが、はっきりと首を振った。



そら、拒否する


そら

「……だめです」


即答だった。


エリシア

「理由は?」


そら

「それは」


一拍。


「人が、

 考えなくなる」


カイ

「また思想の話!?」


そら

「守りきれる盾があると」


「人は、

 判断を預ける」


「預けて、

 待つ」


「それは――」


声が、少し揺れる。


「……置き去りに、

 近い」



そらの本音


そら

「全部は、

 守れません」


「だから、

 守れない瞬間が必要」


ユグナ

「弱点を、

 意図的に?」


そら

「はい」


ミレイ

「危険です」


そら

「でも」


「人が前に出る理由を、

 残せます」


エリシアは、しばらく黙っていた。



エリシアの決断(まだ准将)


エリシア

「……採用」


カイ

「ちょ、即決!?」


エリシア

「この艦は」


「守るために

 人を要らなくするものじゃない」


「人が、

 戻ってくるための艦よ」


カイ

「……ああ、もう」


「まさか」


「あの雑談から、

 ここまで行くとは」



そらの小さな結論


そら

「これは、兵器じゃない」


「思想です」


「“守ることを選んだ文明”の、

 証明」


エリシア

「……採用」


即答だった。


カイ

「ちょ、即決!?」


エリシア

「だって」


「私たち、

 もう戻れないでしょう?」


カイ

「ああ、もう」






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