22話 一の太刀
戦場の生ぬるい脂混じりの風に、ソウマの眉間に刻まれた古傷が疼く。
その古傷をつけた張本人が、今、目の前で構えている。
もはや退くわけにはいかなかった。
「見せてやる」
正眼を解き、ソウマは耳の横まで柄を持ってくる。
八双にしては不自然なほど大きく、天高く切っ先をついている。
アヤナがわずかに訝しげに顔を顰めたと同時に、不自然なほどの大猿叫が空気を切り裂いた。
「シャあアアアアッ!!!!」
裂帛の気合いと共に上段に構えたソウマが突っ込んでくる。
先ほどまで見せていた、気配なき陽炎のような足運びと異なった、極めて直線的な烈火の剣。
その超人的な踏み込みの激しさに、レティシアをはじめ、兵士たちは目を見張った。
およそ狙撃しようにも、弾丸で捉えきれぬほどの鋭さ。
切っ先を立てたまま、身体に付けるように柄をぴったり、右腕に添わせた。
構えは腰を深く落とし、八双よりもさらに大きい。ほとんど右腕だけで刀を支えているような、独特の構え。銀色の白刃が、闇に融ける。
長身のソウマがその構えを取れば、まさに巨木のよう。
前面に圧し出してくるプレッシャー、アヤナにはよく、見覚えがあった。
「ちぇェェエいさァァァァああッッツ!!!!」
気狂いのような咆哮、砲弾のような踏み込み、空気を消し飛ばすような大振り。
——西南剣士の初太刀は外せ。
戦術の天才・碧血隊副長、ヒュウガ・ナイトウも隊士たちに戒告していた、そのあまりにも有名な剛剣の名はーーーー
「蜻蛉掛かッ!!」
空間ごと圧し出してくるような圧力。
まともに受ければ、簡単に唐竹割りに真っ二つにされるだろう。
大きく後ろに跳び、外す。
「ーーぬるいぞッ、鬼人のアヤナッ!!」
袈裟に振り切った太刀を逆袈裟に振り上げて、走り込むように追ってきた。
蜻蛉掛、そう、単発の蜻蛉太刀で終わらないから、”掛”なのだ。
この剛剣の真の強みはここにある。
(ーーーー速いッ!!)
歩み足ならぬ、走り足。後退を全く度外視した突進は退き足より確実に速い。
右腕と柄をピタリと着けているため、刀身のブレが非常に少ない。さらに大上段とほぼ変わらない高さから、地面すれすれの袈裟まで振り切る事でモーメントを最大限使う。
猛然と駆け寄る突進がそのまま崩しとなり、故に速く、重く、体重の余すところなく乗った圧力凄まじい打ち込みとなる。
音に聞こえた蜻蛉の太刀とは――――――
その実は秘伝・秘術もくそもない、徹底した人体工学と運動力学に基づいた実戦本意の剣術である。
逆袈裟が落とされる瞬間、アヤナは退き足を切り返し、半身をずらして前に出た。
あえて相手の振り下ろす太刀の方向に向かって踏み込むことで、相手の懐に潜る。『虎乱』と呼ばれる小太刀の技法。
飛んでくる切っ先の内側に入った。そこは必殺の蹴りが届く距離。
「甘いッ!!」
「!?」
一文字に血飛沫が咲く。
前方猛進が身上の蜻蛉掛が下がった。下がったというより、足遣いを「オシタリ」へと瞬時に切り替えた。
短く切るような跳躍で、近接状態から一刀分の隙間を作り、首を狙った横一文字。
とっさにアヤナは上体を逸らして躱した。しかし、追いすがるように肘と肩を伸ばしてリーチを稼いだシュラの切っ先は、反ったアヤナの胸元を、真一文にしたたかに切り裂いていた。
「……ほう」
「アヤナさんっ!!」
アスコが叫ぶ。
ブバッと開いた真っ赤な肉の裂け目から、鮮血が着物を黒く染め、砦壁の石床に紅い血だまりを作った。
「侮ったな、鬼人のアヤナッ!! 刀を持たぬ貴様など、牙抜けの猟犬となんら変わらぬ!!」
ソウマが咆える。
血ぶりをすれば、血を被った切っ先五分のあたりから、雫の血脂が滴り飛んだ。
(やっぱり……あの人の”力”……ラムダの流れ、何かがおかしい……まるで外側から何かが、あの人の本来の力を超えて暴走させてるような……!)
“感じる”のではない。視えるのだ。アスコには。空気の層に混じるラムダ粒子が、まるでソウマの身体を中心に——いや、背後に、別の“核”があるかのように、螺旋を描いて渦巻いていた。
(……誰かが、干渉してる……!? まさか、誰かがあの人に、呪的な補助を……)
表情が蒼白に染まる。その“何か”が、目に見えぬ瘴気として、ソウマの力を本来以上に膨張させている。それは、火装網でも、科学でもない。霊性干渉の奥底、呪術に近いレベルの制御域——ラムダ暴走の兆候だった。
「アヤナさん……っ!」
立ち上がろうとしたアスコの腕を、レティシアが制した。だが、彼女の表情にも余裕はなかった。
(まずい……これは、“想定を超えている”……!)
レティシアは、戦場全体を見渡した。火装は復旧している。兵士たちも戦闘配置に入っており、指示さえ出せば一斉掃射でこの戦場を制圧できる。だが。
(だが、それは……アヤナをも巻き込む……)
たとえ一瞬の援護であったとしても、この距離で火装を解き放てば、彼も無事では済まない。
それどころか、常識を超えたソウマの身のこなしを鑑みると、それで取り逃す可能性すらあった。
そうなれば、却ってアヤナの邪魔をする結果にもなりかねない。
「……確かに、今のはよかった」
アヤナは、胸の傷を撫でてつぶやいた。
べったりと掌に溜まった血を、指を何度か擦り合わせて、弄ぶ。
「けどな、丁寧なオシタリの足を遣うお前の方が、俺は怖く感じる。そのイビツな剣気に任せて振ってくる蜻蛉掛に、俺は恐怖を感じねえ」
摩擦で血液はぐずぐずに固まり、やがてカスのようになって指からボロボロとこぼれ落ちる。
自らの出血が、どこか他人事にでも感じているのか。
そんなふうにも思わせる仕草だった。
「貴様、とことん哀れだな。せっかく勝ち組を抜けてまで剣を取り戻したのに、結局他人の戦の端っこで、誰かの”呪”を借りて言いなりか」
ぴくり、とソウマの眉が引き攣った。
「その蜻蛉より、正眼に構えた時のお前の方がずっと怖い。胸の肉なぞナンボ削いでも、心の臓には届かねェよ」
どこか遠くを見るような、何もみていないような。
それは剣術家特有の、見山の目付けによる独特の表情であったが、それがあの日の少年剣鬼に被って見えた。
眉間の苛立ちを振り払うように、ソウマは再び突進する。
「ほざけエェェェえッッ!!!!」
今一度、アヤナは腰を落とす。
地に伏すような低い構え。
前に突き出した右手が切っ先の如く。それは、猛爪の狼にも見えた。
手負いの獣に蜻蛉の構えが襲い掛かる。アヤナも構えそのままに前へ出る。
(――――――またも“虎乱”か! 二度は通じぬ!!)
リーチ面での圧倒的優位を背景に、アヤナが間合いに入る瞬間、ソウマの構えが変わる。
一文字払いの横蜻蛉。
本来、屋内など狭い場所で使用する斬り方であるが、これならば、先ほどの腹皮一枚を外す”単衣の躱し”は使えない。
推進力を多少犠牲とはするが、真横に真っ二つにするには十分。
「終いだッ、鬼人のアヤナッッ!!」
銀の一閃が、夜明け直前の宵闇を裂く。
まばたきよりも、短い刹那。
アヤナの上体が、目の前から消えた。
(――――下!!?)
ソウマの横一文字一閃はアヤナの頭上、一寸をすり抜け、僅かにその頭髪を削いだのみ。
目を見張るほどの柔軟性、右足を大きく踏み出して左膝が地面に付くほど深く。
突進を旨とする本来の蜻蛉、袈裟掛け斬りであれば、あるいはその脳天を叩き割ったかもしれない。
しかし、アヤナの俊敏性を警戒した結果の横払いが、僅かばかり前方への圧力を弱まらせ、却って下にもぐる隙を作った。
「ビビッて退いちゃ、負けよ」
その形は、かつて小柄かつ天狗の如き運動能力を持ったアヤナが、自身の身体的特徴を最大限に活かした、地を這う袈裟斬り上げ、抜刀形の一、“地生”の形に酷似していた。
(しまった……だが、その体勢から何を打つ!? 貴様の左腰に抜くべき刀は穿かれておらぬ!!)
粘る足腰から抜刀術そのままの軌道で、アヤナの右手が伸びてきた。
抜刀の軌道。それ自体に殺傷能力はない。しかし、それはソウマの両腕を抑え、崩す。
重心を一瞬、取られたソウマの急所、水月までの一筋の道が開いた。
アヤナの周囲の空間が、ゆらめいた気がした。それと同時に、ソウマの脳裏に昔日の記憶がよぎる。
ーーーーぞくりとした。
西南剣士の代名詞が蜻蛉ならば、碧血隊、必殺の技と言えば“突き”である。
逆本覚之突、通称・平突き。
走り込みながら使用する場合は追い突きとも呼ばれる。
正眼の構えから両腕を伸ばし、刀身が地面と平行になるまで捻り込むことで、相手の刀を鎬ぎ落しながら胴に到達する。
否が応にも全体重が剣先に乗り、水平に構えられた刀身はあばら骨の隙間に滑り込む。
およそ刀剣で繰り出す技の中で最も突進力に優れ、最も威力があり、応戦の斬撃や半端な受けを正面から弾き飛ばし、着込み帷子かたびらや鎧であっても難なく貫いた。
反面、外せばほぼ確実に反撃を喰らうことになる。そのほか、突いた後の刀が相手の身体に残ってしまい、新手に討たれる危険性も高く、その威力とは裏腹に使用には覚悟を伴う”死に太刀”でもあった。
死を追う突き、ゆえにこの技が”追い突き”とも俗称された所以だが。
先遣隊長・死番のアヤナは、この危険度の高い大技をまったく躊躇せずに敢行し、数々の名高い壮士を討ち取った事で知られる。
身の丈七尺、五尺余りの大太刀から繰り出す左片手突きで無双を誇った剛剣の雄、タネツグ・オオヅキを仕留めた折には、その大身を鎖帷子ごと貫き、胴を完全に貫通して背後の塀まで突き刺さったという。
その際にアヤナの剣は横隔膜の後ろ側、月骨(※8番胸椎)を串刺しにしていたことから、畏怖を以て後にこう呼ばれる事となった。
ーーーー大月をも砕く狼の牙。
「――――――ッッツツツ!!!!?」
人呼んで、“月喰”と。
「~~ッ!!? ~~ッッツ!! ……~~~~ッツ!!」
余りの衝撃にソウマは声を出せもせず、代わりに大量の血を吐いた。
左拳をめり込ませたアヤナの顔に、ビシャリと鮮血が噴きかかる。
右手を伸ばしたまま腰だめの左拳を一気に伸ばし切れば、それはまさに、両腕をひねり込み全身の力を切っ先に集約させる、逆本覚之突とほとんど同じ形になる。
刀では無いから、肉は裂けない。
しかし、拳頭から踵まで全身の骨格の揃ったその突きの衝撃は、皮膚の下の横隔膜をあっさりと貫き、裏側の胃臓を軽々と破裂させた。
いや、そればかりではない――――おそらくは、背骨もずれていたほど。
空間が揺らぐほどの剣気ーーラムダのオーラを纏っていたソウマも、たまらず刀を取り落とし、呻きと共に崩れ落ちた。
「十と余年ぶりに御用改めだ。神妙にして縛に就けや」
一撃必倒、二の打ち要らず。
それぞまさしく、“一の太刀”なり。




