19話 碧血の鬼人
戦場の悪夢が、むせかえる血の匂いと共に呼び覚ます。
「剣を捨てたのか? 奇怪極まる。虎狼が牙を捨ててなお、何故、戦場にいるのか」
「俺だって別に来たくなかったわい。巻き込まれただけだ」
線の細く、大柄でゆらゆらと揺れるようなそのシルエットは、月に照らされ、不気味な威圧感を放つ。
「女将軍さんよ。多分こいつだぜ。”碌でもないもの”」
「ああ、探査部隊の報告と特徴が一致する。天兵党・同志長、”音無しのソウマ”」
「……」
「元は東州連邦の遊撃剣隊長で……無音暗殺術の達人らしいな。私の頸を取りに来たのか?」
「……お前は、ついでだ」
ソウマはしゃがれた声で答える。
そして無造作に右片手で向けた切っ先は、レティシアに向けられたそれではなかった。
「……”二つ目の太陽”を、斬りにきた」
「ーーっ!!」
切っ先と、蛇のような視線に射抜かれたのは、アスコだった。
金色の眼が震えて、ハッと息を呑む。
——瞬間、ブワッと膨張するような殺気。
一陣の風が吹く。
それはソウマでも、レティシアの剣でもない。
「ーーッ!?」
アヤナの体が、爆発でも起きたかのように弾け飛んでいた。
その動きは跳躍ではない、滑走でもない。跳弾のような“反応”だった。
瞬きひとつの間に、アヤナの身体はソウマの懐に入り込んでいる。
その勢いのまま放たれた後ろ蹴りが、爆弾のように爆ぜる。
「……っ!?」
なんの霊性干渉を纏っている訳でもない、単純な膂力の脚蹴り。
しかしその一撃は、雷のような衝撃と速度をもっていた。
咄嗟に剣を構えたソウマだったが、受けた瞬間に腕が痺れた。
およそ、生身の打突の感触ではなかった。
(なんだっーーーーッ、この重さは……!?)
衝撃を殺せず、数メートル、いや、10メートル近くは後ろに吹っ飛んだ。
咄嗟に構え直そうとして、構えられなかった。蹴りを受けた右腕が、痺れて言うことを利かない。
「……なんだ……この小僧は……?」
アヤナはソウマを追い打たなかった。
ただ静かに、アスコの前に立ち塞がっているだけだ。
血が、肩口からしたたり落ちる。しかし彼は、それすら気にしていない。
「貴様、誰に向かってそんな危なげなものの切っ先を向けた?」
その声が、静かに響く。ただ、その“眼”に射抜かれるだけで、ソウマの背筋に電流が走った。
アスコが、そっと彼の名を呼ぶ。
「アヤナさん……」
その声が、震えていた。
ソウマは視線を上げる。その”あかつきの干渉士”の片割れの男が、ソウマには、さっきとまるで違って見えた。
ーーーーアヤナ?
脳裏に結ばれた記憶。
ゾワッと、寒気が背骨を泡立てるのがわかった。
ソウマの肉体は脱兎のように、遥か後方へ跳躍する。
それは、本能だった。あるいは細胞の記憶。
歴戦の傷跡が、刃を構え直す前に、まず、後退を選択させた。
「そうか。碧血隊の、アヤナ。これは、よもやだ。よもやよもやだ」
20メートル近い距離をとって、ソウマは冷や汗を自覚し、歯の根がカチカチとなることを、やっとの思いで抑えた。
「そうか、貴様。まさかまさかの、死番のーーーーいや、”鬼人のアヤナ”か!!」
遠目には、まるで別人だった。
あの日の命そのものをぶつけてくるような、衝動そのものが人の形をしたような少年と、目の前のやや白髪の混じる瞳の静かな男は見た目にはまるで異なる。
しかし、その剣気、その殺意。
あの一瞬、覗かせたその威圧感は、あの日、戦場を震撼せしめたそれ、そのものだった。
碧血隊先遣隊長・死番のアヤナ。
革命軍が『鬼人』と呼んで戦うことを畏れた時代の亡霊が、目の前にいた。




