浜辺での出来事
車場に向かい歩き始めてから五分ほど、冬は日が暮れるのが早いため、空の大半が黒色に染まっており、星もちらほらと見え始めている。
俺は道を歩いていると、急に気味の悪い悪寒を覚えた。
この悪寒は、気温による寒気ではない…――。
何か嫌な予感がする、そのような類の悪寒だ。
「は~い。ここは通行止めで~す」
街灯が一切ないような薄暗い細道で、体格の良い男が五人ほど、横に並ぶ形で俺たちの前に立ちふさがっていた。
その男の中で三人ほどが、立派なリーゼントヘアをしており、派手な服装も含め、典型的なヤンキーで間違い無いだろう。
[なっ」
俺は状況が理解できず、とっさに変な声が出てしまう。
「行け」
真ん中の、一番立派なリーゼントをした男がそう言うと、一番左にいた男が、俺のほうめがけて走り出してきた。
ヤンキーたちと俺たちとの距離は、十メートルほどしか離れておらず、走り出したヤンキーは、僅か数秒で、腕による攻撃が届く距離まで俺に接近する。
俺はとっさに、接近してきた男の顔面部分に、拳を握った右手を振り回した。
「おっと、危ない」
だが、ヤンキーはとっさに動きを止め、俺の拳をのけぞる形でかわしてしまう。
避けた後、そのヤンキーは俺に距離を詰めること無く、後方の他のヤンキーたちがいるあたりの場所まで下がった。
「バカ野郎! いい加減、ビビッてねぇで覚悟を決めろや!」
「で、でも、ただの不良でしかない俺には………」
ん? 何だ? 覚悟を決める?
「もういい! 俺がやってやる」
今の会話で、ヤンキーたちの上下関係はある程度理解できた。どうやら、今、左端に立つヤンキーを叱った、中央に立つ男が、この中では一番偉いらしいな。
まぁ、そんなこと知ったとしても、この状況では何の役にも立たないが………。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
俺はここでようやくヤンキーたちに疑問をぶつける。
「あ?」
今にもこちらに向かって走り出してきそうな姿勢をしていたリーダーの男が、その場で止まり、俺の言葉に耳を傾けた。
「俺たち、海に行って景色を見ただけなんです。喧嘩を売られる心あたりは少しも無いのですが………」
人違い………ということは流石になさそうだが、このヤンキーたちが何か誤解をしている可能性は十分ある。
そのため、一応確認はとるべきだろう。
「ハハハ。テメェは何にも聞かされてねぇってことか」
リーダーは、笑いながらも俺にそう告げる。
何も聞かされていない………? 一体どういうことだ?
「勘違いしてるようだから教えてやるよ。別に俺たちは、ムカついて喧嘩を吹っ掛けた訳じゃねぇ」
[は………? じゃあなんで………?」
「こんなことになってる理由は、そこの女が知ってるはずだぜ?」
この場で女性なのは美咲しかいない。ゆえに、リーダーの男が言う、そこの女とは美咲のことを指しているのだろう。
「美咲………心当たりあるか?」
「え? いや………まぁでも、そっか。そういうことか」
良く分からない言い回しだが、美咲には何か心当たりがあるらしい。
ならば、誤解や人違いという可能性はゼロ………か。
つまり、ヤンキーたちは美咲を狙って待ち伏せしていて、一緒に居た、美咲の部下である俺も、同時に襲われたということ。
「最後にもう一つ訂正してやる」
先ほどまで動きを止めていたリーダーの男が、再びゆっくりと歩き出す。
「さっき、テメェはこの状況のことを、喧嘩って言ったが、正確には違う」
ヤンキーたちが放つ空気感が急に激変する。
先ほどまでは、どこかふざけているような空気感だったのに対し、今は全員何かに覚悟を決めたような、重い空気を放っていた。
「今は、互いに命を懸けた、ガチバトルなんだよ」
ヤンキーたちの空気感が、どんどん迫力を増していく。
「テメェらを殺せれば俺たちは莫大な報酬を受け取って生き残れる。逆に、テメェらを殺せなければ、依頼を守れなかった俺たちは、口封じのために殺される」
「おい、さっきから何を…――」
「恨むんなら、俺たちじゃなくて、そこの女を恨めよ」
そう言った途端、リーダーの男はゆっくりと歩くのをやめ、全速力で俺たちの方めがけて走りだした。
「お前らぁ! もうビビるんじゃねぇ! 本気で殺すぞぉ!」
リーダーの男がそう言うと同時に、他のヤンキーたちも全員、俺と美咲目掛けて全速力で走り出す。
「マジかっ」
リーダーを含め、全ての者が走りながら雄叫びを上げている。
このヤンキーたちの態度………どうやら、本気で俺と美咲を殺すつもりらしい。
実際に、リーダーの男の手にはいつの間にかナイフが握られている。
「ッ!」
ヤンキーたちは、凄い速度で走って俺たちに接近してきており、このままなら、あと数秒でリーダーの男が持つナイフの間合い入ってしまうだろう。
「み、美咲! 逃げろ!」
せめて美咲だけでも逃がすべきだと判断した俺は、ヤンキーたちから一度視線を切り、美咲の方にドローンのカメラと、まっさらな顔を向け、そう告げる。
「えっ?」
だが、先ほどまで美咲がいた場所に、彼女はもういなかった。
………そうか、美咲はもう逃げたのか………。
ならば俺は、この男たちを少しの間足止めすれば良い。
昨日、美咲に救われたこの俺の命…………最後まで美咲のために役立てよう。
覚悟を決めた俺は振り返り、向かってくるヤンキーたちの方向に視線を向ける。
すると、俺の目の前には、一人の美しい少女、月神美咲が手をピンと広げ、俺に背を向けて立っていた。
「ゴンベイ………逃げて!」
なぜ………? なぜ美咲がそこに立っている? まさか、俺を庇っているのか?
たかが雑用係でしかないこの俺を? なぜ?
「ゴンベイ! 早く逃げて!」
リーダーの男と美咲の距離は、残り一メートルと少しほど。すでに、男の持つナイフの間合い。
「死ねぇえ」
リーダーの男は、ナイフを持つ手を突き出す。狙いは、美咲の首元。
俺は美咲を庇うために走りだす。
「美咲ぃい!」
ダメだ………絶対に間に合わない………。
もうすでに、ナイフと美咲の喉の間には、十センチほどの距離も無く、あと一秒も経たないうちに、美咲は喉を貫かれて死ぬ。
――もうすでに、美咲を救うことは不可能だ…――。
俺の全身を絶望という強い感情が駆け巡る。
だんだん視界が暗くなっていき、五感全ての感覚が薄くなっていく。
ああ………昨日手に入れた大切な物を、俺はまた失うのか…――。
………美
咲がいないのなら、俺がいる意味も無いよな………。
ならば、俺もこのまま、この場であいつらに殺されるとしよう。
せめて、ほんの少しでも良いから、幸せな日々を過ごしたかったな…――。
「ゴンベイ!」
幻聴だろうか? 美咲が俺を呼ぶ声が聞こえる。
「ねぇ! ゴンベイってば!」
いや、幻聴なんかじゃない。これは本物の美咲の声だ。
そう認識したと同時に、元々無い嗅覚を除いた、俺の全ての感覚が元に戻った。
「アレ? 美咲………? なんで生きて………?」
「なんでって、ゴンベイのおかげでしょ?」
は? 俺のおかげ?
「とりあえず、その右手話してあげて。それ以上やったら、その人死んじゃう」
美咲にそう言われ自分の右手を見ると、俺の右手は、白目を向きながら地面に倒れているリーダーの男の首を鷲掴みにしていた。
「え? なにがどうなって………?」
「いいから! 早く手を放して」
美咲に言われた通りに、男の首から手を離すと、無意識の内にかなりの力が掛かっていたのか、リーダーの男の首は、少し変形してしまっている。
死んではいなそうだが、かなりの重傷だ。
「美咲、これはどういう………」
「私に聞かれても困るよ………? ゴンベイが全員倒したんじゃん」
周りを見回すと、他のヤンキーたちも、漏れなく全員白目を向いて倒れていた。
「俺が倒した………? こいつら全員を?」
「そうそう。ものスッゴイ勢いで。続々と」
どういうことだ? 俺はこいつらを全員倒した覚えはないぞ………?
「まぁ、それよりもとりあえずは、この場を何とかしなくちゃね」
美咲はそう言うと、自分のメイドや執事たちに電話をかけ始め、その後、五分もしないうちに現場には二十人近くの美咲の部下が集まった。
集まった部下たちは、せっせとヤンキーたちをどこかに運んで行く。
「なぁ、美咲」
「何?」
「なんで警察呼ばねぇんだよ」
未遂とはいえ、このヤンキーたちは殺人を犯そうとした。本来ならば、すぐに警察を呼ぶのがセオリーのはず。
まぁ、警察を呼んでも別にいいんだけどさ………こいつらの身柄を警察に引き渡すと、逆に警察が可哀そうだから」
「警察が可哀そう?」
俺には、その言葉の意味が分からない。だが、その言葉から、このヤンキーたちが普通の不良ではないということは何となく理解できた。
「なぁ美咲、俺も今日からお前の付き人になって、もう部外者じゃなくなったんだぞ。隠さないで、しっかりと教えてくれよな」
「………分かった。元々隠すつもりなんて無いし」
俺の隣に立っていた美咲は、少し移動し、俺の正面に立つ。
「じゃあまず、ゴンベイが知りたいことって、私たちがどうしてこいつらに命を狙われたのか。それであってる?」
「ああ。それを教えてくれ」
「それはね、私が月神家の娘だからだよ」
「というと?」
「月神家は、私の父親がたった一代で、世界でも有数の富豪一族に成り上げちゃったの」
一代で富豪に成り上がった一家のことを、果たして富豪一族と呼んで良いのかは定かでないが、世間一般で月神家は富豪一族と認識されているらしいし、細かい意味など気にしても仕方ないだろう。
「そして、その急成長のせいで、裏から世界を牛耳る連中から結構恨まれてるんだよね。さっきのヤンキーも、裏社会の誰かに雇われて、私を殺そうとして来たんだと思う。
「なるほど………。じゃあ、警察が可哀そうっていうのは?」
「裏の世界の連中は、失敗したやつを絶対に生かしておかないのよ。こいつらの身柄を警察に預けても、裏社会の連中なら多分連行する途中に襲撃して殺そうとするでしょうね。そうなったら連行する警察官が可哀そうでしょ?」
とどのつまり、こいつらの身柄を警察に預けてしまうと、警察まで巻き込んでしまう可能性があるということか。
「だから私たちが、適切に処理した方がいいってこと」
適切に処理………具体的な内容は聞かないでおこう。
「あと他に知りたいことはある?」
「いや………特には」
俺がそう言うと、美咲は再び俺の隣に戻った。
「じゃあ、帰ろっか」
「あ、ああ。そうだな」
殺されかけたというのに、ずいぶんと平然といているのだな、この少女は。
と美咲は、二人並んで再び駐車場に向けて歩き出した。
「そういえば今更だけど、助けてくれてありがとね」
美咲は、少し体を前に傾けながら、俺の方を向いて、感謝の言葉を述べる。
「いや、お礼は別にいいさ。俺自身、何が何だかよく分からないし」
「本当に覚えてないの? メッチャ強かったのに」
今再び、あの時のことを思い出してみようとするが、やはり何も覚えていない。
これはあれか? 俺の封印された闇の力が暴走した的な………いや、そんな訳ないか。
「まぁ、どんな形であれ、助けられたことには変わりないし。本当にありがとね」
そう言うと、美咲は少し小走りで俺の前に立ち、俺に弾けるような笑顔を見せる。
「カッコよかったよ。ゴンベイ」
――その言葉を聞いた瞬間、遠い存在である美咲との距離が少し縮まった気がした。
………そうか、そうすれば良いんだ………。
「ああ。ありがとう。それと、どういたしまして」
俺と美咲は、再び横並びになって駐車場に向かい歩き出した。
「なぁ、美咲」
「ん? 何?」
「さっきの話を聞いた限り、今後も美咲のことを殺そうとしてくる連中が、今日みたいにいつ襲ってきてもおかしくないってことだよな?」
「そうだね。むしろ、裏の権力者たちは、私と私の両親が全員死ぬまで、絶対に今日みたいなことは無くならないと思う」
「そうか………今日みたいなことが何度も………」
「………ごめん。こんな危険なことにゴンベイも巻き込んじゃって………」
美咲は、俺が恐怖していると思ったようで、そう謝りながら、俺の手を優しく握った。
だが実際、俺は今の話を聞いて、少しも恐怖の感情など抱いていない。
むしろ逆に、俺は喜んでしまっている。
美咲は今日、命を救った俺のことをカッコいいと思ってくれた。
顔のない俺をカッコいいと思ってくれることなんて、今日のように、命を救った時を除いて他にないだろう。
つまり、俺にとって美咲のピンチだけが、美咲に自分のカッコいい所を見せるチャンスということになる。
極端な話だが、それでも間違ってはいないはず。
――だが、今の俺では、美咲のピンチを自分のチャンスへと変えることは出来ない。
美咲の命を救い、ピンチをチャンスに変えるためには、俺自身に美咲を守れるほどの強さが必要。
――これからは、美咲を守れるように強くなろう………。
俺は心にそう強く誓う。
「なぁ美咲」
「ん?」
「もしまた今日みたいなことが起こったら…――俺がお前を守ってやるよ」
自分でも恥ずかしいことを言っている自覚はもちろんある。だが、今の俺は、何となくカッコをつけたい気分だったのだから仕方ない。
「フフッ。やっぱり、ゴンベイはかっこいいね」
美咲は、おしとやかに笑った後、口角を上げて今日一番の笑顔を俺に見せる。
この日俺は、この無謀な恋を叶えることの出来る、唯一の一筋の道が見えた気がした。