◆前編◆
久しぶりの投稿です。前後編です。
捻りなくさくっと読めます。お気軽にどうぞ。
目の前の婚約者は、わたしがとことん嫌になったらしい。
教育係にわたしを見習うようにと言われて傷ついたとか、剣の手合わせでうっかり本気出したらわたしが勝っちゃって陰でみんなに馬鹿にされたとか。ここぞとばかりに今までの鬱憤を捲し立ててる殿下を見ていると、呆れを通り越して哀しくなってきた。わたしを責めているようで、その実自分を貶めてるだけだってことが分からないのかしら、ね。
顔だけは良かった、わたしの好みじゃなかったけれど。
さらさらとした金の髪、すっきりと澄んだ蒼の瞳。鼻筋は通り、薄い唇はいつも笑みを湛えている。少々華奢な身体つきだけど、長身で見栄えはすこぶるよろしい。これぞ王子様、な見栄えだった。でも二つ上の兄と何かというと比べられ、卑屈になった性格はそうそう変わらず、それにわたしが追い打ちを掛けたというわけだ。
わたしはたしかに機微に疎い田舎者で、忖度してあげようなんて露ほども考えてなかった。それが間違いだったのね。
お前なんか、大嫌いだ。
殿下はそう言い放ったの。麗しいご尊顔を大いに歪ませて。それはもう、真っ直ぐに。
ベルノルト・ヴァイ・シュトルツァー第二王子殿下、わたしの婚約者だ。うん、婚約者だった。一年前、北方辺境伯である父が隣国との国境のごたごたを綺麗に片付けてみせて、王家としては褒賞を与えて持ち上げておきたいとなったときに、何故か第二王子との縁談を打診されたの。武に強い辺境伯としての父の力を王家は恐れたわけね。馬鹿よね、うちの父親、そんなことまるで考えてないってのに。ただ母に、国境辺りがきな臭いから匂いを消してきて頂戴って言われただけなのに。美しい母を未だに崇めてまくっている父は、うん分かったって軽く頷いて、配下の辺境騎士団を率いてたったひと月で何だか知らないけれど上手く収めて、国境向こうの領主とも仲良くなって帰ってきたの。多分一緒にお酒飲んで気持ち良く盛り上がっただけ。ただそれだけなのに。
王家もひどいわよね。それまで数多のご令嬢とお見合いしたのになかなか婚約できなかった難ありのベルノルト殿下を押し付けてきたんだから。褒美を遣わすとかなんとか言いつつ。それでも君命だから逆らえないわけよ。辺境の地を押さえておきたい王家と、面倒だからけっして裏切りませんって念押ししたい父との思惑は一致して、唯一の年ごろの娘、つまりわたしが差し出されたの。
わたしだって田舎者だろうが仮にも貴族の生まれだから、結婚は親が利益を鑑みて決めるものだと、それに従うのが貴族令嬢としての誉れだと教えられてきた。でもどうしても生来の性格が邪魔をして、ベルノルト殿下のプライドを刺激しないように持ち上げるなんてことは出来なかった。何事にも全力でぶち当たっちゃったのよ。
結果、殿下の繊細な御心が耐えられず、昨夜の王家主催の夜会で、国のほとんどの貴族が顔を揃えた面前での婚約破棄と相成ったのよ。
嫌われてはないだろうって思ってたからちょっとショックだった。うん、ちょっとだけ。それからがっかり感。王家の方からのお話だったというのに、根回しもせず勝手に宣言しちゃった殿下は、父親である国王陛下の顔に泥を塗ったようなもの。それも分からないのかっていうがっかり感。
こんなだから嫌われたのだろうけど、結婚しちゃう前で良かったと思うの。きっと早々に結婚生活は破綻しただろうなと遠くない将来が視えていたから。
と、ここまでは昨日の話。
朝起きたら、というかいろいろ疲れちゃってたわたしは昼前までぐっすり寝ていたんだけど、とにかく起きたら王城へ来いっていう伝言が来ていて、慌ててメイドを呼んで着替えを済ませて父と共に王城へと馬車で向かったわけよ。
「すまなかった」
招かれた先で見たものは、けっして見てはならない国王陛下の頭のつむじだった。陛下が臣下に向かって頭を下げるなんて、絶対やっちゃいけないことなのに。
「こちらがお願いして婚約してもらったというのに、あのバカ息子には愛想が尽きた。廃嫡を考えている。それで許してもらえないだろうか」
「陛下、私に頭を下げちゃ駄目って教えたでしょう。もっと堂々としていなさい」
同じ教育係に学んだという二人は実は乳兄弟だったりする。陛下は年上の父には頭が上がらないのだ。
「それに廃嫡なんて止めておきなさい。あの子は王族を離れて生きていけるわけがない」
「う、ぐ、……感謝する」
「父上、謝罪はその辺で。例の話を進めて下さい」
二人の会話を他人事としてぼんやり聞いていたわたしは、会話に割り込んできたこの国の第一王子、つまり王太子殿下に視線を移した。エドアルト・アイン・シュトルツァー殿下。ベルノルト殿下と同じくさらさらとした金の髪に知性を感じさせる深い藍の瞳。教育担当の教授たちがその頭脳をこぞって賞賛したという。剣の腕前も相当なもので服の上からでも鍛えた身体が見て取れる。ベルノルト殿下とは比較にならないほど頼りがいのある方だ。
こんな優秀過ぎる兄を持ったベルノルト殿下がちょっと可哀そうになってきたけれど、いやいや、同情は禁物よね。わたしは婚約破棄されてキズモノ扱いに落ちぶれちゃったんだから。
でもわたしとしては結婚なんかしないでもいいと考えてた。だって面倒じゃない。妻は貞淑を旨として、常に夫を立てなければならない、なんて。正直子どもだってそう好きじゃないから、……うん、この辺で止めておくわ。
「うむ、それでな、詫びとして新たに縁談を用意したのだ」
「……はっ?」
思わず呆けてしまって、素で声が出てしまった。わたしはあわてて隣の父を見上げたけれど、父とてもどうやら全くの初耳だったらしく、わたしと同じく口を開けている。
二人して固まっていると、ここからは僕が説明するよと柔らかな口調で王太子殿下が話し始めた。
「僕の側近に仕事が忙し過ぎて、まぁ僕のせいだけどさ、いい歳なのに未だに相手がいなくて婚約もしていない男がいるんだ。人物は保証するし、見た目も悪くない、というか上等の部類だと思う。頭はキレるし剣の腕もかなりなものだ。歳はちょっと上だけど、君の伴侶に相応しいと思うんだ、どうだろうか」
どうだろうか、って言われても困ります。もう縁談なんていらないのに、どうしたもんだろうか。でもこれも君命? じゃお断り出来ないのかしら。
すごくいい笑顔で話す王太子殿下は、なんだかとても嬉しそうだ。というよりも。
面白がってないか? この王子。
「……それは王命ですか」
それはそれは静かに父は問うた。びりびりと怒りのオーラが漂ってる。
辺境の地で皆に慕われている領主様で辺境騎士団のトップでもある父は、腹をくくるととても怖い。普段は母の言いなりだけど、いったん決断したら巌のように意思を曲げない人なのだ。
殿下の優し気に細められた目の中に、揶揄うような光があることに気付いたのか、キズモノにされた娘を弄んでいるように感じたのだろう。父、大好きよ。
「ウルリヒ、そう怖い顔をするな。ベルノルトよりもいい男なのだ、それは私も保証しよう」
父親のくせに息子を全く擁護しないとは。まあ、それだけのことを仕出かしたんだけどね。
「その男には実は、隣国の親戚筋のご令嬢との婚約の打診があったらしい。だが、私としては国内の貴族令嬢との縁を望んでいる。何しろ優秀な男なのでな、王家としては国内に留め置いておきたいのだ。万が一のことがあっては困るからな」
手放しで褒め称えている国王陛下を胡乱な目を細めて見ていた父は、ぼそっと呟いた。
「そんなにいい男なのに、今だに婚約者もいないとは、ね。大丈夫ですか本当に」
ベルノルト殿下もだが、難ありな人なんじゃないの? って思いたくなるのが普通よね。
「まあ、そう言わずに会ってやってくれたまえよ。きっと気に入るからさ」
その自信は何処から来るのでしょうか。会うだけならいいわよ、会うだけなら。でもその上でお断りすることもありますよ、と釘を刺しておくのは忘れなかった。
結局陛下と王太子殿下にうまいこと言い包められた父は、わたしがその王太子の側近の男性とやらと会うことを承諾しちゃったのだった。
◆
ところがだ。
やっぱり王家に騙されたんじゃないの? と思わざるを得ない事態に陥ったのだ。とにかく会う約束を取り付けても、仕事の都合だとか今は隣国にいるからとか誤魔化されて、予定された婚約式もそろそろ近いというのに未だに会えてないのだ。そんなことある? ちょっとひどくない?
こんな中途半端な状態じゃ、新たに次の出会いとかも無理だし、陛下直々というか王太子殿下肝いりの話だから断るに断れない。
でももう辺境へ帰っていいかな? と思い始めた頃、今度は王妃様からお茶会の誘いが来た。
「ごめんなさいね、貴女には本当に迷惑をかけてるわね」
開口一番、この国で一番高貴な女性である王妃陛下が辺境の田舎者のわたしなんぞに謝罪された。王妃様、良くお分かりですね、いったいわたしはどうしたらいいのでしょうか。会えないままにおススメされた男性と結婚すればいいのか、代わりの縁談を要求すればいいのか、それとも全てをうっちゃって結婚を諦め辺境に籠ればいいのか。
「籠るだなんて言わないで頂戴。貴女の聡明さはベルノルトには勿体なかったのよ。あの子には貴女の良さが全く伝わってなかった。どうしてああなっちゃったのかしら。本当にわたくしが産んだ息子なのかしら。赤子のうちに取り換えられた、とか?」
などと、何気にオソロシイ言葉を吐いた王妃様は頬に手を当てて首を傾げながら溜め息をついた。そのお姿はこちらがため息をつきたくなるほどの麗しさだったわ。
「ああ、認めなきゃいけないわね。きっとわたくしの育て方が悪かった。病弱だったからちょっと手を掛け過ぎたのね。それにあの子の乳母がでろでろに甘やかしちゃってね……いやいや、わたくしのせいだわ。とは言え、ベルノルトには失望したわ。
エドアルトが隣国の姫と婚約していなければ、是非ともエドアルトと結婚してわたくしの娘になって欲しかったのだけど」
ベルノルト殿下、実の母にもエライ言われようだわ。それだけのことをやらかしたと言えばそうだけど。この辺りが嫋やかに見えてなかなかの腹黒なのよね王妃様って。それから、わたしは褒められているのでしょうか。うーん、どんな顔を見せればいいのか、悩んだところで次の爆弾が来たわよ。
「娘は無理でもこれまでの付き合いを崩したくないの。だから、是が非でもエドアルトの側近と結婚して王都に残って頂戴ね」
いや、結婚しなくても王都に残る手段は幾らでもあるでしょ、と考えてはたと思い当たる。この結婚の要請の真実は、わたしがその方の枷になること? なのかしら。わたしにそんな価値あるとは思えないけれど。
「いろいろ思うところはあるとは思うのだけど、本当に良いお話だってことは確かなの。だから、ね」
そう言いつつ部屋の隅に控えるメイドの一人に合図を送った。それに応えて軽く会釈したかと思うと、彼女は扉を大きく開け放った。するときらきらしいドレスがずらりと掛けられたハンガーラックがごろごろと入ってくるじゃないの。それからいろんな大きさの箱を恭しく掲げた王妃様の侍女たちも共に続く。いったい何が始まるのかしら、と思ったらそれまで開け放たれて風の通っていたテラスの扉がぱたぱたと閉められ、外からの視線を遮るようにささーっとカーテンが引かれた。
「さあ、どれでもお好きなのを選びなさい」
はあっ?!
そしてわたしはあれよあれよという間にメイドと侍女たちの餌食となったのだった。
◆
それから三日後。
わたしは王城内の古いけれども由緒ある聖堂の祭壇の前に立っていた。当惑する父と共に。しかも、王妃様肝煎りの真っ白なウエディングドレスを身に着けて。
何故よ?! ここは聖堂ってことは、いきなり結婚式だってこと? 婚約式じゃなかったの?
結婚って婚約の後じゃなかったかしら? 順番おかしくない?
こめかみにやや引き攣りが見て取れるけれども、にこやかに笑む王太子殿下は、もう少しだけ待ってくれ、と宣った。
「今、服を着せてるから」
意味が分からん。結局会えず仕舞いで断る隙もなく、このままなし崩しに側近の方とやらと結婚しちゃうわけ? いいのか、わたし。
「殿下、お戯れがひど過ぎます。私の娘にこんな無茶な婚姻を押し付けたくありませんぞ」
「っ、伯、どうか殺気を仕舞ってくれないか。ここは神聖なる神の住まいだし」
「無体なことをしているのはそっちですぞ」
「……あ、ほらっ、来た来た」
早く早くと殿下が扉に向かって手招きをしている。殿下、父に睨まれて冷や汗ものだったわね。そろそろ、ていうか、すっかり王家の方々のやりように呆れてきたわよ。
「ほら、伯、彼が」
「娘はやりません」
「そう言わずに」
「イヤです」
「いろいろ約束したろう? 反故にする気かい?」
「私は困りません。貴方がたが困るだけだ」
「ああ、もう……っ!」
父と殿下の果て無き応酬がどこまで続くのかと思っていたとき、決して大きくはないのに良く通る声が割り込んできた。
「遅れて申し訳ありません。私がお嬢様のお相手に立候補しました」
ふわふわした髪をかき上げ撫で付けて、父の大きな身体をさらりと躱し、彼はわたしの前に回り込んで片膝をついた。わたしの手は父の腕に預けていたのだけれど、するりと父から奪い取ったかと思うと両手で包み込んで真っ直ぐにこちらを見上げる。あまり見かけない複雑な光だ、なんて美しい瞳だろう。ズルい。最近流行りの物語の中の騎士様みたいじゃない? ちょっとカッコいいわ。ていうか、この人、本当に殿下の側近なの? お見かけした記憶がないのだけど。わたしだって第二王子と婚約していたから、殿下たちの側近の方々とはまあまあ顔見知りだったのに。
「エルヴィーラ嬢、私と結婚してくれませんか」
これは求婚、でしょうか。えっと、ここは聖堂でわたしは既に真っ白なウエディングドレスを着ているし。本当に、なんだかいろいろ順番がおかしいわ。
「こんなにぎりぎりになって本当に申し訳なく思っている。そこに居るヤツの仕事に振り回されて、帰国出来ずに心配をかけてしまった」
ヤツ、とは王太子殿下のことですね? 不敬じゃないのかしら。見ると殿下は後ろめたさからか目を逸らされた。こんな軽口が叩けるほど王太子殿下とは気心が知れているらしい。
心配っていうか、貴方の心配をしていたんじゃなくて、わたしは自分の心配をしてたんですけどね。事情が呑み込めないまま、ぼんやりと目の前の男を見ていると彼は飛んでもないことを言い出した。
「貴女が嫌でなければ、昔の約束を果たさせて欲しい」
へっ?
今度こそ本気で意味が分からなくて呆然としちゃって、わたしの前で跪く人の顔をじぃぃぃっと穴の開くほど見つめてしまったわよ。
緩くカールしている柔らかそうなライトブラウンの髪、こちらを見つめる真摯な金とも琥珀とも見えるきらきらしい瞳。薄い唇は生真面目にきりりと結ばれている。一見してこんなに優れた容色の人を見忘れることなんてあるのかしら。はて、と思いつつ眉を寄せて可愛らしく首を傾げてしまった。
すると、ふふっと唇が緩み、その片端にクリームを窪ませたようなえくぼが現れる。
途端、わたしの記憶の箱が開く。思い出した、当時のわたしよりも背が低く、こじんまりとして、というかはっきり言うとぽっちゃりした、でも愛嬌のある男の子のことを。
「この通り、あの頃とは見た目が全く変わりました。背も伸びましたし、身体も鍛えました。これでもかなり努力したんですよ。勉学にも励み、厳しい騎士の訓練にも耐え、ダンスやマナーも習得し。それは貴女に再び相見えるために。私を選んで貰えるように」
明日の晩投稿予定の後編へ、どうぞ。




