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1話 火の時代、神なき朝に。

剣に見初められた男がいた。

数多の死を運んだ男がいた。


頭から爪先まで、真っ黒な返り血に染まり、その内側は焼き焦がれるような真っ白な怒りに染め抜かれた男。


だが、その少女は暖かな食卓で言う。


あなたの作る朝食は、とても優しい味がする。


血の匂いなど、しないと。

 その日、世界は”火”を手に入れた。

 代わりに、”神”を失った。


 新雪の冬に、黒い嵐が吹き荒れていた。

 いったいどれだけの戦場を、此処まで切り抜けてきたのか。

 もう元の柄がわからないほど、隊服は返り血で真っ黒に染まっている。


『尽忠報国 万折不撓 藏其血三年而 化為碧』


 袖章に縫い込まれたその文字は、すでに見えない。

 もはやいくらの敵を斃したのか。

 数十、ともすれば百でも利かないかもしれなかった。

 それでも、総兵力25万を号す革命派の軍兵は尽きることを知らない。

 もはや一波の津波のように、真っ黒な塊となって、わずか200名足らずの満身創痍の彼らに容赦なく鉄の雨を降らせ続けた。


「こなくそがあっ! 近づけさえすりゃあ、あんな”火の武器”ごとき……!!」

「ちっ、ダメだ、退くぞ!! まだここじゃ死ねねえ、体勢を立て直す!!」

「退避だ! おいっ、退くぞ! 退けっ、アヤナっ!!」


 ずい、と、退いてゆく味方に押し出されるようだった。

 ひときわ小柄なその姿は、男というより少年。

 実際、少年と言っていい齢だったろう、まだ、十七か十八、せいぜい、十九。


「……うるせえな……」


 少年は怒っていた。

 怒りが、磁場のようにぐにゃりと空間を歪め、世界を歪めた。

 錯覚だったのか? わからない。わかることは-ーーー

 その闘気は、少年の剥き出しの命、そのものだった。


 ――――退けだと?

 何処に退けというんだ。俺たちに明日は無い。


 その眼は、怒りに染まっていた。

 身を裂く恐怖も、疲労も、痛みも。すべてを焼き尽くす真っ白な怒り。

 何に対してか。目の前の大軍か。奮闘しながらも理不尽な数と兵器性能の暴力に押し潰される、自分達の運命に対してか。

 この戦場を作り出した時代のうねりか。

 あるいは、この世そのものか。

 人斬りの眼だった。少年の雰囲気を未だ残す面立ちで、眼だけが、数多の血の雨を降らしてきてなお、血に飢える、鬼人の眼だった。


 ――――この血の最後の一滴が蒸発する瞬間まで、斬り進むんだよ。

 いつだってそうしてきたんだ。それしか、無かったんだ。



「アヤナッ!!」


 同朋の一人が叫んだ。

 飛んできた銃弾の一発が、少年の肩をえぐった。


「…………」


 ぐちり。

 少年が、今創られたばかりの真新しい傷を抉る。

 血深泥と一緒に、掌にころんと引きずり出されてきた、ちっぽけなかけら。

 こんなものが、俺たちのすべてを奪っていったのか。

 握り締める。まだ熱さを残した弾丸が、じゅう、と肉を焼く。ぬめって滑った、血と脂。


「……うるせえ」


 ――――こんなちっぽけな鉛玉がなんだってんだ? 

 こんな痛みが、苦しさが、恐怖が、なんだってんだ?

 こんなものが、俺たちが今日まで流してきた血よりも、背負ってきた仲間の死よりも、大層なもんだっていうのか。


「てめえらがなんなのかは知らねえよ。知ったこっちゃねえ」


 沸騰する血液が全身の管を駆け巡った。銃弾のかけらを投げ捨て、すでに道具としての本来の耐用許容量をとうに超える血脂を吸った、刃こぼれまみれの淀刀を握りなおした。


 男は怒っていた。何に対してだ。


 恐らく、”すべて”だ。己という存在を生み出した、天と地のはざまに在ることごとくに。


「てめえらがなんなのか関係ねえ。”神”だろうが”時代”だろうが、25万の大軍だろうが!!」


 雄叫びが、天を突いた。大地を踏み鳴らす。その身に収まらぬ感情の奔流が疾走する。


「先頭は譲らねえ。碧血隊先遣隊長・”死番のアヤナ”は……ビビって退いたことは一度もねえよッ!!!!」


 迫りくる強大な理不尽に、灼熱の鬼人は咆哮した。


 ◆


 十五年近くも昔の、あの夜の夢だった。世界が“火”に焼き変わり、“神”が死んだ夜。いまだに、何度も見る。


 アヤナは弾かれるように目を開けた。額にはうっすらと汗がにじんでいる。喉奥で、獣のような息が漏れた。

 夢の残滓が、脳の奥にしぶとくこびりついていた。火、鉄、血。叫び。押し寄せる敵兵、肩を貫いた弾丸の熱――

 記憶の中に色褪せることのない、仲間たちの声で再生される、自らの名前。

 それらすべてを、朝日が柔らかく押し流していく。


 金の光がカーテン越しに射しこみ、部屋の空気に温度が宿った。白髪の幾分混じった黒髪をかきあげる。ぐっしょりと濡れている。外にまで聞こえそうな激しい動機を、無理に抑え込まず、ただ一度深く息を吐く。


「ふがっ……」


 隣で、間の抜けた可愛い声がした。


 振り返ると、寝台の上に広がる白いシーツの中で、少女が寝返りを打っていた。


「……ラムダ干渉式、非可換項……ちが……Y関数臨界圧の……シュークリーム……」

 うつぶせで、柔らかく寝息を立てながら、数式めいた寝言をもごもごと呟く。

 朝日に照らされて、金髪が呼吸に合わせて小さく揺れている。


「……なんだ、臨界圧のシュークリームって」


 アヤナは、ふっと表情を緩めた。 

 夢の中で、すべてが失われていく世界の感触を、今、隣で寝息を立てているこの少女のぬくもりが、ふっと繋ぎ止めた。


「ラムダ関数λ(x) ⊗ ψ†(t)……ゲージ場にお味噌汁とアヤナさん、混合、相対比率∇λ・φ偏差で、完全場収束……」

「……数式と飯と俺を混ぜんな」


 囁くように呟くと、アヤナは自分でも気づかぬほど小さく笑った。



「お味噌汁と……シュークリーム? どういう献立ですか?」

「知らんよ。お前が言ってたろ、寝言で」

「えっ、うそっ!」

「ほんとう」


 寝癖が遠慮なく四方八方に炸裂しており、メガネも斜めにずれ落ちている。

 見事なプラチナブロンドが普段の三倍、四倍の体積に膨れ上がっている。


「増えるワカメか、紅◯歌合戦の大トリって感じだ」

「いくら寝る前にブラシしてもらってもダメなんですよぅ、いただきます」


 真っ先にシュークリームに手を付ける。

 デザートは後からだ、といつものようにいうのだが、少女は寝ぼけたふりをした。


「先に腹一杯になって、食べきれないっていうなよ。メガネずれてる」

「なんか歪んじゃってて……」

「……どうせまた寝ぼけて踏んづけたんだろう?」

 「う゛っ」

 「図星かい」


 アヤナは既に自分の分の朝食を済ませており、食器と、彼女の昨晩書き残した膨大な研究資料の束を取りまとめて鞄に詰め直す作業をしていた。

 彼女の寝起きは悪い。食べるスピードを考えると食べ終わるのを待ってから動いたのでは宿のチェックアウトに間に合わないであろう。短くない相棒生活で身につけた知恵であった。


「あうっ、眩しいっ……とけるっ……」

「目が覚めるだろ? ある程度やっておいてやるから、さっさと食い終われ、アスコ」


 アヤナはカーテンをバンッと開け放ち、うめくアスコにお構いなく、背後に立ってメガネの調整と寝癖直しを始めた。

 部屋の外では、どこかで火装機の駆動音が遠くに聞こえていた。

 まだ、“火”の時代は続いている。


 ◆


 チェックアウトの手続きを終えた頃には、ファダリア北東の空にも陽が高く昇っていた。

 通りには火装鉄騎が行き交い、金属音とラムダ排熱の蒸気が賑やかに交錯する。空には配送型の火装空駆が縦横無尽に飛び交い、交差点では火装制御灯が青く脈打っている。この都市では、“火”は完全に日常の一部だった。


「暑いです……やっぱりこのウィッグ、通気性が悪くて……」

「変装ってのはそういうもんだ。素の顔で歩く方が問題だろ」

「でも……この辺じゃ、私のことなんて……」

「だめだ。金髪金眼は目立ちすぎる。どこの家のご令嬢だってなっちまうし、最悪、人攫いに遭うぞ」

「む……けど人攫いなんてアヤナさんがいれば……」

「面倒を起こすなって言ってんの。熱中症になりそうになったら早めに言え。その時はなんとかする」

「クンシ、アヤッキに近寄らず、というやつですか……仕方ない」

「すごいな。よく知ってるな、そんなことわざ」

「アヤナさんと同じ東域出身っていう設定ですからね。黒髪ロングのアヤナエミュです」


 すちゃっ、と眼鏡をくいと押し上げて、少し得意げに笑う。

 華奢な体の割に長めな人差し指と中指が、抜けるように白い。


「間違ってるけどな。正しくは君子危うきに近寄らず、だ」

「はうっ」

「さて……今日の仕事は……軍属施設からだな。“公共水路の火導流通系に不調発生。干渉測定士求む”だってよ」

「……また火導管暴走案件ですか。ラムダ場の整備不良にしては、最近多すぎますね」

「昼前に終わりそうか? 飯屋混む時間に間に合わねえと、あの店またすぐ席なくなる」

「う〜ん……そればかりは現場を見ないとなんとも」

「まあ、そりゃそうだよな」

「なるべく頑張りますっ」


 アスコは、金髪を隠す黒髪ウィッグをぴたりと被り直しながら、アヤナはアスコの歩調に合わせて、火の都市の雑踏に溶けていった。



――その頃、遥か西方。


 グルマ王国の宮殿、最奥の部屋。

 白いローブを纏った女が、静かに瞼を閉じていた。

 その白き絶世の美女、セリナの周囲に、無数のラムダ粒子が螺旋を描いて渦巻く。

 その手に握られた霊性コアが、淡く光を放っていた。


「……いた」


 セリナが、目を開いた。

 琥珀色の瞳に、遥か東の街が映る。


 ——雑踏を歩く、二つの影。

 黒髪の男と、黒髪のウィッグを被った小柄な少女。

 だが、セリナには見える。

 その少女の本来の姿——プラチナブロンドと、紺碧の瞳。


「場所は?」


 背後から、低く唸るような声が響く。

 黒鉄の巨漢――国王・ジャカが、戦斧を肩に担いだまま立っていた。


「ファダリア北東。間違いありません……"二つ目の太陽"の波形を感知しました」


 セリナの声は、風を読むように淡々としている。


「ただし……」


 セリナが、わずかに眉をひそめる。


「彼女の傍に、強い霊性反応があります。ラムダの流れが、異常に歪んでいる」

「強者か」

「はい。ヤサカ様の副将……"彼"に近い、独特の波、刃紋のような……」

「……碧血隊の生き残りか」


 ジャカが、短く鼻を鳴らす。


「ヤサカ様に報告を」

「……わかっている」


 セリナは再び瞼を閉じ、集中する。

 その意識が、遥か彼方の"何か"と繋がっていく。

 セリナの脳裏に、声ではない"思念"が流れ込んできた。


『……見つけたのか』

「はい。ファダリア北東に」

『――いや。まだいい』


 その思念がセリナの頭の奥に、冷たく響く。

 穏やかだが、寒気がするほどに深い。


『"二つ目の太陽"、時、満ちれば、いずれ……いまは泳がせておけ』

「……了解しました」


 セリナが瞼を開く。

 ジャカが、不満げに唸った。


「泳がせておけ、だと? 俺の手で握った獲物を、あの神だか亡霊だかの匙加減で使えとぬかす」

「ジャカ様……」

「……わかっている。今は、従っておく」


ジャカは踵を返し、部屋を出ていく。


 セリナは、窓の外、遥か東の空を見上げた。

 その瞳に映るのは、憐れみでも恐怖でもなく――運命を見通す者の眼だった。


「……"二つ目の太陽"。あなたは、何を選ぶのでしょう」

火装……この世界独自の科学設備

火導……この世界の科学技術

火装鉄騎……バイク的なやつ

火装空駆……ドローン的なやつ

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