追放-1
プロローグです。
魔法。それは、言語を介し、精霊の力を借りて魔法を行使するすべである。全ての魔法の源は言語にあり、言葉は奇跡を生み出す最も原始的な魔法である。…それが、この世界の共通の認識。
魔力がこもった言葉は力となり、それは剣にも盾にもなる。ゆえに言葉は慎重に発し、偽りの言葉は災厄となる。まぁ、前世でも言葉には力が宿るとか言ってたし、この考え方は割と好きだ。
でも、この国だけは好きになれない。
「ノアルティア。お前と王太子との婚約が破談となった」
父に呼ばれ、聞かされたのはその事実だった。とはいえ、それについてはずっと前から予想していたので、別に何の感情もない。
とはいえ、一応傷ついたフリでもした方がいいのだろうか。うーん、と悩んでいるうちに、父が話を進める。
「その代わり、レイルティアが婚約者として指名された」
「そうですか。それはおめでとうございます」
素直に喜ばしい。姉の積年の想いが叶って良かったな、と頷いていると、父は異物を見るような目で私を一瞥する。
「偽りの言葉は……いや、お前のようなできそこないが言ったところで、呪いにもならんな。もうよい、下がれ」
「かしこまりました」
「それと、お前は明日で家を出て行け。我が一族に、お前のような無能は必要ない」
「かしこまりました」
淡々とやり取りをして、父の執務室から出る。その間、なんの感情もなかった。…当の昔に、彼に対して家族の情などというものは捨て去っている。
私の名前は、ノアルティア。イベルノ国の公爵家の次女として生まれ、同時に代々優秀な魔法使いを輩出する名門の血を受け継いでいる。
…のだが、残念ながら私には魔法の才能がなく、そのせいで昔から、血の繋がった家族からもできそこない、と呼ばれる無能。一応父の娘であるのは間違いないので衣食住には困っていないけど、その恩恵、いや、お情けも今日で終わるらしい。
十六歳になるまで、待っていてくれただけでもありがたいと言えばいいのだろうか。普通なら泣きわめいたり不満に思うべきところなのだろうが、残念ながらそこまでの感情すらいまの私にはない。愛情の反対は無関心と言うけど、本当にその通りなんだな。
「あ、明日っていつまでなんだろう。朝ご飯はもらえるのかなぁ」
具体的な時間は聞いてなかったなと、廊下を歩きながら思い出す。明日って、どのタイミングで追い出されるんだろう。朝?それとももう少しのんびりして昼?それとも、日付が変わった瞬間?
父に聞くべきか、でもあの父と無駄に会話はしたくないし、でも正確な時間がわからないと動きにくいし、と立ち止まって考え込んでいると。
「ノア」
私のことを、唯一愛称で呼ぶ女性が目の前に現れた。手入れの行き届いた綺麗な長い黒髪を揺らし、神秘的な紫色の瞳によく似合う紫苑色のドレスに身を包んでいる。十人中十人が振り返るような綺麗で繊細な顔立ちは、まるで妖精の生まれ変わりのようだと賛美されていた。
彼女こそ、私の実の姉である。
「レイお姉さま」
本名はレイルティア。魔法使いの大国、イベルノ国の中でも抜きんでた才能を持ち、歴代最強の魔力を持つ魔法使い。二十一歳という若さですでに宮廷魔法使いとして名を馳せ、来年にはもう宮廷魔法使いをまとめるリーダーのような役職に就くという。我が姉ながら、出世が早すぎないか?
とはいえ、彼女の才能が本物であるのは私も肌で感じ取っている。姉がどれほど努力と研鑽を重ね、その評価を手に入れたのかも。
「話は聞いています。あなた…」
「はい。明日、家を出ます。今までお世話になりました、おね…レイルティア様」
私はこの家から追い出される。つまり、この家とは縁を切るのだ…この人とも、姉妹という関係ではなくなる。たとえ血は繋がっていても、父が私を娘ではないと言った以上、それは血縁よりも強い縁だ。この国で、血の繋がりはあってないようなもの。
そのため、彼女とはもう他人になる。少し寂しいが、仕方のないことだ。
「たくさん、魔法のことを教えていただいて嬉しかったです」
「…ごめんなさいね。私の力が及ばなかったばかりに」
「そんなことを言ってはいけません。お姉さまは、頑張って私が魔法を使えるようにしてくれました。…それなのに魔法が使えない私が、できそこないだっただけです」
父は早々に見切りをつけたが、この姉だけは最後まで私に魔法について教えてくれた。最後まで、私でも魔法が使えると信じてくれたのだ。…優しい人。人格者で、優秀な魔法使いで、美人。王太子、ひいては将来の国母としても、申し分ない人だ。
しかも、彼女は密かに王太子に想いを寄せている。好きな人と結ばれて、姉も嬉しいだろう。王太子の婚約者という立場を譲れたことだけが、私ができた唯一の恩返しだ。
…ま、それだけじゃないのも知ってるんだけどね。
「では、私はこれから出発の準備をしてきますね」
「お待ちなさい、ノア」
そう言うと、姉は自分の懐から何かを取り出した。そして、それを私に差し出す。
「魔法が使えない身では、何かと不便でしょう。これをお持ちなさい」
「これは…守りの加護がついてるんですか?」
繊細な星の髪飾りだ。素材は、魔を払うと言われている銀。意匠もすごく繊細で綺麗で、まるで満天の夜空を切り抜いたみたいな美しさ。
しかも、魔法で加護が付与されている。これは、怪我や病、呪いと言ったものから持ち主を守る加護だろうか。
姉は目を見張ると、悲しそうに瞼を落とす。
「…明日の…あなたの、誕生日プレゼントです」
「いいんですか?めっちゃ高いですよね、これ」
「受け取ってください」
優しい姉のことだ。最後まで私の身を案じてくれているのだろう。…その優しさを拒むほど、私はまだ捻くれていない。
「ありがとうございます。これは絶対に売らず、生涯大切に使いますね」
「ふふっ…路銀に困ったら、売ってもいいのよ?」
「売りませんよ。絶対に」
冗談を交わすと、私達はくすくすと笑った。