20話 お前にもう、明日はない。
それは言葉よりも疾きもの。
互いの心に抱く刃と、殺意。
「見た目は変わったな……。だがその眼と、背中に貼りつくような“圧”だけは、昔とまったく同じだ。……いや、今の方が、ずっと完成されている」
「10代のガキが、30絡みのくたびれたおっさんになったんだ。変わりもするわ。それに、俺は貴様なんぞ知らんが」
「あの戦場で鬼人のアヤナを覚えていない剣士はおらぬよ」
ソウマの剣は、未だカタカタと震えていた。
しかしその表情だけはうすら笑みを浮かべている。
「命知らずの碧血隊においてなお、最も命の価値を知らなかった男。貴様の姿を見ただけで、味方は恐慌し制御を失ったものだった……ふふ、恥ずかしながら、震えが止まってくれぬ」
ソウマはおもむろに舌を出すと、一息にそれを噛み切る。
歯は舌の中ほど半分ごろまで食い込み、ブッ、と血が噴き出た。
ソウマは改めて、刀を正眼に構え直す。血液と引き換えに、身体の震えは止まっていた。
「痛みで怖れを掻き消すか。そういう前時代的な根性は、いかにも”あの時代”の人間らしい」
アヤナは、すごみも、いきりたちもしなかった。
ただ、淡々としていた。剣すら携えていない。
「貴様、革命派側の人間か」
しかし、砦の兵——レティシアをはじめ、そこにいた歴々は、割って入ることができなかった。
火装が戻った今、もしかすれば一斉掃射をかければ、ソウマのこの場からの排除は容易であったかもしれない。
「貴様こそどうしてこんなところにいる。勝てば官軍。今頃、軍帽を被ってパイプを嗜み、新政府の将校様だと威張り散らかしていられたはずだろう。せっかく勝ち組に入ったのに、なんでこんな異国の地で人斬りなんぞやっている?」
血脂と硝煙の臭いが充満しているはずのこの戦場において、他が無と思えるほどに、その青年から強烈に匂った。
醸す雰囲気の、密度の異質さ。
越えてきた修羅場の数の、おそらくは桁が違ったのだ。
「……碧血隊の名が、今もなお震えるほどに怖いなら。とっととここから逃げれば良い。俺は貴様に用はない」
かつて、一国対一隊、という“死ぬため”の戦いに挑んだ、血狂いの狼たち。
ソウマが痛みと引き換えに震えを止めなければならぬほどの暴。
圧倒的に本物の、凶気だった。
「ここは、退けんな。退くわけにはいかなくなった」
ソウマの剣気が、瘴気のように不自然に歪んだ気がした。
「アヤナさん、あの人の中の、ラムダの流れ……少し、変です」
「ああ、おかしいな」
目に見える訳ではない。しかし、霊性反応感性の突出したアヤナとアスコは、その気味の悪さを肌で感じ取る。
「戦場では正気だと戦えない奴がいる。そういうやつは薬に頼ったり、巫女に”呪”を与えられて自分にイビツなバフをかけちまう。あいつは正気を保ってはいるが、似たようなものを感じるな」
「はい、まるで”別のナニか”から干渉を受けているような……」
ソウマは落ち着きを取り戻していた。
遥かに取っていた距離を詰め、小股で6歩、大股で3歩ほどの距離まで近づいてきていた。
剣において、明確に戦闘が始まる距離感と言っていい。
つまりこの状況にあって、退くつもりはないということだ。
「鬼人のアヤナよ。貴様、己が何を守っているのか知っているのか!? その少女がなんであるか、知っているのか!?」
アスコの表情が硬直し、瞳孔が小さくなった。
アヤナは微動だにしない。ただ、アスコの前に立ち塞がったまま。
「貴様も知っていよう。明和東州連邦なぞ、所詮はこのカルミナの傀儡政権に過ぎん。実験であったのだ。当時、提唱されたばかりの火の理論ーーその実戦における有用性のな。火の武器を手に入れた我々が貴様らとどう戦ったか……いうまでもあるまい。そしてその理論を作り上げたのはオズヴァルト・ユリウス・アルノー、そこにいるクレア・イリシア・アルノーの実の父だ! だが、その娘の真の重大性はそんなことではない」
体を駆け巡るーーいや、暴走する霊性物質が、ソウマの舌の出血をすでに止めていた。
なおも回る舌で、ソウマは叫ぶ。
「聞いたことがあるだろう。“二つ目の太陽”——それは理論上、地上において人工的に太陽と等しい高エネルギー融合反応を制御し、再現する技術。世界に“火”を与えたアルノー博士が生涯をかけて導いた定義のさらに先。全世界の霊性干渉バランスを壊しかねない力を、一個人が携帯している。その理論を継いでいるのが、他でもない、その少女なのだ!!」
アヤナの眼光は、刃のようだった。なんの色もない。
アスコの表情は氷のような蒼白になっている。
「わかるか、鬼人のアヤナ!」
ソウマは咆哮する。
「その少女は、碧血隊壊滅の元凶そのもの、それにとどまらん。あの惨劇を超える、この世界を滅ぼす元凶になりかねないのだぞ!」
◆
「話は終わったか? くだらねぇ」
アヤナは、興味もさしてなさそうに、小指で耳の穴をかっぽじりながら応えた。
「碧血隊なんてなァ、そんな劇的に語られるような物語でも、哀れがられるような代物でもねえ。碧血隊の仕事ってなんだかわかるかい、人殺しだよ」
指先に着いた乾いた。耳垢。
それを、フッ、と、一息で飛ばした。
「所詮、人斬り稼業ってどうしようもねえ商売の因果が、殺し合いの果てに己らに返って来たってだけの話さ。お前さんにカワイそーがられにゃならん理由なんざひとつもねえ」
アヤナは、笑いも怒りもせず、淡々と返す。
「貴様の言葉は、どうも一介の剣士のそれには思えねえ。誰かの又聞きか? いや……”喋らされてる”ような感じもするよな。気づいているか? 自分で」
ソウマの眼がわずかに揺れる。
アヤナはゆっくりと前に出る。
「——まあ、いいさ。そんなことよりも、俺が明確に気に入らねえ事が一つある」
声が低くなった。冷たさではない。ただ、真っ直ぐな確信がそこにあった。
「……俺の背中に伝わってくることがある。貴様はさっきから、アスコが“言ってほしくないこと”ばっかりを、嬉しそうに喋ってやがる」
アヤナの眼が、初めてソウマを真っ直ぐに捉えた。
「俺が貴様の口を止める理由は、とりあえずそれで十分だ」
「……“昨日”の事は、忘れたか。恨みも、怒りも、もはやその血液には残っていないか、鬼人のアヤナ!!」
「貴様の話を聞く気はねえ。興味もねえ。それ以上、何か言いたいのなら、刀に言わせな」
アヤナは、アスコの肩をそっと押し下げるように身を離した。
ゆっくりと腰を落とす。
「貴様は、アスコを傷つけようとした」
――――ピン、と空気が張り詰めた。
両手は正中に置き、指先は切っ先に見立て相手に付ける。
徒手ゆえに形は違う。だがそれは、紛れもなく剣の理合の構えである。
「——貴様に明日は、もう来ねえぞ」




