23 鬼人のアヤナ
灼熱の怒り。
碧血は、未だ燃ゆる。
鬼は、君を護りて朝を見る。
「その不釣り合いなほどにでけえ剣気任せの戦いは、本来の貴様の戦い方ではねーような気がする。もし、貴様が本来の剣に立ち戻っていれば、もう少しまともな勝負になったと思うぜ」
「グフッ……ごぼっ!!」
恐らくは、時間にして2分ともなかったであろう。
だが、その立ち合いの間中、ほとんど呼吸を忘れていたことに、夜が白み始めて、見守る兵士たちはようやく気づいていた。
「アスコ」
名を呼ばれて、ハッとした。
いままでずっと背中だけを見つめていた男が、初めてこちらに向き直った。
「どうする? 一応こいつの手当てするか?」
自らの汗と血は拭いもせず、親指をくいと背後に向ける。
その向こう側には、すでに陽の光が顔を出し始めていた。
ーーーー砦の外から、歓声が聞こえる。
どうやら火装が復活したレティシアの軍勢が、トゥライナを押し返したらしい。
レティシアは、小さく息を吐いた。
アヤナとソウマが繰り広げた一騎打ち。その剣気と殺気に飲まれ、誰もが息を呑んでいた戦場。だが、今や。
(空気が……変わった)
かつてないほどの霊圧と緊張感が支配していた空間に、風が吹いた。風は湿り気を帯びていたが、どこか清浄だった。鼻を刺していた血と硝煙の臭いが、潮の引くように薄れていく。
空が白んでいた。
砦の外からは、勝鬨が連なるように聞こえてくる。兵たちの雄叫びが、瓦礫の間を通り抜け、傷だらけの砦を駆け上がってくる。夜の戦場にこびりついていた瘴気が、まるで朝日の前に追いやられるようだった。
「ぐ、は……ぐうっ……!!」
かすむ視界の向こうに、かろうじてソウマは捉えていた。
勝敗は決したとばかり、こちらに背を向けた鬼人のアヤナ。そして、駆け寄ってくる"魔女"ーーアスコの姿。
ソウマにはもはや、戦闘の継続は不可能であった。
今のソウマに残っていたのは、戦士としての本能、彼らに対する憎しみ。 ――――そして、懐に忍ばせていた、もしもの為の反撃の策。
銃声が朝焼けに響く。
「あっ……アヤナさんっ!!」
アヤナは咄嗟に振り向いていたものの、その左肩は大きく弾けていた。
鎖骨のすぐ下、心臓の斜め上から、血が噴き出す。
「はーっ、はーっ……く、くくっ……ふふははは! 馬鹿めが! 剣士としてはあまりにお粗末な油断だ、鬼人のアヤナ!!」
身体を起こせない重体で寝そべったまま、懐に忍ばせていた片手六連式火導拳銃が、ソウマの右手の中で硝煙を吹いていた。
「あれほど煮湯を飲まされた、火砲の怖さをもう忘れたのか!? 俺は革命軍で、抜剣して突撃してくる貴様らに飽きるほど鉛玉を食わせてやったぞ!!」
ごぼごぼと血を吐きながら、パンパンと二度撃つ。一発は咄嗟に頭を抱えたアスコの隣を掠め、もう一発はアヤナの太ももを貫いた。
「ヤツもそうだったさ……シャモ・オガタもそうだった! 貴様ら碧血隊の総隊長、まったく馬鹿な奴だった! 和平の使者と騙されて、のこのこ一人で殺されに来やがった。縛られて、無抵抗のままこうやって撃たれた! 耳に熱した鉛を流し込まれ、炭を飲まされ声も潰され、最後は首を刎ねられ死んだ! 切腹すら許されず! 惨めにも! 結局、貴様ら碧血隊は死んだ、神州淀は滅んだ! 天下になにを為すこともなく! 貴様らは皆、犬死だ!!」
ビシャリ、ビシャリと血反吐を吐きながら、シュラ・ソウマ・イチミヤは罵り続けた。
アスコはアヤナの身体を支えようと、彼に駆け寄る。
「――――――……っ!?」
ぞくりとした。
アスコが、思わず足を止めたのは、アヤナが大きく足を踏み込んで自力でその態勢を立て直したからではない。
それは、動物的な本能に近かった。
何か、触れてはいけない、とても恐ろしいものに触れようとしている気がして、思わず止めたのだ。
ぐちり。
肉が擦れる音がする。
ぶちりと、えぐれるのもいとわず。アヤナの右手は、食い込んだ左胸の鉛玉を、力任せに抉り出した。
ずぶッ、と、鉛の弾がアヤナの肉体から出てきた瞬間。
「……うるせえな……」
びくりと硬直した。その場にいるもの、全てが。
アスコが、そして今、兵を動かしソウマを拘束する指示を出さんとしていたレティシアも、思わず、声を発することができなかった。
それは極めて原始的な、根源的な恐怖だった。
大気中に充満するラムダが例え目には見えずとも、その歪みや流れの乱れは、術士でなくともなんとなく察することはできる。
『”なんとなくヤバいな”とか”なんかこいつ怒ってんな”くらいはわかるだろ。平たく言えば、それと同じーーーー』
今、術士ではないレティシアにも、はっきりと見えた。
空間を歪ませるほど、その色を陽炎のように変えるほどの、ラムダの発力。
アヤナの肉体から立ち上るそれ。
「――――こんなちっぽけな鉛玉がなんだってんだ?」
思わず、胃臓から広がる激痛を一瞬忘れるほどに。
シュラは、全身の血が凍り付き、体中の体毛が逆立つ感覚を覚えた。
いや……”思い出した"。
「こんな痛みが、苦しさが、恐怖が、なんだってんだ?」
十余年の歳月は、恨みを風化させたのか?
憎しみは血潮から去り、時代の向こうに置いてきたのか?
ーーーーそうではなかった。
「……っ!!」
声にならぬ声をあげて、ソウマは再び引き金を引く。
アヤナの顔面を掠めた。
歩みが止まらない。構わず向かってくる。
二発目を撃った。脇腹に命中した。
ーー歩みが止まらない。構わず向かってくる。
「な……!?」
大型の獣は中途半端に銃で撃たれたとしても、むしろ怒りを忘れて前に向かってくるという。
その眼は、怒りに染まっていた。
身を裂く恐怖も、疲労も、痛みも。すべてを焼き尽くす真っ白な怒り。
何に対してか。目の前の痛みをもたらした男か。アスコに銃口を向けたことに対してか。
全てを奪われ否定された、己の運命に対してか。
唯一人、死にぞこなった自らの境遇か。
ーーーー大切なものを何も守れなかった、己自身に対してなのか。
「てめえらがなんだったのかは知らねえよ。知ったこっちゃねえ」
男は怒っていた。何に対してだ。
恐らく、”すべて”だ。己という存在を生み出した、天と地のはざまに在ることごとくに。
「こんなもの……」
「くっ、来るなッ」
血液の湯気が見えそうなほどに燃え滾っている。
術士以外にも肉眼で確認できるほどのラムダの磁場。およそ本来、生身の肉体から発せられないほどの高密度のそれ。
とうに枯れ果つる程に流れ流して、されど尽きぬ。
沸騰する、灼熱の怒り。
「う、あっ……!!」
暁が照らす傷だらけの肉体に、鬼が宿る。
修羅をも怯ます、鬼人の怒気だ。
怒っていた。鬼が怒っていた。
撃たれ、斬られ、潰され、すべてを奪われ否定されようとも、鎮まりえぬ激流の如き感情を己の中に納め続けた時代の亡霊、否、未だ生き永らえたる、一頭の鬼が。
「俺達が抱えてきた怒りに比べりゃあ……!!!!」
「ひっ……あぁ、うおあああっ!!」
脇腹から引き抜いた銃弾を右掌に握り込む。
じゅう、と肉の焦げる音。それすら、握力に掻き消える。
ソウマは錯乱したまま、引き金を弾いた。最後の一発はあらぬ方向へ。それでもなお、弾はもう入っていない銃の引き金を、ガチガチと、何度も何度も。
――――止められる筈はなかった。
「ーーぬるすぎんだよッッ!!」
太陽まで届きそうなほど、高々と突き上げられた。
ソウマの長身は掬い上げられるように臥せった状態から軽々と吹き飛ばされ、きりもむように砦壁の外に落下し、最後はべシャリと潰れた。
「――――――フン」
砦壁の下での遠く聞こえる泡のような大騒ぎに、アヤナは鼻息ひとつだけ唸った。
「アスコに見せずに済んでよかったぜ。生まれ変わって出直してきな」
◆
「すまねえ、アスコ! 弾当たらなかったか? 大丈夫か、怪我は?」
くるりと振り返ったアヤナは、もう普通の貌かおをしていた。
ハッ、と、アスコの表情がくるりと変わる。
呆けていた顔がにわかにしかめっ面になり、小走りで駆け寄ってきた。
「――――ばかっ!」
陶磁器のような真っ白な頬に赤みがさし、日輪のような金眼には涙がたまっている。
「傷だらけじゃないですか! ぜんぜん、大丈夫じゃないじゃないですか!」
「怪我のうちに入らん、こんなもの」
「大怪我です! 死んでしまったら、死んでしまったら、どうするんですか!!」
「お……アスコ」
「早く、異物を摘出して熱滅菌しないと……!!」
「アスコ」
堰を切ったようにせき立てるアスコに対し、アヤナは、あらぬ方を見上げて、アスコの肩をトントンと叩く。
「見ろ」
やわらかな光に照らされたアヤナの横顔。
同じように見上げると、そこには――――
「あ……」
――――その瞬間、世界が止まった。
その光景は写真のように、網膜に焼き付いた。
いつのまにか、暗闇は去り。
目映いばかりの光が、二人を包んでいた。
美しい、朝日だった。
「お前、いつも寝坊するからな。久しぶりじゃないか? こうして二人で見るのは」
すべての絶望が、眩しさのなかに消えていく。
明ける事はないのだと思うほどに長かった夜を、照らしてゆく太陽。
それは、どんな言葉を尽くしても表しきれないほどに雄弁で。
「これ見るために生きてんだ。今日も見れてよかったな、アスコ」
いつかのアヤナの言葉を思い出して、アスコはすっかり、毒気を抜かれてしまった。
ーーーーどうせ、生きてりゃ明日が来る。来るなと思っても、もう見たくねえと思っても、来る。
だったら、今日からは俺がお前の”明日”を守るから。
今日からお前が、俺の”明日”になってくれないか? アスコ。
「……ばかっ」
血まみれで屈託なく笑うアヤナの横顔があまりに綺麗で、アスコはポロッと落ちた涙を拭って、一言だけぶつけた。




