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25話 神々の残骸

古の魔道は、深緑で静かに時を待っている。

 風が砂を運んでいく。遠くの地平が揺れて、空と地面の境が溶けていた。足を踏み出すたび、乾いた砂がざり、と鳴る。焼けた金属のような空気。喉が痛い。息を吸うたび、肺の奥まで熱が入り込む。


「……暑いです」

「知ってる」

「もう五回言いました」

「五回も聞いた」


 靴底が焼けそうな日差しだ。

 抜けるような白い肌と金髪のアスコにはこの日差しは堪えるだろう。


「だからウィッグつけろっていってるのに」

「勘弁してください、あんなの被ってたら死んじゃいますよ」

「フード被れよ」

「暑いです〜喉乾きました〜お腹空きました〜」

「今朝作ったビジソワーズがあるが、飲むか」

「頂きます」


 時折吹き付ける強い風から庇うように、アヤナが先頭をいく。


「これビジソワーズじゃなくて、ポタージュですね」

「この暑さじゃあなあ」

「軍に火装輸送車を出してもらったほうがよかったかもですね」

「よせよせ。あいつらに付き合ってたら肝臓が4つあったって足りん」

「何時まで呑んでたんでしょうね」

「知らん。あの女の肝臓は多分蒸留機で出来ている」

「見た目は可愛らしいんですが……」

「飲み助の女ってのは大抵そういうもんだ」


 軽口を叩きながらも、二人の歩調は落ちない。

 砂混じりの風が頬を打ち、遠くで雷のような音がした。

 空は澄んでいるのに、どこかで何かが軋んでいる。


「測定器でいうと、多分このあたりなんですが……」

「あれじゃねえか?」

「どれ?」

「ずーっと先。ポツンとあそこで地平線が途切れてる」

「……うわ、よく見えますね、あんなの」


 二人で顔を寄せて、アヤナの指の先を、アスコが目を凝らして見つめる。

 果てしなく続く地平線と陽炎の向こうに、確かに途切れるような一点と、ちらりと揺れる、淡翠のもや、赤い人工的な光が見える。


「……森、か?」

「地図では、ずっと砂漠のはずです。おそらくあれで間違いなさそうですよ」

「不思議な感じだ。ひやっとした風が流れてくる」


 さらに歩を進めていくと、その違和感は肌ではっきり感じられるほどに強くなった。

 熱波の中に、湿った空気と、あるはずのない草の匂いが混ざって流れてくる。


「あれだなあ」

「あれですね、今回のダンジョン」

「すげえな、あそこだけ完全に森林だ」

「測定器を見なくてもわかります。強いラムダ濃度……」

「年季の入ったアーカイヴ・プラントだな」


 風が少し、冷たくなった。砂の色も、だんだんと白から灰に変わっていく。足の裏に感じる感触が、ざらつきからしっとりに変わる瞬間があった。そこだけ、世界が別の生き物みたいに呼吸している。


「……温度、下がってますね。寒いくらい」

「太陽は真上なのにな」

「ラムダが、空気そのものを変質させています」


 遠目にも、異様な濃さの緑。灼熱の世界の真ん中にぽっかりと、別の季節が落ちている。風がそこを通るたび、ざわ……と、草でもない音を鳴らした。


「音、聞こえます?」

「……ああ。けど草の揺れる音じゃねえ」

「粒子の振動ですね。ラムダの粒がぶつかってます」

「……森が鳴いてるのか」

「表現としては、正しいと思います」


 二人の間に、風が通り抜けた。汗が引く。代わりに、うっすら鳥肌が立った。


「気味が悪いぜ」

「でも綺麗です」

「危ねぇって意味だ」

「でしょうね」


 アヤナは少し黙って歩き、視界の先、急に影が濃くなった場所で足を止めた。


「ここからだ」

 砂と土の境界線。線を跨いだ瞬間、湿った匂いと、のしかかるような深緑が一気に押し寄せてくる。風が止み、森がこちらを見ているようだった。


 ◆

 この世界で“ダンジョン”と呼ばれる場所は、洞窟でも、自然の森でもない。それは、かつての文明が作り上げた巨大な“生きた装置”の成れの果てだ。かつて光を生み、都市を動かし、海を拓き、空を支配した時代。その残骸が、いまは地殻の下で眠り、時に目を覚ます。


 前時代の高次文明が築き上げた巨大な霊導施設や防衛拠点、あるいは実験場。

 古代霊導施設、前文明遺構、アーカイヴ・プラント。様々な呼び名で呼ばれている。

 現代の火装兵器理論でも再現不可能なほどの高濃度ラムダを充満させる機構を造った文明が、なぜ地上から姿を消したのか、それは誰にもわからない。

 戦争だったのか、神罰だったのか、あるいは、自らが使役できると驕ったラムダに滅ぼされたのか。

 ともあれ、500年とも、1000年とも言われる長い歳月の中で、その多くは地殻変動や環境変化によって埋没し、外界との接続を絶たれた。やがて、そこに満ちたラムダ磁場と、制御を失った防衛機構や生体兵器が内部で独自の生態系を築きあげ、今日では魔獣の巣窟として恐れられる存在となった。人々はそうした遺跡を、総じて“ダンジョン”と呼んでいる。


 それは富と知の墓所であり、時に神々の遺骸が眠る場所でもある。


 ◆


 森の匂いが濃い。踏み締めるたび、湿った落ち葉がぐしゃりと音を立てる。陽は高いはずなのに、巨木の梢が光を遮り、足元には昼なお薄暗い影が揺れていた。


「……人の気配、まるでありませんね」

 アスコは肩から下げた小型測定器の針を確認しつつ、声を潜める。


「地図上でも、ここから半径20kmは村がない。そういう問題でもない気がするがな」


 口に出してみれば、なるほど、奇妙な感覚だった。

 人の匂いが、全くない。しかし、生命の気配がむせかえるほどに充満している。

 それが却って、ヒトの身である彼女たち二人を拒んでいるような気にもさせた。

 かつて、隆盛を誇った全時代の遺物。それが今はむしろ、人の踏み入れてはいけない、異界を形成しているようにも思えた。

 アヤナは背負った装備袋を軽く叩く。湿気に重くなった空気の中でも、その足取りに迷いはない。目的地までは、あと一刻ほど。

 木々の切れ間から、黒い影が覗いた。それは岩山ではない。樹々に飲まれ、苔に覆われた巨大な壁——かつての文明が築いた外郭だった。


「……見えてきたな」


 近づくにつれ、壁面に走る淡い光の線が浮かび上がる。霊導回路。数百年前に途絶えたはずの古代の構造体が、まだ脈打つように淡く灯っていた。


「……動いてる……?」

 アスコが壁肌をなぞりながら、つぶやいた。


「暴走中って話だ。依頼は“炉”を止めて制御コアを持ち帰ること」


アヤナは周囲を見回し、森の奥に続く影の裂け目——半ば崩れたゲートを見つけた。

中から、冷たい風が吹き出している。 その風はただの風ではなかった。肌を刺すような静電気と、耳鳴りに似たラムダの共振音が混ざっている。


「——いこう」


 二人はゲートを跨ぎ、闇へと足を踏み入れた。

外の湿った空気とは違う、乾いた金属とオゾンの匂いが鼻を刺す。

 壁面は黒曜石のような光沢を持ち、所々に刻まれた古代文字が緑色の光で瞬いていた。

 足元には、何かの残骸が散らばっている。

 錆びついた金属骨格、割れた結晶、そして、剥き出しの関節部から覗く古いケーブル。

 ——古代防衛機構の残骸、のはず。


「……戦った痕跡じゃないですね。動きが止まって、時間が経っている」


 アスコはしゃがみ込み、表面を指先でなぞる。冷たい。

 妙であった。この傷は、真新しい。


「誰かが先に入ったか、あるいは……中の“何か”がやったかだな」


 アヤナの声は低い。

 奥から、かすかな振動音が伝わってくる。

 霊導炉の鼓動のような、一定のリズム。

 だが、その合間に混じる微かな「異音」が、二人の神経を逆撫でしていた。


「……嫌な音ですね」「ああ。炉の音じゃねぇ」


 そのとき、奥の闇がわずかに揺れた。

 森では感じなかった——しかし今、この遺構の中でだけ感じる、獣でも兵でもない「何か」の気配。 その気配は、二人の存在を知っているかのように、距離を保ったまま動いていた。

 やがてそれは、振動音とともに奥へ消える。

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