27話 髑髏の戦士
剣は戦いを呼ぶ。
振るう者を縛り、抜く者に血を求める。
だから彼は、手放した。
それでもなお、彼の足取りは、重く、沈む。
それはまるで、咎人のように。
巨体が炉室の床を踏みしめるたび、石板がめり込み、細かい亀裂が蜘蛛の巣のように走った。
頭部の赤光がぎらりと瞬き、次の瞬間、炉心を囲む管の一部がばちりと火花を散らす。
——見ただけでわかる。あれはただの質量兵器ではない。炉そのものと接続し、エネルギーを循環させる“半分炉心”の怪物だ。
アヤナが、鉱筆を飛ばす。弾幕のように拡散したそれが、ラムダ磁場と反応し、閃光と煙幕を生み出す。
煙と火花をお構いなしに、不気味な赤光をゆらめかさながら、巨大な守護機構の魔物は突っ込んでくる。
「アヤナさん、右前脚の第三関節、修復の遅い箇所があります! 多分、あれが弱点!」
「よし!」
アヤナが踏み込みかけた瞬間、守護機構の口部が大きく開き、金属の喉からラムダの閃光がほとばしった。
「——ッ!!」
直撃すれば肉体ごと焼き切られる光条——その危機感に思わずアヤナは急停止する。地を滑るブーツがタイヤのように唸り、焦げ臭い匂いと火花を放った。
一瞬の間隙でアスコが空間に鉱筆を走らせ、二人の正面に淡緑色の結界が立ち上がる。
アヤナが飛び退きざま、アスコを左腕で抱えたままに鉱筆の投擲。
光条が結界に触れると同時に投擲された鉱筆との間に物理反応が起こり、炉室の壁面で爆ぜ、金属片と青白い火花が雨のように降り注いだ。
「今です、アヤナさん!」
「無茶言うぜ。舌噛むなよッ!」
地を這うような姿勢から、再び弾かれるようにアヤナは突進する。
滑走するように、アヤナが"空"を蹴って加速した。アスコの形成した霊性足場を踏み、空中で反発跳躍を駆使し、宙を疾走しながらの急速転換。
守護機構の唸る爪襲と閃光の巻き上げる火花の間をすり抜けながら、鈍色の懐に潜り込み、右前足、第三関節。
飛び込みざまの横蹴り。
鈍い衝撃音が炉室にこだました。
アヤナの踵が、金属と石の継ぎ目を正確に撃ち抜く。
硬質な装甲がきしみ、内部でいくつもの歯車が悲鳴を上げるような音を立てた。
巨体がわずかによろめき、炉心と繋がる管が一本、ねじ切れるように外れ、蒸気とラムダの光が噴き上がる。
「効いたか?」
「まだ動きます!」
赤光が怒りの色を増し、守護機構は残る三肢を支点に、クモのように低く身を沈めた。
次の瞬間、床を滑るような加速で横薙ぎの一撃を繰り出す——それは脚ではなく、胴の側面から飛び出した刃付きのアームだった。
「ちッ……やっぱり殴る蹴るじゃあ、この手の相手にゃ分が悪い!」
アヤナは反射的に後方へ飛び退きながら、腰から抜き取った鉱筆を全力で投擲。
棒手裏剣の要領で鋭くアームの付け根に突き刺さり、淡緑の火花を散らす。
そこにアスコが霊性磁場を発動させると、火花と反応して物理反応が起こり、爆発を引き起こした。
「おおっ、すげっ!」
「で、でもまだダメですっ、爆発の規模が小さい!」
巨体を支えきれずに膝を折りながらも、魔物は咆哮する。
床を割るような衝撃とともに、炉心と繋がる管が何本も引きちぎられ、火花が散る。
ラムダの光が制御を失い、赤光の眼が明滅した。
「……これ、だったらいけるぜ」
突進してくる魔物。
アヤナの足元に、爆発と暴れ回る衝撃によって剥がれ落ちた装甲板の一部が滑るように転がってきた。
鋭く欠け、ちょうど短めのサーベルサイズの棒状になった鉄片を、アヤナは器用に蹴り上げてキャッチする。
2、3回パシっと掌で叩いて具合を確かめると、腰を低く落とした大きい構えを取った。
「アスコ、ラムダの気の流れが一番強い収束点はどこだ!」
「中空52度から下弦22の座標、ちょうどモンスターの顎あたり!」
「よっしゃあ、落ちるなよっ!」
アスコを左手に抱え直し、右腕で剣に見立てた鉄片を一旦八双の構えに取ってから、脇構えに落とす。
アスコ振り落とされないように、両腕でアヤナの首をきつく抱いた。
暴れ狂う魔物に対し、アヤナは神経を集中させ、虚空に向け得物を振り抜き、”断空”する。
——ピンッ、と、雫を落としたような光が、空間に一筋の切れ目を入れるように一閃する。
ラムダの反流が炎となり、鈍色の巨体が、内側から派手に爆ぜた。
赤光の眼が弾け飛び、装甲の隙間から白熱した光線が漏れた。
瞬きの後には、守護機構は崩れ落ち、ただの金属と石の山に戻った。
ガラン、ガランと、慣性に従って鉄の破片が二人の足元に転がる。
「……あっ……ぶなかったなあ」
「ですね……」
ふうっ、とため息をついた二人。
あと1秒、タイミングが遅ければ、勝負は逆だった。
◆
炉室に再び静けさが戻る。 だが、空気はまだ微かにざわついていた。炉心から立ち昇るラムダ粒子が不規則に揺らぎ、安定には程遠い。
「……やっぱり、暴走してましたね」
アスコが炉心基部の計測器を覗き込みながら言う。
物思いに耽るような表情で、口元を、長く美しい人差し指が滑る。
「理由は?」「何者かが、この炉と霊脈の接続部を乱していたようです。……ほら、ここの接合痕」
アヤナが目をやると、炉心の側面にぽっかりと空洞が開いていた。 そこには、本来収まっているはずの霊導コアが無理やり引き抜かれた痕跡が残っている。
「だから右前足のバランスが悪かったのか」「ええ。一つの理由でしょうね。炉との同期がずれたせいで、全身の挙動が不安定になっていたんです」
アスコは残っていた補助コアを取り外し、専用ケースに収める。炉心の制御パネルに触れ、解析を進めながら磁場安定化のシーケンスを入力した。 数十秒後、炉室全体に漂っていたざわめきが徐々に静まり、ラムダ粒子は穏やかに循環を始める。
「……これで依頼は完了だな」
アヤナが制御コアを背の袋にしまい、通路側へと向き直る。
「アヤナさん、やっぱり剣を持ってた方がいいんじゃないですか?」
「ん?」
背中で両手を組んだ姿勢で、見上げるようにアヤナの顔を覗き込んできた。
今日、魔物を破壊した”断空”。
空間を斬る一撃——
より正確に言えば、空間に生じたラムダ磁場の歪みに霊性反応で干渉し、その応力差を物理エネルギーへと変換させる技だ。 本来ラムダは、感情や意志と結びつきやすい性質を持つが、物質そのものには直接作用しない。
だが局所的な磁場の収束点を狙えば、その周囲の物理法則を一瞬だけ“たわませる”ことができる。
断空は、その歪みを外側から叩き割ることで、蓄積されたエネルギーを爆縮的に解放する――目には見えない“空間の断裂”だが、解放された衝撃波と熱量は装甲も肉体も等しく吹き飛ばす。
「なんていうんだっけ、こういうの?」
「エントロピー勾配の解放ですね。潜在層に沈んでいたラムダが、外部の磁場歪みと共鳴して局所的な負エントロピー領域を作るんです。我々が俗に"磁場の歪み"と呼んでいるものがそれですが」
「ほう」
「その領域が破断すると、圧縮されていた“場の応力”が一気に物理エネルギーとして噴き出すわけです。それが爆縮現象となって、空間が割れたように見えるんですよ」
「……ふーん。なんで状態が変わるだけで、そんなに大きなエネルギーが出るんだ?」
「それはですねえ!」
アスコの碧色の瞳の奥が、ぱっと光った気がした。
当然物理的に光ったわけではないのだが、あ、スイッチ入ったな、というのが、アヤナにはわかった。
同時に、やっちまったーーとも。
アスコはずいっと顔をアヤナに近づけ、身振り手振りを交えて熱弁を振るい始める。
「ラムダは潜在層では高秩序状態にあるんです。この時は波とも粒子とも言えない曖昧な状態なんですが、外界に干渉すると急速にエントロピーが上昇するんです! その時、場に“準安定のポテンシャル井戸”ができて、そこにエネルギーが溜まります」
「お、おう?」
「で、この負熵井が臨界を超えて崩壊すると、《Λ相臨界値(Λ_c)》を境にΛ場が《Λ跳躍(Lambda Leap)》を起こしまして……その瞬間に発生する相転移流《PT-Flux》が爆縮を起こすんです」
アスコの言葉の速度が加速していく。アヤナが思わず顔を後ろに仰け反らすが、アスコはその分だけピッタリ距離を詰めてくる。
「"断空"はこれを《断裂点(Fracture Node)》で叩いて爆縮現象を引き起こしているんですね! ちなみにこの辺りのエネルギー粒子の振る舞いは、父の提唱した《アルノー=イリシア束縛則》と、ゼノ博士の《ポテンシャル勾配式》でほとんど説明できます」
「お、おう……」
「そもそもラムダというのは正確に言えば《準秩序相》という特殊な状態にありまして――」
アスコは早口で捲し立てながら、すいすいっと、ダンジョンの薄暗い回廊の虚空に指をなぞらせ、数式らしき軌跡を描く。
「で、このポテンシャル U(Λ) が《準安定ポテンシャル井戸》で――ここで Λ相転移条件、つまりこの二階微分がゼロになる点を満たすと、Λ潜在相からΛ顕在相に飛ぶわけです。その時に解放されるエネルギーが――」
アスコのよく見せる癖の一つだがーーーー信じがたいことだが、アスコにとってこの動作はいわばメモのようなもので、このように指でなぞった数式を正確に記憶しておくことができ、二度と忘れることがないのだという。
「Λ(ラムダ)場が《Λ-歪曲場(LDF)》と共鳴して《負熵井》を形成します。この時点ではまだΛ潜相――正式には《Λシータ相》にあります。そしてこの状態から負荷臨界を超えて崩壊しますよね。すると数式的にはここに代入されたαϕΛが……」
算盤の達者が、空中で指を動かしながら頭の中で算盤を弾いているのと、感覚的には同じなのだろうが……
「……というわけで、断空一発であれだけの爆縮が起こるんですねえ!」
アスコが、空中に何かを描くたびにアヤナの方をキラキラとした表情で振り返る。
まるで、『ね? 簡単でしょ?』とでもいうように。
……遠くからボールを持ってきたでかいわんこのようだ、とアヤナは思った。
「とまあ、かなりかいつまんで話してしまいましたが……」
「わ、わかった。俺には“一気に理解できん”ということが、よくわかった」
この技はトゥライナの神官剣士や、神州淀の剣士などに代表される東域の武人系が得意とする。
特に剣は数多の武具の中でも霊性付与効率が群を抜き、断空を含むこの手の技の発動には最適――というより、ほぼ必須とされる。
「と、いうわけで、アヤナさんは剣を持っていた方が理論的には遥かに合理的なわけなんですが……」
「ん、あ、ああ、その話だったか」
理屈の上では他の武器や素手でも発動は可能だが、火装定理なしで物理現象を引き起こすほどラムダ反応を引き出すのは、一握りの武人にしかできない至難の芸当である。
そもそも大気に満ちるラムダの収束点を正確に捉え、敵の動きに合わせて正確に”斬り抜く”こと自体が実戦では困難を極める。
そのため、名刀と呼ばれる業物を、一流の技量者が振るって初めて“断空”をはじめとした霊性反応技は成立する。
——アヤナは、その触媒すら持たず、己の技量だけで断空を放つ稀有な戦士だった。
「……前にも少し話したがな剣ってのは、不思議な武器だ」
アヤナは少し含みのある笑みを浮かべて、隣を歩くアスコに語りかける。
「不思議……?」
「他の武器は、戦う以外にも使い道がある。狩りや作業、生活のための道具にもなる。けど剣は違う。あれは“戦いそのもの”を目的に作られた唯一の道具だ」
炉室の淡い光が、彼の横顔を斜めに照らす。
「剣には魔性がある。持つ者を戦場に赴かせ、振るう者に戦いを呼び込む。もっと斬れ、俺を抜け、と——剣を遣う者は、必ず戦いに絡めとられる」
アヤナは淡々と続ける。
「剣を取る限り、戦いから逃れることは出来ねえ」
アヤナはフッと笑い、左腕でアスコの首元を軽く引き寄せた。
「だから、今の俺には不要だ」
アスコは一瞬だけ息を詰め、そして小さく頷く。 二人は炉室を後にし、崩れたゲートから外の光へと足を踏み出す。
アスコが見たアヤナの横顔は、戦士のものというよりも、何かを背負った旅人のそれに見えた。
◆
「……とは言ってもな」
久々の陽光に照らされる。
目を細めながら、アヤナは何かに苦笑した。
「戦いの方が、勝手にやってくることもある。人生って上手くいかねえよな」
その瞬間、森の奥から低く唸るような音が響いた。
最初は風かと思ったが、違う。重い鉄を引きずるような、鈍く湿った響き。
——バッサァン。
大木が一本、根元から切り倒される音が轟いた。
木々が揺れ、枝葉がざわめく中、斜面の向こうから巨躯が姿を現す。
金属のきしみと車輪の軋む音――やがてそれが二頭立ての戦馬車だと分かる。
車上には、全身を黒鉄の虫の外殻を模した鎧で覆い、二本の大戦斧を両腕に携えた巨漢。それが、数十ほどの兵士たちを率いていた。
左右の馬は鼻息荒く、口から白い霧を吐きながら、踏みしめるたびに土をえぐる。
戦馬車の側板には、何十もの斬撃と衝撃痕――そして乾いた血の色が層を成してこびりついていた。
「――強者か」
しわがれた低い声が高みから落ちてくる。
刃のような視線がアヤナを値踏みし、その口端がわずかに吊り上がった。
「……良い。俺の退屈を、晴らせ」
言葉と同時に、巨漢は二本の斧を交差させ、戦馬車から横へ飛び降りた。
砂煙が爆ぜ、着地の衝撃で大地を響もし、武威を示すように、斧を叩き下ろす。
土煙と衝撃波が走り、周囲の枯れ枝が跳ね上がる。馬たちが驚き、嘶きながら後ずさった。
その一撃の重さと、立ち姿の禍々しさは、生物に本能的な恐怖を抱かせるには十分だった。




