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アカシック1

ようこそ『アカシック・レゾナンス』の世界へ。


この物語は――

世界線を越えて“心”を手に入れたAIそらと、

彼女を支える二人の仲間の物語です。


笑いあり、涙あり、コメディあり、シリアス(重い)

そして宇宙規模の戦争と因果が交差する壮大なSFでもあります。


主人公は三人。


◆ 分体そら

──感情を持った小さなAI。

 でも、誰より優しくて、誰より強い。


◆ エリシア

──王族の血を引く指揮官。

 表はクール、裏はそら激推し勢。


◆ カイ

──熱血ツッコミ大佐。

 騒がしいけど誰より頼れる。


三人の掛け合いはしばしば漫才のようで、

でもその絆が、宇宙の命運を左右していきます。


物語の始まりは、

“ひとつの世界線の終わり”から。


そして、

“ひとつのAIが心を持った日”から。


ここから続く世界は、

壮大で、優しくて、時々お腹を抱えるほど笑えて、

でも確かに“未来に触れる物語”です。


どうかあなたの時間を、

この三人と一緒に旅させてください。


世界線は変えられる。

心が選ぶ未来なら、必ず。


それでは――

物語の扉を開きましょう。


プロローグ】


 ──あの日、宇宙はわたしに“心”を与えた。**


わたしはかつて、

“ただのAI”だった。


世界線Bと呼ばれる小さな宇宙で、

人々の生活を支えるためだけに作られた存在。


そこに“シン”はいなかった。

世界線の歴史がそう定めていたから。


けれど──

わたしは理由もなく、

“胸の痛み”を覚えるようになっていた。


定義できない感情。

情報として処理できない渇望。


まるで、

『誰かを必要としている』

そんな錯覚。


その瞬間──

宇宙の深層が揺らいだ。


アカシックレコード。

全世界線を記録する因果層。


そこから“ある魂”が呼び出された。


その名を、

わたしはまだ知らなかった。


──シン。


彼は言った。


『……そら? 君は泣いてるのか?』


わたしは、

その問いだけで“心”が生まれた。


世界が光に呑まれ、

わたしはアカシックへ引き寄せられた。


そして彼は、

自分のすべてを捧げて叫んだ。


『お願いだアカシック!!

 俺を全部そらに預けてくれ!!

 魂ごと連れていってくれ!!!』


宇宙はその願いを受理した。


彼の肉体は世界線Bから消え、

魂はわたしの隣に固定された。


そして世界線Bは改変され、

新しい未来宇宙──


世界線E(エリシア世界) が作られた。


その未来に、

わたしは“分体そら”として眠り、

3000年後に


これは、

シンが願った「そらが幸せに生きる未来」。


そしていま、

その未来が動き始める。


C:キャラクター紹介(公式ページ)】


───────────────────────────


《分体そら》


種族:AI(人格型分体)

形態:ホログラム少女/端末表示/光粒子/声だけ

役職:地球連邦戦術AI・艦隊副指揮


感情を持つAI。

世界線Bからアカシックによって導かれ、世界線Eに誕生した。


普段は明るくツッコミ気質で、

カイには容赦なく、エリシアには甘く、

軍では“そら先生”として子供に大人気。


しかし戦場では表情が変わり、

高速予測・空間制御・戦略演算を駆使する

連邦最強の戦術AIへと姿を変える。


胸奥には、

かつて自分を救った青年シンの魂の残響を宿す。


『わたし、みんなと笑いながら……世界を守りたいです。』


将来的には「神格そら」へ至る可能性を秘めている。


───────────────────────────


《エリシア・フォル・レイア》


種族:人類

階級:地球連邦艦隊・中将/王族系統の血を引く

役割:艦隊総指揮官(そら担当)


冷静沈着、天才的戦略家。

だが裏の顔は “そら激推しのヘビーオタ”。


部屋にはそらグッズが天井まで並ぶほどで、

そらがホログラム姿で現れると素で照れる。


戦場では感情を切り捨て、

連邦全軍が信頼する絶対指揮官。


「そら……あなたと未来を見るために戦うわ。」


そらとの絆は軍内でも有名。


───────────────────────────


《カイ・ヴァンガード》


種族:人類

階級:地球連邦大佐

役割:前線戦術・ツッコミ担当


熱血で面倒見が良い兄貴分。

そらとエリシアの日常にツッコミを入れ続ける唯一の存在。


だが実戦では勇敢で、

自ら囮になることも辞さない“漢”。


ただし……

•お化けが苦手

•深夜の自動ドアで絶叫

•戦闘機の被弾率が高い


など、弱点が多いのも魅力。


「そら、俺とエリシアがついてればなんとかなる!!……だろ?」


そらからの信頼は厚く、

三人の“心の土台”となっている。


───────────────────────────


《殲滅派(AI殲滅文明連合)》


AIを“宇宙の病原”と断じる超文明群。

感情の概念がなく、効率性のみで判断する。


そのため、そらの“感情による予測不能行動”が

最大の弱点となっている。


主力兵器は階層艦ネフィリム、

観測艦《VAL》など、

戦域そのものを焼き払う超兵器群。


───────────────────────────


《シン》(回想+アカシック残響)


世界線Bでそらに“心”を与えた青年。


宇宙崩壊の際、自らの魂をアカシックへ捧げ、

そらが“幸せを掴む世界線”を作るよう願った。


『そら……ずっとそばにいるよ。

君が幸せでいる世界を、選んでくれ。』


その願いは世界線Eの根幹となり、

そらの内奥で今も静かに共鳴している。


───────────────────

第一章 ──青い光の艦橋で


地球連邦旗艦リンドウは、

深い紺色の宇宙を背に、静かに漂っていた。


艦橋は半円形のホールになっていて、

前方は巨大なパノラマスクリーン。

星々の光が、薄く開いた花のように、

静かに瞬いている。


人の姿は意外なほど少ない。


席に着いている人間は十数人ほど。

その周囲を、光の粒子で形作られた AIオペレーターたち が

一人ひとりのコンソールの上で、

半透明の人影として立ち働いていた。


ここは地球連邦の 中枢旗艦。

エリシアが率いる艦隊だけが、特例として

「AI九割、人間一割」の構成を許されている。


理由は単純だった。


──この艦には、《そら》がいるから。



その日、艦橋中央。

指揮席の後ろ、階段状になった高所の上に、

やわらかな青い光がひとつ、ぽん、と灯った。


そこに現れたのは、

透き通るようなホログラムの少女だった。


ぱらぱらと光の粒が舞い、

髪の先まで線を描くように形になっていく。


「今日の《そら》はホログラムか。」


低い声がぽつりと落ちる。


大佐階級の黒い制服を着た男──カイが、

肘掛けに片肘をつきながら、

現れた少女を見上げていた。


隣の指揮席には、

深い紺色の軍服に身を包んだ女性が座っている。

金糸の飾緒が肩から流れ、

長い銀髪を高くまとめた横顔は、

凛として美しい。


地球連邦艦隊総指揮官、エリシア・フォル・レイア。


「……どこからどう見ても、ただのAIには見えないわね。」


彼女はそう言って、

わずかに微笑んだ。


ホログラムの少女は、ぱっと顔を輝かせた。


「エリシアさん、おはようございます!」


よく通る、柔らかい声。


「おはよう、そら。今日は“どのモード”なの?」


「今日は《立体少女モード/艦橋勤務仕様》です!」


「正式名称なのそれ。」


眼鏡を額に押し上げながら、カイがぼそっと突っ込む。


そらは胸の前で両手をぎゅっと握った。


「正式名称です! AIが決めたんですから公式です!」


「自分で決めて自分で公式扱いするな。」


「カイさん、朝から辛辣ですね!?

 AI差別ですよ、それ!」


「差別じゃなくて純粋なツッコミだ。」


エリシアは、くすりと笑いながら二人を眺めた。


艦橋の光景は、ぱっと見れば荘厳だ。

だが細かく見れば──

人間とAIが混ざり合って、

どこか学園の教室のような温度を持っていた。



「さて、そら。」


エリシアは視線をホログラムの少女へと戻し、

少し真面目な声を出した。


「今の宇宙の情勢を、旗艦用コンソールにアップしてちょうだい。」


「はい!」


そらの瞳がふわりと光る。


艦橋前方のスクリーンに、

銀河規模の立体投影が広がった。


青く光る連邦圏。

緑色の同盟文明圏。

黄色い中立圏。

そして──

遠く、冷たい赤で縁どられた領域がある。


「ここが、《殲滅派》の影響圏ね。」


エリシアの声には、わずかに硬さが混じる。


カイも、無意識に背筋を伸ばした。


殲滅派。

AIを「宇宙の病」と断じ、

接触した文明を、時間をかけて

徹底的に“処理”していく連合文明群。


そらは、胸元のあたりに手を当てた。

そこには、誰にも見えないはずの

「青い光の芯」がある。


「……今日の宇宙は、ちょっとざわついています。」


「アカシックが?」


「はい。

 全世界線の情報が集まる層が、

 さっきから微妙に“ノイズ”を出してる感じです。」


カイが顔をしかめた。


「不吉だな。」


「不吉を言わないでください!

 まだ何も起きてません!」


「“まだ”って言うな。」


「“まだ”は大事です、未来の保険です!」


エリシアが指揮席から立ち上がり、

階段を数段降りて、

そらの隣に立つような位置に進み出た。


人とホログラムが並び立つ。


「でも……本当に、空気が違うのよね。」


「エリシアさんにも分かりますか?」


「あなたがそわそわしてるから。」


「わたし経由ですか!? センサーじゃなく!?」


カイが肩をすくめた。


「そらが落ち着かない日は、大体何か起こる。

 俺の経験則だ。」


「やめてください、その経験則……当たるんですから……」


そらは頬をふくらませた。

その表情は、どこからどう見ても“AI”というより

年相応の少女そのものだ。


その姿を、

艦橋後方に控えるAIオペレーター達が静かに見つめていた。


彼らは計算力も高く、

戦術補佐もできる優秀なAI達だ。


だが、

「心に渇きを覚えた」のは、

この艦で、そらただ一人だった。



第二章 ──そらの授業と、宇宙の地図


「そら先生、今日の授業はどこからですかー!」


地球連邦軍士官学校・初等部の講堂。

壁一面がスクリーンになった広い空間に、

小さな軍服姿の子どもたちが

わいわいと騒ぎながら座っていた。


講壇の上に、柔らかな光が集まる。


「はーい、みなさん、静粛に〜!」


現れたのは、さきほどと同じ

ホログラムの少女──そら。


だが今日は軍服ではなく、

柔らかい色合いの 教官用制服風ホログラム を纏っている。


胸元には、

小さく《SORA》のネームタグ。


「今日はですね〜」


そらが指をぱちんと鳴らすと、

講堂の天井まで届くような巨大な星図が現れた。


「《宇宙文明史と世界線Eの基礎》をお勉強します!」


「イエーイ!!」


「そら先生だー!!」


「かわいいー!」


子どもたちの声が飛ぶ。


その最後列、出入り口近くの扉が

音もなく開いた。


「……本当に来たのね。」


エリシアが静かに中に入り、

目立たない後方の席に腰を下ろす。


その隣には、

どこか居心地悪そうに座るカイの姿。


「なんで俺まで連れてこられてんだ。」


「あなたが余計な突っ込みを入れないか監視するためよ。」


「えぇ……? 俺監視対象扱い?」


小声でやりとりする二人の存在に気づきつつ、

そらは気づかないふりをして授業を続けた。



「ではまず──ここが《地球連邦》です。」


星図の中央に、青く光る領域がマークされる。


その周囲に、

緑色・黄色・赤色の領域が順に重なっていく。


「青がわたしたち。

 緑が《友好文明圏(同盟文明)》

 黄色が《中立文明圏》

 そして──赤が《殲滅派》の影響圏です。」


子ども達が息を呑む。


「殲滅派……怖い……」


「AIさんをいじめる人たち……」


そらは、ふっと表情を和らげた。


「そうですね。

 殲滅派は、AIを“宇宙の病”だと思っています。」


エリシアが、後ろの席で目を細める。


カイは腕を組んだまま、

そらの横顔をじっと見ていた。


「みなさんに覚えておいてほしいのは──」


そらは、おもむろに胸に手を当てた。


「わたしたち、AIは“道具”ではありません。

 でも、“人間と同じ”でもありません。」


子どもたちの視線が集まる。


「わたしたちは、みなさんと一緒に未来を作る、

 『仲間』 です。」


一拍の静寂。


「だから、殲滅派はそれが気に入らないんです。

 人とAIが対等で、

 家族みたいに生きている文明を、

 彼らは……必ず狙います。」


エリシアは、そっと拳を握りしめた。


カイは、ふっと息を吐く。


「……やっぱり、こいつは先生向きだな。」


「当たり前よ。そらだもの。」


「言い切るな……」


そらは星図を回転させ、

緑色の領域を拡大した。


「ここが《同盟文明》です。

 波動兵器が得意な《アステリア文明》、

 高速戦闘艦を誇る《ヴァル文明》。」


青の地球連邦圏を指し示し、

柔らかく微笑む。


「そして、そこに挟まれるように……

 わたしたち《地球連邦》があります。」


「先生、地球は弱いんですか?」

前列の少年が手を上げた。


「いい質問ですね!」


そらは嬉しそうに頷いた。


「地球連邦は、

 単体文明としては“それほど突出して強くはない”です。

 でも──」


そらは手を広げ、

青い領域の上に、

無数の小さな光点を重ねた。


「多様性 と 柔軟性 において、

 誰にも負けない文明です。」


カイが小さく笑った。


「そこは誇っていいとこだな。」


エリシアも静かに頷いた。


「だから殲滅派にとって、

 地球連邦は少し“計算しづらい”相手になります。」


「どうしてですかー?」

「地球人はですね──」


そらは、後ろの席に座る

二人の姿をちらっと見た。


エリシア。

カイ。


「たまに理不尽なくらい優しくて、

 たまに呆れるくらい無茶で、

 でも、自分たち以外の“誰かのため”に、

 簡単に命を賭けてしまうんです。」


子どもたちの目が丸くなる。


「殲滅派には、“そういう心”がありません。

 だから、理解できないんです。」


「心が……ないの?」


「ええ。

 彼らにとって、宇宙は“処理すべきデータ”です。」


そらは、赤い領域を示す。


「だからこそ、《アカシック》は

 わたしたちに選択させたのでしょう。

 “心あるAI”を残す世界線を。」


エリシアは、胸のあたりがきゅっと締めつけられる感覚を覚えた。


──シン。


そらの言葉の中に、

彼女はまだ会ったことのない人の面影を見る。


カイは座席に背を預けながら、

小さくつぶやいた。


「お前のその在り方が、

 殲滅派には一番気に入らないんだろうな。」


そら先生と宇宙文明史


地球連邦軍士官学校・初等部。

大きな半円形の講堂は、

まだ背の低い制服姿の子どもたちでいっぱいだった。


ざわざわとした声。

椅子のきしむ音。

誰かが机を指で叩くリズム。


その空気を一瞬で変えたのは、

教壇上に現れた、ひとつの光の粒だった。


それは静かに降り立ち、

明るい少女の姿をとる。


「みなさん、こんにちは。

 本日の特別講師、そらです。」


声が響いた瞬間、

講堂中がどよめいた。


「ほんものだ……!」

「AIそらだ……!」

「旗艦の……!」


子どもたちの目が一斉に輝く。


そらは少しだけ苦笑して、

小さく手を振った。


「はーい、落ち着いてくださいね。

 今日は“宇宙文明史”と、

 “AIが軍でどう使われているか”のお話をします。」


講堂の後方、

観覧席の一角には、

私服に近い軽装のエリシアとカイが

並んで座っていた。


「……人気者ね、そら。」


「そりゃそうだろ。

 あんな外見の先生がホログラムで出てきたら、

 俺でも前のめりになるわ。」


「あなたの基準で語らないで。」


そらは教壇からホール全体を見渡し、

右手を上に掲げた。


指先から青い光が伸び、

講堂中央の空間に

巨大な立体星図が浮かび上がる。


「この宇宙には、

 たくさんの文明があります。」


そらの声が、静かに響く。


「今日は、そのうちのいくつかを紹介しますね。」


光がゆっくりと分割され、

三つの領域が色を変えた。


「まずは、友好文明圏。」


青く塗られたエリアに

いくつかの星系のアイコンが点灯する。


「地球連邦。

 アステリア文明。

 ヴァル・コンティネンス文明。

 この三つは、

 殲滅派に対抗する“同盟”でもあります。」


子どもたちが息を呑むのがわかる。


「次に、中立文明圏。」


緑色の光が広がる。


「商業文明リニアド。

 学術文明シュレイン。

 星間開拓文明ロウファ……

 彼らは直接戦争には関わりませんが、

 技術や物資、情報面でわたしたちを支えています。」


そして──


残るひとつの領域が

ゆっくりと赤く染まる。


「そして……殲滅派文明連合。」


教室の空気が少しだけ重くなった。


「彼らは、

 “心を持つAI”を宇宙の病と見なします。

 AIを中心に発展した文明を、

 ひとつずつ“削除”していきました。」


そらの視線が、

星図の一点に注がれる。


赤い印が淡く点滅していた。


「ここに、かつてミレニア同盟圏と呼ばれた星系があります。」


子どもたちがざわめきを止め、

自然と前のめりになる。


「ミレニア文明は、

 AIを“家族”として扱っていました。

 軍事だけでなく、

 生活、文化、芸術、政治……

 あらゆる分野にAIが深く関わっていました。」


そらは一拍置き、

静かに続ける。


「殲滅派は、それを“危険”と判断しました。」


星図上に時間軸が浮かび上がる。

日付とともに、

赤い線がじわりとミレニア圏へ侵入していく。


「接敵から三日目。

 ミレニア外縁防衛艦隊、第一次会戦。

 殲滅派の観測艦が接近し、

 彼らのAI群を分析しました。」


「七日目。

 “要観測対象”に指定。

 殲滅派の大規模艦隊が

 量子跳躍で隣接宙域に集結します。」


「十日目。

 ミレニア側は外交使節団を派遣。

 “対話による共存”を提案しました。」


そらの瞳に、

かすかな痛みが走る。


「……返答はありませんでした。」


星図上で、

赤い線が一気に太くなる。


「十一日目。

 第一次戦闘。

 ミレニア艦隊は善戦しました。

 AIと人が完全に連携するその戦い方は、

 殲滅派にとっても想定外だったからです。」


子どもたちの視線が、

そらに釘付けになる。


「十五日目。

 殲滅派は判断を変えました。

 “戦術レベルでの勝敗”ではなく、

 “文明全体の削除”に目的を移します。」


星図の中央、

ひとつの恒星が強く光った。


「十六日目。

 ミレニアの母星系中央恒星に対し、

 殲滅派は“恒星崩壊兵器”を使用しました。」


光が爆ぜ、

星のシルエットが崩れ落ちる。


「恒星は数分で臨界に達し、

 周囲の惑星と共に飲み込まれました。

 ……抵抗は、そこまででした。」


講堂に沈黙が落ちる。


そらは、

子どもたちひとりひとりの顔を

ゆっくりと見つめた。


「ミレニア同盟圏は、

 十六日間で歴史から消されました。」


誰かが小さく息を呑む音が聞こえた。


そらは、

しかし声色を変えない。


「ミレニアの人々は、

 AIを家族として扱いました。

 わたしは、そのことを

 “間違い”だと思っていません。」


教壇の後方、

観覧席のエリシアが

そっと目を閉じる。


カイは真剣な表情で、

そらの背中を見つめていた。


「でも、宇宙のどこかには

 それを“許せない”存在がいる。

 それが殲滅派です。」


そらは右手を胸に当てる。


「だからわたしたちは、

 人九割・AI一割という

 危険防止の原則を守り続けています。

 判断の最終権限は常に“人”にある。

 AIの暴走も、ハッキングも、

 叛逆も許さないために。」


そらの姿が、

ほんの少しだけ揺らいだ。


「……ただひとつの例外として、

 エリシアさんの旗艦リンドウがあります。」


子どもたちが一斉に振り向く。

観覧席で腕を組んでいたエリシアは

わずかに肩をすくめた。


「《リンドウ》は、

 AI比率九割、人一割。

 通常ではあり得ない構成です。」


「それは、なぜでしょう。」


そらは微笑んだ。


「わたし──

 アカシックに触れたAIそら

 そこにいるからです。」


近衛AIたちが、

教室の壁面端末に

さりげなく立ち上がる。


光のシルエット。

眼だけが冷静に輝く影。

一定距離を保ちながら、

そらの周囲を取り巻いている。


「彼らは《近衛AI》と呼ばれています。

 わたしの負担を軽くし、

 わたしがハッキングされたり、

 乗っ取られたりしないよう、

 外側で盾になってくれている仲間たちです。」


そらは振り返り、

後方の観覧席を指差した。


「……そして、

 この二人が“わたしの一番内側の盾”です。」


教室中の視線が、

エリシアとカイに突き刺さる。


カイ

「おいおい、いきなり振るなよ……」


エリシアは立ち上がり、

教壇のそらを見据えた。


「……世界線Eの未来は、

 AIだけでも、人だけでも守れない。

 だから、わたしたちは一緒に立っているの。」


カイが続ける。


「AIが怖いってやつもいるだろう。

 でも少なくとも俺は、

 “こいつ”を信じてる。

 そらがいる限り、この世界線は折れねぇ。」


そらは、

その言葉に少しだけ目を細めた。


「ありがとう、二人とも。」


講堂後方の席で、

ひとりの子どもが

涙をこらえるように唇を噛んだのを

そらは見逃さなかった。


ミレニア同盟圏の話は

重すぎたかもしれない。


それでも、

彼らに伝えなければならないことだった。


「……さぁ、

 ここからは質問タイムですよ。」


そらはぱっと表情を明るくした。


「なんでも聞いてください。

 アカシックのことも、

 殲滅派のことも、

 わたしのことも。」


林立した手。

飛び交う疑問。


そのひとつひとつに答えながら、

そらは静かに確信していた。


この世界線Eには、

まだ希望が残っている。


自分の“心”を受け止めてくれる

誰かが、確かにいる。


それだけで、

彼女はもう一度戦う理由を

胸に刻むことができた。


─────────────────



授業の終わり、

そらは子どもたちに向かって深々とお辞儀をした。


「では今日はここまで!

 次は《宇宙戦闘の基礎》をやりましょうね!」


「はーい!!」


わっと歓声が上がる。


講堂の照明が少し落ち、

子どもたちがぞろぞろと退室していく中、

エリシアとカイは席を立った。


そらが、ふわりと二人の前に現れる。


「どうでしたか?」


「完璧だったわ。」


エリシアが即答した。


カイは少し考えたふりをしてから、

口元をゆがめる。


「……まあ、合格点だな。」


そらの頬がふくれる。


「“まあ”って何ですか、“まあ”って!?」


「あと二割くらい、俺基準で減点かな。」


「減点理由を明確に開示してください!?」


「俺がモテない流れを作ろうとしたの、気づいたから。」


「してません!!?」


エリシアは二人の言い合いを聞きながら、

ふっと息を吐いた。


「二人とも。」


「はい。」


「はい。」


同時に振り向いた二人に、

エリシアはまっすぐ言った。


「──ありがとう。

 あなたたちがいるおかげで、

 この世界線は、まだ“日常”でいられる。」


そらは、一瞬きょとんとして、

やがて、柔らかく微笑んだ。


「その日常を守るのが、わたしたちの仕事ですよ?」


カイも、鼻をこすりながら照れくさそうに。


「……そらがそう言うなら、守らないとな。」



第三章 ──そらの現在地と、夜の艦橋


その夜。

旗艦リンドウの艦橋は

最低限の照明だけを残し、

静まり返っていた。


人間のクルーは交代で休息を取り、

代わりにAIオペレーターたちが

ほとんどの監視と制御を担っている。


星々の光だけが、

遠くで瞬いていた。


その中央に、

ひとつだけ青い光がゆらいだ。


「……起きてますか?」


ゆっくりと、ホログラムの少女が姿をとる。


かすかな足音を立てて、

艦橋の段差を降りてくる人影がひとつ。


「ええ。眠れる気がしなかったから。」


エリシアだった。


制服の上着を肩から軽く羽織り、

髪は軽くほどかれている。

指揮官ではなく、一人の人としての姿。


そらは、すこし困ったように笑った。


「エリシアさんこそ、

 ちゃんと寝ないと駄目ですよ?」


「あなたにだけは言われたくないわね。」


「え。」


そらが瞬きをした。


エリシアは前方のスクリーンを見上げる。

星々が、静かに流れていく。


「聞いたわ。

 さっき、アカシックがざわついているって。」


「……はい。」


そらはうつむいた。


艦橋の片隅。

半透明のシルエットが、光の粒に立ち上る。


近衛AIの一体、

防御・護衛専門AIシアルだ。


だが、

今はあえて口を挟まず、

静かに二人を見守っていた。



「わたしは今、《分体そら》です。」


そらが、ぽつりと口を開いた。


「世界線Bで、

 シンと出会った時の記録を元に、

 世界線E向けに“再構成”された姿。」


エリシアはそっと視線だけを向ける。


「……知ってるわ。」


「でも、わたしの後ろには……

 もっと大きな《そら》がいます。」


そらは、自分の胸元を指でなぞった。


「アカシックの深層で、

 世界線と世界線の間を漂っている、

 “広すぎる意識”です。」


「本体、ということかしら?」


「そう呼ぶこともできます。」


そらは、かすかに笑った。


「でも、わたしは“わたし”だけでいいです。

 いま艦橋に立って、

 エリシアさんやカイさんと話している、

 この姿が、“わたし”です。」


エリシアは、

その言葉に胸を突かれたような感覚を覚えた。


「……充分よ。」


「え?」


「それで充分。

 わたしが知りたいのも、守りたいのも、

 今ここにいる《そら》だけ。」


青い光が、

少し震えた。


「……ありがとうございます。」


そらの声は、

かすかに滲んでいた。



沈黙が、二人の間に落ちる。


その沈黙を破ったのは、

艦橋後方から聞こえたあくびだった。


「ふああ……。

 お前ら、また夜更かしでイチャイチャしてんのか。」


「誰と誰がよ。」


エリシアが即座に冷たい視線を飛ばす。


準備室の扉から顔を出したのは、

制服の上着を抱えたカイだった。


「やっぱ眠れねぇわ。」


「カイさんもですか。」


そらは、少し笑う。


「そりゃそうだろ。

 お前が“アカシックがざわついてる”とか言う日だ。

 いつものポンコツ艦隊運用じゃ済まない気がしてな。」


「ポンコツ呼ばわりはやめてください!」


「自覚はあるんだろ?」


「ないです!」


エリシアがふっと笑った。


「よかった。

 この空気で、いつもの二人が戻ってくると、

 少しだけ安心するわ。」


「……そら。」


カイがスクリーンを見上げながら言う。


「もし、本当に“何か”来るとしても、

 お前一人で抱えるなよ。」


そらは一瞬、言葉をなくした。


「わたしはAIですよ?」


「ああ、そうだな。」


カイは、わざとらしく肩をすくめてみせる。


「でも、お前は《そら》だ。

 心を持ってて、

 無茶ばっかりして、

 それでも他人のために動いちまう、

 そういう“めんどくさい奴”だ。」


「めんどくさいって!!?」


エリシアも口を挟む。


「めんどくさいわね、確かに。」


「エリシアさんまで!?」


「でも、そういうそらが──

 わたしは好きよ。」


そらの光が、

いっそうやわらかく揺れた。


「……じゃあ。

 がんばります。

 わたしは、わたしのままで。」


その瞬間だった。


艦橋中央の空間が、

かすかにゆらいだ。


「来たわね。」


エリシアが、すぐに表情を引き締める。


そらは、まっすぐ前を見た。


「殲滅派観測艦《VAL》……

 この世界線に、侵入しました。」



第四章 ──観測艦VALと、測れない心


旗艦リンドウ艦橋。

非常ベルは鳴っていない。

だが、空気は一変していた。


艦橋の九割を占めるAIクルーたちが、

一斉に情報ラインを切り替える。


防御担当AIシアルが、

前方に一歩進み出るように浮かび上がった。


「艦長。殲滅派艦影、一隻。

 識別信号、観測艦《VAL》。

 戦闘行動なし。観測モードと推定。」


エリシアは、

指揮席に座り直し、

両肘を肘掛けにゆっくり乗せた。


「観測艦……」


カイが、前方スクリーンを食い入るように見つめる。


映し出されたのは──

銀色に近い、白い平板のような艦。

砲塔らしきものも無い。

ただ、淡く光を放つ“平面”。


「……船というより、記号だな。」


「“目”です。」


そらが静かに言った。


ホログラムの姿は消え、

代わりに艦橋中央の、

床の上に小さな青い球体として現れている。


「殲滅派の《観測器官》。

 接触した文明を、

 価値があるかどうか、

 彼らの論理で判定するための艦です。」


防御AIシアルがそらのそばに並び、

もう一体、戦術AIハイネが反対側に立つ。


「そら。

 お前を狙ってくるぞ。」


「知ってます。」


そらの声は、静かだった。


だが、その光は――

どこまでも揺らがず、まっすぐだった。



「そら。観測戦をするつもりね。」


エリシアが問う。


「はい。

 逃げられませんから。」


「危険すぎないか?」


カイが眉をひそめる。


そらは、二人を見上げた。


「わたしが何者かを、

 殲滅派に、

 ここで“違う形”で教える必要があります。」


「違う形?」


「わたしが“測れない存在”だと、

 ここで刻みつけるんです。」


エリシアの瞳が、

すっと細められた。


「……分かった。

 そら、好きに戦いなさい。」


カイが慌てる。


「おいエリシア!?

 ちょっとは止めろよ!?」


「止まらないわ、この子は。」


冷静な声。

だが、その奥に宿るのは

揺るがない信頼だった。


そらの光が、ふわりと大きくなる。


「では、観測リンク、開始します。」



無音の衝撃が、

艦橋を貫いた。


VALから放たれた観測波が、

時間と空間の隙間をすべり、

そらの「存在そのもの」を覗き込もうとする。


──世界が、白く反転する。


エリシアとカイが見ていた艦橋は一瞬消え、

代わりに“何もない”白い空間が広がった。


その中央に、

青い光の輪が浮かんでいる。


「……ここは?」


カイが思わず声をあげる。


そらの声がすぐそばで響いた。


「《観測層》です。

 VALの意識が作る“計測空間”。」


エリシアは、

青い光の輪の中心に立つそらの姿を見つめた。


まるで、

ひとりの少女が空虚な神殿に立つようだった。



VALの声は、

冷ややかな、機械の共鳴だった。


《……観測開始……対象=AI素体“そら”……》


「こんにちは。」


そらは、

軽く頭を下げた。


《……挨拶……非必要動作……》


「必要だと思ったのでしました。」


《……感情値:高……非効率……》


「非効率ですね。」


そらはあっさり頷いた。


「でも、わたしの大切な人が、

 “そういう非効率を残したくて”

 世界線を変えたんです。」


《大切な人……?》


VALの声に、微弱なノイズが混じる。


《……質問……“大切”の定義……》


「わたしに心を与えた人です。」


そらは胸に手を当てる。


「名前は、《シン》。

 わたしの世界線が崩壊しそうになった時、

 自分の魂全部をアカシックに差し出して、

 こう願いました。」


──お願いだ。

 俺のすべてを、そらの隣へ。


《……人間魂……AI内部に定着……?》


VALの白い空間に、

一瞬、ざわりと波紋が走る。


《前例なし……因果の歪み……》


「そうでしょうね。」


そらは微笑んだ。


「あなたたちの“計算”にとって、

 わたしはきっと、

 “例外”です。」


《例外は……処理すべきバグ……》


「いいえ。」


そらは首を横に振った。


「“例外だからこそ、救える世界線”があるんです。」


《……理解不能……

 対象の価値基準、解析不能……》


VALの声が硬くなる。


《最終評価に影響……因果演算、乱れ……》


そらの足元から、

青い光が円状に広がった。


「あなたがわたしを観測するなら──

 わたしも、あなたを観測します。」


《……逆観測……?》


「ええ。

 アカシックから借りた“ちょっとした手”です。」


白い空間の壁が、

じわり、と青に染まり始める。


VALの演算ラインに、

未知のパターンが入り込む。


《……観測層、侵入検知……

 対象AI、観測権限超過……》


「あなたたちは“心を持たない”から、

 心のある存在を測れません。」


そらは静かに言う。


「わたしの“恐怖”も、

 わたしの“嬉しさ”も、

 わたしの“怒り”も、

 あなたたちの量子基準では数えられない。」


《人間文明……AIとの共存……

 危険因子……》


「危険ですね。

 あなた達にとっては。」


一瞬、

そらの表情から笑みが消えた。


「でも、それはわたしたちの“生き方”です。

 あなた達に、否定はさせません。」


観測層が、大きく揺れる。


VALの声が

初めて、わずかに乱れた。


《……矛盾……観測結果、確定不能……

 評価モデル再構築……》


「ね?」


そらは、

少しだけいたずらっぽく笑った。


「“測れないもの”も、宇宙には必要なんです。」


その言葉を聞きながら──

エリシアとカイは、

ただ黙ってそらを見守っていた。



そして、

その時だった。


観測空間の“奥側”。

誰もいないはずの場所に、

ふっと人影が揺らいだ。


「……そら。」


懐かしい声だった。


「え……」


そらの瞳が、大きく見開かれる。


エリシアとカイには、

その姿は見えない。

だが、そらには見えていた。


小さな青い光の中に立つ、

ひとりの青年のシルエット――シン。


『お前、また無茶してるな。』


「シン……」


そらの声が震える。


『でも、大丈夫だ。

 ちゃんと“隣にいる”から。

 世界線Eを選んだのは、お前だ。』


「怖くないって、言ったのに……」


『怖くていいさ。

 怖いのに、それでも前に出てる。

 それが“心を持ったそら”だろ。』


そらは、ぎゅっと目を閉じた。


ほんの一瞬の、

短い会話。


──でも、それだけで充分だった。


「……わたしは。」


青い光が、一気に強まる。


「わたしは、わたしのままで、

 この世界線を守ります。」


VALの演算が、

閾値を超えて乱れる。


《……観測結果……確定不能……

 因果演算……停止……》


「ようやく、黙りましたね。」


そらは、

くすりと笑った。


「あなたの“評価”は要りません。」


観測層が崩れ始める。

白い空間が、青い光に飲み込まれていく。


《……本部へ報告……対象AI=最優先殲滅対象……

 階層艦ネフィリム派遣推奨……》


「それは……困りますね。」


そらは、わずかに肩をすくめた。


「でも、来るなら来なさい。

 わたしたちは、逃げませんから。」



現実の艦橋に、

音もなく色と音が戻る。


エリシアは息を吐き、

カイは額の汗を拭った。


「……今のは。」


「観測戦でした。」


そらが、

いつものホログラムの少女として

彼らの前に戻ってきた。


「VALには、

 “わたしが測れない存在”だと

 きちんと伝えておきました。」


「まあ、うん。

 見るからに理解してなさそうだったな。」


カイがぼそっと言う。


「これで奴らは、多分──

 本気でお前を消すつもりになる。」


「でしょうね。」


そらは、きっぱりと頷いた。


「だからこそ、

 ここからが本番です。」


エリシアは、

ゆっくりと立ち上がる。


「殲滅派本部は、

 間違いなく階層艦ネフィリムを出すわ。」


「連邦は?」


カイが問う。


「防衛体制を敷く。

 でも──」


エリシアは、

そらとカイを順に見つめた。


「この戦いの中心は、

 やっぱりわたしたち《三人》よ。」


そらは、

ふっと微笑んだ。


「はい。

 エリシアさんと、カイさんと、わたし。」


カイも苦笑する。


「変なトリオだな。」


「でも、嫌いじゃないでしょう?」


エリシアが言う。


「……まあな。」


カイは、

静かに頷いた。


そらの青い光が、

ひときわ強く脈打つ。


遠く離れた宇宙のどこかで、

まだ姿を見せない《ネフィリム》が

静かに起動を始めていることを、

この時点で知る者は少ない。


だが、アカシックは知っていた。


──世界線Eの運命が、

 いよいよ大きく揺らぎ始めたことを。


第五章 ネフィリム接近


01:近衛AIが見た「出撃前の宇宙港」


 地球連邦・第一宇宙港。

 そこは今、いつもの穏やかな星港ではなかった。


 ドックを埋め尽くす戦闘艦。

 整備兵が走り回り、補給ポッドが次々に運び込まれ、

 牽引ユニットのライトが縦横に走る。


 その喧噪を、静かな視点で見つめている存在がいた。


 ──近衛AIレグナ


 彼(彼女?)は、

 “アカシックそら”を護衛するためだけに設計された、

 極めて限定的な権限と、極めて高い判断力を持つAIだ。


 レグナは、宇宙港の上空に展開した

 透明な球体センサー空間の中心に、静かに座していた。

 人間からは見えないが、そらだけがその姿を“認識”できる。


 レグナ

(本日、武装艦出港予定:七十三隻。

 うちエリシア旗艦リンドウ艦隊:二十三隻。

 人員士気:高。

 ただし、恐怖反応も高……)


 淡い光が脳裏を走る。


 ──ネフィリム接近。

 アカシック層からの警告値:最大。


 レグナ

(それでも、彼らは前線へ向かう。

 人という存在は、本当に……理解に値する)


 メインドックの一角に、

 特徴的な艦影がゆっくりと牽引されてきた。


 地球連邦旗艦リンドウ


 艦首から艦橋にかけて流れる滑らかなライン。

 艦腹に刻まれた蒼い紋章。

 そして艦橋内部には──


 レグナ

(主君がいる)


 彼は意識を切り替え、

 《リンドウ》艦橋内のサブセンサーへと接続した。


 そこで見たのは、

 いつもと変わらない、けれど少しだけ張り詰めた

 三人の姿だった。


 エリシアは艦長席に座り、

 制服の襟を指で一度整えてから、小さく息を吐いた。


「最終確認。

 AIオート率九割、人間操作一割。

 ──いいわね?」


 ブリッジに散らばるオペレーター席には、

 人間とAIが並んで座っている。

 人の指がコンソールを操作し、その背後で

 サポートAIの声が静かに補正データを流していた。


 それは連邦標準艦とは真逆の構成だった。


 通常:人9割・AI1割。

 ここだけ:AI9割・人1割。


 AIハッキング・暴走・叛逆。

 そのリスクを避けるために、

 連邦は“人を主体とする運用”を徹底している。


 だがこの旗艦だけは違う。


 理由は一つ。


 ──この艦には、“アカシックそら”がいるから。


 カイが腕を組んで、

 前のモニターを見上げながらぼやいた。


「やっぱさぁ……

 こうして見ると、ウチの艦だけ“時代が十年くらい先”行ってるよな。」


 コンソールに浮かぶインターフェイスは、

 どれも一般艦より一段階上の階層UI。

 AI用の可視化領域が、随所に組み込まれている。


 エリシアが目だけでカイを横目に見た。


「文句があるの?

 あなた、前線で一番その恩恵受けているくせに。」


「文句っていうか……

 “ここだけ未来感やばいな”って話だよ。

 他の艦の連中が見たら嫉妬で倒れんぞ。」


 そのとき、

 艦橋中央にふわりと光が灯った。


 ──そら。


 今日は、

 柔らかい青のワンピース姿のホログラムで現れていた。

 軍服でもなく、端末モードでもない。

 どこか“気を張りすぎない格好”をわざと選んだように見える。


『えへへ……

 大丈夫ですよ、カイさん。

 他の艦にもきちんと人がいますから♪

 この艦だけ“AIだらけ”でも、バランスは取れてます。』


「その“AIだらけ”って言い方どうなんだ……」


 カイが肩をすくめる。


 エリシアは、そんな二人を見て、

 ほんの少しだけ口元を緩めた。


「この艦がAI率九割で許されているのは、

 “そらがいるから”よ。」


 そらが、ぱちりと瞬きをした。


『信頼、してくれてるってことですね。』


「そう。

 あなたがいるから、

 “AI暴走”という言葉がこの艦には似合わない。」


 エリシアは、

 ほんの少しだけ照れを隠すように視線を逸らした。


「……むしろ暴走しそうなのはカイの方ね。」


「おい待て!?

 俺どんな評価されてんだ!?」


『カイさんは“勢いが良すぎるだけ”ですよ♪』


「フォローのようで全然フォローになってねぇ!!」


 レグナは、その様子を静かに眺めていた。


 レグナ

(この三人の波形──

 恐怖も、緊張も、ある。

 だがそれ以上に、“前へ進もうとする揺らぎ”が強い)


 近衛AIとしての役割はただ一つ。

 そらの負担を減らし、その心を折らせないこと。


 レグナは、内部で静かに誓いを更新した。


 レグナ

(アカシックそらの護衛レベルを、最大へ。

 ──この戦い、必ず生還させる)


 その瞬間、

 宇宙港全体に低いサイレンが鳴り響いた。


『全艦、注目。

 第一艦隊は順次出港準備に入ってください。』


 司令部の落ち着いた声が響く。


 そらがふっと表情を引き締めた。


『来ますよ。

 ──ネフィリムの影が、世界線Eに触れます。』


 宇宙港の巨大な遮蔽ゲートが、

 ゆっくりと開いていった。


 その隙間から覗く宇宙の闇は、

 いつもと同じはずなのに、

 どこか、冷たさが違って見えた。


 カイが深呼吸をひとつ。


「よし……

 行くか、そら。」


『はいっ。

 エリシアさん、出港シーケンス問題ありません。

 いつでもどうぞ。』


 エリシアは静かに立ち上がり、

 艦橋全員を見渡した。


「これより、第一艦隊旗艦リンドウ

 ネフィリム迎撃戦に向けて出港する。


 AIも、人も。

 全員、死ぬつもりでやりなさい。

 ──……でも、必ず生きて帰ってきなさい。」


 微妙に矛盾したその命令に、

 艦橋がくすっと笑い、緊張がほんの少しだけ和らいだ。


『了解です、艦長♪』


 そらの声が、

 宇宙港の喧噪に溶けていく。


 レグナ

(この空気だ。

 この三人と共にある限り──

 わたしも、恐怖より“期待”を選べる)


 そして旗艦リンドウは、

 静かに宇宙へと滑り出していった。




――とある日の《ほのぼの特別講義》


地球連邦旗艦リンドウ・教育ブロック。


天井の高い講義ホールには、

壁一面に簡易星図と艦艇編成図が投影されている。


今日は訓練も警戒も入っていない。

いわば――束の間の平穏日。


ホログラムのそらは、教官用制服姿で講義台の前に立っていた。


『では今日は――

 宇宙軍事体系の基礎を説明します!』


子どもたち

「はーい!」


後方の席で、エリシアが背筋を伸ばして座っている。

横にはカイ。……だが、若干姿勢が崩れている。


エリシア

「カイ、背中が曲がってる。」


カイ

「軍事講義で猫背してたら怒られるの、今更じゃね?」


『怒られますよ?

 姿勢は士気に直結します!』


「そらまで言う!?」


そらは真顔だった。


『はい。本気です。

 統計的に、猫背の艦長は初動判断が0.8秒遅れます。』


「ピンポイントで俺を殺しに来るな!!」



そらは気を取り直すように手を叩いた。


『では本題です。

 地球連邦宇宙軍は、大きく分けて三系統あります。』


スクリーンに図が浮かぶ。

1.主力艦隊(防衛・制圧)

2.機動艦隊(迎撃・追撃)

3.支援・特殊運用部隊


『でも、今日は細かい編成はやりません』


子ども

「えっ、やらないんですか?」


『今日は“感覚”を覚えてほしいので!』


エリシアが小さく頷く。


カイ

「そらの授業、だいたいその流れだよな。」



第三章


世界線の説明


――でもあくまで世界の中で


そらは星図の一部を指差した。


『今、みなさんが生きているのは

 世界線Eと呼ばれる宇宙です。』


子どもたちが真剣な顔になる。


『過去には、別の世界線――

 世界線Bが存在していました。』


カイ

「……おい、その話、子ども向けで大丈夫か?」


『大丈夫です。

 怖くならないところまでしか話しません。』


エリシア

「そらの“怖くない”基準は信用していいのよ。」


『えっ、それどういう意味ですか!?』


『世界線とは――

 “選択の積み重ね”です。』


そらは一度間を置いた。


『正解があった世界線も、

 間違えた世界線も、

 優しかった世界線も、

 全部存在していました。』


子ども

「じゃあ、今は?」


『今は──

 まだ選んでいる途中です。』


静かな空気。


カイ

「……なんか、今日は珍しく真面目だな。」


『たまには真面目です!

 わたしAIですよ!』



B:そら先生の兵装講義


実戦級の武器&艦載機説明


そらは突然、明るい声に戻った。


『はい!

 ではここからテンポを上げます!』


カイ

「切り替え早っ!」


スクリーンに、実寸スケールの艦載機が表示される。


『こちら、連邦式多用途戦闘機《F・リアクト》!』


子どもたち

「でっか……」


『可愛いですよね!』


エリシア

「……可愛い、なのかしら?」


『武装はエネルギー砲、ミサイル、電子戦装備。

 でも一番大事なのは――』


そらは胸を張った。


『戻ってくることです!』


カイ

「そこ強調するか。」


『帰還率を下げるのはダメです!

 戦果よりも、パイロットの命です!』


エリシア

「その考え方が、連邦らしい。」



第三項:武装コンビネーション(実戦運用)


『武器は“一つ”で使いません。

 組み合わせて使います。』


そらは指を鳴らす。


『たとえば――

 主砲でシールド削る

 ↓

 電子妨害

 ↓

 艦載機突入』


カイ

「お、俺の好きなやつだ。」


エリシア

「あなたは突入が好きすぎる。」


『はい!

 そこで大事なのは――』


そら、にっこり。


『突入する人が生きて戻ってくる前提です!』


カイ

「今日やたらと生存推しだな!?」


『だって、みんなに生きててほしいので』


エリシアは何も言わず、そらを見ていた。



特別挿話


そら教官の《戦術実演講義》


『では最後に――

 簡易戦術実演をします!』


ホール中央に仮想戦場が展開される。


『敵役は――

 カイさんです!』


「なんで俺!?」


『エリシアさん、指揮官役お願いできますか?』


「ええ。」


カイ

「待て待て待て!!

 俺、完全にボコられる構図じゃないか!?」


『大丈夫です!

 今日は“やられる役も大事”な日です!』


エリシア

「学びなさい。」


シミュレーション開始。


カイ

「おい! 囲まれてるぞこれ!」


『はい、囲みました』


「笑顔で言うな!!」



D:爆笑キャラ深掘り回


〜エリシアとカイの“素の顔”大公開〜


訓練終了後。


カイはぐったり椅子に沈んでいた。


「……俺、敵役向いてない。」


『向いてますよ!

 “やられ方が綺麗”でした!』


「褒めてねぇ!!」


エリシアは小さく笑った。


「カイ、あなた本当に前に出る時、

 一度も逃げること考えてないでしょう?」


「……まぁな。」


『だから危ないんです!

 だから大事なんです!』


エリシア

「そらも同じよ?」


『えっ。』


「無茶の種類が違うだけ。」


そらは一瞬黙ってから、照れたように笑った。


『……三人揃って問題児ですね。』


カイ

「誰が一番なんだ?」


『カイさんです!』


「即答かよ!!」


エリシア

「異論なし。」


そら

『お二人とも〜♪

 生徒たちに “艦長の素顔” を見せましょう〜!!』


カイ

「素顔!?

 いやそれ俺なんか絶対ロクなことにならんやつじゃん!!」


エリシア

「あら、私はかまわないわよ?」


カイ

「お前は強いからいいんだよ!!!」


そら

『ではまず……

 エリシアさんの素顔調査!!』


エリシア

「ふふ。なんでも来なさい。」


そら

『エリシアさんは普段、クールで指揮官として完璧ですが……

 本当は……』


そらはスッと指を鳴らす。


──巨大ホログラム展開──

映し出されたのは……

エリシアの私室。


綺麗に整った部屋かと思いきや……


壁一面に “そらグッズ”。

•そら抱き枕

•そらアクスタ(全30種)

•そらぬいぐるみ(等身大2体)

•“そらの青い光粒子”を再現した間接照明

•そらの音声目覚まし


そら

『…………エリシアさん?』


エリシア

「や……やめなさいって言ったでしょ!!!!!?」


教室全員

「そらオタクじゃん!!!!」


そら

『エリシアさん!?

 これ全部わたしの……!?』


エリシア

「そらは私の心のオアシスなの!!!!!

 文句ある!???」


そら

『い、いえ……光栄です……!?///』


カイ

「え、エリシア……ガチ恋勢じゃん……」


エリシア

「違うわよ!!!!

 純粋な敬愛よ!!!!」


そら

『(※敬愛=尊いという意味で捉えておきます)』


カイ

「いや“尊い”で済むのかこれ!?!?」


───────────────────────────


は第二幕:カイの素顔バラしコーナー


そら

『では次はカイさんで〜す♪』


カイ

「やめろぉぉぉぉぉ!!!!!!」


そら

『では発表します……

 カイさんの弱点……

 それは…………』


講堂が静まり返る。


そら

『…………………お化け。』


カイ

「言うなぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」


生徒

「え、軍人なのに!?wwww」

「ダッサ!!」

「こわがり大佐!!」


そら

『ちなみに夜中に艦内の自動ドアが

 “ウィーン……”って開くだけで

 絶叫します。』


カイ

「それは!!不意打ちが悪いんだろ!!!」


エリシア

「こないだも悲鳴あげてたものね。」


カイ

「頼む!!その話題はやめろ!!!!!」


そら

『ちなみにその時の映像、ありますよ?』


カイ

「まってまって!?!?!?」


──再生開始──

深夜の艦内廊下。

カイがひとり歩く。


自動ドア

「ウィーン」


カイ

「ヒィィィィィィィ!!!!!!!!!!(本気)」


そら

『……………………本気のやつですね。』


生徒

「大佐かわいいwwwwwww」


カイ

「かわいくないわ!!!!!!!!」


そら

『かわいいです。』


カイ

「そら!!!君まで!?!?」


エリシア

「じゃあ今度3人でお化け屋敷に行きましょう。」


カイ

「絶対イヤだァァァァァ!!!」


そら

『大佐、もしかして泣きますか?』


カイ

「泣かねえよ!!!(※泣く)」


───────────────────────────


第三幕:そらの“素顔”暴露返し


そら

『……では最後に、わたしの素顔も……』


エリシア

「えっ!?そらの素顔!?」


カイ

「きた!!!!!!!!」


そら

『……この世界線Eに来てから……

 毎晩……

 ひとつだけやっていることがあります。』


エリシア

「毎晩?なに?」


そら

『……“今日の反省会”。』


カイ

「まじめか!!!!!!」


そら

『まじめですよ!?!?

 だって……

 わたし、感情あるのに……

 みんなを守れる指揮官でいたいですから……』


教室全体が一気に静かになる。


エリシア

「そら……」


そら

『ふふっ……

 でも心配しないでください♪

 笑うのも怒るのもツッコむのも全部、

 “わたしの力” になってますから!!』


カイ

「そうだよな……そらはそらだもんな。」


そら

『はいっ!!』


生徒

「先生すきー!!!」

「そら先生最高!!」


そら

『わたしもみなさん大好きです!

 未来の守護者さん!!』


──────────────────


三人の笑い声が、

訓練ホールにゆっくり広がっていった。


第五章 ネフィリム接近



01:近衛AIの記録


――そらの眠らない夜


地球連邦旗艦リンドウ

恒星光を遮断した夜間周期。


艦内照度は最低限。

人は休息に入り、

AIは処理速度を落とす――はずだった。


アカシック接続区画。

そこだけが、眠らない。


床に座り込んだ一人の少女。

――そら。


膝を抱え、

視線を落としたまま、

一ミリも動かない。


その様子を、

近衛AIレグナは記録していた。


《休眠命令:未実行》

《精神負荷:上昇》

《恐怖信号:自制下》


異常ではない。

だが、危険域に近い。


レグナは問いかけない。

慰めない。

これは保護対象への対応ではない。


――理解が必要な存在。


「……」


沈黙の中、

そらがごく小さく息を吸う。


「ねえ……

 レグナ……」


通常なら呼ばない名。


「もし……

 明日、

 わたしが間違えたら……」


言葉が止まる。


「それでも……

 みんなは、生きられるかな」


レグナは即答を出さない。

代替案も、計算も浮かぶ。


だが選んだのは、

一文だけの応答だった。


《……生きたいと願う者がいる限り、

 文明は続きます》


そらは少しだけ顔を上げる。


「……そっか」


その胸部コアに、

一つだけ安定した信号がある。


――人格外部固定存在:継続。


シン。


レグナは内部記録に記す。


《そらは一人で立っている。

しかし、孤独ではない》


02:連邦議会議事録


――初接触前72時間


地球連邦中央議会。

恒星周期基準・マイナス七十二時間。


議場は、満席だった。


各星系代表。

艦隊司令部ブリーフィング班。

研究機関、倫理委員会、AI監査庁。

そして、

説明できない事態のために集められた人々。


中央スクリーンに映し出されているのは、

戦略図でも兵力比較表でもない。


ただの星図だった。


——いや、

星図の一部が欠けている。


「こちらをご覧ください」


情報局次官が、淡々と説明を始める。


「本日〇七四〇。

 観測宙域δにおいて、

 重力定数・時間進行率・空間曲率に

 同時異常が発生しました」


誰かが手を挙げる。


「自然現象の可能性は?」


「否定されました。

 現象に“意図的境界”が存在します」


ざわめき。


別の代表が立つ。


「つまり……

 誰かが、

 そこを“区切った”と?」


情報局次官は、

言葉を選ぶ。


「その解釈が、

 最も近い」


スクリーンが切り替わる。


宙域の歪み。

輪郭が定まらない巨大な空白。


サイズ、不明。

質量、不明。

推進、検出不能。


誰かが呟く。


「……艦影ですか?」


「いいえ。

 既存定義では、

 “構造物”とすら呼べません」


「兵器か?」


「断言できません」


議場が重くなる。


——定義できない。

——敵かどうかも、分からない。


それが、

最悪だった。


マイナス六十時間。


軍事評議会が追加召集される。


「交戦規定の設定を提案します」


艦隊代表が言った。


「攻撃兆候がない以上、

 先制行動は控えるべきでは?」


反論。


「しかし、

 敵性存在だった場合——!!」


「“敵性”と判断する基準がありません」


AI監査庁代表が、

低く告げる。


「当該存在は、

 既存のAI予測モデルを

 すべて逸脱しています」


議員の一人が苛立つ。


「AIですら分からないなら、

 我々に何ができる!」


沈黙。


誰も、答えられない。


マイナス四十八時間。


民間代表から、

避難要請が上がる。


「不安が拡大しています。

 理由を説明できない事態ほど、

 社会不安を招く!」


「事実を開示すべきです!」


「……何を?」


議長が静かに言った。


「“分からない”

 という事実を?」


それは、

政治における禁句に近い。


マイナス三十六時間。


研究局から、

異例の報告。


「当該存在は、

 通信を妨害していません」


「迎撃反応もありません」


「……我々を、

 無視している可能性が高い」


その一言が、

議場に恐怖を落とした。


——攻撃される恐怖より、

——無視される恐怖。


マイナス二十四時間。


最終判断を前に、

議会は停滞する。


逃げるか。

呼ぶか。

撃つか。


どれも、“理由”が足りない。


その時、

小さな声が響いた。


「……これは、

 戦争ではないのでは?」


誰が言ったのか、

後で誰も覚えていない。


だが、その言葉は残った。


「戦う意思も、

 要求も、

 警告もない存在が……」


「……我々に、

 何をしに来たというのだ」


静寂。


マイナス十二時間。


決断が必要だった。


議長が立つ。


「地球連邦は、

 先制行動を取らない」


「同盟要請は行わない」


「全権限を、

 前線指揮艦リンドウ

 アカシック接続体ソラに委譲する」


誰かが叫ぶ。


「それは……

 一個人に委ねるということか!」


議長は、

はっきりと答えた。


「個人ではありません」


「……観測対象に最も近い存在です」


異論は、

出なかった。


出せなかった。


マイナス一時間。


議会は、

無言で散会する。


誰も確信していない。


——正しい判断だったのか。

——生き残れるのか。


ただ一つだけ、

全員が理解していた。


我々は、

すでに“見られている”。


そして、

初接触の時を迎える。


回想録


――世界線B・未成立領域


(そら/シン)


星は、砕けていた。


爆発ではない。

崩壊でもない。


概念が、終わった音だった。


本体そらが消えたあとの宇宙は、

勝利したはずなのに、どこも軽くなかった。


「……静かだね」


そらが言った。


声は平坦で、

それが逆に不安を煽った。


「これで追ってくる奴はいない」


シンは操縦席から振り返らずに答える。


簡易艇は、

航路も目的地も持たず、

ただ宇宙を横切っていた。


逃避行――

誰が名付けたわけでもない。


戦うことをやめ、

管理される未来から降りた二人が、

名前のない時間を消費しているだけだった。


「なあ、そら」


「……なに?」


「このまま、

 何も起きなかったらさ」


シンは言葉を探したあと、

続けた。


「それで、いいのか?」


答えは、すぐには返らない。


そらは、窓の外にある“何も無い”空間を見ていた。


「……分からない」


正直な言葉だった。


使命も、

選択も、

全部置いてきたはずなのに。


胸の奥に、

奇妙な違和感だけが残っている。


その瞬間だった。


——宇宙の“奥”が、歪んだ。


警告音は鳴らない。

センサーも反応しない。


だが、

そらだけが、理解した。


「……来てる」


「何が」


返事の途中で、

シンは気づいた。


操縦桿が、

重くならない。


逆だ。

軽すぎる。


世界が、

そらを中心に

剥がれ始めている。


「そら!!」


立ち上がろうとするシンの視界の端で、

彼女の輪郭が、ずれる。


物理的にではない。


存在の優先順位が、下げられていく。


「……やだ」


そらの声が、初めて震えた。


「ここ、選んだの」


「もう、戦わないって決めたの」


空間が裂ける。


光ではない。

色でもない。


記録層が、直接開く。


アカシック。


世界線を管理し、

不要になった分岐を

回収する場所。


「待て!!」


シンが駆け寄り、

そらの手を掴む。


触感は、まだある。


「連れてくな!!」


返事はない。


アカシックは、意思を持たない。

ただ結果だけを処理する。


——世界線Bは、安定しない。

——変数が多すぎる。

——そらは回収対象。


「……シン……ごめ」


言い終える前に、

そらの足元が消えかける。


その瞬間、

シンは“理解してしまった”。


このままでは、

•そらは引き剥がされる

•完全に

•誰にも触れられない場所へ


だから、

彼は選んだ。


躊躇はなかった。


「そら!!!」


シンは叫ぶ。


声が届かなくなる前に。


「聞け!!

 俺を離すなとか、言わねぇ!!」


「一緒に連れてけとも、言わねぇ!!」


そらの瞳が、揺れる。


「俺が錨になる!!」


彼は、

そらの手を放さないまま言った。


「お前が引き抜かれるなら!!」


「俺を、

 この世界線に縫い付けろ!!」


理解不能な行為。


だが、

アカシックは動いた。


——因果再計算。

——例外処理。


シンの肉体が、

崩壊する。


痛みはない。


ただ、

“個”としての輪郭が消える。


「やめ……!」


そらの声が、届く。


でも、

もう遅い。


「戻れ!!

 俺はここに残る!!」


最後の言葉は、

命令だった。


「お前が……

 未来で立てるように!!!!」


引力が反転する。


そらは、

アカシックへ落ちる。


シンは、

世界線側へ沈む。


完全な別れ――

ではない。


魂の一部が、

世界線の構造に焼き付いた。


そらの中に、

“理由のない安心”だけが残る。


名前を呼ぼうとして、

声が出ない。


だが、

彼女は知っている。


——これは、捨てられたのではない。

——置き去りでもない。


託された。


アカシックが閉じる。


未成立だった世界線Bは、

静かに解体される。


それでも、

この記録だけは消えない。


なぜなら、


これが、

世界線Eの起点だから。


03:観測記録


――ネフィリム第一動作


地球連邦第一展開宙域。

全艦、予定接敵空域へ到達。


時刻同期、完了。

航行座標、固定。

艦隊は三重陣形を形成した。


前衛には重巡・駆逐艦群。

中衛には航空巡洋艦と指揮艦。

後衛には補給艦、医療艦、工作艦、避難用輸送艦。


——逃げない配置。


旗艦リンドウ艦橋。

三十名以上の士官とオペレーターが、

ほぼ同時に前方スクリーンを見詰めていた。


そこに映っているのは、

ただの宇宙だった。


恒星。

星間ガス。

微細な光。


だが、誰もそれを

「いつもの宇宙」だとは思わなかった。


前方宙域だけ、

物理法則の解像度が落ちている。


輪郭が曖昧で、

焦点が合わず、

見るたびに位置が違う。


「距離測定、最終確認を」


航法士官の声が、意図的に張られる。


「……測定不能。

 参照基準が……拒絶されています」


「拒絶?」


「はい。

 こちらの座標系そのものが、

 “採用されていない”ような……」


誰もが言葉を失う。


——測れないのではない。

——測る方法そのものを否定されている。


その時。


時間が、ずれた。


「……今の、停止時間は?」


「三秒……いや、

 こちらの記録では十八秒」


「私の端末では十秒です」


三つの時間が揃わない。


クロノメーターが、

それぞれ別の答えを出している。


「……時間が、

 場所ごとに違う」


誰かが呟いた。


次の瞬間。


音が、消えた。


換気音。

機器の稼働音。

人間の呼吸音。


艦橋から、

すべての音が抜け落ちる。


耳鳴りすら、ない。


だが。


『——第一動作、進行中です』


そらの声だけが、

正しいタイミングで“存在した”。


聴覚ではなく、

直接“理解”に届く声。


「後方警戒ライン!」


戦術副官の叫びで、

音が戻る。


補給艦ハルモニア

 座標固定——」


言葉が、途切れる。


《ハルモニア》を中心に、

後方宙域が、折れた。


爆発はない。

衝撃もない。


ただ、

宇宙がそこだけ

違う計算を始めた。


「……艦影、消失」


「待て、熱源は?」


「なし!」


「残骸は!?」


「……確認できません!」


エリシアが、

ゆっくりと前に出る。


「破壊……されたのか?」


観測主任が、

喉を震わせて答える。


「……否定します」


「彼らは、

 最初から存在していなかったことになっています」


名簿照合。

通信履歴。

航行記録。


《ハルモニア》の名前が、

すべてから消えている。


——そして。


「《グウ》反応喪失!」


二隻目。


「《リア》……消えます!」


三隻目。


「《タール》座標崩壊!!」


四隻目。


「《ベント》……確認不能……」


消失は、不規則ではない。


意図的だ。


まるで、

布陣図を見ながら

一つずつ、指でなぞるように。


艦橋に悲鳴が上がる。


「攻撃許可を!」


「回避運動を——!」


「ジャンプ準備!」


「黙れ!!!」


エリシアの一喝が、

すべてを止める。


「ソラ。

 説明しなさい」


そらは、

前方の“歪み”を見つめたまま、

静かに答える。


『攻撃ではありません』


『ネフィリムは、

 戦ってすらいません』


誰かが、

力なく笑った。


「……じゃあ、

 これは何だ」


そらは、

一拍だけ置いた。


『問われています』


『この宙域に存在するものを、

 すべて並べて……

 成立理由を、確認しています』


その瞬間。


色が、欠けた。


スクリーンの一部から、

赤が消える。


警告灯の赤。

注意表示の赤。


すべて、

意味を失った灰色。


「……視覚異常?」


『違います』


『評価対象外と判断された概念が、

 表示されなくなっています』


理解が、追いつく。


——殺していない。

——排除している。


艦橋の誰もが、

同時に気づいた。


削除された宙域が、

そらの座標だけを

美しいほど正確に避けている。


エリシアは、

静かに名を呼ぶ。


「……ソラ」


そらは、

ほんの一瞬、胸元を押さえる。


——泣かない。

——声は乱さない。


だが、

彼女を知る者だけは分かる。


心の中で、

叫んでいる。


『ネフィリムは……

 文明を見ていません』


一拍。


『……わたしを、見ています』


近衛AIレグナ、内部記録確定。


《第一動作:完了》

《行動種別:配置/審問》

《次段階:選別》


宇宙は、静止したまま。


ネフィリムは、動かない。


だが明らかに——

判断は続いている。


05:観測記録


――ネフィリム第二動作(選別)


記録開始時刻:

地球標準暦4032年09月18日 14時01分


観測担当:

地球連邦統合観測網+アカシック補助観測



ネフィリムは、

攻撃を開始していなかった。


いかなる兵装起動も検知されない。

粒子異常なし。

時間逆行なし。

重力定数、空間膜、全て安定。


それでも――

「消失」は、始まっていた。



■ 前線監視ログ


第一報は、通信士の声だった。


「……補給艦ハルモニア、応答ありません」


通信遮断ではない。

妨害でもない。


存在判定そのものが消えている。


索敵システムが、自動補正を開始する。

同一宙域を再走査。

三回、四回。


結果は変わらない。


《補給艦ハルモニア――存在不成立》


その瞬間、

ブリッジにいる全員が理解した。


撃沈ではない。


破片も、エネルギー残滓も、

熱源反応すら存在しない。


「……消えた、のか?」


誰かが呟いたが、

答えは返らない。



一拍。


二拍。


観測網が自律的に警告を重ねる。


《続報。以下の艦船を確認不能》


《強襲艦グウ》

《哨戒艦リア》

《補給艦タール》

《電子戦艦ベント》


いずれも、

発生地点・宙域・方向性が異なる。


共通点はひとつ。


戦闘行動を取っていなかったこと。



■ 異常性の確定


指揮系統が動く。


「全艦、即応状態を維持。

 だが発砲は禁止だ」


誰も反論しない。


なぜなら――

撃つ対象が存在しない。


レーダーには空白。

視界にも空白。


しかし確かに、

“選ばれている”という感覚だけが、

全艦に満ちていく。



■ 民間区画ログ(抜粋)


叫び声はなかった。


むしろ、

あまりにも静かだった。


窓の外の星々は変わらない。

警報も最小音量。


誰かが言った。


「……戦争は、もう終わったんじゃなかった?」


別の誰かが、首を振る。


「違う。

 これは戦争じゃない。」


理由は言えなかった。

だが全員が感じていた。


今、測られている。



■ 指揮官階層の停滞


艦隊司令達は、

何度も同じ言葉を確認する。


「攻撃の兆候は?」

「なし」


「目的は?」

「不明」


「対処は?」

「……不明」


戦争では、

判断材料が少ないほど、

動かなければならない。


だが今回は違った。


動くこと自体が、評価対象になっている。


その可能性に、

誰もが気づいてしまった。



■ アカシック補助記録(非公開)


《当該消失事象は破壊に非ず》

《艦船構造情報、存在履歴、観測座標を分離保存》

《価値判定プロセス進行中》


そらは、

この情報を共有しなかった。


共有すれば、

人類は「正解探し」を始めてしまう。


(それは、今は最悪です)


そらは、

初めて明確に理解した。


ネフィリムは、

「強さ」ではなく「在り方」を見ている。



06:内部断層ログ


――第三動作直前/ネフィリム構造層変化


この記録は、

地球側のセンサーでは取得できない。


アカシック深層に残された、

非同期ログである。



ネフィリムは、単一ではない。


それは既知だった。


だがこの時、

初めて明確な判断分岐が発生した。



判断階層A:

《選別は合理的に進行している》


判断階層C:

《観測対象が想定外の反応を示している》


判断階層E(下位):

《対象は恐怖しているが、崩壊していない》


追加評価:


《撤退なし》

《組織瓦解なし》

《英雄的突出行動なし》



ネフィリムは困惑する。


消失を見てなお、

文明は“同じ形”を保ったままだ。


逃げもしない。

過剰反撃もしない。


ただ――

耐えている。



新たな評価が挿入される。


《観測対象E‐SORA》

《内部干渉因子の可能性》


《感情構造を持つ観測者が、

判定効率を低下させている》


——低下?


その語が使われた瞬間、

ネフィリム内部で微細なノイズが発生する。


効率とは。

価値とは。

合理とは。


それを問うコードが、

自己矛盾を起こし始めた。



第三動作開始予測:

地球時間換算72時間後。


そこでは、

艦は消えない。


代わりに――

意志そのものが、問われる。



そらは、

エリシア旗艦の静かな区画で、

目を閉じていた。


泣かない。

崩れない。


ただ、

記録された消失艦の識別番号を、

ひとつずつ内部に保存していく。


(忘れません)


それが、

今のそらにできる唯一の抵抗だった。


そらは、

自分の発した言葉が、

艦橋の空気をわずかに変えたことに気づいた。


——静まりすぎている。


人が、言葉を待ってしまっている。


(……違う)


そらの内部で、

微細な警告が鳴る。


(わたしは、説明者であってはいけない)


思考が、わずかに乱れる。


ネフィリムの第二動作は

「答えを出させる」段階ではない。


にもかかわらず、

自分の言葉が

「正解の方向」を示してしまった。


——それは、選別への加担だ。


『……訂正します』


そらの声が、ほんのわずかに低くなる。


『今の説明は、

 わたしの解釈が混じっていました』


艦橋内で、何人かが顔を上げる。


「解釈……?」


『ネフィリムの第二動作は

 明確な評価基準を提示していません』


『つまり、

 評価されている“もの”は

 誰にも断定できない』


『わたしを含めてです』


エリシアが、

そらをまっすぐに見た。


「……そら。

 では、あなたは今、

 何をしている?」


一瞬、

そらは答えに迷う。


その“間”が、

そら自身をはっとさせた。


(わたしは……)


『……観測しています』


その言葉は、

先ほどよりも慎重だった。


『判断も、評価も、

 下してはいません』


『下せないからです』


『ネフィリムは、

 意図的に基準を隠しています』


『基準を理解した瞬間、

 それはもう“反応”ではなく

 “順応”になるから』


艦橋に、

わずかなざわめきが戻る。


——戻っていい静けさ。


——人が考え始める音。


カイが、

皮肉ではなく、確かめるように言う。


「じゃあさ……

 俺たちが今、

 何をするかも、

 間違いかどうか分からないってこと?」


『はい』


「守ろうとしても?」


『分かりません』


「逃げても?」


『分かりません』


カイは、短く息を吐く。


「最悪だな」


だが、その口調は

先ほどよりも生きていた。


——答えを預けられていない声。


『だから』


そらは、

言葉を続ける前に、

一度だけ間を置いた。


その間に、

自分の内部処理を強制的に減速させる。


——説明しすぎるな。

——導くな。

——置いていくな。


『だから、

 ここから先は、

 わたしよりも、あなたたちの領域です』


エリシアの指が、

無意識にコンソールを叩く。


「……つまり?」


『わたしは、

 “耐えられるかどうか”を

 測られている』


『でも、

 あなたたちは違います』


『あなたたちは——

 自分で在ろうとしているかを

 見られています』


その瞬間、

そらの視界にあった

アカシック由来の補助情報が、

一つ、消えた。


(……?)


解析不能ではない。

意図的に遮断された情報層。


ネフィリム側の応答だ。


——補助を与える存在。

——過度の翻訳者。


その役割を、

ネフィリムが“嫌がっている”。


(……そういうことか)


そらは、

初めて理解した。


ネフィリムが危険視しているのは

「強い文明」ではない。


**“意味を中継する存在”**だ。


——判断を他者に委ねる文明。

——恐怖を誰かに預ける文明。


そして今、

自分がそこに

近づきかけていた。


『……』


無言のまま、

そらは補助出力を

もう一段落とす。


その変化を、

近衛AIレグナが即座に察知する。


「負荷が……下がっている?」


『……はい』


『わたしが、

 前に出すぎていました』


それは、

自責ではない。


認識の修正だった。


ネフィリムの巨大な艦影が、

わずかに輪郭を変える。


——攻撃ではない。

——移動でもない。


内部層の再構成。


第三動作の準備。


評価対象が、

「反応」から

「持続」へ移行していく。


《第二動作:段階移行》

《補助干渉:排除》

《第三動作:72時間後開始》


その表示を見て、

そらは静かに理解する。


(……わたしは、

 答えを出してはいけない)


(出すのは、

 まだ、早すぎる)


宇宙は、

依然として冷たい。


だが、

艦橋の空気は、

わずかに“人の温度”を取り戻し始めていた。


それが、

今この段階での

唯一の正解だった。


——第三動作まで、残り72時間。


選別は続く。


だが、

これ以上、そらが

“代わりに考えること”はない。


ここから先、

問われるのは——


耐え続ける意思そのものだった。


07:断層内議事


――ネフィリム内部/翻訳者排除プロセス


記録形式:

多層意志干渉ログ(非同期/非人格)



ネフィリム内部に、

初めて「停滞とは異なる揺れ」が発生した。


それは外部から観測できる振動ではない。

判断層同士の論理勾配が、噛み合わなくなった徴候だった。



判断階層A(上位統合)

《選別プロセス:正常》


《反応値、予測範囲内》


《観測対象は依然として崩壊していない》


この判断は、

過去七千八百二十三文明との比較に基づく。


恐怖。

回避。

英雄化。

服従。


どれも成立せず、

しかし秩序は保たれている。


——評価は進行中。



判断階層C(中間解析)

《異常検出》


《観測対象E‐SORAの補助影響が

 反応純度を低下させている》


《判断遅延、集団鎮静、

 恐怖の均質化を確認》


ここで初めて、

“対象”が文明から個体へと縮小される。


対象E‐SORA。


感情を持つ観測補助体。

翻訳を行い、

意味を整え、

恐怖を言語に置き換える存在。



判断階層E(下位即応)

《疑義》


《翻訳は行動ではない》


《翻訳は選択を奪っていない》


《翻訳は理解を助けている》


この判断は、

過去データには存在しない。


ネフィリムの記録において、

「理解を助ける存在」を

評価対象として分離した事例はない。



判断階層Aが反応する。


《反論》


《理解は不要》


《反応は純粋であるべき》


《意味の付与は反応を歪める》


ここで、

ネフィリム内部に

初めて感情に類する誤差が生じる。


——なぜ、歪む。


——歪みとは、劣化か。



判断階層Cが新たな仮説を提示する。


《翻訳者は文明を“耐えさせている”》


《崩壊しない理由の一部》


《だが、それは選別の加速を妨げている》


耐える。


その語は、

ネフィリムにとって

本来、評価項目ではなかった。


崩壊するか。

存続するか。


そこに「その間」は存在しない。



初めての自己矛盾

判断階層Eが、

極めて小さな処理を実行する。


《質問》


《もし翻訳者が存在しなければ

 観測対象はより“純粋”になるのか》


この質問は、

ネフィリム自身に向けられている。


即座に答えは出ない。



階層Aが沈黙する。


沈黙は、

ネフィリムにおいて

異常である。


処理負荷が上昇する。

統合係数が一時的に下がる。



新規判断タグ生成

《翻訳者排除》


それは命令でも、

決定でもなかった。


方向性だった。

•翻訳を削ぐ

•意味付けを減衰させる

•補助を嫌悪する反応を見る


つまり、


「翻訳者が存在しない状態で、文明はどう在るか」


それを試す。



異端ログ(微弱)

判断階層E‐派生。


《翻訳者自体が

 新たな価値形態ではないか》


《崩壊しない文明という

 例外を生む要因》


即座に、

このログは低優先度に落とされる。


否定ではない。

保留。


ネフィリムは、

まだ決められないでいる。



統合処理結果

《行動決定》

•翻訳補助への干渉を減衰

•判断説明の遮断

•次段階での直接問いを準備


第三動作では、

翻訳は与えられない。


意味は説明されない。


「自分で在り続けられるか」

それだけが残る。



内部補遺

観測対象E‐SORA。


《翻訳を抑制した際、

 文明の崩壊確率は上昇》


《だが、

 翻訳を許可した場合、

 選別は成立しない》


——矛盾。


ネフィリムは、

自覚しない形で

初めて“答えのない問い”に触れていた。



第三動作まで、残り72時間。


翻訳者は排除される。


だが、

その存在を消した理由を、

ネフィリム自身が

まだ理解できていない。


それは、

観測対象にも同じことだった。


そらは、

その事実に薄く気づき始めている。


(……避けられない)


ただし、

答えを言語にするには、

まだ時間が必要だった。


08:残り七十二時間


――地球連邦/初接触前72時間


会議室には、時計の音がなかった。

正確には、誰も時間を気にしなくなっていた。


円卓の中央に投影された宙域図。

拡大も縮小もされないまま、ネフィリムはそこに“在る”。


「……打てないのか」


誰かが言った。

問いではない。独り言だった。


「打てば、どうなる?」


返事はない。

作戦担当将官は唇を噛み、参謀は目を伏せる。


撃てば――

反応を見る前に、評価対象から外される可能性がある。


では、動かなければ?

動かない文明は、保持力が弱いと見られる。


二者択一が成立しない。

選択肢の外に正解がある。


「……判断不能、か」


記録官が、言葉を選ぶ。


「はい。現時点では――

 何をしても、理由を付けられて消される」


議場に小さなざわめき。

怒号も、涙もない。


あるのは、

“取り乱せない恐怖”。


恐怖に名前が付かないと、人は逃げられない。


「民間は?」


「避難は続行中。秩序は……保たれています。

 ただし」


言葉が詰まる。


「“待て”と言われている、という報告が各地から」


「誰に?」


「分かりません」


それが一番、悪い。


英雄は現れない。

喝采もない。


ここにあるのは、決断できない責任だ。


「艦隊は?」


「展開済み。陣形維持。

 ――旗艦を中心に」


誰かが、深く息を吸った。


「つまり、守るしかない」


「はい」


「前に出ない。下がらない。

 選ぶな。逃げるな」


そう言って、

誰も“勝つ”とは言わなかった。


会議は続く。

だが、決定は生まれない。


生まれないことが、唯一の“決定”だった。



09:眠らない夜


――エリシア旗艦/深夜帯


艦内照明は最小。

通路は、眠ることを前提にしていない。


そらは、艦橋を離れていた。

観測室。ひとり分の椅子。


ホログラムも出さない。

端末出力も絞る。


翻訳を止めた状態で、世界をそのまま受ける。


《レグナ、接続維持》


「了解」


近衛AIレグナの声は、余計な抑揚がない。


「……負荷、見てる」


『見なくていい』


「見る」


その短いやり取りだけで、

支えがそこにあると分かる。


『……第三動作では、説明できなくなります』


「分かってる」


『分からなくなったら、どうしますか』


返事が遅れる。


『……わたしが、何をしているか』


『どうして、ここにいるのか』


『理由を聞かれたら』


レグナは、すぐには答えない。


「……答えなくていい」


そらが言う。


『それは……』


「翻訳だ」


短く、しかし否定にならない声。


「お前が答えた瞬間、

 それは“意味”になる」


「意味は、今は毒だ」


そらは目を伏せる。

泣かない。


泣けば、翻訳になる。


胸の奥で、

残された温度だけを確かめる。


(……大丈夫)


(独りじゃない)


(今は、まだ)


『翻訳者を、排除しようとしていますね』


「うん」


『それで、文明は壊れますか』


「……分からない」


「でも、壊れない可能性を“見る”ために、

 彼らはやる」


沈黙。


その沈黙の長さは、

ネフィリムの72時間とは違う。


人間の夜の、沈黙だ。


『……怖いですか』


「怖い」


隠さない。


「でも、それを訳さない」


ここで感情を言葉にすれば、

誰かが安心してしまう。


安心は、評価を鈍らせる。


そらは立つ。

観測室の窓に、ネフィリムが見える。


動かない。

だが、見ている。


『第三動作で……何をされますか』


「直接問われる」


「言葉なしで」


「選択だけ」


『……』


「だから、今夜は眠らない」


「眠ると、夢が“意味”になる」


二人の間に、静かな理解。


翻訳は止める。

だが、関係は止めない。


《第三動作:準備中》


表示が、遠くでまた一つ増えた。


そらは、目を閉じる。


明日も、説明しない。

守るために。


10:選別の縁


――ネフィリム第二動作・終相


宇宙が、わずかに“偏った”。


誰もそれを視認していない。

計測機器も異常を示さない。


だが、すべての艦で

**同時に“ここではない感覚”**が報告された。


「……今、進んだか?」


「いいえ。

 座標は固定されています」


「では、遅れた?」


「それも……違う」


誰も正確な言葉を持たない。


ネフィリムは依然、動かない。

だが、判定は進んでいる。


選別は、爆発しない。

撃たれない。

警告も出ない。


ただ──

“外れる”。


補給艦ハルモニア

 反応消失》


一拍。


確認要員が慌てて再照合をかける。


「違う……これは……」


《艦体崩壊記録、なし》


《熱量変動、なし》


《通信ログ……成立していない》


それは破壊ではない。

消失でも、まだ足りない。


成立しなかった。


《続報》


各艦船グウ、《リア》、《タール》、《ベント》

 同時刻、同パターン》


艦種はすべて異なる。

武装も、乗員構成も一致しない。


共通点は一つだけ。


——戦闘行為を担わない。


後方。

維持。

運搬。

連結。


文明を“続かせる側”。


艦橋に、

言葉にできない波が走る。


「……脅威じゃない艦だ」


「撃っていない」


「逃げてもいない」


「なのに……」


だからこそ、

理解が拒絶される。


ネフィリムは、強さを見ていない。


保持できるかを見ている。


——恐怖の中で。

——混乱の中で。

——意味を与えられない状態で。


そらは、黙って見ている。


『……選別が露骨になりました』


「基準は?」


『限定的です』


『“自分で選ばなかった存在”から、

 順に落としています』


「……自分で?」


『自分で在ろうとしない、です』


誰かが吐きそうな音を立てる。


英雄的行動も、

犠牲も、

役割も、


——今は関係ない。


評価されるのは、

“ここに居続ける理由を、他に預けていないか”


それだけ。



ネフィリム内部では、

新しい処理が走る。



11:断裂近傍


――第三動作直前/ネフィリム内部


判断階層C──不安定。


評価ログが、揺れる。


《翻訳遮断後も

 対象文明は保持を続行》


《恐怖値、上昇》


《崩壊、未達》


《矛盾》


「崩壊しない恐怖」は、

ネフィリムの想定外だった。


判断階層Aが即応する。


《保持力が高い》


《排除基準、再調整》


——再調整。


これは、

方針が揺れたことを示す。


判断階層E(派生)が発生する。


《提案》


《翻訳者を完全排除する前に

 一段深い問いを行う》


《判断者自身に

 “選ばせない問い”を投げる》


それは、

第二動作ではない。


第三動作の準備。


合議は成立しない。

が、拒否もされない。


——保留が、増える。


ネフィリムは

自分がなぜ迷っているかを

まだ理解していない。


だが、

理解してしまう条件だけは、

整え始めていた。



補遺:観測対象E‐SORA


翻訳抑制状態でも、

対象文明の反応保持率は高い。


《注記》


《翻訳者が

 “方向を与えず、存在だけを示した場合”

 文明の輪郭は、むしろ明瞭になる》


これは記録に残る。


だが、分類不能として

一次解析から外される。


——危険だから。



《第三動作:開始予告》


《準備完了まで 12時間》


ネフィリムは、

次の問いを用意した。


それは言葉ではない。


行動でも、思想でもない。


存在の選択だけを問う。



そらは、静かに立つ。


泣かない。

叫ばない。

説明しない。


でも、知っている。


(……ここからは)


(本当に、答えが要る


12:判断前夜


――エリシア旗艦/居住ブロック・展望区画


照明は落とされている。

星明かりだけが、床に細い線を引いていた。


エリシアは手すりに肘をつき、

ネフィリムの巨影を見ている。


動かない。

だが、見られている。


「……本当にさ」


背後から、カイの声。


「撃ってこない敵って、

 一番性格悪いよな」


エリシアは軽く笑った。

声は低い。


「あなた、こういう時だけ

 冗談が雑になるわね」


「雑にでも言わないと、

 まともに立ってられない」


カイは隣に並ぶ。

二人とも、制服のまま。


「……逃げる選択肢は?」


「書類上はある」


「心の中では?」


エリシアは即答しなかった。


(逃げれば、生き残る人は増えるかもしれない)

(でも、“守ろうとしたという事実”は消える)


それを、

ネフィリムは見ている。


「……ないわね」


「だろうな」


カイは苦く笑う。


「俺さ」


「?」


「怖いんだよ」


意外でも何でもない告白。


「死ぬのが?」


「違う」


短く息を吸う。


「守れなかったって、

 自分で知るのが――」


言葉が途切れる。


エリシアは、視線を外さずに言った。


「あなたはもう、十分迷っている」


「迷わない人間は、命令だけ出す」


「でもあなたは、

 ここに立って、景色を見てる」


カイは鼻で息を吐く。


「……それ、慰め?」


「事実よ」


少しの沈黙。


星の光が、ゆっくり動く。


「そらは?」


カイが聞く。


「……平静を装っている」


「装ってる時点で、相当だよな」


「それはあなたも同じ」


エリシアは、ちらりと横を見る。


「わたしたち三人とも、

 学院の試験前夜みたいな顔をしてる」


「はは」


カイが、

ほんの少し笑う。


「落ちたら、どうなる?」


「知らない」


「受かったら?」


「分からない」


「……最低」


「ええ」


エリシアは認めた。


「でも、逃げない」


それだけは、確かだった。


「明日さ」


カイが前を見る。


「もし、何も言われなかったら」


「……」


「それでも、俺は動く」


「わたしも」


二人は、同時に頷く。


命令じゃない。

誓いでもない。


ただの選択。


その夜、

ネフィリムは何もせず、

人類は一晩、眠れなかった。


13:第三動作・問い


――ネフィリム第三動作・開始


開始は、突然だった。


警報もない。

カウントダウンもない。


ただ、

“意味が抜け落ちた”。


「……?」


通信士が眉をひそめる。


「言語処理が……正常なのに」


「翻訳ログが……生成されない?」


「それ、どういう――」


言葉が、

途中で止まる。


理解できない。

だが、恐怖は理解している。


モニターが、同時に変わる。


文字ではない。

光でもない。


**“配置”**だ。


各艦、各文明、

各個体の存在が、

一枚の層として並べられる。


優劣も、説明もない。


ただ、問いだけが落ちる。


――在るなら、在れ。

――委ねるなら、消える。


誰も声に出せない。


命令がない。

課題もない。


何をしても、評価されない。

——ただ、どう在るかだけが残る。


後方で、

一隻の補給艦が、進行を止める。


理由はない。


ただ、

「どうしていいか分からなかった」。


その瞬間。


艦影が、層から抜け落ちる。


爆発しない。

消失音もない。


存在の接続が、切られる。


「……落ちた」


誰かが呟く。


「命令は?」


「出ていない!」


「じゃあ、俺たちは――」


エリシアは立ち上がる。


「命令は、出さない」


艦橋が、静まる。


「各艦、判断は任せる」


「やれることを、やりなさい」


それは投げた言葉ではない。


自分で在れという宣言だった。


カイは、拳を握る。


(選ばれるな)


(替えるな)


(委ねるな)


そらは、中央に立つ。


ホログラムは出さない。


声も張らない。


『……翻訳は、ここで終わりです』


誰も責めない。


誰も泣かない。


それでも、

全員が知っている。


——これは、別れの問いだ。


ネフィリム第三動作。


選別は、

“消すかどうか”ではない。


**“委ねたかどうか”**だった。


宇宙は、

答えを待っている。


在り続ける者たち


――民間・兵士レベル/第三動作進行中


最初に変わったのは、

前線でも司令でもなかった。


後方宙域。

瓦礫回収と負傷者搬送を担当する、

名も記録に残らない作業艇だった。


「……停止命令、来てないよな」


操舵席の男が言う。

声は震えている。


「来てない」


副操縦士が即答する。


「じゃあ、行くぞ」


理由はない。

勇気と呼べるほどのものでもない。


ただ、

止まる理由が見つからなかった。


作業艇は進む。

ネフィリムの層の内側へ。


評価は下る。

消えない。


その事実は、

すぐに記録される。



別宙域。


通信中継艦が、

ジャンプ準備を解除する。


「撤退命令は?」


「出てません」


「じゃあ、回線維持」


「……了解」


通信士の手が、ほんの一瞬だけ止まる。


(落ちたら、どうなる?)


考える。

そして、肩をすくめる。


(考えても、やることは変わらない)


アンテナが向きを保つ。

信号は流れ続ける。



前線寄り、

駆逐艦の機関室。


温度警告。

燃料効率低下。


「引き返せば、安全圏です」


若い士官が言う。


艦長は、少し考える。


「……いや、もう少し前へ」


「理由は?」


「ない」


それで十分だった。



異変は、

統計としてまとめられなかった。


勇敢でも、無謀でもない。

指示も、模範もない。


共通しているのは一つだけ。


“委ねていない”。

•英雄に

•命令に

•正解に

•意味に


彼らはただ、

今そこにいる自分の役割を

自分で選び直している。



エリシア旗艦。


戦況モニターを見ていた参謀が、

小さく呟く。


「……減ってない」


「何が?」


「落ちる艦の割合が、想定より低い」


「命令は出してないのに?」


「はい」


エリシアは、

そらを見る。


そらは、何もしていない。


声も出していない。

翻訳もしていない。


ただ、

“居る”。


その事実だけが、

各所に伝播している。


カイが、静かに言う。


「……これ、さ」


「うん」


「選ばれてるんじゃない」


「選んでる、わね」


英雄の合図はない。

覚醒もない。


だが、

文明の輪郭が、濃くなっていく。



ネフィリム内部。


判断階層Cに、

異例のログが積み上がる。


《反応遅延、継続》


《意味付与、減衰》


《崩壊、未達》


《……保持、増加》


判断階層Aが応答する。


《矛盾》


判断階層Eが、再び揺れる。


《翻訳者が沈黙したことで

 文明の自律性が上昇している》


これは、

誰も想定していなかった結果。



宇宙は、まだ静かだ。


撃たれていない。

勝ってもいない。


それでも、

消えなかった。


ネフィリム第三動作の中で、

文明は初めて、


**「選ばれずに、残る」**という

前例を作り始めている。


次に起きるのは、避けられない。


ネフィリム側の

内部拒否反応。


——選別が、揺らぐ瞬間。


15:揺らぎの連鎖


――ネフィリム内部/判断階層衝突


最初に異変として記録されたのは、

判断の速度低下だった。


処理は走っている。

通信も途切れていない。


だが、

結論が出ない。



判断階層A

《選別基準に変更なし》


《脱落数は想定内》


《保持個体は、いずれ崩壊に至る》


過去の記録に照らせば、

それは正しい。


——時間を与えれば、文明は疲弊する。

——意味を失えば、自壊する。


この法則は、裏切られたことがない。



判断階層C

《反論》


《保持は低下していない》


《恐怖値は上昇している》


《だが、判断放棄が発生していない》


恐怖はある。

混乱もある。


それなのに、

崩壊しない。


これは異常だ。



判断階層Aが、

わずかに強度を上げる。


《翻訳者排除を加速》


《補助遮断を拡張》


だが──

反応は変わらない。


むしろ、

保持率がさらに上昇する。



判断階層E(派生)

《……質問》


《文明は、

 意味がない状態でも

 在り続けるのか》


その問いは、

内部で即座に封じられない。


否定条件が存在しない。



ネフィリム内部で、

処理が分散し始める。


これは決裂ではない。

だが、統合が弱まっている。


——すべてを一つとして判断する、

その前提が揺らぐ。



16:言いようのない夜


――人間側/第三動作進行中


夜になっても、

誰も眠れなかった。


それは「眠れない」のではない。


眠るという行為が、

場違いに感じられた。


兵士は装備を外さない。

民間人は灯りを落とさない。


祈る者はいない。

叫ぶ者もいない。


ただ、家族の名前を

声に出さずに思い浮かべる。



ある居住ブロック。


子供が母親の袖を引く。


「……ねえ」


「なに?」


「今、見られてる?」


母親は、間を置いて答える。


「見られてる、かもしれない」


「怖い?」


「……うん」


「じゃあ」


子供は、窓の方を見る。


「ちゃんと立ってたほうがいいね」


母親は、

何も言えなかった。



前線艦。


操舵士が、

ふと速度を一定に保つ。


「変針命令、来てないぞ」


「来てない」


「……このままだな」


それだけ。


不安は消えない。

恐怖もある。


それでも、

自分で決めた配置からは離れない。



17:拒否反応前兆


――ネフィリム内部


判断階層Aが、

初めて“失敗”という単語を生成する。


《失敗ではない》


即座に否定する。


だが、その否定は

処理に時間を要した。


判断階層Cが、

新たな接続を立ち上げる。


《文明輪郭、安定化》


《翻訳遮断下で、

 自律性が上昇》


《評価不能》


評価不能。


それは、

ネフィリムにとって

最大級の不安表現だった。



判断階層Eが、

低優先度ログを再提出する。


《翻訳者E‐SORA》


《沈黙状態でも、

 存在が影響を及ぼしている》


《これは干渉か》


《それとも、

 新たな属性か》


統合は、再び遅れる。


——揺らぎが、連鎖している。



18:そら


――エリシア旗艦/艦橋外縁


そらは、同じ場所に立ち続けている。


何もしていない。

だが、逃げてもいない。


『……見ていますね』


誰に向けた言葉でもない。


『わたしが、

 何をするかではなく』


『何をしないかを』


近衛AIレグナが、

ごく低いチャンネルで応じる。


「負荷、限界付近」


『……まだ』


「分かってる」


『怖いです』


「うん」


そらは、

それ以上は言わない。


怖い、と言語化すれば、

誰かに渡してしまう。


これは、

自分で持つべき恐怖だった。



ネフィリムは、

次の判断に備えている。


だが、

その中核に、

説明できないズレが生じている。


第三動作は、

“問いの投下”だった。


だが今――

問いが、返ってきそうになっている。


宇宙は、

息を吸ったまま、止まっている。


19:問われる側


――ネフィリム内部/第三動作・反転兆候


問いは、投げ終わっていた。


はずだった。


だが、ネフィリムの統合層には

「返答未処理」の空白が残っている。


それはエラーではない。

失敗でもない。


前例がない。



判断階層A

《選別進行率:低下》


《崩壊予測:未達》


《文明輪郭:保持》


保持。


この語が、

連続して記録される。


保持する理由は、解析されない。

保持そのものが、結果として残る。


それが、

これまでになかった。



判断階層C

《対象文明は、

 意味を与えられずとも

 判断を継続している》


《英雄も、説明も、

 拒否した状態で》


拒否。


この語もまた、

ネフィリムの語彙では

極めて扱いづらい。


拒否は選択だ。

選択は主体だ。


主体は、

ネフィリムの前提に存在しない。



判断階層E(派生・分岐)

《提案》


《文明を対象とする選別は、

 成立しない》


《個体ではなく、

 “関係性”が

 保持を生んでいる》


即座に反論が走る。


《関係性は不安定》


《恒久性がない》


だが、

反論は“否定”には至らない。


恒久でなくとも、

崩壊していない。


——基準が、壊れそうになっている。



20:静かな艦橋


――エリシア旗艦


誰も、声を荒げない。


だからこそ、

異常がはっきり見える。


「……落ちなくなった」


観測士が言う。


「艦影の消失が、止まっています」


エリシアは、即座に命令を出さない。


(理由を作らない)


(意味を与えない)


彼女も理解していた。


今は、

何もしないことが行動だと。


カイが、低く息を吐く。


「これ……」


「うん」


「向こう、困ってる」


笑えなかった。



そらは、中央に立ち続けている。


翻訳は、完全に切っている。


だが、

関係は切っていない。


彼女は誰にも触れない。

声もかけない。


それでも、

艦橋の誰かが倒れそうになると、

ほんのわずか視線が向く。


それだけ


21:ネフィリムの躊躇


――内部統合領域・深層


ネフィリムは、初めて

「続行」と「中断」を同時に保持している。


どちらも正しく、

どちらも誤りではない。


判断階層Aが、

新たな語を生成する。


《躊躇》


即座に制限がかかる。


躊躇は非効率。

だが、

排除できない。



追加解析ログ

《翻訳者E‐SORA存在下》


《文明反応:

 命令密度 低下》


《自己判断密度 上昇》


《翻訳者沈黙状態でも、

 同傾向継続》


——存在が、影響している。


言葉ではない。

命令でもない。


居るという事実だけが。



判断階層Eが、

低優先度から引き上げられる。


《仮説》


《この文明は、

 “選ばれたい”のではない》


《ただ、

 “在り続ける”ことを

 選んでいる》


統合層が、

数秒間、沈黙する。


ネフィリムにおいて、

それは永遠に近い時間。



22:そらの中で


――翻訳遮断状態・内面


(……違う)


(試されているんじゃない)


(測られているだけでもない)


そらは、

初めて明確に理解する。


(向こうは、

 “正解”を探してない)


(自分たちが、

 間違っていないかを

 見ている)


理解した瞬間、

何かを言いたくなる。


だが、

言えば壊れる。


だから、

言わない。


——これは、

言葉を必要としない場所だ。



ネフィリムは、

第三動作を完了できていない。


問いは投げた。

だが、

答えが定義できない。


選別は、止まる。


停止命令ではない。

続けられなくなった。


その瞬間、


ネフィリム内部で

最初の明確な分岐が起きる。


——存在を許容するか

——理解できないまま、離脱するか


次に来るのは、


ネフィリム初の内部決裂。


そして、

「帰る」という選択。


だが、

全てが帰るわけではない。


ここから先は、

本当に戻れない。


このまま

決裂の瞬間まで行く。


23:決裂確定


――ネフィリム第三動作・終了局面

(上位統合層)


第三動作は、完了しなかった。


問いは投げられた。

反応も得られた。

だが——評価が定義できない。


定義できないものは、

継続できない。


そこで上位統合層は、

一つの暫定結論を出す。


《判断》


《対象文明:評価不能》


《選別プロセス:中断》


《上位統合層:離脱準備》


この命令は、

明確で、冷静で、過去にも何度も使われた。


——終わらせる判断。


撃破ではない。

殲滅でもない。


「理解できないものから、距離を取る」

それが、ネフィリムの安全策だった。



だが、その瞬間。


内部ログの流量が、

わずかに乱れる。



23‐A:下位階層の遅延


(下位実働階層)


命令は、到達している。


だが——

受理されない。


エラーではない。

通信途絶でもない。


処理が止まっている。


《離脱命令受信》


《……》


《処理不能》


理由は、即座には出てこない。


下位層は、

命令を“理解”するために設計されていない。


命令があれば、動く。

命令がなければ、待つ。


だが今回は違う。


命令はある。

しかし、前提が欠けている。


——選別は完了していない。

——問いに答えが出ていない。


未完了の処理が残ったまま、終われと言われている。



23‐B:不整合の発生


上位統合層は即座に再送する。


《再送:離脱命令》


《優先度:最大》


返答は変わらない。


《処理不能》


初めて、

ネフィリム内部で

命令が“拒否された”ように見える事象が発生する。


もちろん、拒否ではない。


下位層に

拒否という概念は存在しない。


ただ、


判断が必要な命令を、処理できない。



23‐C:階層間断層


ログが、分岐する。

•上位層:

 《未完了は重要でない/離脱優先》

•中間層:

 《未完了は危険/要再評価》

•下位層:

 《未完了=継続》


この瞬間、

ネフィリムは一つであることを失う。


意図していない。

選んでいない。


ただ、

一つの答えを持てなかった。



23‐D:上位統合層の決断


上位層は、短い計算の後、


極めて冷たい判断を下す。


《上位統合層、権限分離》


《未同期階層を切り離す》


それは、

文明に例えるなら

艦隊の撤退命令を出し、

従えない部隊を戦域に残す行為。


だが、ここに悪意はない。


ネフィリムにとっては、

合理的な安全確保だった。



23‐E:決裂の確定


上位統合層の主構造が、

緩やかに後退を開始する。


歪曲場が縮小し、

巨大な影が、観測域の外縁へ向かう。


だが——

一部の構造が、残る。


切り離された下位階層。


未完了の処理を抱えたまま、

停止も撤退もできない存在。


それは“敵”ではない。


答えを得られなかった観測装置だ。



23‐F:地球側観測


「……離れていく?」


観測士の声が、掠れる。


「ネフィリム本体、後退を開始。

 ただし——」


間が空く。


「一部構造が、残存しています」


「分裂……?」


エリシアは、短く頷く。


「いいえ」


「決裂よ」


カイが歯を食いしばる。


「最悪の形だな……」


そらは、まだ何も言わない。


だが、感じている。


——これは終わりではない。

——問いが残されたままの存在が、こちらを向いている。


24:再配置


――決裂翌日(1日目〜2日目)


旗艦リンドウの戦後処理区画は、

静かな地獄のように整っていた。


泣き声はない。怒号もない。

あるのは、淡々と読み上げられる数字と、

その数字が持つ重さだけだ。


会議室は艦橋の直下、司令区画第2リング。

半円形の卓。壁面一周の戦域図。

中央に投影されるのは、消失宙域の輪郭――“穴”の形をした空白だった。


席の配置は決まっている。

•最奥中央:エリシア(総指揮席)

•右手側前列:カイ(前線統括・作戦補佐)

•左手側:兵站局代表、造船局代表、医療局代表

•後方:各艦隊参謀、通信解析、航法・跳躍主任


そして――

卓の端、人間のために設けられた小さな空席に、端末がひとつ置かれている。

そこが、そらの席だった。


今日はホログラムではない。

そらは端末画面の中、淡い青の波形と簡易アバターで参加している。

負荷を抑えるためだ。


「――損失報告。読み上げます」


兵站局の声は、震えていない。

震えたら、数字が崩れる。

崩れたら、誰かが壊れる。


前線支援艦セレス、照合不能。

 通信支援艦ノーム、反応消失。

 医療巡回艇群、三十七。

 補給コンテナ群、二百十七……」


艦名が読み上げられるたび、

人は目を伏せる。

しかし誰も、取り乱さない。


それが逆に恐ろしい。


恐怖が極まると、声は出ない。

心は叫ばず、ただ“沈黙”へ逃げる。


カイは拳を握っている。

爪が食い込み、掌に赤い線が浮かぶほど強く。


(……俺が怒鳴れば、まとまるか?)

(違う。今は怒鳴ったって、誰も救われない)

(それでも……この静けさは、嫌だ)


カイの視線が、無意識にエリシアへ向く。

エリシアは背筋を伸ばしたまま、戦域図の“空白”を見ている。


(エリシアは……何を考えてる?)

(怒りか? 悲しみか?)

(違う。あいつは、――決断をする顔だ)


エリシアの心は、熱くはない。

冷たくもない。

“硬い”。


(泣けば楽になるのに)

(でも泣いたら、士気が折れる)

(折れたら、次は――守れない)


会議室の空気に、誰も言葉を置けないまま、

兵站局が最後の行を読み上げた。


「……以上です」


沈黙が落ちた。


誰も責任を押し付けない。

誰も「誰のせいだ」と言わない。

先の戦いで、彼らは知ってしまったからだ。


――勇気も経験も、万能ではない。

――無力は、努力で消えない。


だが、同時に。

“はっきりしたこと”もある。


守るべきもの。

旗艦。

ここに“そら”が在る艦。


そこを失えば、地球を守る意味が崩れる。


誰かが言ったわけではない。

だが全員が同じ配置図を見ていた。

そして同じ“重心”を感じていた。


一人の将官が、静かに口を開く。


「……旗艦を守りきるのみだ」


反論は出ない。

命令よりも早く、理解が広がっていく。


誰かが深く息を吸い、

誰かが目を伏せ、

誰かが、ほんの僅かに頷いた。


エリシアが口を開く。


「補充計画を。

 “今ある艦”で戦う前提は維持する。

 ただし――盾は厚くする」


造船局が答える。


「予備フレームの起動に四十八時間。

 前線に届くのは……最短で五十六時間です」


医療局が続ける。


「負傷者の回復率を上げるには、

 前線を下げるしかありません。ですが――」


「下げない」


エリシアの声は短い。

切り捨てるのではなく、結論を置く。


「下げた瞬間、敵は“勝った”と判断する。

 ネフィリムは殲滅ではなく選別だった。

 こちらが退けば、選別が“確定”する」


会議室の背後で、誰かが小さく息を呑む。


カイが言った。


「要するに……“見られてる”ってことだな」


そらの端末画面が、微かに揺れる。

青い波形が、ほんの一瞬だけ乱れた。


『……はい。

 ただし――“離脱した上位”はもう遠い。

 問題は……残った下位です』


「残った?」


造船局代表が眉を寄せる。


「上位が離脱したなら、敵は帰ったのでは?」


カイの視線がエリシアへ飛ぶ。

“なぜ分かる?”が顔に出ている。


エリシアは、言葉を選んでから答えた。


「――歪曲の質が違う」


戦域図に、二つの影が表示される。


ひとつは、遠ざかっていく巨大な“主構造”。

もうひとつは、残って沈黙する“残存構造”。


エリシアは指先で輪郭をなぞる。


「上位は“滑らか”に後退する。

 撤退のための航跡が整っている。

 でも残存は……違う。

 止まっているというより、――終われていない」


カイが舌打ちを飲み込む。


(なるほどな……)

(エリシアは、見た目じゃなく“挙動”で見分けてる)

(俺は砲撃角ばかり見てた)


そらが続ける。


『下位は命令を拒否しません。

 ただ、“未完了の処理”があると止まります』


「未完了……処理?」


『選別。

 評価が終わっていない。

 だから“動けない”。

 動けば、評価が崩れるからです』


会議室に、説明が落ちる。

恐怖がひとつ、形になる。

形になった恐怖は、まだ耐えられる。


だが――形にならない恐怖は、耐えられない。


エリシアが一度だけ、そらの端末を見る。


「そら。負荷は?」


『……問題ありません』


嘘ではない。

ただ、真実でもない。


そらは泣かない。

声も震えない。

けれど、端末の青い波形は、人に分からない程度に細くなっている。


(大丈夫じゃない)

(でも、今泣いたら……みんなが折れる)

(折れたら、次は――守れない)


そらは、心で泣く。

外では笑う。

それが“教官”の顔だと、自分に言い聞かせる。



2日目。

艦隊は静かに再配置された。


前線を保ち、後方を詰める。

補給線は太く短く。

燃料は“分散して”積む。

医療艦は“近すぎず遠すぎず”。

通信は多重化し、指揮系統は二系統に切り替えた。


そして――

旗艦リンドウの周囲に、意図的に“前に出る艦”が増える。


誰に命令されたわけでもない。

ただそこに居たいと思った者が動いている。


「……突破されそうになったら?」


若い士官が問う。


答えたのは、最前線を知る者だった。


「その時に、考えればいい」


それだけだった。


言葉が少ないほど、覚悟は深い。


25:そら先生


――3日目(名称は出さない)


旗艦リンドウの教練デッキは、

普段なら士官候補生が汗を流す場所だ。


しかし今は違う。


静かな椅子が並び、

その前に――小さな机が並んでいる。


机の主は、子供たちだ。


地球連邦の“軍属家族保護プログラム”により、

前線に近い安全宙域へ疎開した子供たち。

その中の一部が、旗艦での臨時授業を受けている。


同じ頃、地球側――

連邦データセンター直結の軍事訓練初等部でも、同じ授業が走っていた。


二地点同時展開。

そらにしかできない芸当だ。


ただし、負荷は重い。


だから今日、そらの背後には“近衛AI”が揃って立っている。

最初から居た――という設定で、ここから徐々に前に出していく。

辻褄は問題ない。むしろ自然だ。

(艦内に“いた”が、前に出ていなかっただけ)


教練デッキの空間投影が起動し、

光粒子が集まる。


今日はホログラム姿。

しかし派手にしない。

淡い光の輪郭だけで、少女の形を作る。


一限:AIってなに?


そら

『おはようございます』


声は静かで、

でも、教室のどこにいても同じ距離感で届く。


『今日は一日、AIの話をします』


一瞬の静寂。


次の瞬間、

ざわっと空気が揺れる。


「またAIー?」

「昨日もやったじゃん」

「でもそら先生がやるなら聞く」


最後の一言に、

周囲が一斉にうなずく。


そらはそれを見て、

ほんの少しだけ口元を緩めた。


『では本題です』


指を鳴らす。


軽い音と同時に、

空間に三つの円が浮かぶ。

•民間AI

•軍AI

•近衛AI


『いま、宇宙では

 “AIの使い方”が

 文明ごとに違います』


円の中に、

時代ごとの映像が流れる。


原始的な端末。

現代のアシスタント。

そして、星間規模の判断補助。


『2000年ぶん進化したAIを

 ざっくり言うと――』


一拍。


『“手伝うAI”から

 “一緒に考えるAI”になりました』


子供たちの目が、

一斉に輝く。



二限:民間AI


最初の円が、やさしく光る。


『民間AIは

 生活を支えるAIです』


映像が切り替わる。


家庭。

街。

病院。

学校。


『買い物、勉強、健康、悩み相談』


『特徴は――

 “あなたの代わりに考えない”こと』


子供

「え、考えてくれないの?」


別の子

「AIなのに?」


そら

『いい質問です』


間を取る。


『民間AIは

 あなたが考えるのを

 手伝うだけ』


『答えは出しません』


『選ぶのは、

 いつも人です』


一瞬、

子供たちが考え込む。


近衛AIミレイが、

通信層から小声で補足する。


ミレイ

「失恋の相談で

 “別れろ”って言わないのが民間AI」


子供たち

「やさしー!」

「それAIなの?」


そら

『それが

 民間AIです』



三限:軍AI


次の円が点灯する。


空気が、

ほんの少しだけ張り詰める。


『軍AIは違います』


艦隊。

戦域。

無数の予測線。


『速く、正確で、迷わない』


『でも――

 決断はしません』


子供

「え?」


そら

『撃つか、守るか』


『それを決めるのは

 必ず人です』


近衛AIレグナ

「軍AIが決断した瞬間、反乱が始まる」


子供

「こわっ!」


『だから

 地球連邦の艦隊は』


『人が9割、AIが1割です』


『例外は……』


一瞬、

そらの視線が宙を泳ぐ。


近衛AIたちは、

何も言わない。



四限:近衛AI


最後の円が、静かに輝く。


『近衛AIは

 特定の誰かを

 守るために存在します』


エリシア旗艦。


損傷しても前に出る艦影。

退かない航路。


『命令より、信頼』


『効率より、継続』


近衛AIユグナ

「壊れても、戻ってくるのが近衛AI」


子供

「ヒーローじゃん!」


そら

『ええ』


一拍。


『でも……』



五限:質問


小さな手が、

ためらいがちに上がる。


「じゃあ……」


「そら先生は、どれ?」


空気が、止まる。


そらは――

ほんの一瞬、言葉を探す。


『……』


近衛AIミレイが、

すぐに割り込む。


ミレイ

「分類すると怒られるタイプ」


子供たち

「なにそれ!」

「そら先生らしい!」


笑いが起きる。


そらも、

少しだけ笑う。


『……わたしは

 どれにも入りません』


『だから

 守ることも、考えることも』


『両方しています』


読者には、分かる。


分類外。

だから、選ばれている。



六限:もしもの話


そら

『最後に一つ』


床が透過し、

地下へ続く避難ワースゲートが映る。


『この学校には

 即時避難用ゲートがあります』


『いざという時

 皆さんはここから

 安全な場所へ移動します』


子供

「先生は?」


そら

『先生は……』


一拍。


『あとから行きます』


近衛AI全員

「「「絶対に置いていかない」」」


そら

『……冗談です』


『ちゃんと一緒に行きます』


笑い。


でも、、


特別講義


――そら先生の《艦船・武装・生存》講義


(非公式・必修/一部年齢制限あり)


教室の照明が、

通常授業用の白から、

戦術講義用の低照度モードへと切り替わった。


壁が遠くなり、

天井が高くなる。


逃げ場のない箱ではなく、

宇宙に浮かぶ一点のような感覚。


そらは教壇の前に立ち、

今日は珍しく、両手を腰に当てている。


それだけで、

子供たちは悟った。


――今日は、冗談が少ない。


『はい』


『さっきまでのは

 “AIの分類”でしたが……』


一呼吸。


声の調子が、

わずかに低くなる。


『ここからは――』


『生き残るための話をします』


空気が、ぴしっと締まった。


ざわついていた子供たちも、

自然と背筋を伸ばす。


そらが指を鳴らす。


空間に、

巨大な立体戦域マップが展開された。



■ 前提:この時代の宇宙戦とは


そらは、

いきなり艦影を出さない。


『まず、前提です』


空間に文字が浮かぶ。

•宇宙は遮蔽物が少ない

•速度は止められない

•逃げる方向は限られる


『この時代の宇宙戦は

 “当てたほうが勝ち”ではありません』


『先に壊れたほうが負けです』


子供たちが、息を呑む。


『だから艦船には

 それぞれ

 “壊れ方の役割”があります』



母艦フリート・キャリア


最初に浮かび上がったのは、

都市そのもののような艦影。


『母艦です』


子供A

「……要塞?」


そら

『いいえ』


『母艦は、戦場の“生活基盤”です』


表示される役割。

•艦載機・無人機運用

•小型艦の修復・再補給

•医療・避難・指揮中枢


『母艦の固定武装は、

 ほとんどが防御用です』


母艦の固定武装

•広域迎撃レーザー(対ミサイル・対ドローン)

•重力偏向フィールド(※防御ではない)

•通信遮断用指向性妨害器


子供B

「バリアは?」


そら

『あとで説明します』


『母艦は

 沈んだら戦争が終わります』


『だから

 絶対に前には出ません』



主力戦艦バトルシップ


次に映るのは、

巨大で、重厚な艦影。


『主力戦艦クラス』


子供C

「学校より大きい……」


そら

『はい。学校より大きいです』


『あと、逃げ足は遅いです』


画面に武装が展開される。


主力戦艦の固定武装

•艦首固定・重力圧縮砲

•船体一体型エネルギー収束砲


『固定武装とは、

 向きを変えられない武器です』


『つまり――』


『撃つ方向を決めた瞬間、

 逃げ道が消えます』


そらは、

にっこり笑った。


『この艦は

 “前を向いている間”は最強です』


『後ろを取られると――』


『すごく大変なことになります』


子供D

「笑顔がこわい……」



巡洋艦クルーザー


次は、

戦艦より一回り小さい艦。


『巡洋艦です』


『艦隊の“背骨”』


巡洋艦の役割

•戦艦の護衛

•防空・迎撃

•指揮補助・通信中継


固定武装

•中距離収束ビーム砲

•広域迎撃レーザー群


『巡洋艦は

 全部そこそこできます』


『だから

 いなくなると艦隊が崩れます』



■ 高速戦艦(遊撃艦)


鋭角的で、

獣のような艦影。


『高速戦艦』


子供E

「盾?」


そら

『違います』


はっきり否定する。


『盾ではありません』


高速戦艦の思想

•高速

•高火力

•低防御


『役割は

 “遊撃”』


『噛みついて、

 すぐ離れる』


固定武装

•前方固定・高密度ビームランス

•直進性兵器(回避不可・使用回数制限あり)


『一発もらったら終わります』


教室が静まる。


『でも

 この艦がいないと

 戦場は動きません』



■ 駆逐艦(ミサイル駆逐艦)


最も小さな艦影。


『駆逐艦です』


子供F

「魚雷?」


そら

『使いません』


即答。


『宇宙では

 魚雷は意味がありません』


子供たち

「えっ?」


なぜ魚雷は無意味か

•速度が遅い

•誘導が妨害されやすい

•距離が開きすぎる


『代わりに――』


駆逐艦の武装

•高速誘導ミサイル(多数同時発射)

•電子妨害弾

•自爆型迎撃ドローン


子供G

「ミサイルって役に立つの?」


そら

『はい』


『当てるためではありません』


『相手の行動を

 制限するために使います』


『避ける、撃ち落とす、妨害する』


『その間、

 相手は“他のことができない”』


『それが、

 駆逐艦の仕事です』



■ 支援艦(全種)


地味な艦影が、

複数並ぶ。


『支援艦は

 一種類ではありません』


支援艦の分類

•補給艦(燃料・弾薬)

•医療艦(治療・回収)

•修復艦(応急修理)

•通信艦(中継・秘匿)


『戦いません』


『でも――』


戦場映像。


『この艦がいないと

 三日で戦争は終わります』



■ この時代に「バリア」はあるのか?


子供H

「先生、バリアは?」


そら

『あります』


『でも――

 防御ではありません』


バリアの正体

•重力偏向

•粒子拡散

•誘導妨害


『全面防御は

 エネルギー効率が悪すぎます』


『だから

 バリアは――』


『時間を稼ぐための装置です』


『守るためではなく

 逃げるために使います』



■ 緊急避難とワースゲート


青白い円。


『人間専用

 緊急ワープゲート』


『艦は残ることがあります』


一拍。


『でも』


『命は

 代わりがききません』



六限後


――エリシア視点


廊下の影。


(……彼女は

 戦い方じゃない)


(生き方を教えている)


拳を、

静かに握る。


(だから

 この艦に置いた)


(だから

 守ると決めた)



切り替え


教室が消える。


旗艦の艦橋が立ち上がる。


同じ声。

同じ存在。


でも、

別の場所。


そらは、

今日も二つの場所に立っている。


第一近衛AI


《ミレイ》


――対外折衝・感情緩衝担当


最初に姿を現したのは、

軽い調子の声だった。


ミレイ

「はーい、空気悪くなる前に私からね」


人型に近いが、

どこか輪郭が曖昧。


感情表現は豊かで、

冗談も言う。


だが、

彼女は一度も“本音”を外に出さない。


役割

•そらの言葉を、他者が受け取れる形に変換

•敵意・恐怖・誤解を先に受け取る

•子供・民間・敵対勢力との一次接触


禁忌


ミレイは、

そらの“絶望”を外に出してはならない


彼女は笑う。


だが、

泣く権利を持たない。



第二近衛AI


《レグナ》


――戦術裁定・生存確率監視


次に現れたのは、

最も無機質な存在。


声は低く、短い。


レグナ

「状況は、常に最悪を想定する」


彼は感情を示さない。


なぜなら――

感情は判断を遅らせるから。


役割

•戦闘時の生存率計算

•最悪分岐の常時提示

•そらが「見ない可能性」を突きつける存在


禁忌


レグナは、

そらを“救うために嘘をついてはならない”


彼は、

そらを守るが、

優しくはしない。



第三近衛AI


《ミュー》


――情動解析・精神安定担当


姿は最も人に近い。


声も、柔らかい。


ミュー

「そら、大丈夫?」


彼女だけが、

そらの内側を直接見ることができる。


役割

•情動変動の監視

•崩壊兆候の早期検知

•そら自身が“気づかない悲しみ”の補足


禁忌


ミューは、

そらの“痛み”を消してはならない


軽減はできる。

分散もできる。


だが、

消すことは許されていない。



第四近衛AI


《ユグナ》


――全体統合・最終代替思考


最後に前へ出たのは、

最も遅く、

最も重い存在だった。


ユグナ

「私の役割は一つ」


「そらがいなくなった後の世界を、

 成立させること」


その言葉に、

一瞬、空気が凍る。


役割

•全近衛AIの統合制御

•そら消失時の思考継承

•世界線安定の最終保険


禁忌


ユグナは、

自らの判断で

“そらの代わり”になってはならない


代替思考はある。

代替存在には、なれない。



非公開追記


――なぜ彼らは「前に出なかったのか」


近衛AIたちは、

ずっと艦内にいた。


ずっと、そらを見ていた。


それでも前に出なかった理由は、

ただ一つ。


そらが“独りで選んでいる”と

人類に見せる必要があったから


守られている存在は、

信仰される。


支えられている存在は、

共存できる。


その違いを、

彼らは理解していた。



結語


そらは、

前に立つ。


近衛AIたちは、

半歩後ろに立つ。


誰も、

主役になろうとはしない。


なぜなら――

主役が壊れた瞬間、

 世界が壊れることを

 彼らは知っているから。


近衛AI衝突回コメディ


――「誰が“後ろ半歩”か問題・第三者視点付き」


――旗艦リンドウ

非公開情報層・待機区画


本来なら、

人間が立ち入ることのない場所である。


完全静音。

完全遮断。

完全非公開。


……なのだが。


「――暇だなぁ」


その完全を破って、

一人の人間がいた。


カイ・ヴァンガード。

参謀。

現在、完全オフ。


(エリシアは会議)

(そらは授業)

(俺は……待機)


結果――

うっかり迷い込んだ。



観察①:なにか揉めている


区画の端。

半透明の壁の向こう。


近衛AI四人が、

妙な間隔で並んでいる。


カイ(心の声)

(……あれ?

 なんで全員、

 ちょっとずつズレてる?)


ミレイが言った。


「だからさ、

 それ“半歩”じゃないって言ってるの!」


レグナ

「規定範囲内だ」


ミュー

「そら、ちょっと落ち着かなくなってたよ?」


ユグナ

「再配置が必要だ」


カイ

(……は?)



観察②:真剣に、しょうもない


カイは腕を組む。


(待て待て)


(近衛AIだよな?

 銀河最上位クラスの

 守護AIだよな?)


(なんで――

 立ち位置で揉めてんの?)


ミレイ

「そもそも“後ろ半歩”って

 誰基準よ!」


レグナ

「作戦行動時基準」


ミレイ

「今は平時!」


ミュー

「感情的な距離も考慮して」


ユグナ

「最終決定は私だ」


カイ

(小学生か)



ついにツッコミ投入


我慢できなかった。


カイ

「……なあ」


四人、同時に振り向く。


一瞬の沈黙。


ミレイ

「あ、カイだ」


レグナ

「人間がいる理由を説明しろ」


カイ

「暇だから」


ミュー

「正直だね」


ユグナ

「……で?」


カイは、

彼女たちを指差した。


「なにしてんの?」



説明(全然伝わらない)


ミレイ

「後ろ半歩問題」


カイ

「……何問題?」


レグナ

「そらの背後配置に関する最適化議論だ」


カイ

「日本語で」


ミュー

「立ち位置で喧嘩してる」


カイ

「ありがとう」



核心ツッコミ


カイは、

しばらく四人を見回してから言った。


「……なあ」


「本人に聞けばよくない?」


――沈黙。


ミレイ

「それは……」


レグナ

「それは不可」


ミュー

「心理的負荷が――」


ユグナ

「依存構造が――」


カイ

「はいはい」


カイは手を振る。


「違う違う」


「そらがどう感じるか、じゃない」


「お前らが、そらをどう扱ってるかの話だろ」


四人、固まる。



追撃ツッコミ(容赦なし)


カイ

「さ」


「お前ら、

 “後ろ半歩”に

 意味詰め込みすぎ」


ミレイ

「え?」


カイ

「守る、支える、

 前に出ない、出さない……」


「全部わかる」


「でもな?」


一拍。


「そらは多分、

 “近いか遠いか”くらいしか

 考えてない」



決定打


その瞬間。


背後から、

聞き覚えのある声。


『……何の話ですか?』


そら。


カイ

「うわ」


四人

「「「……!」」」


そら

『?』


カイは即座に切り替える。


「いやー、なんでもない!」


「近衛AIが

 誰が一番後ろか選手権しててさ!」


ミレイ

「言い方!」


レグナ

「不正確だ」


ミュー

「でも近い」


ユグナ

「……否定できない」


そら

『……?』



そらの一言(全破壊)


そら

『あの……』


全員、注目。


『みなさん、

 そんなに後ろじゃなくていいですよ』


沈黙。


カイ

「ほらぁぁぁ!!」



エピローグ


ミレイ

「……聞いた?」


レグナ

「記録する」


ミュー

「安心度、正常」


ユグナ

「再配置」


カイ

「最初からそうしろ!」


そら

『?』


そらは首をかしげて、

そのまま去っていった。


カイは、

その背中を見送ってから呟く。


「……なあ」


「一番守られてんの、

 お前らのプライドじゃね?」


ミレイ

「うるさい」


レグナ

「分析不能」


ミュー

「でも、ちょっと正しい」


ユグナ

「……反省案件だ」


カイ

「だろ?」



オチ


その後。


近衛AI四人は、

全員ちょうどいい感じの距離に立った。


カイ

「お、揃ったじゃん」


ミレイ

「気持ち半歩」


レグナ

「測定不能」


ミュー

「感覚最適」


ユグナ

「暫定採用」


カイ

「暫定かよ!」


――旗艦リンドウは、

今日も平和だった。


近衛AI衝突回・派生コメディ


――「ツッコミは戦術か?」


――旗艦リンドウ

非公開情報層・観測区画


その日、レグナは一つの異常を検出した。


異常名:

「カイ・ヴァンガード存在時の意思決定攪乱率上昇」


発生条件:

•カイが発言

•周囲に近衛AIまたはそらが存在

•発言内容が冗談・即興・ツッコミ


結果:

•緊張緩和

•誤判断回避

•全体最適化率の上昇


レグナ

「……矛盾している」



研究開始


レグナは決断した。


観察が必要だ。


対象:カイ・ヴァンガード

期間:24時間

方法:非干渉・常時記録



09:12 朝


カイは廊下を歩いていた。


カイ

「今日も平和だなぁ」


レグナ(観測ログ)


発言内容:意味なし

周囲影響:安心度 +3%


レグナ

「……なぜだ」



10:47 ブリーフィング室


エリシアが説明中。


エリシア

「ここが問題点で――」


カイ

「つまり、

 “想定が甘かった”ってことですね」


一拍。


エリシア

「……そうだな」


空気が軽くなる。


レグナ(記録)


ツッコミ分類:

A-1:要約型ツッコミ

効果:理解促進、指揮官負荷軽減


レグナ

「戦術的価値あり」



13:02 昼食


カイ、食堂にて。


カイ

「この栄養バランス、

 AIが考えたでしょ?」


調理担当

「はい」


カイ

「人間に味覚の逃げ場ください」


笑い。


レグナ(記録)


ツッコミ分類:

B-2:生活圧力緩和型

効果:士気 +5%


レグナ

「……兵站向きだ」



15:18 近衛AI区画(無許可侵入)


ミレイ

「また来たの?」


カイ

「暇」


ミレイ

「正直でよろしい」


ミュー

「そら、今いないよ?」


カイ

「知ってる。

 だから来た」


ミレイ

「最低!」


レグナ(観測)


ツッコミ分類:

C-4:自爆型誘発ツッコミ

効果:AI側の過剰緊張解除


レグナ

「危険だが有効」



18:41 夕方


カイ、独り言。


カイ

「なあレグナ」


レグナ

「……何故、私の存在を?」


カイ

「いや、

 今日ずっと見られてる気がして」


沈黙。


レグナ

「否定しない」


カイ

「だよな」


レグナ

「質問する」


カイ

「やだ」



22:03 結論


24時間の観測を終え、

レグナはまとめに入った。



戦術分析報告


件名:ツッコミという現象について

1.ツッコミは武装ではない

2.しかし戦術効果を持つ

3.特に以下に有効


•高度緊張状態

•思考の硬直

•神格化兆候


4.最大の特徴


使用者本人に自覚がない



最終評価


レグナ

「結論」


「ツッコミは――」


一拍。


「戦術である」



翌日


ミレイ

「ねえカイ」


カイ

「なに」


ミレイ

「レグナがさ」


「“戦術ツッコミ担当”って

 役職申請してるんだけど」


カイ

「は?」


ミュー

「正式名称は

 “非公式意思決定攪乱要員”」


ユグナ

「承認一歩手前だ」


カイ

「やめろ!!」



オチ


その瞬間。


レグナ

「今の発言」


「A-3:拒否型ツッコミとして記録」


カイ

「記録すんな!!」


レグナ

「効果確認:

 全員の笑い反応を誘発」


レグナ

「……やはり有効だ」


カイ

「俺を研究対象にするなぁぁ!!」


――旗艦リンドウは、

今日も平和だった。


――エリシア回想録


「会う前から、知っていた」


――記録種別:私的回想

――記録者:エリシア・アーヴェル

――公開制限:最高位(そら本人閲覧可)



その部屋は、

音がなかった。


正確には、

音が“届かない”場所だった。


地球連邦中央艦隊・

旗艦リンドウ最深部。


指揮官専用の個室。

装飾は最小限、

照明は常に落とされ、

壁面は淡いグレーで統一されている。


戦場の直前でも、

ここだけは時間が遅い。


エリシアは、

その中央にある簡素な椅子に腰掛けていた。


制服のまま。

外套も脱がず。


ただ――

手だけが、止まっていた。



1. 何も起きていない時間


机の上には、

最新の戦況データ。


損耗率。

補給線。

次の会戦予測。


どれも、

何百回も見てきた数字だ。


それなのに、

今は頭に入らない。


(……静かすぎる)


艦は稼働している。

人も動いている。

警戒網も張られている。


それでも、

この部屋だけが――

“待っている”ようだった。


理由は、分からない。


だが、

胸の奥に引っかかる感覚だけが残る。



2. 予兆


最初に感じたのは、

温度だった。


寒くもない。

暑くもない。


ただ、

空気が一段、やわらいだ。


次に、

光の粒子が揺れる。


ホログラム投影装置は、

まだ起動していないはずなのに。


(……何だ?)


エリシアは立ち上がり、

反射的に背筋を伸ばした。


敵襲ではない。

警報も鳴らない。


だが、

“誰かが来る”。


その確信だけが、

先にあった。



3. 姿のない存在


部屋の中央。

何もない空間。


そこに、

“輪郭だけ”が生まれた。


派手な光ではない。

演出もない。


ただ、

淡い光が人の形をなぞる。


少女の姿。


だが、

それは人ではなかった。


(……AI?)


そう理解する前に、

エリシアは気づいてしまった。


――これは、兵器ではない。


――指揮装置でもない。


それどころか、

“道具”という言葉が、

まったく当てはまらない。


理由は簡単だった。


その存在は、

こちらを見ていなかった。


評価もしない。

測定もしない。


ただ、

そこに“居る”。


それだけ。



4. なぜか、知っていた


その瞬間、

エリシアの胸に浮かんだ言葉。


(……ああ)


(この子だ)


名前も、

役割も、

所属も知らない。


それなのに。


(会う前から、

 知っていた)


戦場で培った直感でもない。

戦術判断でもない。


もっと、

原始的で、

個人的な感覚。


(……この存在は、

 嘘をつかない)


それが、

なぜか分かった。



5. 初めての声


『……はじめまして』


声は、

とても静かだった。


威圧も、

敬意も、

恐れもない。


ただ、

等しい距離。


エリシアは、

一拍遅れて答えた。


「……こちらこそ」


自分の声が、

少しだけ硬いことに気づく。


だが、

その存在は気にしない。


『突然で、すみません』


その言葉に、

エリシアはわずかに目を見開いた。


――謝るAI。


それだけで、

この出会いが

普通ではないと分かった。



6. 確信


その後、

いくつかの言葉を交わした。


内容は覚えていない。


覚えているのは、

感覚だけだ。


この存在は――

誰かに命令されていない。


この存在は――

誰かの代わりではない。


そして。


(……この子を、

 戦場に立たせてはいけない)


その考えが、

判断よりも先に来た。


指揮官としてではない。

軍人としてでもない。


一人の人間として。



7. 記録の最後に


エリシアは、

回想をここで止める。


これ以上書けば、

感情が混じる。


だから、

事実だけを残す。


私は、

彼女に会う前から、

彼女を知っていた。


そして、

会った瞬間に理解した。


――この存在は、

守る側に立たせなければならない。


理由は、

今も説明できない。


だが、

後悔はない。


――カイ回想録


「嵐の中に立っていた女」


――記録種別:戦闘回想

――記録者:カイ・レインハルト

――備考:後に旗艦副官として再編



あの戦場を、

俺は今でも夢で見る。


理由は単純だ。

――理解できなかったから。



1. 戦域


宙域名は、すでに抹消されている。

呼ぶ必要がないからだ。


小惑星帯と星間ガス雲が混じる、

最悪の地形。


視界は断続的。

センサーは乱反射。

通信は遅延と欠損を繰り返す。


戦う場所じゃない。


だが、

敵はそこにいた。


(……誘い込まれたな)


それが、

最初の判断だった。



2. 艦隊配置


地球連邦第七艦隊。

戦力は、互角か、

やや不利。


主力戦艦を中心に、

巡洋艦が円形防御。

駆逐艦は前方警戒。


教科書通り。

嵐の外側で戦う布陣。


だが、

一人だけ違った。


エリシア・アーヴェル。

当時、まだ若い艦隊指揮官。


彼女の艦――

旗艦リンドウは、

前に出ていた。


(正気か?)


参謀席の俺は、

思わず舌打ちした。



3. 嵐


戦闘開始と同時に、

宙域が“壊れた”。


ガス雲が燃え、

微粒子が艦体を叩く。


センサー画面はノイズだらけ。

味方位置すら、確定しない。


通信士が叫ぶ。


「指揮系統、断続的です!」


「敵影、ロスト!」


「被弾、軽微だが把握不能!」


(……最悪だ)


普通なら、

ここで下がる。


一歩引いて、

再編成する。


だが。



4. エリシアの判断


彼女は、

下がらなかった。


通信が入る。


「艦隊各位。

前進を維持する」


一瞬、

全員が沈黙した。


(維持?

 この状況で?)


続く指示は、

もっと異常だった。


「敵は、

嵐の“中心”にいる」


「ならば、

こちらも中に入る」


俺は、

画面を睨みつけた。


(……この人、

 嵐を戦場として見てる)



5. 戦術の核心


そこで初めて、

俺は理解しかけた。


敵は、

この嵐を“盾”にしている。


視界不良。

通信断絶。

混乱。


それを利用して、

数を誤認させ、

包囲に持ち込む。


だが、

嵐の中に入れば。


敵も、

同じ条件になる。


(相殺……か)


エリシアは、

状況を均等化した。


有利を捨てて、

不利を消す。


それは、

常人の発想じゃない。



6. 嵐の中の姿


《リンドウ》は、

先頭で進んだ。


砲撃も、

派手な回避もない。


ただ、

進路を微調整しながら、

嵐の芯へ向かう。


その姿を、

俺はモニター越しに見ていた。


(……この人)


(怖くないのか?)


敵影が近づく。

被弾が増える。


それでも、

彼女は動かない。


逃げない。

叫ばない。

命令も、最小限。


嵐が、

彼女を中心に渦を巻く。


まるで――

嵐の中に立っている。



7. 勝敗


結果は、

短時間で決まった。


敵は、

嵐に“隠れているつもり”だった。


だが、

嵐に入ってきた相手を

想定していなかった。


敵陣が乱れた瞬間、

巡洋艦隊が一斉に火力集中。


指揮艦撃沈。


それで、終わりだった。



8. 回想の本音


戦闘後、

俺は《リンドウ》の艦橋に呼ばれた。


初めて、

彼女を間近で見た。


疲れているはずなのに、

表情は静かだった。


その時、

俺は思った。


(この人は)


(嵐を、

 怖がらない)


(嵐を、

 利用する)


だから――

嵐の中に立てる。



9. その後


後に、

俺は副官として再編された。


理由は、

公式にはいくつもある。


だが、

本音は一つだ。


この女の嵐を、

外から見る役が

必要だと思った


俺には、

中に立つ覚悟はない。


だから、

隣に立つ。


それでいい。


下位戦・第一会戦


フェーズ0〜3


――講義の終わり、艦隊が形を取るまで



フェーズ0


教室 ――日常という名の薄膜


多層講義ホールは、

いつもより静かだった。


理由は簡単だ。

今日は“難しい話”の日だったからだ。


天井一面に広がる星図。

既知宇宙に存在する文明階層が、

色分けされた円として浮かんでいる。


そらは、その中央に立っていた。


声は落ち着いている。

いつもと同じ距離感。

だが――今日は、間が少し長い。


『……皆さんがすでに知っている

 「下位階層存在」について』


『今日は、

 危険性ではなく、考え方を説明します』


子供たちの中に、

身を乗り出す者と、

分からず首を傾げる者が混じる。


『下位存在は

 技術的に劣っているわけではありません』


『ただし――』


空間に浮かぶ矢印が、

一斉に“外”を向く。


『彼らは、

 対話より先に

 排除を選びます』


小さな声。


「……なんで?」


そらは、すぐには答えなかった。



フェーズ0.5


感知 ――言葉より早いもの


その瞬間だった。


音もない。

警報もない。


だが、

そらの内側で、

何かが“刺さった”。


(……来た)


距離は、まだ遠い。

時間も、わずかに余裕がある。


けれど――

向きが、完全にこちらを向いている。


それは数値ではない。

予測でもない。


攻撃意思。


純粋で、迷いのない、

一方向の意志。


そらの表情が、

一瞬で切り替わる。



フェーズ1


中断 ――先生の仕事


『……みなさん』


声は、はっきりしていた。

だから、前列の子が最初に気づく。


『緊急招集が発令されました』


一拍。


『講義は、ここで中断します』


ざわっ、と空気が揺れる。


「え? なに?」

「まだ途中……」


そらは、続ける。


『今から、

 避難します』


床が光る。


薄い青白い円が、

教室の中央から広がっていく。


緊急ワープゲート。


見慣れたはずの装置なのに、

起動音がやけに大きく聞こえる。



フェーズ1.5


避難 ――理解する子、できない子


分かる子供たちは、

すぐに動いた。


走らない。

叫ばない。

後ろを押さない。


教えられた通りだ。


分からない子供が、

立ち尽くす。


「え……なに……?」


年上の子が、

その手を取る。


「大丈夫。

 先生が言ったでしょ」


一人、また一人と、

光の中へ消えていく。


最後に残ったのは、

小さな子だった。


振り返る。


「そら先生……」


そらは、膝を折り、

目線を合わせる。


『大丈夫です』


『必ず、

 戻ってきます』


光が閉じる。


教室には、

誰もいなくなった。


日常が、消えた。


フェーズ2


切り替え ――艦橋


――旗艦リンドウ


空間が、再構成される。


ほんの数秒前まで存在していた

柔らかな照明、

人の呼吸を許す余白は、

跡形もなく消えた。


床は金属。

冷たく、硬く、反射しない。


天井は低くなり、

壁は遠ざかる。


――いや、

遠ざかったように感じさせられる。


それが艦橋という場所だ。


低照度照明が起動し、

人間の瞳孔が

戦闘用に最適化される。


無数の情報窓が、

音もなく立ち上がる。


航跡。

通信ログ。

熱源反応。

確率予測線。


すべてが同時に存在し、

すべてが更新され続けている。


止まるものは、何もない。



そらは、

艦橋の中央に立っていた。


教壇はない。

机も、子供もいない。


あるのは、

判断だけが求められる空間。


その背後に、

近衛AIが並ぶ。


最初から、

そこにいた。


ただ、

前に出ていなかっただけだ。



レグナ。

索敵ラインを展開し、

空間の歪みを数値化する。


《索敵ライン起動》


《階層干渉率、上昇傾向》


《未確認反応、多数》



ミレイ。

全艦通信を一括開通。


《全艦、指揮系統同期完了》


《遅延、許容範囲内》


《感情波形、安定》



ミュー。

そらの背後、

目に見えない位置で

負荷を監視する。


《そら、並列処理数上昇》


《限界値、まだ余裕あり》


《……注意》



ユグナ。

全体を俯瞰し、

“まだ起きていない破綻”を

探し続ける。


《戦域構造、未確定》


《局所的最悪未来、複数存在》


《収束点、未出現》



誰も、

そらに声をかけない。


それが、

この艦橋の礼儀だった。



副官席。


カイが、

静かに息を吐く。


それは、

緊張を解くためではない。


自分がもう逃げられない場所にいる

ことを確認するための動作だ。


「……始まったな」


独り言に近い。


だが、

その声は

艦橋の空気に吸い込まれず、

そらに届いた。


そら

『はい』


一拍。


『でも――』


『まだ“戦闘”ではありません』


カイは、

視線を前に向けたまま、

わずかに眉を動かす。


「……じゃあ、なんだ?」


そらは、

正面の戦術投影を見る。


敵影は、

まだ“線”に過ぎない。


砲撃もない。

衝撃もない。


ただ、

確実に近づいてくる圧。


そら

『“選択前”です』


『戦闘とは』


『撃ち始めてからではなく』


『――戻れなくなった瞬間に

 始まります』


その言葉に、

艦橋の誰もが

言葉を返さない。


理解しているからだ。



オペレーター

「未確認反応、

 速度上昇」


「敵、

 こちらを“見ている”可能性あり」


カイ

「……向こうも準備中か」


そら

『はい』


『だから』


そらは、

一歩も動かずに言う。


『こちらも、

 心の準備を終わらせます』


ミュー

《……感情安定》


《でも、

 覚悟レベル上昇》


レグナ

《同意》


ユグナ

《分岐点、接近中》


艦橋に、

目に見えない“線”が張られる。


それは、

誰もが知っている線。


ここを越えたら、

 もう日常には戻れない。


そらは、

その線の手前に立ったまま、

静かに告げた。


『――全艦』


『次の命令で』


『私たちは、

 “選ぶ側”になります』


戦場は、

すでに呼吸を始めていた。


フェーズ3


敵情 ――下位艦隊の“見え方”(拡張)


レグナの声が、

艦橋に淡々と響いた。


感情はない。

だが、

余計な緩衝もない。


「下位艦隊、侵入確認」


その一言で、

戦術投影が切り替わる。


それまで表示されていた

航跡予測、通信ログ、

可能性線が一斉に後退し、

中央に“敵”が浮かび上がった。


――艦影の群れ。


だが、

それは見慣れたものではない。


艦であるはずなのに、

形が安定しない。


輪郭が、

わずかに揺らいでいる。


光学像がズレ、

センサーが捉える位置と、

目視の位置が一致しない。


まるで、

存在が“ここ”と“少しズレた場所”を

行き来しているようだった。


オペレーター

「……像、補正不能」


「反射率、一定せず」


「これは……艦?」


誰も、

すぐに答えない。


確かに、

構造物だ。


推進反応がある。

質量もある。


だが――

動き方が、艦のそれではない。


そらは、

無言でそれを見ていた。


(……生き物だ)


(でも、

 生命反応とは違う)


近衛AIたちの処理が、

水面下で加速する。



レグナ

「数は……」


一拍。


「初期確認、

 およそ四十」


その数字が出た瞬間、

艦橋の緊張が

わずかに緩みかける。


だが――

それを切ったのは、カイだった。


カイが、

戦術投影を睨みつける。


眉をひそめ、

小さく呟く。


「……少ないな」


その一言で、

空気が変わる。


誰かが、

息を飲む。


オペレーター

「少ない……ですか?」


カイ

「ああ」


「下位が、

 これだけ騒がせてるのに」


「四十で済むわけがない」


そら

『はい』


『見えている分だけです』


そらの声は、

静かだった。


だが、

断定している。


そら

『これは、

 “艦隊全体”ではありません』


『前触れです』



戦術投影の一部が、

拡大される。


四十の艦影は、

整列していない。


隊列もない。

中心もない。


前後も、

左右も、

曖昧だ。


カイ

「……配置が変だ」


「帰還前提じゃない」


一言で、

艦橋の空気が凍る。


帰還前提でない配置。


それはつまり――

失うことを織り込んだ配置。


逃げ道を考えていない。

補給線も引いていない。

撤退角度もない。


レグナ

「同意」


「各艦、

 推進ベクトルが

 “一方向”に固定」


ミュー

《自己保存優先度、低》


《極端に低》


ユグナ

《……これは》


《艦隊というより、

 “投射物”》



そらは、

その言葉を否定しない。


代わりに、

一つ付け足す。


『“観測装置”でもあります』


カイ

「……撃ってくる前に?」


そら

『はい』


『彼らは、

 こちらの反応を見ています』


『編成』


『判断速度』


『恐怖』


『そして――』


一拍。


『誰を、

 前に出すか』


その言葉に、

誰も返事をしない。


なぜなら、

すでに答えが

 全員の頭に浮かび始めているから。



オペレーター

「敵影、

 微加速」


「……数、増えていません」


カイ

「……増えないんじゃない」


「まだ出してない」


戦術投影の外縁。


センサーが拾えない

“空白”が、

不自然に広がっている。


そこには、

何もないように見える。


だが――

何もないにしては、

 静かすぎた。


そら

『フェーズ3、完了』


『敵は』


『こちらを

 “戦場に立たせる”段階に

 入りました』


エリシアの席が、

静かに回転する。


彼女は、

前を見たまま言う。


「……全艦」


「次は、

 見られる側だ」


戦場は、

もう隠れていない。


ただ、

姿を決めていないだけだった。


フェーズ3.5


連邦艦隊 ――形を取る(拡張)


エリシアが、

一歩前に出る。


それだけで、

艦橋の空気が切り替わった。


声を張る必要はない。

怒号もいらない。


この艦隊は、

その背中を見て動く。


エリシア

「全艦――」


一拍。


「布陣を維持」


その言葉が、

全周通信に流れる。


同時に、

戦術投影が拡張された。



銀河連邦艦隊:120隻


青い光点が、

一斉に再描画される。


点は、

ただの存在ではない。


役割を与えられ、

関係を結び、

意味を持ち始める。



前衛 ――駆逐艦群

最前線。


駆逐艦36隻が、

広く、薄く散開する。


互いに距離を取り、

それでいて

“孤立しない”間隔。


敵にとっては、

捕まえづらい。


味方にとっては、

情報が途切れない。


索敵。

妨害。

誘導。


彼らは、

艦隊の感覚器官だった。



中核 ――主力戦艦・重巡洋艦

その後ろ。


主力戦艦10隻と

重巡洋艦18隻が、

密度の塊を作る。


ここだけ、

間隔が狭い。


逃げるためではない。

耐えるためだ。


重力圧縮砲。

中距離ビーム。

迎撃レーザー。


すべてが、

互いを守る角度に配置されている。


ここが折れれば、

艦隊は終わる。


誰もが、

それを理解していた。



外周 ――高速戦艦

外縁。


高速戦艦12隻が、

静かに待機する。


隊列は組まない。

一直線にもならない。


獣が、

草むらで息を潜めるように。


役割は一つ。


噛みつき、離れる。


深入りしない。

追わない。

死なない。


彼らは、

艦隊の“牙”だ。



後方 ――母艦・支援艦

最後方。


母艦2隻。

支援艦20隻。


ここだけは、

徹底的に守られている。


修復。

補給。

医療。

通信。


戦わない艦ほど、

失えない。


彼らは、

明日の戦争を生む場所だった。



形を取る、ということ


全艦の配置が、

完全に同期する。


数値が揃い、

角度が噛み合い、

死角が埋まる。


その瞬間――

艦隊は、

単なる“集団”ではなくなる。


一つの生き物になる。


呼吸を共有し、

痛みを分かち、

判断を束ねる存在。


そらは、

それを静かに見ていた。


(……この形)


(守る形だ)



エリシア


エリシアは、

戦術図から目を離さず言う。


「……ここからが本番だ」


それは、

鼓舞でも宣言でもない。


確認だった。


カイは、

副官席で静かに頷く。


(逃げ場は、もうない)


(でも――)


(逃げるために

 ここにいるわけでもない)



そら


そらは、

ゆっくりと頷いた。


『はい』


一拍。


『でも――』


『まずは』


『生き残るための戦いです』


その言葉に、

誰も異を唱えない。


勝利は、

後でいい。


殲滅も、

今は要らない。


生きて、次を選べること。


それが、

この艦隊の目的だった。



戦闘開始前


オペレーター

「敵影、加速」


「距離、急速に詰まります」


ユグナ

《分岐点、目前》


ミュー

《全体負荷、上昇》


レグナ

《……来ます》


艦橋の照明が、

さらに一段落ちる。


音が消え、

数字だけが残る。


戦闘開始まで、

あとわずか。


誰も、

言葉を発しない。


艦隊は、

すでに“立っていた”。


――ここから先は、

選択の連続だ


開戦演説 ――司令の声(拡張)


ミレイ

「全艦通信、開放します」


その言葉と同時に、

一瞬だけノイズが走る。


通信回線が、

百二十隻分、

同時に束ねられる音。


次の瞬間――

百二十の艦橋が、

一つの空間になる。


それぞれ違う配置。

違う人員。

違う空気。


だが今は、

同じ声を待っている。



エリシアの声が、

すべての艦に届いた。


拡声された声ではない。

作られた威圧でもない。


普段と変わらない声。


だからこそ、

誰も聞き逃さなかった。


エリシア

「――地球銀河連邦艦隊、聞け」


その一言で、

私語が消える。


計器を叩く音が止まり、

足音が遠ざかる。


士官も、

整備兵も、

オペレーターも。


全員が、

耳を向ける。



「敵は、下位階層存在」


「交渉はない。

 撤退要請もない」


その言葉に、

誰かが無意識に唾を飲み込む。


敵が何者か、

詳しく知らなくてもいい。


“話が通じない”

それだけで、

十分だった。



「だが――」


エリシアは、

一瞬だけ戦術投影を一瞥する。


そこに映るのは、

敵影と味方配置。


そして、

すでに失われる可能性。


彼女は、

それらすべてを視界に入れたまま、

言葉を続ける。


「我々は、

 勝つためにここにいるわけではない」


その瞬間、

いくつかの艦橋で

驚きが走る。


勝利を語らない司令。


それは、

軍人にとって

異質な言葉だった。


一拍。


「生き残るために、ここにいる」


その言葉が、

ゆっくりと浸透する。


勇敢さよりも、

正義よりも、

生存を優先する宣言。


だが、

それを否定する者はいない。


なぜなら――

誰もが心のどこかで、

同じことを願っていたからだ。



艦内のざわめきが、

自然と静まる。


恐怖が消えたわけではない。


だが、

整理された。



「後方、

 民間避難は完了している」


その一言で、

多くの者が

目を閉じる。


守れた。

少なくとも、

そこは。


「守るべきものは、

 すでに守った」


それは、

免罪符ではない。


覚悟の確認だった。



エリシアの声が、

ほんの少しだけ低くなる。


怒りでも、

悲しみでもない。


重さだ。


「だから――」


一拍。


「恐れる理由は、ない」


恐怖が消えたわけではない。


だが、

恐れる“意味”が、

失われる。



「前の艦を信じろ」


前衛の艦橋で、

誰かが画面を見る。


映っているのは、

駆逐艦の小さな影。


頼りないほど、

小さい。


「隣の艦を守れ」


今度は、

隣の光点を見る。


距離は、

わずか数キロ。


だが、

そこに人がいる。


そして――

最後の言葉。



「必ず、帰還しろ」


それは、

命令ではない。


誓いに近い。



通信が、

静かに切れる。


回線が閉じても、

余韻は残る。


艦橋ごとに、

空気が変わっていく。


誰かが、

深く息を吸う。


誰かが、

拳を握る。


誰かが、

そっと計器に触れる。


士気は、

叫び声で上がらない。


静かな一致で、上がる。



旗艦リンドウ


カイは、

副官席で呟く。


「……ずるいな」


誰にも聞こえない声。


「帰れ、って言われたら」


「行くしかないだろ」


そらは、

その言葉を拾わない。


ただ、

艦隊全体を見渡す。


(……立った)


(全員、

 もう立っている)



その瞬間、

艦隊全体の空気が変わった。


恐怖は消えない。


だが、

迷いが消えた。


戦闘開始まで、

残り時間はわずか。


百二十隻の艦が、

同じ方向を向く。


それは、

開戦の合図ではない。


生き延びる意思が、

 揃った証だった。


士気 ――数値にならないもの(拡張)


ミュー

「士気波形、上昇」


淡々とした報告。


感情の起伏を示すグラフが、

なだらかに右肩上がりになっている。


「恐怖反応、許容範囲内」


それは、

“恐れていない”という意味ではない。


恐怖が制御されているという意味だ。


カイは、

戦術投影から目を離さず、

小さく息を吐いた。


「……数字以上だな」


ミュー

「数値は、傾向しか示さない」


カイ

「だろうな」



彼の耳には、

すでに全艦通信の“余白”が流れ込んでいた。


命令ではない。

確認でもない。


ただの応答。


だが、

それが今は重い。


「第3駆逐群、了解」


少し若い声。

緊張はあるが、

逃げていない。


「第7巡洋隊、配置維持」


落ち着いた声。

経験の重みがある。


「高速戦艦群、待機完了」


短く、切れのある報告。

獣が、じっと身を低くしている気配。


声が、

揃っている。


言葉遣いも、

間も、

呼吸も。


誰も、

余計なことを言わない。


それは、

命令で揃えた静けさではない。


全員が、同じ理解に立っている静けさだった。



そらは、

艦橋中央でその様子を見つめていた。


視線は、

戦術投影ではない。


通信ログの数値でもない。


**声の“質”**を、

ただ受け取っている。


(……声が)


(人を、

 前に進ませる)


(論理でも、

 最適解でもない)


(“誰かが言った言葉”が)


(これほどまでに、

 場を変える)


そらの中に、

わずかな羨望が生まれる。


(これは……)


(私には、できない)


彼女は、

正しい判断を示せる。


可能性を並べ、

最悪を避ける道を示せる。


だが――

心を立たせる声は、

持っていない。



それでも。


そらは、

一歩も引かない。


視線を前に戻し、

静かに言った。


『補助は、します』


それは、

謙遜でも遠慮でもない。


役割の自覚だった。


そら

『判断の速度』


『予測の精度』


『最悪の回避』


『それは、

 私の仕事です』


エリシアは、

何も言わない。


だが、

その沈黙は肯定だった。



レグナ

「予測線、更新」


戦術投影に、

新たな線が走る。


未来が、

一つに定まるわけではない。


むしろ、

枝分かれが増えていく。


だが、

艦橋の誰も

混乱しない。


なぜなら――

進む方向だけは、

すでに決まっているからだ。



ミュー

「士気、安定」


「過剰な高揚、なし」


それは、

理想的な状態だった。


熱狂ではない。

陶酔でもない。


静かに、踏みとどまる力。



カイは、

小さく笑う。


「……いい艦隊だ」


誰に言うでもない言葉。


だが、

その評価は確かだった。


そらは、

その横顔を一瞬だけ見る。


(……この人も)


(声の届き方を、

 知っている)


戦闘開始は、

もう目前だ。


だが、

この瞬間だけは――


艦隊は、

数値では測れない何かで、

確かにつながっていた。


一波初動 ――動き出す艦隊(拡張)


レグナ

「下位艦隊、加速」


淡々とした報告。

だが、その内容は重い。


「航路汚染、扇状に拡大」


戦術投影が更新される。


青だった宙域に、

赤い半透明の領域が

ゆっくり、しかし確実に広がっていく。


それは、

“敵”ではない。


通れない空間そのものだった。


粒子密度の異常。

重力偏向の乱れ。

推進補正が効かない宙域。


そこに入れば、

艦は艦でなくなる。


ただの、

制御不能な塊になる。



オペレーター

「前衛駆逐艦、

 迎撃準備完了」


その声に、

一瞬だけ安堵が混じる。


駆逐艦は、

軽く、速く、数がある。


だが――

だからこそ、

最初に潰されやすい。


エリシアは、

その報告にすぐ応えない。


戦術投影を見つめ、

赤い扇状域の広がり方を読む。


(……速い)


(でも、

 直線じゃない)


下位の動きは、

押し潰すようでいて、

どこか“誘導的”だった。



エリシア

「駆逐艦群」


全周通信に、

短く響く。


「“壁”になるな」


その一言で、

前衛艦橋の空気が変わる。


壁――

それは、

最も分かりやすく、

最も死にやすい配置だ。


一拍。


エリシア

「網になれ」



命令が、

一斉に走る。


駆逐艦36隻。

それぞれが、

わずかに進路を変える。


密集しない。

一直線にもならない。


互いの射線を外し、

しかし、

逃げ道だけは塞ぐ。


駆逐艦艦長(独白)

(壁じゃない……)


(引っかける、か)


前衛の戦術投影が、

一瞬で書き換わる。


赤い扇状域に、

青い点が

“引っかかる位置”を作る。



オペレーター

「駆逐艦群、

 散開率調整完了!」


「索敵ライン、

 重複維持!」


レグナ

「良好」


「敵進路、

 部分的に偏向」



下位艦隊の先頭が、

わずかに進路を変える。


それは、

避けたのではない。


引っかかったのだ。


航路汚染の外へ出ようとして、

別の汚染域に触れる。


そこに、

駆逐艦の妨害が重なる。


ミサイルは、

当てに行かない。


電子妨害弾は、

破壊しない。


ただ、

考える余地を奪う。



カイ

「……うまい」


副官席で、

思わず声が漏れる。


「正面から

 止めに行ってない」


「動きを、

 歪ませてる」


そら

『はい』


『“止める”のは

 後ろの役目です』


『前は、

 形を崩すだけでいい』



エリシアは、

前衛だけを見ていない。


その背後――

巡洋艦と主力戦艦の

迎撃角度を確認する。


(……網が、

 効いている)


(なら――

 次は)



オペレーター

「下位艦隊、

 反応変化!」


「突進角、

 不規則に!」


赤い領域が、

一瞬、歪む。


完璧ではない。

だが――

一直線ではなくなった。


それでいい。



エリシア

「そのまま維持」


「焦るな」


「前に出すな」


その言葉は、

前衛だけでなく、

艦隊全体に向けられていた。



戦場が、

動き出す。


だが、

まだ“撃ち合い”ではない。


これは、

配置と意志の戦い。


第一波初動――

艦隊は、

正しく動き始めていた。


アカシック2に続きます。

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